はてなキーワード: おこらないとは
なんだかよさげーな
「あさげ」「ひるげ」「ゆうげ」のインスタントお味噌汁をかき混ぜるのに丁度いい
ひっくり返した反対側はスプーンになっていて、
ボールペン側のところ
これ洗うときどうしたら良いのかしら?って思う反面
器用にスプーンの面だけをボールペン側が濡れないようにして洗わないといけない、
よくよく考えなくても分かるような一瞬豪華そうなスプーン付きのボールペンなんだけどね。
でさー、
まあスプーン面を本気で使うかどうかはハーゲンダッツをレンチンしてほどよくな固さに仕上げて食べる
それはイチゴイチゴしたような中条あやみちゃんがシーエムしてそうなアイスクリームを
それで食べるのにはちょうど良さそうだけど、
お互い相反する性質を持ち合わせていて力を発揮しきれない
なんだか残念なお年賀なんだけど。
そんでボールペン側はそこそこ書き心地もよく
たぶんこれで小林一茶先生が良い俳句をさらさらとも書けそうなほど、
いや、やばたにえんなんだけど、
これって替え芯がないので、
ボールペンとして替え芯がないのであれば、
今押したい瞬間だけど、
「それインク使ってしまったらもう使えないタイプのえぐいボールペン!」って手のひらを上目にしてツッコむあのシーンを彷彿とさせてしまうんだけど、
本当に替え芯がないのが残念だわ。
何か対応しそうな市販の文房具屋さんで売っているような替え芯がなにかハマりそうな気がするけど、
なんだか何やってんだかってよく分からなくなってくるのよね。
そう言った替え芯ギャンブルは出来ないので、
やっぱりどう見ても、
使ってしまったらそれっきりもうそれっきりですかってなっちゃうわ。
せっかく小林一茶先生も認めてくれている書き心地のいいボールペンなんだけど本当に残念だわ。
年賀状もよ、
やっと肩の荷が下りたというか
いつも思うんだけど、
昨年内中に年賀状準備しておかなくちゃっていつも思うのよね。
だけど、
お互いに同時に到着したら、
だからせめてもと思っていただいた年賀状にアンサー返事年賀状を書いた方が
まだ話しが返事している分内容が噛み合うじゃない。
結構年賀状ってだから一方通行に情報や言いたいことを発信してる人多いし、
あんまり子どもちゃんとか知らない人の写真とかワンチャンとかネコちゃんは可愛いからいいけど、
送られて来てもとてもじゃないけど
話し急にかわるんだけど、
あれってどこで流行ってるんだよ!って思う言葉ばかりでって思っていたけど、
流行ってるとは言ってません新語ですからって意味での逃げ道でも
新語なのね
あーなるほど!
やっと新年になって合点がいったわ。
そっかーって落としどこよね。
なかなか考えたものね!って思っちゃった。
あーなるほどなるほど。
ランチでいただくぐるぐるに絡みに絡みまくったスパゲッティーパスタがほどけたようだわ。
あと知ってる?
オリーブオイルをかければイッパツよ!
まあ蝶々結びになってたら無理だけどね!
うふふ。
そういった時が急に不便になるのよね。
色々な組み合わせの役が作れるようにコインを準備しているんだけど、
たまーにそっち使っちゃってコイン補充するのを忘れているときがあるのよね。
そんなわけで、
レジも最新のヤツ導入しているところは
直に店員さんに手渡ししなくてもレジに入れるところがあるのよね。
なんだか不慣れな感じが一瞬ポンコツ具合が出てしまうのがカッコ悪いわ。
考えすぎかしら?
