はてなキーワード: 相談員とは
異性にはそれなりに好かれてはきて、でもやはり苦手意識から逃げまわってたら20代後半になってた。
子どもが欲しいという気持ちは強かったので、婚活を始めることに。
それを少しやっては半年~1年休んだりしてたら、気づいたら30になった。
子どもが欲しいならもう本当に時間がないのでは?!と本気で焦って、会員制の有料ネット婚活サイトに登録。
こちらで色々な人と会いつつも成果がでず、もっと本腰を入れたほうがいいかもしれないと思って、結婚相談所に話を聞きに行ってみた。
入会金は結構するし月額もかかるけど、婚活パーティーや婚活サイトよりも相手の身分証明がしっかりしているしアドバイザーがつくのが魅力だった。
これは入会させるための文言だったのかもしれないけど「婚活パーティーはマッチングはするんですよ、でも結婚までいけるのは3%です」っていう相談員の人の言葉を聞いて入会を決めた。
入会のプロフィール作りや写真撮影は結構楽しかった。自分を見つめなおすきっかけにもなった。
そしていざお見合いの申し込み。
ここの相談所は相手のプロフィールを見て申し込むんだけれど、向こうがこちらのプロフィールを見てOKしないとお見合いすら出来ない仕組み。
歳は子どものことを考えると40歳までくらい、年収はこのくらい、性格はこういう人……と最初は結構理想高めに申し込んでた。
もちろん通ると思ってたわけじゃなく、最終的には理想を下げていくとしても最初から低めにしなくてもいいよねと思った。
しかしこれが本当に通らない。
いいなと思った人に会うことすら出来ずにプロフィールだけで断られる。
そして私自身申し込みがあっても、プロフィールで断ることがほとんど。
試しに会ってみようという気持ちにもならないような人が多かった。
断られながら「私が断ってるのと同じ気持ちなんだろうな」と考えると結構落ち込む。
婚活パーティーでは参加者の半数からアプローチを貰ったりしていたので、恥ずかしながら自惚れていたんだと思う。
この時点でもまだ「会えば良さがわかってもらえるのに」なんて思ったりしてた。
自分でもそう思ったので、このあたりで「プロフィールではピンとこなかったけど会ってみよう」と思うようになり、OKを出すようにしていった。
でも実際会ってみて「もう一度会いたい」と思える人はほとんどいなかった。
会話を続けることすら難しい人が多くて結構大変だった。
結婚相談所に登録した時にネット婚活サイトは退会をしたのだけど、退会前にメール交換した人と会うことになった。
そうしたらかなり気があって、その後も何度も会うようになり、結果結婚を見据えて付き合うことになった。
結婚相談所で最初に入力していたあの理想の条件にぴったりというわけではないけど、私も自分の身の丈というのがわかってきていたし、何より相談所で紹介された誰よりも一緒にいて楽しい。
あんなに義務感でいっぱいだった男性との食事がすごく楽しくてあっという間に過ぎる。
やはり恋愛は怖くてちょっと逃げ出したい気持ちになったりもしたけど、担当の人が(紹介した人でもないのに)相談に乗ってくれたのもよかった。
事前にかなり私の性格について話し合ってくれていたので「逃げ出したいと思っても相手をきちんと見るように頑張って」「見張ってますよ」と言ってくれたのもよかった。
前置きが長くなったけど、結婚相談所に登録してよかったと思うのは自分のことがよく見えたことと、出会った彼の良さがすごく実感できたこと。
自分が上ばっかり見てると気づかなかったら、他の男性をたくさんみてなかったら、相談員の人がいなかったら。
多分今までと同じように逃げていたかもしれないなと思う。
近々この結婚相談所を退会することになる。
いのちのでんわと私の両親について
小学3年生の時です。
その時はたしか女の子の友達とその子のおうちに遊びに行って家庭科で教わった縫い物して遊んでいました。
