はてなキーワード: プラカードとは
https://mainichi.jp/articles/20190228/k00/00m/040/164000c
#KuToo 女性がパンプスを履いてるのはおしゃれのためだと思ってた俺には結構衝撃的だった
でもさ、この手の問題って「問題」を重視するために呼びかけ人は表に出るべきじゃないと思うんだよね
ちゃんと団体(実のところ一人でもいい)を作って、プラカードとかフライヤーみたいなものをつくって
なぜならネットで持ち上げられた人は大体「英雄」になりたがるし
メディアも問題そのものよりも立ち上がって人物を「英雄」にしたがる
結局問題そのものはメディアの餌食になって何もおこらないまま消える
そんなんばっかりじゃん?
ブコメで全部だめとかいってる意味がわかんないんだけど(それを書いてる面子も含めて)
在特会の例が出たけどたとえば「○○人は死ね」ってことを主張するからふさわしくない、中止しろって要求するのがだめ?意味わからない。
嫌がらせ目的で電話をかける=威力業務妨害なのはわかるけど、そうじゃないなら普通では。
○○人死ねって発言が出たときとかもばかとか差別野郎とか罵声を浴びせるのってだめなの?
プラカード掲げて抗議するのってだめなの?
過去にそういう主張を繰り返しててまた同じことを言うであろうから抗議するために、連絡先を拡散するのってだめ?
相手が公開している情報に対して、直接意見を送るためとかそういう目的ならよくない?
ナイフに対して殴る例えってそういうことじゃないの?
犯罪はダメ、ゼッタイ。でも自称「行動する保守」とか自称「アンチファ」を名乗る在特会界隈やしばき隊界隈って、似たような反対運動、抗議運動よくやってるじゃん。どこまでがセーフだと自分たちの中では思ってるの?
2:ネットに「ここに抗議しよう!」と主催者の連絡先、電話番号、住所などを書いて拡散する
3:会場の建物周辺で、マイクや拡声器を使って「大音量」で講演者や主催者を批判する
4:会場内で、マイクや拡声器を使って「大音量」で講演者や主催者を批判する
5:会場に入ろうとする講演者、あるいは主催者に向かって「バカ」「アホ」「差別野郎」「反日野郎」と罵声を浴びせる
6:会場内で講演者、あるいは主催者に向かって「バカ」「アホ」「差別野郎」「反日野郎」と罵声を浴びせる
7:会場に入ろうとする講演者、あるいは主催者に向かって中指を立てる。「帰れ」「辞めろ」などのプラカードを掲げる。
8:会場内で講演者、あるいは主催者に向かって中指を立てる。「帰れ」「辞めろ」などのプラカードを掲げる
9:メッセージ的な意味合いのありそうな服装をしていく(日の丸の服でも憲法9条入りの服でもいい)
10:「俺たちが当日、暴れるぞ」と予告する
11:「俺たち…じゃなくて、俺たちの反対側の連中が暴れると思う」と”予測”する
12:「当日は混乱が起きることを懸念してる。警備体制をもっともっと厳重にしろ」と要求する
13:〇〇の講演反対!!と会場や主催者の周辺に落書きを書きまくる
いろいろと前例を踏まえて考えてみたよ。「これはアウトだろ」と気軽にいうと、「お仲間」がやってたやつだったりするから気をつけてなw
逆にかばうつもりで「これはセーフじゃん」といってると、「敵」のやったこと、これからやるかもしれないことにOKをしてることになるから、これまた気をつけてな。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181122-00000023-kyt-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181122-00000023-kyt-soci
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/hyakuta-kodaira-fes
まず香山センセのほう(京都新聞)
「「講演への抗議が電話で5件、来庁で1件あった。「日の丸の服を着て行ってもいいのか」といった匿名の電話のほか、「香山さんをよく思わない人が行くかもしれない。大音量を発する車が来たり、イベント会場で暴力を振るわれ、けが人が出たら大変だろう」と中止を迫る内容もあり」
100田センセのほう(バズ)
「当委員会は本講演会を安全に実施するため、これまで幾重にも審議を重ね、厳重な警備体制を用意していました。しかし、それがあまりにも大きくなりすぎたゆえ、(いくつもの企画が犠牲となり、)「新入生のための学園祭」というKODAIRA祭の根幹が揺らいでしまうところまで来てしまいました」
「電話やメールなどでの外部からの批判はあり、それにナーバスになっていたのは事実ではないかという声も寄せられている。」
「百田氏支持の右側の人たちの暴発を恐れてのことでした。もちろん反対派の反対運動も起きるだろうということは話に出ましたが、警備は右左問わずにおこるだろう事態に備えて」
一橋大の反対派が言って、セーフだと反対派が認定した「混乱が起きるんじゃないか心配です(※自分たちが混乱させるとは言ってない)」っていうやり方を、こっちで使われたんだよ
「香山さんをよく思わない人が行くかもしれない。大音量を発する車が来たり、イベント会場で暴力を振るわれ、けが人が出たら大変だろう」
たぶん、これを言った人間はおそらく、実質的には自分たちが妨害するぞとにおわせたんだと想像する(その場合は警察が動くだろう)。だけど、「あくまでそういうことが起きるんじゃないかと予想し、心配しただけです。自分がやるとは言っていません」といえば、微妙なラインであるともいえる。そしてどっちにしろ「一橋大の反対派と同じカテゴリ」だよな。
あと
これ、記事のブクマでも「何言ってるのかわからない」「これが脅しになるのか」みたいなツッコミがあるけど、これは逆に、「妨害」と認定するつもりだった、てか実際に妨害と認定した京都新聞が精一杯頑張って探してチョイスした、「妨害の予告っぽい言葉」がこの程度だったってことだと思うよ。
で、着ていく服どころか、批判のプラカードとかを掲げたり、野次を飛ばしたりするのを、「おk」「セーフ」としたのは自称カウンター、自称アンチファのひとたちだろ?
