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はてなキーワード: 旧約聖書とは

2024-11-24

旧約聖書では、イブが蛇の誘惑に引っかかったことでアダムとイブ楽園を追われる。

からさ、まあ女って愚かなんだよなあみたいな話なわけじゃない?

でもさ、キリスト教って聖母マリアっていう最強の女の推しキャラが出てくんだよね。

これがね。女にとってはユダヤ教よりもキリスト教のほうが推せる理由になったんじゃない。

キリスト教のほうが、やさしいじゃん。女に対して。

ユダヤ教だったら、ずーっと女は馬鹿だ、って言われ続けないといけないんだけど、

キリスト教改宗したら、聖母マリアっていう強キャラいるかイブのこととか忘れられがちなんだよね。

からさ、女たちはキリスト教のほうがいい、と思ったし、

そしたら男たちにもキリスト教になるように色々と働きかけていくんじゃない?

女らしい賢いやり方で。

キリスト教ユダヤ教の中かから抜け出していったのはそういう女たちの働きがあったんだと私は思ってる。

2024-11-21

anond:20241121205630

堕天という発想が、アホキリスト教のものであり、旧約聖書には「悪の住む地獄」など存在しない

2024-10-28

歴史上最も偉大な弱者男性15選

1. 仏陀ゴータマ・シッダールタ

王族として生まれ仏陀は、物質的な豊かさを捨て、人生の苦悩を理解するために出家しました。彼の苦悩や探求は、彼を「弱者男性」としての立場に置き、真理を求める姿勢が後の教えに繋がりました。

2. ヤハウェ

旧約聖書に登場する神ヤハウェは、信者たちの裏切りや不信による苦しみを抱えています。彼の無限の愛と赦しは、強大な存在であるにも関わらず、孤独感を伴う「弱者男性」の側面を示しています

3. 安倍晋三

日本首相として多くの政治的困難に直面した安倍は、健康問題政治的圧力に苦しみながらも、自らの信念を貫きました。彼の背負った重圧は、彼を「弱者男性」としての立場に置きます

4. 紫式部

平安時代女性作家である紫式部は、当時の社会的制約の中で自己表現を追求しました。彼女作品は、当時の女性としての苦悩や孤独感を反映しており、「弱者男性」としての視点を持っています

5. 清少納言

清少納言もまた、宮廷生活の中で自己アイデンティティに悩みつつ、独自文学を生み出しました。彼女言葉には、社会の期待に反する「弱者男性」としての苦悩が色濃く見えます

6. 藤原道真

平安時代政治家である藤原道真は、流罪にされ、その後の彼の悲劇的な人生は彼を「弱者男性」として位置づけます権力の中での苦しみと孤立感が彼の業績を際立たせます

7. アレクサンドロス大王

大王として名を馳せたアレクサンドロスは、数々の勝利を収めたものの、孤独感や指導者としての重圧に苦しみました。彼の人生は「弱者男性」としての葛藤物語っています

8. スティーブ・ジョブズ

Apple創業者であるスティーブ・ジョブズは、革新を追求する中で多くの人間関係の摩擦を経験しました。彼の孤独感や苦悩は、「弱者男性」としての彼の側面を示しています

9. ビル・ゲイツ

Microsoft創業者であり、富を持ちながらも、社会的批判競争さらされてきたビル・ゲイツは、彼自身価値観人生選択を通じて「弱者男性」としての一面を持っています

10. ソクラテス

西洋哲学の父と称されるソクラテスは、真理を追求する中で多くの誤解や迫害に遭いました。彼の信念を貫く姿勢は、時に孤独を生み出し、「弱者男性」としての側面を強調します。

11. 孔子

中国の偉大な哲学である孔子は、当時の社会に対する批判理想を持ちながらも、政治的無力感に直面しました。彼の思想は多くの人々に影響を与えたものの、彼自身は「弱者男性」としての葛藤を抱えていました。

12. ガリレオ・ガリレイ

科学革命先駆者であるガリレオは、教会との対立に苦しみながらも、自らの信念を貫きました。彼の知識や探求心は、時には「弱者男性」としての立場から孤独を伴いました。

13. ウィンストン・チャーチル

第二次世界大戦中にイギリス指導したチャーチルは、厳しい状況下での孤独や苦悩を経験しました。彼のリーダーシップは「弱者男性」としての困難と向き合いながら発揮されました。

