はてなキーワード: クラスタとは
それは一人一人の視点が過去から未来軸に重なり合って居るミルフィーユ的並列世界
「ヘイト」「許せない」「仲良く」「怖い」「邪魔」という重なりもその一部分
そこには
夜の海で友達と一緒に拉致られかけ未だにマイノリティに怯えて匿名でしか話さない人もいるかもね
街頭で拉致家族活動に嫌がらせをする隣国人の為の人権活動家を見た人もいるかもね
ネットで生死不明の拉致被害者やその家族への悪口の書き込みを見続けてきた人もいるだろうね
裏切りを許せない人もいるだろうね
なりすましたりする人もいるだろうね
複垢使って悪口言う人もいるだろうね
日本のやることなすこと否定しなければ気がすまない人も居るだろうね
都合の悪い本音は過激な言動をする人達に任せてしれっと実名推奨する人も居るだろうね
いつも被害者ぶっている人も居るだろうね
他人の弱味を常に探している人も居るだろうね
正義の味方になりたい人もいるだろうね
弱い人に激しい言葉でウサを晴らしたい人もいるだろうね
安心したい人もいるだろうね
否定されたくない人も居るだろうね
仮にそういう人を見かけても誰々さんがけしからんと名指ししないのが吉
そうすれば「〇〇さんに成りすまして誰かが悪口書いたのかも」と他人を信じる余地を残しておけるから
個人個人の書き込みがクラスタとなり、誰がキーポインターで空気を作り
クラスタ間のフォークの突き刺し合いが飛び散らせる粉がどのような未来の流れを倦むのか予め予測して
ネットの海を大過なく泳いでいく為に厄介なクラスタとはエンカウントしない読む力が重要
今日はゴミ出して通勤中読書しながら音楽聴いて会社にちょっとだけ寄ってから
デート用秋服街で探して、スーツと衣替えの最中に発見した黄ばみ服クリーニング出して
洗濯して増田を書きつつ本を片付け秋物の衣類にアイロンをかけ、見なくなったDVDやCDは売り
家族のためにいつもより凝った仕事の疲労が取れる夕食献立を考える
一見増田書いてる暇なさそうだけど、右手でボタン押しつつ左手で別の作業はお手の物
チョコシェイクとバニラシェイクどっちが好き、どっちが嫌い?と聞かれても
それほどこだわりの無い気分のとき:どっちでもいい。どっちもシェイクには変わりない
体重制限したい時:どっちも見たくない
こだわる時:バナナヨーグルトシェイク派なのでどちらも要らない
「ストロベリーシェイクはチョコシェイクやバニラシェイクとは違うんです!!分かってくださいですって?」
神ならぬこの身、すべてのシェイクの種類に通暁できる訳も無く クラスタ分類できるのは知ってる種類だけだ
シェイクに詳しく無い人にとってはシェイク派はシェイククラスタでしかない
シェイクを作る時に蓋を開けたミキサーに蠅が入り込んできて気づかず攪拌されてしまったことに気づいたら見てしまったら、もう飲みたいとは思わないでしょ
ミキサー洗って消毒して新しいシェイク作り直しても、蠅の記憶が残っている以上はシェイク派からジャスミン茶派に移るかもしれないし
まあそういうことさ これがアンサー 出かけます
そういうことはあるかもしれんけど
その例に関してはあんたがおかしいと思う。
そんな簡単な話でもないし、暖かい話でもないだろ
いや、俺は同性愛者でも中絶支持派でもないし、キリスト教信者でもない。大半のブコメ民も違うと思うけど
現に思いっきり現在進行形で同性愛者やら中絶排除を法制化しようとしてるのがカトリックだろ?
