はてなキーワード: 憂鬱とは
東京駅の八重洲南口と、地元の西日本某県庁所在地との間を往復しているやつ。前日の夕方に地元を出発して、一晩かけて東京駅に到着する頃には、ちょうど東京駅は朝の通勤ラッシュの時間帯。都会の人波に圧倒されながら、立ち食いそばで朝食を済ませる。
東京での用事を済ませたら、東京駅の地下街で晩御飯として、普段暮らしている地元では見たことが無いようなお洒落っぽいサンドイッチとかを買い込み、夕方の八重洲南口でバスに乗り込む。発車したら、窓の外をゆっくりと流れ去る夕暮れのビル街を眺めながら、晩御飯を食べ始める。都心を離れたバスが高速道路上で本格的に高速走行をし始める頃には、他の乗客たちは三々五々、毛布に包まって眠りにつき始める。車内も照明を落として暗くする。そんな中で、俺はインスタントコーヒーを飲みながら、前方の席で夜ふかしして、何をするでもなく、ただオレンジ色の照明に染まった高速道路が、前から後ろに流れていくのを飽きずに眺め続けた。
東京での本来の用事の合間に買い物に行って入手した、輸入盤CDとか洋書を携えていて少し心の中では小躍りしつつ、でも、地元に戻らねばならないから寂しくて憂鬱な気持ちもある、夜行バスの復路の夜の時間。
今では夜行バスを利用しなくなったが、時々ふと思い出す。
同棲し始めて数週間。
キレる原因は、食洗機のお皿の並べ方、コーヒーメーカーの使い方、お風呂の蓋の置き方、下着干すやつのたたみ方、などなど。生活の細々した習慣だ。自分の気に入らないものを見ると、いつも「なんで!?」ってめちゃくちゃ声を荒げてくる。「考えればわかるのに」ってすごく機嫌悪く怒ってくる。
彼氏の家に私が引っ越してくる形で同棲し始めたから、とりあえず彼のルールに従ってる。だからもちろんそのルールに従えなかった私が悪い。食洗機のお皿を斜めじゃなくて平らに置かなかったり、コーヒーメーカーの豆が少ないことに気づかなかった私が悪い。だから怒られるたび、次は同じこと繰り返さないようにしよう、っていつも思う。
でもそういうのって、「あ、それはね」ってサラッと教えてくれたらそれで済むのにな…とも思う。なんでキレる必要があるのかな。
そりゃ3回教えて3回ともできてなかったらキレていいと思うんだけど、初めて教えることに「考えたらわかるのになんでできないんだ」って声を荒げるの、なんなんだ…と呆れる。
仕事で疲れてるのかなと思うけど、でもだからといってキレ散らかされるのは辛い。なんですっきり起きた朝一番に人に怒鳴られなきゃいけないんだ。私も彼に怒りたいとこあるけどそれよりストレスなくお互い暮らしたいから何も言わない。
そろそろなんか言ったほうがいいのかなあ。この先子供とかできてもキレてるときつい。キレて一番きついのって結局本人じゃない?とも思うし。キレてない時にはめちゃ優しい人なんだけど。
村上春樹がむかし「女性は怒る原因があるから怒ってるのではなく、怒りたいから怒っているのだ」ってエッセイに書いてたけど。いやいや、男性の方がそれじゃん、って今にして思う。
私は今、政府系機関で働いている。小さな頃から大して努力はしなかったが地頭はよかったらしく、世間的には一流の中高大と進んできて現在に至っている。そんな訳で現時点では比較的挫折もなく、恵まれた人生を辿っていると言っても差し支えないだろうか。
しかしながら私には、「幸せ」というものがよく分からない。と言ってもこれは日常生活に楽しみが一切ないという訳ではない。知人と食事をしたり、好きな音楽を聴いている時間はそれなりに楽しいものだとは思っている。ただそれらは"刹那的"な楽しさでしかないと感じてしまう。
私の考える「幸せ」とは、"永劫的"なものである。知人と食事をしても、その僅かな時間では楽しいと思えるが、ふと我に帰って自己のことを考えるとどうしても憂鬱な気分になってしまう。私の身に覆いかぶさっているものの大半がこの憂鬱である。
この憂鬱の原因としては、主にこの先に横たわっているどうしようもなく長い人生と、その中で自分は何も為せずただただ衰亡していくということを考えてしまっていることによる。 (前文で"自分は何も為せず"と書いたが、『じゃあ何かに挑戦すればいいのでは』という話ではなく、その成果物とやらを偉そうに語れるような人間ではないというだけのことである。)
