はてなキーワード: 通信制大学とは
Twitterには子育てへの支援の不満が溢れているが、ネガティブキャンペーンではないかと思う。私は19歳、21歳で出産したが、子育てにはお金はかからない。
今は3歳~5歳の幼保無償化、私の住む自治体は小児医療費は無償、今は小学校の給食費まで無償だ。子どもが小さいうちは家での食費や衣服費くらい。これもお下がりを貰えばOK
中学生になると多少お金はかかる。部活のユニフォームや遠征費。食費も増える。ただ、今は高校の倍率が下がっているので、塾は行かなくても進学できる。児童手当もあるしね。
小学校高学年くらいになると、子育てで仕事をセーブしなくて良くなる。私は長男が中学に進学したタイミングでパートから正社員になった。
高校は私立も公立も学費無償。通学定期代がかかるが、子どもはアルバイトするようになるのでお小遣いはいらなくなる。
令和2年からは就学支援スタート。低所得だと大学実質無償+給付型奨学金あり。私立大学だと初年度で年間100万減免+給付型奨学金が年間91万支給。
とはいえうちの子どもたちが中学生の時にはそんな制度なかったので、小さい頃から「高校出たら学費安い国公立行くか就職して」と言ってきた。
長男は工業高校から地方公務員。長男の同級生も大手のメーカー入ったりしてた。
長女は公立高卒から国家公務員に。そんなに学費はかかってない。
二人とも中学時代の成績は真ん中くらいだったけど、今は少子化だから大学行かなくても普通に就職できるし、通信制大学とかなら国立より安い。
若いうちに出産すると体力があるのがメリット。あとは出産したら本当になんとかなる。仕事なんて子どもが中学生くらいになったらバリバリできる。今は40代前半だけど長女と二人で旅行行ったり楽しい。
今、私の同級生は不妊治療で何十万も払ったりして大変そう。「お金がないから出産できない」という人もいる。でも全然そんなことない。子育て楽しいし、産めば何とかなるから。
障害者の父親が行政の支援を受けて生活しているのを身近に見てきたので、中学生の頃から行政の仕事に憧れていた。
奨学金を借りて高校に通い、高卒枠で公務員試験を受けるも不合格。働きながら通信制大学を卒業し、予備校に通い、25歳で地方公務員に。
実際に弱者を支援する側に立った時、「努力しない人」「無計画に生きる人」にむしょうに腹が立つようになった。
同じ部署で同い年の会計年度職員(非正規公務員)の子と一緒に昼食を食べてる時に「正規公務員は恵まれ過ぎてる」と言われてイラっとした。
お前は私立高校から東京の私立大学まで行かせてもらって遊んでる間、私は15歳から10年間、今の職に就くために努力してきたんだけど?と腹が立ってしまう。
こんな風になりたくなかったけどどうしたら良いんだろうね。。。
大卒資格にさほどコンプレックスがなくて、収入も安定してるなら、モチベーション保てそうにないから通信制大学はおすすめしない。
収入になるのかとか気にせずに、時間を遊びに全投入できたり、専門外のことを学んだりするハードルが限りなく低いから、普通の大学なら全力でおすすめする。
ブクマトップで情報系の通信大学の記事みてちょっと気になってる。
IT系で20代で年収600万以上あるし職務経歴書やポートフォリオに書く内容は山程あるし、
転職しようにも学歴不問の求人は山程あるし正直別に困ってもない。仮に大卒になってもあんまり役には立たない気はする。
中卒であること自体にコンプレックスはあんまり感じてないし、なんなら「中卒でここまでやれたのすげーだろドヤァ」くらいに思ってたりもする
情報工学的なところからちゃんと学んだ方がいいかなっていうのと、一番は最近日常にイベントがなさすぎるから暇つぶしってところが一番かな。
こんな心がけで通信入っても昔初めて入学金だけ払ってモチベ続かずに金ドブした中国語学習みたいになる可能性も高いよなぁって。
どう思うよぶっちゃけ。
ネットに自分の素性を明らかにすることには少し抵抗があるが現在大学4年の就活生です。
