はてなキーワード: 詭弁とは
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ほんまこれ。
こいつらのお気持ちで何でも規制した結果、世の中がギスギスしだして、経済文化社会的な衰退を招く大きな一因にもなっているのは事実。
この手の詭弁こそ国益を損ない国力を奪う事に繋がっているからね。
【悲報】ららぽーと屈する。西浦みかん寿太郎PRパネル掲出終了。
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あの人達のお気持ちに際限がないのは今までの経緯を見てれば普通に理解できる事。
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JAなんすんのポスターのこと - こづかい三万円の日々https://t.co/kUKpkAuv1f— てぎ (@tegit) 2020年2月16日
【ラブライブ!】「JAなんすんのポスターのこと」という記事が丁寧で分かりやすいと好評、男性ラブライバーが執筆
https://togetter.com/li/1469934
いい加減こう言う自称中立的視点とやらの記事を書いたら奴等がすぐ付け上がって増長する事くらい学ぼうぜw
こいつらは少しでも甘い顔をしたらつけあがる様な連中だよ。
この手の譲歩的な意見こそがフェミニストをここまで増長させ社会的モンスターに育て上げた一因でもあるのにな。
この手のクレーマーに譲歩する事はナチスに対して行った融和政策と同じ過ちを繰り返す事になる事くらいいい加減学んでほしいもの。
あるラディカルフェミニストの、ラブライブのポスターについての雑感
https://togetter.com/li/1469400
「ミカンはお母さんが買うもの」フェミニスト学者牟田和恵氏の女性蔑視のステレオタイプ発言
https://togetter.com/li/1469374
フェミもいちいち詭弁や綺麗事を言わずに私が嫌いと言った方が世間受けするだろうにねw
この手の詭弁は一番嫌われる。
しっかし例の社会学者がジェンダーやらフェミニズムを掲げておきながら実は女性に対してジェンダーロール押し付けてましたと言う裏付けが取れたことと言い、順調にボロが出始めているのが本当に楽しいね。
そもそも日本のラディカルフェミニズム自体、キリスト系カルトの純潔教育に根付いた家父長制主義でしかない代物だと言うのは当時から散々指摘されていた事だし、以降児童ポルノやら男女平等やらのフェミ自身の思う規制の成功で増長しきって、それで先鋭化しすぎて今ではボロが出てメッキが完全に剥がれ出しただけに過ぎないからね。
そもそも日本に限らず、それこそあの人達の言うアメリカでもフェミニズムって代物自体この程度の代物に過ぎないけどw
所詮良い共産主義や社会主義やナチズムがあったか?と言う程度の代物に過ぎなかったわけ。
「ミカンはお母さんが買うもの」フェミニスト学者牟田和恵氏の女性蔑視のステレオタイプ発言
https://togetter.com/li/1469374
恐ろしい事に一般人ならまだしもコレ有識者とされている奴の発言なんだぜ?
