はてなキーワード: 表計算ソフトとは
ある物が何であるかは設計思想ではなく使われ方の実態をもって決まる。
設計思想通りに使ってもらえないのは設計が徹底していないからだ。
いや、表計算は数ある機能のうちのひとつとして重宝されてはいるが、実体はもっと複雑で、
DTPソフトでもあり、DBでもあり、メモ帳でもあり、電卓でもあり、プログラミング言語でもあるような
「エクセル」というオンリーワンの統合ビジネスソフトになり果てている。
「エクセルは表計算ソフトです!」と主張する人に限ってそれを説明できていない。
取引記録や伝票のようなマスタを保持するのはデータベースの仕事だ。
それに対し適当な加工をかけるのも本来クエリでやるような話である。
つまり、「エクセルは表計算ソフトだからDTPとして使うんじゃねえ!」と叫ぶ人は、
まったく同じ理屈により、エクセルをデータベースとして使うことも否定しなければならない。
文書をワードで、DTPをパブリッシャーでと言うのなら、マスタはアクセスで管理しなさいとなる。
表とはただデータを保持するものではない。データを「表示」するものである。
表はデータを整列し、計算し、出力する全ての機能を備えていなければならない。
当然、DTP的な要素もあればDB的な要素もあってしかるべきだ。
そういった全ての要素が結びつき、さらにその上にVBAが乗っかることによってエクセルは
エクセル以外のどのソフトにも互換できないような唯一無二の使い勝手を生み出しているのだ。
表計算でもDTPでもDBでもスクリプトでもあることによって発生する独特の使い方のコツというのがあり、
それはそれぞれ単体のソフトだけを連携させている時には絶対に役立たないようなセンスだ。
自動車の操縦のように、エクセルというソフトを手に馴染ませる必要がある。
だから、DTP的な使い方しかできていないようなエクセルユーザーに対して指摘する時は
じゃあ一つ例をあげると、ゲームの初期設定でテンキーに機能が割り当てられていて変更不可能な場合がある。
また、テンキーでの数字入力はGoogleIMEなどなら直接入力にできるので、
表計算ソフトで使うときにも一々日本語をオンオフしたり、数字部分をEnterで確定したりする手間が省けるし、
ゲームの露店や委託販売所で価格設定する時などもテンキー入力の方が圧倒的にスムーズ。これは頻繁にやる作業なので大きい。
なにより、テンキーがついている事のデメリットは無いのだから(机が狭い人とかは知らん)、あった方が無いよりはいいだろう。
マクロキーの代わりとして使うにも、独自実装のマクロキーよりはOSやソフト側が標準的に認識できるテンキーの方が応用がきく。
絵描きソフトや動画編集ソフトでもテンキーを有効に使っている例は多いだろう。
逆にテンキーなしの省スペース志向のものはノートPCのように矢印キーなどもEnter下方などに隙間なく詰まっている設計が多く、どうしてもミスタッチをしやすい。
独立した空間に矢印キーやテンキーが配置されていれば、手探りの感触で正確にキーを把握できるので、結局フルキーボードが一番使いやすい。
(一億円を築くのは難しくないのだと知る)
一億円を貯めるのに困難が生じるのは自身がそれだけの額を貯めるということに現実味を持てないこと、最初から無理だと感じていることが大きい。そのように思っていれば、できることもできなくなる。
通常の意識の上でわかっているつもりであっても、意識の深いところで思い込みを変えられずにいると現実化できない。意識の深いところにどうはたらきかけていくか。
潜在意識と異なり顕在意識は論理的な思考をベースとするものであるから論理的に納得させるのが良いやり方といえる。論理的に自分自身は一億円貯められるのだ、しかもそれは難しくはないのだということを自身の意識の深いところに納得させる。そのひとつのやり方として表計算ソフトのエクセルを用いるやり方がある。誰に教わったものでもないのだが、私自身には有効だったのでここに書いておく。
具体的にシミュレーションするのである。今いくら手元にあるのかから始まって、どの程度の利回りで運用していくのか、毎月いくらの元本を追加していくのか、どれだけの期間投資し続けられるのか。複利で運用していった場合の自分の資産状態を、将来数十年後までエクセルファイルの上で表現してみる。
複利の力というものを直感で捉えると見誤る。複利の力は人の直感をやすやすと上回る。
エクセルが苦手でというのであれば手書きでも良い。少々手間がかかるかもしれないけれども電卓と紙、鉛筆があれば十分である。
実際にやってみれば自身が一億円の元本を築くのはそんなに難しいことではないということに気づく。ここでほっとした感覚をおぼえられれば、意識の深いところに落とし込めたといっていい。あとは心配無用、目の前のやるべきことをこなしていくだけである。
