はてなキーワード: えびのとは
トラジャ担です。そういう事を書きますが、あくまでこれはトラジャの記録ではなくて私の感情の記録です。2019年の夏とそこに至るまでの、トラジャにまつわる私の記憶とかそういうものの記録。沼に嵌るまでの経過とも言えます。4000字。
書くことで自分の中で整理しようって思いと、書いちゃったから誰かに読んでほしいなって思い。オタク歴がめちゃくちゃ浅くて友達いないしTwitterもブログもやってないからここに載せたい。
そもそもアイドル追っかけた事も、アイドル以外の何かを追っかけた事もほとんどなかった。全部トラジャが初めてだった。
私がトラジャを好きになったのは少クラでLet it BURN!を躍る美勇人くん見たからだった。確か2017年?16?かその辺だったと思う。というか美勇人くんを好きになった。うわなんだこのかっこいいダンスって思って好きになったんだけど、少クラだって学校から帰ったらちょうど始まる時間だったから見てただけで録画もしてなかった。音楽番組なら演歌だろうと何だろうと好きな私はそのノリで見てただけで、ジュニアの事なんかわからなかったしましてやトラジャなんて(そもそもジュニアの中にグループがあるのも理解してなかった)知らなかった。ただ美勇人くんていうんだ、かっこいいな、今日の放送出るかな、って思って毎週見てた。
だんだん仕組みがわかってきて、ああ美勇人くんがいるのはトラジャってグループなんだな、Love-tuneってとこと兼任してるのか、みたいな、どう調べたらいいのかもわかんないし無精者だから少クラ見て分かる事だけちまちま知っていって、たまにアイドル雑誌買ったりもして、ゆるゆるの美勇人くんファンをしてた。今でも私が一番好きな少クラはいつかのらぶと一緒にやってたえびのFantastic Rideだ。それはそれで楽しかったよ。
けど、だんだん少クラに出る美勇人がらぶの方ばっかりになってる気がした。衣装とか。あれって思ってるうちにもうトラジャでは全然踊ってくれなくなった。そうこうしてるうちに夢ハリが出て、めっちゃかっこいいじゃん!って思った次の、少クラでの確か二回目の夢ハリパフォーマンスのときに朝日君がいなくなっていた。流石の私もおかしいと思って、はじめてちゃんとトラジャについて調べた。そうしたら私が呑気に少クラだけ見てへらへらして居る間にトラジャも美勇人くんもLove-tuneも朝日君もそれからもちろんファンも大変なことになってたのを知った。知って死ぬほど後悔した。自己中なことに、ああもう二度と美勇人くんには会えないんだなって思って後悔した。あの時点ではもちろんらぶにいたから見れはするんだけど、けど、既にその時私はトラジャのパフォーマンスの中にいる美勇人くんのファンになってたからそれじゃ嫌だって我儘を思ったんだな。
それで(今後自分は誰を応援するのか?みたいなことで)結構悩んだんだけど、結局「トラジャ」ってグループのファンでいようと決めた。らぶにいる美勇人は何でか分からないけどなにか違くて(勿論好きは好きなんだけど)、やっぱり私は「トラジャ」のステージが大好きだったから。あと何かの雑誌で読んだ松松の加入の方法もすごく好きだったから。それで何したらいいかわかんないなりにファンクラブはいればいいのでは?って思って情報局に入り、そこから少クラだけじゃなくていろんな番組とか(そんなないけど)、雑誌とかを見るようになって、いろいろあって、初めて彼等に会えたのが去年つまり2018年のサマパラ。
当選した時嬉しかったなあ大学の授業中にメールが来て教室飛出して親に電話したの今考えても馬鹿だ。当然仕事中なので出なかった。全く違うジャンルのオタクが一人だけ居たのでそっちにも死ぬほど電話しまくった。二次元の子なので、推しが三次元で会えるのってすごいねみたいな事を言われたの覚えてる。
それで2018年のサマパラはあんまり覚えてないんだよね。興奮しすぎて覚えてない。アリーナのめちゃくちゃすごい席ひいちゃって、しーくんの汗がふあっ、てとんできたのと、アンコ終わりにちゃかちゃんが「何かあったらTravis Japanに言えよ」って言ってはけたの、ほんとにそれしか覚えてない。けど終わった時好きでよかったし好きな人たちに会えるときに会えてよかったってすごく思った。
情報局の動画に2018のダイジェストがのってるんだけど、それは心がほんとに折れそうなときに見る。死ぬほどつらい時にあれ見るとラストの方のサマパララで、ローテンポのサビのとこ、ちゃかちゃんがカメラ指さして歌ってるとこでわんわん泣いちゃうんだよね。リーダーすごいなあって思う。
まあそこまではよくて。ここまでなら一般人が危機感を覚えて軽めのオタクになっただけの話なんだけど問題は今年の夏なわけじゃん。8.8みたいな話。
