はてなキーワード: 通信制大学とは
中高年期の勉強の続け方のコツ、仕事しながら大学で学んでる人などのコツを教えてほしい。
最初の大学を卒業した後、通信制大学や社会人向けの修士課程などを経て、35歳までに学士3つ、修士1つ、博士1つを取得した。学士は文系が2つだが、残りは理系である。趣味で人文学領域の学びを継続している。
自分の仕事はホワイトなので、仕事に関係しない分野で学びを深めていこうと思い、学部〜修士レベルの学びを続けていこうと思っているが、35歳を超えた辺りから、明らかに文系の本や論文を読む体力が衰えた。
普通に運動習慣を作れば読書などの体力も戻るかもしれんと考え、スパルタンレースに出るようになって、毎日高強度インターバルをやっているが、文学部的な学びをちまちまと続けていく意欲は戻らない。
きっかけかどうかは分からないが、これまで年に10本ぐらい観た映画の批評を書いてきたが、ここ最近、箸にも棒にもかからない映画批評が多く、これと同じレベルのことをする意義を感じなくなり、批評も映画鑑賞も辞めたところ、他の領域にも無気力が侵犯してる気もする。6年以上、通信制大学などを活用して人文学を学んできたが、これ以上は時間の無駄で、もっと社会の役に立つ学問に転向した方が良いのかとも悩んでいる。
・実際のはなし、親の転居以外での高校の転校って今めちゃむずかしいよ。
もともと居た高校が転校許可証みたいのをなかなか書かないことがある。
・ゆたぼんみたいに自力で(あるいは河合塾でも通って)高卒資格認定とって、通信制大学(放送大学とか?)で大卒とったほうがいいかもね
興味ある文系学科ならわりと大卒とれる。興味探しが一番むずい。地理制約がなくなるから知ってることやってる教授を探してそこにもうしこむとか。
リアルの友人がいないと、昼学校いってる同年代と夜しゃべるのが命綱。
それが26くらいになると全員仕事いそがしくなって、ただのいんむちゅうがぽつんととりのこされる。
まあ、就職支援B型という準学校みたいなとこいって内職みたいなのをあつまってやるのがいいとおもう。
A型はもう会話が成り立たないレベルの人が一日八時間つめこまれてるところで、仕事という名の刑務所だから、高IQは絶対いくなよ。
私は中学から不登校→高卒ニート→通信制大学生のルートを辿っています。
勉強の意欲と自由な時間はたくさんありますが、根本の学力が足りていないのと勉強のやり方が下手なのか上手くいってません。
学部は情報学部で、授業は専門知識がいらない簡単な単位なら取れそうです。
絶対卒業したいので、最初の1年は勉強に慣れるところから始めようと思っています。
本題です。
私は今まで簡単なテキストを読んで、重要な箇所をノートにまとめて、簡単な問題を解いて直して、少しずつ難しい問題に挑戦していくやり方でやっていきました。
しかし、難しい専門科目や資格の勉強をする際、テキストの量が多い+内容が噛み砕けないのでノートにまとめることが難しいです。
一番簡単とされるテキストを購入しても、受験時代と違って用語が多く、全てが重要箇所に見えて短く自分でまとめることが困難です。
解説動画や解説サイトが見つけやすい分野は、何とかなりそうですが、無いもしくは見ても分からなかった場合、皆さんはどうやって内容を理解しますか?