https://anond.hatelabo.jp/20180522231714
人の耳は20kHzまで聞こえるというのが定説だけど、その聞こえるというのはどういう意味なんだろう?。タイトルで5kHzと書いたけど10kHzでも20kHzでもいい。
時間があれば表計算ソフトで描いてみてもらえれば実感できるのだけど、44.1khz16bitで表現できる正弦波を重ねあわせて表現できる5kHzのノコギリ波って全然ノコギリらしくない形になってしまう。結構な確率で振幅も違ってきてしまう。
500Hzの正弦波とノコギリ波の違いは聞き分けられるのは確かなこと。周波数が上がって5000Hzのノコギリ波を表現しようとしてその形が崩れていたらやっぱり不自然に聞こえてしまうんじゃないかな? 詳しくないから分からないけど、ハイレゾが有難がられるのってそこら辺の事情じゃないかと勝手に思ってる。
どうなんだろう詳しい人。
https://togetter.com/li/1129182
私たちは仕事柄罫線をよく引きます。解答用紙の作成なんかがそうです。
wordの罫線機能は終わってます。引きたいところに自由に引けません。縦書きにもうまく対応できません。
がんばって引いても,今度は書きたいところに文字が書けません。やたらと設定が必要です。
皆さんが忌み嫌うセル結合を駆使すれば文字も自由に配置でき,どのような解答用紙でも自由に作れます。
そもそも関数を使ってないので,再現性なんて気にする必要ありません。
エクセルは表計算ソフトであり,これが本来の使い方とはかけ離れていることは承知しています。
ですから代替案を示してください。いままでこれ以上に使いやすいソフトに出会ったことがありません。
エクセル方眼紙並に自由に罫線が引け,文字入力が縦横自在に出来る文書作成ソフトがあるのでしょうか。
一太郎は罫線は確かに引きやすいです。ただ,セルの書式設定という概念がないため,(1)(2)・・・という入力がめんどうです。
エクセルならセルの書式設定で(@)ってやって1,2,3・・・って入力すれば良いですから。
フォントの大きさも「縮小して全てを表示」があれば簡単に設定ができますが,一太郎にはそれがありません。
Illustratorも同様の理由で却下です。そもそも仕事で使うツールに月980円も自腹切るのは変です。
IT系の仕事に就いている方の多いはてな民の皆さんにとって,エクセル方眼紙は目眩のする使い方でつい馬鹿にしたくなるのでしょうが,現場にはこのような需要があることをご理解ください。
セル幅の自由変更,セルの結合という機能をMSが提供している以上,それを使って何をするのも使い手の自由のはずです。
でも,この使い方を続けていくのも嫌です。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/detail/1381046.htm
その結果について、「高校生、表計算ソフト苦手 情報活用力調査 正答16%どまり」と見出しを付けて報じた記事がある。
記事の本文では「表計算ソフトを正しく使えるかをみる問題の正答率は16.3%。」と書かれていることから、文部科学省の報告書の32ページの表にある「不正請求」の「S25-02」の問題を指していることがわかる。この問題は「数年間の認知件数1件当たりの平均被害額を,表計算ソフトを用いて計算することができる。」かどうかを調査する問題である。
この問題は、結果概要にも報告書の94ページにも公開されていて、単に表計算ソフトの使い方を調査しているものではないことがわかる。「2008 年から 2012 年まで の認知件数 1 件当たりの平均被害額を求める」ために、正しい計算式を考え、その式を表計算ソフトに入力して求めるという一連の処理ができるかどうかを調査する問題である。単に平均を求める関数を使えるかどうかという問題ではない。
この問題について、文部科学省の結果概要では「5年間の認知件数1件当たりの平均被害額を,表計算ソフトを用いて計算する問題」と書いている。しかし、問題の本質をとらえず「表計算ソフトを正しく使えるかをみる問題」としてしまっている。ミスリードだ。
高校の情報科では、「文書作成,プレゼンテーション,表計算指導する教科」との誤った認識のまま授業が実施されている現状がある。(リンク先の35ページ(PDFファイルの5ページ目)参照)
この誤った認識を助長する見出しになってしまっている。記事の見出しだけを見た人が、「表計算ソフトの指導を強化しなければならない」と短絡的に考えることにつながり、オフィスソフトの操作に終始している高校の情報科の現状を認めることになってしまう。その結果として、報告書の76ページから77ページにかけて書かれているように、情報科を履修した生徒とまだ履修していない生徒との差が生じないのではないか。言い換えると、情報活用能力を育成できていない情報科の授業を認めてしまうのではないか。その観点からも、この記事は問題である。
