はてなキーワード: スリラーとは
この映画、凄いよ。
ネタばれ全開なのでそれだけ注意。
原作と違い、極限状態関係なく黒幕以外みんな狂ってる状態からスタート。
「完全に男性のみで関係性が閉じており、唯一の女性はなにもせず、なんの被害もうけず、しかし利益だけを享受しているもののその描写はなく、ただ全体の支配者側である」ってことが全体の特徴。
これほど完璧な皮肉があるかって話。狙って作ってなかったらそれはそれで凄い。
親に従うことでやりすごしていたが、結果弟は耐えられず自殺を図り、その場に居合わせたが手を差し伸べられなかった。
虐待を回避する方法はおそらく勉強してよい成績をとることで、弟はできず暴力をうけていた。
金を稼げない無学な男性はカスで弱者だということを示しているキャラクター
コンビニバイトで食いつなぐ、自分の境遇は全てが大人が悪い・社会が悪いというステレオタイプな弱者男性。
いじめにあっていたなどの言及もあり相当なうっぷんはたまっているのだが、その矛先は経営者のおっさんに向かい、女性に向かうことはない。
詳細の描写はないがいじめを受けていてもだれも助けてくれなかったか、あるいは親から虐待をうけていたと考えられる。
周りの男性を怖がる描写はあるが、唯一の女性には特に拒否反応なし。
家族か身内のイベントに間に合わせるために脱出を積極的にめざす唯一まともな男性。
原作の脱獄犯ポジションではあるが、普通の整備工のようで特に悪人の要素はなく、
なんだかんだ周りを助けてくれる口調の悪いだけの善人。
広告会社の役員であり、世の中が悪いのは努力をしない若者が悪いんだというこれまたステレオタイプなおっさん。
やたら高圧的に周りにあたるし、子供にも暴言を吐くが、女性にはその矛先は向かない。
甲斐麻子 (杏)
黒幕。
びっくりするぐらい何もしない。
CUBEのシステムにリンクしているようで、トラップの有無もわかっているようだが特に何もしない。
作中では何度か上のキューブに昇るために安東と宇野がシャツのロープで引き上げられる描写があるのだが、なぜか彼女が引き上げられる描写は全カットされてたはず。
まあ女性を男性が助けるのは当たり前すぎて描写する必要すらない。
一応端っこの部屋があったと主張はするんですが、管理者側なので全員を合流させるためにあえて流したんだろう。
総合してみると描写が一貫していて、強い男性が弱い男性を支配・搾取して、弱い男性の怒りは強い男性に向かうけど、でもその全体の支配者は女性という構造。
まさに現代の縮図。
その男性描写があまりにステレオタイプなために滑稽な印象が強くなり、だからこそ女性のノータッチ、特権ぶりが強調されてシニカルにオチに繋がるのは実に美しい。
原作における暴力的な黒人男性をキーとして、大学生および医者に学のある女性を配置した上でキリスト教的な罪を語る姿勢と見事に一致していると感じる。
スリラーとしてみると無駄がなく完璧な構成だった原作とは比べ物にならず、描写も全年齢相当で甘く、エンタメ作品としては褒められたものではないけど、
『プロミシング・ヤング・ウーマン』観て、めっちゃもやもやする女性
似たような経験はあるし(回されたわけではないが)、
フェミ嫌いな私が歩み寄れるきっかけになるかもしらん……と思って観てきたが、
そもそもこの作品を、女性vs.男性の映画として語ること自体がよくわからん。
「女が男にひどいことをされる話」じゃなくて、「非対称な力関係によって起こされる加害と被害の話」じゃないの?