8.8は当然の如くはずれたのでお家で見てました。けど正直外れてよかったって思ってしまった。スノストは正直好きで、てかトラジャが私の中では特別輝いてるってだけで、もうステージで輝いてる人は全員好きなんだけど、それでもだめだった。そりゃ人気とかわかってはいたけどまさかあそこであんな形で発表されるとは思わないじゃん。発表の後は見れてないし、素顔トラジャ版予約したけど、来ても正直見れる気がしない。おめでとうだけはちゃんといいたいんだけど。その気持ちは嘘じゃない。本当に、スノストがどうこうじゃなくてトラジャの問題なんだそこだけは本当でしかない。
その時私は8月10日サマパラ初日昼公演つまり初回公演のチケットを持っていた。死ぬほど楽しみにしてた。横アリは外れたから私にとっては一年ぶりの単独公演。幸せの絶頂だったんだけどどん底に勝手に落ちた。物販だけ行ったドームのうちわ眺めながら、どんな顔してTDCHに行けばいいんだろう。メンバーはどんな顔してるんだろうってそればっか考えたし、人生でこんな悲しい気持ちで入るコンサートはそうそうないだろうなって思ったりもした。美勇人くんがいなくなった時の事とかも思い出した。終わりがあるってことを忘れていたんだな。総武線の中できいてたボルケーノの歌詞が辛かった。
今8月8日の日記を見返したんだけど「私は楽しくなくていいから7人が楽しめればいいのに」って書いてあった。まさにそういう気持ちだった。
それで公演に入った。けど二曲目からは一つも悲しくなかった。同じ公演に入ってた人ならここだけは同意してもらえると思うんだけど、一曲目に松松が入って初のオリジナル曲の二番初披露で松松のパートがあって(うみんちゅナイス)、それで次のYes!I SCREAMのイントロでまつくが「デビューすっか!」って叫んだじゃん。もうあそこで悲しい気持ちとか諦めとか寂しいのとか全部吹っ飛んだよね。私は泣いたし私の前にいたまつくのうちわ持ってた人は座り込んで泣いてた。7人が全日程通して(とらまるも含め)自分達の気持ちを語ってくれたわけだけど、私にとってはあのまつくの言葉が強くて強くて、あれがなかったらたぶん怖くてこの間ののえまる開けなかったと思う。しめちゃんの一緒に頑張ろうって言葉にも心の底から約束できたし、うみんちゅに言われて買ってなかったグッズ追加で買ったし、新曲のコールもあんな大声出たことなかった。光飛び散るステージのMCとかめっちゃ笑ったし。のえさんの優しさもたまらないしソロのファンサで死んだ。元太のanniversaryでまた泣いてまつくのpureも早く音源にしてちゃんと歌詞読ませて!ってすごく思って、エンディングでまでカニ歩きしてるしーくんに誰も突っ込まないので笑って、とにかく全部幸せだった。トラジャをこれからも応援できるなって思った。
そのテンションのままで虎者特報100万目指して、実際100万いった日の夜中とか、30分に1万のびるんだもん寝れないよって思って4時まで起きてた。死ぬほどまわしてスクショとって、オーラス前に行けた。私はサマパラ初日の1公演しか入れなかったのだけれど、そこで言われたうみんちゅの言葉に加えて、オーラスまでモチベーションが続いたのはレポをあげたり再生数をグラフ化してくれたりするトラジャ担の皆様のおかげでした本当にありがとうございます。勇気を出せたら私もトラジャ垢作りたいな。
結果としてフルが公開された。8.8からたったの二週間。漫画どころか二時間完結の映画みたいなスピード感。
決まってたのかもしれないけどそんなことどうでもいいじゃんって今は思う。もうなりふり構っていられない。前はトラジャのパフォーマンスのファンだった。けど今はもう何でも良くて、もちろんトラジャのパフォーマンスが一番好きなんだけど、今の私は、トラジャの7人をこれからも見ていられるようにするためなら何だってするし何させられたって(勿論7人が嫌だと思う事は絶対嫌だけど)いいなって思う。
終わりがある事を知ったからこそこう思えるようになった。
なんでもいつかは終わるんだよね。人生だっていつかは終わるし。アイドルなんて特に。嵐でさえ休止するんだから、こうなったから終わらないとかそんなこと言えない。言えないからこそ今を精一杯、それからほんの少しだけ先の何かのために頑張って、その結果として少しでも長く7人を見ていられたらいいな。追いかけられればいいな。オースティンがあって、虎者があって、そこを頑張ったらもう少しだけ先の別の目標が出来たら最高じゃない?今は未だ妄想だけど。
一つ一つの目標を躓かないで頑張れたらいつかはハリウッドが次の行先になるかもしれない。ハリウッドの次だってあるかもしれないじゃん。
思うのは、叶ったって夢は夢でしかないかも知れないってことだ。それが終わるってことだから。トラジャとか、アイドルに限らずだけど、結局人生でさえいつかは終わるんだから。一度は叶った夢が消えちゃうこともあるし。
けど私はこの夏を通して、7人と7人のファンと、同じ夢を見られるファンに慣れた気がしてる。
同じ夢を見ている限りもう怖いことはない。
MVまわしながら勢いで書いたし歴の浅いオタクだからいろいろ間違えてるかもしれないけどこれからも勉強するから許してください。なんなら教えてください。私の知らないトラジャの事をたくさん知れたらもっともっと同じ夢を見られる気がするので。
みんな旅行とか行ったのかな。