http://www.asyura2.com/18/senkyo250/msg/858.html
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201710210000793.html
好意的な「安倍晋三!」コールと、批判的な「安倍辞めろ!」コールがぶつかり合い、騒然とした雰囲気になる場面もあった
もちろん街頭演説と会場内での講演は少し違うけど、逆にいうと街頭で香山センセの批判をPRするのは「安倍やめろ」と同じでセーフになっちゃうよな。
「日の丸の服」なんて、メッセージ付きTシャツがいくらでも流通している中で最初から問題にもならない。
今回、この講演会が行われる施設やその周りに「香山リカ講演会反対!」と落書きしたらどうなったんだろう。
結論をいえば、これまで香山リカの応援団的な人たちがやってきて「これはセーフだ」と言っていたことを反対にやられちゃったんだよ。
いやなこと思い出したんで吐き出すけど、小学生の頃、某中古書店で立ち読みしてたら隣の二、三十代くらいの男から腕にあれをこすりつけられたことがある
そもそもそれを見たことがなかったから最初なにをしてるのかわからなくて、邪魔なのかなと思ってよけたらさらにすり寄ってきてようやくやばいとわかったやつ
とにかく怖くてあわてて逃げ帰ってきたんだけど、あとから大人になって思い返すと店員に突き出してやればよかったと思うしあんなきれいなベビーピンク鼻で笑ってやりたかった
今はもうけっこうなおっさんになってるはずだけど、もしそいつにもう一回会ったとしたらピンヒールで踏みつけてやったあとでギッタギタに切り刻んで使い物にできなくしてやりたいし素っ裸でぐるぐる巻きにして免許証とか社員証とか首からぶら下げてやった状態で「わたしは小学生の女の子に痴漢をした犯罪者です」ってプラカード立ててやりたい
せいぜい痴漢程度でそこまでするかと思われるんだろうな、痴漢とか言い方がぬるいんだよ、性犯罪者は性犯罪者
死なない範囲で肉体的にも精神的にも社会的にも死んだほうがマシだと思うレベルの苦しみを与えてやりたいわ
恋人とそういうことになってもこれをねじ切ってやったらどうなるかなとか考える、どうなるかなって最悪死ぬんだろうけどまあそれはそれでしかたないよね男だしとか思う
正確にはでした、かもしれない。
興味があると堂々と言うことが憚られるほどに無知なので、未だ興味がない若者だと名乗らせてほしい。
私は恋愛や漫画やロックフェスやディズニーランドにしか興味がない、二十歳になったばかりの大学生だった。選挙にも、行ったことがなかった。そもそもいつやっていたのかさえ知らなかった。
半年前、友人から勧められたのをキッカケに、主に政治関係のことを呟いているある知識人をツイッターでフォローした。意味なんてなかった。就活も着実に近づいているし、政治のことも少しは勉強しておくか、という軽い気持ちからか、あるいは二人でしか遊んだことのない、多くの人に好かれるのに、誰も彼女の世界に入れないような、不思議な雰囲気と芯を持った同性の友人に近づきたかったからなのかもしれない。
彼女はそのアカウントを私に教えてくれたとき、こう言っていた。「日本は大変なことになってるよ。嘘ばっかりなの。」わたしは彼女の、正しい日本語を使うところもとても好きだと思いながら、なんとなく聞き流した。その言葉を、その後、何度も頭の中で反芻することになる。結論から言えば、そのアカウントはガチガチの左翼だった。
二ヶ月ほどだろうか。毎日ツイッターを開くたび、彼のツイートが目に入った。面白い人がたくさんいるから、私はインスタグラムよりもツイッターの方が好きだった。だからきっと、彼のツイートもすべて目を通していたと思う。たいてい話に上がっていたのはモリカケ、公文書、お金、エトセトラ、だった。
どうして、こんなことが、と思った。
話題になっていた新潟県かどこかの議員選で、 彼が応援していた野党議員が落選した。悲しかった。怖かった。彼女がどのような政策をかかげ、なにをしようとしていたのか何も知らなかった。自民党の議員が当選したことが、ただただ怖く、悲しかった。その時、はじめて、なんとなく、彼からの言葉だけで知るようになったその選挙を検索にかけた。