この時期はわりかし皮ごと使える国内産のレモンが出回っているので、
輪切りにしてホッツに浮かべてみたの、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
2日から今日まで休みだった。僕の仕事は、サーバ運用で、仕事納めが31日で、仕事始めが1日だった。幸いにして3日も連続で休めた。おそらくこの仕事をしているうちは、帰省も恋愛もおこらないだろうと漠然と思う。
たとえば、電車、小売りの人たちが年末年始も働く。それは見える。見えるから話題になる。電気、ガス、水道ほかいろいろ。動いて当然と信じられているすべての仕事は見えないのが大半だ。動いて当たり前ではない。僕のサーバ管理もこのうちに入る。動いて当たり前だと思われている。
そんなことはない。絶対にない。常に改善されている。ハードウェアは壊れにくく、壊れる前にアラートをあげてくれる。サーバ自体は仮想だから万が一でもサービスに影響はない。
僕の仕事はそこまでだ。
最近、その上のアプリケーションの作りが雑だと思う事件が増えた。維持運用の僕たちは、いろいろと資格を取れと言われる。業務のうちだし、資格はたとえ、今の場所を離れても、僕の身からは離れない。僕のために資格を取っている。ずっと勉強しているが、たぶん、こんなのは当たり前だろう。
一方で、アプリケーションは資格がない人が集まって作っているように見える。これだけ社会基盤になったのだから、いいかげんシステム設計、開発に資格が必須とされてもいいだろう。とりわけセキュリティ関連は資格が必須ではないだろうか。データファイルがインターネットに晒されていました、と言われても、それは僕の担当分野ではない。定期的に機械的チェックは行うけれど、そこまでで、そのレポートに対して対策が取られたかは報告は必須ではない。レポートを出すまでがこちらの仕事だからだ。
アプリケーションの設計が下手だと、運用に押し付ける「設計」を平気で採用する。そんなものは事故の元にしかならない。
そんな設計でどうして動いているんだろう。
ジョバンニは、口笛を吹いているようなさびしい口付きで、檜ひのきのまっ黒にならんだ町の坂を下りて来たのでした。
坂の下に大きな一つの街燈が、青白く立派に光って立っていました。ジョバンニが、どんどん電燈の方へ下りて行きますと、いままでばけもののように、長くぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニの影かげぼうしは、だんだん濃こく黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ふったり、ジョバンニの横の方へまわって来るのでした。
(ぼくは立派な機関車だ。ここは勾配こうばいだから速いぞ。ぼくはいまその電燈を通り越こす。そうら、こんどはぼくの影法師はコムパスだ。あんなにくるっとまわって、前の方へ来た。)
とジョバンニが思いながら、大股おおまたにその街燈の下を通り過ぎたとき、いきなりひるまのザネリが、新らしいえりの尖とがったシャツを着て電燈の向う側の暗い小路こうじから出て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。
「ザネリ、烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがまだそう云ってしまわないうちに、
「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」その子が投げつけるようにうしろから叫さけびました。
ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るように思いました。
「何だい。ザネリ。」とジョバンニは高く叫び返しましたがもうザネリは向うのひばの植った家の中へはいっていました。
「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。走るときはまるで鼠ねずみのようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがばかなからだ。」
ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯あかりや木の枝えだで、すっかりきれいに飾かざられた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼めが、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子ガラスの盤ばんに載のって星のようにゆっくり循めぐったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。
それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合せて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円形だえんけいのなかにめぐってあらわれるようになって居おりやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になってその下の方ではかすかに爆発ばくはつして湯気でもあげているように見えるのでした。またそのうしろには三本の脚あしのついた小さな望遠鏡が黄いろに光って立っていましたしいちばんうしろの壁かべには空じゅうの星座をふしぎな獣けものや蛇へびや魚や瓶びんの形に書いた大きな図がかかっていました。ほんとうにこんなような蝎さそりだの勇士だのそらにぎっしり居るだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いて見たいと思ってたりしてしばらくぼんやり立って居ました。
それから俄にわかにお母さんの牛乳のことを思いだしてジョバンニはその店をはなれました。そしてきゅうくつな上着の肩かたを気にしながらそれでもわざと胸を張って大きく手を振って町を通って行きました。