主人公が当事者ではなく「被害者の友人」であり、彼女を崇拝し、同一化しているというところに対する言及が少ないところも気にかかる。
シスターフッドなんじゃない。共倒れからの加害を連鎖て、絶対回避したいやつじゃんか。
脚本すばらしくて会話はサイコーだし、美術やファッションも女心がびんびんになってしまう可愛さだし、音楽もめっちゃクール。
しかし、この映画を取り巻く言論空間が、どうしても気持ち悪くてしょうがない。
残念ながらチンコおじさんが絶えることはない。
チンコおじさんだけではない。
加害は絶えることはない。
そして当人にその罪業を心から理解させ償わせることは、だいたいできない。
私はできなかった。父親に暴力を認めさせることも、むりやりホテルに連れ込んだ男を社会的に殺すこともできなかった。今もできる気がしない。
「男性はすべからく―傍観者含め―女性を害なす可能性があるチンコだ」
ではなく
「チンコおじさんと飲酒の場を共にしようという成人女性は、自衛手段を持って臨むべきである」
「傷を受けた者の役割は、傷の再生産を防ぐよう尽力すること、そして被害者を抱きしめることだ」
だと思う。
ヤリたくなけりゃチンコとは飲むな。
飲むなら「ホテルいこっか」のサインは3回くらいあるから見逃すな。
飲み代は男に払わせるな。
https://drive.google.com/drive/folders/1P1iFAh_Z5vqJV-GB1JPbpMwyd9bGsQsm
【追記】https://www.dropbox.com/sh/th0aoknuteiv2tg/AABaYUAq8TheFzkN8wp6WlF0a
【曲目】
■「パチ夫くん1」
01.デビルマン
02.仮面ライダーけろっこデメタン【2021/6/11追記】
03.ハクション大魔王
04.セーラームーン
05.ルパン三世
■「パチ夫くん2」
07.スリラー
08.妖怪人間ベム
13.エロティカ・セブン
■「パチ夫くん3」
14.不明
15.不明
16.不明
18.不明
ここに貼ってあるのはGB用ゲームソフト「パチ夫くん」「パチ夫くん2」「パチ夫くん3」に収録されているBGMだ。
このゲームはパチンコゲームなのだが、「パチ夫くん」では「攫われた姫を救うため、あにめらんどへ行く」というストーリーになっており、ホールで常に流れている曲もアニソンのパロディBGMになっている。
1の元ネタは大体判明し、2もいくつかの曲は元ネタがわかったので、他の不明な曲の元ネタがどうしても知りたい。
3に関しては元ネタが1つもわからず、もしかしたら全てオリジナル曲の可能性もあるが、どう聞いてもホールで流すには似つかわしくないBGMなので他同様元ネタの曲があるんじゃないかと思っている。
聞けば分かる通り、パロディにあたりかなりメロディが濁されているので検索なども出来ず、元の曲を「そもそも知っている」人じゃないと調べようがない。
また、曲目を見れば分かる通りアニソンに限らない可能性もある。(2の舞台はデスプラネット、3の舞台はパチンコ星)
また、3の発売が1995年なので元ネタはそれ以前の曲に限られる。
力を貸してくれ。
ついこの前まで、私は自尊心が地の底に落ちていた。
理由は明白で、自分を否定してくるタイプの人間の下で働いていたからだ。
その人曰く、私は「アップデートしてもすぐにバックアップに戻るパソコン」だったそうだ。また「積み上げたジェンガをすぐに崩される」とも言われた。
いくら指導しても改善しない、進歩しない、だから指導しているのがだんだん辛くなり、仕事も振れなくなり、結果的に何の指導もしないまま放置することになった。指導するリソースを割く暇も惜しい、だそうだ。
事実、最終的にはほとんど仕事がない状態になり、挙げ句の果てにクビを言い渡された。(表向きは自己都合退職だけど)
彼らの下で働くことに疲れ切っていた私は、ごくあっさりとそれを受け入れ、荷物まとめて脱兎の如く逃げ出した。幸か不幸か、引き継ぐような仕事は殆ど無かったので辞めるのは簡単だった。
低スペックパソコンなりに一生懸命やってきたつもりだったが、こうして私の会社員生活は幕を閉じた。
さて、彼らから離れてしばらく経って、自尊心がいくらか回復してくるうちに、私は随分彼らに「飼い慣らされて」いたんだなぁと思うことしきりだ。今冷静に振り返ればどう考えてもパワハラであるような人格・能力否定の発言の数々、一方的で理不尽な評価、あまりに目にあまる印象操作に異を唱えようものなら「生意気」「このやり取りで双方(上司と私)の勤務時間を無駄にしている」と恫喝まがいの口調で言われ、何か一つ間違えれば百の小言が襲ってくるという日々。
こんな人間のことも、「部下思いのいい上司」と懸命について行こうとしていた過去の自分は、本当に人を見る目がなかったんだなぁと呆れるばかりだ。