モデル業をしてて売れっ子で、早慶辺りの高学歴で、モデルの男性やジャニーズと付き合って、
実際の人生では、メンタルが弱過ぎてそもそも発達障害な上躁鬱で
ルックスは比較的良いと思うけど、背が平均よりちょい下でモデルには不向きで
色々オーディションとかも言って頑張ったけど、雑誌のモデルを何回かした程度で終わった
学歴も受験期にメンヘラ発動し、早慶どころか普通の大学にすら行けず、結局通信制大学、も中退で短大に入り直して高学歴なんて程遠い
彼氏も居た事はあるけど、イケメンや金持ちでは当然無く、普通の大学生や普通の会社員、公務員とか
今もモテはするけど、自分が理想的と思える男性からは全然相手にされない
もしメンタルが強かったら、背が高くスタイルが良かったら良かったのにと、自分自身を呪う毎日
もう30手前で良い歳だし、職歴もちゃんとしてるとは言い難い(大学卒→一年家事手伝い→バイト→バイト→正社員を1年足らずで退職→引きこもり→派遣→長期パート→昨年度やっと正社員)
一体どうしたらこの辛さは解消されるのかな
低所得世帯なら大学辞めるか休学して給付金を貰いつつ職業訓練受けて資格取って就職するのが一つの道だと思いますやで
https://www.mhlw.go.jp/hellotraining/support/
通信制大学に入り直すなり基礎学力学び直して夜間大行くなりお好きにすればいいと思いますやで
中学1年で学校の環境が合わない、あと家族関係のストレスから不登校になりそのまま復帰できず中学卒業、通信制高校に進学するも単位を取る気力が続かず4年かけて卒業
大卒の資格あったほうがいいんかなぁと思って何のビジョンも無いまま通信制大学に進学、でも学費が思いの外高くて(単位取るためのスクーリング受けるたびにそれなりの額の受講料を払わなきゃいけない)1年目はほとんど単位が取れず2年目はとりあえず休学←イマココ
ここまでの間にバイトは一切してなくて、ただでさえ低所得家庭なのに親に学費とか諸々出してもらってる
バイトして親の負担を減らしたい気持ちはあるけど外に出る勇気が出なくて何もできてない
人と話すのが怖くてしょうがなくて対人恐怖症っぽい自覚はあるけど、金が無いから病院にも行ってない
ここまで読んでもらったら分かると思うんだけど、辛いことからひたすら逃げて引きこもり続けてたらいつの間にか社会の底辺になってた
で、相談になるんだけど
とりあえず親に世話になりながら単発バイトとかやりつつ大学は続けて頑張って卒業するか、
大学辞めて本格的にバイト始めて少しずつ貯金しながらひとり立ちを目指すか、どうすればいいか迷ってる
正直これ以上親に迷惑かけたくないから早く一人暮らしができるようになりたいんだけど、バイトすらろくにできない今の状況でそこまで漕ぎつける未来が見えないし、退学したとしても将来就職するとなったら学歴が高卒、しかも通信制なのがネックになるんじゃないかとも思う
そんな人は地域の図書館や貸し自習室、ファミレスやネカフェなどを使うことが多いだろう。
だが最も勧めたいのが大学図書館だ。
地域住人なら無料ないし格安で利用できることが多いし、卒業生もたいてい入ることができる。
もしくは科目等履修生や通信制大学なら入学しても大して費用はかからない。
また、土日だとたいてい空いているし、元気のよろしいお子様もいらっしゃらないので快適この上ない。
ついでに本も地域の図書館にないものが読めるし、利用頻度が低いので綺麗なことが多い。
混んだら嫌なので教えたくない気持ちもあるが、この情報を知っている優越感を味わいたいので増田に書く。
読んだ人は知るだけ知って来ないようにしてほしい。
今年体調を崩して短期離職して、今は業務委託でほそぼそ収入を得て暮らしている。
ある程度体調が回復したので就職活動をはじめたが、書類選考落ちが大半の中、最終面接まで進んだ会社で連続して不採用になって落ち込んだ。
業務経験はIT業界のカスタマーサポート/テクニカルサポートとして15年超。toB、toCどちらも経験ある。
また、勤務した会社は大規模外資から小規模ベンチャーまでいろいろ。
これまでと同じ業界・職種に応募してきたが、何を生かしたり変えたりすれば就職できるだろうか。
英会話を伸ばして英語力のいる求人に応募するのがよいと自分では思うが、現在お金に余裕がなく勉強にあまりお金をかけられないことで行き詰まっている。
・非大卒
・TOEIC L&R 700点台
・不眠
・Duolingo(英語)
ざっとだけど
学歴を得るメリットは、年齢的には最初の足切りに合わなくて済む程度しかないかもしれないが、コンプレックスを解消してくれて心理的安定性を得られるかも。