別に法王がコメント出したから世界は良くなるのか。そういう話でもない
それを法王コメントやら解釈をいくら言っても、原理主義的に聖書信じてる連中の意見は変わらんだろ
そもそもキリスト教の中心は聖書なんだから。そこ否定するのはそもそもキリスト教の否定に繋がる
無論、原理主義者じゃない限り、聖書を一字一句生活と対応させてる奴なんていないけど
罪に関する思想なんて聖書のメインだし、そう簡単に変わるとはとても思えない
また新たな対立の火種になるなんて見えてるじゃん。
現法王は聖書と現実の乖離から欧米で信者が減ってることを憂慮してそういう発言だしたんだろうけど
結局政治バランスの話、宗教と人権思想のすり合わせであって、正義の執行でもなんでもなかろう。
手放しで喜ぶような話か?
そもそも、聖書の文言否定して、現実に人権守って行こうとしたら
キリスト教、というか大半の宗教なんて消滅する流れしかないでしょ。
そもそも、法で迫害されてるロシアとかの同性愛者がこの話聞いたとして、「新ローマ法王の優しさはすばらしい!」ってなってスタンディングオベーションか?
そうなるべきなのか?そうならなきゃおかしい?
「でも、今まで散々迫害しやがった連中の親玉だろ?」って複雑な思いがする奴も居るでしょ。
いや知らんけど、少なくとも居てもいいし、おかしくはない。
まあ、あんたがこれで暖かい気持ちになったらそれはそれで良しだし
もちろんこれ聞いて世界の新たな一歩を喜ぶマイノリティも世界には大勢いるんだろうけど
苦虫噛み潰したような思いをする奴だっている
それは「異常」なのか?
うんざりするような話?
そもそも「正しさ」なんてそこまで確たるものなのか?
まあ正しさなんて存在しないとか、倫理は無意味だとか、そんなこというつもりはないけど
少なくとも暫定的で近似的な話なわけじゃん。
そもそも同性愛者を罪だとしてきたものってバリバリその「正しさ」じゃん。
いろんな価値観が衝突して、その中で政治力とか人間の良心とかいろんな要素が組み合わさってなんとか合意にいたるものでしょ。
世界が「よい方向」に向かってるとき、、それを認めない連中は異常者なのか?
全会一致で可決しなきゃおかしい?
疑う奴が居るのもあざ笑う奴が居るのも嘆く奴が居るのも反対する奴が居るのも反対する奴を攻撃する奴が居るのも当然だろ
どうもあんたの方が偏狭で恐ろしく感じる。
あの類の事を今も昔も代理標的の被害を受けているマイノリティを取り巻く擁護?というか足を引っ張るクラスタが辞めないから
それを見てきた大衆に賛同されずヘイトスピーチ規制法は成らない ヘイトスピーチ関連以外の揉め事でも匿名性を悪用しているから
で実名派の声の大きい人数人はネットの揉め事で職場や学校に抗議の電話を受けた人達の事には触れないし
職を失ったり家庭を破壊したことについて炎上批判をしてるの見たことないな
知らないんじゃないかなそれとも自分達の主張に都合の悪い事している人達の振る舞いには知らないふりをしてるのかな
そういうウェブ炎上を作り出す流れを数年前から「匿名」をdisって「実名」を推奨する流れはどことどこら辺のクラスタから盛り上がってきたのか
知っているから、それを認めたら周辺クラスタの悪用の影響がヘイトスピーチ以上に酷くなって日本のネットが北朝鮮みたいな社会になるの予想しているから
「どっちもどっち」ですねーと冷めた目で見てる
よく「実名派」が「匿名」の卑怯者って批判しているけど「匿名」の卑怯者という言葉を使うクラスタの周辺が意見が合わないだけの人に「匿名」「嫌がらせ用ID名」でどういうことをしてきたかネットの揉め事の歴史を今一度振り返ってみたら?