このような記事を掲載してしまうのは、情報活用能力について理解していると考えられない。また、高校生の情報活用能力調査の結果として「複数の情報がある多階層のウェブページから,目的に応じて特定の情報を見つけ出し,関連付けることに課題がある」という指摘が、新聞記者になっても身についていないと言わざるをえない。
普段Excel使わない仕事してて、個人的に表計算使いたいなってときにはGoogleスプレッドシート使ってるんです。
まあそれはいいんですけど、表計算ソフトってセルに
「=3+8」で「11」とか計算できるじゃないですか。
で、キーボードはテンキーレスキーボード使ってるんすよ。
でもやっぱりテンキーはあったほうが便利だなって事で適当にテンキーキーボード買ったんです。安いの。
適当に買ったもんだから「=」キーが無いんすよ。
だから「=」だけはメインキーボードのを押してて、表計算使う度にめんどくせえなぁ…って思いながら使ってたんです。
次は絶対「=」キー付きのテンキー買おうって思いながら。
で、今日ふと
「+3+8」って入力したんです。
そしたら
「11」
って表示されるじゃないですか。
これってGoogleスプレッドシートだけの機能かなとおもってExcelは持ってないんで確かめられなかったですけどLibreOfficeではできました。
たぶんExcelでもできますよね?
あと関数も「+sum(...)」みたいな感じでも入力できる事にも気付いたけど関数はメインキーボード使うから別にいいやって事にも気付きました。
こういう単純なことに気付いたときってちょっと嬉しくなるときもあるけど
「なんでこんな事に気付けなかったんだ…orz」
みたいになるじゃないですか。
普段Excel使わない仕事はしてますけど、それでも15年以上前からなんだかんだで表計算ソフトは使ってたんすよ。
15年気付けなかったこのorz感は過去最高でした。
「は〜まじでか〜、あ〜そうか…え〜あ〜そうか〜…」みたいな独り言すっごい言ってた。
伝わるかなぁこの気持。伝わってほしいなぁ。
ほんとorz感すごかったんですよ。
今、ちょうどExcelを使っている所でこれを書いている。
何故書いているかというと、XMLのデータのインポートを待っているからだ。
若い時は、Excelで全てをこなそうとする日系企業、はたまたドメ会社を心の底からバカにしていたのだが、年月が経ち、結果としてExcel最強説を私めが、提唱させていただきたい。
昔Excelが嫌いだった理由は、1 ダサい 2 ダサい 3 ダサい 4 経理じゃないんだから 5 これだけ洗練された仕組みがあるのにExcel使ってるの? 6 ダサい 7 重い
昔の自分へ、反駁を試みたい。
Excelの素晴らしい所
・大抵の会社と人が使っている (若しくは互換性のある仕組みを使っている)
大学の研究室であれば、実験的なものを使うことでもよかろう。しかし社会はそうなっていないのだ。近所の八百屋も取り敢えず使い方は分からないまでも、Excelが入っているものなのだ。
これは大きい。
逆に言うと、これだけ日本で浸透しているからこそ、ダサいとも言えるのだが。
よくExcel方眼紙否定論者を見かける。こういう奴らは、Excel方眼紙の利点を理解していない。Wordでやってみろ。計算がスムースに出来ないではないか。結果Excelで良いのである。
Excel否定論者は、否定したいがあまり、過去のExcelのイメージしか持っていない。実際長いこと使っていると、Excelが表計算ではなく簡易的なデータベースとして大きく進化していたり、フォーマットの違うファイルを取り敢えず一回Excelに入れて吐き出しをさせるなど、文字列の扱いが遥かに得意になっていることに驚きを禁じ得ない。
・VBAや数式など
以前はマクロ信者をただの狂信者だと思っていた。今でも一部はそうである。なぜならマクロ信者や数式教徒は、可読性を一切考えないオナニーしかしないからである。
しかし中級程度まで熟達すると、多くのオフィスワーカーを不要にしてしまうすぐれものである。
そろそろ30M程度のXMLを直感的に操作するためにインポートも終わる。もちろんこれだけ言ってもExcelはダサい。ダサいがゆえに枯れている素晴らしい仕組みなのである。
#加筆
しかし、逆に汎用的なツールになってきた事で、かなり重くなりつつあり、複雑な事をしないものはGoogleスプレッドシートに最近移管した。色々難しいもんである。
異性愛者は正常で、同性愛者は異常だ、と言う人がいる。本当だろうか?