私は刺繍糸から1本の糸を取り出すときははゆっくり引っ張らないと残った方が塊になることを知ってたけど
友達はしらなかったんだよね。それで刺繍糸はぐちゃっとなった。
頑張ったけどほどけなかった。
もう私はかなり怒って泣いた。
当時私はいじめられっこで貧乏でいつも発狂寸前だったからそんな怒り方は私にとっては不自然ではないんだけど
普段だったらその子含む友達に徹底的に言い負かされ、または呆れられて
私の発狂もその日のうちにはきちんと後悔に変わっていってたんだけど、その時にかぎってその子は申し訳なさそうにしてたはず。外で遊ぶと一番怖い子だったのに。
その子もちょっと特殊なおうちでお父さんが怖かったから、おうちではいい子にしていなきゃいけなかったのかもしれない。
私は自分でもなんでそんな小さなことでって思いながらも発狂し続けた。
母は困った顔をして他の色があるでしょ?と笑顔で言った。
家に帰っても次の日になっても発狂していた。
学習用の裁縫セットは私が持っている物のなかで一番立派でみんなと同じ金額のものだったからだと思う。
そのうち死にたい死にたいとほんとに思えてきてしまって、でもいのちのでんわに電話した。たしか、学校で冊子をもらってとっておいてたんだと思う。
夜だったけどその時はわりとすぐ繋がって若い女性の相談員の方が話をきいてくれた。
そしてふたつのことを教えてくれた。
ふたつめは「ただしい使い方を教えてあげればいいんだよ。」
当時もそんなんわかっとるわ!とか思ってたはず。
正義感が異常に強くて良い子ぶりっこの、いつもの私に戻ってきちんとお礼がいえた。
父は酒をいつも飲んで怒ったり激励したりしていた。私を。
いのちのでんわの女の人が私の両親の代わりになってくれたなあ。
別にすごいカウンセラーじゃなくても、完全に第三者として聞いてくれる人がいてくれたから私は癒されたんだと思う。(お姉さんごめん)
大人になれば第三者って友達ーとか精神科医とかいろいろいるけど子供にはいないからね。
もし近くにこどもがいて、困っているようだったら
いのちの電話に相談してみたらー?なんて気楽に進めてほしいなあと思います。
あなたはその子の両親と繋がりがあるから完全な第三者としてその子の目に映らないと思うんです。
自分がどんな環境でも関係ない、きれいに正しいことを教えてくれた。
書いてて私はこれからも心がけよう、と思ったよ。
結婚相談所がまた営業かけてきて、申込書類一式を置いていった。
いつも玄関で突っぱねてたけど、相手がだれでもおしゃべりさえできれば良い母が、散々喋ったあとで受け取ってしまった。
相手に求めること、を書いていて嫌になって、部屋の隅に投げ捨てた。
相手に希望する年齢欄を書いていた。
10年前、20から35って書いていた。自分はまだギリギリ20代だったし、結婚というのは子供をもつことも考えるものだと思っていたから。
今、20から35って書いた。書いてから消した。30から45って書いた。消した。消してから書類を投げた。
20歳も下の女と結婚したいって、なんだよそれ。最大でも5歳下ってなんだよ。
それ言ったら自分は40のジジイじゃないか。どう考えてもおっさんじゃないかよ。身の程知らずじゃないか。
前に母がぎゃあぎゃあ騒いで結婚相談所に通うことになった時、年収は350万だった。
仕事がんばってきたけど、10年かけて、今やっと500万だ。ダメだろ。
容姿と性格に難がある。難があるのだ。結婚なんかできるわけがない。
スマートな大人の遊びを知らない。ごはんの美味しい店もわからない。デートのプランをたてられないし、エスコートできない。頑張って下調べしても、喜んでもらえたことはない。自分も楽しくない。
そもそも人品が卑しいのだ。両親には「あなたには理解できない趣味をしています」という意味でアニメが好きとか漫画が好きとかゲームが好きとか言っているが、今季のアニメなんて全く追いかけてすらいない。漫画雑誌も買っていない。ゲームも無料ゲームたまにするだけだ。昔はたしかに好きだった。今は楽しめない。心に余裕が無い。
