はてなキーワード: 流産とは
友人が子を産んだ。何年も不妊治療をしていて、一度流産もした。だから喜びもひとしおで、しかも前の子を授かった同じ月に今度の子たちを授かり、先日無事産まれた。ただの偶然だろうけど、とは言え、友人とエンエン泣いた。
そして次は別の友人が子を授かった。双子だと言う。そう言えばね、わたしの友達もこの前産んでね、不妊治療をずっとしていたんだけど、治療をしてると双子や三つ子が多くなるって話だね、そこまで話すと友人がわっと泣き出した。わたしも治療してたけど、だから双子って言うのなんなの、みんな言ってくる、不妊治療ってそんなに悪いことなの? と。
わけがわからず、ひたすら謝った。違うんだよ、あのね、と説明するうち友人は落ち着いて、ごめん取り乱した……と言っていた。仕方がないよね。不安定になるものらしいもんね。早く楽になるといいね、でも産まれたら産まれたらでまた……。不安定で辛そうだったし、いいことばかりの未来はないとわかっているけどと言いつつも、話をするうち、友人は笑顔になった。楽しみだね、何かあったら教えてね、と別れた。
医の神アポロン、アスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。
この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
依頼されても人を殺す薬を与えない。
どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
私は2ヶ月間だけママになった。
生理が来ない、かついつもの生理前とはちょっと違う感覚(体が火照る、乳首が痛いなど)があったため、妊娠検査薬を使った。日を開けて2回やったが、どちらも陽性だった。
この時にようやく、私は自分のお腹に子供がいることを実感し、日々を気をつけながら生きるようにした。
走らないように。
禁酒するように。
ストレスを溜めないように。
元気に生まれてきてね。
少量の出血だったり、茶色だと心配ないという記事がある中で、私の出血は多量かつ鮮やかな色をしていた。
「ああ、これは流産しちゃってるね」
覚悟はしていたのに、それでもやっぱりショックだった。
旦那と一緒に出産を待ち望んでいた少し前が本当に輝かしく見えた。
初期の流産はよくあることで、赤ちゃんに原因があると言われたが、やはり自分の中では後悔と自責の念がじんわりと募る。
それと同時に、子供を授かるというのは本当に奇跡なのだと思う。
様々な困難を乗り越えて生まれてきた子供は、本当にかけがえのない存在なのだと、たった2ヶ月間だが、母親になったことで改めて認識できた。
綺麗事ではなく、一つの命は奇跡も同然の存在。それを無碍にするのは、冒涜と言っても過言ではない。
とはいえ、自分も自殺を何度か考えたことのある人間なので、そう強くも言えないが、どうか、どうか自分の命の価値を今一度考えてほしい。一つの命が簡単にできると思わないでほしい。
術後、女性の医師に診てもらって子宮綺麗ですよと言われたので、
綺麗って何ってちょっと思った。
悲しいのか何なのか分からなかった。
可哀想と思って涙は少しでた。
結婚8年目で、途切れ途切れにだけど不妊治療をして、初めて陽性の印を見た。
エコーを見た。心拍を確認した。母子手帳を取りに行って、産院を決めた。
義父母、実母にも伝えた。喜んでもらえて嬉しかった。あまり喜ばせた事がないものだから余計に。
産院に決めた病院に初めて健診に行った時、きっとこれから有給を使う機会が沢山あるし、出来るだけ有給は使いたく無かったから、フレックスで遅く出勤する事にしていた。
待っている間に、産休について調べていた。
産前は産休を請求しなければ出産直前まで働いていいんだって、私はいつまで働くのがいいかな?と夫にLINEした。
受付から3時間経って、コアタイムに間に合わなくなるんじゃないかとハラハラしてた。
診察後に保健師さんから話がありますよと言われて、それじゃ完全に出勤時間に間に合わないなと頭を抱えた。
それって次回にできませんか?とダメ元で聞いてみたけど、それは難しいと言われてこれは遅刻だな半休かなと考えていたら診察に呼ばれた。
「あー…
赤ちゃんが育っていませんね…」
え
そうなんだ
エコーで見た赤ちゃんは小さいけど頭と体があって、人のようなシルエットをしていた。
心拍が確認できず、前回の診察から育っていない、9週なのに明らかに小さい。
前回の診察の数日後で成長が止まったと考えられる、
手術をするか?それとも自然に任せるか?と聞かれた。どちらがいいか分からないと言ったら
今後のために手術をお勧めする。ご主人と話して決めて明日来てくださいと言われた。
