誰にも言えないからフィクション混ぜつつここに書く。乱文です。
私のスペック
20代半ば
見た目は普通だと思いたい
私が好きなのはイベントに参加すればオンリーワンCPになるようなキャラ達で世間的にはマイナー。でもpixivには作品件数がないわけではない。
ある日pixivで何度も読んでいた小説の作者さんのTwitterアカウントを見つけて即フォローした。その作者さんが表題の方で仮にAさんとする。
Aさんのツイートは主に仕事の愚痴であんまり見ていて面白いものではなかった。しかしAさんは私のことをフォロバしてくれてよくいいねやRTなどの反応をくれた。やがて通話をするようになって、Aさんとはたまたま家が近かったこともあり会うことになった。
会う前にAさんは「喪女なんですけど大丈夫ですか?」とDMで言っていた。保険だったんだと思う。そんなこと言われてじゃあやめときますとか言わないし言えるはずもない。私はAさんの作品が好きだから、喪女だろうと何も関係がなかった。
実際に会ったAさんは本当に絵に描いたような喪女だった。脂ぎった髪に毛玉の着いた真っ黒な服、すっぴんに眼鏡でなにより身体が大きい。100キロ近いと思う。
でも人格に特別問題は無いだろうと思って、Aさんとは定期的に会うようになった。
オタク話だけでなくプライベートな話もした。Aさんは同人特有の怖い話を沢山持っていて、その愚痴を聞いたりもした。Aさんは押しに弱いようでそういうのに巻き込まれがちらしい。Aさんはヤバめの話の通じない人間を引き寄せやすいようだった。
まず、Aさんに近づくと脂臭い。毎日髪を洗っていないのだと思う。イラッとする。
そして太りすぎているためか呼吸音がうるさい。イラッとする。
喋り方もボソボソとしていて、声が小さく聞き取りづらい。イラッとする。
Aさんは小説だけでなく絵も描くのだが、それがなかなか酷い。自分の中高生の頃の絵を見ている気持ちになって直視できない。デッサンがどうとかの前に配色センスが絶望的だ。
同人をやってない人の前で萌え語りをしだす時がある。やめてほしい。空気が読めないタイプなのかもしれない。
などなど、挙げ出すと沢山ある。
でも私のいるジャンルは人が少ないし、Aさんの小説は好きだ。悪い人ではないと思う。ただ、私にとっての「いい大人だったら最低限こうであれよ」という像から外れたところが多いために気に障ってしまうのだと思う。
少し距離を置きたい。でも界隈は狭いし、彼女の小説は好きなのだ…。
以上、愚痴でした。
森脇進一30歳は、東大に受からなかった土建作業員である。 東大法学部教務課に、母親がいる。平成24年に、刑訴法の井上正仁が法学部で学部長をしていると、
東大生同士が頭の後ろを刺し合っていた、という夢を流すのだが、どうやって構成して流しているのか分からない。
それから佐藤によると、みんな起きているという。何を言っているのか分からない。
マンションという、ものの、6階にいる。 大体が、ものである。 自然なものではない。つくられたもの。そういう顔をしている。
あんたなんや、そうやって、永山悟がいう。しかし、永山悟はつくられたものかどうか分からない。 文Ⅰ~理3の集合写真は部屋にある。 受験生時代はいもだったのに、写真の写り具合で
東大生時代に、おまえなんかみたことがない。 確かに、駒場キャンパスは、激臭だった、しかし、法学部とかで、みたことがない。なんで、お前みたいな奴が、いるのか、そうやって疑うが、返事がない。
平成15年から、確かに、理科一類の大部分に、そういうのがいた。しかし、文系では、みたことがない。数理科学の授業に潜り込むと、危険な目つきで、こっちをみてくる。
■追記あり 自分たちは言及を免除される特権階級と思い込む5ch民
5chのとある漫画スレでレスしようとしたら、書き込みが規制されていたので同作品を連載しているアプリのコメント欄に書き込んだ。したらスレへの批判はスレに書けよってめちゃくちゃキレられた。
(そのアプリのコメント欄はid制じゃないじゃないから匿名度合いが5chに近い。)
自分たちは普段アプリのコメ欄の具体的な意見や書き込みをバンバン挙げながらこれでもかというほど叩いてるくせに何様なんだ
5chのウォッチ系スレが基本言及されないのは顕名で匿名に対抗しようとするとさらに匿名が集団で顕名の個人をタゲって集中砲火でぶっ叩いて普通の人は滅入ってしまうからであって、5ch民に特権があるわけじゃねーよ
ブクマカ誤読しすぎ ×「アプリ民が『5chの話を持ち込むな』とキレた」 ◯「5ch民(というか多分、5chでアプリ民をヲチって人格否定して増田に批判された人)が『5ch民をアプリでヲチるな』とキレた」
https://b.hatena.ne.jp/entry/4721988001198519554/comment/brightsoda
キレたのは5ch民だろうに
スレ民がアプリのコメントをdisる→増田が反論しようとしたらスレでレスできなかった→アプリコメント欄でスレの事を晒してスレ民に反論をする→スレ民がアプリコメントを見て「スレでやれ」とキレる…という流れ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4721988001198519554/comment/rag_en
多分増田はレス相手がキレたって話してると思うんだけど、ブコメは他人がキレた想定で書いてるので盛大にすれ違ってる
https://b.hatena.ne.jp/entry/4721988001198519554/comment/jaguarsan
そのあとそのネラーの誰かがその書き込み(元増田批判)をアプリのコメ欄にもコピペして特攻してきてたけど。
追記2
タイトルは当初のものから修正されていて、修正後のタイトルと追記以外だと誰がキレたか確定しないような。元々のタイトルがどんなのだったか忘れたけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/4722007170722166434/comment/daydollarbotch
タイトルは追記と入れた以外変えてない。そもそも最初は無題だったから、ブックマークからは本文文頭がそのまま表示されていたと思う。それをタイトル変更したように錯覚したのでは
増田の一行目の説明が足りてなくてよくわからない。/追記されても後出しジャンケンでしかなく、元の文書にはこの情報ないよ… → https://anond.hatelabo.jp/20220706131120
https://b.hatena.ne.jp/entry/4721988001198519554/comment/deamu
意図するところが伝わってる人といない人がいたから追記で補足したら“後出しジャンケン”なのか?何に不満があるのかよくわからない。
Permalink | 記事への反応(17) | 07:19
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220706071916
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220812134927
テ型の言いさし表現(言いさし文)
〜で。〜して。〜くて。〜あって。という文章めちゃくちゃ嫌悪感ある
名称教えてくれてありがとうございます
結婚相談所で婚活やってて、遊園地デート行ったんですよ。4回目のデートで。
内容自体は楽しかったんだけど、帰りの電車の中での相手の女性の発言でどうしてもモヤモヤしてしまう点ができて、
次会うか迷ってる。
『仕事が雑用みたいな感じでやりがい感じてなくて、辞めたいと思ってて』
「そうかー、俺も辞めたいって思う瞬間結構あるよ。わかる」
『でも実際にやめてないって事は私よりしんどくないってことだよね?』
「いや、そういうわけじゃないけどさ…」
『明日も行くのしんどいなぁって思うから、今からちょっと上司に休むってメール送ろうかな?
