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はてなキーワード: もう一歩とは

2024-06-26

anond:20240626110956

もう一歩すすんでレースゲームが速いやつにやらせるくらいの感じ

F1のレーサーもやってるけどさ

2024-06-25

お茶大の件で

小山晃弘がノート記事書いて少々叩いたところで

セクハラ教授地位が揺らぐわけでもなんでもない

そういう所をもう一歩踏み込んで合法的実力行使に出たからひまそらあかねは凄いんや

2024-06-23

中国高校受験事情 その後

https://anond.hatelabo.jp/20231221122708

少し前にこちらに投稿した増田です。

先日甥は中考と呼ばれる中国高校受験に参加し、大方の予想に反し見事合格を果たした。

中国高校はいわゆる日本の進学高校に相当する。この辺は前回の増田に書いたので詳しく知りたい方は読んでみてほしい)

甥はかなりマイペース性格学校テストの結果がどうとか、合格判定結果がどうとか一切気にせずに、勝手気ままに宿題をしたりしなかったりという状態を堅持してきた。

甥の母親、つまり義妹はそれほど教育には熱心な方ではなかったが、甥の勉強に対する姿勢やら、甥の問題行動により毎週のように担任から呼ばれるはで徐々に焦りを感じるようになってきていた。

中学校化学実験のあった日、「甥の隣に座って一緒に授業を受けるように」と担任から義妹に対して通知があった。行ってみると保護者彼女一人だけで、普段から担任の言うことを聞かないので実験中に何かしでかすのではいかという心配から義妹を呼んだのだという。これが高校入試の大体3か月くらい前のことであった。

入試直前の一ヶ月は一対一の個人指導塾へ毎週通っていたらしいが、合格圏内にはあともう一歩というところから中々上に上がれない状態だった。

「あともう一息」「あと一歩頑張れば合格」というところまで来ているのだから、頑張って勉強に励むところを、甥は相変わらずの楽天家マイペースであった。ダメだったらダメ、受かったらラッキー。傍から見ると他力本願が強すぎるように見え、義妹もついに諦め宣言を行ったほどであった。

500名ほどの受験生中、上位成績者250~280名が高校進学ができるとされていて、甥は直前の予備試験では313位であり、担任の予想よりは好成績ではあったがもうあと一歩というところで、普段の授業態度を見るにつけこれ以上の成績は望めないと判断されていた。

甥は恐らく受験当日も特別緊張することな普段通りマイペース受験したのだと思う。

から聞いた話によると今年の物理化学試験は例年と比べて難易度が高く成績上位者でも手を焼いたらしい。この2教科で甥は大健闘を見せ奇跡合格を果たすことになった。

昨日甥が、義妹が経営する海の家の手伝いをしていたところに、彼の友達同級生が訪ねてきた。受験話題になり、甥の高校合格はこの同級生にしてみてもあり得ないくら奇跡的なことだったらしい。

この同級生普段甥はクラスでどうだったかを聞くと、毎日のように担任から叱責をされていたという。叱責があまりにも酷いので、当事者ではない他の生徒にとっても心的に負担の大きなものだったという。

その話を聞いていた義母は、甥に「そんな時はどうやって対処したの?」と聞くと甥は「空気になるだけだ」と答えたという。

甥が私の住む北米辺境の町に来週遊びに来ることになっている。

滞在期間は一ヶ月。前回会った時は彼が小学3年生でまだ小さかったが今は私の身長を追い越してしまった。

一緒に夕日を見ながら祝杯を挙げたいと思っている。

2024-06-10

anond:20240609181437

なあ、このホッテントリ増田を読んだか?

110年前の女性の投書「女にモテない夫を持った私の感想

anond:20240609163552

 

裕福な家に生まれ、金の力で美人の嫁をもらい、いい暮らしをさせることで

嫁に尊敬されていると思い込み、内心では馬鹿にされきっている哀れな男の話だ

まあ、100年以上前の男なんて、嫁が表立って反抗しなければ、女の内心で

どう思われているかなんてどうでもいい話だったのかもしれん。

男女の地位に大きな差があり、女の内心というものがあまりにも軽んじられていた時代には、

「妻が性的に満足していない」なんてのは妻が我慢すべき問題だったのかもしれん。

 

現代のお前もそうなのか?