お金とやらもあまり興味がなく、それに大して残忍琥珀に振る舞う人とあまりかかわり合いになりたくないことから、一応自身がすり減らないようにそのようなところで働いてはいる、それが正解かは分からないが。
結婚して子供を生んだりすればそれなりの楽しみにはなるかもしれないが、同時に第二の私を世に放つことになるのは言うまでもないことである。もちろん、環境が変わることでこの厭世感が簡単に晴れると思い込んではいけないことも忘れてはいけない。高校、大学、そして社会と段々期待すべきものではないと頭では分かりつつも何処かで期待をして、打ち砕かれてきた。
そして、どうしようもない日々を浪費していくと、どうしても"ー"が”+”を上回ってしまう。人生はその積み重ねであり、本当に日々がしんどいものでしかない。不安を酒でかき消す生活を送り続けていたら少しづつ身体にも異変が出てきたが、他の人間はどうやってまともに日々をこなしているのだろうか。
脳内空っぽ偏差値30田舎ヤンキー的思想(100%偏見)があれば、余計なことも考えられずに済んで「幸せ」に感じられるのかもしれない。ただ、あいにく私にはそのようなものは持ち合わせていなさそうで悲しいものである。
人生が幸福に向かって進んでいくとはとても思えない私には、ただただ彼ら彼女らの精神性の素晴らしさに感服する他ないのだろうか。
『がん医療 独自の主張でベストセラー 医師の近藤誠さん死去』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220814/k10013770761000.html
ってニュースに驚いたけれど、
個人的にはこの人の主張については、がん治療反対には賛同出来ないけれど生活習慣病などへの健康診断についての反対には賛同出来るって立場だったから
複雑だ
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784166611171
「日本人の多くは「健康」のため職場健診や人間ドックを受診していますが、欧米には存在しません。「より健康になる」とか「寿命をのばす」という効果を証明するデータがないからです。
著者の近藤誠さん本人も、慶大病院で在職した40年間、執行部から強い圧力がありながらも、一度も受けませんでした。検診は有効というデータがないからです。にもかかわらず、
日本では、医学的な根拠がないままに、1972年の「労働安全衛生法」で健診が義務化され、今日に至っているのです。日本の平均寿命は世界のトップクラスですが、奇妙なのは、
男女間で平均寿命に6歳もの差があることです。女性よりも職場で健診機会の多い日本の男性は、まさに「健診で寿命を縮めている」可能性があるのです。」
それにしても73歳という平均よりは若い年齢で亡くなった事によって、反対派はますます勢いづくんだろうな……
まあ当人の主張が「健康診断が寿命を伸ばすというエビデンスはない」というものだったので、
こうやって当人が身をもって「健康診断しないと寿命を縮める」というエビデンスを作ってしまった以上は仕方がないのかな。
随分注油してなかったのとここ最近の不安定な天気で通り雨にあったりしたのでかなり久しぶりに自転車メンテすることに。
泥や水垢が目立つ場所は水で軽く拭いて、久々のメンテナンススタンドをひっぱりだしたらこれがクイックリリースが悪くて上手く嵌らないことを思い出した。
それでもなんとかできるかとクイックリリースを上向きにしようと緩めたりしてたら後輪が外れた……。チェーンも落ちた。げんなり。
後輪をつけるのが下手で面倒でスプロケットはずっと掃除してなかったしついでにやるかと汚れを落とすディグリーザーをぶっかけ。ウエスがないからキッチンペーパーでやろうとしたらすぐ破けてダメだこりゃ。雑巾でコシコシしようとしたら…分厚すぎて入らない。あーあーあー。
しょうがないから雑巾のミシン縫いを解いて開くことにする。虚無い。簡単な解き方なんてしらないからどっかの糸を切ってひたすら裂目を開いて中のミシン糸をひっぱりひっぱり一縫い目ずつ解いていく。これが30分以上はゆうにかかった。ウエスを買ったほうが早インパラ。でも布ウエスなんてダイソーやスーパーにあるんか?