より狡猾に「私の友達の話なんだけど・・・メソッド」を使って言われるようになる
人が一度恨みや悪意を他人に対して持ったとき口に出さないと気が済まない気質の人の口を塞ぐことはできない
そういう人の心が成長して大人になるのを待っても仕方ない なぜなら皆最初はネット経験値の低い子どもだから
毎日のように増田で消えろとか害悪だとか言われ続けたら嫌でも減るだろ、そりゃ。
はてな村民レベルの算出方法は数多く開発されてきたがここではFucking HatenaSayoku Algorithm[2007]を紹介する。
2007年にkanoseらによって開発されたこのアルゴリズムは、はてな左翼(通称はてサ)を物差しにすることではてな村民レベルを算出するもので、シンプルかつ高精度なアルゴリズムとして知られている。
---------一般村民-----------
---------村の幹部クラス-----------
レベル15 はてサ内にも様々なクラスタ(穏健派・武闘派・歴史修正派・アンチ自民派・貧乏派)がある事に気付く
レベル17 記事タイトルを見ただけでブコメにはてサが群がってるとわかるようになる
レベル19 橋下部落問題などでダブスタ墓穴を掘っているはてサを愛でる事ができるようになる
---------村で10年は語り継がれる命知らずの勇者クラス-----------
レベル20 はてダなどでidを出してはてサを批判することができる
レベル21 はてサが光が丘病院に入院したという情報を入手したらこっそり訪問し氏名と面構えを把握する
hokusyu、toled、Apeman、D_Amon、tikani_nemuru_M、y_arim、amamako…
彼らは、はてなの空気を支配し、はてなという小さな村の中で行われるネットバトルの頂点に君臨していた。
ここはてな村では、「はてサ」こそが掟であり、常にネットバトルの中心にあり、ネットバトラー達の倒すべき敵だった。
はてサは、人々に憎まれ、愛されていた。
一方で、我々の愛したはてサとは決して戦火を交えず、しかし、もう一つの頂点として君臨する者達がいた。
それは、自らが絶対に正しい知識と正義を持ち、それを体現しているという自負である。
モヒカンとはてサは、自らの正義を信じ、敵対するあらゆる人間を攻撃して来た。
超長文をダイアリーに投稿し、あらゆる異論に反論し続け、メタブックマークをバベルの塔のように積み上げる。
驚異的な粘着力が、敵対する全ての対象を討ち滅ぼし、はてな村から敵を消し去っていった。
やがて、彼らの自負が、彼らの論理をはてなの掟にまで伸し上げる結果とまでなったのだ。
だが何故、2つの全く異なる集団が、はてなの頂点に君臨し、互いに戦火を交えることが無かったのか。
まるでbotが喋っているかのような非人間的な態度で、「私はあなたに共感しますが」と箇条書きにするのだ。
モヒカンには心情に踏み込まない。
あるコードの記述ミスを指摘するコンパイラのように、淡々と間違いを指摘して、去って行く。
それはもはやbotなのか、人間なのかすら判別できない存在であり、はてなに残る都市伝説だった。
一方で、はてサの支配する掟の中では、より弱者へ共感を示している側が正義だった。
弱者へ思いを馳せること、抑圧者である自らを自省すること、それらをウェブ上で表現すること。
はてな村に流れ込んだ2つの源流、fjと、テキストサイトのうち、前者はモヒカンが受け継ぎ、後者ははてサが受け継いだ。
はてサはテキストサイトのごとく、自らの自意識をダイアリー上で表現していた。
どれだけ自らが弱者の現状に思い悩んでいるのか、どれだけ強者として自省しているのか、その自意識を、はてなダイアリー上で開陳し、
はてなダイアリーにマイノリティ当事者が居たのなら、彼/彼女のマイノリティとしての心情を理解して、
トリアージが「さくさく」と表現されていれば、オノマトペで心が傷付く人々が居るのではないかと弱者に思いを馳せていく。
従って、はてサとの闘いは、自陣こそが本当の弱者の擁護者であるという立場を得るための闘いだった。
はてサとは『弱者に共感する人格の一貫性』によって担保されており、もしも、はてサが言葉が滑らし弱者を蔑視したなら、彼ははてサとして終わるのだ。
こうして、はてサの敵対者は、はてサが弱者を蔑視する瞬間を狙い撃つ。