嫁がダメ出しをせず、表面上お前を傷つけなければ、内心で不満が溜まって

馬鹿にされ続けてもいいというのか?

違うだろう。男が求めるものは、今も昔も女から尊敬だ。

大きな獲物をとってこれる。金を稼ぐ。共に暮らすパートナーとして頼りになる。

そういうことで信頼と尊敬を得ていくんだ。

そして、男には女から尊敬を得るためのもう一つの手段があるんだ。

 

お前は皆が欲しがるものを持っている。性に積極的な妻だ。

そこからもう一歩踏み出すだけで、妻からの無条件の尊敬まで得られるというのになぜやらないのか。

女をぐぅの音も出ないほどイカせてやりたいと思わないのか?

もう無理と懇願されても攻め続けてなんどもイカせ、

ぐったりしながら潤んだ目でこちらを見る妻の姿を想像したことはないのか。

一度でもそんな経験をすればお前も変わるだろうよ。

 

持続力がない。性器が貧弱だ。体力がない。勃起が続かない。

そんなもの現代文明社会において大した問題じゃない。

ローター、電マ、テンガエッグディルド、ウーマナイザー、バイブ、

それらの文明の力を駆使してでも、妻をイカせることに喜びを見出せよ。

妻に尊敬される男は皆やっていることだ。

「手をつないで寝るだけで嬉しい」はぁああーーー??

手を繋いで寝た男を女が尊敬するか!!!

自分の体をつかって、自分意思で、望んだ以上に気持ちよくしてくれる男を女は尊敬するんだよ!!

快楽に屈服した女はエロいぞ。

2024-06-01

anond:20240531164028

今回の反応はフェミvsアンフェみたいな構図じゃなくて、ブクマカのいつものコミュ障なところが発揮されてるだけだと思う

まず大前提として、良い大人は困ってるお婆ちゃんを気にかけるのは当然のことながら、彼女のことも普通にケアするし(平均的なコミュ力があれは両立は別に難しくないのよね)、それを非難されたところで気にしない(そもそもネットに書いたりしない、という話は置いといて)。元増田は「お婆ちゃんを助けた自分は正しい。認めない奴は悪だ」って態度だからまあもう一歩足りないよね

で、ブクマカの反応をまとめると、増田と似た視点で「正しいものは正しい、文句言う奴は倫理観が無い」みたいなゼロイチ思考の人と、"良い大人"の視点で「善行は良いけど増田も幼いよね、頑張れ」と言ってる人がいる感じ。後者ちょっと相対主義にすぎる気もするが、前者は視野が狭すぎるのでもうちょっと想像力と寛容性を持つべなのは間違いない

単純な増田支持派vs彼女支持派とか女叩き派vs男叩き派みたいな構成じゃないから、仮に男女逆でも反応は変わらんと思う

2024-05-27

anond:20240527114847

ごめんなさい。筆者男です。嘘ではありません。

女と思った方は間違っています

証明することはできませんが、男子トイレに「もう一歩前へ」みたいな張り紙があることを知っています

下ネタみたいでごめんなさい。他に証明の仕方がないので。

2024-05-25

anond:20240525103634

ごめんなさい。筆者男です。嘘ではありません。

女と思った方は間違っています

証明することはできませんが、男子トイレに「もう一歩前へ」みたいな張り紙があることを知っています

下ネタみたいでごめんなさい。他に証明の仕方がないので。

2024-05-24

ごめんなさい。筆者東大卒です。嘘ではありません。

高卒と思った方は間違っています

証明することはできませんが、男子トイレに「もう一歩前へ」みたいな張り紙があることを知っています

下ネタみたいでごめんなさい。他に証明の仕方がないので。

2024-05-20

anond:20240520165758

では「もう一歩前へ」なのか説明できますか?