一番楽しいのは、自分の部屋で2chなどのまとめサイトを見て馬鹿がひどい目にあっているのを見て喜ぶことだ。本当かどうかはどうでもいい。馬鹿がひどい目にあっていればそれで嬉しい。
それでいて自分の書類の趣味欄には読書とか書く。なにが読書だよ。読んでるのは文学でも教養書でもなくて、キチママが暴れて逮捕される話じゃないか。バカ旦那が調子に乗って離縁される話じゃないか。
それに、「どういう女性が好みなんですか」って質問に答えられるわけがない。この質問、相談員も聞いてくるし書類のアンケートにもあるんだけど、答えられない。好みができるほどそもそも女性と接触がない。
「たとえば好きなアイドルとか」ってアイドル知らないし、テレビの中の芸能人好きになったことない。テレビドラマのキャラクタだって好きになったことない。いや、それどころか、アニメだって漫画だってゲームだって、「好きになる」ほど興味をもったキャラクタなんていない。
かといって男性が好きなわけでもない。
そもそも自分だって嫌いだし、ときどき世界滅べって思ってる。なんの痛みもなくスイッチを切るように自分を消せるなら、たぶん今までの一生で何回かそのスイッチ押してる。
そんな自分が好む女ってなんだよ。なんでもしてくれる神様か奴隷かそういうものだろう。そりゃ人間じゃなくて道具じゃないか、ほとんど。あとそういうこと言うとマザコンとか言われたりするが、母親ってのは気まぐれに来る雷雨みたいなもので望むことはなにもしてくれない、邪魔だけはする、特に理由も意図もなく傷つけてくるものなんじゃないのかい。
こういう自分のような男と結婚して幸せになれる女がいるとは思えない。相談所であったり、知り合いの紹介で会ったりして、女性はちゃんと人格を持った人間であると理解している。書割じゃないし、道具でもない。自分が婚活市場に出て行かないことは、あらゆる女性に対して幸せなことなんだと思う。だから結婚相談所行きたくない。結婚したくない。一生童貞でかまわない。
でも、親が親戚が、ちょくちょくうるさい。彼女作れ結婚しろ子供作れ。できない。できるわけがない。だれかを不幸にして幸せを装って親の、親戚の、毎日の楽しみというステージに立てって言われているとしか思えない。
できるわけがない。
結婚したくない。結婚相談所行きたくない。彼女作りたくない。子供なんて無理。
何度言っても、両親に届かない。
①「RANKA(ランカ)」
・男性の性被害者のための自助グループ。一部のセクシャルマイノリティも参加できる。
・公式サイト(携帯電話 OK):http://ranka21.blog.fc2.com/ (「自助グループ・RANK
・メールアドレス:ranka444@gmail.com (連絡はメールのみ)
・本人がみずから会場を確保すれば、全国どこででも開催できるシステムを採用しているので、
積極的に参加するように言い添える。
・自助グループに関心がある場合は、RANKA以外にも、誰でも自由につくれることを伝える。
・「If He Is Raped」: http://www.biwa.ne.jp/~genbu/ (If He Is Raped でネット検索)
男性性被害をテーマにした日本語の個人運営のホームページ。「~genbu」の「 ~ 」は、チルダ
(shift キーを押しながら、右上のキーの「^」を押す)。
・「Male Survivor」(メイル・サバイバー):http://www.malesurvivor.org/
世界最大の男性の性被害者支援のための米国 NPO。必要な情報はほとんど入手できる。
でも、雇用期間が短い。
初めてだと1から教えて、でも、ある程度覚えたら、はいおしまい。
それでまた、新しく求人してる。
同じとこで働いた人は雇いませんと書いてる。
これって、雇用問題を解決させてるの?