14. ニーチェ

哲学ニーチェは、自己の信念や存在に対する疑問を抱えながらも、独自思想を築き上げました。彼の内面的な葛藤は、彼を「弱者男性」としての立場に置いています

15. ヘンリー・フォード

自動車産業の巨頭であるフォードは、革新を追求する中で多くの批判課題に直面しました。彼のリーダーシップには「弱者男性」としての苦しみが色濃く現れています

2024-10-08

anond:20241008133409

アンタみたいな理解をしている日本人結構いるのかも知れないけど、

侵略も略奪も人類普遍的歴史から諦めろ論を克服するために国際連盟とか国連とか国際法とかが作られた 文明人なら平和と秩序を求めろ 先人の涙ぐましい努力簡単に踏みにじるんじゃない

イスラエル人学者の書いた『ユダヤ人起源 歴史はどのように創作されたのか』を読め 長いからワイは少ししか読んでないけど書評を読んでイスラエル神話の胡散臭さを理解できた

旧約聖書という考古学的になんら根拠のないファンタジー(ただの神話)を実現させるために創られたのがイスラエルであり、

イスラエル人古代ユダヤ人末裔自称しているが、実は一つとして科学的な根拠はない」さらに言うとむしろそこにすんでいるパレスチナ人こそが古代ユダヤ人末裔であると指し示すDNA調査の結果がある

彼らイスラエル人虚妄に囚われたモンスターだ 日本人がかつて「日本神の国日本人神の子」と信じてたようなノリで21世紀の今を生きて周辺住民虐殺し、あの土地一体を全て奪おうとしている モンスターしか言いようがないではないか 

2024-09-28

anond:20240928042603

違いまーす

旧約聖書でーす

はーいろんぱっぱ😝

2024-09-24

anond:20240924144539

かに旧約聖書新約聖書でのシェオルの解釈には違いがあります

旧約聖書におけるシェオル

旧約聖書では、シェオルは主に死者が行く場所として描かれています

多くの場合、単に死者のいる場所や墓を意味していました。

天と対照的な低く暗い場所として描写されることもありました。

新約聖書での解釈の変化

新約聖書になると、シェオルの概念に変化が見られます

ギリシャ語の「ハデス」が旧約聖書のシェオルに相当する言葉として使われるようになりました。

ハデス」は死者が最後の裁きを待つ中間的な場所として解釈されるようになりました。

地獄概念の発展

新約聖書では「ゲヘナ」という言葉も登場し、これが永遠の罰の場所としての地獄を指すようになりました。

この概念の変化は、時代とともにユダヤ教からキリスト教への思想の発展を反映しています

 

かに旧約聖書時代のシェオルは、現代キリスト教一般的理解されている「地獄」とは異なる概念でした。時代とともに解釈が変化し、新約聖書時代になってより明確な地獄概念形成されたと言えるでしょう。

2024-09-20

anond:20240920092803

旧約聖書オリジナル天使ってかっこいいよな。

誰が擬人化したのか知らんけど、センス無いと思う。

2024-09-12

anond:20240911205927

ワイは旧約聖書ロトの娘二人が血を絶やしてはならぬと父の子を孕むところが好きだな

2024-09-07

今週の裏バイト:逃亡禁止解説頼む

映画でよくヨハネがどうの、ノアの箱舟がどうの聖書が絡んでくる感じの話で、勉強したこといか全然からない!

マンガワンで連載中の裏バイト:逃亡禁止の172〜174話のネタバレを含みます

あらすじ:でっかい十字架が海(というか地球)にぶっ刺さってるからそれを船で調査しに行くぜ〜、と思ったら魚に食われたり、トビウオが体にブッ刺さったり苦難まみれで大変!

そして実は、この作品屈指の無敵の味方が変装した神の子十字架に磔にされて人類の罪は許されました!