送るよ?送っちゃうね。』
「…」
なんで俺にそんなことをわざわざ言うんだとか、俺だって死ぬほど辞めたい瞬間山ほどあるわとか
いろんなことを考えたけど、モヤモヤの根本は婚活の男女の不均衡さによるものかなって思った。
男性側が仕事辞めたいなんて言ったら、すぐ交際終了になってしまうのに、っていう。
大体、結婚相談所の登録の条件も、男性だけに「定職についていて」って要件が義務化されてるのおかしいんだ。
基本的にどこの相談所も「男性側が頑張ってエスコートしましょうね」って案内するし。
普段周りに出会いないし、早く結婚したいから結婚相談所での婚活を選んでるし、
こういう場で婚活をやることを選んだ俺が悪いっていうのもあるかもしれないけど、
IBJとかの連盟が提供する仕組みが全体的に時代に合ってないと思うわ。
マジでそういう本質的に男女平等な結婚相談所ビジネス立ち上げようかな。
https://anond.hatelabo.jp:443/20231124001017
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:https://anond.hatelabo.jp:443/20231124001017
スペック:年収は280万ぐらい、貯金ほぼなし、ひとり暮らし、小デブ、顔は下の下(目は普通だけど顔の下半身が超ブサイク)
ゲーム実況者のオタク、男性VTuberの配信もみる、一人でディズニー行くぐらいにはディズニーが好き
今まで年齢=いない歴、当然性経験もなし、なんなら異性の友達も一人も出来たことがないから関わり方も分からないという状態でも恋愛をしたいと思ったことすらなかったので気にしたこともなかったのだけれどアラサーにさしかかり仕事で自分より年下の若いママさんを見かけることが多くなりこのままだとマズイのでは…?と思うことが増えた
高校生の頃、外見に無頓着で今よりもっと芋臭かったため授業中にうとうとして目を瞑った顔が相当ブサイクだったのか前に座っていた男子が自分の隣に座っていた男子に「コイツwww」みたいな耳打ちをしていたのが聞こえてきたのが若干トラウマみたいになっていて男性が少し怖い
高校は共学だったけれどそんな調子だったため異性の友達も出来ず大学は色々あってほとんど通わず半年で退学してしまったので交流関係は広がらず、今の職場は職員が女性しかいないので出会いもなし
今の時代マッチングアプリなどすればいいのだろうけれど知らない男性と会うこと自体が怖い、世間知らずだからヤリモクの見分け方もわからないし
男性との関わりが極端に少ないせいもあるけれど同世代の男性と話すだけで顔が赤くなってしまうのが自分でもわかる、多分自分に自信がなさすぎるのも原因だと思う
親は諦めているのか何も言わない、そもそも折り合いが悪く恋愛の話を両親と一度もしたことがない
ただ性欲だけは一丁前にあるためほぼ毎日のように自慰行為をしてしまってその度に罪悪感に苛まれている状態
どうやったら人を好きになれるんだろう、正直誰かの前でこの汚い身体を晒すこと自体に抵抗があるし誰かの性器を口に咥えたりするなんて考えたくもない
女性と男性の微妙な価値観の差異は、死との距離に起因しているのではないかしら。
例えば、平均寿命。これは全世界のどの国においても男性の方が短くなっている。男性の方がより早く死ぬし、女性の方が遅く死ぬ。男性の方が死に近いのである。
例えば、自殺率。これもまた殆ど全世界のどの国においても男性の方が高い。しかも圧倒的に高い。日本でもそうで、日本人男性の自殺率は女性の二倍以上である。男性の方が死に近い。
また、職業に関しても、より肉体を疲弊させる労働に就くのは男性である。軍務などが代表的で、現状行われているウクライナとロシアとの戦争や、イスラエルとハマスとの戦闘において、『リスクが高い最前線の戦闘』を担っているのは90%以上男性である。男性の方が死に近い。
基本的に男性というものは死に近いのである。男性は女性よりも死にやすく、女性は男性よりも死ににくい。
我々男女の間には、体重や身長以上の目立った差は無いのだと主張する人々は少なくないが、しかし我々には大きな違いがある。死がその代表的なものだ。
字下げ増田
一部で話題になっているけど、まだ大きく報道はされていないのでここにメモしておく。
企業版ふるさと納税を悪用した寄付金還流スキームでDMMグループが儲けちゃってるという話。
自治体に企業版ふるさと納税をすると、9割税額控除を受けられる。簡単に言うと、寄付金の1割だけ負担して地域貢献したよって宣伝できる感じ。
企業版ふるさと納税は自治体の立案した寄付対象事業に寄付を行う形になるのだが、DMMはこの仕組みをうまく使っている。
どうやるかというと、寄付対象事業に寄付しておいて、その事業をDMMグループの会社に受託させる。そうすると、事業の受託料として寄付金を取り戻すことができる。
自分が寄付した事業を自分で受託するのは、事業の受託者を決める入札がきちんと機能していれば別に悪いことではない。
実際には、この入札をコチョコチョしている部分がかなりまずそうだと感じている。
国見町は、救急車を12台買ってきて、それをよそに貸し出す事業を企業版ふるさと納税の寄付対象事業としていたのだが、そこにDMMグループの企業が約4億円の寄付を行った。
そして、その寄付対象事業は入札によってワンテーブルという会社が受託者となった。
ワンテーブルはDMMグループとは資本関係はないし、救急車を製造している会社でもない。
DMMグループには救急車を製造しているベルリングという会社があって、落札したワンテーブルは救急車の製造をDMMグループのベルリングという会社に再委託することになった。
ワンテーブルを介しているのでワンテーブがマージンを取るは思うのだが、最終的には、ベルリングという会社に救急車の製造代金が入ってくる。これでDMMグループに寄付金が還流することになる。
ここまで、入札が正常に行われていれば、別に問題は見当たらないのだが、まずいのはここから。
入札に当たって、町の求める救急車の仕様がベルリングが製造する救急車のものに寄せられていた、つまりは、ベルリング製の救急車でないと入札ができないようになっていたのだ。
どうも町とワンテーブルとベルリングは事前に仕様のすり合わせを行っていたらしく、入札そのものが出来レースになっていた可能性が高い。
町は寄付金を右から左に流していて無傷ではあるのだが、ワンテーブルは救急車の代金のマージンを取れてうれしい、DMMは寄付金の大部分を売上として取り戻して税額控除も受けられてうれしいということになる。
損をしているのは法人税を控除した国になる。この言葉はあんまり好かないのだがまさに「公金チューチュー」である。DMMとワンテーブルで吸い取った公金を分け合っている形だ。
ワンテーブルの社長がいろいろ口を滑らせたことで、このことが発覚してしまい、国見町ではこの件を調査する百条委員会が設置された。
最初は百条委員会を設置する前に第三者委員会も設置して調査していたのだが、町の関係者が非協力的で埒が明かなかったらしく、ここまで来てしまったということらしい。
結局この件は、官製談合に当てはまってしまうと思われるので、もしかするとお縄に付く人も出てくるのではと思う。税額控除を受けたDMMグループも官製談合だと認められたら、税額控除も取り消されるのではと思っている。
というか、スキーム見る限りブラックに近いグレーなので、この百条委員会の結果によっては全国的なニュースになるんじゃないかな。
(追記)
■四十代で婚活してる
事情は色々だろうが、結婚の意思はあっても独身生活を愉しんでいて、結婚の必要性がない人が多いのではないか。
40代だと子供を作る気持ちも、比重としては小さくなるから、尚更。
独り身が長いと癖や拘りも強くなり、相手選びも難しくなる。
高学歴な人だと、相手に同じ程度の知的水準とか会話レベルを求めてしまい、妥協よりも独身をとるほうが合理的かもしれない。
それでも結婚へのモチベーションがあるのは大抵、外圧か、孤独感だと思う。
自分は前妻の有責で一度離婚を経験したのだけど、離婚後しばらくは、また結婚したい気持ちなんて本当になかった。
同居しないと見えない部分があるのもそうだが、前妻の問題行動が多すぎて、結婚生活が本当に苦労しかなかった。
今年でちょうど40歳。子供がほしい強い気持ちは正直ない。かと言って、ほしくないかと言われれば違う。相手次第だと思ってる。
でも、歳の差があると会話も難しく、年齢が近い人だと、そもそも子作りに前向きな年齢でもない。
それに、子供がほしいという理由で若い女性を狙うのは、自分のエゴしか考えていない気がして、何だか違う。
最近、結婚の必要性を考えてる。兄弟も結婚してるし、友人も同僚も、ほとんど結婚してる。
いい歳して独身だと風当たりが厳しいのも事実で、でも、そんな世間体を気にしてパートナーを探すのか?
ただ、家族がいるとほっこりするのもそうだし、ともに人生を歩める人が身近にいるといいな、とは思う。
なので、婚活を最近始めた。よく知らんけど、アプリを使ってる。
現状、二名の方と会った。
Aさん
2歳年下。会うと、プロフの写真より肥満体型であるのが分かった。
というか、体型が目立たない撮り方をしていたようだ。
話すのが好きなようで、僕が聞き役になることが多い。
Aさんは自分が喋りすぎることを気にしていたが、僕は別に気にしていないし、むしろ楽だった。
知的な会話はなく、漫画だったり、食べることだったり、お出かけが好きらしく、話題はそういう方面。
別に嫌な印象は一切なく、むしろ人柄としては好印象で、子供っぽさが少し気にはなったが、
ただ、会話のレベルが少し違うかな?と内心感じ、これだと今後続くかな?と思った。
あと、それよりも不健康な体型が気になってしまい、二回目のお誘いも受けたが、スルー。
ま、僕の器量がないだけだろうが。
Bさん
8歳年上の女性。年齢差は気にはなったが、プロフの写真の雰囲気も好みで、趣味も全く一緒で、アプローチ。
先方も自分に興味を持ってくれて、会うことに。
話し好きな人で、会話のスタイルを見てると相手を分析するのが好きそう。
ただ、管理職でもあるせいか、話していて、何だか上司と部下みたいと感じてしまった。
でも、印象は良かったから、二回目も会うことに。