以下に社会学やジェンダーと言った代物の学問としての質が低く、フェミニズム自体、単に身勝手な思想でしかなかったと言う事が良く判るだろう。
フェミニストなんて所詮子供の権利や女性の権利と言う反論しにくい権利を悪用し、男女平等や児童ポルノまたは子供の悪影響やら等を言い訳に詭弁や綺麗事を弄していた連中なのだから、そりゃ傲慢に何でもかんでも自身のお気持ちの押し付けばかりしていたら、ボロも出るし、メッキも剥がれるのも当然だよね。
今まで世間に対して好き放題してきた分、それこそ日本に限らず本気でヘイトは溜まっているから、今後風当たりがきつくなるのは必然と考えた方が良いよ。
大真面目に恨み買っているし、本当の意味で弊害や実害を被った人も多いからね。
それこそ日本に限らずね。
まず、問題となっている絵や表現が公権力に規制されるべきか、いわゆる「猥褻」であるかという問題設定はそもそもミスリードだろう。フェミニストからの批判の大半は、この世の中における女性の扱われ方に関する社会的合意形成のための活動であるということを押さえておいてもらいたい。— 喜久山大貴 (@kikuyamahiroki) 2020年2月15日
しかしフェミ界隈は件の火付けばかりする弁護士と言い、フェミが騒ぎ出す度にこの手の詭弁を弄する弁護士が出現して見ていて飽きないなと思う。
もはや弁護士と言うのも失礼なので政治活動家や詭弁護士とでもいうべきかもしれない。
しかし弁護士って後年こう言うアレな人物が多いのを見ていて思うと某所での件の自分語りの少年で出現した例のあのお方が出てきたのも必然だったのかもしれないね。
それまでは弁護士と言う肩書だけである程度牽制できていたのは事実だったのにあのお方の騒動以降、弁護士がアレなのも多いのは世間にも広く知られる事になったのだからw
最近とつげき東北というやつがTwitterで炎上?している。
それで彼を見始めたけれどまあ言い訳の酷いこと酷いこと。
昔は三番目の帝国大と言われていたようだが、いまは昔。
かつての光ファイバーをはじめとする功績は見る影もなし。
今は自殺者をもみ消すだけの哀れな大学、それが堕落した東北大である。
うちの会社にも東北大出身の奴らがいるが、ことごとく使えない。
同じことを何度も聞き返すのはまだしも、渡した仕事がいつのまにか消えている。
「◯◯は?」と聞かないと報連相すらしやしない。
挙句こっちへくる資料が軒並みクソ。もうね、君本当に修論やら資料作ってきた?って言いたくなる。
あげく休みだけはしっかりとる。週休2日だけど申し訳ないから1日出ますとかないの?
国公大とは比べるべくもないし。
GMARCHやら大東亜帝国とかのネームバリューある他の私大の方がよっぽど仕事するし熱意に溢れてる。
うちの会社の学生応募も、東北大だけで弾くかもとぼやいていたくらい。
この類いのイラスト、男性にとっては「罠」だと思うよ。
こういうのに浸っていると、現実の女性とのコミュニケーションとれなくなる。
現実の女性はこんな表情でこんな風にスカートをはかない。
間違った幻想を持って女性に接してもキモがられる。
二次元の女性なら受け入れてくれてると思い込む。 https://t.co/Uhl3tT8iHK— 弁護士 岸本 学 (@9jtCdbGf3lih8Fe) 2020年2月15日
例の炎上ばかり起こすフェミ系弁護士と言い、弁護士ってこの手のアレな人が最近特に多いね。
そう思うとそれまでは肩書だけで一般の人はある程度信用したりしていたけど、某Jの一件は転換期だったと。
十分物語だけで通用する一大コンテンツなのに、「日本アニメ=ペドフィリアを喜ばすポルノ」と思われてしまったらもったいないとも思いますよ。
マスターキートンや攻殻機動隊、SHIROBAKOなど見させていただいてますがどれも素晴らしいです。
ポルノに頼らなくとも日本アニメは死ぬことはありません。— ニラヤマ (@funoseiyokuwww) 2020年2月11日
こいつは何周前の話題をしているんだ?