また、通信制高校や通信制大学は卒業率がむちゃくちゃ低くて、かなり自己管理能力が無いと難しいので、簡単に考えない方がよい。一方で、それを知っている雇用主の場合、プラスに働くことも。
社会人として働き始めて、3年経った。
いくつかの失敗も重ねたが、今のところ、それなりに順応し、馴染んでいるとおもう。
給与は身に余るほど、仕事内容も悪くない。同僚や上司との関係も良好に進んでいる。
これまでを振り返れば、今は上手く回りすぎているようにさえ感じる。
自分は、日本の公教育をほとんど受けていない。まともに通えなかった。
いわゆる「怒る先生」が怖かった。今でも大声で怒鳴る人や、怒りをあらわにする人は非常に苦手だ。
義務教育たる小中学校の9年間のうち、保健室登校を含めても、学校に行った期間は2年に満たない。
続いての高校も2か月足らずでやめた。
しかし、両親が教員だったこともあり、幸いにも、何とか勉強をする環境は与えられた。
通信教育や家庭教師、無数の本を与えてくれた。ピアノやバイオリン、習字などの習い事もできた。
いくつかの科目は両親が教えてくれることもあった。
感情表現の乏しい両親であるが、おそらくさぞやの心配をかけていただろう。感謝しなければならない。
その後、大学はイギリスの通信制大学に通った。途中から日本の通信制大学にも所属する二重学籍だった。
というのも、自分勝手に偏った勉強ばかりに加え、社交性にも乏しい自分にとっては、入学試験がなく、学生間の交流も限られる通信制大学が、ほぼ唯一の現実的な選択肢だった。
想定通り、グループワークのコミュニケーションには、社交性と語学力の両面から相応に難儀したが、あらゆる面で実りは多かった。
日本で就職活動を始めた時、自分のような学生は、面接官に奇異に映ったのだろう、これまでの学業の歩みを詳しく聞かれることが多かった。
少なからずはただの「奇異の目」で終わった。「社交性、精神的な脆さや不安定さに不安が残る」といったコメントをもらったこともある。
妥当な懸念だと思う。しかし、いまさら隠しおおせようもない。そのまま続けるしかない。
そんな中でも、いくつかの企業は「主体的な学びの姿勢」と評価してくれた。
ジッサイは、「オモシロ人材枠」として、くじ引き感覚で拾ってくれたのかもしれない。それでも嬉しかった。
この会社で働き、3年が経った。
まだまだ分からないことがほとんどだが、それでも少しずつコミュニケーション能力を補いつつ、専門性も高めてきたと思う。
とはいえ、いつ自分の不安定さが致命的な落とし穴となるかは分からない、これからだろう。
いつも不安定にふらふらとしている自分が、今にあるのは、周囲の支援と偶然のおかげだとおもう。
今の自分は、本来の自分、デフォルトからあまりに上振れしている。
いつそこに戻ることになるのかは、まだ分からない。戻ることになっても、それはそれで良い、と思っている。
でもまぁ、とりあえず、もう少しは戻らずに進んでみようと思う。
ITの情シスの仕事で自分が以前からずっとやりたかった仕事だし、大手企業で、給料も(以前と比較して)良いのだけど、耐えられなくなってきた。
精神的に締め上げる言い方、怒鳴りつけ、大勢が見ている前でミス(と上司が思ったもの)の叱責・晒し上げ。上司が全員そんな連中。現在いる情シスは他部署でも有名な強面揃いの部署。僕が入る前にいたプロパーは、現在いる役職者以外は全員退職している。上司曰く「前の部長についていけず退職した」らしいが、他部署・労働組合に寄せられた意見では、そうではない。現在いる役職者との人間関係で辞めているらしい。正直、間近で見たら分かる。毎日隣にいる人に罵声、怒鳴りつけ、精神を締め上げるキツい言い方を連日されたら、誰でも病む。
相談したこともある。「言い方がキツくてしんどい」と。答えは「そんな人はどこにでもいる。言い返せるかどうかだ。心が強くないと病む」と。では、今まで何人もの退職者を生み企業のITシステムを担う情シスを崩壊させるまでに至ったのは、全て退職者が原因だったと言うのか。スパルタの兵士並に戦えなければ認めない、と言ってるようなもので。そりゃあ、部署も崩壊するわな、と思った。
そんな部署は変化の兆しがない。360度評価や1 on 1 meetingを最近始めたので、改善する傾向はあるらしいが、現状は全然改善されていない。
話は少し飛ぶ。
大学卒業間近の時、就職できる自信がなく何となく大学院へ進んだ。プログラムで何か作ったり調べるのは超好きだったので、情報系は性にはあった(と思っている)。ただ、2年はあっという間で博士に行く気もなく(ポスドクとか見てたらしんどさしか感じない)、就職する道を嫌々選んだ。大手メーカー系のSIer、技術職に。
