はてなキーワード: マインドフルネスとは
相変わらずはてなの仕様は直感的ではなくて、「え?なに?どこクリックするの?」を繰り返してようやく日記を書いている。
昨日は久しぶりに酒場に行って酒を飲み、マスク越しにではあるがおおいに語った。
今日は二日酔いだが、それも苦痛ではない。頭は痛いがこうして日記を打とうと思う気持ちが湧いてくるということは、
昨日の時間に、ただアルコールを摂取するだけではない、何かがあったのだなと思う。
マインドフルネスはリラクゼーションや宗教関係のなかで語られることが多いから、瞑想して心を研ぎ澄ますイメージがある。
しかし、マインドフルネスは、「今、その時に自分のすべての関心を集中させる行為」と言ったほうが、より近いと思う。
何かに全神経を集中して、そのこと以外何も考えない。
それは、マインドフルネスに近い。
それを、自分自身に向けて、今自分自身がしていることに自分の全関心を向けるのが、長座部仏教の瞑想だと思う。
会話の際にはマスクを心掛けているが、もし、家族がいたら行くこと自体控えるべき行為だと思う。
楽しかった。語って聴いてまた語り、時には相手の矛盾を指摘し、そこから相手の本音を聞き出して、さらに共感する。
あの時間は、シラフではできない、酔い仲間同士の濃密なコミュニケーションがあった。
本音を隠して昼間を生きる人たちの、心の奥底に秘めた思いを知り、驚いたり、呆れたり、共感したりしながら、
でも、けっして全否定はせず、「そうか、なるほど、その気持ちよく分かった。」と返答する。
また、自分が語る時にも、時には大いに共感を得たり、「いや、そうじゃないんだ。」と違う視点を教えてもらったり。
その瞬間は、自分の本音を語り、そして相手の本音を理解することに全神経を集中させていた。
下書きもせず、いきなり増田に打ち込んでいるのは、酔っ払いの特権で多めに見てほしい。
ただ、昨日の夜を思い出していて、「あれってマインドフルネスじゃね?」と思い、ここに文章化した次第です。
それでは。
相変わらずはてなの仕様は直感的ではなくて、「え?なに?どこクリックするの?」を繰り返してようやく日記を書いている。
昨日は久しぶりに酒場に行って酒を飲み、マスク越しにではあるがおおいに語った。
今日は二日酔いだが、それも苦痛ではない。頭は痛いがこうして日記を打とうと思う気持ちが湧いてくるということは、
昨日の時間に、ただアルコールを摂取するだけではない、何かがあったのだなと思う。
マインドフルネスはリラクゼーションや宗教関係のなかで語られることが多いから、瞑想して心を研ぎ澄ますイメージがある。
しかし、マインドフルネスは、「今、その時に自分のすべての関心を集中させる行為」と言ったほうが、より近いと思う。
何かに全神経を集中して、そのこと以外何も考えない。
それは、マインドフルネスに近い。
それを、自分自身に向けて、今自分自身がしていることに自分の全関心を向けるのが、長座部仏教の瞑想だと思う。
会話の際にはマスクを心掛けているが、もし、家族がいたら行くこと自体控えるべき行為だと思う。
楽しかった。語って聴いてまた語り、時には相手の矛盾を指摘し、そこから相手の本音を聞き出して、さらに共感する。
あの時間は、シラフではできない、酔い仲間同士の濃密なコミュニケーションがあった。
本音を隠して昼間を生きる人たちの、心の奥底に秘めた思いを知り、驚いたり、呆れたり、共感したりしながら、
でも、けっして全否定はせず、「そうか、なるほど、その気持ちよく分かった。」と返答する。
また、自分が語る時にも、時には大いに共感を得たり、「いや、そうじゃないんだ。」と違う視点を教えてもらったり。
その瞬間は、自分の本音を語り、そして相手の本音を理解することに全神経を集中させていた。
下書きもせず、いきなり増田に打ち込んでいるのは、酔っ払いの特権で多めに見てほしい。
ただ、昨日の夜を思い出していて、「あれってマインドフルネスじゃね?」と思い、ここに文章化した次第です。
それでは。
相変わらずはてなの仕様は直感的ではなくて、「え?なに?どこクリックするの?」を繰り返してようやく日記を書いている。
昨日は久しぶりに酒場に行って酒を飲み、マスク越しにではあるがおおいに語った。
今日は二日酔いだが、それも苦痛ではない。頭は痛いがこうして日記を打とうと思う気持ちが湧いてくるということは、
昨日の時間に、ただアルコールを摂取するだけではない、何かがあったのだなと思う。
マインドフルネスはリラクゼーションや宗教関係のなかで語られることが多いから、瞑想して心を研ぎ澄ますイメージがある。
しかし、マインドフルネスは、「今、その時に自分のすべての関心を集中させる行為」と言ったほうが、より近いと思う。