なぜ異性愛者が正常なのかというと「人間は子孫を残すために生まれてきたからだ」と言う。
その「ために」は何のための「ために」なのだろうか?
事実として、多くの人間には、種を残すための本能のようなものが、遺伝子的にプログラミングされているらしい。
そう考えると、同性愛者というのは、プログラムの「バグ」のようなものにも見える。
しかしシンプルな理屈ほど、疑ってかからなければならない時もある。
ここで考えなければならないことは、「そのプログラムはなんの『ために』存在するのか?」ということではないだろうか。
なぜ種を残す本能が存在するのか? そもそもなぜ人間は、あるいは生物は、その種を後世に残そうとするのか?
難しい問題である。無茶苦茶ムズカシイ。なんとなれば、「人はなぜ生きるのか?」というような問題にも繋がってくるからだ。
科学は価値判断をしない、という文脈に立った上で言うならば、科学的に見て、人間が生きることに意味や目的や理由は存在しない。
あるひとりの人間が、人間としてこの世界に生まれたのは、単なる物理現象の膨大な積み重ねにすぎず、そこに必然性のようなものは全く無い。全く、である。
「人間は子孫を残すために生まれてきたんでしょ?」と言う人がいるかもしれないが、そういう人には逆に問いたい。「じゃあなんのために、人間は子孫を残すの?」と。
おそらくこの質問に回答できるのは、宗教的な議論だけだろう。「終末の日を待つため」とか。「自分を産んでくれた先祖に恩返しするため」とか。
しかしあえて言わせてもらうなら、あなたがこの世に存在するのは、先祖があなたのためを思って子孫を残そうと努力したおかげなどでは決して無い。ただ単に、「種の保存」という遺伝子的プログラムに従っただけのことである。身も蓋もないことを言えば、ただセックスしたいからセックスしたら子どもが生まれただけである。いや、ホントはもうちょっと複雑だろうけどね。
「よりよい種を残すことが人類の目的だ」というようなことを言う人もいるが、それも科学的に見て間違っている。
生物が進化するのは、環境に適応するため、である。「より良い」などという概念は、人間的な価値判断に過ぎない。
より正確に言うならば「多様な個体の内、環境に適応した個体が生き残る」という形で進化は進む。
人間が今の人間のカタチをしているのは、大雑把に言えば、単なる偶然に過ぎないのである。
どうも「人類は今まで子孫を残してきた」という事実と「だから全ての人間は子孫を残すべきだ」という価値判断をごっちゃにする人が多いようだ。事実と価値判断は分けて考えなければならない。
あなたが「全ての人間は子孫を残さなければならない」と考えるのは個人の自由だ。しかしそれはあくまでもあなたの個人的な思想であり、社会的な合意ではない。
あるいは、成員全てが子孫繁栄のためだけに邁進するような、そんなブラック企業じみた社会に、本邦はなりつつあるのだろうか? そうしたい人は結構いるみたいだが。
話を冒頭に戻そう。
確かに、人間のうちの多くが、「種の保存」を遺伝子的にプログラミングされている。
しかしだからといって、そのプログラムが多少ズレている人が、直ちに異常人間であるという話にはならない。
なぜなら、そのプログラムは、様々な偶然の積み重ねによって、そのような文字配列になっただけであり、あらかじめ種の保存を目的として書かれたものなどでは決して無いからだ。
もし足し算が出来ない表計算ソフトがあったとしたら、それはれっきとしたバグである。所与の目的と違う動作を、バグと呼ぶのだから。
しかし人間は、人間の遺伝子は、誰かによって何かの目的によって作られたプログラムでは無い。人間の遺伝子に目的は無い。「ために」も無い。
俺は平成2年にこの業界に入ってきた。今から15年位前で23歳のときだった。当時は某県に住んでいた。
初めて与えられた仕事は人材派遣会社のシステムのメンテナンスで、東京に出張だった。出張期間は2ヶ月間。
この仕事にはN君という俺と同じく若手の技術者が出張に出された。N君は俺よりひとつ上の24歳で、RX7を乗り回す派手目の性格のやつだった。
で、その人材派遣会社のシステムなのだが、複数のシステム会社が開発に携わっていて、請求システムに仕様ミスがあり大混乱していた。
