はてなキーワード: つんとは
「子供に悪影響」と批判の盾(武器だからむしろ矛か)にされがちな子供の意見を書いてみようと思う。
性別はあえて書かない。
ラブドール漫画を巡る騒動で、批判側の意見は「ゾーニングの問題である」という方向に収束しているらしい。子供の目に入ったらどうするんだ、と。
それを見て私が思うのは「馬鹿じゃないの」ということだ。
あんなのよりずっと過激なもの、見てますけど、今更あれを目にしない様にして何の役に立つんですか?
まず、「ゾーニング」に寄せる並々ならぬ期待が異常だ。あんなもの、描く側が責任を問われないための方便でしょう?
もしかしてあなた達は、「あなたは18歳以上ですか?」という質問に子供の大半が「いいえ」と押してると本当に信じているのか?
馬鹿じゃないの。
そりゃ本屋の18禁コーナーとかは流石に行かないけど、ネット上の18禁なんて守ってる人なんてどれだけいるんだか、意味無いでしょ。
そもそも、あなた達は本当に子供に18禁を守る事を望んでいるのか?
18歳になるまでエロ画像もBLも同人誌も一切見ず、保健の教科書でも使って性欲解消してろと?
それで、というか、そうじゃないとまともに育たないと本気で考えているんですか?
冷静に考えてどうかしているのでは?
というか、あなたはどうなんですか? 18歳になるまで18禁のエロコンテンツには触れずに来たんですか? もし触れたなら、あなたもその悪影響とやらを受けてるんですか?
てっきり私は、大人は子供達が18禁を破ると知ってて、むしろ破ってくれるだろうと高をくくってると思ってたんですけど、誤解でしたか?
でも、それって何の役に立つんですか? 18禁にして、破らせて、ルールを破るハードルを子供の時から下げる社会実験でもやっているんですか? そっちの方がよっぽど悪影響では?
まぁ、本当は何も考えてないだけなんでしょうけど。
まず、あなた達の言う「子供に悪影響」の「子供」って一体誰の事ですか?
考えてみた事有りますか? 本当に? では誰の事?
もしかして、もしかしてだけど、私の事?だったら申し訳ありませんけどそのお気遣いは丁重にお断りさせて頂きます。
あなた達の脳内にあるぼやっとした「子供」のイメージと現実に存在して脳が有る私を一緒にしないで下さい。
それから、「悪影響」って具体的にどういう悪影響があると思ってるんですか? 18禁のコンテンツに触れた事がある子供は多分いっぱい居ますけど、その子供達にどういう悪影響が実際に出ているとあなたはお思いですか?
ロリコンになるとか? でも子供のロリコンって一体どういう意味なんでしょうか?
それか、性に狂って猿みたいになったり、レイプ魔になったり? 本当にそうなっていると思っているんですか? もう一度言いますけど、18禁を見てる子供はいますからね? その悪影響は既に起きてるという事ですからね?
まさかジャンプで風呂覗きの描写が有ったら私や私の同級生が風呂覗きやレイプをするようになると本気で思っているんですか?
あなたが犯罪者予備軍扱いしてるのはロリコンだけじゃなくて、私達子供もだって、気付いてますか?
どこまで思い上がりが強いんでしょうか?
別にラブドールもラブドール漫画どうでもいいけど、あなた達の言ってることはおかしい。
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
ラブドール漫画に添えられた「実在の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」という一文が不適切だった理由が書き連ねられているのだけど、矛盾している。
(余談だけど、私は矛盾があるという「感じ」はすぐしたけど、矛盾を見つけるのに苦労した。論理的に書かれていないから、どの根拠がどこに繋がっているのかとても読みにくかった)
場合分けをしてみる。①ロリコンは実在の児童に手を出す危険がある(ロリコン以外よりも)、②ロリコンは実在の児童に手を出す危険はない(ロリコン以外と同じくらいしか)
①の場合、まず手を出す危険が有るなら、ラブドールをおすすめするのは役に立つ情報じゃないか? ラブドールにロリコンの性欲を抑える効果があるなら、「実在の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」という情報を押さえ付ける方が、実在の児童に被害が出る可能性を大きくしてしまう、そんなリスクを冒す大義名分が「社会的責任」というよく分からないもので良いと思っているのだろうか?