去年学部を移って新しい(?)スタートを切ったつもりだったが、COVID-19と重なり大学に通えずオンラインで授業を受ける日々。オンライン授業は退屈なものが多く悪い場合は資料だけ投げてあとは課題やっとけ、みたいな感じのものも少なくない。通信制大学に通常の学費を払って通っているような最悪な状況。家賃のこともあるので早めに実家に帰れば良かったなと家事をしてはそう思う。
自分がやりたいことを学ぶために来たのになとくすぶらせながら4年に突入し就活開始。ウェブテと履歴書自体は特に難を感じないが面接はすぐ落ちる。何が良くないかはある程度把握したつもりで(緊張すると防御反応的に冷静な方向に感情が傾き熱意が伝わらない、自分の抽象的な部分を言葉にするのが極端にヘタなど)改善はしたが内定はまだ出ずで心がつらい。
心がしぬほど納得のいかない大学生活と、なぜ落ちたかも教えてくれず切り離される就活とにさいなまれた結果。少しずつ身体にも影響が現れ始めて本当のストレスを知った気がする。末端の感覚が少し鈍ったり、胃の中の物がいつまでもある感じがしたりいつにも増してどうしようもない考えが頭をグルグルしたり。
意識しないようにすると影響が減るので気晴らしに好きなことをしたり摂取したりしようとしてもいまいち気が乗らなかったりと、初めての感覚に「へぇ~」と他人事な感想を抱いた。一番の問題はこの気が乗らないことで、まだ就活は続けなければならないし卒業に向けて単位はある程度取らなければならないのだが心が追い付いて来ない。
環境のせいにするのは良くないことだとわかっているがどうしてもCOVID-19さえなければ今頃こんなはずじゃなかったのにな、と思わずを得ない。
普通でいることが善なのか、はたまた悪なのか。
没個性的で、長いものに巻かれる。それは当たり障りない人生というテンプレートをなぞっていくような言葉にも感じられる。
しかし。
先天的な発達障害(ASD、ADHD、DCDのトリプルコンボである)を抱えて生きてきたわたしには未だに今ひとつ「普通」「没個性」というものがピンとこないのだ。没個性を目指してもなれない、普通を求めても手に入らない。最初の約束と違ったことを言われたり、イレギュラーな要求をされるとそれを「普通」にはこなせないし、0か100かしかないので50を求められても相手の思うように返せない。
その発達障害を20歳になるまで見つけられることがなく、いわゆる定型発達の子どもたちと混ざって幼少期から常に「変な子」「面白い子」と揶揄されてきた。その度に普通でいることのハードルの高さを感じさせられた。
確かに物心ついた頃から子ども特有の目のキラキラ感がなかったことも自覚はしているし、どこか冷めているというか物事を純粋に楽しめなかった。その上父方の家庭が自分たちの価値観の型にはめていく教育方針だったことからそれに当てはまれなかったわたしはそこでの居場所も失ったこともその後の成長過程に大きな影響を及ぼしていると思っている。幼稚園や小学校に行っては大人にとっては「ちょっと変だけど元気で明るい子」を演じ続け、帰ったら帰ったで本ばかり読んでいた。そして当時月に2回ほど行っていた父方の祖母の家((今はもう6年ぐらい行っていないので祖母も叔母も元気にしているかどうかすら知らない))では、わたしを連れて行っていた父親含めほぼ誰にも話しかけられることはなかったのでずっと2階の広い部屋に引きこもってポケモンを捕まえ続けた。常にいい子でいなければ死ぬ、という感覚はこの頃からあるし、過干渉されると怒るくせに愛されたい願望が変に強いとにかくめんどくさい人間になった。
いわゆる「普通の子」との疎外感から、わたしは気がついたら常に死にたいと思うようになっていた。記憶の限りではおそらく小学校に入る少し前ごろからだっただろうか。でも大人にそれを言うとまた色眼鏡で見られることや世間体を気にされることは子どもながらに理解していたので、誰かにそんなことは言えないでいた。何なら今の今でも誰かに言ったことはないので、ここで初めて誰かに気持ちをぶつけている。
死にたいという感情を悟られるまいと思い必死にその時その時に全力で自分の生きる意味を探した。特にこれといった特技もなく、決して健康な子どもでもなかったのでその度に壁にぶち当たったし器用に生きられなかった。し、今でも器用に生きられないでいる。