冷静を装ってはい、ありがとうございました。と言って診察室から退出したけど、初診だからどうやって会計したらいいか分からない。
受付の看護師さんに声をかけた。
「あ、そうですね、まだなんですけど、いらないと思うんです。えっと」
だって流産なんです、とは他の妊婦さんの前で言えなかった。だってそんなこと聞かされたら胎教によく無さそうだし、
なんというかさっきLINEで自分で打ったのに、口に出すのは憚られた。
「聞かずに帰ると言うことですか?」
怪訝そうな顔で看護師さんが見ている。何か言わないとともごもごしていたら、もう一人看護師さんがきて、向こうで話を伺いますと離れたスペースに案内してくれた。
ここなら他の妊婦さんに気にする事なく言う事ができそうだった。
「さっき流産と診断されたので、保健師さんの話は必要ないと思うんです。会計をお願いします」
後半は泣いてしまってまともに言えなかった。悲しいと言うより衝動的に涙が出た。人前で泣くなんて迷惑をかけてしまった、早く泣きやめと頭だけは冷静に考えた。
家に帰って病院でもらった書類を夫に渡して、パソコンをつけて出勤して、溜まった連絡を片付けてようやく隣にいる夫に向き合った。
手術をしようと言うことになった。
1ヶ月とちょっとだけど一緒にいて、
名前も考えているところだった。
頑張って保活して、2人とも職についたまま地元に帰って子供と暮らせる家を建てようねって夫と話していた。出産までに貯金も増やそう、でもそんなにうまくいかないかも、私いい加減だからなって不安だった。幸せにしてあげたかった、と思う。
と、言うことが全てなくなった。
昨日、私の中から居なくなった。
やっぱりこれは自己憐憫かも知れない。どう思い出しても自分のことばかりだから。
でも、いいわけかも知れないけど、その子のこと悲しむにもまだ何も知らなかった。
初期の流産は染色体の異常で起こる事が多く、完全には防ぐことはできないというのは、不妊治療をする上で知っていた。でもやっぱりああすれば良かった、ああしなければよかったと言うことはたくさんあって、自分のせいじゃないかと思わないでもない。仕事してなかったらとか、もっと前から葉酸飲んでればとか、もっともっと以前から身体を大事にしていればとか、
ごめん。申し訳ない。
初期の流産は珍しいことじゃない。だからこんな長文を書くほど嘆くことじゃないのかもしれない。何故こんな事を書いているのか、
きっとそのうちこの気持ちを忘れてしまうのが嫌だからだと思う。
自己憐憫か分からないけど、悲しいと思う。妊娠が分かって嬉しくて、居なくなって悲しかった。夫にも悲しい思いをさせて申し訳ないと思ったし、子供に申し訳ないと思った。
それを忘れてしまうのは嫌だと思う。他の人は知らないから私だけは覚えておいてあげないといけない。いけないのに、私はアホだから忘れてしまう気がする。
父が死んだ時どう悲しかったか、だんだん分からなくなってきたから、それ同じように。
書けば覚えておけるかもしれないし、インターネットが覚えておいてくれるかも知れない。
この記事を消しても忘れないように、
自分で覚えておけるのが1番いい。
弁護士の人が、マタニティマークをパロって「お腹に赤ちゃんはいません」と印刷したTシャツを作ったらしい
https://twitter.com/ryouheitakaki/status/1372188849611317253?s=21
腹が出ているのはデブなだけですよ、的な、まあ雑であまり面白くもない冗談だ
ただ、まあその程度だ つまらんだけ
しかし、これへの反応がスゴイ
中絶・流産経験のある人が傷つくんですゥー!つって、無数の人が群がってボコボコにしている
吐いたとか泣いたとか言ってる人もいる
傷つきやすすぎだろ
「同意なんて一切とらずに平均80年ある人生を強制的に押し付ける」なんて、もうゴリッゴリの加害行為じゃん
ヘタしたら殺人より加害性高いよ
死んだらそれまでで、苦しみは持続しない
つか、生まれなかったら殺されることもねえしな
それを失敗したから何なんだよ
親に対しては「目論みが失敗したな」
それ以上の感情はねえよ
ぜんっぜん可哀想でもなんでもねえ
10年かけた殺人計画が失敗した!その悲しみを思い出させるな!つって殺し屋コンテンツに喧嘩を売る狂人がいたとして、なぜそいつに配慮せないかんのか
罪もない、放っておいたら非存在のままでいられたものが、エゴによってこの世に引っ張り出されて苦しみ始める瞬間、まごうことなき悲劇なんだよな
妊娠出産、なぜか「幸せなもの」扱いされてるけど、幸せなのは子供以外の人間だけじゃん
子は宝!とか言ってるやつらも、30歳になって働かねえで食っちゃ寝してる元・子供には超冷淡 子は宝なんじゃなかったのか? 何歳だろうと子は子だよなあ?