②の場合は分かる、本当はロリコンは実在の児童には手を出さないのに、「実在の児童に手を出す前に」と手を出すように印象付けるのは風評被害だ。でも上のnoteでは「フィクションに影響され加害を実行に移す危険性」は有るという事になってる。つまり②は否定されている。
このnoteでは「フィクションに影響されてロリコンは子供に手を出す危険性がある」という主張と「ロリコンは子供に手を出さないのにその努力を台無しにするな」という正反対の主張が混ぜられている。
この人だけじゃなく、いろんな人が上の2つを都合が良い様に使い分けている。自分で気付いて無いのだろうか? 気付いてやってるなら悪質だと思う。
あなた達は子供達がどういう風に性欲を発散するか見て見ぬ振りをしている。18禁で禁じておきながら、じゃあどうすればいいかは考えない、結果、子供が18禁を破る事に頼っている。
多分、どうでもいいのだろう、私達がどう発散するか、だから簡単に禁止して、その先は考えない。
ロリコンも同じだ。その人達から性欲を発散させる手段を奪って、じゃあ他にどうすればいいかは考えない、「ロリコンを治せばいいでしょ」位の考えなのだろう、子供でもそれが簡単じゃない事ぐらい分かる。
あなた達は人の事なんかこれっぽっちも考えていない、それなのに矢鱈と干渉してくる、挙句の果てに「子供のため」、どこまで思い上がりが強いんでしょうか?
騒動に乗じて、腐女子の学級会文化を正当化する人が居たのも笑った。
でもちょっと考えれば分かるけど、学級会があるという事は、ルールを破った人が居たという事だ。学級会が開かれた数だけ、ルールを破った人は居る。
全ての腐女子が学級会に納得してるとでも思っているのだろうか? そんな訳ないだろう、責めるのが腐女子でも、責められる側だって腐女子なんだから。
全部が全部とは言わないが、私が見た学級会は酷いものだった、論理的じゃないお気持ちだけがぶつけられ、一方的に吊るされる。それが自浄作用? 自浄作用が無いの間違いだろう。
もし学級会で一方的に批判した側が正しくなかったら、それは冤罪で裁いたのと同じ事で、それを後ろめたく思ったり間違いじゃなかったか心配するどころか、誇るのはどういう神経なのだろう?
私は論理的じゃない批判が一番嫌いだ。批判には絶対に論理が必要だと思う。何故か、批判された方が納得する為だ。
批判されてもそれが論理的だったら、「ムカつくけど、言っている事は正しい」と納得できる。
でも、論理的じゃないお気持ちで批判されても、反論しようがないし、納得も出来ない。理不尽だ、という不満だけが溜まる。
ラブドールやロリコンに対する批判に私が苛立ったのも、それが論理的だとは思えなかったからなのだろう。
あと私は、子供に手を出す人の7割はロリコンじゃない、という話、あれは信用していない。
まず、どうやってロリコンだと判明するのだろう?
3次元や2次元のロリのエロ画像を何枚も見せて、勃起したらロリコン、という方法で検査したら、ロリコンにならない男性は1割も居るだろうか?
まぁこれは私の偏見かもしれない、男性の性欲を強く考えすぎなのかもしれない。もし男性の人で分かる人が居れば教えて欲しい。
それに、女性もロリコンやショタコンは結構居るんじゃないかと思っている。
簡単だ、あなたが男性でも女性でも、今すぐpixivでも開いてロリかショタでR18の画像を何枚も見ればいい、そこで勃起したり興奮を感じたらあなたはショタコンかロリコンだ。
この方法でどれくらいが逃れられるだろう?
これまでロリコンを批判してた人も、同類かもしれない、これまで検査してなかっただけで。
だいたい、2次元について言えば覇権のジャンルにどれだけ未成年が混ざっていると思っているのだろう?