そして小学校高学年からだんだんと学校に行かなくなった。気がついたら中学入学後、完全な不登校になって1週間寝つくことがないまま夜を過ごしたりその間に考えるべきでないことばかりを考えるなどした。その頃から心療内科でカウンセリングを受けるようになり、良くも悪くもならないままこの前気がついたら干支が1周していた((むしろここ半年は仕事などの過労から抗鬱剤を飲む生活を送っているので正直悪化している、けれど新しい病院を開拓するにも腰が重い))
高校受験の時だって、「普通の子」になりたくて偏差値も部活の活発さも平均的なそれこそ「普通」の高校を選んだのに周りからは「もったいない」((無駄に論理力だけがずば抜けていて他が壊滅的なIQであるために、自分で言う話でもないが中途半端に成績だけは良かったので同級生の保護者たちからはあまり好まれる子どもではなかった))「もっと上の学校に行けばいいのに」と批判された。この時ほどにわたしの追い求めていた普通を否定された経験は後にも先にもないように思う。
その後その高校に入学し、不登校を経験した上での高校生活での目標に「皆にとっての当たり前の日常」を掲げた。しかし高校2年生の頃に病気が見つかり、当たり前の日常はおろか出席日数もギリギリでクラスでは孤立しながら廊下からすぐのいちばん後ろの席で生活した。こんなはずじゃなかったのに、と何度も思ったけれど、どこか仕方ないと思って諦観している自分もいた。
大学でも2年生修了時に高校時代からの持病が悪化し中途退学。自分の人生の中で比較的イケていた時期だと思っているが、学校生活「すべて」を謳歌したことは一度もない。その結果通信制大学に編入し、単位もまったりまったりと取りながらズルズルとマイペースで学生という身分を続けてしまっている。
20代も半ばとなった今でも時に日常会話で「普通に」とか「常識的に」と自分の中で繕った普通をぶった切られることもある。最初は何とも思わないが、それを同じ相手から何度も何度も言われることで自分の中での普通はまだ全然普通ではなくて、むしろまだまだ程遠いところにいると感じてしまう。そして「普通」という名の相手の感情の押しつけに嫌悪感を抱くし、「あなたが言う普通だってあなた個人の価値観だよね」と言ってしまうので感情的にカッとされることも少なくはない。((カッと、ということで余談だがリストカットなどの自傷行為に走ったことはほぼない。その時間が無駄だと思ってしまうしもっと具体的でもっと苦しいものを選びたくなるしいつもそれを考えているうちに過呼吸になっている))
この普通に適応できない息苦しさはいつまで続くのだろうかと思うと過去の記憶がフラッシュバックしてくることも頻繁にあるし、それで過呼吸を起こすことだってある。結果身近な人が迷惑を被ることになる。いつまで経っても身近な人の立場からしたらわたしは最高にめんどくさくて、普通には到底なれなくて、どこまでもまっすぐに生きていけないとても厄介な存在なのだ。
だからこそ交友関係もどんどん希薄になっていくことには慣れているし、距離を置かれていくことを察するようにもなった。自分から誰かと接するということも積極的にできないし、むしろ入られたくないゾーンに入られたら精神の平静を保つべく全力で拒むようになってしまった。自分が友達だと思っている相手からしたらわたしという存在は知り合いないしは顔見知り程度なんだろうなと斜に構えてしまう。iPhoneのアドレス帳なんて家族含め3人しか登録されていない始末だ。でも別に特別広い交友関係を持っていてもメリットもないし、むしろ自分に相応しくないように思えてきてしまうしそれを悩む時間も無駄だなと思う。
結局ひとりぼっちでいることしかできないし、結局誰かに頼る強さを得ることもできない。いつまで経っても弱くて、いつまで経っても自分自身のことを好きになることができない。常にコンプレックスに直面している。
エアポンプのない酸素の薄い水がたっぷりと入った広い広い水槽で、必死に呼吸をする魚のような感覚だ。
ここでは、福岡教育大学の初等教育教員養成課程(幼児教育選修は除く。以下、初等とします)の副免について、書いていきます。
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福岡教育大学の初等は、小学校教員の養成に重点を置いています。