3000円台/1人くらいのオサレで少し高めのイタリアンでランチし、博物館デート。
自分はデートの時、毎回毎回一球入魂してしまうのだが、良いお店探して、予約して、
お代は当然全部僕が払うし、チケットも事前に手配しておくし、
相手の好きなデート場所を聞いて探して提案するのだけど、楽しかったそうで、二回目も喜んで貰えた。
癖強めで、姉御肌で、仕事が好きで、独身でも人生を愉しんでるようで、
でも、40代の独身者なら、さもありなん…とは思いつつも(自分だってそうだし)、
ただ、どうしても、歳の差が気になってしまった。
最初、趣味がすごく合いそうだから、歳の差があっても大丈夫なのではと思ってたけど、
当初考えていたより、何というかギャップの大きさを感じ、ちょっと難しいかなと思うに至る。
Bさんからはその後もメッセージが来ていたから、三回目デートもありだったと思うけど、スルー。
始まったばかりだし、これからか。
気をつけることがあるとすれば、僕の性格が「優しい」という理由でパートナーにしたいという人がいたら、
仮に良さそうな人であっても、よく考えてからにしたほうがいいと思う。
漆掻きと云ったって都会の人は御存知ないかも知れませんが、山の中へ這入って行って漆の樹からうるしの汁をしぼるんです。いいえ、なかなか、百姓の片手間ではありません。ちゃんとそれを専門にする者があったんで、近頃はめったに見かけませんけれども、外国の安い漆が輸入されるようになったそうですから、いまどきあんなことをしても手間ばかりかかって引き合わないんでしょうな。兎に角以前には私わたしの村なんかへもよく漆かきが奈良あたりからやって来たもんです。漆鉋うるしかんなと云って、鎌のようなもので先の曲った奴を持って、腰に三四合ぐらい這入る竹の筒を提げて、漆を見つけると、その鉋で皮へ傷をつける。それがあんまり深く傷をつけ過ぎてもいけないし、浅過ぎてもいけないし、呼吸物なんで、その傷口から松脂まつやにのようにどろりと滲しみ出て来る汁を箆へらですくって竹の筒へ入れる。そんな時にうっかり下手なことをやって汁が顔へはねかかったりすると、それこそ赤く脹れ上りますから、馴れた者でないと出来ない仕事なんでして、漆にカブレないように紺の手甲を着けて、すっかり紺装束で出掛ける。まあそんなことをする人間なんで、私の村にもその商売の者が一人住んでいましてね。此の男は遠くへ出稼ぎをするのでなく、村の近所の山へ這入ってはうるしを採ってくらしていましたが、或る夏の日に、その漆かきが一と仕事してから山の中でひるねをしていますと、夕立ちが来たもんですからふっと眼をさましました。そしてそのときに、ハテな、己はひょっとすると寝ていた間に狐に憑つかれやしなかったかなと、そう思ったと云うんです。それが別にどうと云う理由があるんではないんですけれど、淋しい所をひとりで歩いているときなんぞに憑かれることがよくあるんで、ただ何んとなくそういう感じがしたんでしょうな。で、まあ、家へ帰ってもそれが気になって仕方がない、どうも狐がついたようだから明神さまへお参りをして来てくれろとお袋ふくろに頼んだりして、友だちなんかにもそんなことを云っていましたが、そのうちにとうとう床について、飯も食わないようになったんです。それで先生布団をかぶって半病人のようにうつらうつらしながら、日が暮れると云うと、ああ、今夜あたりは狐が迎いに来やしないかな、今にきっと来やしないかなと、心待ちに待たれるような、妙にそれが楽しみのような気持ちでいると、案の定夜になってから友達のような男が三人ばかり表へやって来て、「さあ、行いこら」「さあ、行こら」と誘うんだそうです。尤も友達と云ったって見おぼえのある男ではないんで、みんなせいが三尺か四尺ぐらいの小男で、法被はっぴを着て、木や竹の杖をついていて、何か非常に面白そうに「行いこら行こら」と云うんですが、それを聞くと行きたくって行きたくってたまらなくなるんだそうです。けれどもアレは狐だから行くんではないぞ、あんな者に誘われてはならないぞと思ってじっと我慢していると、友だち共は仕方がなしに帰ってしまう。するとその後ろ姿に尻尾しっぽのようなものがチラチラ見えるようなんで、ああやっぱり行かないでいい事をしたと、そのときはそう思いながら、又あくる日のゆうがたになると、今夜も誘いに来やしないかなと心待ちに待つようになる。そうするうちに果たしてやって来て「行こら行こら」と誘うんですが、それがもう、さも面白そうなんで、ついうかうかと行きたくなるんだそうですな。しかしその晩も一生懸命に我慢してしまったところが、三日目の晩の九時頃に、家の前に庭があって、庭の下が六尺ばかりの崖がけになっていて、崖から向うは一面に麻の畑でした。それが夏のことですから麻が高く伸びていて、ちょうどその庭と畑とが同じ平面に見える。で、その畑の方へ例の小男が三人連れ立ってやって来て、「さあ行こら」「さあ行こら」と云うんだそうです。よくよく見るとその男たちの着ている法被に何か圓い紋がついていたそうですけれども、どんな紋だったか、そこんところはハッキリ覚えていないんだそうで、いつもの通りめいめいが杖をついていて、しきりにそう云って誘うもんですから、とうとうその晩は我慢しきれなくなってしまった。それでそうっと家を抜け出ようとしたときに生憎親父が小便に起きたんで、こいつはいけないと思って、「行きたいんだけれど、親父に見付かると面倒だから己は止すよ」と云うと、「なあに己たちが一緒なら大丈夫だ、こうすれば親父に見つかりはしないから、まあ附いて来い」と云って、その三人の友達が手をつなぎ合って、輪をこしらえて、その輪の中へ丑次郎―――という名だったんですが、その漆掻きの男を入れた。そして、「さあこうすれば親父が見ても見えやしないから心配するな、附いて来い/\」と云って連れて行くんで、ちょうど便所から出て来た親父とすれちがいになったそうですけれども、成る程親父には此方の姿が見えないようなあんばいだった。それからその晩は麻の畑の中で遊んで、いろいろ御馳走をしてくれたりしただけで、明け方には無事に家へ帰してくれたそうですが、四日目の夕方は日が暮れないうちから楽しみで楽しみで、早く誘いに来てくれないかなと思っていると、やはり昨夜ゆうべと同じ刻限にやって来て「行こら、行こら」と云うんです。で、又附いて行きますと、今夜はいい所へ行こうと云って、家のじき近所にガータロのいる淵があるんですが、その淵の方へ出かけたと云います。え、ガータロですか。ガータロと云うのはあれは河童かっぱのことなんです。ぜんたい私共の村は高野山の南三里ばかりの山奥にあって、私の字あざは一方が山で一方が谷になったゆるやかな傾斜面のところどころに家がチラホラ建っている。丑次郎の家というのも山と山の間にある淋しい一軒家なんでして、前に三四枚の段々畑があって、その先が今云ったガータロのいる淵なんです。別に名前のあるような淵ではないんで、村の者はトチ淵ぶちトチ淵と云っていましたが、さあ、どう云う字を書きますかな。何しろ大滝だとか赤滝だとか云って、非常に滝の多いところでしてね、その滝壺の下流が今云った谷の底を流れていて、淵になっているのはほんのわずかなところなんですが、そこにはいつも水が真っ青に澱よどんでいて、まん中に平べったい一枚岩が出ていました。ガータロはその一枚岩の上にときどき姿を現わすことがありましたから、たしかにその淵に棲んでいたには違いないんで、見た人は大勢あるんです。ええ、ええ、私も一遍見たことがありますよ。なんでも夏の日ざかりに山の上を通っていると、下の方にその淵が見えて、岩の上に変な奴がすわっているんで、「ああ、ガータロが出ているな」と思ったことがありました。さあ、そうですな、遠くから見たんだからよくは分りませんでしたけれど、人間よりは小さかったようで、まあ猿ぐらいでしょうかな。姿も猿に似かよっていて、ただ斯う、頭の上に妙な白いものが喰っ着いているんで、鳥打帽子を被っているように見えましたよ。ええ、ええ、よく人間に害をする奴なんで、私の知っている人でも、ガータロに見込まれて水の中へ引きずり込まれそうになったり、ほんとうに引きずり込まれて死んでしまったのもあるんです。これは餘談になりますが、その谷川の別なところに丸木橋がかかっていましてね。或る私の友人が夕方その橋をわたろうとすると、うっかり足を蹈み外して、水の中へ片足をついたのが、岸の方の浅瀬だったんですけれど、その片足を抜こうとしても水が粘ねばり着くようになって、どうしても抜けない。しきりに抜こうともがいているうちに、次第にずるずると深みへ引っ張られそうになるんで、ハテな、ガータロに見込まれると水が粘ると云う話だが、こりゃあガータロの仕業しわざだなと気が付いたんです。ところでガータロと云う奴は鉄気かなけを嫌うもんですから、そう云う時には、何んでも構わない、鉄気のものを水の中へ投げさえすれば助かるんで、ふっとそのことを思い出して、幸い腰にさしていた鎌を川の中へ投げた。そうしたら難なくすっと足が抜けたんで、真っ青になって帰って来て、実はたった今此れ此れだったと私共に話したことがありました。もうよっぽどの歳ですけれども、未だに達者な人でして、至って正直な、うそを云うような人間ではありませんから、事実そんな目に遇ったに違いないんですな。しかし此の男はそう云う訳で命を取りとめましたけれども、もう一人今のトチ淵へ篏はまって死んだ者がありました。十四五になる可愛いい女の児でしたがね。なんでも同じ村の餘所よその家へ子守りに雇われていて、めったとひとりで遊びに出るようなことはなかったのに、その日に限って、赤ん坊の寝ている間に出て行って、二三人の友達と一緒にその淵の所で鮎を釣っていたと云うんです。それが、おかしいのは、淵によどんでいる水が、ほんの一間ばかりの間岩の下をくぐって、すぐその先の方へ行くと滝のようになって流れ落ちているんですが、その女の児は淵と早瀬との境目にある岩の上にしゃがんで、瀬の方で釣ればいいものを、淵の方を向いて釣っていた。すると、友達の女の児もみんな同じ所で釣っていたのに、どう云うものか外の者には一向釣れないで、その女の児の鈎はりにばかり魚がかかる。外の女の児たちは詰まらないもんですから、此処は止そうよ、何処か別の所へ行こうよと云うんですけれども、その女の児だけは面白いように釣れるんで、夢中になっていつ迄も釣っている。