私の知っているジャンルも学生が多い、それらを消費する人たちが全員ロリコンやショタコンだと考えれば、かなりの割合になるはずだ。
恐らくこの日記にも、大人達から「大人になれば分かる」とか「お前が幼いだけ」みたいな謎の上から目線のご意見が寄せられるだろう。今から目に見えるようだ。
そういう、反証できず反論しようがない批判をする人を私は信用しない。それは論理的じゃない批判と同じだ。「ムカつくけど、言っている事は正しい」と納得できない。
でも、どうせここまで言ってもそういう反論は集まるだろうと思っている。どうせその位しか言えない人達だから。
〇返答
やっぱり謎の上から目線のコメントが多いな、それに論理的に答えていないので全く納得できないんだけど、本当に読んだんだろうか(長すぎたのは自分でも反省しているけど)
はい謎の上から目線&論理的な説明無し。論理的な思考の過程が書かれてないこれを評価してる人って一体何に納得してる訳? 証明問題に途中式書かないと0点って知ってますか?
分かるでしょ? こういうのに騙される馬鹿ばっかりの学級会がどういう地獄になるか、論理が無くても正しい事にされて、相手の論理を確認しようとする私の質問はただ無視される。全く同じだよデジャブかと思った。
質問に答えてないじゃん。結局これ子供が18禁以上ですボタン押す事分かってるって事だよね? その時点で「子供に悪影響」って根拠のゾーニングは目的を果たせてないじゃん、馬鹿じゃないの? 悪影響防げてないじゃん。
「18歳以上です」ボタンをあえて押させる意味って何? ルールを破るハードルを下げさせる以外にある?
あ、エロコンテンツに触れる事に罪悪感を持たせる事とか? それなら成功してるんじゃない? あなた達はそうだよね、でもそれって良い事なんですか? むしろそれが悪影響なんじゃないですか?
でもね、「18禁です。18歳以下の人は見ないように」「ロリショタものです。注意」みたいなクッションは確実に必要なのだよ。
なぜかというとそれがあることによって『クッションをつけなくてはいけないもの』という認識ができるから。おおっぴらにしていいものではなく、人を不快にするかもしれない、傷つけてしまうかもしれない刺激物なんだとわかるでしょ?
それってクッションが「18禁」じゃないといけない理由って何ですか?
「ロリショタものです。注意」は分かります。でも「18禁」って内容に対する警告とは微妙にズレてますよね。18歳以下も見て有名無実になっている自覚が有るなら「エロコンテンツです」の方が正確じゃないですか?
こういう人が、子供が「18禁」を破り続ける事でルールを破るハードルが下がる影響だけは完全に軽視する理由が全く分からない。
親をやってる身から言わせてもらうと、子供が「みんなそうだ」「平気」「普通」「大丈夫」と押し通そうとしたり、質問しまくって来る時は、めちゃくちゃヤバいという認識を持っている。
「みんなそうだ」「平気」「普通」「大丈夫」で押し通そうとしてるんじゃなくて、ゾーニングや18禁が本当に正当性があるのか確認してるだけなんですけど読めてますか?
質問も正当性が論理的かどうかの確認に必要だからやってるんですよね、論理の確認を謎の経験談で押さえ付けようとする理由はなんですか? 論理的に答えられないから?
子供をやってる身から言わせてもらうと、子供が質問しまくってくる時はあなたがその質問に答えられないだろうと思ってるって事で、つまりあなたが馬鹿だと思われてる時です。確かにめちゃくちゃヤバいですね。
こんな所で得意げにその正しいか検証されたこともない経験則を得意げに披露してる場合じゃないと思いますけど。
というか、普通に考えて、そういう時は「めちゃくちゃヤバい」場合と「子供が正しい事を言っている」場合の2パターンが有って、あなたは両方を「めちゃくちゃヤバい」に投げ込んでる雑な人ってだけですよね?
その2パターンのどちらなのか考えるのが親の仕事なんじゃないですか? 雑に投げるんじゃなくて。
18禁てのは正しい事と区別がつくようになるまでダメって事だよね。(18になれば分別がつくわけでは無い)それにはやっぱり性教育が必要なので、規制よりも性教育をしっかりすることを発信していったほうがいいのかも
それは同意です(18歳という基準は意味不明ですけど。私に対して「お前は高校生だからいいんだ、小中学生は違う」って言ってる人は、18歳という基準が間違っていると考えているって事ですよね?)