初等では、原則として、中学・高校の教員を養成はしていませんので、注意をしてください。
普通の国立大学の教員養成系大学では、初等でも中・高の免許を取れるはずですし、初等から中・高の先生になることは、よくある光景です。
しかし、福岡教育大学の初等は小学校教員のみの養成に特化している、ちょっと特殊な大学です。
数年前の初等専修制では、普通の国立大学の教員養成系大学と同じでしたが、改組により、初等は小学校教員養成のみとなりました。これは、寺尾学長の独断による改革の結果です。現在の飯田学長も、その方針を堅持しています。
中学・高校の先生になりたい人は、中等教育教員養成課程(以下、中等とします)に進学してください。
なお、初等に進学した後に、中等に転課程すること(課程を移籍すること)は、制度上はそういうことは可能とされていますが、基本的にはおこなえません。
どこの大学でも、転課程はきわめて難しいと考えてください。
初等の学生は、小学校教員の教育職員免許の取得を前提にしています。
初等で得られる免許(小学校一種)は、主免(しゅめん)といいます。
主免とは、卒業時に主として取得する免許(必ず取得できる免許)のことです。
この主免以外に、他の授業を履修することにより、与えられる免許を、副免(ふくめん)といいます。
初等の学生は、幼稚園(一種・二種)、中学校(一種・二種)、高校(一種)が副免になります。
話はそれますが、教員免許の種類について、わかっていない人が多いので、簡単に説明します。
教員免許の「一種」「二種」は、取得単位数の違いによって区別されています。
二種は短期大学卒業程度の取得単位、一種は四年制大学卒業の取得単位になります。大多数の先生が持っているのが、一種になります。
ちなみに、高校の免許には二種は存在しません。したがって、二種の場合は、高校の先生にはなれません。
また、県や市の教員採用試験では、取得した免許の種類によって採用が差別されません。中学二種の免許で、県や市の中学校に採用されている人もいます。
ただし、二種の場合は、一種を取得するための努力が義務付けられています。そのため、教育委員会の研修や講習に参加しなければいけなかったり、給料に差がついたりします。
話をもとに戻します。
福岡教育大学の初等では、中学・高校の免許、つまり副免は、取ることが難しいです。
なぜなら、小学校の先生の養成に重点を置いている課程が、初等だからです。
「初等に入ったけれど、中学・高校の免許も取って、中学(高校)の先生になりたい」
という人は、残念ですが、それは諦めて、小学校の先生になられることに専念してください。
福岡教育大学の初等は、小学校の教員になる教育に重点を置いています。
初等では、中学(高校)の教員になる教育は、標準的に提供していません。
「それでも!どうしても!」というなら、中退して中等の試験を受けるか、他大学に入り直す(転学・編入する)か、一旦卒業した上で、働きながら通信制大学(放送大学など)で不足分の免許に必要な単位を修得する、ということしかありません。
福岡教育大学の公式ホームページに「福岡教育大学で取得できる教員免許状について」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/campuslife/academic_affairs/glb0i0000000126j-att/glb0i00000009mmy.pdf)との文章が公開されています。
「卒業要件を満たし、さらに所定の単位を修得することで取得も可能となる免許状(副免)」、「副免のうち、人数制限や修得する単位が多い等の理由により、特に取得が困難な免許状」とされています。
「取得も可能」=努力すれば取れるかもしれません、「特に取得が困難」=取るのはとても難しいです、ということです。
初等で副免を取ろう、という人は、かなりの努力を要すること、楽には取得できないことを、よく理解してください。安易に手を出すとヤケドをします。
よく聞くのが、副免の取得に熱心なあまり、主免の単位を落としまくって、副免は取れるけど、主免が取れず、留年する、という話です。