そのうちにだんだん日が暮れて来ましたが、もうおそいから帰ろうと云っても聴き入れないんで、外の者はその児を置き去りにして帰ってしまった。さあそうすると、晩になっても姿が見えないもんですから、主人の家では心配をして、親元の方を尋ねさせると、其方そっちへも来ていないと云うんで、大騒ぎになって、いろいろ心あたりを調べると、実は晝間これこれだったと云う。外の児たちは云えば叱られると思ったんで、聞かれる迄黙っていたんですな。で、早速みんながその淵のところへ行って見ると、ちゃんと下駄が脱いであるんで、いよいよガータロに見込まれたんだと云うことになって、それから泳ぎの達者な者が体へ綱をつけましてね、ガータロが出たら合図をするから、そうしたら綱を引っ張って貰うように頼んで置いて、淵の底へもぐって行って、屍骸を引き上げたことがありましたよ。兎に角その女の児が鈎を垂れると、ほら釣れた、ほら釣れたと云うようにいくらでも釣れるんで、外の鈎にはちっとも寄って来なかったと云うんですから、そこが不思議なんですよ。あ、そう、そう、そう云えば、その前の日に、その女の児の親たちの家の屋根の上からその淵の方へ虹がかかっているのを、たしかに見た者があると云います。虹がそんなに近いところにある筈のものではないのに、ちょうどその家の上から出ているんで、何かあの家に変ったことでもあるんではないかと思っていたら、その明くる日にそう云うことがあったんだそうです。でまあ、そのガータロのいる淵の方へその漆かきは連れて行かれた訳なんですが、なぜだか知れないが死のうと云うことを考えて、今夜は一つあの淵へ身を投げてやろうと思いながら附いて行くと、大勢の人が提灯をつけて淵の方へぞろぞろやって来るんだそうです。それで暫く物蔭に隠れて窺がっていると、村長さんだの、伯父さんだの、伯母さんだの、親類の誰彼なんぞの顔が見えるんで、中にはもう死んでしまった人なんぞが交っているもんですから、おかしいなあ、あの伯父さんは死んだ筈なのにまだ生きていたのかなあと、そんなことを考えながら待っていましたけれど、提灯の数が追い追いたくさんになって来て淵のまわりをウロウロしている。この様子じゃあとても駄目だと思ったんで、「どうも死ぬのに都合が悪いから、今夜はもう帰る」というと、「そんならもっと面白い所へ連れて行ってやるから、まあ一緒に来い」と云って、棕櫚山の方へ引っ張って行った。その辺はいったいに棕櫚が多いんでして、大概の山には、高いのになると三間ぐらい、普通二間ぐらいの棕櫚と、一丈ぐらいの薄のような草が生い茂っているんですが、その茂みの中を分けて行ったら、山の中途に大きな岩が突き出ていて、友達の連中はその岩の上へするすると身軽に登った。だが見たところ丑次郎には登れそうもないので、「己はそんな高い所へ上あがれないから止める」というと、「なあに己たちが手伝ってやるから大丈夫だよ、上って見ろ/\」と云って、三人の小男が上から引っ張ったり下から腰を押し上げたりした。お蔭でどうやら上れることは上れたけれども、上る拍子に脛を擦り剥いたんで、今度はそれが痛くってたまらない。「痛い痛い」と云うと、「よし、よし、つばきを附ければすぐに直る」と云って、つばきを附けてくれたらじきに痛みが止まった。すると又咽喉が渇かわいて来たんで、「水が飲みたい」と云うと、「じゃ、まあ、ここで休もう」と云って、道ばたに休んで、何処から持って来たのだか直ぐに水を飲ましてくれたが、なんだかその水が小便臭かったそうです。で、その山を越えると、私の家の方へ下りて来ることになるんで、ああ、そうだったな、此処はもう鈴木さんの家の近所だなと、はっとそのときに気が付いたらしくって、「もう己は帰る」と云い出したところが、「まあいいからもう少し遊ぼう」と云って、しきりに引っ張って行くんだそうです。それでも無理に帰ると云って、とうとう振り切って来たそうですが、その晩も、その前の晩も、家に戻ったのは夜中の三時ごろだったそうで、いつも夜の明ける迄には必ず帰してくれたと云います。さて五日目の晩に待っていると、又「行こら行こら」と云いながらやって来て、今夜は伊勢へ連れて行ってやると云う話で、伊勢の松坂へ出かけて、何んとか云う料理屋の二階へ上ると、たいそう結構な朱塗りの高脚たかあしのお膳が出て、立派なお座敷で御馳走をたべた。それから街道を歩いて行ったら、此処はカノマツバラだと云うんで、見ると成る程松原がある。けれども、その時に斯う、ぼんやりと分ったのは、私の村から有田郡ありたぐんの方へ抜ける山路にヤカンダニと云う谷があって、めったに人の通らない淋しい所なんですが、そこをその漆掻きは前に一遍あるいたことがある。で、そう云う時にもいくらかその記憶が残っていたものと見えて、カノマツバラだと云うけれども、どうも此処はヤカンダニのようだから、「ヤカンダニじゃあないか」と云うと、「なんだ、お前はヤカンダニを知っていたのか。ではもっと外の所へ行こう」と云って、又方々を歩き廻って、「さあ、どうだ、此処がカノマツバラだ」と云われて見ると、今度は覚えのない土地で、松がずうっと生えていて、たしかに松原の景色になっている。しかしそう云う間にもときどき正気に復かえるらしく、己は狐に欺されているんだと云う考えがふいと起ることがあって、三人の小男の様子なども、人間の姿をしているように思えながら、どうかした拍子に尻尾が見える。はっきり見えるんではなしに、チラチラと斯う、見えたり見えなかったりするような工合なんですな。要するにまあその時分からそろそろ意識が回復して来たんで、ヤカンダニを通ってからも暫く何処か無茶苦茶に引っ張り廻されていたようですが、そのうちに、村にイカキ山と云って、笊いかきのような恰好をした山があるんで、そこを通った時は、此処はイカキ山だなと云うことが分ったと云います。しかしその山は松だの欅けやきだのいろいろな雑木ぞうきが生えている密林なんでして、その林のなかをぐる/\歩いているうちに、木に引っかかって、フンドシが解けた。で、「まあ、待ってくれ、フンドシが解けたから」と云うと、「そんなものは構わないから放って置け、ぐずぐずしていると夜が明けるから急がなくっちゃいけない」と云って引っ張って行くんで、「もう己は帰る」と云うと、「帰らないでもいいよ。それより何所か寝る所があったら、みんなで一緒に寝ようじゃないか」と云うんだそうです。するともう夜がしらみかかって来たもんですから、その漆かきも今更家うちへ帰りにくくなってしまって、私の家いえの近所にある阿弥陀堂の方へ行った。と云うのは、その阿弥陀堂なら四人で寝るのにちょうど都合がいい場所なので、そこへみんなを連れて行って寝ようという考えが、ちゃんとそのときに頭にあったらしいんですな。それで阿弥陀堂へ行くのには、私の家と隣りの家との間を通らなければならないんですが、隣りの家の庭に古い大きな柿の木があって、それが往来の方へ枝を出していた、その木の下を通った時分に、「ああ、此処は鈴木の家の側だから、もうすぐ其処が阿弥陀堂だ」と思ったそうです。その阿弥陀堂は草葺きのお堂なんでして、うしろの方に四尺に一間ぐらいな裏堂が附いていて、その中に村のお祭りや盆踊りなんぞに使う提灯だの行燈だの莚だのが置いてあったんですが、その莚のことを覚えていて、あの裏堂で寝ようというつもりだった。ところがそこへ這入るのには屋根からでないと這入れない。今も云う通りいろいろな物が入れてあったもんですから、子供なんぞがいたずらをしないように、扉を中から締めてしまって、屋根裏から出入りするようにしてあったんで、そのこともちゃんと覚えていて、屋根裏へ上った。尤もその時に矢張り小男の連中が上から引っ張ったり下から押し上げたりしてくれたそうで、上って見ると、そこに二尺ぐらいの幅の厚い欅の板が渡してある。これはお堂の中の品物を出し入れする時の足場に作ってあったんで、その板に腰かけて莚の上へ飛び降りる料簡だったんですが、小男共は、「此処がいい、/\」と云って、草葺きですから、庇ひさしの裏の方から上ると、竹を編んだ屋根の土台が見える、その竹の棒に掴まって屋根の草の中へ体を突っ込んで、「此方へ来い、/\」と云うんだそうです。成る程その連中はみんなせいが低いんだから巧く草の中へもぐり込めますけれども、丑次郎には這入れる訳がないんで、「己は体が大きいから駄目だ、そんな所へ這入ったら足が出てしまう」と云うと、「まあ試しに這入って見ろ」と云うんで、這入って寝てみたら案の定足が出てしまった。「ほれ御覧、こんなに足が出たじゃないか」と云ったら、「では仕方がないから中へ這入ろう」と云うことになって、さっきの屋根裏からでなく、別な所へ穴をあけて、その穴から、一人ずつ莚の上へ飛び降りて、裏堂の中の狭い場所へ四人が並んで寝た。それから少しとろとろとしたと思うと、お堂のうしろの板が三寸四方ぐらい切り取ってある、それは以前に、泥坊が内部にしまってあるものを覗のぞこうとしてそんな穴を拵えたことがあるんで、もうすっかり夜が明けたらしく、そこから朝日がさし込んでいる。と、やがて表が騒々しくなったんで、その穴へ眼をつけて見ると、村の子供たちがお堂の前で遊んでいるので、ガヤガヤ/\云っていてとても眠れない。「どうもあの子供たちがうるさいな」と云うと、「よし、よし、己が彼奴等あいつらを追っ拂って来てやる」と云って、一人の小男が外へ出て行った様子でしたが、どんなことをしたのか知れませんけれども、兎に角その男が行ったら子供たちはいなくなってしまった。それでようよう落着いて寝ようとすると、生憎とまた小便が出たくなったんで、「一寸小便をして来る」と云ったら、「いや、出てはいけない、出てはいけない」と云って、一生懸命に止める。「出ると掴つかまるから出てはいけない。小便がしたければ此の中でしろ。さあ、己達も此処でするぞ」と云って、三人とも寝ながら小便をしてみせるんですが、丑次郎にはどうしてもそこでする気になれない。もう出たくってたまらなくなって来たんで、とうとう又その屋根の穴からお堂の外へ降りたところが、遠くに私が立っていて自分の方を見ているので、「あ、鈴木さんに見られたな」と、その時はっきりとそう感じた。そして私が近寄って行く間に、三人の小男どもは慌あわてて逃げ出してしまったのだそうです。