生まれたくて生まれたわけでもなく、育ちたくて育ったわけでもない存在に対して、クズだなんてよく言うよな
やっぱ、ヘンなホルモンが出て気が狂うのかな
つか、親になった人間も子といえば子なんだよな
好きで馬鹿になったんじゃないだろうし、責めちゃあいけないのか
この世って難しすぎるよ〜
数年前、日曜日のおやつ時にマ○クで1人ぼんやりと外を眺めながらフルーリーを食べていると、隣に座った優しそうなおばあさんに、「それはどっちで買えるの?」と尋ねられた。
そこはカフェが併設されてる店舗で、普通のハンバーガーなどを買うレジとは別のカウンターがあって、ケーキやカフェラテなんかはそっちで買えるようになっていた。
「これはハンバーガーとか買う方のレジで買えますよ」とお伝えすれば、「そうなの。今度買ってみたいわ」とふんわり微笑まれた。
「数年前に独りになってから、週に一度ここでご飯を食べるのが楽しみなの」とおばあさんが微笑まれたので、「そうなんですね」と相槌を打った。
それで会話は終わってしまい、私はフルーリーを食べきって店を出た。丸まった背中でハンバーガーを食べるおばあさんの姿が忘れられない。
あれは60年後の私の姿だ。
そしておそらく私はあのおばあさんよりももっと寂しいだろう。
「数年前に独りになった」という言葉から推測するに、あのおばあさんには旦那さんがいたのだろう。
私は多分結婚しない。相手がいないし、できるとも思っていない。それは別にいい。結婚したいとも思ってないので。
ただ、あのおばあさんのように1人で生きて、週に一度のファストフードを食べる事を楽しみに生きていたいと思えない。
歳の差や平均寿命、病歴を考えると、父が先に他界するだろう。(考えたくもないけど)
広い家で1人過ごす母の姿を想像するだけで泣きそうになる。
母方の祖母の様子とか、基本的に馬が合わない(嫌いではない。喧嘩しやすいだけである。)彼女と私の性格を考えると、一緒に暮らすのもしんどそうな気はするが、それでも母を独りにするのは嫌だ。
だからまあ、独りでハンバーガーを食べる母の姿は想像しなくて済みそうだけれど、そうなると私はますます結婚なんて出来ないだろうなと思う。
田舎は結婚するのが早いので、独り身の30代40代なんて滅多にいないだろうし、いたらいたで何らかの問題がある人だ。(盛大なブーメランであることは自覚している)
だからまあ、生涯独身のまま、生を終えるのだろうなと思っている。
そうなると、私はあのおばあさんのように独りで生きていけるだろうか。
田舎なのでファストフードのお店に行こうと思うと車で15分ほど走らねばならない。無理だ。
年金がもらえる保証も無いし、今の仕事で貯金が出来るような余裕もない(これは私が趣味にお金をかけすぎているのもある。反省している)
仕事辞めて生きていけるだろうか。ていうかそこまでして生きていたくない。
私が今生きているのは産んでくれた両親より先に死ぬのは申し訳ないし…というのが結構大きい。
その次に趣味とか友人とか、生きてて楽しい事があるから生きている。
上にも書いてある通り、結婚願望がない。恋愛への興味もない。家族がいれば、その人たちの為に生きたいと思うのかもしれないけど、今の私にはその人が両親で、多分両親以外のそんな人はこれからも現れない。
なので両親を看取ったら、頑張ってまで生きなくても良いんじゃないかと思っている。
でも別に自殺したい訳じゃない。痛いのも苦しいのも嫌だし。自殺したら姉家族に迷惑掛けそうだし。
多分私が60になる頃には、親はもう他界しているだろう。そうしたら1・2年仕事頑張ってお金貯めて、ちょっとだけやりたい事やって、色々準備をして、安楽死できる国に行きたい。
日本も安楽死できるようになったらいいのに。税金無駄遣いしなくて良いし、メリットでは?