初等の学生が、副免で取得する講義などは、原則として中等の学生に向けて提供されている講義に、初等の学生が「参加させてもらう」ものです。
もし、その講義や演習などが、人数を制限する場合や受講制限がある場合は、中等の学生が優先されます。
中等の学生に向けての授業なのですから、そこに「参加させてもらう」初等の学生の立場が弱くなることは、おわかりいただけるでしょう。
初等の学生が、副免を取得したい場合は、まずは担任の先生に相談してください。
といっても、担任の先生も、副免のことがよくわかっていない先生もいます。
学生支援課の「学生なんでも相談窓口」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/campuslife/consultation/anything_consultation.html)に相談することが、てっとりばやいです。
副免を取得したい学生は、希望する科目の「教科基礎学力テスト」を受験し、A・B・Cの判定のうち、B判定以上を取る必要があります。
C判定(不合格)では、副免の授業の履修は認められません。
なお、この教科基礎学力テストは、不合格のC判定であっても、来年度も希望すれば受験できます。
もし不合格であれば、それを謙虚に受け止めて、勉強し直して、再受験をするか、もしくは副免は諦めるか、という二つの選択肢になります。
例年、教科基礎学力テストは5~6月に実施されます。2020年はコロナ禍のため、8月に実施されました。
教科基礎学力テストの結果は、遅くても夏休み中には告知されます。
B判定以上の学生は、後期から副免の授業の履修が可能になります。
そのため、前期の期間か、夏休み期間にテストは実施され、結果も後期の授業が始まる前にはなされるはずです。
テストでは、解答用紙とともに、問題用紙も回収されますから、受験したことのある先輩に過去問を見せてもらうこともできません。
問題用紙の回収は、過去問を見ることができた人間が有利になる/見ることができなかった人間が不利になることを防ぐ、公平性を確保するためです。
高校入試の問題がそのまま出た、センター試験(共通テスト)のレベルだった、国立大学の二次試験のレベルだった、など、さまざまな噂がありますが、出題範囲は示されるので、その範囲内の勉強をよくしておく必要があります。
とりあえずは、高校での履修内容の範囲内で出題されるはずですから、大学の受験勉強と同じような勉強しておけば良いでしょう。
この教科基礎学力テストを課す目的は、中学(高校)の基礎学力を備えているかをチェックするものです。
この基礎学力がなければ、副免の授業に出ても、単位の修得は難しいです。
教員側から見れば、基礎学力のない初等の人間が、中等の授業に出てくると、レベルが保てず授業に支障をきたします。
いくらやる気があったとしても、身につけておくべき基礎的な知識がないと、授業で先生の言っていることが理解できませんし、単位の修得は難しいです。
やる気のある無能な人は、周りに迷惑をかけるだけです。そういう人が、中学や高校の教壇に立つことが許されるはずがありません。
中学や高校の教員にとって、何よりも求められるものは、学力です。
「やる気はあるが、学力の低い学生に、再教育をしてくれ」「大学は、意欲のある学生に学び直しの機会を提供すべきだ」と主張する人がいます。
しかし、高等教育機関である大学では、「中学や高校の復習をしましょうね」という「復習の時間」はありません。
高等教育機関である以上、そのような「学び直し」の授業で単位を出すことは、制度的にも許されていません。
そもそも、そんなに「やる気」があるのならば、学力が低いはずはありません。
そんなに「学び直し」をしたいのであれば、自分で好きなだけ勉強すべきです。
それでも学力が低いままならば、予備校などに通うしかありません。
高等教育機関である大学に「学び直しの機会」を要求することは筋違いです。
福岡教育大学の初等の学生の特徴でもありますが、文系に偏重しており、理系の分野は不得意のようです。
教科基礎学力テストでも、その傾向は明らかで、英語、国語、社会の受験者数は例年、とても多いです。