さあ、そうでしたね、掴まえたのは朝の九時頃でしたかね。何しろ丑次郎がいないと云うので、村では捜索隊を作って山狩りを始めていたんです。それが明神様のお告げでは丑寅うしとらの方の山手にいると云う訳なので、一間置きぐらいに人が立って、八方から山を囲んで登って行こうとしていました。私もその捜索隊に加わっていたのですが、みんな鎌だの鉈なただのを持っているのに、私は素手すでだったもんですからすこし気味が悪くなって、もう山へ登りかかっていたんですけれども、ちょっと家へ行って来ると云って、それを取りに戻って来た時に丑次郎がお堂の縁に立っているのを見たんです。なんでも斯う、縄の帯をしめて、両手をうしろへ廻して、前の晩に雨が降ったんで裾の方がびっしょり濡れた着物を着て立っていましたがね。「丑じゃないか」と云って、此方こっちも恐恐こわごわ声をかけながら近寄って行くと、急いでお堂の中へ逃げ込もうとするので、掴まえようとしたところが、えらい力で抵抗してなかなか云うことを聴きませんでしたよ。そのうちに大勢駈け付けて来て、やっとのことで押さえつけて家へ引っ張って行ったんですが、家の閾しきいを跨ぐまでは可なり元気に歩きましたね。それからそっと寝かしつけておいて、行者を呼んで御祈祷して貰ったら、一週間ぐらいですっかり正気に復かえりました。尤もっともその前から少しずつ意識が戻って来て、己はこんな目に遇ったとか、何処そこへ連れて行かれたとか、欺されていた間のことをぽつぽつしゃべり出しましたがね。ええ、そうなんです、今申し上げた話と云うのは、その時私がその本人から聞いたんですよ。後で念のためにお堂のところへ行ってみましたが、成る程屋根に大穴が開いているし、中には小便が垂れ流してあって、臭いと云ったらありませんでした。当人も、「そうそう、己はあの棕櫚山を上る時に怪我をした筈だが」と云って、脚を出して見ると、たしかに皮が擦り剥けている。フンドシの解けたのなんぞも、よっぽどたってからイカキ山へ芝刈りに行った女が、木の枝に引っかかっているのを見つけて、ひどく恐がって逃げて来たことがありました。その外何処でこういうことがあったと云う所を調べてみると、大体その地点に證拠が残っていたんですから、それを考えても出鱈目じゃあないんですな。縄の帯をしていたのも、歩いているうちに帯が解けたんで、無意識ながら縄を拾って締めたんでしょうな。そののちその男は一年ぐらい多少ぼんやりしていましたが、今でも酔っ拂った時なんかに、「狐つきの話をしろ」と云うと、笑いながら話し出すんです。
なにも懲りずイベント再開準備している人。
被害者が泣き寝入りする形で界隈を離れたからって一安心、誰も覚えてないと思わないでください。
あなたがフォロワー数から自称底辺作家と言うような底辺作家だけじゃない。
仕事じゃないから、底辺だから、未熟だから何やっても許される、知られないなんてことはない。
次のジャンルでもいい。
あと匿名ツールについて被害者ぶったツイートを定期的にツイートするのやめてください。
いいですか、人の筆を折ったのはあなたです。
あ、な、た、で、す。
あなたが自分が攻撃されていると歪んだ見方でとらえてしまったことがあなたの苦痛の原因。
なんどでも言います。人の筆を折るな。
そして人の筆を折るなと言わないでください。
どの口でみんなで楽しめるイベントをと言うのか。
趣味でやってることだから何の責任も追わない人間にやっていただかなければいけないことなんて存在しません。
企業版ふるさと納税の仕組みを使って、企業が自治体に寄付をすると、簡単に言えば寄付額の9割が法人税申告で戻ってきます。
あとの1割は損するので、その分を地域貢献の宣伝料と考えるしかありません。あんまり上手い話じゃないですね。
でも、以下の方法を使えば1割回収どころか儲けを出すこともできます。
企業版ふるさと納税での寄付は自治体が立てた寄付対象事業に行うことになっているので、自分で受注できそうな事業に寄付して、その事業を実際に受注すればよいのです。
言ってしまえば環流です。
そうすれば、法人税で9割戻ってくるのに加えて、寄付金の全額がキャッシュで戻ってきます。これでお金が増えましたね。
まあ事業受注の原価はかかるので、この事業で1割利益が出れば実質トントンですが、それ以上の利益を目指せばもっと割りが良くなります。
グループ企業を使えばいいのです。自社や関係会社は寄付の利益を得るのを禁止されているので、心配なら関係会社の定義から外れる兄弟会社だと都合がよいでしょう。
え?事業を受注するのに入札がある?
自治体に取り入って自社しか請け負えないよう、うまく仕様を調整してもらいましょう。
なんなら、自治体に顔が利く地域のコンサル会社かなんかを噛ませると話が早いでしょう。
なんだこんなことできるわけないじゃん、と思っていますね?実はやってるところがあるのです!
https://youtu.be/YpGwyU3QrqA?si=4UbBEeDXIi_VuYH-
河北新報が上記の動画で伝えるところによると、福島の国見町の事業にグループ会社の救急車製造会社にコンサルかませて受注させて、国見町にはグループ企業から寄付しています。
いやー丸儲けですな。商売が上手い。
ただし、入札でゴニョゴニョしているので不正競争防止法に引っかかるリスクがあるのと、思いっきり企業版ふるさと納税の趣旨に反するやり方の抜け穴を突いたやり方なので、初心者にはお勧めできません。
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:https://anond.hatelabo.jp:443/20231009170443
28歳男。最近職場で母が怖かった話を笑い話程度にしたら思ったより引かれて毒親育ちらしいことに思い至った。
その時同僚と話したエピソードは「母が突然怒り出して三者面談に来なくて担任と二者面談をした」「反復練習が良いと聞いた母に終わった宿題を全部消しゴムで消された」の2つ。俺的にはあんまり他の人がしてないおもしろ体験を話したつもりだった。でも聞いた人たちは引いてたし、増田さんってもしかして毒親育ち?と聞かれもした。
こう言われてから初めて俺は毒親育ちではなかろうかとちゃんと向き合って調べてみた。自分の家庭環境なんて人と比べることがないから今まで気付けなかったけど、どうもそうみたいだ。
俺が9歳から18歳までの間、母と2人で暮らしていた。父は単身赴任で月に1回帰ってくるかどうかで帰ってきても会話はほとんどしなかった。
とにかくメンタルが不安定な母だった。そして他人とよく喧嘩していた。俺の小学生時代、授業参観か何かのイベントで男子児童(友達ではない)をなぜか詰めてその子泣きながら家に帰った事件があった。結局俺は何も知らされなかったけどその後親同士で何か話し合いをしていた。他にも近所トラブルや何やらかんやら。母は孤独な人だった。
母からよく無視されていた。2人暮らしの家で1週間も無視されるのはたまったものではない。小さい頃は泣きながら謝り続けていたが、中学生くらいになると機嫌を取ろうとニコニコしながら話しかけていたように記憶している。謝ろうが話しかけようが全部無視だったけど。そして母はある日突然普段通り話してくれるようになる。母が無視モードに入っているかどうかを確認するために、朝起きて「おはよう」の挨拶が返ってくるか、学校から帰った時の「ただいま」が返ってくるか、をビクビクしながら毎日笑顔で確認していた。この挨拶が返ってこない時は絶望だった。なお無視中でも一方的に凄まれることはあった。結局なぜ頻繁に無視されていたのかは分からない。
ただ、無視中でも、異常に不機嫌ではあるがご飯は作ってくれていた。皿を投げるように扱ったり、「私は召使いか」と凄んできた、大きな物音を立てられたりされながらも食卓を毎日一緒に囲んだ。俺は2人での食卓から逃げられなかった。逃げると余計酷い目にあうから。逃げてもまた狭い家の中で顔を合わせる事になるから耐えるしかなかった。
母は料理について頻繁に「なんで私だけこんなことしなきゃいけないのか」「私は女中か」と俺に言っていた。そこまで料理が嫌だと言うなら、と思い俺が料理をしようとした時もあったのだがキッチンに入った時点で凄まれた。何も解決できなかった。
大したことは無いのだが、よく分からないサプリメントや水素水なんかも無理やり飲まされ続けた。拒否権はもちろん無い。1度水素水に意味が無いことをやんわり伝えてみたのだが激怒されて終わった。受験期によく分からない波の音のCDを毎日20分聴かされたり、塩を撒かれたり、毎晩寝る前にご先祖さまへの感謝を述べなければなかったりもした。まあこれらは無で従えばいいだけだったから辛さはあんまり無かった。
勉強については度々怒られた。俺の成績が悪いことについて、勉強してる最中に1時間怒られることはよくあった。なんなら勉強中に勉強しろと怒られ続けたこともあった。これは母が酒を飲み始めた22時以降によくあった。このおかげで22時くらいに寝るようになったのだが、今度は寝てる最中もお構いなく叩き起して怒ってくるようになってしまった。俺は辛すぎて天井を見ながら無言で泣いていた。怒られている時はずっと無言で泣いていた。言い返すことなど許されなかった。「こんな成績で恥ずかしいとは思わないのか」ということをよく言われていた。
いちばん辛かったのは無視だが、度々「子育てに失敗した」と母から言われるのも辛かった。あれは自分自身への苛立ちを俺にぶつけていたのだろうか。俺に完璧な人間になってほしかったのか。俺が東大に入る成績だったら母は優しかったのか。
小さい頃から母に「人の顔色を伺うな」と怒られていた。今も人の顔色を伺う癖は抜けていない。怒ってる人や不平そうな人に擦り寄ってしまう。だからメンタルおかしな人に好かれがち。メンヘラに寄りかからせてしまう。母とももしかすると共依存になっていたのかもしれない。
ちなみに父親は俺のことがあまり好きではなかった。俺は9歳からオタクだったんだが、12際の頃に父から「オタクは社会に不必要。オタクは死んだ方がいい」と言われてからずっと距離を取っている。
実家にいた頃、とにかく自由が欲しかった。自分の意思で行動したかった。逃げたところでどう考えても結局母と2人の家に連れ返されるのは見えていた。
幸いにも父の稼ぎが良かったから大学で母から離れ東京に出てこれた。東京で念願の一人暮らしだ。一人暮らし中も母からネトストされて激怒の連絡が来るとかあったけど、今は3年か4年に1回くらいしか帰ってない。そして母からの連絡は全て無視している。