落選した議員は、選挙活動で子供にプラカードを持たせていた。私はそのことを初めて知った。友人のすすめでフォローした、たった一人の左翼と、彼がリツイートするたくさんのツイートで、毎日その選挙の話題を目にしていたのに。
本当のことを知りたいと思った。だから両方の意見を聞いて、自分の目で見極めよう。それでちゃんと選挙に行こう。自分の一票が、どんなに軽くても。
そう思った。本当は中立から公平な意見を言ってくれるアカウントを探したのだが、私の目には、ツイッターには右翼と左翼と無関心しかいないように映った。
まったくわからない。
彼らが毎日、毎日毎日、毎日呟いているのは、お互いの政策の欠点よりも、むしろ殆どが政治家として、ひいては人間としての欠点の方だった。
私は政治に興味を持った。しかし受動的な学びの姿勢のせいで、増えていくのは不祥事や悪事の知識だけだった。
安倍総理が3選した。世の中には彼を王様のように褒め称える人と、賢そうな理屈か、見るからに教養のなさそうな暴言で永遠に届くことのないボールを投げ続けている人がいて、何もかもが、府に落ちなかった。
私は政治に興味がなかった。
私が政治に願うことは、家族が、大切な人が、平和に、安全に、幸せに、暮らせる世の中、それだけだ。戦争も、貧困もない世界。それだけだ。馬鹿げているだろうか。当たり前ではないのだろうか。政治家は、平和で豊かな国をつくりたいと、この国を良くしたいと、強く思った人がなる職業ではなかったんだ、そうか、違うんだ。そう思った。
やるせない。同世代の友人たちは現状に欠片の興味も示さないが、私は彼、彼女たちに、政治の話をしたことはない。これからもしない。いつもヘラヘラヘラヘラして、授業も遅刻してくる私が、ある日突然「安倍総理の三選についてどう思う?」なんて聞いたら、驚かれるか、笑われるか。本気でとられることはまずないだろう。しかし真面目な顔つきで、ここに書きなぐったようなことを何度も何度ももちかければ、流石に本気が伝わるかもしれない。そして彼らは私から離れていくだろう。絶対にそうだ。なぜなら私でも、当然のようにそうするからだ。学生運動をする大学生は気持ち悪い。様々なことを考えるようになった今でさえ、その感覚は消えなかった。政治や社会問題について言及する若者なんて、普通じゃなくて、気持ち悪いのだ。私達は、新しいアイスかプチ海外旅行の記録かootdしかSNSで発信してはいけないのだ。ローラだって、動物を守りたいと言い出して腫れ物扱いだ。
やるせない。
私には、友人を、恋人を、国を変えることができない。
みんな戦争が起きたら、ひとが死んだら、嫌なはずなのに。この国はいつか、誰もが気が付かないうちにまた戦争を始めているかもしれない。
小さな子どものころ、平和は当たり前のものだと思っていた。でも多分、それは間違いだった。
多分この国を悪くするのは、アベでも、与党でも、野党でもなく、この空気だ。無関心な若者、無関心でいなければ、「普通」でいられない若者の世界、粗探しが論点の政治、結局何もわかっていない自分、どうでもいいと、思いたくなる。
政治に全く興味のなかった、いつかの自分に戻りたい。今はただ、怖くて怖くて仕方がない。
このサイトを知り、ずっと一人でもんもんと考えていたことをここでなら言えると思って独り言のつもりでアップしましたが多くのコメントを頂き本当に驚いています。まずは独り言のつもりだったとはいえ、不勉強にも関わらず右翼、左翼、と使いやすい言葉をきちんと理解しないままに使ってしまったことをお詫びさせてください。ここでは現政権に強く賛成し、野党などを批判している人を右翼、その逆を左翼と思いこみそう呼んでしまいました。すみませんでした。どちらのことも批判するつもりはありませんし、私自身は本当にどちらでもありません。というより、繰り返すようですがどちらかに傾けるほどの知識がありません。重ねて、安倍総理のことも政治を理解していない今の私には批判する権利がないと思っています。恥ずかしいことだと重々わかっています。