でも現状は性教育どころか、子供をただ性から遠ざけて満足してるだけなんですよね。
例えば仮に子供に悪影響を与えないエロ表現が有るなら、それを18禁じゃなくて子供も見られるようにする、とかそういう議論になると思うんですけど、全然ならないんですよね
子供が性欲を発散するという事を受け入れられない異常者ばかりだから、あなた達は子供の性欲の発散方法を議論するにはまだまだ未成熟なんですよ。一体何歳になったら成熟するんでしょうね?
子供だった私は18歳以上ですか?の質問に「はい」と答えることもあったし、そんなんで子供をブロックできると思ってんのか!って言うのは本当に賛成なんだけど、だからこそ子供には「あなたを性的に見てくるひとが、必ずしもあなたを尊重したり大人扱いしているわけじゃない」ってことをわかりやすく教えておかないといけないんじゃないかな。
「あなたは18歳以上ですか?」って「あなたを性的に見てくるひとが、必ずしもあなたを尊重したり大人扱いしているわけじゃない」って意味なんですか? 分かりにくすぎません? 純文学ですか?
普通に「あなたを性的に見てくるひとが、必ずしもあなたを尊重したり大人扱いしているわけじゃない」と言えば良いのでは? で、勿論それは分かっていますよ(どうせ分かってるって言っても「いや、分かってない」って言われるだけなんだろうけど)
そうだとしたらロリコン同士の態度の相違は矛盾にはならないんですよね、子供には手を出さないという事を世間にアピールするロリコンも居れば、手は出さないけどアピールはしないロリコンも居る、一枚岩ではない、人それぞれですね、で終わる話です。
社会運動には正しくない意見しか使われないって意味で合っていますか?
勘違いしていませんか、18禁を守るのは大人じゃなくて子供なんですけど、むしろわざわざ18禁ってルールを作って破らせているんですけど
子供を守っているつもりなら自己満足だとしか言いようが無いですね。あなたは何も守っていません。
こういう雰囲気だけで喋って中身が全く無い馬鹿が多いから困るんだよ。
“まさかジャンプで風呂覗きの描写が有ったら私や私の同級生が風呂覗きやレイプをするようになると本気で思っているんですか?” 中高生の風呂覗きや盗撮、それなりに発生してるんだよ…大抵ニュースにはならない
中高生の風呂覗きや盗撮がそれなりに発生してるならそれはジャンプのせいなんですか? 頭大丈夫ですか?
君はね、ラブドールからすでに様々な精神的影響を受けて、はてなにこのような書き込みをするまで阿婆擦れに成長したんだ。現在の状態を君は正しく自己分析認識できていない。そういうことを大人達は言っているんだ。
だそうですよ、大人達、よかったですね。
ところでこのコメントがはてブの新着コメントにずっと上がっていて何人も同じコメントしてるのかな? と思ったら、コメントを編集してずっと上に持ってきているみたいですね。そういうテクニックがあるのか、勉強になりました。
あと、これは返答ではないですけど、「これはエロコンテンツです」じゃなくて「あなたは18歳以上ですか?」じゃないといけない理由を説明できている人が恐らくいないですよ。
エロで大人も不快になるなら、「これはエロコンテンツです」の方が正確だし、実態に合っていますよね?(で、そうなると子供を盾に使えないし、使わないで下さい)
虫になると、暗くて、湿っぽい場所が落ち着いてくるようになる。
もう何日も変えていない薄ら脂の匂いのするベッドのシーツの上で、何もしないで、ただ横たえている。時折、閉じたカーテンの隙間から部屋の白い壁に差した陽を見やっては、窓の外に耳を傾ける。出発の気怠さ、たわいもない愚痴、来月に予定された仕事の準備。そんなつまらないけれど、今の私に取っては尊い繰り返しの風景を、閉め切った部屋の中で想像する。足音の数だけ、小さな世界がそこに存在していている。その小さな世界は一個一個がゆっくりと連動して、小さな波と大きな波の揺らぎを生み出していて、一つの水塊を作り出しているみたいだ。私はその水塊の底で沈殿した残滓のように、鈍くたゆたっていた。
差し込む陽が徐々に小麦色の煌めきを帯びてきてそれがだんだんと薄紫色に昏れていくころ、私はまだ薄汚れたシーツの上でうなだれているだけだった。いつの頃からか私は、歴然と白く差し込んでいた陽がみるみるうちに滲みはじめ夜の色になっていく瞬間が苦手になってしまった。その光の変貌が、なぜか「私にはなにもない」と私自身に突きつけるように感じたからであった。どんなに気持ちよく昼寝していたとしても、目覚めたときに、陽の光の移ろいを眺めていると、私はカモメの鳴く夕方の海岸に一人ぽつんといるような気分になるのであった。
けれど、壁に差す陽が一筋もなくなって暗闇に包まれると、私は日中のことを忘却の箱へ押し込んで攻略できることを思い出し、活力が湧いてくるのであった。なにか前に買った食べられるものを漁りそれを頬張る。すると、食べた後だというのにかえってお腹が減ってくるので近くのコンビニへ足を運ぶのであった。
以前、数学ってなんの役に立つんですかって学生に、お前がいつもいじってるスマホは数学でできてるだと言ってやったみたいな、ドヤりツイートにイイネがいっぱいついてるのを見たけど、そんなこと言ってたら、じゃスマホを作るような立場にならなかったら数学いらないんですねってことになるよな。
コロナで人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事の雰囲気が変わり始めている。
私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。
もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域は比較的英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である。小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたときに理科の若い先生が理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからないくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問は世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。