ダイアリーに自意識的長文を書き連ね、メタブックマークタワーを積み重ね、自らが弱者に値することをはてな村で表現していく。
はてな村においてはてサは掟であり、自陣と敵陣を分かつ者である。
死ねばいいのに、これはひどい、脳の失敗、頭が悪い、魂が悪い、国語の成績が悪そう、プーックスクスクス…
はてサの敵対者が書き連ねた言葉は、一顧だにされず、蹴り飛ばされる。
その徹底的な共感の姿勢と、敵陣への圧倒的な嘲笑こそが「はてサ」だった。
だが、はてサは死んだ。
最早はてなに、はてサの掟は存在せず、ホットエントリーには、痛いニュースやアルファルファが乱舞して、ブックマークはヤフコメと大差ないコメントが立ち並ぶ。
我々の愛したはてサは死んだのだ。
はてサの強み、驚異的なメタブ粘着力や、超長文による物量攻撃は、Twitterでは存在することも出来なかった。
文章は140文字に制限され、粘着的なReplyはワンクリックのブロックで終了する。
そして、はてブにTwitter連携が設置された時、はてサが支配したはてな村は、Twitterの波に呑まれてしまった。
"/"で弱者属性をbioに並び立てる当事者系弱者ツイッタラー。
それら市民を冷笑し、圧倒的強者として立ち続ける悪質クラスタ。
hokusyuも、有村先生も、今ではただのツイッタラーでしかない。
我々の愛したはてサはもう、居ないのだ。
ずばり書いちゃうけど自分のつぶやきに賛同する(実在する)人達をどんどん集めて
「こっちのモラルが低い(私達のクラスタは高い)」「出来が悪い(私達のクラスタの出来は良い)」
と常日頃人の粗を探して標的の人格をケチョンケチョンにしてもいい空気をTLで作り出すゲームである
粗は何でもいい
等と書いたらSNSの製作者やネット上の正義とか未だに信じている人は悲しむだろうけど
クラスタの数や取り巻きの頭の鋭さ悪さが勝敗を決めるのが団体戦で1VS1はソロプレイ
だから実名派が匿名disるのはモンハンで例えるならガンナーのハメ技嫌うようなもので
攻撃力の高い剣士(実名)でプレイするならあなたはそれで良いいんじゃない。
他の人達のゲームスタイルにいちいち口を出すのは控えてほしいかな?
「違うよ ほら趣味のつながりとか地域の情報やいろんな人と交流できて楽しいのがSNSだよ」
といいたくなるだろうしそれが本来のSNSでしょうが、自分の思想の「好き嫌い」「正義悪」
「けしからん」「ポジティブー!!」「普通」を他人に押し付けようとすると
SNSは途端に地獄のゲームと化す そしてネット→マスコミへ波及すると効果は計り知れないので
利害関係のある人達は必然的にこのゲームに参加せざるを得なくなる どんなに嫌悪していようとね
初心者や経験値が低い人は、人数の多いクラスタに「実名」で楯突けば一ひねりに狩られて粗を探され粘着され続ける
自分は非科学的な発言が大嫌いだ。ホメオパシー、放射脳等の非科学的発言を見つければ、その撲滅に取り組んできたし、毎日の生活でも、Evidence-based lifeを実践し、生活に気付かないうちに入り込んでしまう非科学的な要素を排除するべく、全力を尽くしてきた。
こうした非科学発言撲滅運動で重要なのは「ターゲットの選定」にほかならない。なぜなら、一人の人間が非科学発言を叩いてもその力は限られるからだ。ネット上で多くの人が特定のターゲットを叩いてこそ、はじめてその政治的力が発揮されるからだ。
さて、今、私たち反ニセ科学クラスタが、ターゲットにするべきは安倍首相だろう。
1分子も残らなくなるまで希釈しても物質の影響が残るというのがホメオパシーだが、何の仕切りもない港湾で「影響が(中略)完全にブロックされている」というのは、ホメオパシーもびっくりの非科学的発言だろう。これが許されれば、ホメオパシーやEM菌が蔓延する恐怖の社会になることも間違いない。
結論から言うと、酷い。
『序破急』の序が“酷い”で、破が“酷い”で、急が“酷い”
HPに“声優アワード”の文字があって、「OB・OGが受賞したのかな」と思ったら、なんと声優アワードが何であるかを説明する文章だった。
これ知らない人が入学するの? ちなみに“オーディション”の説明もあった。だっふんだ。
卒業生で声優としてWikiに載っている人間は1人、2人……片手で数えられる!