たくさんの意見をいただき、漠然と もうどうしようもない、と考えていた気持ちが少し晴れました。とにかく私はまずちゃんと勉強しなければいけないし、その上で、どんなに小さな一票でも、選挙に行こうと思います。政治の話はできないですし、できるだけの知識も今のところありませんが、選挙にいく、いこう、くらいは言えるから、できることを、ひとつずつ、と、今は考えています。頂いたたくさんのアドバイスを、できる限り試してみます。ありがとうございました。
同い年で子役時代からファンだった志田未来が結婚したってニュース聞いてみて俺ももうそういうの考えていい歳なんだよなぁってなんとなく感じた。
金がない割に職場の人達でもちょこちょこ結婚してる人達はいるけど大体は学生時代からも普通に恋愛してたような感じのいわゆる性的に『まとも』な人が中心で、
まあ俺みたいな中学の頃イケてないグループに属してた感じの人はまあ皆金もないだろうし大体みんな独身。
まあそりゃそうだよな、金もないイケてない男ってマジで魅力0だし。
今の職場の給料じゃ現実的に結婚も恋愛も無理だろうなっていうのはなんとなくわかる。
年収プラカード引っさげて戦う婚活パーティやマッチングアプリでもまあ足切りラインだろうなぁって。
学生時代にみんな受験戦争とか頑張ってたのってこのためだったのかなって、今になってなんとなくわかったよ。
きっとまともな頭持って生まれて受験戦争勝ち上がってきた高学歴の人は性的に魅力なくても収入でどうにかなっちゃうんだろうなぁ。
自分みたいなクソ野郎が結婚したいとかガチで考えるとなると、やっぱり金が必要になると思う。
っていうことは上流SIer的なところに転職して残業代じゃぶじゃぶ稼ぐとかになるのかなぁ。
でもそういうところって採用フローとかちゃんとやってるから自分程度のエンジニアは落とされちゃう気がする。
面接で口八丁適当なこと言って騙して運良く入れたとしても続ける自信もない気がする。。。
自分程度の技術力と今の拠点の相場観じゃ多分年収500万前後が限界な気がするし手取りは正社員基準じゃ低いんだろうけど、
婚活市場で掲げる年収プラカードには手取り収入なんて書かない気がするし。
うん、そうだな、年収500万稼げるくらいの見込みができたら『25歳で年収500万のエンジニアです!』って自称してマッチングアプリとかで気が合いそうな子探すかぁ。
ただそういう集まりにいるであろう性的にまともな人達と戦ってる自信は正直ない。。。
これでも最近はちょっと人生変えたいって思ってちょこちょこなんかやってるんだ。
筋トレ始めたし、コンタクトにしたし、パーマかけて茶髪にしたし、服だって学生時代にカーチャンが買ってきたカーチャンチョイスの服全部捨てて最低限ダサくはならんものを20万くらいかけて揃えた。
まあ最低限二度見されるレベルの顔ではないと思う、ただまあ人生なーんにも変わらないね。まあそりゃそうだよなんにもアクション起こしてないし。
もし神様がお前は恋愛なんてやるなって言ってるんだったらいっそ諦めて別の好きなこと探した方が幸せになれるかもしれないなぁ。。。
最近給料は大してあがってないけど自分より上の人たちが辞めまくってるせいでリーダー的な仕事もちょこちょこやってて人間としてちょっと自信がついたんだ。
「「Kimonoは『人種差別主義』『帝国主義』」芸術イベントで理不尽な日本批判 https://www.sankei.com/west/news/180905/wst1809050009-n1.html
読めばすぐ分かることだが、ライターの方はボストン美術館に寄せられた批判に対しておっそろしく頓珍漢な反論を行っている。
事件は当時有名になったから、ご存じの方も多いと思うが、教科書なんかにも載ってるモネの「ラ・ジャポネーズ」の絵の前で着物を着せるイベントを企画したら、アジア系の人からクレームがきた、というものだ。これは、当時大変盛んだった Cultural appropriation(文化の盗用/文化簒奪)やという視点に基づく批判の典型である。つまり、「弱者であったアジアの文化を、強者だった西欧人が真似して楽しむ、というのは、西欧がアジアから簒奪してきた歴史への反省や異文化に対する敬意を欠いた尊大な振る舞いである」という主張だ。日本でも、近年ようやく「ステレオタイプな異文化理解やその模倣が、異文化に対する敬意を欠いた失礼な振る舞いになる」ということにいくらかコンセンサスが生まれつつあるが、自国内で異文化と日常的にふれあう経験が少ないせいか、これを重要な問題と理解することがなかなか日本人には難しいようだ。