ようやく解いた元雑巾でコシコシ掃除する。ホイールにつけたままだから多少きれいにはなったけどまだ全然汚れてる。
ディグリーザーは水洗いが必要なやつなので水をかける必要がある。自宅の玄関しか作業場がないので水をバシャバシャできる環境でもないし急だったので用意もない。
悩んで、タッパーを置きタイヤを傾けスプロケをタッパーの上に。そこにペットボトルの水をぶっかける。2割ぐらい受け止め切れなかったけどまあ許容範囲。園芸用の穴あき如雨露?にできるペットボトル用のアタッチメントが欲しかった…ダバダバ出るので満遍なくかかった気がしない。念のためもう一回かけた。
きれいにしたので後輪装着。上手くいかず悪戦苦闘。歯にチェーンを噛ませた常体であの軸まで到達できるか!?って毎度思うけどなんとか押し込んで装着。経験値が増えた気配はない。
チェーンを戻して掃除するために、ていうかスタートに戻ってメンテンススタンドをつけようとする。やはり合わずガチャガチャしていたら締めが緩かったか後輪が外れる。何者にも束縛されない後輪とメンテナンススタンが股の間にある。深いため息…。固定されてない自転車と後輪とスタンドを悪戦苦闘してバラして、再度後輪付けに苦闘して、しっかり締めて、スタンドはあきらめてちょびっとだけ引っ掛けるいつものやり方に戻して準備完了。落ちたチェーンも調べてなんとかひっぱりもどす。手がベトベト。
手を洗ってさあ本丸チェーン掃除だ。下にダンボールを敷いて液ダレ防止もした。当然手間取った。
チェーン掃除はまあ、クリーナーをつけて回すだけなので楽。毎回手がベトベトになるのがつらい。うっかりするとディグリーザーがクリーナーからこぼれるが、今回それはなかった。流石にもうトラブルはごめんと慎重だった。
回し終わったらクリーナーの液をディグリーザーから水に変えてまた回す。ディグリーザー落しだ。水もすぐまっくろになり、チェーンを拭いても拭いても黒い跡が残る。毎回これできれいになっているのか不安だが、見た目では完璧にきれいになっていない。所々黒ずみが残るピッカピカじゃないチェーンだ。でも規定の作業はこなしたし…と毎回適当に切り上げる。結局前のクランクの歯は汚いままなんだから回せば汚れをもらいに行くようなものだ。
そういえばクランクも汚れてたなとこっちもディグリーザーをつけたペーパーで表面の黒いところをごしごしする。気分はカブトガニを洗う水族館職員である。尻尾?と甲羅?の隙間がどうにもまさに手だし出来ないところで汚いまま。ぐぬぬ。
でも黒ずんだクランクもきれいさっぱりとは行かず黒ずみが多少ましになる程度になった。
ここで汚れ作業は終わったので使った道具を洗いふき取りに使ったペーパーをゴミ袋へ。ディグリーザーはぬるぬるするけど水だけでぬるぬるしなくなるから有情だ。
最後に注油。チェーンのコマが108個。まだ交換したことがないので目印のミッシングリンクがない。煩悩も忘れて数えながら一滴一滴落としていく。この作業は無心になれて結構すきだけど、数える添え手とオイルを持つ手で両手がふさがりクランクを回す人が欲しくなる。
注油完了。注油後はすぐふき取るか分~時単位で置いてくかいろいろ流派がある。いろいろ漁るがよく分からない。メンテ不精なので長持ちするようにと30分~1時間ぐらい置くことにする。
気付けば9時ごろ始めて雑巾解体完了が11時前。作業完了が15時だ。取ってなかった本日初の食事をレトルトですませ、一息ついた待ち時間にこの増田を書いた。
自分が不器用なのは百も承知だが疲れた…時間がかかる…うっかりから突然あれもこれもとする悪い癖だ。雑巾解きが長すぎる。
ここまで長くはならないだろうけどスプロケを含めると毎回4・5時間ぐらいかかりそう…上手く成長すれば3時間?これを月1でする気概は自分にはないよ……。
だからこれからも半年弱ぐらいに一回のチェーン掃除で勘弁してくだしあ。
さてそろそろオイルをふき取るか。