何かに全神経を集中して、そのこと以外何も考えない。
それは、マインドフルネスに近い。
それを、自分自身に向けて、今自分自身がしていることに自分の全関心を向けるのが、長座部仏教の瞑想だと思う。
会話の際にはマスクを心掛けているが、もし、家族がいたら行くこと自体控えるべき行為だと思う。
楽しかった。語って聴いてまた語り、時には相手の矛盾を指摘し、そこから相手の本音を聞き出して、さらに共感する。
あの時間は、シラフではできない、酔い仲間同士の濃密なコミュニケーションがあった。
本音を隠して昼間を生きる人たちの、心の奥底に秘めた思いを知り、驚いたり、呆れたり、共感したりしながら、
でも、けっして全否定はせず、「そうか、なるほど、その気持ちよく分かった。」と返答する。
また、自分が語る時にも、時には大いに共感を得たり、「いや、そうじゃないんだ。」と違う視点を教えてもらったり。
その瞬間は、自分の本音を語り、そして相手の本音を理解することに全神経を集中させていた。
下書きもせず、いきなり増田に打ち込んでいるのは、酔っ払いの特権で多めに見てほしい。
ただ、昨日の夜を思い出していて、「あれってマインドフルネスじゃね?」と思い、ここに文章化した次第です。
それでは。
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しかし、マインドフルネスは、「今、その時に自分のすべての関心を集中させる行為」と言ったほうが、より近いと思う。
何かに全神経を集中して、そのこと以外何も考えない。
それは、マインドフルネスに近い。
それを、自分自身に向けて、今自分自身がしていることに自分の全関心を向けるのが、長座部仏教の瞑想だと思う。
会話の際にはマスクを心掛けているが、もし、家族がいたら行くこと自体控えるべき行為だと思う。
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あの時間は、シラフではできない、酔い仲間同士の濃密なコミュニケーションがあった。
本音を隠して昼間を生きる人たちの、心の奥底に秘めた思いを知り、驚いたり、呆れたり、共感したりしながら、
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また、自分が語る時にも、時には大いに共感を得たり、「いや、そうじゃないんだ。」と違う視点を教えてもらったり。
その瞬間は、自分の本音を語り、そして相手の本音を理解することに全神経を集中させていた。
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マインドフルネスはリラクゼーションや宗教関係のなかで語られることが多いから、瞑想して心を研ぎ澄ますイメージがある。
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何かに全神経を集中して、そのこと以外何も考えない。
それは、マインドフルネスに近い。
それを、自分自身に向けて、今自分自身がしていることに自分の全関心を向けるのが、長座部仏教の瞑想だと思う。
会話の際にはマスクを心掛けているが、もし、家族がいたら行くこと自体控えるべき行為だと思う。
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あの時間は、シラフではできない、酔い仲間同士の濃密なコミュニケーションがあった。
本音を隠して昼間を生きる人たちの、心の奥底に秘めた思いを知り、驚いたり、呆れたり、共感したりしながら、
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その瞬間は、自分の本音を語り、そして相手の本音を理解することに全神経を集中させていた。
下書きもせず、いきなり増田に打ち込んでいるのは、酔っ払いの特権で多めに見てほしい。
ただ、昨日の夜を思い出していて、「あれってマインドフルネスじゃね?」と思い、ここに文章化した次第です。
それでは。
近々のブクマカお喜び案件で言えば、マインドフルネス・アンガーマネージメントとかを無批判にありがたがっちゃう
キラキラ社会的弱者アドバイザーのヤツが該当 → これ anond:20220117131920
『万人に効果があるものでもないのに万人に効果があるように称している』、
もうこの時点でマインドフルネス・アンガーマネージメントについて言及いるか?って話なんですけど
それで察することができるような人は "極端に物を考えないヤツ" じゃあ無いですよね?