きっとこれって、全国的にやってる事だよね。
なんか変だよね。
こんなのもある。
↓
2013-03-07 10:29:13
求職者に仕事紹介するハローワーク非常勤職員2,200人が失業-理不尽な官製ワーキングプアの実態
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11485147659.html
こういう実態について、誰も何も言わないよね。
大事な話だと言う。
もう分かっていた。推薦の取り消しだ。
さかのぼること夏休み。
かなさんに伴われて、ぼくはメンヘラ女のバイト先へ行き、休憩中、近くの公園で別れを告げた。
「そう、わかった。」
かなさん「なんか嫌な感じね。きみ、あぶないかもしれない。」
意味深なことをいうかなさんに僕は動揺した。
現にぼくはかなさんにすごく惹かれていた。
まあそれもれもメンヘラ女の反動だ、と自分を納得し、その感情を押し殺していたが、
やっぱり素敵だった。
そして、メンヘラ女の大逆襲が始まった。
と書かれた手紙が添えられていた。
父はそれを車の中で開けたので誰にも見られなかったそうだが、
もし職場であけていたら大変なことになっていただろう、と怒鳴りつけた。
ぼくは事実を伝えようとしたが父親は聞く耳をもたなかった。
「母さんには黙っててやるから。二度とこんなことはするな。」とだけ言って。
いま思い返しても処女ではなかったと思う。
またもや平穏な日々が過ぎた。
父と違い、母は聞く耳を持っていた。
彼女と付き合っていたのは事実だが、ぼくはそんなことはしていない。
まず、隠しカメラで撮られたと思われるハメ撮りのキャプチャ画像が家のポストに投函された。
ぼくは家にいられなくなり、友達の家に逃げた。
お前の写真が学校宛に届いたんだが、いちどご両親含めて相談したい、
という話だった。
ぼくは呼び出された日時に、学校の会議室へ両親とともに座っていた。
担任、学年主任(2年のときの担任)、教頭、校長、もう一人なぞの人物がいた。
校長が席に座ると、そのなぞの人物を紹介した。
「この人は○○さんと言って、わたしの顧問弁護士をしてくださってる方だ。もし何かあればいつでも相談して欲しい。」
僕にはもう逃げ場がなかった。廃墟で撮った彼女のヌード写真すら送りつけられていた。
「被害届を出してもいいんだが、まず事情を知りたいので話して欲しい」と弁護士の人が言った。
彼女とはネットで知り合ったこと。廃墟めぐりが共通の趣味で、いつしか写真のような深い関係になった。でもぼくは彼女のいうようなことはしていない。
母親にだけは聞かれたくなかったので、外に出てもらっていたので、かなり詳細に正直に語ることができたと思う。もちろん、すでに写真とビデオが全てを物語っていたのだが・・・。
弁護士には一度警察に相談しに行くように進められ、その日は終わった。
当時ストーカーなんて言葉がやっとできたくらいで警察の対応もずさんだったし、ましてや男が被害者なんてあり得ない、という感じだった。というより担当してくれた相談員は、ストーカー、というものを全く理解していないようだった。
僕は絶望を感じながら家路に着いた。
そして、冒頭へ戻る。
メンヘラ女は直接大学へ行き、僕の名前を書いた封筒を学生課に手渡したそうだ。
こうした証拠がある以上、大学側もこの生徒を受け入れることはできなくなった。
そんなことをいわれたらしい。ぼくはもう疲れていたのでなるがままに身を任せていた。
結局、推薦が取り消しになり、大学への興味も失ってしまい、その後の半年は死人のように引きこもり生活に入った。
卒業はなんとかできた。
3月になりこのままではあかんと、東京の予備校に通うことにした。寮に入ることにもなった。
ぼくがたちなおれたのは、かなさんのおかげだった。
なんどか僕の様子を見に来てくれ、会うたびに生き霊が弱くなっている、消えかけているからもうそろそろ大丈夫、と励ましてくれた。
実は大学時代にできちゃったので、そのまま退学して働こうと思ったのだが
せっかく苦労して入った大学を辞めることはない。私が支えてあげるから、大学だけは卒業しなさい、と言ってくれたのだ。
いまは三人の子宝に恵まれ、平凡だけど幸せな日々を送っています。