こんなもんこいつらフェミが調子の乗りまくっていた絶頂期の10年前所か20年30年前からオタクに散々指摘されていた事。
当時はそれこそドラえもんの話題を出して、逆にオタクからウルトラスーパーデラックスマンの話題で返されていましたね(笑)
無知も良い所。
やっぱりフェミニストって知識や常識がない浅はかな人しかならないのだなと実感させられるね。
こんなもん当時を知っていたらオタクじゃなくても判っている事だしね。
しかしこう言うのを見ていると当時の政治屋や官僚の言っていたことまんまだから大方それもこいつらが吹き込んでいたことかもしれないね。
これを見ても以下にフェミニストと言うものは人の話を聞かず、当時の情報のフィードバックすらしていない連中である事が良く判る。
だからこそ幾ら譲歩した所で意味はないし、科学的論手的な思考すらできず、感情論の押し付けしかしてこない事も良く判る。
いい加減この手のクレーマーは徹底して無視していかないとだめだよ。
はっきり言ってこいつらも加担した都合が悪ければ、何でも法規制をした結果、世の中がギスギスし出して、娯楽文化の衰退や回り回って経済文化人材育成にも悪影響が出た結果、国力の衰退を招いたのも一因として大きい訳だしね。
それにポリコレフェミ仕草が役に立たない所か逆に悪影響を齎したのはそれこそこいつらの大好きな欧州欧米の犯罪率の酷さや日本でも今の規制し過ぎた結果、誰も子供に関わらなくなり、逆に子供が危険に晒されるリスクが跳ね上がった事を見ても判る事。
ただ皮肉なのは漫画家は漫画家で権力と結びついた途端、著作権で海賊版業者ではなく、こいつらフェミの様な詭弁や綺麗事を使って、関係ない一般人を規制と言う棒で殴りにかかっていっている事だけどね。
そのうち漫画家出版も世間からフェミみたく嫌われるんじゃない?
似たようなことを考えてて、10年代後半になってからはてなに限らずネットの言論空間って一気に「正義」「正道」「まとも」みたいな方向に傾倒した気がする。特に例とかを持って来れなくて申し訳ないし、これこそ体感治安みたいな話だけど。
なんかゼロ年代はネットはもっとワルかった。色気づいた中高生とオタク気質な大学生とその他のまともでない大人たちで大部分が構成されていた気がする。
そしてその頃はもっと露悪的で世の中を斜に構えて見た言論が多かったような気がするのだ。
翻って今、ネットはどうか。各分野の専門家が間違った議論や詭弁にツッコミを入れてるし、いわゆるまともな大人たちがコモンセンスたっぷりの正道な議論を展開する(もちろんバカもいっぱいいるし昔より増えてるんだけど)。
や、別にポリコレ批判とかではないんだ。むしろここまで一般にツイッターだのクオーラだのが普及した現在のネット言論が10年前と同じだったらそれこそ怖い。
まあ単にスマホとツイッターの普及か、経済格差なのかってとこで回収されそうな話だけどね。俺みたいに素直にバカに振る舞えず、中途半端に賢ぶるバカには一番辛い空間になったかもな。普通の社会と一緒で。
https://this.kiji.is/597303081779266657
「漫画村」閉鎖後も止まない海賊版被害 「発売翌日に無断公開」漫画家苦言
https://www.sankei.com/entertainments/news/200129/ent2001290001-n1.html
海賊版サイトは若き漫画家の才能と夢を奪い漫画家はネットユーザーを弾圧するって所やね。
今回の規制に関しては海賊版対策と言いつつ、彼等にはダメージが行かずに何故か関係ないネットユーザーが叩かれる構図なのだからね。
どれだけ漫画家が詭弁や綺麗ごとを言おうがこの事実は変わらない。
本日22:00〜生放送です❗️是非ご覧ください。
【第383回】特集・著作権法改正!〜文科大臣への申し入れ〜【山田太郎のさんちゃんねる】毎週水曜日22:00・さんちゃんねる放送https://t.co/5YgLLySVgK pic.twitter.com/5Ylkwa8UBo— 山田太郎 ⋈(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2020年2月5日