極端に物を考えない人たちは考えることを拒否している禅を極めし者たちなので、
短く区切ったところで頭に入りやしないのだけど、せっかく増田を書いたので書いておきます
上記の1〜5は誰でも到達する結論で、本来ならわざわざ口にするまでもない事なんですけど、
140文字を下回る100文字で大喜利ではなく何かの主義・主張をしようというブクマカさんたちは極端に物を考えない人達なので明示的にしないと理解しません
いえ・・・はっきり示したところで理解しません。考えることを拒否している禅を極めし者たちですからね
どうやったって頭に入りやしないのです
けれど『極端に物を考えない』は、特定の特性(キラキラ社会的弱者アドバイザーの言説によればADHDはワーキングメモリが少ないので短略思考になるらしい)の人に限った話でしょうか?
まぁこれも勿論、"NO" ですよね
極端に物を考えないはマイノリティーの特性ではありませんし、この特性を持つ人が社会的弱者かと言えばこれもまた "NO" です
でなければマインドフルネスアプリが630億とも言われる規模感になったりはしないです
もちろん、自身を律し自分の人生の手綱は自分で持とうという姿勢自体は非常に好ましい物だと思います
ただ、自由意志があるかどうか以前に、能力主義の傲慢以前に、自分の人生の手綱以前に、
自分自身が何言っているのか(反応しない・認知を変える・感情を手放すは高尚で高度な技能)、
自分自身が言っていることが実践できている・もしくは実践できる見込みがあるかどうかくらいは、
理解しようとしても損はしないはずです
この3点は私も共通している。両親については片親で過干渉ではあったが、しかし大切にはしてくれていた。それでもあなたと同じ思考から抜け出せない。これは、境遇、個人の努力を超えて、先天的な脳の作り(ADHD)が大きく関係しているのではないか。これに人間関係の失敗経験が積み重なりフィードバックとなり囚われの強化、すなわち脳の悪い思考プロセスのネットワークの強化になっていくと仮定している。
人間関係の失敗でさらにこの自己評価が補強されてしまい、どうにも身動きができなくなってしまったのだけど、ここから脱するためにやったことを書く。
"考え方"についてはプロに任せ、むしろ考えない方法を身につけたほうがいい。
まず、ADHDはワーキングメモリが足りないため問題を大雑把にまとめて考えてしまう。
全体を捉えて、最も期待値の高い解決方法を理性的に選べている自信はあるだろうか。あなたはある程度客観視できているだろうから落ち着いているときに考えればおそらく、高ストレス時に思っていたことが実は的外れだったという経験があるんじゃないかと思う。
例えば就労が困難だったというケース(あくまで一般論の例)を考える。そうなる理由はそんなにシンプルではなく大量の変数が複雑に絡んでいる。 しかし、"自分が馬鹿だから仕事ができない"という形で問題をカプセル化してしまえば、ワーキングメモリが節約できるため、ADHDは問題を単純化して自分を責める。一時的にはそれが一番ストレスが少ないのだ。本当は"環境が悪かった。定型発達でも仕事が原因で自殺していることもある"など、別の可能性が考えられるのに。
では、いつも正しい判断をするにはどうしたらいいだろう?これは、"自分の判断を常に保留する"が疲弊したADHDには正しい方針だと思う。判断は常にプロに任せる。それはどこに住んでどんな仕事をすればいいか、という大局的な判断だけでなく、"誰が悪いのか"、"なぜこうなったのか"、"どうして不快なのか"なども含めてだ。特性上、強力に単純化してしまうので疲弊してIQが下がっている今はどれも的外れになる。
寝て起きたら、デモデモダッテ思考が顔を出した。父と離れたいなんて、私のわがままじゃないかと疑っている。よく分からないから、今日、相談支援専門員さん(何回かソーシャルワーカーさんと書いてるけど、勘違いでした)に電話してみようかと思う。
だからこれで電話できたあなたはとても賢いし、自分を客観視するセンスがある。
マインドフルネス瞑想がよい。方法は適当にぐぐるとでてくる。(大きいトラウマがあると難しい場合がある。↓に追記あり) 浮かんだアイディアを0.5秒以内に棄却できるようになってくれば、鬱でも躁でも、脳の暴走状態を食い止めやすくなる。