退職勧奨をされた当初は、このまま黙って辞めるのは悔しいからと一矢報いてやろうとも考えたのだが、何より相手は「無能な部下にスポイルされた自分達の方が被害者」という理論を完璧に固めているので、まるで話が通じない。交渉したとしても勝ち取れるものは微々たるものだろうし、何やり彼らとこれ以上関わることで疲弊する心身の方が大事だと判断し、さっさと縁を切ってしまう道を選んだ。
人はこれを「泣き寝入り」と呼ぶのだろうが、本当に壊れたら泣くことも寝ることもできなくなる。そうなる前に自分を守ることは、自分の溜飲を下げることより余程大切だ。
そういうパワハラ上司の下にいた日々を振り返るに、私はこの頃よく考える。
「反省ってどうやればいいんだろう?」
と。
この上司にもよく言われたことだが、「自分が被害者である」という気持ちでいると、何も反省せず、何も改善できない人間になって危険だよ、という。世の中では割とありふれた戒めの言葉である。
だから私は、あの日々が100%完全に上司が悪かった訳ではない、自分にも原因があり、反省すべき点があるからそれをよく踏まえて、次はそうならないように心がけよう、と、そう考えるようにしている。
しかしそうやって振り返ってみる度に、上司によって傷つき、踏みつけられた過去の自分がゾンビのように蘇って、群れとなって襲いかかってくる。ゾンビたちは口々に「悔しい」「腹立たしい」「悲しい」と呪詛の言葉を吐いては、過去を糧にして未来に活かそうと努める光属性の私を揺さぶる。こいつらはどうやったら鎮まるのだろう。
何よりも、「私を傷つけた上司はのうのうと生きているのに、なんで傷つけられて職まで奪われた私が反省しなきゃならないのか」という悔しさが、ゾンビを活発にしている。そう、結局私は脱兎の如く逃げ出して、さっさと縁を切って、さあ立ち直ったぞと言いながら、実は全然克服出来ていないのだ。自尊心を損なうということの後遺症は、つまるところ時間との戦いになる。
本当に、反省ってどうやったらいいんだろう。
それは、トラウマを克服した果てにあるのか、それともトラウマを生じるような出来事では、反省することは難しいのか、はたまた、反省することがトラウマを克服することになるのか。
進撃の巨人のヒイズル国とか、ワンピースのワノ国がいまいち苦手だ。
和モノが嫌いというわけではない。日本ぽい国が全てダメというわけでもない。DQ3のジパングとかは平気だったし。
ヒイズル国は主要キャラの名前としてミカサがある時点で最初からその存在は示唆されてたし、ワノ国も最初に言及されたのは確かスリラーバークあたりだった。
当時は何も感じなかったけど実際に作中で描写されるようになると苦手意識が大きくなってきた。
おそらく、メインプロットに深く関わるようになると自分の中の抵抗感が大きくなるような感じがする。
ヒイズル国が単にミカサ含む東洋人の出身地であり中東連合あたりと似た扱いだったら大丈夫だったように思う。将軍の忘れ形見とか唯一の友好国とか言われると、ウッてなる。
ワノ国がスカイピアやアラバスタやその他の島々と同じような扱いだったら大丈夫だったように思う。ひとつなぎの財宝やロジャーと深い関わりがあるとか言われると、ウッてなる。
ブコメを見て少し考えた。
例えば中国人や韓国人が描く洋風の架空世界で中国や韓国ぽい国が出てきて物語の中核に迫るような役割を果たしたとしたら。
別に嫌いにはならないだろうし、ウッてなることもないんじゃないかとは思うけど、多少の苦笑は漏れてしまうかもしれない。
では、例えば欧米の作家が描くアフリカや東南アジアを思わせるような架空世界の中の欧米ぽい国だったら。
考えていくと予想外に楽しくなってきたけど、いろいと難しいものだなあと思った。
人におすすめされたやつだったり、ネットでバズってるやつだったり、あとは自分が好きな有名人関連しか、映画に触れるモチベーションが湧かない
いざ映画みようと思ってアマプラめちゃくちゃ(10分くらい)探して結局見ないとかザラ
苦手
・不治の病系
フィクションで悲しみたくない、余命1ヶ月の花嫁とか、ハピエンに見せかけて登場人物の1人が認知症のやつとかも無理
・グロいやつ
怪我で血が出てるくらいならOK、パラサイトはちょっと怖かった、戦争で手足がとかも無理
シーンとした街中でいきなり爆破みたいなやつ。これが無理でアクション映画は結構無理。映画で無駄にハラハラしたくない。
・バッドエンド
フィクションで悲しみたくない、ララランドですらちょっと無理だった、ラブラブランドがいい
・設定が現実とかけ離れてるやつ、複雑なやつ
程度によるけど聞いた情報だけで理解するのが難しいタイプなので、設定を飲み込みきれないまま終わることがよくある。
・胸糞系
よっぽど話が面白くない限り難しい。アナ雪はよかった。映画じゃ無いけどアニメキングダムはちょっと苦手。
最近は話題になったやつしか見てないけど、話題になったやつは面白いと感じることが多いかな
・カメラを止めるな
グロシーンは目を瞑ってる
・プラダを着た悪魔
・ショーシャンク
・ジブリ
・昔のドラえもん
・アナ雪
・彼らが本気で編むときは、
・百円の恋
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE