はてなキーワード: クラスタとは
現在行っている日銀の政策が効果があるのは認めている(為替安、株高など)
デフレは悪いも合意されている、財政政策をやる場合は公共投資(再分配されるし効率的で効果アリなどの意味で)これ一つで十分。
額として年間数千億ずつ毎年増やし続けるだけ(いつ終わるか、縮小させるか、もしかしたら終わりがないとか含めは自分はまだ理解していません)
現日銀法で十分であり、データ見れば白川総裁時代は利上げや量的緩和縮小なども行っておらず新たな時間軸政策も
現黒田日銀先駆けて行った(もちろんそうした行動は次期政府などを睨んでとか云々かんぬんは置いときます)
インフレにしても正解じゃないし失業率が下がってもまだまだダメで実質所得の上昇が伴ったものでないといけない
労働規制強化に賛同的?極めてリフレ派に対し批判的(リフレ派も似たようなことやってきたと言えばその通りでしょうし・・・)
正直、自分は三橋さんや他の保守系ケインジアンとの違いがよく分かりませんorz
ゼロ金利制約下での財政拡大はより(一層)効果アリという各種記事、論文などもありますよね。
そして減税、給付などは効果が薄かったりするので公共投資一本は分かります。
回りまわって自分とかにお金や雇用来るんかなー障害者枠での仕事は増えるのかなーとかは勝手に思ったりするので
おもいっきし財政派(仮)の人達に罵倒される現金バラマキ、給付付き税額控除とかについての話や
もっと言えば障害者(色々な方がいますが)はどうすればいいの?と聞いてみたいですね。
金融クラスタはそこらへんでリフレ派、政策に批判的なのは構わないですが
財政拡大は仰ってくれないですよね、本石町氏が地方公務員の賃上げを言ったくらいでしょうか?
あと全然関係ないですがお互い、身体的特徴や学歴などを作ったり付けてして
批判をしないでくれると個人的には助かりますm(_ _)m
これはあんまりにも簡単にまとめ過ぎだと思った。だから問題点を整理したい。
まず虚構新聞についてだが、虚構新聞に関しては一貫して「態度の問題」だと思っている。
「おもしろくない」「住み分けろ」という批判ははっきり言って無意味なもので、そんな批判が通用してしまうなら
インターネットの人々はみな自分の「おもしろさ」を絶えず気にして、自分の所属するクラスタに閉じも篭もってしまう。
私はずっと健常者のそのような焼き畑農業的な、未来の無くなる、人の行動を制限する言説には反対してきた。
私はインターネットでドヤ顔を見たいのである。カオスを見たいのである。みなが「住み分け」をするのならインターネットをやる意味が無くなってしまう。
ことこそがインターネットをやる喜びだ。それが嫌ならmixiにでも行けばいい。
虚構新聞がいくらつまらなかろうが、釣りをしようが、基本的にそれに罪は無い。
たとえばアグネスちゃんに対する侮辱記事でもそうだが、「あんな記事を書くってことはそれなりの覚悟をしたんだろうな」
と、第三者は思うわけである。「おっ虚構が喧嘩するのか」とテンションが上がって来るのである。
ところがユニセフが「ちょっとー!男子ー!」程度の抗議の声を挙げると虚構は音速のスピードで亀のように首を引っ込める。
その後は自分のホーム(ツイッター)でずぅうううっとグチグチグチグチ、自分の仲間を相手に「おれ悪くないやんな?」「全然ついてへんや~ん」
と愚痴を言うのである。ツイッターは公開されてるので、我々はそれを読める。そうすると我々は「なんと卑劣な男なんだ・・・」という感想を抱いてしまうのだ。
「自称人権家」などと、かなりの侮辱の言葉を使っておきながら、ユニセフが少し腰を上げると「怖い怖い!まったく・・・風刺も許されないのか・・・(困惑)」。とか言ってるのだ。
「その程度の覚悟しかないのなら、最初から名無しでやっとれ!」というのが私の感想だ。
2ちゃんねらーが名無しで自称人権家と揶揄するのは良い。だが名前を出してやるのならそれなりの責任感を持て。
自分を前面に押し出しますけど責任は2ちゃんねらー並みで、なんてのは許されないはずだ。
これは大彗星ショッカーのようなサードブロガーや、体調わる子を筆頭とするはてな女子にも言えることである。
「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
といった他者disや、無神経で中途半端な思考を、デトックスと称して、世界に公開してるわけである。
もちろん年収○○万円の男も、結婚してない奴も、30代のOLもブチ切れるわけである。
年収○○万円の男や、結婚してない奴や、30代のOLの友人が居る人たちも怒る。「俺の友達はそんなこと言われるほど悪いことしてねぇ!」
するとどうだろう。
「なんかみんな怒ってて怖いぽよ・・・」
「ここは私のブログです。好きなことを言って良いはずです」
ところが、はてなユーザーとしては
「え、それなりのことを言ったんだから喧嘩するつもりだったんでしょ・・・?」と、肩すかしを食らうわけである。
「あれ、え・・・?誰かをdisってそれで終わり・・・?disりっぱなしジャーマン・・・?」
となるのである。はてなユーザーから見れば、彼らはとても不可解な存在だ。
「炎上するのが嫌ならそんなこと言わなければいいのでは・・・?」
しかしはてな女子は懲りずに、誰かをdisる記事を上げ続ける。そして炎上し、「何でみんな怒ってるの・・・?」を繰り返すのである。
これではコントである。だから一部のユーザーは、「PV数を上げるための釣りでは?」と疑念を抱きはじめる。当たり前である。
ところがどうも彼らは釣りをしているようではなさそうだ。
彼らはナチュラルボーンで誰かの悪口を言い、そして殴られて涙目になるのである。
虚構新聞は殴られる前にツイッターに引っ込むが、サードブロガーやはてな女子たちは引っ込まず、殴られるがままである。
はっきり言って頭が痛くなる光景だ。
20、30、40代のオッサンオバサンが、「誰かの悪口を言ったら返ってきますよ」という基本的なこともわからずにインターネットをやっているのである。
つまり、虚構新聞と一部のサードブロガー、一部のはてな女子の問題というのは共通していて、それは「態度の問題」なのである。
「名前を出してそれなりのことを言うのならそれなりの態度を示せ。それが嫌なら匿名で。」というのが私の意見である。
さて、淫夢であるが、これは匿名文化である。そして私のスタンスとしては、「匿名文化とは悪質で無責任で良い」というものだ。
今、かつての2ちゃんねるの匂いを少しでも残しているのは淫夢のみであり、このゴキブリと暴走族を混ぜたような集団を私は愛している。なぜなら
ことを私は苦に感じないからである。全く知らない人から全く知らない知識をブチ込まれる、こういう体験をできるのは実は淫夢文化である。
最近のインターネットはそういう体験をどんどんできなくなっている。健常者が増え、グーグルとアマゾンが幅を利かせている。
「あなたにおすすめ」「あなたに合ってるのはこれ」と押し付けてこられて、視界が狭くなっているのが今のインターネットである。
そういう環境において、淫夢のような集団はとても貴重だと感じている。
ただ、昨今においてはツイッターなどの影響もあり、ゴキブリにも暴走族にもなる覚悟もないのに淫夢民を自称する中高生大学生が増えてきている。
彼らは健常者であり、濃ゆく汚かった淫夢文化をどんどん綺麗に薄めていっているという現状はある。
2ちゃんねるがとても薄い場になってしまったように、淫夢も薄い集団になっていくのだろうという予想は既にしている。
以上が私の考える、虚構新聞と淫夢とサードブロガーの問題点である。
私がインターネットで要求するものは、クオリティでも住み分けでもなく人々の態度や覚悟である。
ところが昨今炎上する虚構新聞、サードブロガー、はてな女子は、いずれも態度や覚悟がなっていない。
態度や覚悟さえあれば、いくらでも好きなことを言って良い世界であるのにも関わらずだ。
「誰かの悪口は言いますけど私の悪口はやめてください」はいくらインターネットでも筋が通らないはずだ(匿名になるしかない)。
体調わる子ももう少しふてぶてしかったら、とても面白いブロガーになったのに、虚構と同じ類のナイーブさを露呈してはてなから退場していった。
今後第二第三のわる子やはてな女子を生み出さないためにも、この「態度と覚悟の問題」は言い続けていこうと思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20131223150721
ネット上のサービスで何らかのコミュニティを形作るものは、大きくわけて二種類ある。
前者はぼっちでも参加することができるが、後者はできない。この単純な違いがわかっていない開発者が多すぎる。
普通に使っていればその中で0からコミュニティが作られるようなサービス。Twitter、deviantARTやpixiv、ネトゲなどがこれにあたる。
Twitterとpixivには、フォローに相手の承認を必要としない文化が浸透している。言い換えると一方向な段階から双方向な関係に至るステップを自然に踏める。
ネトゲの場合は少し違う。ネトゲには一方向な段階というのは殆ど存在しないし、無理に行動すれば現実世界のストーカーと同じように迷惑になるだろう。ネトゲが現実世界と違いTwitterなどと似ているのは、低いリスクで他者との接点を持つことができる場が豊富にある点だ。マッチングや共闘や敵対が前提となっている場や大規模なグループでは、常識的な挨拶ができるかどうか程度で他者との接点を持つことができる。
このような場は現実世界では少ない。子供のうちはクラスや部活が似た役割を担っているが、友人ゼロのまま一度社会人になってしまうと余程の行動力がなければチャンスがないし、友人ゼロのまま社会人になってしまう奴にそんな行動力があるわけがないので死ぬまで友人ゼロ確定になる。
しかしそんなぼっちでも始められるのが、"一方向な段階から双方向な関係に至るステップを自然に踏める" "低いリスクで他者との接点を持つことができる場が豊富にある" "コミュニティを作ることも視野に入れたサービス" なんだ。
コミュニティがあることを前提としたサービスは、登録すると最初にお友達を探してくださいとなったり、そもそもFacebookでしかログインできず友達リスト利用が前提になっているようなサービスだ。Facebook自身もこれにあたる。
"コミュニティを作ることも視野に入れたサービス"には参加できても、"コミュニティがあることを前提としたサービス"には参加しないという人々はぼっち以外にもいる。例えば、Twitterの知り合い同士でネトゲを始めてみたり、その逆はあっても、ネトゲの知り合い同士でFacebookを始めたり教えあうというケースは殆ど聞いたことがない。たとえオフ会をやるような人々でもこの傾向は強い。
サービスを作っている側の多くはFacebookのヘビーユーザーなので、ここに大きな壁があることに気づいていないと感じることが度々ある。
この壁には"ぼっち属性だから"や"リア充クラスタではないから"で済ませてしまうよりも深い問題があると思う。
Facebookは現実世界のコミュニティに機能を追加するようなものだ。Facebookの友達リストを前提とするようなサービスも同じだ。それをとてもありがたがっている人たちがマジョリティだろうとも思う。それに、似たコミュニティがいくつもあっても仕方ないから、オンリーワンのFacebookを下敷きとして機能追加していったほうが理にかなっているという理由もわかりやすい。開発側にとってもFacebookのコミュニティをそのまま持ち込めることのメリットは計り知れないだろう。
しかしその一方で、Facebookとそれを下敷きとするサービスは現実世界のコミュニティを持ち込めない人々にとっては分厚い壁でしかないし、既存のコミュニティの拡張でしかないサービスには面倒臭さしか感じなくなっている人々にとっては重荷になる。
その辺が、僕がFacebookをできないしやらないし、ずいぶん昔にネトゲの知り合い同士で始めたmixiもすぐに見なくなった理由だ。
せっかく魅力的な機能を持ったサービスがあっても、Facebookの友達リストを使いますとなっているともうそこで脱落してしまう。Facebookで捨てアカウント取って、友達0で始めてもその中で軽いフォローの関係が広がるように作られているのかもしれないが、そうとわかるような配慮があることは殆ど無い。
最近だと、ビートロボというサービスがとても面白そうだったので始めてみようと思ったのだが、ビートロボの中で0から近い音楽の趣味の人と繋がりそうな説明なのにFacebook前提だったので登録以前でドロップアウトしてしまった。本末転倒だと思う。好きな音楽が近い人が好きな音楽を見つけるのに、どうして現実世界の友人関係に依存しなければならないんだろう。リア充開発者はこれが本気でわかってない。現実世界の関係を持ち込めることがメリットにしか見えていない。
いつも不思議だなーと思っていることがある。
それは、自国の行った戦争犯罪について追及する熱意をみせている一方、
自国の受けた戦争犯罪、他国の行った戦争犯罪について無頓着な(あるいはそのように見える)人が多いこと。
以前「原爆投下は神の罰」という、およそどの立場からしても許しがたい発言があった。
この発言の折、慰安婦や南京関連のエントリをシコシコ積み重ねていただけの人たちがいた。
原爆関連の記事に、彼らのブクマはほとんどと言っていいほどみられなかった。
もちろん、何にリソースを割くかは自由だ。身近な自国の戦争犯罪について述べるのを中心にしてもよい。
ただ全ての戦争犯罪を憎む心が根底にあるのなら、ブログの記事にせずともブクマで「これはひどい」程度の
言及はできたのではないか。クリックして数文字打ち込むだけでその態度は表明できたはずだ。
そのわずかな手間すら惜しんだのであろうか。片手落ち、いや片手両足頭落ちと言っていい。
それとも、他国の戦争犯罪については何とも思っていないのだろうか。
彼らには全ての戦争犯罪を憎む気持ちがあるのかないのか、速やかに表明していただきたい。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ohnishiren/20131113-00029763/
生活保護制度のなかの「扶養義務」とは、民法で定められた規定にのっとり、親・きょうだい・子どもなどの家族・親族で扶養できる状況の人がいたら、可能な範囲で支援をしてもらう、というものです。
親戚って似たクラスタの集まりじゃない?DVをする人がいる親族がいる場合、遠くない親族にもそういう人がいるケースが多い。働かない親族も、1人いれば遠くない親族にまだいたりする。自営業が多い一族とか、サラリーマンが多い一族とか、”家族・親族”には類似性がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%81%AE%E6%82%AA%E5%BE%AA%E7%92%B0
金持ちの親族は金持ちで、貧乏の親族は貧乏。生活がかろうじて成り立ってる貧乏が、貧窮して立ち行かない親族を養うことになるんじゃないの?
改正法には反対だ。
横増田自身ならともかく他人の画像を転載してこの手のコメント求めるのってどうかなーと思うよ
ちゃんと画像転載の許可は得たのかなと疑問に思うのでこの人についての感想はノーコメント
言葉を選んで答えるならアニメやゲームで得られる幸せは所詮現実逃避の幻想の中の幸せに過ぎない
異性に認められて仕事して社会に受け入れられてこそ初めて周囲の「期待値」を満たせて自分を認められるわけで
それが努力しても満たせないという人々の苦しみは他の事に逃避しても「ポジティブ」を押し付けられても癒されない
「異性に異物としてではなく異性として認識されたい」「世間に受け入れられたい」この二つは本能に根ざす「願い」だから
努力してもこの願いが人格云々以前に知的能力的に叶えられない人生に煮詰まったクラスタの一部の人達が右や左やマイノリティにもチラホラいて
TLに災厄をもたらしたり特定の人物に何年間も粘着したり、誹謗中傷で「目立つが勝ち(誰か相手して)」という考えを持っていたり、botで嫌がらせしたり
そういう傾向が見受けられる
「ポジティブ」な生き方なんて押し付けられてもこの手のネットでくすぶらざるを得ない人達にとっては紙の上に描いた餅を「喰え、喰って黙れ」と無理矢理
口の中に押し込もうとされているようなもので精神的に抑圧される苦痛しか与えないってことです
ポジティブなこと言う方は「私、良い事言ったーはい、愚痴はおしまい(ニコニコ)」で済むんだろうけどね
長年生きてきて世の中の人々に軽い気持ちで「無能」「不必要」だと言われ続けハートにヒビが無数に走っている人にとっては傷に熱湯を浴びせられるような
もので苦しくてもがきも暴れもするだろうさ
その光景を見て「愚か」だと笑うことも「頑張れば希望がある」なんて言葉で誤魔化すこともできない
http://staff.hatenablog.com/entry/2013/11/05/182205
はてダ時代は技術者クラスタがほとんどで、目立つことよりも正確性やら網羅性やらのほうを重視して事なきをえていたが、
はてなブログとはてなキーワードが関連付けられた事により、目立ちたいだけのはてなブロガーがさっそく意味も面白さもないキーワードを作り始めている。
あまつさえ、よってたかってそのキーワードをブックマークし始めている。
内容すらない推敲すらされてないタメ口のだべりがホットエントリに並ぶだけでもうんざりなのに、
次は受け狙いの一発ネタみたいなキーワードがホットエントリにならぶのだ。
身内が作ったキーワードばかりブックマークしてもスパムなのかそうでないのか判定がつかない。
もはや今話題のエントリをピックアップするという、はてブの意義は完全に消滅するだろう。
はてなブログとキーワードが連携された事はいい。むしろ順当だ。
スパロボに「ブラックホールクラスター」という技持つキャラが居たのは憶えてるけど流石にPS2からは遊んで無いのでうろ覚えだから