直近だと献血ポスターの宇崎ちゃんが炎上したように、ネット上ではオタクとフェミの争いというものがたびたび起きている。が、そこでのやり取りを見ているといつも議論は噛み合わず、ただただ不毛な対立が盛り上がるばかり。なぜこのようにオタクとフェミは不毛な対立をしてしまうのか。
それについて論じる前に、まず自分の立場を表明しておく。例の宇崎ちゃんポスターについて自分は「即座に撤去する必要があるほど問題のあるものではない」「が、今後において避けるのが無難と言える程度の問題は確かにある」という見解を持っている。なんともどっち付かずで玉虫色な見解だ。ただ、このような歯切れの悪さこそが大事だと確信している。というのも白黒はっきりさせるような歯切れのいい議論ばかりがなされているのがオタクとフェミの不毛な対立の大きな原因であると考えているからだ。
例の宇崎ちゃんポスターの批判者が主張する理屈は「公共性の高い場所で女性の性的側面をことさらに強調しそれをアイキャッチャーとして利用するのは女性差別的である」というものだ。この主張に向き合う上で確認しておきたいのは、この主張には程度問題、グラデーションが内包されているということだ。まず第一に公共性の高さというのがグラデーションを含む概念だが、相対的に重要性が低いのでとりあえずスルーする。より重要なのは性的な強調というのがグラデーションを含む概念だということだ。ここを意識しないとどうしても議論は不毛となる。
例のポスターにおいて宇崎ちゃんは巨乳を突き出し、煽るような表情でポスターを見る者に視線を向けている。これを性的な強調が無いとするのは難しい。というか不可能だろう。一方で露出は少なく、あからさまなエロというわけではない。この「性的な強調はあるがあからさまなエロではない」という半端さこそが騒動が拡大した大きな要因だ。もしもポスターの内容が対魔忍のアヘ顔といったような言い訳の余地のないエロだったらオタク達も批判の対象とされることに反発しないだろう。一方でポスターの内容が特殊な嗜好の持ち主以外誰も性的に感じないようなものであれば批判者が1人いても誰も追随しないので大きな騒ぎにはならない。性的な強調があると言ってもその程度には濃淡があり、薄ければ問題とならないし濃ければ問題となる。例の宇崎ちゃんポスターはちょうど問題があると思う人も多くいれば問題ないと思う人も多くいるグレーゾーンのものだったのだ。
そしてこのグラデーションへの意識をポスターを批判するフェミ側もそれに反発するオタク側も欠いていたのが不毛な対立の最大の原因だ。
SNS上ではより強い表現を使った方がウケる。フェミ側はこの件で強い糾弾調の表現を用いてしまった。世の中には本当に一切の寛容さを示さず強く非難すべき女性差別というものが存在する。例えば医学部入試での得点操作がそれに該当する。一方で女性差別的と言えるがあくまで不適切レベルでありそこまで強く糾弾しなくても良いものも存在する。宇崎ちゃんポスターはこちらだろう。グレーのはずのものを真っ黒であるかのように扱ってしまったためにグラデーションを意識した議論が成立しづらくなってしまった。
一方のオタク側の問題として大きいのがオタク達が滑り坂論法に陥ってしまったことだ。滑り坂論法とはひとつを認めるとどんどんエスカレートしていき最終的には破滅的な結果を招くので最初の一歩も認めるべきでないという論法のことで、どんどんエスカレートしていくはずであるという認識が単なる不安感情の表れでしかなく根拠を欠くため誤った議論の典型として扱われる。オタク達がこの誤った議論に陥ってしまったことにより何が起きたかというと、フェミ側の主張を完全否定してしまわなければならなくなってしまった。例の宇崎ちゃんのポスターは先に述べたように性的強調があることを否定するのはおよそ不可能な代物だが、それすらもオタク達は否定しなければならなくなってしまったのだ。そうしてオタク達はフェミ側の「女性をアイキャッチャーにするな」という主張を「結局オタクが嫌いなだけ」「フェミは巨乳を差別している」といった明らかに元の主張と異なるものに捻じ曲げ、フェミ達を悪魔化することによって「オタク=フェミに不当に攻撃される被害者」と位置付け団結する戦略に流れてしまった。