人生史を書くとか考えたものをすべて紙に出すとか、自分のトラウマを再認識するようなセラピーは無理に実践しないほうがいい場合がある。プロのセラピストでない限り PTSD のトリガーになりかねないので、慎重に。
ストレスは回避反応を高める。ただでさえADHDは弱いとされる、長期的な価値を評価するための前頭前野が働かなくなり、極端な単純化をし始める。生存のヒントを得るために(存在しないかもしれない)脅威をあちらこちらに探し始める。
IQを上げる方法はたくさんある。有酸素運動と無酸素運動を組み合わせたインターバルトレーニング、読書、楽器演奏、人との会話、人と比べて自分が優れていると実感する、など。しかし、どれもそれができる基盤が無ければ成り立たない。基盤は、どんな形であれ"安心できる生活"だ。
プロに相談して模索しているのはとても素晴らしい。これこそ良い判断だと思う。
あなたの場合、愛着のある肉親だろうが、親元、実家から離れるのは最優先だ。トラウマ体験のある場所にいると記憶のトリガーが多く、思考のノイズが高まる。瞑想を頑張っていても考えの棄却という技術では捌ききれない量になる。例えるなら、イラク戦争でPTSDになった米兵が戦後もその戦場の脇で延々とセラピーを受けるなんてことがあるだろうか。アメリカに帰って湖で犬とキャンプでもしているべきだろう。
追記や他へのレスを見ると、同居した者と揉めた経験からグループホームや同棲に抵抗があると言っている。
↓もそう。私もこの囚われとは長年付き合っている。 自分の場合、親には愛されているはずなのに。
環境を変えても、私がダメだからダメだと、ずっと思ってた。愛されるためには愛される能力が必要で、残念ながら私にはそれが決定的に欠けていると思えるから。
ちょっとつらいかもしれないから今は受け入れられなくてもいいのだけど、これこそADHD特有の極度な問題の単純化の例になっている。あのときうまくいかなかったという一例を以って、だからあれはやめたほうがいいのだ、というように考えるとワーキングメモリが大幅に節約できる。実際は、相手が特別クズだったとかグループホームガチャとか色々分解できて、次の一手はまたフラットに考えることもできるはずなのに。
今は総括(判断)せず、プロに任せて、最善の環境に居れるまで模索するのがよい。次がダメだったとしても単純化せず、また次のチャンスを模索する。単純化のバイアスを除いて考えれば、定型発達でも転職、離婚、病気のような失敗は何度も経験するのだ。
人間のつながりが欲しいと思ったとき、そうできている人とのライフスタイルを比較するのがいいと思う。親族、家、お金、車などの財産ではなく、朝起きて何をしているのか、どんな本を読んでいるのか、どんなご飯を食べているのか、どんな娯楽を好んでいるのか。"考える"代わりに"行動する"のがよい。考えても考えても財産もライフスタイルも変わらないどころか極度の単純化で誤った判断をするのが疲弊したADHDの末路だ。
安全な生活が得られるようになってきたら、形から入る。脳は考えて変わるわけではなく、運動、適度な負荷(勉強、練習など)、食事で変わるのだ。脳に振り回されて困っていたのだから、脳を手なずけるのがよい。だから順番を変える。"まともな自分になれば孤独ではない生活が得られる"というのはやめて、"孤独じゃない人の生活を真似てみればまともな自分になれる"ということ。
私も自分自身そう思いたいという部分はあるんだけど、見ている文章を見る限り全然馬鹿ではない。というか文章のみのコミュニケーションであれば誰も重度の発達障害とは感じない。
これはこの番組の予告だけ見ても思った。もし道路で出会ったらまるで思考が通じない人にしか見えないのに、文章は物凄く理知的で美しいのだ。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009050591_00000
我々は入出力や瞬発的な行動については困難があるかもしれない。しかし、中身までおかしいわけじゃない。