空気は澄すみきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、街燈はみなまっ青なもみや楢ならの枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山たくさんの豆電燈がついて、ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。子どもらは、みんな新らしい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛くちぶえを吹ふいたり、
「ケンタウルス、露つゆをふらせ。」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしそうに遊んでいるのでした。けれどもジョバンニは、いつかまた深く首を垂れて、そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考えながら、牛乳屋の方へ急ぐのでした。
ジョバンニは、いつか町はずれのポプラの木が幾本いくほんも幾本も、高く星ぞらに浮うかんでいるところに来ていました。その牛乳屋の黒い門を入り、牛の匂においのするうすくらい台所の前に立って、ジョバンニは帽子ぼうしをぬいで「今晩は、」と云いましたら、家の中はしぃんとして誰たれも居たようではありませんでした。
「今晩は、ごめんなさい。」ジョバンニはまっすぐに立ってまた叫びました。するとしばらくたってから、年老とった女の人が、どこか工合ぐあいが悪いようにそろそろと出て来て何か用かと口の中で云いました。
「あの、今日、牛乳が僕ぼく※[#小書き平仮名ん、168-12]とこへ来なかったので、貰もらいにあがったんです。」ジョバンニが一生けん命勢いきおいよく云いました。
「いま誰もいないでわかりません。あしたにして下さい。」
その人は、赤い眼の下のとこを擦こすりながら、ジョバンニを見おろして云いました。
「ではもう少したってから来てください。」その人はもう行ってしまいそうでした。
「そうですか。ではありがとう。」ジョバンニは、お辞儀じぎをして台所から出ました。
十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、向うの橋へ行く方の雑貨店の前で、黒い影やぼんやり白いシャツが入り乱れて、六七人の生徒らが、口笛を吹いたり笑ったりして、めいめい烏瓜の燈火あかりを持ってやって来るのを見ました。その笑い声も口笛も、みんな聞きおぼえのあるものでした。ジョバンニの同級の子供らだったのです。ジョバンニは思わずどきっとして戻もどろうとしましたが、思い直して、一そう勢よくそっちへ歩いて行きました。
「川へ行くの。」ジョバンニが云おうとして、少しのどがつまったように思ったとき、
「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」さっきのザネリがまた叫びました。
「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」すぐみんなが、続いて叫びました。ジョバンニはまっ赤になって、もう歩いているかもわからず、急いで行きすぎようとしましたら、そのなかにカムパネルラが居たのです。カムパネルラは気の毒そうに、だまって少しわらって、怒おこらないだろうかというようにジョバンニの方を見ていました。
ジョバンニは、遁にげるようにその眼を避さけ、そしてカムパネルラのせいの高いかたちが過ぎて行って間もなく、みんなはてんでに口笛を吹きました。町かどを曲るとき、ふりかえって見ましたら、ザネリがやはりふりかえって見ていました。そしてカムパネルラもまた、高く口笛を吹いて向うにぼんやり見える橋の方へ歩いて行ってしまったのでした。ジョバンニは、なんとも云えずさびしくなって、いきなり走り出しました。すると耳に手をあてて、わああと云いながら片足でぴょんぴょん跳とんでいた小さな子供らは、ジョバンニが面白おもしろくてかけるのだと思ってわあいと叫びました。まもなくジョバンニは黒い丘おかの方へ急ぎました。
日本語の処理がぜんぜんだめだった
Mendeleyで日本語が打ち込めない
LibreOffice Writerでもほぼ同様。日本語を打つとおそろしく動作が重くなってほぼ使えなくなった
Ubuntuではそういうことはおこらないので、文字コードの処理問題なのだろうが、細かいことはわからない
日本語話者のユーザーベースがないってことはこういう文字処理の蓄積がいっさいないってことなんだなと、実感としてわかった
他のところは、というかKDE Plasmaはけっこう好きだったのだが
F12キーを押すとターミナルが上から降りてくるところが微妙にうざかった
このポジションだとブラウザを見ながら文字が打てなかったので自分には使い物にならなかった
というわけで今はUbuntu + xfceで快適に過ごしている
Ubuntu + Unityでは古いPCのスペックだと重すぎて無理だった
おわり
でも自称だったり医者や学者が事実を調べての発言だったら許されるよね
それは「勉強したかどうか、発言に責任があるかどうか」で判定されるんだよ
「デブは早く死ぬ」、という言い方は許されないが、医者や勉強した人が「メタボリックシンドロームになっている人は成人病リスクが高く平均余命も短い傾向にある」、と発言するなら事実として許容される
森氏も「女性は競い合うように発言する傾向があるが、内容には傾聴すべきことがないわけでもないから、会議時間をゆっくりとって全員に発言のチャンスを与えるか、事前にアンケートで議題をとりまとめておこう」
というのなら文科省の指示に対して責任をとろうという態度にみえたので全く結果は違っただろう
おまえがやってるのは単なる言葉狩りだがそうやって辞書から言葉を消してもなにもおこらない、不毛なだけ
本当に推進するべきなのは各個人がネットに踊らされないリテラシーの習得と敷衍
終わり
MMTやリフレ論者のいう「今の時代供給は社会システム上絶対不足はおこらないから、需要喚起にインフレにするのがいい、金で買えるんだから消費が回る」って前提があるけど、それは衣食住に限った話で
承認欲求と欲望拗らせたSNSのネット民の男や女の願望を見てみろよ、金で買えるようなものか?