もしもオタク達にグラデーションへの意識があれば、「女性をアイキャッチャーにすべきでない」や「宇崎ちゃんポスターは性的強調表現がある」といった否定しようとすると無理が生じるラインまでは受け入れつつ、とはいえその度合いは著しく不適切と言えるまでのものではないという形で反論することができただろう。しかし、滑り坂論法に囚われたオタク達の防衛ラインはフェミの主張の完全否定まで引きあがってしまい、宇崎ちゃんポスターには少しも黒い要素はない、真っ白であるというグラデーションを意識した議論を受け入れられない立場を取ることとなってしまった。これでは議論は不毛となるより他にない。
とにかく大事なのは白か黒か、0か100か、ではなく、物事にはグラデーションがあるということを意識しなければならないということだ。
ここで注意しておきたいことがある。グラデーションの存在は詭弁によって攻撃しやすい穴にもなる。その攻撃とは「基準を示せ。基準を示せないならそれはただのお前の主観でしかない」というものだ。残念なことにネット上では「それってあなたの主観ですよね?」と煽るひろゆきの画像が出回っているようにこの手の詭弁が論破テクニックとして重宝されがちだ。
しかし、基準を示せないものがすなわち主観にすぎないということは決してないし、基準を示せないならその論点は無効ということもない。
このことを考える上でハゲ頭のパラドックスを取り上げたい。髪の毛が一本も生えていないハゲ頭があるとする。ここに髪の毛を一本生やしてもその程度ではハゲはハゲのままだ。では2本目を生やしたら? やっぱりハゲだ。3本目なら? まだまだ全然ハゲのままだ。髪の毛を一本増やした程度でハゲがハゲでなくなることはない。しかし、このように一本ずつ髪の毛を増やしていけばいずれその頭はフッサフサになりハゲではなくなるはずだ。では、ハゲはどこでハゲでなくなるのだろうか?
この問題についてはっきりとした基準を示すことはできない。一応頭皮のうち髪の生えていない範囲が5割に満たなければハゲとみなすというように基準を作ることは可能だが、その基準は日常語としてのハゲの使われ方とは距離がある。頭皮のうち髪の生えている範囲が50パーセントならハゲではないが49%ならハゲというのは明らかにおかしい。
では基準を示せないならハゲという概念自体存在しないのだろうか? そんなはずはない。明らかに頭髪の薄い人がいて、それをハゲと呼ぶのはただの主観に過ぎないのだろうか? もちろん大半の人はそれをハゲとみなすだろう。ただの主観に過ぎないとは言えない。
グラデーションのあるものについてはっきりとした基準を示すことはできない。しかし、そのことは即座に客観性を欠くことを意味はしないのだ。
最後に余談となるがなぜオタクはフェミをオタクの敵とみなすのかについて自分の見解を述べる。
宇崎ちゃん騒動の発端となった太田弁護士のツイッターアカウントを見てみると、だいたいいつも自身のツイートやRTで何事かに対し怒りの表明や批判をしている。別にオタクだけが狙い撃ちで批判されているわけではない。
しかし、そういった普段の振る舞いはオタク達に広く拡散されることはない。オタクが叩かれているわけでなければオタク達は特に気にしない。例えばテレビで東大女子を排除した東大のウェイサークルが取り上げられ、それを受けてフェミ達がサークルに批判的なツイートをしたとしても、「【悲報】フェミさん、ウェイの敵だった」というようにオタク達に拡散はされない。広くオタク達がフェミ達の主張を見るのはフェミ達がオタクに関係あるものに言及しているときに限られる。こうして、オタク達の中にフェミはオタクばかり叩いているという認識が出来上がる。これはちょうどデータを見ると実際には治安が良くなっているのに、テレビで凄惨な事件がよく取り上げられるので物騒な世の中になっているように錯覚しがちというのに似ている。
かつてはビールのポスターといえばグラビアアイドルの水着だった。しかしそういったポスターは今となってはほぼ絶滅した。
今の時代、それこそ献血のような公共性の高いところでのポスターを作る場合、そこに起用されたのがグラビアアイドルであってもわざわざ批判を招くことが容易に予想できる水着ポスターにはしないだろう。普通に作れば炎上を招くようなものは避けることになる。