データの修復に人海戦術で挑んでいたが、それだけで1ヶ月くらい掛かかった。渋谷のビルの一室で缶詰状態で作業した。すべての伝票をチェックしてミスをみつけ、表計算ソフトに打ち込むのが俺の仕事だった。N君もこの作業をやった。
伝票の合計金額は80億円だったが、データをすべて修正すると40億円だった。つまり合計で40億円の金額が違っていた。これはシャレにならない。
当然、システム会社同士で大喧嘩になってた。殺し合いになってもおかしくない状態だったなぁ。「殺してやる」「裁判だ!」なんてね、怒号が飛び交っていた。客先の人材派遣会社の部長さんはシラケきってて、「昨日、開発費の1億円を振り込みましたので」と淡々とした口調で言ってるのを聞いた。
そのときに思ったのが、「システムの開発費って1億円も掛かるんだ」と、その金額に驚いたのと同時に、「1億円かけて40億円の計算ミスをするシステムを作ってりゃ世話ないな」とか、思った。
けっきょく2ヶ月くらいの出張だった。その2ヶ月で、太った。そして、花粉症になった。俺にとっては仕事よりもそちらのほうがなによりも辛かった。
出張から帰ってきてから、もう一人一緒に帰ってくるはずだったN君が行方不明になった。そういえば、一緒に仕事をしてるとき悩んでる様子だったなぁ。N君が行方不明になったということで俺もいろいろ聞かれたが、このときはあまり気にしてなかった。
それからしばらくしてN君はなぜか北海道で死体となって発見された。
車の中で練炭を炊いたらしい。当時、練炭自殺とかあまり聞いたことがなかったので、事故とも自殺ともよくわからんかった。
でも自殺なんだろうな。悩んでいたもんなぁ、、、でも、死ぬほど悩んでるとは思わなかったなぁ。当時は単に寒いから練炭を炊いて寝てしまったという事故ということで表向き片付けられたような記憶がある。実際のところ、なぜ死んだのかはいまだに謎だけどね。
思えばこんなできごとなんて大したことじゃなかったんだと、後になるとそう思うくらいいろいろなできごとがあった。これはほんの序の口でしかなかったのだ。
とりあえず本が増えたので、収納することを考えた。
いろいろと本棚を検討してみた結果、作ってみることにした顛末記。
名品であった。幅80cm高さ180cm奥行き23cmの本棚軽く組み立てやすい。いろも白に近いグレーでよかった。残念ながら廃番。値段も8000円ほどだった。事務所家具を扱うホームセンターに売っていた。これが売っていれば、これを増備していた。
別のメーカーのホームシェルフと同じような本棚。あまり売っていない。値段も同じくらい。
ドウシシャのルミナスが入手しやすい。少し高いのと側面がないため、本を立てるための入れ物が必要。
1000円くらいから買える。本の重さに耐えられない。
・組み立て家具
ホームセンターでよく売っている。本を満載すると棚板がたわんでくる。
木工を楽しむことができる。とても丈夫なものができる。この2点が主なメリットになる。値段的には、工具や補助器具を考えると割高になるかもしれない。
図工が成績が4以上は必須。家具作りなので、直角を出す、寸法を正確にすることを守らないとごみしかできない。
時間がかかる。近隣に工作室があるホームセンターが必須。180cmの板が運べる車もあるとベター。
日本の家屋に使われている材料の寸法は91cmと182cmが基準になっている。
廊下の幅は、87cmくらいで、ドアの高さは、176cmくらいだ。
大工さんのセンスによって誤差はあるのだろうけど、元の材料がその寸法で流通しているので、効率よく部材を取るとこの基準に従わないと無駄が多くなる。
資材館のあるホームセンターで売っている材料も同じ寸法なのだが、欲張った設計にすると家の中を移動したり、引越しの際に運び出したりするときに困ることになる。
この家という入れ物の寸法と完成品の可搬性と材料を有効に使うことを考えた場合の棚の寸法は以下のようになった。
幅60cm
奥行き30cm
高さ170cm
この寸法であれば、ほとんどのドアや引き戸を通り抜けることができる。廊下を移動するにも困らない。
お金をかければ、より良い材料が手に入るのは間違いないが、高級な無垢材を使うのは見栄でしかないので、強度と価格面からお買い得な材料を選定した。