積ん読してた本が2、3冊消費されたところでたまらなくなってエッセイ紛いのものが出来上がったので、どこに書くにも場所がないのでこちらに。
運良く窓際の席を取れたが、ゴールデンウィーク、しかも異例の10連休である故か通路には立っている人が端から端まで広がっている。自由席だからなのだろうが。
当日に特急券を購入するという考えが甘かったと悟ったのははるばる新潟駅に到着したその時である。慌てて自由席のチケットを購入し、1時間も前からホームに並んで電車が到着するのを今か今かと待っていた甲斐があり、無事に窓際で座り込んで駅弁を食べる贅沢をする権利を得た。
窓の外には平野の田園風景が広がっている。その遥か向こうにそびえる奥羽山脈の頂には、5月にもなろうかというのに相変わらず雪が降り積もり白く輝いていた。
奥羽山脈は手前の山に阻まれ隠れ、そしてまた姿を見せる。手前の山には仄かに淡い白さが点在している。どうやらあれは山桜のようだ。
そう、窓際の席とは山側なのだった。
初夏の日本海の底知れぬ青黒い美しさはえもいわれぬ郷愁が湧くが、遠く高くそびえる山脈の頂上の銀色もまたノスタルジーである。
列車が北に向かえば線路は海に近くなっていき、奥羽山脈は遠く離れて行く。その遥か向こうに見える頂に銀色が輝いていればいるほど、胸の奥が詰まってたまらない心持ちにさせられるのだ。あの山の上から下に降りてくればきっと緑が増えるのだろうが、初夏になろうとしている時季に尚白く輝く凛とした佇まいが胸を打つ。これを横目に眺めながら移動するとはなんとも美しい初夏の電車の旅である。
新潟らしく広く大きな田んぼの中ではトラクターが動いている。ちらほらと水が張られた田んぼも見られ、秋になればここ一帯は美しい金色の広がる風景が見られるに違いない。
さて、新潟平野の自然の豊かさ美しさは想像するに難くない。今回は駅弁をただただ食べている1人の女の話である。
そもそもの旅の出発点は京都なのだが、本日の始まりは富山からだった。富山発、始発の電車に揺られて向かったのは直江津である。つまりは日本海側を延々と北上していくのが今回の旅の目的なのだ。というか、それだけである。日本海側を北上して秋田に向かうのを目的とした旅だった。どこに書くにも宛がないし、需要もなにもあったものでないからこうしてつらつら散文を書き連ねている。
富山駅前に24時間経営または早朝から開いているお寿司屋さんなんかがあればおそらく私はそこに直行しお寿司を朝からとはいえお腹いっぱいいただいていたと思う。しかし富山駅前には何もない。朝5時から、もしくは6時から…更に粘って7時なんかにも開いている店、更にいうならば寿司屋なんて存在しない。7時台から開くのはチェーン店かモーニングをやっている喫茶店か何かだけである。そして元気に営業していたのは24時間営業の吉野家のみであった。
その時点で私は富山で味わう海の幸の幻想を頭の中から叩き出した。白えびの軍艦に唐揚げ、新鮮な蛍烏賊の踊り食いや辛子味噌和え、ずわいがにや幻魚、その他内陸では食べられないお魚などなどである。食べたかった。
しかしそうも言っていられない。猶予はあまり無いのだ。今日中に秋田のその先まで着かなくてはならない。家族と合流する予定がある。そのためにただ日本海を傍目に北上しているのだ。
あいの風とやま鉄道に揺られて泊駅に着けば、1時間近くの待機時間の後に直江津行きが発車する。その頃には7時も回っており、ワンマン運行の1両のみの車内には案外人がいた。
さて直江津に着くまでに私がしていたことといえば、ただ海を眺めることだった。
日本海は海が近い。個人的な感覚だがみんなそう思うのだろうか。太平洋側の事はあまり詳しく無いが、日本海の海は近く深くあるような気がする。その黒く光る朝の海の美しさと言ったら!まるで海の表面にも溢れそうに青魚の群れが泳いでいるかのように、白く立った波が時々日光を浴びて生き物のように揺れている。青さの深い、銀と灰色と藍と黒が混ざったような深い深い海色は、海から随分と離れた所に行ってしまった私の目にも優しく映った。遠く沖には白い漁船が横切って行った。すわ喘ぎそうになる郷愁を感じる。胸の奥に響いて打ち震えるかのような懐かしさと海への憧れが込み上がっては目の奥がじいんと熱くなった。
電車の揺れが心地よくてどうやら眠っていたらしい。これは最近しばらく満足に寝られていないせいだろう。気がついたら直江津駅に着いていて、次の電車が出るまであと1時間の間があった。
大正時代の立ち売り衣装に身を包んだおじさまがいるということをきちんと事前に調べておいた。スマホでなんでも調べられるとは便利な世の中になったものだ。
到着するのが9時前でなくお昼時だったなら今度こそ寿司を食べに行っていたが、時間がないのでそうも言っていられない。
電車好きの皆々様が声高らかに宣言するように、私ももれなくそうだと頷くことにしている。車窓から見える景色も楽しいものだが、そこにご当地の駅弁が加われば怖いもの無しであるし何よりお腹いっぱいになって幸せになる。
朝ご飯代わりに駅弁を購入する事を楽しみに直江津駅に降り立った。