受験者数が多いことは、ライバルが多いということになります。したがって、C判定をもらう学生は多くなります。
というのも、中等の学生向けの授業は、少人数を想定したものが多いため、そこに初等の人間が大挙して押し寄せると、中等の学生への教育の質が保証できなくなってしまう、との理由もあります。
たくさん受け入れてあげたいのはやまやまだが、合格者はなるべく少ないに越したことはない、と大学側は考えているようです。
中等の授業では、学力の低い人に、中高に遡って教え直してくれることもありません。初等の学生だからといって、評価の水準を下げることはできません。
先にも述べましたが、副免の授業は、中等の学生向けに設けられたものが多いので、そもそも初等の学生が授業に来ることを想定していません。
中等の授業で、初等の学生が多くなってしまうと、中等の学生の学習の機会を奪ってしまうことになります。
このようなことから、合格者は、受験者の10%ほどの合格率が多く、教科によって50%あたりのものもあるようです。
おおよそですが、教科基礎学力テストで7割あたりがボーダーラインで、8割以上取れていれば、ほぼ安心していられる、と言われていますが、これも受験者数や教科によりばらつきはあるようです。場合によっては8割以上の得点であっても、不合格ということはありうるでしょう。
狙い目の教科があります。
理系の科目です。数学や理科はそもそも受験者数が少ないようですし、その割に合格率は高めのようです。
ほかにも、美術や保健体育、技術や家庭なども、合格率が高いようです。
「中学・高校の教員になって、運動部の顧問をしたい」という人は、保健体育を選ぶべきでしょう。
小学校にも「教科担任制」が22年から導入されます。既に北九州市では教科担任制が導入されています。
小学校の教科担任制とは、小学校でも、高学年からは専門教科の先生が、その教科については教える、という制度のことです。
中学校の教科を思い出してください。中学校では、既に教科担任制ですよね。
中学校のように、小学校でも、高学年からは、教科の専門の先生がいて、その教科を教えるのです。
これらの科目の中学・高校の副免を持っていると、その教科の専門に強い先生として、小学校の中で教えることができるようになるでしょう。
経費節減のため、公立でも小学校と中学校を一貫にしているところが多くなっています(小中一貫)。そういうところは、小学校の先生でありながら、中学の免許を持っている先生を採用したいはずです。
採用する側も、算数、理科、英語の教科に強い先生は欲しいところです。
しかし、英語は、例年、副免の希望者がとても多いので、英語の力がよほどないといけません。
ちなみに、英語で求められる学力は、英検二級レベルと考えられます。英検二級は、高校卒業程度のレベルと言われているからです。
福岡教育大学の初等の学生で、副免を取りたい、という学生が多く、また副免に関して、学内外で、根拠のないデマが流れたりしたので、このような文章を書いてみました。
初等で副免をとる学生は、小学校の先生だけではなく、中学・高校の先生としても通用する、確かな学力を身につける必要があります。
そのために、よく勉強をしてください。
今の状況になったのは強く言えば自分のせいなので仕方はないんだけど、コンプレックスの自覚があってつらいなら、それを変えるチャレンジをするしかないじゃん。
特に得意なものがなくて、人に雇われているだけなら、待遇や環境は悪化していく一方なんだし。
会社で勤務しながら、自分の時間を使って(ごくごく小さなものでいいから)お金を稼ぐ方法をいくつも試行してみて、うまくいけば本腰入れるようにすれば低リスクで起業できるし、たっぷりお金が入ってきて会社経営でもできるようになれば社会的地位高まって劣等感薄まるだろうし。
学歴が気になるんなら、通信制大学でもでて、それから国立大学レベルの社会人修士課程にでも行けばだいたいロンダリング完了でしょ。
何するにしてもそれなりには大変なんだけど、そこまで頑張るのはつらいわーっていうんなら今の環境で頑張ってね、って感じで。
グジグジグジグジ妬みごといっててもべつになんにも改善しないし。