汗っかき+結構運動する+朝に回して夜シャワー浴びない、の3コンボで本当にきつい。家に入った瞬間鼻をついてくるから夏は帰宅するのが少し憂鬱になる。本当は一秒でも早く家に帰ってだらだらしたいのに。
できるだけ鼻から息を吸わないように気をつけてるけど、それくらいしかできない。辛い。こんな狭い家で一緒に暮らすのは今年で最後だろうから何とか生き延びるかしかない。
主にツイッターを使って好きな絵師や字書きを追っかけ続けているが、ここ最近、界隈の人間関係がめんどくさい。
あまりにめんどくさいので推しCPから離れたくなってるけど、でも好きだし、ほかに吐き出すところがないのでここに書き捨てる。
推しCPは逆CPのほうがメジャーで、規模が10倍くらい違うし、両方いけます!の雑食/リバ派も多い。
あるとき、一人の推しCP固定過激派の作家が逆CPに対して、冗談交じりに攻撃的な文面をオープンに呟いた。
それに対して固定穏健派の作家が「脅迫だ、怖い」と彼女を非難し、同意する固定穏健派および雑食派と、それに反発する固定過激派で界隈が対立してしまった。
固定過激派が逆CP攻撃に至った経緯は、作品が拡散されていくうちに逆CPとして消費されたりコメントされたり、色んなストレスが重なってのことだろうと思う。
界隈の中には推しCP固定と名乗りながら実は別アカウントで逆CPも創作してます、みたいな人もいて、そりゃー詐欺だよ良くないよ住み分けは大事だよと私も思った。私も固定派なので、やっぱり生産元が逆も書くならそのことは誤魔化さないでほしいんだよね。明記しろとは言わないので。こっちでチェックかけるし本物の固定過激派は「危うきに近寄らず」で対処すると思う。アカ分けて「固定です」は詐欺ですやめてくださいブロックブロック。
攻撃的なツイートと言っても冗談交じりの文面で、身内のノリを軽い気持ちで表に出しちゃったって感じだった。
でもどんな理由があっても冗談でも、「逆CP殺す」とかそれに類することを呟くのはダメだと思う。
そういう配慮のない呟きをオープンにした固定派も、それを宥めるでもなくいきなり「脅迫だ」と糾弾して騒いだ穏健派も、逆CP創作することを隠しながら活動していた自称固定派も、私は全員なんだかなあと思っていた。
そんなわけで逆CP絶許固定過激派と、そこまで言うのはちょっと引く固定穏健派(と逆OKな雑食派)で対立してしまった。それ自体はよくある「固定」と「ゆる固定」と「雑食」の小競り合いだと思うんだけど、めんどくせえことに固定派と穏健派、CP解釈でも小競り合いを始めた。
どっちから吹っ掛けてるとか正直外野からはよくわからないけど、「この解釈は地雷」とか「こういう推しCPは解釈違い」とか「〇〇じゃないなら推しCPを名乗るな」みたいな、そういう呟きが界隈に散見されるようになって、えーいやだなー困ったな~~~って思ってる。私は固定派だけど、それが推しCPなら受けが姫化していようが攻めが鬼畜化していようが殺伐だろうがイチャイチャだろうが生きてようが死んでようが、なんでも構わないオタクだから。
「〇〇じゃないと推しCPじゃない」って言われても「いや〇〇じゃなくても推しCPですけど?」としか思えないし「原作設定が地雷とか言うのは原作への侮辱、創作をするな」って言われても「そもそも無許可の二次創作は全部原作への侮辱じゃん?」としか思えない。二次創作大好きな私が言うことじゃないけど、二次創作において「あの創作はダメ、この創作だけが正しい」みたいな言い分って通用しないと思うんだよ。あれもこれも全部原作無視したファンの妄想にすぎないでしょ。そういう色んな「もしもの世界」を原作者の知らないところで好き勝手に作って楽しむ趣味だと思ってた。
ていうか親友だって書かれてる二人について攻めとか受けとか言ってる時点で原作へのリスペクトとか微塵もないでしょウケルwwwwww
これは自虐だけど本当にそう思う。