個人的に、この「文化の盗用」論に100%賛同するわけではない。特に、あまりにも過敏な反応は、逆に内なる差別性の表明、あるいは強者の驕りではないかと思う場合すらある。少なくとも、モネの絵の前でその真似をしたくらいで目をつり上げるほど怒る必要はないと思う。それは、「真似をする」行為がリスペクトを意味しもするという風に感じられるからだ。
しかしながら、「相手の真似をする」という行為は、一方で相手を侮蔑したり揶揄したりするときにも行われることも考えておくべきだ。大人しく着物を羽織ってる程度ならまだしも、そのまま椅子に腰掛けたら? その程度なら問題ないだろうか。では、たとえば撮影した写真に滑稽なタイトルを付けてSNSにアップすることは? あるいは、その着物を羽織ったままわざわざ眼鏡をかけ首からカメラをぶら下げる真似をしだしたら? どの時点からそれは「アウト」なのか。もちろん「リスペクトのない行為はダメです」とは言えるだろう。だが、残念ながら「内なるリスペクト」とやらを検証する方法はない。リスペクトを言い訳にすれば何をしてもいいのか。あるいは、結局、みている日本人の「お気持ち」だけが判断規準になるのだろうか。そんな明文化できない規準を我々はいちいち振りかざすべきなのだろうか。
それよりも、単純に「少なくともそういうこと(文化の盗用と疑われること)は軽々しくやっちゃだめ。少なくともダメだと言われたらすぐやめましょう。」というあたりが、今のところ落としどころになっている。今のアメリカでの「文化の盗用論」というのは、おおむねそういう風に理解しておいたらよろしいと思う。
以上の話を踏まえれば、御年73歳のこのコラムのライターの「分かっていなさ」「恥ずかしさ」がよく分かると思う。この方が引用した3人の批判者の主張はこのイベントが「アジア人に対する人種差別主義」であり、ステレオタイプが抱く「異国情緒」を楽しむ低俗なイベントであり、そして「帝国主義」的であるというものだった。そして、ライターの方はこれを「日本批判」と捉えたらしいがとんでもない誤解で、明らかに事実はその反対なのである。彼女らの主張は、「文化の盗用」と見えるイベントを企画したボストン美術館の姿勢自体に「アジア人に対する人種差別」があり、モネの絵のような「ステレオタイプ」なヨーロッパの東洋のとらえ方に基づく流行(=ジャポニズム)を今また模倣することは、かつての西欧の帝国主義の無邪気な肯定にすらなっている、ということである。そこには、日本に対する一欠片の批判の意図もなく、彼女らはむしろ「西欧帝国主義のおもちゃにされている(と彼女らが信じる)アジアと日本文化の尊厳」を守るべく、ボストン美術館に対して声を上げているわけだ。(かれらが掲げるプラカードも、体験する来館者に対して「あなたが着物をきてキュートで異国的に見えたとしても、それは差別じゃないの。美術館のイベントでなければね!(It's not racist if you look cute・exotic in it. Besides MFA support this!)」という、美術館批判の趣旨の言葉である。)
ネットに残る写真に写る方々が中国系アメリカ人なのか、日系なのかは知らないが、彼女らの出自などというつまらないことで邪推し、彼女らが「日本を批判しているに違いない」と思い込んでヒートアップして美術館に手紙まで送ったこのライターの方の行為は、相当差別的で恥ずかしい。
しかしながらもっと恥ずかしいのは、「文化の盗用」のような、現代の「差別」をめぐるごく基本的なワードや議論を全く知ることなく、このような稚拙な内容のコラムをそのまま掲載してしまった産経記者のあきれるような無知である。こういうところで「所詮は二流新聞」とあなどられることになる。それがイヤなら、産経は好き嫌いをせず、あおり記事ばかり書かせる練習をするのでなく、記者にもっときちんと勉強をさせるべきだと思う。できればライターや読者にも。
なお、参考までに、事件当時も似たような方々が大量に湧いていたらしい。こういうのなんて言うんだろう。セルフ釣り?(参考:https://togetter.com/li/845708)