・針葉樹合板24mm 1820mmx910mm 参考価格2300円
この針葉樹合板は、あの日曜日の匠が出てくるリフォーム番組でよく出てくる材料の一つだ。
この板で棚を作りつけにして建物全体を補強という使い方を何度か見た。
お金があるならば、シナランバーコア材やパイン集成材を使えばより見栄えのよいものになる。
【木取り図1】(2枚) 1700 +-------------------------------------------------------------+ | | | 295 | | | +-------------------------------------------------------------+ | | | 295 | | | +-------------------------------------------------------------+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ +-------------------+-------------------+-------------------+-+ 600 600 600 【木取り図2】(1枚) +-------------------+-------------------+-------------------+-+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ +-------------------+-------------------+-------------------+-+ 600 600 600
この木取り図で作ると上で示した寸法よりも板の厚さの4.8cm分、横幅が広くなる。完全に棚の幅を60cmにおさめたい人は、60から4.8cmを引いた552mmに仕上げてもらえばよい。
この微妙な寸法は、最終的には置く場所次第で調整ができるのが、自作のよいところだ。
ホームセンターの工作室のカットサービスで、切ってもらおう。間違っても自分で切ってはいけない。棚板の幅を正確にすることが成功への鍵の一つとなる。
このホームセンターの「のこしろ」(のこぎりの刃の幅)は3mm。1mm以下の精度は保証できないとのことであった。自分で切るよりははるかに正確な材料ができるのは間違いない。
のこしろがあるので、「300」ではなく「295」にしてある。
棚板は15枚取れるので、2本の棚に載せるものにあわせてアレンジしよう。
いろいろなものの寸法を測った結果、40cm、31cm、25cm、20cmの組み合わせで適宜決めていく。板の厚さを計算に入れる必要があるので、表計算ソフトで数値を変えながら高さ170cmに収まるようにシミュレーションすると楽に設計ができた。
針葉樹合板が3枚(2300円x3=6900円)とカット代が約600円の合計7500円で、棚が2つできる。
木ネジ代が500円くらいかかるので、1本につき4000円の材料費になる。
4000円で買える同サイズの棚をホームセンターの家具売り場で確認していただければ、この針葉樹合板棚の比類なき実用性を実感していただけるのは間違いない。
電動ドリル これも家にあったのを使用。マキタ製。3mmのドリルを主に使った。3mmのドリルに取り付けて、9mmの穴も同時に開けられるアタッチメント(皿錐)も使った。
4つ目錐(キリ) ドリルで開ける穴の位置をキリを使って少し開けておく。
ドライバー コーススレッドをまわす。電動があれば楽ちん。激しく電動推奨。
コーナークランプ 板を直角に固定するクランプ。1個1600円。2個買ってきた。これは組み立てようとしたときにあまりの難易度の高さに組み立て方を調べて、コレを買うに至った。これがなければ、組み立て時の精度がまったくでなかったといっても過言ではない。
木ネジ
コーススレッドは、ありあわせの58mm太さ3.5mmを使用。家に余っていた。
パワーグリップ
軍手というか作業用の手袋。TOKIOのメンバーがDASH島での活動時に着用しているアレ。最近の商品は握力が1.3倍くらいなったかのような魔法にかかる。さらにトゲ対策になる。
定規を使って地味に行った。