だから、正直、今の界隈の空気はとてもしんどいなーと思ってる。あれもこれも素敵な創作なのにいちいち「これが正解」とか「これしかない」みたいな呟きが目に入るたびに他の創作が否定されているような気持になって憂鬱になる。
いいんだよ、身内同士で盛り上がってるぶんには。鍵かけてそういう褒め方するのは全然いいと思うんだけど、オープンにやられるとやっぱり気になる。ミュートすりゃいいんだけどさ、そうするとどんどん界隈が静かになっていく。
匿名箱への凸もお互いにあるみたいで、チクチクチクチクお互いに空リプやbioで嫌味を言い合ってるのも鬱陶しいし、当事者だけじゃなくて外野も含めて「この人は固定派さんの仲間」「この人は穏健派さんの仲間」みたいなのがうっすら見えちゃうのも鬱陶しい。中学生か。
お互いに「あいつから一方的に凸られてる」って被害者ぶってるけど、お互いに推しCPの中では数字取ってるほうだからファンが勝手に凸ってんじゃないの?って気もするし、もう泥沼。こんな状況で推しCPオンリーイベントやるとか正気か?なんか事件起こりそうで怖いよ。
なんかもうマジで面倒くさい。何も考えずに推しCPを楽しみたいだけなのに、ちょくちょく流れてくる人間関係の呟きがめんどくさい目に入れたくない。
支えてくれる家族も、理解のある恋人も居ない。そういう一人暮らしの精神障害者ってどうやって生きてんの?
自分は双極性障害と発達障害があり、就労困難と認められ障害年金受給。年金と生活保護で暮らしている。
精神障害の他にも毎日服薬してる持病とか、生活に支障を来たす身体的な持病もいくつかある。
ついでに言えばいわゆるLGBTの人だし、かなりマイノリティ側の人間。
小中高全てまともに登校できていなかったし、全く登校しない不登校の時期だって何年もあった。
学校卒業後もろくに働いたことが無い。働いたことが無い経験を具体的に語ると、学生という身分を失ってから7年間で働いて稼いだ金額は合計40万円くらい。
躁状態で仕事を始めて、鬱状態で何もできなくなって退職する。ずっとこのパターン。
自分みたいな社会不適合者ってネットを見るといくらでも居るように思えるんだけど、みんなどうやって生きてんの?
恋人・伴侶に支えられて暮らしている人。実家暮らしで家族に援助されている人。一人暮らしだけど親から資金援助をしてもらってる人。そういう人たちは目にするけれど、一人暮らしの無職精神障害者ってのはなかなか見かけない。一人暮らしができている精神障害者は大抵就労も出来ている。
それともみんな死んでんの?
外に出られないから食事は全部ウーバーイーツ。日用品はAmazonで買う。
障害年金と生活保護では最低限のお金しか貰えず、そんな生活してるともちろんお金が足りなくなるので、カードのリボ払いにして支払いを先延ばしにしてる。
現金を借りると「収入」として保護費から引かれるので、カードのショッピング枠を使ったリボ払いでの借金。
リボの限度額に達したときが、この生活の限度。そのときは食べ物が買えなくなって死ぬのかな、とぼんやり思ってる。
通院とか障害年金とか生活保護とかに至るまではめちゃくちゃ親切な複数の他人の助けによってなんとか幸運にも辿り着けただけで、一人では生活することができない。今は通院も出来ていない。
部屋はゴミだらけで、風呂も週一しか入れてない。散髪にももちろん行けないから、ずっと伸ばしっぱなし。ベッドのシーツや枕カバーは肌にベタベタと張り付くようになったし、夏になってからはコバエがそこらへんを飛んでいる。ゴミ出しに行けなくて、山のようになったゴミ袋からは異臭がする。
何とかしなきゃと思っても、毎日毎時毎秒が憂鬱で死にたくて、ご飯を食べるのもトイレに行くのもだるい。
そんな自分がどうやったら生きていけるのか、ネットで調べてみても「お金に困ったなら生活保護」とか「医療機関を受診しましょう」とか、そういうとこで止まってて、その先が分からない。
一人で生きていけない人間って、どうやったら生きていけんの?