改札口に向かうと、出る直前の部分にこじんまりとしたささやかな売り場がある。まあ何がどうなっているかは気になった人が各自で調べればいいので詳しくは書かない。
しばらく待ってもおじさまが来ないのでどうしようとウンウン首をひねっていたら、親切な黄色ジャンパーの方が声をかけてくれる。同じ会社の人のようで連絡を取ってくれた。すぐに戻ってくるそうだ。どうやら弁当が残り少なくなってきたから補充をしに行っていたらしい。
いただいたのは鱈づくし弁当である。しかし、戻ってきた駅弁売りのおじさまが持ってきた物の中にさらに目を惹く物が存在した。上越名物(?)スルメの天ぷらだった。本当にこれが名物なのかもわからないがとにかく美味しそうなので購入してしまった。繰り返すようだが朝9時前である。少しというか結構重たいラインナップなんじゃないか?との一抹の不安と、大人になった事によって気になったものをパッと買える喜びで押し挟まれながらわくわくと胸を躍らせた。
味や中身の紹介は調べればいくらでも出てくるので割愛するが、鱈づくしの弁当は珍しいものだし鱈子も入っていて味も良い。スイスイ食べれてしまう。しかもスルメの天ぷら、これが1番の食わせ者だった。とにかく美味しい。お酒飲みたい。これを文字通り酒の肴にすればいくらでも日本酒が進むこと間違いない。移動距離が長いため朝の脳内では流石に自重してしまったのだが、どうせ移動中に転寝するならお酒を嗜むのを選択するのが大人の行動だったと今になって反省している。今度こそは間違わず躊躇わずに酒を購入する事をここに誓います。
流れる景色を眺めながら食べる駅弁の味わいの乙な事と言ったら!と満足ながらもやっぱり少し重たかった。行儀が悪いのは重々承知で半分残し、今度はお昼ご飯にするためにとっておいた。
今が秋ならば目の前一面に稲穂の海が広がっているだろう。田園風景の美しさとは未来が楽しみなことにもあるかもしれない。
点在する民家の遥か向こうに山々がそびえている。その更に向こうに相変わらず悠然と存在する白い山脈の頂きを眺めながら駅弁の蓋を開けるこの瞬間の静かな興奮である。
美しい景色を眺めながら、その土地の食べ物をいただき、更に移動までさせてくれる。電車の旅でなければ味わえない幸福な感覚に1人で酔いしれながら最後まで食べきったが、終わってしまうのも少し物哀しい。
ここが機内食やなんかと違う所なのである。駅弁は去り際に満足感と一緒に微かな残り香を置いていく。決して美味しい匂いが残るわけではない。なんだか少し物足りないような、それでいて胸がいっぱいになるような、この土地に少し近づけたような、微かな証を残していく。
反対の窓の向こうには日本海が近づいてきていた。人と人の隙間からちらちらと光る海が見える。
学業の関係で上京してきて約一年経った頃、上野の某横丁を初めて一人で歩いた。シーズンではなかったが、そこそこ人が歩いている。田舎から来ていたので、周りにあふれる色々なものに目移りしながら散策した。
少し歩いて、横丁内の路上の真ん中でおじいさんが一人で乾燥したオキアミや桜えびを袋単位で売っていた。
私は料理が好きだったのでせっかくだからと欲しくなり、近寄った。
私が近寄るより前に女子大学生か何かの可愛い女の子二人組が居た。言い方は古いが、少しギャルっぽいような、渋谷にいそうな子たちだった。
「これやばーい」
「何に使えばいいかわかんない」
「でもなんか安い」
私は心のなかで、チャーハンとかに入れると美味しいよと思っていた。
目の前でその二人を見ていたおじいさん、私の目の前で、可愛いから安くしちゃうよ!と言った。あれば便利だよ!料理に使えるよ!と、まぁよくありそうな言い方で、言われるがままに女の子たちは買った。
最後におじいさんは、いやー二人は可愛いからサービスしちゃう!!と、通常の2倍ほど袋に盛って、さらに他の桜えびの袋なども無料で渡し、総合的にみると相当に安い値段で女の子に売った。
その時はそう思った。
「こんにちは。これでこの値段は安いですね」
実は自分も大学生、可愛くは決して無いが普通に話してもらえると思った。
「ああ……」
おじいさんの反応はすごくすごく薄かった。
「一袋頂けますか」
「まいど」
これがおじいさんの通常営業なんだろうと思った。
しかし目の前であんなサービスを見せられてからのコレは流石に私もこたえた。
ありがとう御座いますと言ってすぐに立ち去ったが、容姿でこんなにも人当たりが変わるものかと思うと悔しく、腹立たしく、悲しくなった。
それから数年。
私はあのとき以来、某横丁を歩いていない。
わたしは、関東のいわゆる干され()と呼ばれるくらいのラインのJr.のオタクをしている。関西のメイン()のJr.も同じくらい好きで掛け持ちと言われるオタクだと思う。
東西どっちも好きでどっちもそれなりに見てるつもり。つもり。
体育会TVの東西対決や、SixTONESと関西Jr.の東西SHOW合戦、それ以外にも東と西が共演、対決する機会はこれからもあると思う。
単刀直入に言うと、
ってかそう思ってる人多いよね???