清掃のおばちゃんならわからないでしょう

anond:20240520165540

ごめんなさい。筆者男です。嘘ではありません。

女と思った方は間違っています

証明することはできませんが、男子トイレに「もう一歩前へ」みたいな張り紙があることを知っています

下ネタみたいでごめんなさい。他に証明の仕方がないので。

2024-05-15

馬鹿自分馬鹿であることに気づかず、賢いとすら思う実例

漫画家フリーランスアーティスト業の収益構造を維持するために中小企業経営のような自転車操業を続ける必要がある二重構造である」という話をしたら(https://anond.hatelabo.jp/20240515193304)、それを読解することの出来ない馬鹿が、フリーランスアーティスト業なら何にでも当てはまることを漫画家特有事情かのように偉そうに講義してくる(https://anond.hatelabo.jp/20240515194535)という目に遭った。

 

 これがほんと、無知の知がないってことだよなあと思う。

 馬鹿が何故馬鹿なのかって言うと、自分が知らないこと、理解してないことが何かを理解することも出来ないから、自分視点が足りてないことが、何故か相手よりものがよく見えてる証拠になると本気で思ってるんだよな。

 

 まあただ、こんな抽象的なことを言うだけでは「自分客観的に見れないことはみんな同じだから誰も馬鹿かわからないことになる」とかって屁理屈言い訳に使われるので、もう一歩踏み込んだ話をしよう。

 

客観性のない馬鹿判別できる

 これを高精度で見分ける方法普通にあって、それはこういう風に「他人へのリアクションしか言いたいことを言えない」奴は大抵馬鹿ってこと。

 本当に他人より上の目線ものを考えてる奴なら、それを語るのには一次発信をする必要が出てくる。

 その必要を覚えず、他人へのリアクションコメントブコメトラバSNSリプライばかりして賢ぶってる奴は、ほぼ間違いなく100%自分を賢いと思い込んでる馬鹿

 反論されないところから相手の揚げ足を取ることばっかりやってて、本当に批判的思考力がつくことなんてないのよ。だって批判的思考力って、自分の気づいてないことを気づこうとする努力とか、それで磨かれたセンスことなんだから

 でもそれを、逆に考えてしまうのが真の馬鹿なんだよね。批判されないところから他人の揚げ足ばっかりとってるのが、成功体験から賢くて偉い証拠だと本気で思い込んじゃう。

 今のネットが駄目なのは、こういう馬鹿を増やすシステムからだね。

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-04-27

anond:20240427104352

いね

もう一歩進んで一つの論文はなんの意味もなくてそのジャンルを読み込んで判断を下せるようになるともっと偉い

そのレベルなら当然ネット匿名自称医者なんか見る価値ないってわかってるよね

2024-04-26

anond:20240426104657

ごめんなさい。筆者男です。嘘ではありません。

女と思った方は間違っています

証明することはできませんが、男子トイレに「もう一歩前へ」みたいな張り紙があることを知っています

下ネタみたいでごめんなさい。他に証明の仕方がないので。

2024-04-25

anond:20240425130309

だがもう一歩踏み込んで考えてほしい

「押しも」ってなんだ?

「押されない」ためには盤石さが必要だが押すか押さないかはただ自分の匙加減じゃないか

「押されぬ」だけで意味の上では十分なのでは?

「押しも」というのは単に語調を整えるための意味のない言葉ととらえると

「押しも押されぬ」でも別にいいんじゃないか?

2024-04-02

自分には才能がないと分かりきっているのに、どこかに自分が輝ける場所があるんじゃないかって薄く期待している自分が嫌い。

音楽を聴いたり、映画を観たりして、感情が揺さぶられて、気分が高揚して、楽しく生きてみようとする自分が嫌い。

希死念慮があって、もう一歩を踏み出したいのに、躊躇いだけは一丁前にある自分が嫌い。

街中を歩いているとみんなが前を向いて歩いているのが、時々、不思議に思うことがある。

不安感や不安定感がなくて、ちゃんと今を生きている。

自分は数分前の行動や数年前の発言をずっと正解だったのかって考えてしまうから、今を生きるのに疲れるし未来を見通すほどの余裕が残念ながらにない。

どうやったら気楽に生きられるのだろう。

2024-02-28

大学生向けのいろいろ

anond:20240228101927

ただし、どこも比較エリート層の大学に限るんだけどな。

多様な「家族」や「子供」に接するプログラム

核家族化して親戚活動が少なくなったことで、身近に結婚している若い夫婦がいないというケースの一方で、ネットステレオタイプにまみれた不幸な結婚論ばかりが溢れている。

そのため「食わず嫌い」みたいなことが起きている

そこで、ごくありふれた結婚している若い夫婦の例を紹介したり、話を聞いたり、家族の短い旅行に同行したり、家に遊びに行ったり、と言う付き合いを通して、結婚というものを身近に感じてもらうと言うプログラムがある。