ご飯も食べられたし殴られていた訳でもないしお金もあったし教育も十分受けられた。虐待されていたわけではない。なんなら恵まれた環境だったと思っている。贅沢と言えるような環境だったのにも関わらず毒親育ちを自称するのは被害者面して気持ちよくなっているということなんじゃないか、こう思い今まで目を逸らし続けていたのかもしれない。ここでも人の顔色を気にしている。自分が辛ければ辛いでいいのか。
結婚願望はある。俺は辛くない家庭を築きたい。しかし孤独以外の家庭を知らない。父親がいる家庭を知らない。
家族ってなんだろうね。
1979年に生まれ、東京へは日帰りでは出かけられない場所で育った。
母は私たちが幼い頃に大病を患って、強い薬の副作用に苦しむ姿もあった。
父の不在が多い中、余裕がなかったこともあったのだろう、私は厳しく躾けられた。
母の機嫌を常にうかがい過ごしていたが、思春期には反発をしては殴られて叱られた。
母はいつも、自分も子供の頃は大人に殴られて育てられた。子供なんて、猿と同じだから、叩かないと分からないんだと言いながら、私を殴ったり棒で叩いたりしていた。
友人関係でつまづいたこともあったが、周囲に嫌われたくない仲間はずれにされたくないという想いが強かった。
周囲を見ても、いじめ、ヤンキー、障害がある子へのからかいは普通にあった。
部活は運動部で、先輩後輩の上下関係が厳しかった。顧問の教師も、大声で怒鳴り物を投げつけるような人だった。
高校時代の部活の顧問も同様だった。練習中に過呼吸で倒れても、叱責され何の対応もなかった。
大学進学の時期になり、学びたい分野と進みたい学校があったが、親に反対された。
県内の大学で、自宅から通うなら金を出す。と言われた。資格が取れて就職出来る分野にすすめと。
大学卒業とともに取得できる資格がある。親の言う通りの進路だった。
就職活動もろくにしなかった。取得した資格で働ける職場で働くことにした。
パワハラ、セクハラが当然にあり、事務所内でも会議中でも男性は喫煙可能な環境だった。
新卒3年目のころ、ストレスで食事が出来なくなったこともあった。
こっそり精神科に通いながら働いた。
あれから20年以上が経ったが、まだ同じ分野で仕事を続けている。
夫は仕事熱心。何度か話し合ったが、収入の多い夫が家事育児を負担することは、今もない。
専業主婦の家庭で育った夫、義母は完璧に家事をこなす人なので手伝いをすることもなかったそうだ。
育児中、自分が親にされてきたことは絶対にしたくないという強い気持ちで過ごしている。家事は息子には一通り教えた。今や何でも1人でこなせる。
仕事中も、自分が周囲にされてきたことは絶対に下の世代の子達にはしたくないという強い気持ちで過ごしている。
それらの取り組みは当たり前のことと思っているけど、たまに自分ばかりが消耗していると感じてしまって苦しい時がある。
今日はその気分が強くて吐き出した。
インターネットの悪いところの1つとして、「できない人」の声が大きくなるところがある。「要領よくできる人」「コミュニケーションがうまい人」「なんだか楽しそうにしている人」のことを、そうじゃない人が「自分はできないけど」と自虐含みでバカにする。羨ましさが反転して攻撃になる。
たとえば発達障害なら、発達障害ではない人のことを「定型発達」「健常者」などと言い、「定型発達」の生きやすさと発達障害の生きづらさを言い連ね、「定型発達」の人々が非常に無神経であるかのようにまとめる。しかしかなり言いがかり的なものもあるというか、「定型発達、そんなスーパーマンじゃねえから…」と言いたくなるようなこともある。人間、だいたいグラデーションだ。
で、クワーッとなったのを抑えるために、オードリー若林正恭の「完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込」(角川文庫)を読んだ。とてもよかった。
すごいよかったのは、若林の言っていることがだんだん変化すること。連載の最初では「スタバで『トール』っていうのが恥ずかしい」と言ってたりするのだが、途中から「別に恥ずかしくないぞ!」と言い出す。過去の自分のネタ帳を読んでこう振り返る。
「テレビに出たい!」「お客さんに笑ってもらいたい!」となぜ素直に書けなかったのだろう。他人事のように考えを巡らせた。それを書いたら最後、いよいよ本格的に自分の力不足を直視しなくてはならなくなるからだろうな。それを書く強さなんて勿論持ち合わせていなかった。だからこそ、それを手にする気がないことを殊更に強調することが、当時の精一杯の自己防衛だったのだろう。
この辺りの文章が超絶に刺さった。素直にうらやんだり、素直に悔しがったり、素直に憧れるのは体力がいる。それよりもちょっとスカしたふうにふるまったり、すごい人をかえって下げてみたりしたほうが全然傷つかない。でもそんなひねくれやこじらせた自意識や他人に対するレッテル貼りは、人間を不自由にする。
全然関係ない話なのだが、私は非常に感謝していることがある。むかし「部屋が汚い」ということを記事にしていたら、「発達障害(ADHD)なのではないか」というコメントをもらった。それに対して私は「そうなのかな?」と思っていたのだが、自身がADHDであり、それについての文章をよく書いていたYさんが、そのことについて怒ってくれた。
その怒ってくれたものの中身はあんまり覚えていないのだが、「増田ちゃんは部屋が汚いことを気にしているのに、そういうレッテル貼りはいかがなものか」のようなものだったような気がする(違ったかもしれない)。
ADHDがらみの話は私の中で非常に混迷している。ADHDの特徴を、当事者やその周りの人が知っておくことは、生きやすさ、過ごしやすさにつながると思う。「どうして自分はこんなにできないんだろう」と悩んでいる人が、ADHDの情報を知ることは、とても救いになるし、大事なことだと考えている。
ただそれは当事者と、その周りの人が楽しくコミュニケーションするために知っておくべき情報であり、赤の他人がその相手を理解しやすくするためにレッテルを貼り付けるものであってほしくないという気がする。たいていそういうのは雑になるものだから。それは「発達障害」という言葉でもあるし、「定型発達」という言葉でも同様に発生している。
ttps://x.com/ao8l22/status/960065753872416772?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960066055988129792?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960093910063235072?s=20
②パク増
③パク増再投稿(元のパク増本人?)
自分よりプラスに見える人間をまずバカにするやり口、本当に好かない。リ..
https://archive.vn/2021.03.19-214155/https://anond.hatelabo.jp/20210319191550
彼女とは中学から付き合いで、私立中学で1年で同じクラスで隣の席で最寄り駅も隣でアニメ趣味も一緒であった事もあり、すぐに仲良くなった。
エスカレーターだったので中学から大学まで一緒で、一緒のクラスになったのは1年だけだったけど、ほぼ毎日一緒に一緒に行って一緒に帰った。
大学を卒業して社会人になっても、仕事帰りに会ったし休日遊んだし、旅行にも行った。
“親友”という単語は一度も使った事がなかったけど、私は彼女の事を親友だと思っていたし、彼女からそう思われてるとも勝手に思っていた。
自体が変わったのは去年の夏。当日私が強烈にどハマりしていたアニメの最終回が放送されている最中に彼女からラインがきた。今日最終回放送で私がそれをすっごく楽しみにしている事も彼女には言っていた。
だからきっと最終回についての実況的な内容だと思って開いたら、
「来年の秋に結婚式をあげる事になりました。○月○日空けておいてくれると助かります」
という内容だった。
頭が真っ白になった。
1番の感想は(なんで今?)だった。
楽しみだったアニメには全く集中出来なくなり、その後彼女に電話をしたが繋がらず、眠れない夜を過ごした後に次の日の夜にようやく電話が繋がった。
まず初めに私は彼女に彼氏がいたという事実を彼女から聞いていなかった。
でも彼氏がいる事は知っていた。
結婚報告より大分前に第三者から空港で彼女が彼氏と思われる人物と歩いていたという情報を実は聞いていた。彼女に彼氏がいて、しかも一緒に旅行行くほどの仲という事実に頭が真っ白になったが、いつか彼女から私に話すだろうと思い、私からは何も聞かなかった。
電話に出た彼女に「彼氏がいるなんて聞いてない」と言ったが彼女は「えー言ってなかったっけー?言ったと思ったけどなー」と曖昧な返事がきた。
勿論私は聞いてない。
いつから付き合っていたかを聞くと「大学から」という返答がきた。
ショックだった。
当日はまっていたソーシャルゲームのオフ会で知り合ったと話した。大学の頃に彼女がそのソシャゲにハマっていた事も知らなかったし、彼女がそういったオフ会に行くような子だとも知らなかったし、何より大学の時点で彼氏がいた事も知らなかった。
彼氏がいるという情報を第三者から聞いた時も社会人になってから出来たと思っていたので、ずっと気づけなかった自分にもショックだった。
「なんで話してくれなかったの」
という言葉が出そうになったけど、彼女から結婚の事話したのは今はまだ私だけだと話された事でちょっと嬉しくなってしまって、彼女にそれ以上何も言わなかった。
それに私にも彼女に隠している事(支部で二次創作をやっている事、同人誌も出してる事、家族の事etc…)はいっぱいあった。だから仕方ない。彼女を攻める権利は私には無い。
そう自分にいっぱい言い聞かせた。
でも考えれば考えるだけモヤモヤはいっぱいあった。大学時代や社会人時代に周りに彼氏ができ始めたなか、「オタクでいるうちは彼氏なんて出来ないよねー」なんて話をよく彼女としていたけど、その時彼女は私の事どう思ってたんだろう。勝ち誇って笑っていたのか?哀れんでいたのか?そんな話を私がしてたから言いにくくて罪悪感を抱えたりしていたのか?