「値段がつけられるのであれば、家柄最高で性格最高でおっぱい大きい美少女女子高生と結婚したい、そのために必要な自己投資と努力が1000万円いるなら望んで出す」なんていう話があったとして、金出す出さない以前に警察すっ飛んでくるだろ?そもそも売り物でさえないわけで、MMTやリフレ論者から言えば、この場合警察は1000万円のビジネスを潰した経済テロリストって理屈になっちゃうわけだが、現実問題そんなもの叫んだって、法規制の問題が出てくるのに必要以上の需要なんか上がりっこない、クソほど規制が厳しくて、「空手教室」さえ禁止になったレベルで民業圧迫しまくった東ドイツやソ連見ればわかるだろ?
ネットで狂ったバカ女が「憎たらしい男性性とルッキズム丸出しの世の男ではなく乙女ゲーのイケメンのような家柄最高で性格最高で自分一番に思って立ててくれるイケメンな若い男に姫、姫とチヤホヤされたい、金ならいくらでも出す」といったって、そんなものそもそも存在しないし、役者に金払ったってそれは演技だから嫌ァァァ!!!って言う訳だから金では買えないわけだろ?だって売り物じゃないんだから、家柄とか金でどうしようもない価値の先にある需要になるから、これも需要として成立しない、イケメン捕まえるためだけに日本赤軍のリーダーよろしく海外で諜報員として軍事訓練積んで、人生の全てを捧げてイケメンを諜報活動でクルージングして計画立てて襲撃して略奪婚するとかしない限り、そしてそれはもうマトモな行動ですらない
「物質不足が絶対おこらない」ってのはそれこそ100年位前の世界の話をベースとした時代の「日常生活品」の経済学理論で、それこそ量の不足が当たり前だった時代から社会の意識は一切変わらないのに、供給不足は絶対おこらない完璧な社会システムが完成した前提っていう、まずありえない想定で話してるからおかしいのよ
自分が資本家だとして、Twitterとかで延々ブツブツ言ってるいかにも発達障害とか底辺家庭上がりだなってわかる仕事できなさそうな意識高い系ITエンジニアたち見て、「ぼくのかんがえたさいこうのソフト製品・さいきょーのべんちゃーきぎょう」に1兆円融資するか?
既に上場して実績上げてる国内最大手の企業に1兆円投資した方が金が増えて戻ってくる確率あるんだから、そっちにするだろ
でも、MMTやリフレ論者がいってることは、インフレにさえすれば、前者の様なガ〇ジにも投資がされて経済が上を向くっていってるようなもん、常に金を稼げそうなもの作ってる企業や人なんて少数
そういう当たり前の何の悪意もなく普通の選択の末に格差が広がってるゥゥゥゥ!プロレタリア革命だ!全世界の労働者予団結せよ!とか言ってるようなもん
経済学の基礎とする前提理論が古すぎて、まったく時代に合わせられてないってだけだろ、100年前にパソコンなんかあったのかよ?IT業界なんかあったか?キャリア一発でもミスれば人生終了確定ってくれいの過酷な労働環境あったか?田舎で百姓やりゃなんとか食えてたって時代だろ?