情報番組とかバラエティは情報がガチャガチャして一方通行で疲れる
TV世代のおじいちゃんおばあちゃんだけのモノになっていくでしょうな
2022-07-22
最近の資生堂のCM、あれなんなんですかね。それっぽい女優が適当に動き回って、ナレーションではひたすら企業側が言いたいことを詰め込んで紹介(崩れなくてテカリもかさつきもなくてSPF50+です、みたいな感じで)。最後は商品画像どーんでハイ終了。もう本当に酷い。酷すぎる。どれもこれもが昔の三流化粧品会社のCMレベル以下になってて、見るたびに憂鬱な気持ちになってくる。
正直、化粧品なんて資生堂でも資生堂じゃなくてもいいんですよ。機能に言うほど大差ないし。本当に機能が優れてる商品はネットの口コミで話題になるからCM関係なくそっち買うし。それでも私が資生堂の商品を選ぶことが多かったのは、CMがいつもキラキラしていて、その商品を使うことで毎日が少し変わりそうな期待を感じさせてくれて、どこか都会的で、そういうのがそこらの化粧品会社のCMとは全然違ってたからなんですよ。
例えばアネッサのCM。エビちゃんがプールに飛び込むCMは流れた当時あまりのかっこよさに痺れた。ドーンと出てくるSHISEIDOのロゴ。エロさを感じさせない神々しいエビちゃんの水着姿。太陽系最強っていうコピーも最高で、他の日焼け止めが全部チープな偽物に思えてくるレベルだった。
それに対して今のアネッサのCMは謎のスカスカパレードに謎CGに謎ダンス、長ったらしくて何を伝えたいのかよくわからない機能説明、日焼け止めのCMで「日焼け止めだったんだ!」と言っちゃう残念さ。小松菜奈だって本来エビちゃん並みにかっこいい人だと思うのに、CMがチープなせいで全然活かせていない。
化粧品が売れない時代、高機能なプチプラもたくさん出ている時代で大変なのかもしれないけれど、なんの工夫もなく商品機能を淡々と伝えるだけの安っぽいCMを垂れ流す資生堂なんて私は見たくなかった。過去のCM集をDVDで発売出来ちゃうような素晴らしい会社が、なんでこんなことになっているんだろう。商品機能説明を企業目線で垂れ流すなんて、一番資生堂らしくないCMだと私は思う。
時代は変わったんだと言われたらそうなのかもしれない。でも、例えばアップルやサムスンは機能を伝えるCMだったとしてもいろいろとクリエイティブな工夫をしてる。機能を伝えなきゃ売れない=機能説明を垂れ流すCMにするしかない、では、決してないと思う。日本の中でも特にクリエイティブなDNAを持ってる会社として、資生堂には世の中の空気をぱっと明るくしてくれるような、もっともっと素晴らしいCMを作ってくれることを期待しています。
最近の資生堂のCM、あれなんなんですかね。それっぽい女優が適当に動き回って、ナレーションではひたすら企業側が言いたいことを詰め込んで紹介(崩れなくてテカリもかさつきもなくてSPF50+です、みたいな感じで)。最後は商品画像どーんでハイ終了。もう本当に酷い。酷すぎる。どれもこれもが昔の三流化粧品会社のCMレベル以下になってて、見るたびに憂鬱な気持ちになってくる。
正直、化粧品なんて資生堂でも資生堂じゃなくてもいいんですよ。機能に言うほど大差ないし。本当に機能が優れてる商品はネットの口コミで話題になるからCM関係なくそっち買うし。それでも私が資生堂の商品を選ぶことが多かったのは、CMがいつもキラキラしていて、その商品を使うことで毎日が少し変わりそうな期待を感じさせてくれて、どこか都会的で、そういうのがそこらの化粧品会社のCMとは全然違ってたからなんですよ。