その後も彼女とは何度か会ったし、会えばいっぱい笑って喋ったけど、どうしても
というのが頭を巡った。
そんななか、ふと彼女の結婚式で私は友人代表スピーチを頼まれるのでは?という事に気付いた。
だから頼まれていないのに、友人代表スピーチの原稿の作り方を調べたり、絶対笑える彼女のマル秘エピソードなんか忘れない様に書き込んだりしていた。でも結婚式が近づいても彼女から何か頼まれる事はなかった。
他の友人の結婚式で友人代表スピーチは無かったので、彼女の結婚式もそういうのは無いんだと思った。
そんなこんなで遠い先だと思っていた彼女の結婚式は近づき、私は彼女への結婚祝いに高級ブランドの食器セット買ったり、私が声かけて中学高校大学と彼女と交流あった子達に協力して貰って寄せ書きなんか作ったりしてそこに彼女へ普段は恥ずかしくて言わない様な言葉を使って長いメッセージなんか書いちゃったりもして、また彼女の推しキャラと同じ配色のご祝儀を頑張って探したりして、とにかくやれる事を頑張った。
モヤモヤはいっぱいあったけど、それでも“親友”としてやれる事をやろうと思った。
そして結婚式当日。
共通の友人と共に彼女の控室に行って、白いウェディングドレスに身を包んだ彼女を見た瞬間、あまりにも眩しくて私は涙がボロボロ出てきた。
そんなもんだ。
でもその時私は本当に彼女を祝福したし、涙は嬉し涙だった。と、思う。
控室は彼女のや花婿の親族と思われる人がたくさんいて彼女隣にずっといたのであまり話す事は出来なかった。
結婚式が終わり、披露宴の会場うつると、私の座席は花嫁花婿からは遠い席が指定されていた。
一緒に来ていた共通の友人の方が彼女に近かったぐらいで、「えっお前がそっちじゃないの?」と共通の友人が戸惑うぐらいだった。
私は表情は変えずに「座席の距離は変わんないよ」なんて言ったけど、内心は不安だった。
そして始まった披露宴。
ホテルのスタッフによる進行ですすみ「それでは次に友人代表スピーチです」とアナウンスされた。共通の友人達が私を見た。戸惑いながら私が小さく首を振ると花婿花婿と近い座席に座っていた知らないひとが立ち上がり前に出て、スピーチを始めた。
なんでも彼女とは例のオフ会で知り合い、花婿と花婿とよく3人で食事をする仲だそうだ。
そうか、花婿とも仲が良いなら、そりゃまぁそっち優先しますよね。一回ですむしね。時間も短縮されていい事ずくしだと自分に言い聞かせた。
でも大学から彼女を知った人物が、「彼女は周りを笑顔にするのがとても上手で〜」となんか知った様に語りだすと、いやあなた誰ですか?彼女の何を知ってるんですか?と言いたくなってきた。
彼女を見ると彼女は気恥ずかしそうにしていて、それを花婿が笑っていた。ヒソヒソ何か話してる。
幸せそうだった。
私の知らないとこで知らない間に出来上がった結びだった。
披露宴は何事もなく進んだ。途中で余興で花婿の友人のマジシャンが出てきて、私と彼女の共通の友人がいじられていた。
彼女が手紙を読み上げていたが、当然だがほとんど家族の事だけで最後に今日来てくれた友人の皆様で一括りに感謝を述べていた。私の事はなーんにも言わなかった。
気がつくとまた涙が出てきていた。
それが悲しみなのか哀しみなのか嫉妬なのか怒りなのか分からないけど、でもそれは祝福の涙ではなかった。
その後もう一度話せる機会があった時に共通の友人達と共に寄せ書きを渡したが、彼女は私のメッセージよりも、寄せ書き式紙に描かれた彼女の推しキャライラスト(私が絵の上手い共通の友人頼んで描いて貰った)にはしゃいで喜び、その描いた友人に何度もお礼を言っていた。
その後少しだけ話して私は他の子達と同じ引き出物を貰い、彼女と別れて、友人達と帰った。
みんな口々に良い結婚式だったね。と言っていた。
勿論私も笑顔で「そうだね」って言ったけど、頭は別の事でいっぱいだった。
最初に彼氏の事話されなかった時点で気づくべきだったんだけど、私は彼女の“親友”では無かった。
少なくとも彼女からはそう思われて無かった。たくさんいる友人の1人であり付き合いが長いだけ。
それが確定された。
それがショックだった。
彼女に宿題写させてあげた事は何度もあったし、彼女の行きたいと言った興味のない舞台を申し込んだ事もあったし、彼女が見つからないとTwitterで嘆いていたグッズを密かにいっぱい探して回ってあげた事もあったし、彼女の誕生日には毎回結構奮発したプレゼント買ったり、旅行行けば毎回彼女へのお土産も買ったし、結婚式までも本当に色々頑張ったと思う。
私は別に友人が少ない方では無いけど、彼女は私の中で”親友“で特別だった。
向こうにはそう思われてないのに。馬鹿みたいじゃん私。滑稽じゃん。
仕舞いには彼女にそう思われて無いって事は私ってもしや生きる価値ないんじゃないかな?とかまで思ってきた。
そもそも今のこの時点で彼女の結婚を心から祝福出来ず自分の事しか考えれない時点で私って最悪じゃね?
結婚式から帰ってきて、夜遅いのに何もする気が起きなくて玄関で3時間ぐらいぼーっと立っていた。
お陰で次の日の仕事は散々で、今日こそ早く寝るぞって思うのに行動に起こせずまた玄関で棒立ちしながら結婚式事振り返ってしまったり、どうにか頑張って布団に入っても彼女の事で思考がいっぱいで眠れなくて、そんな眠れない日がずっと続いて、今に至っている。
この事を誰かに話す気はない。
さぞやドン引きされるでしょう。彼女の事をLIKEじゃなくてLOVEだったの?とか思われるだろう。
そうじゃないんだ。
長い時間を全て否定された様な、なんというか私という人間の存在価値を全て否定された様なそれぐらいの気持ちだ。
来月彼女と会う約束をしているけど(結婚式前から決めていた予定)、どんな顔して会えばいんだろうか。
親友じゃないただの友人としてどう接しればいいんだろう。
それはもう分からない。
Permalink | 記事への反応(21) | 03:27
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201129032737
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210810181919
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原著の刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長の中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別が苛烈で激しかった時代や大正デモクラシーの波にのった解放運動の記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。
(まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西にしか無い、関東は関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀や処刑人、農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレの仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端は奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか)
この本はまず信仰の話から始まるんだけど極貧の生活のためか日頃より信仰心が篤いのに死んだら畜生と同じ埋葬方法で墓が作られても墓地の北側の日のあたんねえ所とか、雑で差別的な戒名つけられたり、それでも檀代は一般(部落外)より高い額ふんだくられてたりもうさんざんで、序盤からひどい話ばっかりなんだけどこのあともひどすぎてこれがジャブ程度に思えてくる。長野といえば教育県を掲げているけど部落民は一般と同じ学校に行かせてもらえない、行かせてもらえても徹底的なイジメが待っている、教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する。さらに生活苦ゆえに家の仕事を手伝わなくてはいけないといった理由も加わってまともに学校通った人の方が珍しくて、聞き取り対象の老人のなかにはいまだに文盲の者も少なくない。それから公衆浴場も別々で回り風呂といって運搬が可能なお風呂が部落じゅうを回ったりしてたらしい。ケガレの仕事だけでなく、今でいう巡査や牢屋の見張りのような危険な仕事を押し付けられたり、農家の手が足りないときだけ日雇い従事したり季節労働をやったり等収入が安定しない..
もう要するに公権力が徹底的にそうやって差をつけている。また、同じ人間であると思わせないためか、部落民は睾丸が四つある、あばらが足りない、血の色が違うなどいわれのない身体的特徴をでっちあげられてそれを理由に侮蔑される。今でこそ誰もが馬鹿馬鹿しいとわかるけどこんなことが真剣に信じられていたんである。
それから今でこそ同和事業で部落のインフラが整備されて、見かけは一般と変わらない町並みになり、住民の流出・流入が容易になり、その結果元々部落だったと知らずに引っ越してきてずっと知らない人などたくさんいるけど、明治の末ごろの話だけど比較的裕福だった部落の老人が一般の大通りに家を建てたら村じゅう大騒ぎになって、
村役場が主導して執拗な嫌がらせを開始。果ては物理的に家ぶっ壊されて(!)老人は訴訟をするけど村役場が殺し屋を差し向けてきたり費用の問題などで訴訟断念するしか無かったらしい。役人が殺し屋を雇う???????????????? ???????