差がある という単語だけならそれでいいはずだしこの単語自体に問題はなにもないはず
差がある から その差を 高いところから 低いところに 向かわせると 有益な副産物を得られる
差があると認識するだけでは記憶にさえ残らない風景の一つと同じなはずで 差に気付いたとしても 差という情報のみで思考も発言もおこらないはずだと先読みした結果に
「差がある から その差を 高いところ(高慢)から 低いところ(差別)に 向かわせる(問題・犯罪)と 有益な副産物を得られる(利害)」
差そのものがもう差別であり問題であり賠償問題だと繋がってる思考で「差が権利」だとか「差は権利」だとか指摘しているのでは
現状において指摘するだけなら指摘だけすればいいけれども その指摘も「差があると認識するだけ」と同じで「差がある」と発言した時点で一括で問題視するように 指摘をするという行為自体が「賠償を請求する」ような流れになっているかのように見える
脳をはじめほかの何にしても男性性や女性性があるような二つの同類が対照的に役割を分けている様子についてそれらが分担していることを平均する必要は本来ない
右手と左手が違っていて大きさや力が違う差について問題があるのなら 真ん中にちょうどいい一本の手足があればいいのかといえばそういうわけではないはず
右手が右側にあるのがうらやましく 自分自身は右側にあるべきはずだと心底感じているのだが 自分は左手なのだということが コンプレックスになったり解消すべき問題なのか得られるはずの権利が踏みにじられているのかといえば それは個人の感想であればそうなのであろうと肯定しかないと思うが あなたは手足がそんな主張をしたならば切断したりするだろうか
手足にとってもっともよい選択が あなた自身の人生についてもっとも良い結果をもたらすのだろうかと考えると 悩むところは多いだろうと予想される
性別の差も結局は個人の差であり その差をどう取り扱うべきかと役割でない行動をとるかどうかも個人の差で それぞれの個人の差がまとまり複合的に「ひとつの主張」となっているものが個人の枠をこえて発言したりされたり 見聞きしたりすることになるのではないかと思う
故にそれぞれに差はあるだろう それは個人において性別による差が どれだけ影響しているか差と 構造的な差と 方向性についての差 などを含んだ「個性の差」としての認識に間違いはないと考える
現状 差があると発言しただけで「奪うな補償しろ」と言われる構造がまん延していることも あるのだろうとは思う
集団に対して個人がほしいものを請求するとかわりに簒奪してきて自分に与えてくれるはずだそれが弱者をいたわる社会というものだというような考えがなくなり
弱者は弱者として貧者は貧者として持たざる者は持たざる者という役割ごとに置いて十分に社会的に貢献し それぞれに分類された充実感や幸福感を感じ満足すべきものだというような構造が社会にもたらされるまでは これは変わらないのではないか
情報として知ることができる距離が縮まり誰であっても隣人と感じることができるような社会に成長した今 幸福度とは隣人との比較で成り立つものではないという新機軸が発明されることが望ましい
けれども 個人的には 先般の「鬼滅の刃ブーム」のような平滑なアクセスを 出力をしぼり市場に他商品を流さず均一(独占)状態にすることで供給と消費の一本化から皆が平等な幸福感を得られるというような仕組みにシフトしていくことは あまり良いとは感じることができない
なるほど。確かに優しいとは違う感じだ。
家族に萌え絵画集を買う女子いるけどただしエロには全然手を出さない(成年済)から
あつ○のフェチマンとはみえてる絵師そのものが違うのかもしらん
(オレは興味が全くなくて見分けがつかない)
・なにもおこらない平和な日常のささいな報告だけでつまらないといわれててそんなに売れてない少女マンガ?(商業、pixiv、LINE)がとっかかりだったりする
自分は一度作品だけ買ってたけどそのtwitterみてると絵師さんとよばれて日々やりとりしてて自分もそこに安住しいつのまにか同人誌も
みたいなルート(1)
・ユーチューバーの公式アイコンかいててしょっちゅう絵を提供してる人でツイッター見てると以下略(2)
・スマホゲームに実装された一枚のキャラ絵から気に入って(3)
ハマると友達の口コミ、PIXIV、同人誌即売会イベントでできる範囲で集めている模様
オーストラリアに留学したとき、ルームメイトの女性がなんと下着を堂々と部屋に干し始めたのだ。そのシェアハウスには日本人男性が俺含めて二人いて、そのことで戸惑ったり、こっそりとニヤニヤしたりした。
するとどうだろう。男性を含む他のルームメイトからゴミを見るような目で見られるようになり、俺達はカースト最下位に転落した。
今考えればわかる。フェミが理想とする、女のブラジャーや谷間などをエロく見られない文化はおそらく存在し得ないが、それをエロく見てる男をカースト最下位のゴミとして扱うことで、それをさせないことは可能である。
なぜ欧米の女性がノーブラやキャミソール一枚で出歩いているのか不思議だったが、なんのことはない、それにニヤつけばカースト最下位に転落する恐怖があるので誰もやらないからだ。
本邦は酔っ払いを許容する文化圏である。人の下心、本音に優しい。そんな文化では先の下着干し事件のようなことはおこらないのだ