去年の今頃、母が死んだ。末期の大腸がんだった。
未だに電話は苦手だ。去年の夏、うだるような暑さの中で急に父親から電話がかかってきたことを未だに思い出す。
「母がな、大腸がんらしい。」
頭が真っ白になった。何かにすがらねばならぬと思いぱっと思い浮かんだのが煙草だった。黄色のアメスピを買った。
肺まで白煙を深く吸い込み、酩酊を感じながら、足元が深く、酷く崩れていくのを感じていた。
一本を深々と吸い切った後、もう一本と火をつけ、吐いた。
そこからは本当に早かった。
母は入院し数日後には抗がん剤治療が始まるといわれていたが、病状があまりにも進行しすぎていたためにできず、末期治療が始まった。
感染症が流行っている時期ではあったが私は実家に帰省し、父と妹とともにその日が来るのを待ち構えていた。
母はモルヒネを投与され、常に夢と現実のはざまを行き来していた。
そうして、その日は訪れた。
母の葬式を済ませ、通夜を行っている中、私は一人会場を抜け出しコンビニへと行った。
ふと目についたセブンスターを買い、一人隠れて火をつけた。
コンビニの横、ほのかに店の灯りが漏れる灰皿のそばでゆっくりと吸ったセブンスターは、ほんのりと甘く、脳を痺れさせた。
それ以来、私は煙草を好むようになった。
「ヒトはどれだけまともに生きていようとも理不尽な死に方をする」
母の死後、私に付きまとうようになったこの刹那的な感情はどうしても消えない。
肺を患って死ぬのは辛いぞ