親さえもそれはわかってくれなかったかもだけど、今は世の中に知見が溜まってきているし、お互いこのようにネットで話すこともできるようになってきた。だから幼少期よりはまだ模索できる道は多いはずだ。
おせっかいかもしれないけど増田がきっかけで過集中に入ったので最後まで書きました。
スターがついていたので。
hamamuratakuo 個人的な見解だが、頭が悪い人に共通している特徴は「嘘つき」であること。全てを曖昧にしており、現実を直視できず、被害妄想に耽溺。それゆえ認識が歪んで知性も劣化している。嘘をやめることが改善のスタート地点
言っていることの大筋は私と同じだ。しかし、それを「頭が悪い」「嘘つき」という主観性の強い表現であえて言い直す必要は無い。今回で言えば頭が悪いのではなくワーキングメモリが小さいと言えるし、嘘つきなのではなくワーキングメモリの節約を無意識に行っている、というようにより具体性のある話にしたつもりだし、「嘘をやめる」に対応する極度の単純化をやめる方法も示したつもり。
これも脱線するが、自分は発達障害を自覚する前、定型発達的な人々に対してリスペクトを欠いた態度を取っていた。彼らは(今思えばADHDの私に比べれば、だが)会議で発言しない、積極性が無い、すぐ行動しない。「頭が悪い」愚鈍な人々だと思っていた。つまり自分が得意なことができない人を簡単に「頭が悪い」と言うのは主観的すぎる。特に今回の文脈では発達障害という特異な脳の状態について話しているのだから、少し配慮してもいいんじゃなかろうか(隙自語同士なのでまぁいいけど)。発達障害と知的障害は異なる。高IQの発達障害は大勢いるし、発達障害の診断時にIQテストを受けるのでむしろ発達障害者のほうが自分のIQを正しく理解している。
misarine3 嘘ではなく現実を正しく把握できなsので偏って間違った認識を伝えてしまうケースもある。あとADHDかと思ったら発達性トラウマ障害(複雑性PTSD)というケースもあるので一考してほしい。
programmablekinoko マインドフルは合わなかった。多動優先だとじっとしているのが難しい。有酸素運動で強制的に頭空っぽにするか、NBackやラジオ流しながら何かを音読するなど、脳内のノイズをかき消す方法が自分には良かった。
https://anond.hatelabo.jp/20220118124641
これはそうかもしれない。実は自分の場合は自己流の荒療治でトラウマの追体験を繰り返してみたり瞑想でつらいことを棄却する訓練をやってみたりと実験してみた。この中で瞑想が継続できたということなので、n=1 なのは確か。カウンセラーや精神科医などプロに相談しながらがよい。
本当は睡運瞑野がうまくかみ合えばいいのだけど、睡運瞑野ができるのは睡運瞑野がうまくいっているときだけという難しさがある。 瞑想の代わりに運動する、それもできないなら何もせず寝てしまうなどで、あまり考えないようにできるといい。
sisya 前提が少しおかしい。「頭が悪いから人に大事にされない」ではなく「考えが足らずに人が傷つくことをしてしまっているが、そのことに自分が気づけないので遠ざけられる」なので、相手にその旨先に伝えてくといい。
自分のアイディアはこれとも違う。そもそも「大事にされていない」「遠ざけられている」という認識が正しくないかもしれないというのが私の立場だ。元増田についても、すでにこのスレッドやブクマで多くの人から大事にされているのだから大きな反例になっている。 少なくとも汲める事実は「両親からのモラハラがあった」「グループホームで暴力を起こした人がいた」ということだけだ。これを「遠ざけられている」と読み取ることは、私が何度も言っている極端な単純化だ。
もし「自分の考えが足りず人を傷つけるのだ」というところに根拠を置いてしまうと、「自分の考えを洗練させなければならない」という出来もしない曖昧な課題が作られてしまう。私もおそらく元増田も、このような袋小路でさんざん自分を苦しめてきた。私の主張が伝わっていれば、期待値が高い対処は例えば「なるべく親元から離れる」「相性のいいグループホームを探し、医師など専門家の支援を受ける」などになる。的外れな自省をさせる意味は無い。