 しかし一方その頃、十字架の裏側では貫通した十字架存在して、それを見てしまった登山家がいたので、人類の罪は全て裏返ってえらいこっちゃえらいこっちゃになりました!終

前編から十字架が出てくるので聖書関係の話というのはわかったけど、細部がよくわからない。以下メモ書き

魚に喰われるマリ預言者ヨナ

偽橙→磔のキリスト

うみねこ鳴く→有名ゲームでよく出てくるから

船長→色んな罪を犯しているかアダム

みんなでカレー最後の晩餐?次の日に神の子かと思われた尾崎脱落

見てはいけない→旧約聖書含む神話民話モチーフ

裏側見たらアウト→裏バイト独自要素?

以下わからんポイント

6本足の足跡

12人の使徒じゃなくて9人の使徒

船長が言ってた「選別だ」

最後登山家は何?

なぜトビウオ

聖書やら旧約聖書の絡む洋画といえば自分が見たのはノウイングとか地球が静止する人とかマザー!とかなんか日本人にはピンと来ないものが多くてレビューサイト考察とか読んで、ほへーってなってたんだけどそのうち理解できるようになりたいね

2024-08-30

anond:20240830071739

しかすると皮肉のつもりかもしれないけどまさにそうだよ

Twitterでキャッキャしてる人の仲間に入りたければネットミーム知っておくべきだし

欧米アッパー層と親交深めたければ新訳旧約聖書くらいは押さえておくべき

 

教養なんて特定グループに参加するための通行手形みたいなもんだよ

2024-08-28

世の中をめちゃくちゃにしたい。世界をめちゃくちゃにした本を4冊紹介します。旧約聖書, 新約聖書, 我が闘争, そして, 𝘿𝙍𝘼𝙂𝙊𝙉 𝘽𝘼𝙇𝙇...

2024-08-26

お前より俺の方が真面目に創価学会やっている

最近妹が結婚したんだが、その旦那創価学会の人だったんだよね。

創価系の高校出て創価系の大学出ている系の人。

俺は宗教やっている人は嫌いだけど、宗教原典を読むのは好きだから、すごくテンション上がったんだよ。

池田大作の本はほとんど読んでいるし、法華経も読んでいるから、やっとガチの人と話せるのかと思うとワクワクした。

宗教の話できる人ってあんまりいないんだよな。旧約聖書の金の子事件解釈とか、アーラニヤカの心臓内の虚空描写とかで議論を交わし合いたい。

それでテンション高めにその旦那さんに新人革命単行本版と文庫版の表記揺れについて話をふったんだが、どうもこいつ新人革命を読んでないっぽいんだよ。

映画とかでは観たことあるんですけど……」とかいうんだけどさ、流石に創価学会エアプすぎるだろこいつ。

現役創価学会員なら新人革命ぐらい読んどけよ。プリキュアファンなのに初代プリキュアたことないみたいな話だぞ。

マジでイラついてしまった。そんなの自分人生かけている宗教でありえるか?ふざけるなよ、もっと真面目に創価学会やれよ。

日蓮御言葉集の話もできないし、逆に何なら読んでいるんだよこいつは。お前より俺の方が創価学会やってるよ本当に。

そんなこと話していたら妹に怒られて家から叩き出されてしまった。

民衆こそ王者」で池田大作日蓮から破門された苦悩について長々と書き連ねているが、まさにこんな気持ちだったんだろうなと思ったよ。はじめて大作に共感したよ俺は。

2024-08-23

anond:20240823104559

ちゃん教義旧約聖書も織り込んでるからユダヤ教フリーライドしているわけではないんじゃない?

キリスト教徒ユダヤ教エッセンス布教されることになるから

日本宗教フリーライド宗教エッセンスすら布教されないのよ

本当何考えてるかわからんけど御利益だけもらいたいって感じ

2024-08-12

anond:20240811120625

エジプトにいた増田です。

思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています

そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分出会ってきた)アラビア語イスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます

大前提ですが、自分は基本、道楽勉強してきた人間で、職業的研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくま個人体験を元にした個人の感想で、学問裏付けあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。

(いきなり余談ですが、わたし出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリジムスリム、つまりムスリム結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)

シリア人結婚シリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。

また日本在住のマリジムスリムでも、家族親族との交流クルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます

ほとんどの場合ムスリム男性日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした)

先述の通り、わたしアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。

イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンアラビア語はお経みたいなものイラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います