実際の仕事量を考えると
少年倶楽部は毎月あるし先輩グループのツアーや、毎年恒例となっている冬の帝国劇場の舞台をはじめ関東圏でのコンサート舞台の仕事が多いのは事実。雑誌にも関東Jr.の方がが載っているJr.の人数は多い。母数も多いが。関東には今たくさんのユニットがある。入所してすぐテレビ出演や、ユニットに入れられ、推されるJr.もいる。Mステや紅白でのJr.100人!とかもほぼ関東。ゴゴスマの占いやRの法則、その他に個々でレギュラーがあるJr.もいる。冠番組があったりする。
けどそれは全部同じJr.ではないし今上げたもの全てに該当しないJr.もいる。まあそれでも、ほとんど該当するJr.もいるしピンキリ。
わたしの好きなJr.は今は少クラには出てないし雑誌はもう1年以上載っていない。Jr.100人!のバックに入るのもギリギリ。ってかほぼいない。
少クラ出たことない子や雑誌に載ったことない子、紅白もMステも出たことない子もいるし上を見てもキリがないし下を見てもキリがないと思う。下とか言ってごめんやで。
関西は、まいどジャーニー、年1の少クラ、春夏冬の松竹座公演、ほぼ同じメンツでほぼ総出演。プラスでジャニーズWESTのバックだったり、セクゾやえびのツアーの関西公演のわらわら()。Jr.メインの映画もあって、個々でドラマや映画の出演。みなすきなどNHKの番組にレギュラーがある子もいる。
もちろん関西Jr.にも今上げた全てに該当する子もいれば1つも該当しない子もいるだろう。ピンキリなのは一緒。
関東は 300人に150の仕事がある感じで関西は 100人に80の仕事がある感じ
なんとなくニュアンスで
関西のちびジュたちはまいジャニや松竹座での公演で1人ずつ自己紹介させてもらえたりアピールさせてもらえる機会がある。
関東のちびジュたちは今までに公の場で自己紹介したことがない子もいると思う。少クラのJr.にQ!見るたびにもっと小さい子をいっぱい出して!って思うけど、ユニットのある大人のJr.たちも他にトークの企画があるわけでもないから難しいのだろうなあ、とは思う。
実際関東のが有利なのかもしれない。
でも最初に書いた、関西は関東より不利!っていう意見は、きっと少クラや雑誌に出ている子たちだけを指しているんだろうなあって。少クラに出てない子のことは考えてもない人の発言なんだろうな、って思ってしまう。
母数が違いすぎるから答えなんてないし、どっちにも良い部分と悪い部分があって比べられられないし、ただの僻みになってしまうんだけど。
わらわら、やツアーバックしか仕事がない子、それもなくて〇〇辞めたよ、って言われるような子や、まだいたのか!って言われるくらい久々にしか仕事がない子。
もちろん関西にもそういう子がいるのはわかってるけど、関東Jr.の方が仕事多い、推され、とか、関西は不利だから、関西Jr.が選ばれるのすごい!とかそういうムダな関西上げ()する風潮が嫌いだなあと思う。だって、関西のが羨ましい部分もたくさんあるよ?!!!みんなモンペだからな。隣の芝生は青いってことだよな。たぶん。
全体的に関西下げの文章になってしまってる感じがあるけど。けど、松竹座公演に出れてない子は出て欲しいし、もっと関西Jr.が東京のステージに立つ機会があると良いなあと思う。関西Jr.の一体感はやっぱり強いしそれが楽しいんだけど、それがしんどい部分もあるなあ、なんて。
わらわらしか仕事がなくたって、公の場でしゃべる機会がなくたって応援してるファンは絶対いるから、
中国料理の調理法には数多くの流派がある。そのうち最も影響力があり、代表的なものとして社会的に公認されている料理は山東料理(魯菜)、四川料理(川菜)、広東料理(粤菜)、福建料理(閩菜)、江蘇料理、(蘇菜)、浙江料理(浙菜)、湖南料理(湘菜)、安徽料理(徽菜)があり“中国八大料理”と称されている。これらの料理系譜の独特な調理法は、調理法形成過程、その地方の歴史と切り離して語ることはできない。またその地方の地理的条件、気候条件、特産資源、飲食習慣などの影響も受けている。八大料理の擬人化表現として、江蘇、浙江料理は清楚な素面の江南美人、山東、安徽料理は古風で質朴な北方健児、広東、福建料理は風流典雅な貴公子、四川、湖南料理は造詣深く才気あふれた名士と表現されている。中国“八大料理”の調理法はそれぞれ長所を有し、長い歴史が生み出したものである。
一 山東料理(魯菜)
宋朝以降、魯菜は“北方食”の代表となった。明、清時代には魯菜が宮廷料理の主流となり、北京、天津、東北各地に対して大きな影響を与えた。現今の魯菜は済南、膠東両地方の地方料理が発展したものである。その特徴の爽やかな香り、新鮮な柔らかさ、純粋な味で世に知られ、コンソメ(清湯)とクリームスープ(奶湯)の調理法に長じ、コンソメは淡白上品、クリームスープは純白で濃厚である。済南料理は煮炒め、遠火焼き、油炒め、揚げ物に長じ、有名な料理には“糖酢(甘酸っぱい味付け)黄河鯉魚”、“九転大腸”、“湯(スープ)爆(煮炒め)双脆”、“焼海螺(ホラガイ)”、“焼牡蠣”、“烤(焙り)大蝦”、清湯燕巣“などがある。