工作用紙に穴の位置を書いた当てを作って、それを使ってケガいたほうがいいかもしれない。
キリを使って、穴の位置に軽く穴を開ける。少しへこませておくと、ドリルがぶれない。
キリでつけた目印に垂直にドリルで穴を開ける。穴を開ける場所の下には不要な板を置いておくと貫通したときに板が割れない。
ネジの頭が少し出ないようにするためには、ドリルの項に書いた皿錐で穴を2段構造にする。
上の棚板から順に組み立てていく。60cmくらいのダンボール箱を台にする。ここでコーナークランプの出番となる。しっかりと正確に板と板をつき合わせ、コーナークランプで固定する。
板の奥行きに誤差があったときは、見えない後ろのほうに誤差分を追いやって、正面の見栄えをよくしておくとよい。
棚板には穴が開いていないので、ドリルで側板の穴からさらに深く穴を開ける。穴を開け終わったら、木ネジをねじ込んで固定完了となる。
木ネジを家を作るときに使うドリル刃加工したものにするとさらに強度が上がるのと、棚板への穴あけ作業を省略できる。
電動ドリルを使って、クラッチがすべるまで締め上げるととても強度を上がる。
さらなる強度を求める場合は、木工用ボンドを塗るとより強度が増す。今回の設計では、やらなくても十分な強度が出る。
2枚目以降の板は、あて木を使って間隔を出していくとより精度が出る。
あて木もホームセンターで、適当な端材を切ってもらって作っておくといい。
ピッタリと間隔をだしたら、あて木ごとクランプで挟んで、固定する。
あて木を作っていない場合は、地道に定規で測る。
1枚目と同じ要領で、棚板に穴を開け、ネジを固定していく。
片側が終わったら、ひっくり返して反対側も同じ要領で組み立てていく。あて木とコーナークランプが組み立て精度上、とても重要な役割を果たしていく。
以上で、基本組み立ては完了となる。
12mmの合板にすると板の種類も選べるし、板1枚あたり1000円以下で手に入る。
そのときの率直な感想は、24mmにしておけばよかっただった。12mmでは、12mmの厚さを3等分した真ん中に60mmの長さの木ネジを正確にぶち込む必要がある。これはとても難しい。
重量による安定感が不足するので、重たいものが置けなくなる欠点がある。背面をラワンベニヤで補強すればいいのだが、棚の軽さを補うことはできないので、使い方が制限されてしまう。
結局組み立て時の簡単さと完成後の実用性と価格を考慮して針葉樹合板24mmを選択した。
本もOK、中身の入ったペットボトルを並べてもびくもしない質実剛健。それが今回のコンセプト。
さらに凝りたい人は、板に高級な材料を使ったり、木口テープを貼ったり、ニスやペンキで仕上げてみたり、ネジ穴をダボ埋めしてみたり、エイジングをしてみたり、耐震対策で壁に固定してみたりしてください。
通常の実用上は、無塗装でOKです。
ということで、気になった方はぜひ作ってみてくださいね。
健闘を祈ります。
Qiitaに書こうかと思ったけど、言いたいことも言えない、こんな世の中じゃ。
モバイルファースト、APIファーストな文脈でハイブリッドWebをやってきた目からすると、サーバーサイドでHTMLを生成してページ遷移させるなどという90年代調のクラシカルな発想を基本に据えるフレームワークはとても斬新に思えました。HTMLをゴリゴリ生成するなんてよほど特殊な最適化をしようとするのでなければそもそも発想として出てこないです。それでいてDSLやメタプログラミング等のテクニカルな技法が宝石のように鏤められている様はまるでエジプト時代の骨董品を見るかのような趣がありました。turbolinkなどは、かつて表計算ソフトに出しゃばっていたイルカを思い起こさせる味があります。かつて慣れ親しんできたSPAが星のように遠い存在になりました。
Web界隈の人々がモデルだとかアクティブレコードだとか"MVC"だとかを非常に具象的に話す様を見るにつけ、お前らどんだけPofEAA読み込んでるんだよと畏怖していた時期が僕にもありましたが、どうやら彼等はRailsのクラスやディレクトリという特定の実装について話していただけだったようです。Modelという概念もこれだけ肥大化してしまったら、オリジナルな概念で彼等と会話するのは諦めるべきかなと思いましたし、Railsの"MVC"をアンクォートして語るのはもはや害悪であるとすら感じました。