aox ASMRに限らず増田さんみたいにスパスパ考えられて実行できるなら誰も苦労しないのでは ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ
私も偉そうに書いてしまっているので労せずこれに至ったと思われても仕方ないが、これに至るまでは大変な苦労をした。自殺未遂をして警察に保護されそのまま措置入院(強制)というのを何度かやった。ずっと不登校だったが一念発起して就職した会社も、それで復職できず退職した。短絡的な行動で多くの人間関係を失った。何年も睡眠が浅く、悪夢で夜中に飛び起きることが多かった。今もギリギリのバランスでやっと立っているが、それでも以前に比べれば前向きに暮らせている。むしろ読む人がこんな苦労をせず役立ててくれるなら幸いだ。
友人がコロナ禍で無職になり色々と頑張っているのだが徐々にスピリチュアルな方に進んでいて理解不能
マインドフルネスとか引き寄せの法則とか断捨離とか地獄言葉・天国言葉とか、その他たくさんの占いに祈祷にパワースポットにも行っている(無職なおかげでフットワークは軽い模様)
自分としてはこれらが出来る・続けられる人はそもそも心配が無いからだと思っているので目下心配事ばかりの人間が頼っても効果は出ないと思っている。それにこれらを検索した時に大体はサジェストで「効果がない」と出てくるが、それへの反論が「続けてないから」ばっかなのでバイアスかかりまくっている。成功が先でこれらのスピリチュアルな部分は後、宝くじが当たる販売所や神社と同じだ
たぶん心に余裕があるなら気づけるんだろうけど、お金も時間も心にも余裕がないと上澄みだけ見て飛びつくのかな?
ダイエットや運動も長続きしない友人なのでこれらも長続きしないと思うけど、万が一長続きしてかつ成功したら立派な宗教家になりそうでそこだけが不安だ
個人的にワーキングメモリーを鍛えるのに役立ったなと感じた事を挙げる。
自分も増田の言及している人物と似たようなレベルだったが、これらを続けて別人レベルに改善されたと思う。
まだまだこういった情報は世の中に普及してないので、知らずにもったいない人生を送っている人がたくさんいるだろう。
これはマジで効く。騙されたと思ってこんまりの本を読んでから思いっきり断捨離してほしい。
(なぜ先にこんまりの本を読むかというと、物が多いやつが自分のそれまでの考え方を引き継いで断捨離したところで捨てられないままだからだ。外部からマインドに介入する必要がある)
物の多さに専有されてた脳内メモリーが解放されかなり頭がスッキリする。
何があるか、どの場所にあるか、いくつあるか、普段は意識してなくても無意識に脳が使われていた諸々の情報が一気にクリアされるのだから当然だ。
ADHDだから物に溢れるのではなく、物にあふれているからADHD傾向が高まるという側面も大いにあると思っている。
我々の脳は以前として原始のままで、現代に適応しきれていない。だから原始脳ベースで考える必要がある。
次の食べ物にいつありつけるかわからない時代の原始のままの脳は、食べ物を見ると自動的に脳の報酬系にスイッチを入れ食べたくなる。
我々は原始脳の「自動的に行われること」から逃れられない。ならばそれは環境でコントロールするしかない。
物が雑然と溢れている状態は敵がどこに隠れているかわからないような状態だ。
常に無意識的に周囲の状況を把握し気を配りマルチタスクが行われている。
物が多いとそれだけで注意散漫になるのだ。(※1)
(※1 参考1・https://wired.jp/2016/04/22/clutter-and-creativity/ )
(※1 参考2・https://studyhacker.net/what-is-dmn)
これだけでかなり効果がある
これも効く。脳の灰白質が物理的に増加するので効くに決まっている。
ただしこちらは即効性はない。根気よく続けることで徐々に効いていく。
最初は1分やるだけでも落ち着いていられないが、徐々に長い時間できるようになる。
20分以上が良いと言われているが、忙しさとの兼ね合いもあるので自分は毎日10分やるようにしている。
先延ばしにしている事があると、常に脳の中にその出来事がキープされていて、マルチタスクをしてるのと同じ状態になる。
これはワーキングメモリーを圧迫する一因となる。