例えばアネッサのCM。エビちゃんがプールに飛び込むCMは流れた当時あまりのかっこよさに痺れた。ドーンと出てくるSHISEIDOのロゴ。エロさを感じさせない神々しいエビちゃんの水着姿。太陽系最強っていうコピーも最高で、他の日焼け止めが全部チープな偽物に思えてくるレベルだった。
それに対して今のアネッサのCMは謎のスカスカパレードに謎CGに謎ダンス、長ったらしくて何を伝えたいのかよくわからない機能説明、日焼け止めのCMで「日焼け止めだったんだ!」と言っちゃう残念さ。小松菜奈だって本来エビちゃん並みにかっこいい人だと思うのに、CMがチープなせいで全然活かせていない。
化粧品が売れない時代、高機能なプチプラもたくさん出ている時代で大変なのかもしれないけれど、なんの工夫もなく商品機能を淡々と伝えるだけの安っぽいCMを垂れ流す資生堂なんて私は見たくなかった。過去のCM集をDVDで発売出来ちゃうような素晴らしい会社が、なんでこんなことになっているんだろう。商品機能説明を企業目線で垂れ流すなんて、一番資生堂らしくないCMだと私は思う。
時代は変わったんだと言われたらそうなのかもしれない。でも、例えばアップルやサムスンは機能を伝えるCMだったとしてもいろいろとクリエイティブな工夫をしてる。機能を伝えなきゃ売れない=機能説明を垂れ流すCMにするしかない、では、決してないと思う。日本の中でも特にクリエイティブなDNAを持ってる会社として、資生堂には世の中の空気をぱっと明るくしてくれるような、もっともっと素晴らしいCMを作ってくれることを期待しています。
ヨッピーが朝の占いも全て規制すべきと言って、プチ炎上をかましている。
https://twitter.com/yoppymodel/status/1548848031826870272?s=21&t=jY4iK2oHzRbEWC64K_BypA
私はアラサーの女だが、占いを読むのは普通に好きだ。課金して占い師に相談しに行くほどではないが、石井ゆかりさんやしいたけ占いの自分の星座欄を読んだりする程度には星占いを信じている。どっちも無料だ。本気で信じているというよりも、憂鬱な月曜に「今週は人間関係のごたごたが落ち着くかも」と言われると「あ、今悩んでることももうすぐちょっとマシになるかも、がんばろ」と思えて元気が出るから。
最後は神頼みという言葉もあるけれど、運のようなものはやっぱりこの世にある気がして、今の自分がどこに運が向いてあるのか、なんとなく知りたくなってしまう。まあ知ったとしてもできることはほぼないし、本当に何の悩みもない元気な時は占いなんて気にもとめないのだろうけど、今週一週間がずっと憂鬱だと思う時になにか声をかけてもらえると元気になってることは否めない。エンタメなのだ。
しかし彼氏は私がそんな文章を読んでることもドン引きらしい。「彼女が細木数子のファンだって知ったらドン引きすることない!?占いほんと気持ち悪い、エビデンスもないのに」と言う。そしてヨッピーと同じようなことを言っていた。
自分だって初詣行ったりするのに…と思いつつ、男の人のこの占いアレルギーって何なんだろう? と不思議に思った。私はたぶんアレルギーになるほど占いの負の側面を見てないのだ。何か原体験でもあるのかな?
経営者や政治家は有名な占い師に傾倒してたりするというし、たぶん占い好きな男性もいるんだろうけど。でも男性誌に占いなんて載らないけど、女性誌には必ず占いが載ってるし。普通の男の人は未来に不安を持たないのかな?
追記:思ったより反応もらってびっくりした。とりあえずカルト宗教にはまらないように気をつけるよ。
あと誤読してる人いるけど私は細木数子のファンではないし怖さも感じる(あと石井ゆかりさんやしいたけさんも詐欺の報道が出たら普通に怖くなるだろうし、やっぱり金銭的な詐欺をしてるかどうかは自分のなかのラインとして大きいんだなという気付きを得た)。