そのキャラとは無関係で普段使っている「クラスタ」という言葉とある歌手のダンスを見て思いついただけ
ここは「アバンティの日常会話」「人生相談」「青春アドベンチャー」「ラジオ深夜便」「オールナイトはてな」を組み合わせたような
確かに、開発とかデザインのようなものだけを担当することの多い社員だと、他社とメシとかより自分の仕事早くこなしたい、のほうが多いかも。
ディレクションとか営業とか経営者とか、新規開拓というか、色々打ち合わせとか根回しとかが必要な人達はメシを有効に使う人いるかも。(経費でおごりだけじゃなく、一緒にメシ(自費)でも食いながら次の企画の話でもしようや、とか)
前者はどっちかというと日常でメシしながら仕事の話するよりも、休日にまとめて勉強会なりでそういう見地を広げる人が多い気がするな。
後者はそもそもメシを食いながらのほうが契約とりやすい気もするな。
ということで、メシが食える人が成功するかどうかは単なる機会を広げるだけで、直接は成功に寄与してないけど、成功しやすくなる "クラスタ" がある、ってことかもなぁ。
大正解! 大切なのはそういう人達に「楯突かない」「近寄らない」「目を付けられない」こと
ネットとかでも人生やハートこじらせすぎて人から鬼に変化した人が一日中餌を探してウロウロしてる
ネトウヨでもマイノリティでも他人に対してこじらせすぎた人が怖いのは同じ
横増田は日帰り出張中帰りが遅くなりそうな時は、その地域の防犯情報と数日間他者への攻撃性が異常に高くなっている人がその地域にいないか
調べてから出かける 居たらなるべく方違えるかエンカウントしないようにできるだけ工夫してから出かける
情報の流れる拡散性の速度やスパムID垢の背景とかクラスタ階層や流れ、方向性 炎上記事仕込みシステムとかにも気をつけながら書いている
増田に書かれている記事ほぼ全記事をヲチしてるのが流す情報を炎上系記事まとめサイトがチェックしてるから増田にも滅多なことは書かない事にしている
だから「匿名」で書くわけですよ 鬼に「実名」を知られた人達がネットでどうなったか この十数年ずっと見てきたんで
そういう事があると知っている人達ほど「匿名」をdisって「実名」をやけに他人に奨めたがるんで
自分の「匿名」を守りたいから他人の「匿名での行動」も尊重する
見つけたのは超偶然。〇ヶ月前に流出騒動余波でリアルタイム検索で「〇田」入れてみたら
偶然出てきた
一見意味が無い文字の羅列に増田の多くの記事をほぼ改変していたけどそこで重要となってくるのは
取り巻きクラスタの属性と取り巻きクラスタが地理的に何処なのかと
ネガティブなイメージをクラスタ全体でマッチポンプ?してるんだよね……まぁ、現代っぽさがある。正直アホかって思うけど
「http://over-lap.co.jp/bunko/narou-award/」の検索結果 - Yahoo!検索(リアルタイム) http://realtime.search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=-1&oq=&p=http%3A%2F%2Fover-lap.co.jp%2Fbunko%2Fnarou-award%2F&meta=vc%3D
はてなブックマーク - 小説家になろう×オーバーラップ文庫 WEB小説大賞開催! http://b.hatena.ne.jp/entry/over-lap.co.jp/bunko/narou-award/
第一回オーバーラップ文庫WEB小説大賞開催 - 主にライトノベルを読むよ^0^/ http://d.hatena.ne.jp/nunnnunn/20131005/1380995266
世の中にはどうあがいても周囲の期待値に到底程遠く沿えない人達がいるわけですが
そういう人達がネットに望みをかけて現実に願いを叶えようとするときに起きる惨事(ネット炎上)
を「選ばれなかった人達問題」と呼んでいる
他人の職場や学校に電話して「抗議」とかいう名の嫌がらせをおこなったり
ネットでの評価や地位を現実に反映させる為に他人の揚げ足を探して取るような事ばかり書いたり
毎日延々と気に入らなかった人を性的に貶める書き込みをおこなったり
そんな事をケイゾク的に行っている人は日本のネットではせいぜい100人もいないというのが長年ネットやってきた実感だけど
一度上記に書いた人達に目を付けられたらやっかい長期間粘着される
で上記な人達が周辺クラスタにうろうろしてるの知ってる人達ほど