これを処理するだけでもかなりワーキングメモリーが解放される。
郵便物や書類、未処理のまま溜まってませんか?こいつらの有害性はすごいよ
すぐ処理するか、いらん書類は捨てよう。経費と関係ないレシートとっててもWM圧迫するだけで意味ないよ?(かつての自分へ)
心配事や先延ばしにしていること、何でもいいので頭の中でわちゃわちゃしている事を一旦紙に書き出そう。
脳内だけで処理していたものを外部に書き出すことで、頭の中のごちゃごちゃが鮮明になりスッキリする。
厳密なやり方にこだわる必要はない。とにかく書き出して「全部見えるように」する。
とにかく選択肢を減らす事。
数十円のお得のためにワーキングメモリーを台無しにするのはもっと大きな損失を被っている。小を捨て大に就こう
あとこれは自分は試してないけど「Nバック課題」ってのが効くという噂→https://yuchrszk.blogspot.com/2016/11/2016_30.html
ちなみに自分はここに書いた情報の大部分をDaiGoやパレオな男さんから仕入れていたので、人間的弱者こそ侮らずに両名やその他エビデンスベースの人生指南に頼るといいだろう
ということでオススメの書籍も紹介しておく。どれもエビデンスベースの本なので人間の性質への理解が深まり、改善のヒントになるはずだ。
興味があったらぜひ読んでみてほしい
脳の神経可塑性、つまり脳は後天的な訓練で変えられるぞ!という内容が書いてある
脳には神経可塑性があるという事を知ってると知らずとでは、行動やモチベーションに大きな変容がある。
これを知らないと、どうせ何をやっても変わらない、何の意味もないと投げやりな人間になってしまいがちだ。
自分をマシにするモチベーションのためにも読んでおくと役に立つ。
等々
どちらも自己コントロールをするエネルギーの源泉(意志力)について。
前者は平易な文章、後者はやや権威的な文章で書いてある。ちなみに意志力の提唱者は後者。
第6章から「ADHDも運動で改善できるぞ!」って事が30ページを割いて書いてある。
俗なタイトルからは脳筋な内容しか連想されないがきちんと科学的なエビデンスベースの本である。
等々
一部抜粋
ドーパミンとノルアドレナリンが注意システムの調整において主導的な役割を果たしていることを考えると、ごく大まかな説明ではあるが、運動によってADHDの症状が緩和されるのはこの2つの神経伝達物質が増えるためだと言える。それも"すぐ増える"のだ。(P200冒頭)
※ちなみにこの本で効果的と示されてるのは筋トレではなくジョギング等の有酸素運動のほうである。
この本に関しては自分が読んだわけではないがブコメで推薦されていた物。
中身の紹介を見てみたが、まさに自分がここに書いた内容が体系的にまとめられていて、とても良さそうだったので薦めておく。
他の4冊はワーキングメモリーそのものに言及した内容ではないので、時間がない人はまずはこの一冊だけで良さげ。
http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/52112063.html
なんか思いの外バズったので、もしかしたらこういう情報が需要があるかもしれないので書いておく。
自分はこの増田を、かつての自分みたいな人を助けたい、役立ちたいと思って書いたので、もしこの記事を紹介、転載したいというメディアの方がいたらどうぞ無許可で広めてくださって結構です。フル引用も可です。
「ここに書いてあることを習慣化できたら苦労してないんだよ!」という人にオススメの書籍
脳は急激な変化を拒むがグラデーションのような連続的な変化には気付きづらい。
その脳の特性を理解し、自分の脳を騙して脳が気付かないくらいの小さな変化から習慣化していこうというアプローチの本だ。
自分の例でいえば、最初は瞑想を1分から始め、徐々に強度をあげていった。
挫折するのは気張るから。本当にバカバカしいくらいに意識の低い「しょぼい習慣」から始めよう。
歯磨きやシャワー・お風呂など、日常の中の既に習慣化されている事にフックして習慣化するIf-Thenルール(If-Thenプランニング)もオススメだ。(例・朝のシャワーあがりに瞑想する等)