そんな中、唯一炎上を招くようなものが通ってしまうルートがオタクコンテンツとのコラボだ。
例えば鉄道オタクのように「〇〇オタク」というのではなく単に「オタク」という場合、現在ではこれは二次元美少女コンテンツの熱心な消費者のことを指す場合が多い。近年(というほど最近に限らないが)のオタク文化は二次元美少女と共にあり、更に言うとエロと共に発展してきた。
これは「まどマギの脚本の虚淵玄はエロゲーのシナリオライター」とか「エロさえあればなんでも許されるところでクリエイターが育った」とかそういう話ではなく、もっと直接的な話だ。ラノベを読めばなにかしらラッキースケベ的展開が用意されている場合が多いとか、異種族レビュアーズが地上波でアニメ化されてるとか、彼氏のもとに彼女とチャラ男からビデオレターが届くが実は彼氏のためを思ってのもので寝取られたわけではなかったというエロ同人ネタを前提にした漫画がツイッターでバズるとか、そんな具合にオタク文化はエロと共にある。
なのでオタクコンテンツの作り手は性的な要素を強調することでキャラクターを魅力的に見せるテクニックに長けているし、それは手癖レベルで染みついている。よって、公共性の高い団体がオタク作品とコラボしたときにオタクコンテンツの作り手が普段と同じノリで仕事をすると公共性の高さに対して相応しくないとみなされるほど強い性的強調を含んだものが世に出てしまう場合がある。もちろん悪意などなく無意識に。
また、宇崎ちゃんのように単行本の表紙がそのまま流用された結果……というパターンもある。宇崎ちゃんの場合作者が心身の不調やスケジュール上の都合のために献血コラボで描き下ろしを用意することができず最新単行本の表紙がポスターに流用された結果炎上を招く事態となってしまった。単行本の表紙は献血ポスターのように公共性の高いものとみなされないため性的強調を含んだイラストで「この作品にはエッチで可愛い女の子が出てきますよ~」と訴えて手に取ってもらいやすくするのは当然の戦略と認められるものだろう。が、それがそのまま別文脈に置かれてしまうと炎上を招くこととなってしまう。正直宇崎ちゃんの作者は運が悪かったと思う。描き下ろしを用意する余裕があれば炎上騒動に巻き込まれることはなかっただろう。かつてののうりんの炎上の件もこのパターンだ。
このように通常ではまず炎上するような表現が表に出てくることはないのに対し、オタクコンテンツとのコラボにおいては……という事情があるため、公共性の高いところでの性的強調表現がフェミに批判される事態はオタクコンテンツ絡みに偏ることになる。このことが「フェミはオタクを敵視している」という印象をオタク達に与えているのではないだろうか。
そろそろ方向性が見えてきたので、今見ているアニメの感想をメモ。今季みゃー姉みたいなみゃー姉多くない?
思いのほか金森氏人気があって面白いよなと思う。なんか金森氏的なキャラって物語の箱庭に開いた穴を通して鋭い現実が見えてるっていうか、創作物を見てるのになんか心に痛みのようなものを感じるんだよね。それは自分に「金に細かく、交渉して対価をもぎ取り、詭弁で相手を脅し、理想より現実を重視する」ことが欠けていてそれをまざまざと見せつけられているような、「ほれほれ、きちんと生きていくためにはこういう堅実さが必要なんだ」と言わんばかりの圧迫感がある。そういう現実主義者って不気味でどう解釈してよいかわからなくて苦手なんだよね。同じ景色を見ていても見出している価値観が全く違うっていう恐怖感。
もちろん、夢追い人だけじゃだめで現実に着地させてくれる現実主義者がいないといけないのはわかってる。だけれど、とにかく金森氏というキャラを見ていると心の中に不安を覚えるんだよね。
あるいはひょっとして金森氏というキャラについて自分は何か勘違いしているのか。
まあ、そんな心の中の起伏を差っ引いても映像研は面白いアニメと思います。
あと、恋する小惑星の雰囲気ってなんか空気感を表現したいと思ったら、偏差値高い進学校の部活っぽいね。ゆるきゃんとかゆゆ式とかライフル部とかそういうのと比較してってことね。