http://anond.hatelabo.jp/20140619175802
廃墟巡りとかしてた時の話
http://anond.hatelabo.jp/20140618215648
http://anond.hatelabo.jp/20140618225338
http://anond.hatelabo.jp/20140619142752
毎月60~100時間以上も残業してるのに「みなし残業」扱いのせいか、給与はいくら働いても額面では15~18万の間で、酷い所はそこから
某かの会費を徴収されて手元に残るのは10万を切る事態になってる。
これは正社員のケース。
バイトは更に酷い。
時給制パートの扱いだと、社保無しにも拘らず満額で8~10万前後と異様に低い。
特養も老健も施設は凄く豪華なのに、働いてる介護士さん達は難しい試験をパスしてやってきた専業介護士という奴で、それなりに貰えるはずの給与が殆ど貰えず
このような状況で人手不足だなんだと嘆かれても若者は食指が動くはずがない。
もっと〇〇手当などを充実し契約書も交わして一般的な労働者と同等額かそれ以上を支払う事が出来れば、この3Kと呼ばれる「きたない・くさい・きつい」にも耐えられるんじゃないか。または、更に敷居をもっと低くしなければならんと思う。
大卒で相談員とか上級職になろうとすると社会福祉士のように社会福祉系の大学を出ていないと取れない免許が条件となると、
仮に法学部を専攻して卒業しても新たに介護関係の大学ないし専門学校に通わないと行けない二度手間に果たして給与が全く魅力的でない
比較的簡単に取れると言われてる二級ヘルパーを取って3Kを味わうのも良し、か。
今の介護業界が不人気なのはそのきつさに見合う給与が全く支払われていないためなのだ。
若者は悪くない!
http://anond.hatelabo.jp/20131118042255
労働基準監督署も似たようなもので、最近よく聞くいわゆる「ブラック企業」に対して何もしてくれない。なお、ここで言う「ブラック企業」とは、「労働基準法に違反している企業」と定義する。
まず相談に行くと(「申告」前提でさえも)、最初に出てくるのはバイトの「相談員」。これの当たり外れがひどすぎる。精力的に話を聞いてくれる人がまれにいる一方で、老後の片手間にやっているような人が大勢いる。彼らの役目はいかに監督官までに話を持っていかないで相談者を門前払いをするかにあるようだ。彼らの決まり文句は「まず自分で会社に言ったの?」や「ここは労働者の味方じゃないから」というもの。また、問題を自分の詳しい分野にすり替えることもよく行う。
この「相談」で多くの人が無力感を感じ、加えて相談した方が何か誤っているような印象を植え付けられ、結果的にブラック企業の味方をすることにつながっている。「リソースが足りないから仕方がない」とうそぶき続けるのはいいけど、これじゃあブラック企業とその関係者は大喜びなんだなと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20130717100458
もし、君がこれを読む機会があるならば最後まで読んで欲しい。
私の話を少しだけ聞いてくれ。
私も、君と同じように内定がないまま卒業した。正直、今の君の気持ちに当時は近かったと思う。
私は、高校生から大学生の就活までずっと目指していた業界があった。どれぐらいかと言うと、大学に通いながらバイトで学費を稼ぎ、夜間の専門学校まで通っていたぐらいだ。
毎日それについて考え、きっと自分は成功するだろうと恥ずかしながら確信していた。
しかし、就活は私にスタートラインさえ立たせてくれなかった。就活に失敗したショックもあるが、なによりもスタートラインさえ立てなかったことが絶望だった。
私が目指していた業界というのは、ハッキリ言ってそこまで入るのが難しい業界でもない、しかし私は拒まれた。
就活を通して成長(笑)みたいなのや、本当に絶望したことがない奴が言う説明会の苦労話には反吐が出た。
後日談、
私はその後、卒業後半年間フリーターをしながら就活を続けた。結果は出なかった。同時にその業界に対する熱意もすっと消えていった。