転職は2回したが(経験3社)、最初のSIerは本当に合わなかった。体育会系で、荒っぽい人間が多く、新人に対して「できる・できない、どっち」と高圧的に詰めていき、サービス残業、長時間労働、メンタル休職は普通の職場だった。結局7年在籍したが、僕が退職した時点で2/3の同期が退職していた。給料も安かったな。今のところに比べると100万くらい。
結局、最後にいた部署の上司と相当ソリが合わず、夜中21時に仕事を振られて23時まで仕事とか普通だったので、メンタルを病み、辞める。がむしゃらに深夜まで働かない部下は嫌いだったらしく、僕はそうじゃないから目をつけていたらしい。その上司は役員から「部下には愛情をもって接するように」と直々に指導されていたのだが、結局行動を改めることはなかった。体育会系っぽく言うことを聞かない部下には、相当厳しい上司だった。言い返したこともあるが、数倍ケチョンケションに言われ、病み、その後休職6ヶ月、次は決めずに辞めた。余裕全くなかったから。
離職後、1年ほど無職。何もかもが嫌になった。無職だが、福祉系の専門学校の通信課程に在籍していた。なぜ福祉? 人と接する仕事というか人間的な仕事が、次はそんな仕事がいいなと思っていたから。あと、通信制大学の経済学部にも在籍してた。正直、楽しくて、ストレスのない時間だった。スクーリングが超楽しかった。学友との交流があって。無職という不安はあったけど。だけど、いつか死ぬという観念はいつも頭のなかにあった。大学生の頃からずっとあったけど。自分はいつだって、一人で生きていける自信がない。高校生の時も、今だって。
2社目。福祉を所管する某省庁傘下の団体の情シス部門。ハローワークで見つけたような。ヘルプデスク、運用・保守。任期付職員だったけど、介護が必要な親の側にいたかったし、仕事の負担を減らしたかったから、それでよいと思っていた。公的機関なら無理強いされないという気もしたし。それに、情シスの仕事はずっとやりたいと思ってたから、願ったり叶ったりで、最初は嬉しくて2年ほどは本当に仕事が楽しかった。納期はあまり気にしなくていいし(善し悪しはあるが)、現場に振り回されはするけど、精神を追い詰められることはなかった。最初はな。
だけど、給料の割には仕事は詰込みだし、最初から決められた役割以上のことはできないから仕事はずっと同じことの繰り返しで。管理職は基本的に天下りなので、昇進は見込めない。公的機関の割にはパワハラが普通だったので、将来性がないと判断し、転職した。3年くらいいたか。
3社目。今。製造業。東証スタンダード。転職エージェント経由で、すんなり決まる。決め手は上司曰く「情シスの仕事をよく理解している」かららしい。まぁ、そうかも。キラキラしたものに憧れて、情シスになったら企画や設計をして人に指示を出すだけ・・・みたいな華やかなイメージだけを持ってる人は多いけど、実際はそうじゃなくて泥臭いし。加え、最初の会社で開発経験が多少はあったことも。僕が今の会社を決めた理由は面接での、面接官の人柄というか会話したときの感触。穏やかで優しそうだと思ったから。ただ、入社してイメージと違うとは思った。結構、荒っぽい。
今は入社して1年半ちょい。最初は良かったが、だんだんしんどくなってきた。何がしんどいか? 人間関係かな。とにかく、言い方が、きつい。精神にくる。あと、仕事の振り方。プロジェクトマネジメントなんて今まで皆目やったことないのに(職歴にもそう書いていた)、いきなり振られ、何をしていいか分からないし聞いてもまともな答えも帰ってこず、ただ怒られるだけ。なぜ怒られるのか、全然分からない。
今後を考えるとマネジメントに手を出したい気持ちはあるけど、自分には難しいのではないか。
相談しても、何にもならないし。怒られるだけだし。最近は上司に聞きに行くことはしなくなった。とにかく、しんどいから。何言われるか、分かったものではない。とにかく、しんどい。息切れするし、足は強ばるし、食欲はないし、頭は痛いし、思考は鈍いし。そう伝えているけど「それでも仕事を続けるか、投げ出すかがお前の今後の分かれ目」としか言われないし。上司曰く、自分もそんな経験をしてきたが乗り越えてきた、と。いや、体育会系のあなたと自分は違うし、としか言えない。無理なもんは無理。
で、無理って言った。