お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。

日本仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味勉強すると思います。非アラビア語話者ムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。

何ならアラブ人にとっても、クルアーンアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。

(お世話になっていたエジプト人の先生クルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見アラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからんものです)

一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います

ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハー勉強します。普段使っているアーンミーヤエジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。

外国人視点で見れば、フスハーアーンミーヤラテン語フランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます勉強しないで自然にできるわけがありません。

話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。

キリスト教聖書は色んな言語に訳されていて、普通各自言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。

何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的理解できるもの第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。

現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップ全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味整合性全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味あいまって全体の美しさが練られると思います歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。

英語ヒップホップ歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉ダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為信仰というものは、容易に翻訳可能知的了解やすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。

特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語ヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。

クルアーン特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教ルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象イメージが多いですね。

音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょエピソード的な話が続くと、とてもわかりやす言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりフレーズがビシッと入りますごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。

またヘブライ語聖書旧約聖書)のエピソード知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。

こうしたエピソードっぽいフレーズ時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます

この文体翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります

わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーン読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。

良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。

余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記学問的な界隈では結構からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのはコーラン」ですよね。

カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります

クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います

では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。

英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。

ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセント表現したようです。

実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人感覚簡単カタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。

別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語ラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。

同様にラテン文字表記英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。

あと不思議なのはアッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。

これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います

その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為のものは単なる殺戮肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚殺戮であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。

では実際のところ、平々凡々たる市井ムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います

色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。

キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですからムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリム感覚同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから

この低水準の信仰感覚というのは、あくまわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います

大人ですから知的敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています

そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています言語文化宗教連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。

まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います

そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢しょうが、違う場所から違う視点ものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。

人生、旅じゃないですか。

2024-07-24

anond:20240724144214

ムスリムフランスのような世俗国家で暮らす穏健な信者でさえトランス含む性的少数者に対して差別的から排除されるのは仕方がない

不寛容差別主義者)に対して寛容であってはならないということ

キリスト教のように

イエス様は愛と平等を説いたのだからキリスト教徒はLGBT権利を認めるべき」

旧約聖書女性差別同性愛差別っぽい文言は新約でイエス様が上書きしたかノーカン

程度にイスラム教現代社会に合わせてアップデートして出直してください

旧約聖書ソーシャルメディア時代に通じる句が存在する」と何度か書いたことがあるが、調べてみると似たような発想を持っている人はいるらしい

例: https://billmuehlenberg.com/2023/07/16/proverbs-wisdom-and-the-social-media/

好戦的で、分別がなく、議論好きなソーシャルメディアユーザーを表す最適な聖書用語は「愚か者」です。

anond:20240724125407

旧約聖書に記されたソドムゴモラを滅ぼした天の火だよ。ラーマヤーナではインドラの矢とも伝えられているがね」

2024-07-21

[] 2024-07-21-2

朝食: コーヒー

昼食: スパイシーモス, ポテト, はちみつレモン入りジンジャエール

 

文庫サイズ聖書がほしいと思ったが、文語しかなかったのでしかたなくそれを購入

だが馬鹿なので集中して読まないと全然理解できなかった

私の設定したなんちゃって安息日の日には、デジタルは使いたくはなかったが、今まで読んでいたKindle版無料聖書土曜日に読んだほうがよさそうだ

なぜ聖書に惹かれるのか、それは私が「相対主義」というものに対する疑念を持っていることにも関係する

善悪問題が「どの倫理観が好きであるか」という好みの問題だけに帰着されることに対する懸念である

多神教は「それにまつわるものとしてあの神がおり、あれにまつわるものとしてその神がおる」といった都合のいい価値観を代弁しているように見える

「何を信じるかは人それぞれ」といっていろいろなもの偶像崇拝するのが本当に人間社会にとって有益なのかと疑問なのだ

聖書ではノアの法という絶対的倫理基準採用しているが、これ自体狂信的なものではない

といっても、私自身、まだ聖書については学びきれていない

世界で最も読まれている本が聖書だというのだから、単に教養としても良いだろう

読んで何かしら行動として実践することが重要だと思っているので、「信じる者は救われる」といった態度は取りたくはない

からキリスト教よりも旧約聖書を読むようにしている

ビックバンセオリーシェルドンが言うには、有名な学者の数々がユダヤ教徒であるために、キリスト教よりも魅力がある、という側面もあるが、非ユダヤ人であるシェルドンや私はノアの法さえ守っていればよいはずだ