その後、職業訓練校に通いWEBの技術を学び、プログラマーになって働いている。
なった理由は色々あるが、面接重視から逃げたかったというよりも、人の気分や評価によって自分の人生が左右される職業に就くことに、どうしても我慢出来なかったからだ。
もちろん、プログラマーだってコミニケーション能力は必要だが、それは面接でのコミニケーション能力とは全然違う。
ただ、苦手なことに対してどうにかしようとする努力ほど疲れるものはないし、それをしないことに全力で努力するべきだと今は感じる。
私なりの考えを言うと、人生は80年ぐらいある。1年かまあ2年ぐらい無駄にしてもいいじゃん。
20代の1〜2年の損失は大きいという反論も事実だが、事実なんだからこの際これ以上考えてもしょうがない。
考えてもしょうがない問題なら、考えないほうが私はいいと思う。
何やっても上手くいかない時期というのはある。
ネットでは色々言われているがハローワークは使えた。相談員の人が一緒になって志望動機や企業研究を考えてくれる。
俺のスペックだが、
やってます。
普段の仕事では英語は全く使わないのだが、年に1回程度、英語を使う仕事が降ってくる。海外子会社の社長が来るから明日の4時に同時通訳してね、とか、このパンフレット今日中に英訳しといてね、とか。出現頻度が低い割には、突然プロな仕事が期待される。
自分の(外面の)経歴的に、社内で英語完璧超人な立ち回りが求められるのはわかるのだが、正直無理。
向こうの学校では、ひいひい言いながら課題やってましたもん。英語でレポート出すたびに、自分より年下の学生アルバイトの相談員に英語直してもらってましたもん。大体が、若干年喰ってから留学してるから、向こうの生活にどっぷりつかりこんでたわけじゃない。友達もそんなにできなかったし、研究室と図書館と自宅の往復、みたいな留学生活。そんな感じでどーにかこうにか卒業した後は英語は使わないんだから、もともとプアな能力がさらに錆びついてる。
②学部時代に1~2年程度、交換留学プログラムなどを使って留学
④小学校以前から海外(海外生まれ含む):いわゆる帰国子女のパターン
などなど。
自分の場合は、③で、研究留学といったりもする。①のワーキングホリデーや、②の交換留学パターンとくらべれば、ちゃんと英語はできるつもりだが、いかんせん20年以上も日本で育ってきた人間が海外に数年いたのみなので大したことはない。本格的なバイリンガルで英語を生活の糧できるような④のような人たちと比べられてしまうと全然だめなのです。
英語を副次的な能力として使うことはできる。あるいは、英語を専門とするプロを雇う、という働き方ならできる。でも、僕自身は英語のプロじゃない。
住人である28歳会社員の高木智子が帰宅するその隣には、16歳無職の大西聖闘が居た。
「この部屋を使ってね。布団は干しといたから」
智子が指し示したのは畳張りの北向き四畳半。
一間の押入れは襖が外されて壁に立てかけられ、一組の畳まれた布団が中に置かれている。
聖闘の部屋の腰窓からは外廊下が見え、内廊下の向かいには風呂とトイレがある。
廊下を出て左には玄関、右にはダイニングキッチン。そしてその先には日当たりのよい智子の部屋があった。
智子の部屋は六畳のフローリング張りで、シングルベッドが置いてあり、ベランダに繋がっている。
築年数は30年前後だが、水周りだけはリフォームされ、掃除も行き届いた小奇麗な印象の部屋だ。
智子はこれまで築年数15年程度のワンルームマンションに住んでいたが、聖闘との同居が決まって住み替えた。
家賃は管理費込みで7万だ。智子の手取りは月22万。聖闘に出る国の手当てが5万なので、充分な暮らしが出来る。
聖闘は5時間かけて地元から東京に出てきた。諸手続に2時間、智子との顔合わせを済ませて今に至る。
東京に来たのは初めてで、当然小田急線も初めてだった。これからは平日3日、この小田急線と中央線を使って職業訓練校に通うことになる。
智子との暮らしが快適なものになるかそうでないかはわからないが、聖闘に帰る場所が無い事実は変わらない。
中3の頃に、母親が再婚した。聖闘の苗字はそのとき、田淵から大西に変わった。新しい父親には連れ子が居た。