明治といえばその初頭に四民平等令、部落解放令がやっと出た時代なのに..この解放令ってやつもうほっとんど意味なくて、差別は続いて、でも以前は免除されていた税金が一般と同じように徴収されるようになっていっそう生活が苦しくなっただけらしい..てかまじ、体制側が一市民に殺し屋を差し向けてくるとかまるでフィクションの話みたいであまりに信じがたくてここ読んだとき一日くらいずっとポカーンとしてた。殺し屋て…殺し屋て..明治の末とかって歴史上からみたらほとんど最近じゃん 最近の話じゃねえか ひでえやばすぎる。どーなってんのよ
どこそこの地域が部落みたいな程度の浅い知識ならネットでちょこっと調べれば出てくるけど、こういう具体的な差別事例ってこんなふうに本でも読んで能動的に調べないとわからないんだよね、、まぁこういう時代からは随分ましになったとはいえいまだに部落の人にたいして暴言吐く人、差別する人はゼロにはなってなくて、全然過去の問題じゃないんですけど、同じ部落の人のなかでも[部落問題を知ってほしい][寝た子を起こさないでほしい、学校なんかで教えるから差別が再生産されるんだ][もう差別なんかないんだからほっとくべきだ]とさまざまに意見が分かれていて人間だから当然と思う。
でも悲惨な歴史にふたをして忘却してしまうと過去の人々の苦しみまで無かったことになってしまわないか?というのと、現代の人間が過去から教訓を得られなくなってしまう、それと苦しみだけでなく部落にも豊かな文化と生活があり、(著者は部落の文化遺産と呼んでいたが)文化そのものも葬られてしまう。そういう理由から、現在の、部落の[ぶ]の字すら言ってはいけないようなタブーの空気はいやだなと思うので積極的に気軽に部落の話をするようにしてる。
でも後述するけどこのタブー化が差別の緩和に繋がったわけで、でもそれを加味してもやはりもうそろそろタブ一の段階は終わっていいだろうと思う。
私は部落民ではない女性なんで女性差別にしか興味がありません。主にどうして被差別部落がここまで差別を打破できたかの部分に興味があって調べておりその歴史に女性が差別に対抗するすべを学べないかとそう思い何年も前からあれこれ勉強しています。
はっきり申し上げておきますと部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈な差別事例を知った上で言うことです。その理由のひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性が女性であることから逃げる手段は自殺しかありません。
(当然、無徴ゆえにだれも[被差別部落][部落民]とはなんなのかをはっきりと定義できないゆえに権力側に恣意的に身分を決められていた歴史もあるでしょう。それも知っています。でも、なお..なのです。ちなみに、部落民とは一般と先祖やルーツが違う別人種なのではと思う人もいるでしょうが、一般人でも部落民になったりするし、どうもそのへんあいまいというかはっきりしていないようです。本書には、とある部落民にむかって自分たちは先祖が同じだ]と言った一般民がいたという証言もあります。差別の根拠など全くないのです。さらに言うなら死にまつわる仕事がケガレというのも恐らく権力が恣意的に決めたことがし、ケガレの仕事ではない、たとえば内職などしかしない部落民も沢山あってケガレともイコールで結びつかないのです。)現在進行形でさ女は毎日女ってだけでなぐられ殺され犯されおとしめられてんだよ
家から一歩出るだけで醜いおっさんがジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ
女性の参政権だってGHQの鶴の一声であって日本の男はんなもん女に与えてくれたこと無いんですわ
すいません話それました!
国を動かしての解放令発布でもやむことがなかった差別が現在ここまで緩和されもはや部落問題を全く知らない人も多くなった、その主たる理由はやはり水平社(のちの部落解放同盟)の強硬な、時には暴力的な闘争姿勢によるものだったのではと思います。著者の柴田いわく、長野のなかでも東信地方は寒風が吹きつけてひどく底冷えがする地域で、昔から気骨のある男、気性の荒い男が多く、それが東信で水平運動がさかんだった理由ではないかと分析しています。逆に寒さがゆるやかな地域では[寝た子を起こすな]の論調が強かったり水平社よりも穏健だった同仁会がさかんだったらしい。でも同仁会も交渉の場では「水平社の連中よぶぞ]が殺し文句だったらしく虎の威を借りてたとか..そして水平社と同仁会、歴史に名を残したのはどちらかというともうこれは言うまでもありません。ふだんから竹槍の戦闘訓練も行い、武力闘争も召さなかった水平運動こそ歴史を変えた。彼らが起こした暴力事件の仔細はネットでも簡単に読めます。部落民は乱暴だ、奴らは犯罪者だといった風評も辞さない徹底的な闘争で、部落は怒らせると怖いと、部落がなんなのかよく知らない人すら何となく感じて、アンタッチャブルな話題だと感じる。タブーだと思う。その空気を牽引したのがテレビ等マスメディアの徹底的な自主規制でしょう。部落解放同盟ににらまれたら厄介だという理由で前述のように部落のぶの字も出さない、触らぬ神にたたりなし。先日もエタヒニンと発音しただけのアイドルが活動自粛に追い込まれたけどそういう過剰なまでの自主規制が、差別の存在そのものを透明化した。長い間メディアは頼まれてもないのに四本指の表現すら自主規制していた。
そのような、暴力や脅迫で勝ち取った自由の歴史を勉強していると、心底彼らがうらやましく、やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかなと思ってしまう。なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現は自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります。
しかしながら水平運動に加わった男たちがそこまで暴れることができたのも男という性別ゆえかなと、同時に諦念を抱きます。
女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的なものか、それとも後天的なものか、両方だろうか?とにかくフェミニストを自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争が可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません..
この本書のなかにはある村の一般の村長が出てきます。彼は比較的リベラルで、部落の子でも学校に入学できるようはからったとのこと。そのせいで彼は妻の実家の敷居をまたぐことを拒否されるなど反発され、水平社の者も彼のそのような行いを知っててもそれでもダメな所は徹底的に糾弾したので、「両方から突き上げ食らってもうさんざんだ]といったことを自嘲してるんですけど女性たちも同じように全く糾弾の手を緩めないってことが可能かと考えると難しい。
痴漢の手に安全ピンぶっさそうという(本来痴漢は殺されてもいいくらいなのだから穏当すぎるくらいなのに)呼び掛けにすらいい子ぶりっこがそういうのよくないよとたしなめるしまつ。
繰り返すけど殺されてもいいのに。
やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?
この本の巻末、作者の生前の夫だった人による復刊によせての解説で言及されてた2014年の長野県連続差別事件がやばい。部落民の女性に対して、真ん前に引っ越してきた男が差別語連発で罵倒するのをやめない。裁判所から禁止令が出てもやめない。逮捕されても執行猶予で、けっきょく彼が万引きという別件で再逮捕され収監されるまでの2年間なにも解決しなかったそうです。
昔も今も権力なんてなんのあてにもならないどころか被差別階級にとっては敵でしかないんじゃないのとますます不信感がつのります。2014年とか最近じゃん昨日じゃんか
みんな本気で、ハッシュタグ(笑)だのツイッターデモ(笑)なんかで女の現状が救われるとおもってんのかな..こんなのなんにもならんってうすうす気づいてるんじゃないかな。男に殺される女が一人でも減るかそんなんでって思う。やってる感だけ得られたらいいんすか? けっきょくレベルを上げて物理で殴るしか無いんじゃないのか。それもわたし一人がやったところで社会的にインパクトないから組織だってやるしかないけど、以下ループ
水平運動の男たちは献身的に支えてくれる妻がいてそれで運動なりたってた部分でかいと思うけど女には妻おらんのですよな~
暴力ができないならせめて男がみんな自分に正直にホモ願望を解放してホモセックスし、抑圧している内的女性を現実の女性に投影するのをやめればミソジニー無くなって平和になると思うんですけど、でこう書けばホモは差別語だから差別はいけませんとかほざくぶりっこがフェミニズムの邪魔をしてくるのでもうどうしようも無いです! バーカ!ちんこ—
それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシューで在日朝鮮人を差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きます。イシューを抱え込まないことがやはり運動の成功の秘訣のひとつであったのかと感じますが女性は女性というだけでやはりシングルイシューではいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバーカ死ねでございます。女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお
ところでこの本の作者柴田道子は童話作家で部落民じゃない一般です。長野市に引っ越してきて被差別部落と接触し、興味を持ち、この本を上梓したあとは狭山事件の被告のサポートに尽力、当該事件の本を執筆中わずか41歳の若さで急死したとか。
解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったから部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分が当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!何が正しいか間違っているのか、どう思うべきか、どう行動すべきかって本当は一切なにもないのかもしれない。なのでフェミニストならこうすべきだ、こう思うべきだ、こう感じるべきだみたいな考えに固執している人はちょっと考え直したほうがいいな、正しいか間違ってるかなんて時代によって基準がぐにゃんぐにゃんで明日にでも真逆になるけど、なんか結果だけ見て、他人がジャッジしてもシャーナイつか、結局ね、なにかに汗かいて真剣にがんばったりさえして、懸命に生きさえすれば、それはもう…だれにも、文句は..まあいいや