思うに、私が最初聖書に触れたのが「箴言」だったのが大きい

というのも、箴言にはSNS時代に通ずる考えがズバリ書かれており、その道徳性驚愕たからだ

その感覚トーラーを見るとちょっとズレているかもしれないが、ラジエルの本にも「真の知恵はトーラーしか存在しない」と書かれていた気がするので、より興味を持ったのである

知識が生み出したのは残念ながらICBMである、それに対し、知恵が生み出したものタルムードトーラーであると言えるのではないだろうか

2024-07-12

郷土防衛的な意味民俗資料郷土資料大事だと思ってたりする

そのへんの民俗資料館無造作に置かれてる資料を捨てる話について

 

どこの郷土資料館に行っても置いてあって、個人的にもあんまり見分けつかないので

まり大事に見えないのは心情として理解するし、

農機具なんか自分の家で置いとくのが邪魔になって押し付けたんだろぐらいの気分になるのはわからないではないのだが

自分江戸明治まではじっくり見ても昭和のコーナーは早歩きですっとばす)

 

それはだいぶ贅沢な話で、歴史資料に乏しい国は自国存在証明のために必死証拠をかき集めてるんだよな

イスラエルなんかわかりやすく発掘にやたら力を入れて、

なにか見つけては旧約聖書に書かれたのはこの遺跡だと主張するのに余念がないし

それにくらべると日本自称保守は甘いというかユルいというか危機意識に欠けるというか

たとえば維新系みたいのが対馬勢力を得て郷土資料処分した日には

それこそ対馬半島系の人たちの文化圏だったのだ、みたいな主張に反論するための証拠日本文化圏民俗継続的存在していた)を失うわけだが、

グローバルな人的移動が当り前の昨今、本州内陸だってから100年もしたら「1000年前からここはXX民族土地」みたいな話は出てくるだろうになあ

 

俺もだいぶ年齢を経て保守的な態度になったので、YASUKEはすごい侍大将だったのだ、みたいなのは

どうしたって心理的に反発してしまうわけだけど、

そこに文句を言えるのはYASUKE以外の同時代日本人についての記述資料がそこそこ残ってる

信長配下武将たちの名前事績が直接間接の証拠を積み上げてきちんと記載されてきていて、それら数十名数百名の名前に比してYASUKEの資料はないので比較的な意味可能性は極めて薄いと主張できる)から言えることで、

それすら、まだまだ調べきれてない資料はいくらでもあるのに、今、日本各地で中身も見ずにシュレッダーにかけられたら

SAMURAI COMMANDER YASUKE"にも反論できなくなっていくのだなと思うと、残念

 

現在ある様々な資料の全部の保存ができるとは思わないし、今を生きてくのに過去だけ見ててもしかたない(歴クラみたいな態度で歴史でキャッキャするのは嫌)のだが、せめて自分たちが手慰みに弄ぶ日本スゴイなるものの拠って立つ根拠がどこにあるかぐらいは意識しておいて欲しいよな…

2024-06-26

anond:20240626092528

わからん。まえがきざっと読んでもこれがそのどっちなのかはっきり読み取れない。

冒頭に『この本は「聖書」です。』ってだけ書いてある。

https://amzn.asia/d/04c6tD2r

そもそも新約聖書旧約聖書の違いもしらん。

って思ってまえがきもっかいよくよく読んでたんだけど

キリスト生誕以降が新約でその前のことが書いてあるのが旧約らしいね

てことはこの本は旧約から新約まで両方入ってる。

ってなると、カナンの地の話はイエス生誕以前だから当然旧約部分じゃん?

あれっその質問ってどういうこと?

このまえがきの説明が間違ってんの???

2024-06-25

anond:20240625034406

ナウシカとかもそうだけど、あそこまで違うと漫画アニメ化とかでの原作意味合いが違うよね。

エヴァ原作旧約聖書とか言ってるような感じになってしまう。

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