お笑いというものは解決不能な悲惨についてお通夜ムードにしないために茶化すものではないかと思う
お笑いというものは解決不能な悲惨について
お通夜ムードにしないために茶化すものではないかと思う
この指摘自体には一定の正しさがあると思う
表現規制憎しの余り、差別的なネタを排除したら
お笑い物がいっさい成立しなくなってしまうとか極論を言う人がたまにいるけど
それじゃ古典落語とか、昭和中期のドリフや欽ちゃんは全部放送禁止か?
当時もある程度は差別的なネタもあったが
そうでない笑いもいくらでもあったと思うんだけどな
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