この中の1人は某事務所“預かり”なのだが、HPには“所属”って書いてある。お、おう……
フリーランスを名乗る卒業生が「この学校のおかげで夢が叶いました」的なコメントを寄せているのだが、ググってもそいつが何してるのか全く分からない。何の夢が叶ったんだよ。
講師陣はなぜか某声優事務所の人たちだけで構成されてる。何か大人の事情があるんですか?
その講師陣なのだが、「歳食ってランク上がっちゃって役取れなくなりました」と顔に書いてあるような人たちばかり。
芳しい加齢臭を放つ彼らの出演作は、ほとんどが前世紀のもの。平成生まれで、声優アワードさえ知らない人間は、それらがアニメなのか外画なのかも分からないだろう。
前置きが長くなった。
ええと、そう、イベントに行った話ね。
イベント会場で待たされていると、知らないオジサンがいきなり現れて、周りの学校関係者が『A先生です!』と紹介。
声ヲタ5軍の私は「誰?」って感じ。
往年のロボットアニメに出演した思い出を、遠い目で参加者(U-20)に語りかけてくれた。
そのアニメ、若い人は知らないよ。スパロボ好きな奴は知ってるかもしれないけど。
A先生「もうリミテッドアニメーションの時代ではありませんでしたが……」
岡田斗司夫クラスタしか喜ばないような話が延々と続き、ミッドウェーで艦娘が5人轟沈したような雰囲気になったところでイベント終了。ここに入学したら人生が終了するよ。
帰途、あいぽんでA先生について調べたのだが、あんた何者だ?(CV: あいぽん)。
イベントがあった学校とは縁もゆかりもない人物なのだ。OBでもないし、講師でもない。先述の某声優事務所関係者でもない。
学校側が業界に新たなコネクションを作ろうとしているんじゃないかとゲスパーしてみたが、よく分からない。
年端もいかぬ声優志望者を釣りたいんなら、嘘みたいに安いギャラで来てくれる新人声優呼べばいいのに。
やっぱりこれも大人の事情ってやつですか?