二 四川料理(川菜)
秦末から漢初期にかけて初期的に形成され、唐、宋代に急速に発展し、明、清代にはその名声が全国に広まり、現在では世界中に四川料理レストランを見出すことができる。正統四川料理は成都、重慶両地方の料理に代表される。精選された原材料、規格の重視、主従明確な盛付けの彩り、鮮やかなハーモニーを誇っている。酸味、甘み、痺れ感、辛味、巧みな油味、濃厚な味付けが特徴で、調味料として三椒(唐辛子、胡椒、花山椒)と生姜は欠かすことができない。他地方には余り見られない辛味、酸味、痺れ感のある料理として人口に膾炙し、四川料理独特の風格は“一皿一味、百皿百味”と賞賛されている。調理法は焙り、遠火焼き、揚げ炒め、蒸し物に長じる。四川料理は総合的な味付け、濃厚なだし味に特徴があり、塩味、甘み、痺れ感、辛味、酸味の五味を基本として、さらに各種の調味料を配合し基本的家庭味、巧みな塩味、魚香味、レイシ味、複雑な妙味など23種類の複合味付けが) 確立されている。代表的な料理には“大煮干絲(干し豆腐の千切り)”、“黄燜(醤油と酒の煮込み)鰻”、“怪味鶏塊”、“麻婆豆腐”などがある。
三 広東料理(粤菜)
前漢時代にすでに粤菜の記載があり、南宋時代には皇帝付きコックが広州に随行する影響を受けた後、明清時代に急速に発展し、さらに対外通商開始後は西洋料理の長所を吸収するとともに粤菜も世界に普及し始め、現在、ニューヨーク市だけでも数千の広東料理店を数えるに至っている。広東料理は広州、潮州、東江の三地方の料理を代表として形成されている。原材料の種類は豊富で新奇を好むので変化に富み、旨み、若い柔らかさ、爽やかさ、滑らかさを重視している。一般に夏秋には淡白を求め、冬春には濃厚に傾く。味付けにはいわゆる五滋(香り、歯ざわり、臭み、滋味、濃厚さ)、六味(酸味、甘み、苦味、塩味、辛味、旨み)の別がある。調理法はソテー、揚げ物、餡かけ、煮込み、揚げ炒めなどに長じ、盛付けの彩りは重厚で、その滑らかさは飽きが来ない。蛇、ハクビシン、猫、犬、サル、ネズミなどの野生動物調理で名高く、有名な料理には“三蛇竜虎鳳大会”、“五蛇羹(濃厚な吸い物)”、“塩火局(蒸し煮)鶏”、“牡蠣油牛肉”、“烤乳猪(子豚)”、“干煎(油煎り)大蝦碌”、“冬瓜盅(杯)”などがある。
四 福建料理(閩菜)
福建料理は福建省閩候県に起源を発し、福州、泉州、アモイなどの地方料理を代表として発達してきた。その特色は色調が美しく、淡白で滋養があることで名高い。調理法は油炒め、餡かけ、ソテー、煮込みに長じ、特に“酒糟味”は独特である。福建は東南の沿海に位置しているため、ハモ、アゲマキ、イカ、イシモチ、ナマコなどの海鮮が豊富で、それらを原材料とした調理法に独自のものがある。有名な料理には“仏跳墻”、“酔糟鶏”、酸辣爛魚“、“焼片糟鶏”、太極明蝦“、清蒸加力魚”、“荔枝(レイシ)肉”などがある。
五 江蘇料理(蘇菜)
南北朝時代に発祥し、唐宋以降は浙江料理と覇を競って“南方食”の二大大黒柱となった。江蘇料理は蘇州、揚州、南京、鎮江の四大菜を代表として構成されている。濃厚さの中に淡白さを有し、ふんわりとして香り高く、スープだしは濃厚であるが嫌味が無く、口当たりは柔らかで甘みのある塩味がその特色である。調理法は煮込み、遠火焼き、蒸し焼き、油炒めに長じる。調理する時には原材料を厳選して配色、盛付けを重視し、四季の別がある。蘇州料理は甘みに特徴があり、彩りのハーモニーが素晴らしい。揚州料理は淡白で口
当たりがよく、主食材の味がうまく引き出され、切り込み法に優れて味がよく滲みこんでいる。南京、鎮江料理は濃厚な味付け、精緻な造りで、特にアヒル料理はその名が高い。有名な料理には“清湯火方”、“鴨(アヒル)包魚帳翅”、“松鼠桂魚”、西瓜鶏“、“塩水鴨”などがある。
六 浙江料理(浙菜)
杭州、寧波、紹興、温州などの地方料理を代表として発達してきた。その特徴は淡白、香り高さ、歯ざわりのよさ、若い柔らかさ、爽やかさ、旨みにある。浙江は魚、蝦類の産地であり、また山紫水明の有名な観光名勝地であるため、民間伝承の有名料理も多く、造りも精緻で変化にも富んでいる。調理法は油炒め、揚げ物、揚げ炒め、餡かけ、蒸し物に長じている。盛名を誇る料理には“西湖酢魚”、“生爆鱔片(タウナギ)”、“東坡肉”、“竜井(竜井茶)蝦仁(エビの剥き身)”、“干炸(粉衣揚げ)響鈴”、“叫化童鶏(若鶏)”、“清湯魚圓(魚のすり身団子)”、“干菜(乾燥野菜)燜肉”、“大湯黄魚(イシモチ)”、“爆墨魚(イカ)巻”、“錦繍魚絲”などがある。
七 湖南料理(湘菜)