途端、職場で自分の居場所がなくなった感じがした。分かってはいるけど、でも無理なものは無理。もう俺に振れる仕事ないってことじゃね? だってシステム開発の仕事なんて長いことしてないもん。直近の仕事、ヘルプデスク、データ抽出・分析、とかそんだし。でも、居直っちゃえばいいじゃんと思う気持ちも半分。だって、いずれ戦力外通告されても、日本の法律じゃ首には簡単にできないじゃん。プライド投げ捨てでも、仕事してない人とか言われても、とりあえず居とけばいいんじゃないの。でも、人生詰んでるよね。自分の理想ではないよね。周りに迷惑かけたくないのが自分の本音なのだけど、かけてるもん。周りに迷惑かけてでも、自分は生きていくの? それがあんたの人生でしょ。あんたって、僕のことね。
頑張って働きながら通信制大学も出たし、資格もいっぱい取ったし(IPAの高度とか)、悪くない会社に入りはしたけど、俺、ゴミみたいなことしか実践できてない。周りの役に立ってない。むしろ、足引っ張ってる。
「殺してしまう…」「気がつくと妹の上に馬乗りに…」両親のきょうだい間差別に苦しんだ20代長女が出した解決策と母に現れた「救い」
関東在住の露木実湖さん(20代・未婚)は、2歳下に重度知的障害と自閉症を持つ次女、9歳下に三女がいる3人姉妹。両親は、露木さんが上の妹から受けた被害を訴えても、「お前が悪い」と露木さんを怒る。そのため露木さんは、「上の妹を“えこひいき”している」と、両親に憤りを感じていた。
やがて露木さんが小学校に上がると、学校では一部の男子からいじめられ、母親に相談しても「気にするな」と一言。やがて下の妹が生まれると、母親は幼い下の妹にかかりきりで露木さんに目もくれない。さらに父親からは、虐待とも思える仕打ちを受け続ける。
2016年3月、露木さんが高校を卒業するお祝いに、家族で東京ディズニーランドへ出かけた。もちろん旅行は上の妹も一緒。楽しみにしていた露木さんだったが、旅行中、上の妹が手がつけられなくなるほど喚いて暴れ、他人の目が気になってしまい、心から楽しむことができなかった。
2018年12月。年末年始は特別支援学校も冬休みに入るため、上の妹も家にいた。夜になると、露木さんはリビングで家族とテレビを見ていた。そんな大晦日、事件は起こった。
ちょうど露木さんが楽しみにしていた番組が始まったタイミングで、上の妹が甲高い叫び声を上げながら暴れ出したのだ。当時、露木さんは20歳。大学の実習についていけなくなったため中退し、通信制大学に入学して就職活動を行っていた。
そんな中、楽しみにしていたテレビ番組を観ることを上の妹に妨害され、その瞬間、頭の中でプツンと何かが切れた感じがした。気が付くと上の妹に馬乗りになり、上の妹の口を必死で塞いでいた。
もちろん、露木さんの上の妹に対する悩みや、学校でいじめられているときの気持ちに、少しも耳を傾けようとしなかったのは、親として間違いだったのは確かだ。しかし、露木さんの就職先がなかなか決まらなかったとき、母親がただ温かく見守ったのは、子どもの頃の露木さんに対する自分の接し方に問題があったことを認め、申し訳なく思い、露木さんと和解したいと考えていた現れのように感じる。
一方で、父親の露木さんに対する扱い方には目に余るものがある。叱るときは感情に任せて怒鳴るのではなく、子どもに分かるように叱る理由を伝えなければ、躾ではなくただの虐待だ。気分で子どもを扱ってきたために、露木さんは父親と一緒では安心して生活することができなくなってしまった。
露木さんは現在、上の妹を強く嫌悪している。その理由は、両親の子どもへの接し方に問題があったためにほかならないだろう。子どもの頃も、大人になってからも、きょうだい児を苦悩させている理由の多くは、その両親に原因があると思うのだが、どうだろうか。
きょうだい児は本当は障害児の一番の味方になってくれるはずの存在なのに、親の接し方が悪ければ逆に障害児を嫌悪するという本末転倒な結果になってしまう。
そうなったらやっぱり親が悪い。
転職先決まったので経緯と今の心境を書き連ねてみる。どんな転職活動したのかは諸事情で省きます。
■転職を決意した経緯は以下の通り
・ここ2,3年を振り返ったら仕事を通して何も成長できていないことに気がついた。
・ここ1年以上仕事を与えられない。(手空きであることは何度も報告した)
・目標にしたい人が誰一人いない。
・通信制大学の卒業研究を通して成長し、今の職場にいる意味を見いだせなくなった。
■転職決まった今の心境
・あわない上司と職場はさっさと捨てるべき。少なくともキャリアに大きな影響を与える。上司は選べなくてもガチャは回せる。
・これから頑張る。
・神様は信じないけど、安井金比羅宮は信じた。今の職場とさよならしたいってお願いした。色々やばいので神様に祈るしかないってときに頼るべき。
■最後に