これは結構有効らしく、受講した人は結構早い段階で結婚して子供を作っているそうな。

恋愛学なる授業を実施

ズバリ恋愛学としていて、ガチ単位がもらえるところからコミュニケーション学として軽いスクールとしているところまで様々だが、きちんと順序立てて恋愛とはなにか、家族とは何か、結婚とは何かを教えると言う活動をやっている大学がある。

中にはもう一歩踏み込んで、共同の合コンみたいな合宿を用意しているところもあるとか。

社会問題として捉えて、高校生までだとなかなか教えづらい部分(生殖に適した年齢の話など)もタブーに切り込みやす大学の良さをいかしてやっているらしい。

同窓会主催集団お見合い

卒業した後に出会いの場を提供するこのような会をやっている所があるそう。

2024-02-26

将来クレーマーになりそうで怖い

コーヒーチェーンにモーニング行ったら、

①前の2人組(日本語からなそうな外人)が何を発券するでも無く、ちょっとのゴタゴタの末案内されて行った

入口横に何かの発券タブレットは見えたが、「テイクアウトが云々」って文字が真上に見えたのと明らかに入店を察知した店員2名(どちらも忙しそう)が何も言わなかったので、入口横に避けてただ待つ

③後から来た人が入口で戸惑ってたら「発券してお待ちください」って言われて自分より先に発券

しょうがねえなと思いつつ発券したけど待ってる間にイライラが募って行ったので退店

で滅茶苦茶イライラしててあと一歩で店員にキレかかる所だったんだけど、今別の店でモーニング食べながら考えると②でどうすりゃ良いか聞けば良かっただけで、自分の予想と違ったからってキレそうになるのもう一歩クレーマーだなと思い認知が下がる将来が怖い

世の常に温和な爺さん婆さんはどういう精神状態を身に付けてあぁなったんだろう

2024-02-14

anond:20240208215941

トイレもう一歩前へを下ネタ扱いする奴始めてみた。

いかにもお気持ち女さんじゃん。

トイレは綺麗に使いましょうみたいな啓蒙ポスター下ネタとか、どんだけ性的な物嫌ってるんだよ。トイレNGかよ。

まぁ、異性同性問わず付き合ったこと無さそうな腐なんだろな。

anond:20240212203522

わかる。みてればわかるだろ。

でもそれは一観客としての自分だ。

たとえば外国映画だとわからない人もいるだろう。

国が同じでも格ゲーとか。ちょいちょい挑発しぐさを入れるのはそれでゲージためてるとか、やってみないとわからないことがものごとにはたくさんある。

それを事前に知りたい人もいるわけだ。

もう一歩ふみこむと、観客としては見るともなくみて流すシーン、

つくるとなるとどうやればこんな表現ができるんだろう、すんなり入ってくるようにするには?となやんだりする

から言語化してくれるというのはけっこうありがたいものなのである

ただ「不穏なシーン」といえば済むことなのに「死ぬ!ほら死ぬ!」と騒ぐのは

こどもっぽいというかうざいので実際のところあまり見ないけど。

2024-02-13

anond:20240208215941

証明することはできませんが、男子トイレに「もう一歩前へ」みたいな張り紙があることを知っています。」

女臭すぎるだろw

2024-02-12

anond:20240208215941

はい女確定

この程度で下ネタかいう男はいない

ごめんなさい。筆者男です。嘘ではありません。

女と思った方は間違っています

証明することはできませんが、男子トイレに「もう一歩前へ」みたいな張り紙があることを知っています

下ネタみたいでごめんなさい。他に証明の仕方がないので。

anond:20240212210915

もう一歩前へのヨコに書いてある川柳ちゃんと知ってんのか?

anond:20240208215941

もう一歩前へのヨコに書いてある川柳ちゃんと知ってんのか?

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