湘江流域、洞庭湖周辺、湖南省西部の山間地帯の料理を代表として発達してきた。その特徴は材料の幅が広く、油濃く鮮やかで、唐辛子、燻製肉を多用する点にある。味付けは新鮮で香ばしく、酸味辛味が強く、柔らかく口当たりがよい。調理法は塩漬け肉、魚、燻製、蒸し焼き、蒸し物、煮込み、揚げ物、油炒めに長じる。有名料理には“腊(塩漬け肉)味合蒸”、“麻辣子鶏”、“紅煨魚翅(フカヒレ)”、“湯泡肚(臓物の胃)”、“氷糖湘蓮(蓮の実)”、“金銭魚”などがある。
八 安徽料理(徽菜)
長江沿岸、淮河沿岸、徽洲の三地方料理を代表として構成されている。その特徴は原材料選定が質朴で、火の使い方を重視し、油がきつく色鮮やかで、スープだし、原材料本来の味を維持するところにある。安徽料理は山海の珍味で名高く、南宋の頃には早くも“沙地馬蹄鱉、雪中牛尾狐”が有名料理として知られている。調理法は遠火焼き、煮込み、煮物に長じている。有名料理には“符離集焼鶏”、“火腿(ハム)炖甲魚(スッポン)”、“腌鮮桂魚”、“火腿炖鞭笋(竹の地下茎)”、“雪冬焼山鶏”、“紅焼果子狸(ハクビシン)”、“奶汁肥王魚”、“毛峰燻鰣魚(ヒラコノシロ)”などがある。
酱烧青蟹:蟹の味付煮
生炒鳝鱼片:田うなぎのこまきり炒め
红烧甲鱼:スップンの甘煮
麻婆豆腐:マーボーどうふ
樟茶肥鸭:楠の木と茶の葉でいぶした鴨
广州料理
脆皮鸡:広東式揚げ鶏
锦绣排翅:ふかのひれのうま煮
鲍鱼香茹:鮑とマシュルームのあんかけ
生炒鲜干贝:生貝柱の炒め物
中国についてアナタはきっと強く好奇心を持っていますね~(^ω^)(^ω^)(^ω^)まあ、もっと詳細の中国の基本情報は下のサイトをご参照ください。
メールアドレス:cs1@japinchina.com
特にNobanbaさんと雪椿姫さんなど文章の含蓄がある人に聞きたいと思って書く。
↓この記事なのだが…この文章で使われてる構成の技法がわかるかしら?
http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20121110/1352537384
アカデミックの名前がわからないけど、上記の文章は僕が伝統的に7・8年前から使う最も古典的にして、僕らしい文章技術です。僕は「縄」とか呼んでる技法で、一つの話をするためにいくつもの例え話や実話を絡めながら、積み重ねてコンセプトを強調する技法を僕はそう呼んでいます。
…が、この文で使った技法をはてなの読者がただの散文にしか見えないようです。
この記事ではエロと野球と努力のプロセスの話を並行させてその場その場で言いたいことを噛み砕いて説明してくれるお話を出しています。一本の縄、を作るためにそれを豊かな味わいにするために、別の話(に見える関連性の高い話)を同時進行で喩え話として持ってくる。
(もうちょいざっくり説明するか)
「才能」の話だけだと「才能とは個人技や先天性のものではなく、むしろ続けていくための努力そのもの…批判に耐える精神力のことを言う」だけで終わっちゃう。
だけど、それだけだと「うん、そうだね」で終わっちゃうし、わかりにくいから野球の話を絡める。なぜ、努力そのものか…それはプロ野球選手おのものがオールスターで地元で、その世代でブイブイ言わせたプロ集団だから。なぜ、精神的耐性が必要なのか?それは、プロ同士が平然とやっている野球は素人には到底及ばない高度な技術の結晶体で、素人は打席にすら立てないほどだから。
…だけど、これを一度だけ言っただけでは面白みに欠けるし、強調技法としても弱い。そこで意外性のもう一手(初めのエロ)の話を違うようでいて同じ話で言い換えて強調する。
『要するに表現とはオナニーで、評価・貨幣化とは射精だ。何度もやりたがる女の子は期待するファンであり、商売というのはヤリたいときにやる事ではなく、女の子が期待し続ける限り、期待に応えることだ。』
…3種類の言い換えを違う話のように上塗りして強調することで、メッセージ性をより深く頭にすり込む。(その上で全く同じことの言い換えではなく、言いたいことを狭く指し示す言葉を最後においていくことがポイント。)
これを順番を変えながら、同じ話を違う例え話・アプローチでする。…まるっきり違う話をしているようで居て、同じ話なんです。これが文章というエンタメの本質だと思うんです。(それを2~5種類絡める技を僕は「縄」と呼んで、高校時代から使ってます。)
例えば…みんなで同じものを食べたとしよう。
Aさん「おいしい!」
Cさん「えびもいいけど、えびのだしの染みこんだこのご飯が美味しい」
Dさん「大きなエビ、スパイスで黄色く染まったご飯、それにトマト…見た目も綺麗でしょ?」
Eさん「久々に五感で食事した。口に含むと塩気じゃなくて、えびの風味が鼻から突き抜けていく。」
…これ、家族で母が作ったパエリアを食べた時の会話です。文章書くヤツはAとBは使うな!使うぐらいなら、言葉なんか使わずに美味しそうに食べてろ!白々しいから。(まぁ、ABはオヤジなんだけどさ。)