声ヲタ1軍の皆さん、教えてください。
この学校はそれなりに歴史があり、文科省から専修学校の認可を受けている学校。それなのにどうしてこんな……おや、誰か来たようだ。
野崎まど『know』を読んだ。早川SFクラスタでやたらと評判がよいのでいつか読もうと思いつつも、過去に同氏の作品を拝見した中生まれていたわだかまりと作品の底のようなものが邪魔をしていたのだが、ここにようやく機会を得たので所感をはき出しておこうと思う。
一言でまとめると、『know』という作品はSF的/ライトノベル的想像力によって描かれた『ブッダ』である。つまり〝知ル〟という名の少女が正覚を得るまでの生涯およびその後の万人救済を、それに連れ添ったものの手で描いた物語の体裁を採っている。宗派は技術系過激派の大乗仏教といったところ。福音書と呼んでもよいのだが、本書に織り込まれた示唆(エピグラフとクライマックスが創世記の引用であることなど)に反して作中で知ルらが辿った道は真言宗のそれに近いように思えたため本稿ではそちらの用語を採用する。
こう考えると『know』というタイトルも知ルという少女を指すとも解釈できる。だが最もわかりやすいのは目次に並ぶ章題だろう。〝birth〟から〝death〟までまさしく一生が記されている。
さて本作の舞台は2081年の京都、情報材と電子葉という未知のテクノロジーによって情報空間と現実と思考との直結を果たした世界である。一方で情報へのアクセスと保護の格差は法律で規定されるまでに進む。そんな中、語り手を務めるのは作中トップクラスの情報エリートである。
〝birth〟の章では全知を定められた十四歳の少女・知ルとの出会いとともに、社会革新の原動力となった研究、そして彼女の誕生が描かれる。ちなみにこの配置のために作者は作劇上結構な力業を用いている。またここではもうひとりのクラス9・問ウも登場している。彼の姓であるアリステラというのは「最上級」を意味する名前。位置づけがわかりやすい。ただ女性名なのは気にかかるが……。
〝child〟では神護寺を訪ねて高僧と悟りについて問答する。ここで択ばれた真言密教とは即身成仏を極意とし、また教えを秘する——つまりオープンの逆をゆく——ことを是とする仏教の一宗派であり、つまりは作品の主題と密接に関わる教義を掲げている。物語構成上からも初日にふさわしいといえよう。
〝adult〟では京都御所に匿われた古文書を通じてイザナミ・イザナギの二柱の行いから生きたまま黄泉路を往く手段を学び取る。これで境界を越える準備は万端、残るは実践のみである。
〝aged〟において知ルは当初の目論見通り入定を果たす。その前夜、主人公と知ルは〝知恵の実をかじる〟と称して情報交換における無上の行為に達する。つまりセックスをする。
〝death〟では知ルの死後の肉体と、彼女の還りを信じる主人公の姿が描かれる。この情景は高野山の奥の院で空海が今でも生存しているという伝説を想起させる。
そしてエピローグでは生還した知ルによる革新が成った社会が語られ、物語は終わる。
——わけだが、この小説の価値はなんと言っても計算されたフィニッシング・ストローク(最後の一撃)だ。
作中では真理に至るための方法を量子葉によって脳を育て、高密度の思考による情報のブラックホール化を行うことだと説明しているが、これはあらゆる意味で知ルを育てた天才技術者の言うように「我々では無理」なのだ。彼の生誕は2014年であり、刊行年の一年先に設定されていることに留意したい。アーサー・C・クラークの名作『幼年期の終わり』は年少の読者に対して希望を残したが、この作者の意地の悪さはそれさえ許さない。
しかも知ルが死後の世界で目にし、人々に広めたものが何であるかは一切語られることなく物語は終わる。
この物語が抱える問題意識は情報格差である。作者はそれを人類間のレベルから、全知の存在たる神との格差へと推し進めた。だからすべての人が全知となった瞬間、格差は消滅し、万人救済が果たされることになる。しかしそれはあくまで作品世界内の話にすぎない。読者はその外にいる。その格差を肌で感じた瞬間、初めて読者は揺さぶられ、知ることへの欲求を呼び覚まされる——格差を埋めたいという渇望によって。ただ純粋に「知ることと生きることは同じ」と断じた知ルに比べて何と浅ましいことだろう。けれどそれもまごうことなき人間の本質である。語り手が中途半端な情報強者に位置づけられていたことも、妙に鼻持ちならない人物であったことも計算ずく。すべてはこの一行の効果を最大化するための小道具に過ぎない。