母親は新しい父親の歓心を得るために連れ子だけを可愛がり、聖闘を無視して食事を用意しなくなった。
新しく男が出来ると聖闘を無視し、男と別れると聖闘を猫可愛がりする。
母親が聖闘の実父と別れた、聖闘が小学生低学年の頃から繰り返されてきたことだった。
実父はアルコール中毒のパチンコ中毒で、母親をよく殴った。母親が聖闘を連れて家を出てからは一度も会っていない。
どんな仕事をしていたのか知らないし、もう連絡も取れない。
聖闘は中学をさぼり、家に帰らないことを繰り返すようになった。当然、成績も内申も全日制は無理で、定時制高校に進学することになった。
しかし高校にもほとんど行かず、母親の財布から金を抜いては友達の家やコンビニ、ゲーセン、カラオケ等で過ごした。
そして遂にキレた母親にガラス瓶を投げつけられ、後頭部がパックリと割れて7針縫った。
入院していたら、役所から相談員が派遣されてきた。そこで説明を受け、東京の会社員の家で暮らすことを決めた。
智子はニッコマ文系学部卒の、6年付き合った彼氏と破局して2年になる会社員だ。
両親は千葉市内に戸建てを構えており、きょうだいは妹一人だが既に埼玉に嫁いでいる。専業主婦で子供は1人。
聖闘を初めて見たときは驚いた。片方の耳の上を刈り上げ、片方を伸ばしたアシンメトリーな髪型。
しかも金髪でピンク色のメッシュが入っており、根元からは3センチくらい黒髪が伸びていた。
智子がこれまで見たことのなかった人種である。いや、探せば電車で乗り合わせないこともないのだが(特に町田で乗降する人々に)、
自分には関係が無いと思って生きてきたので、ちゃんと認識していなかったのである。
聖闘の両耳にはピアス穴が開いているが、誰かに言われて外したのか、ピアスは付いていない。
そして一つのピアス穴が膿んで、黒ずんだ紫色と黄色が混じったような色になっている。不衛生な開け方をしたのだろう。
智子は肩を少し過ぎるくらいの長さの暗い茶髪だ。会社の服飾規定のため、明るい髪色は禁じられている。
しかし、智子はそもそも明るい髪型にしたいとは思わない。目立つことを好まないからだ。
まめに染め直されてトリートメントされた肩を過ぎるくらいの長さの暗い茶髪というのも、社内で最も目立たないスタイルだからそうしている。
短大時代にイベントコンパニオンをしていたという美人の派遣社員に影響されて一時はネイルアートなどしていたが、
金もかかるし飽きたので現在はパールの入った桜色の単色ネイルに落ち着いている。
親に心配をかけるのが面倒で、無難に・普通にと生きてきたが、結婚はうまくいかなかった。
これといった趣味もなく、仕事も無責任な勤め方はしていないが遣り甲斐に燃えているというわけでもなく。
両親や妹ともケンカをすることは無いが、なんとなく分かり合えないような心の距離を感じていて、
両親は実家から通える大学を希望していたが都内の進学を決め、一人暮らしを始めた。それ以降ずっと一人暮らしだ。
何のために、誰のために生きているのかよくわからない。
バカバカしいとは思いながら、スピリチュアルやら新興宗教やらにハマってしまいそうな自己不安定感。
そこでたまたまやっていたNHKスペシャル、特集されていた新制度。
親にも同僚にも言わず軽い気持ちで応募してみたら、なんと選ばれてしまい…。
そんな二人の生活はどうなるのか。
ただのおねショタエロ創作になってしまわない、リアルな社会階層の話とかの硬派な建前を保った感じで誰か小説にしてください。
あと映画化してください。映画のほうはPG12~R15+指定(暴力描写じゃなくて性的描写が理由)くらいがちょうどいいです。
※追記※
具体的には話せませんが、断った理由は、一言で言えば「歩み寄る姿勢が見られない」事です。
考え方や価値観の違いはあって当然ですが、それを双方認識した上で歩み寄る作業はしない、
寧ろそういうものは歩み寄る以前の問題だと言った事が決定打でした。
良く、話し合えない、歩み寄れない男女は結婚できないなんて言うけど、結婚相談所の相談員やお見合いの仲人さんからも、話し合い、相談、歩み寄りは必要と諭されるはず。結婚したらそれこそ、そればかりになるわけで。
価値観は合うけどそれで乗り越えられないほどだったという事は、相手がとんでもなく頑固だったってことなのかな?