追加
思ったより反応があってびっくりしました。
同じような感覚の方もいてちょっとホッとしました。気になったやつにだけちょっと返信します。
→たしかにおばあさんは可愛かった。日々の中で楽しみを見つけ出してるのすごく素敵。ただ私があのおばさんの立場になったらそう考えられず毎日寂しいんだろうな、と思って辛くなった。
→他人を安楽死させるつもりは毛頭ないよ。両親には長生きしてほしいよ。自分で自分の事をやれる間に全部身の回り片付けてしにたい。「私が」しぬときの選択肢に安楽死がほしい。
欲しがってるのは単なる自殺
→まあ死にたいと言っているのでそうなるんだろうな。自殺したいわけじゃないと書いたけど、今すぐ死にたいという意味での「自殺したい」ではなく、「生きるために生きていたくない」と言えばいいのか。説明が難しいな。元気でわがままで若い人に押し付けがましいこと言って生きていける年寄りになりたくないからそんな人になる前にしにたいんだよ。
あと今ですら歩いて15分のところにあるファストフード店に行こうと思わないのに、わざわざ無料のバスに乗ってまでファストフード食べるのを週一の楽しみに出来るような70.80になってると思えないの。
家族に話してみたら
→2人流産したのにそれでも頑張って妊活してやっとの思いで生んで、好きなことができるようにとお金を貯めてお金をかけて育てた子どもに「あなたたちを看取ったら結婚もせず死にます」って言われたら絶望しません…?恥ずかしいというより申し訳なくてそんな話は出来ないかなあ。親を看取ったあと殺してくれる人がいないから安楽死を選びたい。
→ 未来のコンテンツ(隣の席でフルーリー食べてる人)を見るまでそんな食べ物があると知らなかったコミュ障の私が、隣の席の若い人に「それはどこで買えますか」って聞けるだけのコミュ力と、フルーリーを楽しめるだけの金銭的、身体的余裕を持てると思えないから、楽しめる余裕があるうちにしにたい。
コメント見てて気付いたのは、
父方、母方両方の祖父母が(少なくとも1年以上)看護(or介護)されながら亡くなったを見ているので、「死ぬ間際まで健康体でいる自分」が想像出来ないというのも早いうちに死にたい願望の原因の一つかなと思いました。
ベッドの上で何にも興味を持つことなく、ただ最期まで生きるために生きてるのを見て「私はそこまでして生きたいと思えないな」と思っていたので。多分祖父母には子供がいて、孫がいたから「生きる理由」があったんだろうけど、誰かと結婚するどころか恋愛する気も今のところない私にとって、自分の事を他人にやってもらってまで生きたいと思える理由は無いので、人生を楽しんでる内にしにたいなという話です。
長くなってしまった。最後まで読んでくれている人がいたらありがとうございます。
仕事は忙しくて、常にやることに追われてる。
手術は無事に終わった。
悲しいけれど、自然淘汰で仕方のないことだと割り切るしかないような初期段階の流産だったのと、病院の先生や看護士さんが前向きに声をかけてくれて、前を向こうと思えた。
優しい人たちに救われた。
そして、安静にしないといけない期間にいろいろ考えた。まあ頭の中は仕事のことばかりだよね。
いつもいつもいつもいつも神経すり減らしてストレスためて毎日毎日仕事をしていた。
休みの日は死んだように寝てた。
なんのために働いているんだろう。
色々なところでこんなに人に優しくできる人がたくさんいる中で、私はどれだけ自分のことしか考えないで、余裕がなくて、嫌なことばかり考えて過ごしてきたんだろうって。