もとよりメタフィクションを指向する作家であると感じてはいたが、人工的な世界を下敷きにすることでより巧みにそれを演出できるようになったらしい。
で。
実はここまではすべて前置きである。読者を操ることを至上とするこの作家がメタフィクションへの可能性をこの程度のウェルメイドな小説に留めるはずがない。
この作品に残された最後の謎はずばり〝ただひとりに向けられた暗号〟である。正直な話、この解明に挑む資格があるのは野崎まどの全作品を電子化して常に携帯するような気狂いだけに違いない。
けれど非才を尽くしてその手がかりくらいは拾い集めておきたいと思う。
(後編へ続く)
私が認識している現状ぐらいの事は長年ネットしている人たちには「ゲート・オブ・バビロン」で周知の事
「匿名」界に首突っ込んで「はてな匿名ダイアリー」の存続を危うくするような流れや気に食わない人を〇〇〇〇〇に
仕立て上げたり、気に食わない人の家族の悪口を書き込む流れが出てきたときには「拡散」「RT」で流されちゃう
人達を止める為に稀に深海から浮かび上がるけどそれ以外のことには関心無いね
口で言い返せないから「罵倒」「脅し」に走る人達ってどの程度日本語勉強して「きた」のだろうと溝の深さを
感じる時あるわー 見ている世界の水平線が違うって感じ
「定型語」を言われて思考停止して口をつぐむのは「つい民」ぐらいなもので「はてな民」には通用しない
気に入らない人を粘着しながら一斉叩き、晒しや犯罪、暴力をほのめかしたり
するような人々(なぜかそんなことしてても垢凍結されないし逮捕もされない。それがいわゆる何とか特権?)
が「実名」派の声の大きい人々の周りを獲物(失言)を狙う鮫のようにウロウロしている
「ネット紅衛兵」がうろちょろしている状況で「百家争鳴」の呼びかけに応じて実名に応じたら
ちょっとでも彼らの気に沿わない発言をしたら口汚い罵倒に付き合わされて面倒臭い事になることを
「実名」派の声の大きい人達もそのアカウントでもって体感しているはずなのに
http://anond.hatelabo.jp/20101022165128
親近感深めたかっただけなのに拒否られるどころか嫌悪感あらわにされて
それが悲しかったという感情を否定する為の原因を相手の性格の中に捜し求めているだけだろ
この世には文句で連帯感を深めるクラスタと職場のマナー本通り悪口の相槌を打つのは悪い事と考えるクラスタ
がいてねー 前者と後者の考えが激突することがある
「何でも心を開くことが善いこと、心を開かないのは悪い事」と考えるなら漫画や自己啓発本の読みすぎ
ちなみに横増田が争った相手は標的の容姿や性格を種に仕事に結び付けて、標的に伝わりやすい場所
(職場やこれみよがしに標的に聞こえる距離)で言っちゃいけないこというタイプ
横増田はそんな彼女が許せなかった 生まれてこの方心の綺麗な人たちばかりに囲まれていたので世の中にそんな醜い振る舞いを
する人がいるとは想定外だった 増田に来た頃は相槌うつぐらいなら屈原のように川に入って死んだ方がましだと思っていた
今でははてな村でほど良く汚れて泥んこだ だがすがすがしい あの頃ここを知っていたならきっと許せていたと思う
元増田達は私達と同じ過ちを繰り返さないよう願ってる
つぶやき系サイトのソーシャル・エンジニアリングなヤバさをネット経験値低い人はご存じ無い
たった一つのつぶやきで「クラスタ的な繋がり」がとんでもない深さまで可視化されてしまうツールがネットにはゴロゴロ
目を付けた人に対して人生こじらせた人達が落ち度を探そうと粘着する為のツールや技術がいくつもある
少人数であっても一日中サバンナをウロウロしている人生こじらせた人達に一度目を付けられると厄介
だから交通安全の観点からネット経験値浅い人たちのために「実名」よりも「匿名」を数年前から推奨してるんだけど
ネットを長く泳いできた増田がしてることは、ネットですごいスピードで走る車が来たら横断歩道を渡ろうとするネット経験値の浅い児童を車が通り過ぎて
安全になってから渡るように言ったりすることだけで でもその行為すら気に喰わないのが一日中サバンナをウロウロしている人達なんだよね