Rails界隈の人がよく「Railsの流儀」や「正しい"MVC"」というのを口角泡を飛ばして議論しているのを目にするのですが、おそらく外に広がる不条理で火傷を負って快適なRailsの世界に引き篭もった結果としての一種のストックホルム症候群なのだなと思いました。いまやAjaxとかWebsocketとかWebRTCとかを組み込もうとする至極真っ当な方法論がとてつもない高難度に見えてきます。設定よりも規約、というのも一つの方向性だと思いますが、ドメインやサービスレイヤの名前空間を構築しようとしたりコードジェネレーションしようとしたりしただけで地獄のようなCircular Dependency罰を受けてしまったので、自分がとても間違った事をしているような気がしてしまいました。とはいえConcernsに特別な名前や役割を与えられても正直しんどいので、皆が皆libにゴミを放り込んでいく様子にも納得がいきました。
RailsをAPIサーバーとして使おうとするとまずビューが無くなってMとCだけになりますが、いわゆる"MVC"の文脈で育ったエンジニアがなぜ息を吸うようにFat ControllerやFat Modelを作ってしまうのかという事が良く分かりました。多くのRailsのリファクタ手法と称されているものはクラスを書くファイルを分割する事以上のものでは無いように思えたので、Rails使いを大きめなAPIサーバー案件に回すときはセットポジションでDDDの青本を投げつける必要が有るなと思いました。
ビューとコントローラを結合させた場合、結合テストはCapybaraとかのBDDでマークアップサイドとの干渉を恐れながら強い気持ちでメンテしていくしか無いのかなと思いました。おそらく脳に電極を埋め込んでいるか、緑色のランプを見るだけでハイになれる特殊な人にしか生き抜けない闇が垣間見えました。コントローラを薄くしてサービスレイヤを挟めばその辺りもうまくいけそうな気がしましたが、ビューからヘルパーやモデルがいくらでも透けて見えてしまうという状況では裏側の完全性に自信を持つ事は難しそうでした。
ビューがRubyを叩いて永続化レイヤと直接コミュニケーション出来るというのはとても生産性が高いのだろうとは思いましたが、こうして出来たパーシャルやら何やらをデザイナーとどうやって共有するかを考えると頭痛が痛くなりました。おそらく適当に切り出して綺麗な空間をassets以下に構築した上でpublicにRPCのような窓口を備えたゴミを量産していくのかなと思いましたが、もっと綺麗な方法はあるのかもしれません。でもきっとRails案件に関われるデザイナーはRubyもバリバリ書けるに違いないはずなので、ここが問題になる事は無いのだろうなと思いました。
RESTはとても美しいパラダイムではありますが、そもそもHTTPがさほど美しくないので歪んだ空間には目を背けるか勝手解釈を与える事で人は初めてRESTfulを名乗る事が出来るのだと思います。GETがbodyを(公式には)持たないという事について美しい説明を与える事は出来ないでしょう。サーチAPIはどうしますか。ステータスコード足りなくないですか。401エラーはどうしますか。そしてRESTはあくまでリソースを抽象化する美しい概念なので、アクションや副作用については貧弱です。動詞が足りないですし、一般動詞に狭義の意味を与えてドキュメントするのは二度手間にしか見えません。PUTには冪等性があるべきみたいなこだわりは家の猫にでも説教してればいいと思います。というわけで、REST的な設計を拝借することはよしとしても、「○○はRESTでは無い故云々~」みたいな注文はやめて頂きたいものです。
とか言わないで欲しいです。こういう時にセットでPHPをディスって悦に浸るのは知る限りRubiestとPythonistaと中学生だけです。それにこれはあくまでサーバーサイド初心者の感想なので、想像するにこれ系のFWは多かれ少なかれ似たような不満を抱えるものなのかなと思います。というわけで、おそらくこれから選択肢がある限りはRailsを使い続けると思います。