『旅行を楽しむからには「疲れをとる」とか「新しいものを見るとか」じゃなくて、感覚的に新しいモノを持ち帰りたい。…そういう考えを僕は持つことが多い。そんなことを考えながら一人で被災地やら、神戸やらに遠出することもあるが、その必要はないのかもしれない。
例えば、私の母の料理は食卓にいながら、旅にでたような刺激的でいて、癒しをも与えてくれる豊かな表現力を持ち合わせている。とりわけ、私が子どものときからつくるパエリアの味は絶品で、食事とは旅…綺麗で、美味しく、いつもと違う空気が味わえる。そんな行為だと教えられるのだ。』
3種類混ぜると…パエリア・旅行・エロでできなくもないんだけど…俺以外のコメントが10埋まったらやります(笑)
僕はイケメンじゃないけどさ、女の子をアクロバティックに褒められる人だとは思ってますよ。その表現力だったら、紙媒体だろうが、生身だろうが、僕に勝てる人はそんなにいないと思ってます(笑)だから、多少は信用があるかなぁ・・・と。
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1273647648/-100
15 : 名無しさん@十周年 :2010/05/12(水) 16:04:24 ID:Q+OPxDLY0
「今年の1月にJICAを通じて熊本の酪農家に韓国からの研修生が来ることになった。
この酪農家は知り合いで俺も何度か見に行ったことがある。
研修生は韓国京畿道州抱河市西域から。昨年から口蹄疫が発生している地域。熊本
の酪農家はこれを断った。
宮崎2区のJICA出身のD議員、地元宮崎での受け入れを要請。
宮崎のある程度の規模のところは当然断った。
そこで目をつけたのが都農の水牛チーズ農場。この農場は東京のお店でイタリアンの
お店で働いていた人たちが立ち上上げた農場。俺も熊本でチーズ農場をやってる友人
のつてで親交があり、何度も一緒に飲んだ事がある。
この農場も初めは断った。この農場立ち上げの時、国からの補助を受けており、D議員
に押し通される形で受け入れた。
2月半ば頃から原因不明の下痢、乳量の低下、流産が多発。獣医にも原因が解らず、
検体を取って動衛研で検査。3月半ばに口蹄疫の疑いが判明。しかし、水牛には抵抗性
があり発症はなかった。
この頃から牛飼仲間には『原因不明の下痢が発生している。移すといけないから...』
と言って飲み会にも来なくなった。
4月10日にこの農場の近くの和牛農家で口蹄疫と疑われる症状が発生。動衛研で検査
したところ口蹄疫と確定。
20日に口蹄疫発生と発表。
水牛農場に川南農場の娘がバイトに行っていた。ここが川南で最初の発生農場。この
農場と行き来のあった農場を中心に広がり、川南で多発。国内最大手の直営で発生。
同系列のえびのの委託農場に感染。この農場は『保険金目的でわざと口蹄疫を出した』
とか言われていますが、それはないwこの会社とも付き合いはありますがえびの農場
は比較的成績の良かった農場。わざわざ潰さないと思う。
後、『水牛が元々持っていた』という噂もありますが、ちゃんと全頭家畜としての
※現時点での情報です。
通称・名称→ | フェニックス号 | 皆割(女性)フェニックス号 | アイあいライナー | サンマリンライナー | 福岡シティーライナー |
---|---|---|---|---|---|
片道 | 6000円 | 3300円 | 3000円 | 3300円 | 2900円 |
往復 | 10000円 | 6000円 | 5800円 | 6000円 | 5400円 |
便数 | 50便 | 8便 | 2便 | 平日6便 週末10便 | 2便(繁忙期は+2便) |
シート | 3列 | 4列 | 4列 | 4列 | 4列 |
トイレ | 基本有り | 基本有り | 無し | 主に有り | 無し |
休憩 | 宮原(20分) | ? | ? | 宮原(10分) | 北熊本・えびの |
所要時間(宮崎駅~博多駅) | 約4時間20分 | 約4時間15分 | 約4時間5分 | 約4時間5分 | 約4時間10分 |
回数券 | フェニックスきっぷ | × | × | 5往復パック | × |
宮崎発は午前中30分に1便、福岡発は夕方~夜にかけて30分に1便。
続行便の場合は4列かつトイレ無しの可能性。
ツアーバスと同じ位の値段・設備だけど、フェニックス号と同じバス事業者の運営、ってことで信頼感があるっぽい。
8月末まで片道2500円・往復4500円という驚異のお値段で提供中。
発着が佐土原。
便数が少ない。
(未乗車)
週末のみ+500円で3列シートの便も。そして週末のみトイレ無し便があるので要注意。
こちらも佐土原発着。
天神で降車可。
トイレ無し。
通常時は一番格安、だけど便数が少ない。
(未乗車)