当時はショックだったが、中学校から親の転職の関係で引っ越し、比較的普通の地域に引っ越してしまった。小学校のときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越した地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科と数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくまで中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的に勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理の先生と哲学の議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたときに日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。
大学は自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生の多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学の図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館に毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会を議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定の教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生のパートナーは何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本の最高学府が学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由に研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員とディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験で自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論のテーマも自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性を提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1で勝手に実験をして修士で論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文を12本書いた。ちょっとした自慢である。
博士の資格は名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学のポジションの公募に出す中、私は自分の学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外は日本より風通しが良いだろうと思い、日本の研究費から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語の意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰の論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本の出身研究室で職を得て戻っていった。不思議なものである。
当時の海外での受け入れ研究室の教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本は講座制の影響もあり若い研究者が活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である。日本に戻るためには公募の書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり、研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生と研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室で研究をしているよりも経験をつんで日本で研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議なものである。
こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言を学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育を享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。
そんな先のコロナである。実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言のあおりをくらい、研究室での研究活動はオンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生がいるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。
学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生で一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動は制限されている。以前ほどの自由は担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンはスペイン風邪のタイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生に希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。
メンズエステはすごく気持ちいいらしいという話を聞いて、一度行ってみたかった。
田舎なのであまり店の種類もない中で、いろいろ考えてある店舗とあるセラピストに決めて、予約した。
クーポン使って120分14000円。初めてなので120分も必要なのかどうかもわからないけど、なんとなくお得そうだったので120分。
電話で指示されたマンション、というかアパートだった。アパートに行って入室。
すぐセラピストさんが迎えてくれた。すごくかわいいわけではないけど、十分にかわいい雰囲気。中当たり?他のセラピストを知らないが。
声とか人当たりもかわいい感じ。
一人でシャワーに行くように促される。腋、股間、お尻を念入りに洗って、紙パンツを履いた。極小Tバック。こんなの履いたことない。下の毛めちゃくちゃはみ出してる。すでに恥ずかしい。
セラピストさんの待つ部屋に行って施術開始。うつ伏せになって足からスタート。オイルを使った施術。オイルマッサージ自体私は初体験だ。
足のマッサージは普通に気持ちいい。途中で足の裏をセラピストの足の間に挟んで、セラピストの股間に触れさせてきた。なるほど。なるほど。なるほど。
この具合でお尻まで揉みほぐされた。
そして噂のカエル足。
股間キワッキワのところを攻められる。これが気持ちいいんだと思ってたけど、期待しすぎたのか、セラピストさんの技術不足なのか、ぼちぼちだった。身体はビクッとしちゃうし、ぞわっともする。ぼちぼち気持ちいい。あと恥ずかしい。
反対側の足も同じように施術を受け、「では四つん這いになってください」と言われる。
これは恥ずかしい。エロい。セラピストさんは胸を私のお尻に押しつけながら、股間のキワを攻めてくる。エロいんだが、感想はさっきと同じ。
ちなみにこの時点で私の股間は大きくなってない。
続いて仰向けの施術。
顔がよく見える。足の表側をほぐされて、また股間のキワ攻め。
私の腕枕にセラピストさんが頭を乗せて、股間のキワ、鼠径部を施術する。
髪がいい匂い。しかし私は勃起しない。興奮はしてるし気持ちいいけど、勃起しない。
いろいろネットとか見てるとみんな勃起するみたいなんだけど。なぜ。
この辺で「あれ?ここ健全店だよな?」とか思いながらも身を任せる。
さらに攻めはエスカレートして、乳首とか竿にそっと触れ始めた。おっと、これはこれは。健全店でも乳首はあると思ってたけど、竿。これはこれは。とはいえ本当に一瞬触れるだけ。
乳首はかなり弱い自覚がある。これでさすがに勃起してしまうぞ。と思ったのに勃起しない。緊張してるのでは。
この間もセラピストは私にぴったりくっついている。服は着ているけど。
勃起しないけど、別に勃起するのが目的でもないしな、と思いながら身を任せていたが、セラピストの手はどうしても私を勃たせようとしているみたい。
「自分でされてもいいですよ」
するって、どこまでしていいの?
とりあえず自分で股間を触りだす。セラピストも密着施術は続けている。
自分の股間のことはよくわかっているので、うまいこと触って、大きくなった。
こうなったら完全に紙パンツからモノは飛び出している。最初からだけどセラピストさんはじっと股間見てる。
「元気になったねー。」
と軽く股間をツンツンされる。
とりあえず言われるがままに追加を申し出たら、追加オイルが竿に塗ったくられる。めっちゃ触ってる。
ただ、施術という建て前?なのかわからないけど、それ以降は竿の根元くらいまでしか触らない。手コキ的なことはルールとしてできないよってことなのかな。
というか大きくなってなおオイルを追加されたということは、これは出すまでやれということ?いいのかな?と思いながらも自分で息子をこすり上げる。
見られてるし、密着してるし、触られてるし、これは正直気持ちいいし興奮する。もう健全店ってなんなんだよ。
戸惑いながらも興奮して、自家発電発射した。2日くらい出してなかったからかなり出た。気持ちよかった。
「いっぱい出たねー」と微笑まれながら、トイレからペーパーをとってきてくれた。拭いて流して証拠隠滅。精子ティッシュは残せないもんね。
この時点で残り30分くらい。
デコルテ周りを普通にオイルマッサージされながら、「疲れちゃった?出したことは内緒だよ?」って言われた。かわいい。
起き上がって一人でシャワーかかって着替えて終了。
最後にセラピストさんとちょっとお話して、終了予定より10分くらい早く退室した。
結果、心はかなり癒されたと思う。身体はわからない。射精するつもりで来てなかったのに結局射精してるので、気持ちいいのは気持ちよかった。けど、施術による勃起じゃないのが悔やまれる。みんなあれで大きくなるの???
コスパで考えるとこれはどうなんだろう。
同じ値段だとデリヘルよりも密着の時間がかなり長いから癒しコスパは高いかも。マッサージもそこそこ気持ちいいし。
もう一回くらいはチャレンジしてみたくなった。
次は勃ちたい。
1点誤解があって、説得力の点で不利と書いたのは、「説明する」のに比べて「説明を怠る」のが不利ってことです。書き方曖昧だったね、すみません。
どっちもデータ出さないなら互角っていうのは同意です。自分もそれが言いたかった。逆に現状を打破したいならデータ出せる範囲で出したほうがいいと思うよね。双方ともってことね。
ここについては、以下のような事柄も「現状」だと思うんだが。つまり現状のままだと宇崎ちゃんとラブライブポスターはNGとなってしまわない?って疑問に思ってる。