こんなこと言ったら、いろんなところから
批判がくると思う。
けど、だめだ。
数年前までは大丈夫だった。
旦那の荷物から元カノの置き土産がダンボール1つ分見つかった。
ただ、ちゃんと育たなかったらしく流産ということになったらしい。
それ以来だめだ。
いろいろ思うことはある。
同棲してたときも、この荷物はアパートの部屋のどこかにあったのだ。
そう思うと気持ち悪い。
私が気づかなかったらずっと今の家にも保管していたのだろうか。
それを見ての吐き出しでした。
私のぶんまで大切に育ててください。
40過ぎて妊娠したのでもちろん心配だったし、羊水検査もするつもりだったけど、流産の危険性もあるし染色体異常しか分からないしで受けるのをやめた。何より、あの検査は安定期に入ってからじゃないとできなくて、数ヶ月お腹で育てた子供を染色体異常だからといっておろせるとは思えなかった。ちなみに、羊水検査では、療育が最も進んでいるであろうダウン症と、そもそも数年も生きられない13トリソミーだっけ?の染色体異常くらいしかない。
いま3歳で身体は丈夫だけど、発達が遅れていて療育手帳はもらってる。定型だったとしても怪我なり病気なりでこの先どうなるかはわからない。
ただ、生まれて1年くらい経った時点でもう他に替えが効かない存在になり、今後どうなってもこの子しかいないと逆に腹を括れた。「我が子だから頑張ろう」みたいな綺麗事とはちょっと違うんだけどね。他に選択肢がないからこれでやっていくしかないっていう感じ。幼なじみがかなり障害の重い子供の親だけど、同じようなことを言ってた。
いまは療育もかなり充実してるし、親がどうしようもなく疲れてしまったなら、乳児院や児童保護施設がある。どちらも虐待被害児の駆け込み寺のようなイメージがあるけど、親の傷病とかで養育できなくなった時に短期間預けるというのがメインの使われ方。まあ実際預けるのには抵抗あるかもしれないけど。そこまで行く前の支援もいろいろあるよ。一度調べてみると安心できるかもしれない。地元の子育て支援センターとか社会福祉協議会とか、電話したらいろいろ教えてくれると思う。
安倍とか維新議員とかダウンタウン的ゲスさに喝采を送った日本人の象徴としか思えない。
流産した妊婦に対して「また殺しましたね」とかリプしてTwitterでバズってたアニメアイコンのクズ野郎いたけど、あんなの思いっきり松本人志系統のウケ狙い感覚。
でもそんなモラルハザードにショックを受けるどころか「さすがに草」などと「日常のおもしろ話」の1つくらいにしか受け取らないバケモノが相当な数存在するというホラー。
松本人志は30年かけて凄まじい数の日本人の倫理観をぶっ壊してゲスのバケモノ化させた。
本気でそう確信してる。
松本人志の罪は重い。
こう言うと語弊があるかもしれない。
コロナ前から飲食店で待たされるのが嫌いで、休みの日は14時とか17時とか人を避ける為にあえて半端な時間に来店する事が多かった。そういうのもあっていつ行っても空いてる店は大好物だ。美味しいとか美味しくないとかは食を楽しむ上での一要素に過ぎない。
ガラガラの店を好むので、自分が通う店は気がつくと閉店してしまう。駅前の洋食屋は無くなった。定食屋も店を畳んだ。寿司屋ももう無い。蕎麦屋も消えてしまった。
なんだか死神になった気分だ。栞として本に挟まれた忍者は平成12年からずっと誰にも発見されず図書館で眠っている。最近近くに出来た店が気になってたので今日覗いてみたら、19時なのにシャッターが降りていた。コロナ禍で流産したのかもしれない。飲食店の命は儚い。