2008-07-01

創価学会員の家庭で育ってきた自分が最近思うこと

※個人的な意見・憶測が多く含まれます。

分類とか

創価学会の家に生まれてきた子どもには色々いる。

(1)バリバリ信じてる人(活動家

(2)あんまり信じてないけど活動家に誘われたら学会活動に参加する人(中間派

(3)信じてないし活動もしない人(未活動派)

(4)学会に批判的な人(批判派)

おおまかに分けたけど、それぞれの境界にいたり、どっちも兼ねてたり、

しんどい時だけなんとなく信じてみたりする人もいると思う。

自分のポジションとか

自分は2と3の間。正月家族学会の会館に行ったりする。

学会に疑問を持つこともあるので4も入ってるかな。

昔は1タイプにならなきゃいけないともがいたり

いろいろあって4のど真ん中まで行ったりしたけど、

海外に遊びに行き、いろんな宗教が混在してるとこを見て

異なった宗教国籍を持つ人たちと関わってみたら

案外どーでもいいんだって心境になり、現在に至る。

(1)活動家とか

学会を知らない人が想像するのは、(1)のタイプだと思う。

選挙前に電話してきたり、新聞を取るようお願いしてきたりする人。

あるいは大規模な集会で、指導者言葉を真摯に受けとめる人。

ネットでは学会に対する批判が強くなってきてるけど、

(1)のタイプの人はあんま気にしてないんじゃないかな。

自分達の信仰の正しさを確信しているから、

「外部からの妬み嫉みはほっとけ!」って割り切るかんじ。

でも「学会」じゃなくて「学会員」に対する批判に関してはわからない。

選挙前だけ電話してくんな」とか「彼女折伏されて鬱」みたいなのには

やっぱり思うとこがあるかもしれない。

(4)批判派とか

内部にいないとわからないような情報が流れてるし、

実際の内部からの批判も目にするから、

(4)の中にはネット上で学会批判をしている人もいると思う。

(批判を心の中だけに押しとどめている人も当然いる。)

(4)のタイプを更に細かく分類するとしたら、

a・具体的な批判材料を知ってから批判するようになった人

b・先に学会嫌悪があって批判する人

ずっと執着を持って批判してる人には(4)bタイプが多い気がする。

(3)未活動派とか

まずわかりにくいので「未活動」という言葉について。

学会活動に一切参加しない人のことを活動家が「ミカツ」と呼ぶことがあって、

直接どういう意味か尋ねたことはないんだけども

おそらく「未活動」の略だろうと考えてこの名前をつけてみた。

今はまだ活動してないけど、これから活動していくだろう人ってニュアンスかな。

小学生の時にはたくさん地域の会合に来ていた同年代の学会の子が、

社会人になる頃にはぱったり……というのはよくある話。

成長していく過程で、名簿上だけの学会員になったという人はすごく多いはず。

ここでポイントになるのが家族との温度差。

家族が熱心な信仰者であれば結構もめることもあるし、

そんなに熱心でない家庭とか、子供信仰に関わらない家族であれば

そのまま学会からはフェードアウトしていける。

前者はこじれると(4)の批判派に転じることもあるし、

学会員家族を持つぶん、学会批判はかなり刺さってくる。(自分もこのクチ)

後者学会内部っていうより外部の人の感覚に近いから

批判されても「そういや学会ってそうだよなー」って傍観視できるかも。

(2)中間派とか

「あまり信じてないけど活動家に誘われたら学会活動に参加する人」と定義したけど

これは相当幅広い。人によってスタンスが全然違う。

なのでまた乱暴に分けてみる。

(境界にいる人やどちらの要素も持っている人もいるので要注意)

a・やっぱり信じた方が良いのかなーという気持ちを持って参加する人

b・誘ってきた活動家義理を感じてとりあえず参加する人

c・心底行きたくないけどなんだかんだで連れ出されてる人

ここでいう「(中間派を誘う)活動家」っていうのは、地域の学会員だったり、

同世代の組織リーダー役だったり、家族だったり様々。

(2)aの場合はまだ自分の中の信仰が揺らいでいるので、

学会の内部の声も外部の声も気にしている状態。

学会批判を見たら素直に捉える子もいそう。

(2)bは、信仰についてaと同じように迷っている人もいれば

信仰については固まっているけど、人間関係を守るために付き合うという人もいる。

どちらにせよ学会関係の知り合い(家族・友人)を切り捨てられないって点は同じ。

(2)cも結局bに似てるのかも。

自分の意思としては学会に属するつもりはないけど、

学会関係の人にひっぱられて、はっきりNOと言えず……というパターン

a・b・cに共通して言えることは、学会内部の人を意識しているということ。

学会の考え方に賛同はできないけど、学会の人との人間関係を壊したくない。

だからこそ学会批判は「自分の身内のものへの批判」として聞こえてくる。

例えるなら、お前の母ちゃんでーべそーを知らない人から言われてるかんじ。

母ちゃんをかばいたくても、母ちゃんがでべそなのは事実だから何も言えない。

でべそが良いか悪いかっていう議論が起きても、

自分自身「でべそはちょっとみっともないかな……」とか思っちゃってる。

でも母ちゃんは好き。たとえでべそでも自分にとっては大切な母ちゃん。

そんな母ちゃんもみんなから見たらただのでべそのおばさん。

こんなジレンマ中間派を悩ませる。未活動派の一部の人もそうかな。

(2)中間派(3)未活動派についての補足とか

ちょっと話が前後するんだけど、中間派と未活動派についての話。

親しい友人や先輩、家族からの学会活動の誘いを断るのは結構勇気がいる。

一般の人が、学会員活動家)から選挙電話を受けるのと大差ない。

「友人としては良いやつだけど創価は無理だわ」みたいな気持ちはどこかにある。

違う点は、今考えているのは二つ。

1つ目は、対象が「友人として」以上に身近な存在であるかもしれないこと。

一番多いのは親や兄弟。あんまりないかもしれないけど親友や先輩。

宗教って人の生き方や習慣に大きく関わるものだから、

同じ家に暮らている人を「家族としては良い人だけど」って前置きして語るのは

たぶん不可能に近いと思う。どんなに小さくても葛藤存在する。

信頼したいしされたいのに、信仰のためにそれが叶わなかったりもする。

ここらへんは前にも書いたとおり、相手との温度差による。

相手が人の信仰を気にしない人だったり、そこまで宗教に篤くない人であれば

そのまままったり人間関係を維持していけるはず。

2つ目は、「友人としては良いやつだけど創価は無理だわ」の後に続く

(まあ自分も創価人間なんだけど)って部分。

自分の家族信仰を持っていること、自分が学会の近くで育ってきたこと、

学会批判に対して苦い思いをすることなど、

自分を「創価学会に関わっている人間」だと感じる機会はたくさんある。

周りの学会員を見てると違和感がわくこともあるけど、

今さら声高に学会批判して周囲を敵にまわすのもなんか違う。

学会員の良い面も知ってしまったから、もう外部の人と同じ感覚には戻れない。

要するに「きゃあ三色旗だあ、キモーイ」って言える立場じゃないってこと。

課題とか

信仰心がない学会員の目線で書いたので、(1)活動家についてはかなり不十分。

活動家をひとくくりにするのも変なんだよなー。

一般的な「学会員」のイメージ通りにすごく干渉してくる人もいれば、

組織に疑問を持ちながら折り合いをつけて活動している人もいるので。

増田活動家がいればちょっと教えてほしい。

とりあえず

いったんこのエントリはおわり。

また関連したものを書いていくかも。

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