はてなキーワード: 草食動物とは
マッドマックスはバイクに乗ってたけど、こいつは四六時中、素足で木の上を走りまわるぜ!
ぎゃおおおおおう!雄叫びだぜ!ほら真似てみな!
何故草食動物を食わないかって!?ここが貴重な水の場所だからだよ!だが人間は別だガオオオオ!
この映画が伝えたいことって?そんなもん狂気に決まってんだろ見たら分かる!
可愛らしく言えばおとぎ話みたいな世界(旧アニメ)から設定とち狂ってるジャングルブックだけど
それがリアルになったらどうなるか想像してみろ!大迫力にとち狂ってるぞ!
大体動物が喋ってることがおかしいって誰か気付かないのか?気付かないな!それぐらいリアルなCGだ感服!
ただアニメのあのカオスな終わり方は、さすがのファブローも「ウォルトディズニーいかれすぎ!却下!」にしたみたいだ!
ナイスファブロー!大作映画の制作現場に疲れたのによく帰ってきてくれた!
シンゴジラがなんだって!?そんなもんオラウータン1匹で余裕で倒せるだろ!お前アニメ版めっちゃ可愛かっただろ!どうしてそうなった!
大蛇の吹き替え版はエドワード・エルリックだって?男には興味はねぇ!字幕版は誰なんだ?スカーレット・ヨハンソン!?色気むんむんお姉さまじゃねぇかヒャッハー(V8!V8!V8!)
「ぼくハチミツが大好きなんだぁ」ってお前プーさんか!ディズニージョークかましてるんじゃねぇよバルー!この詐欺師め!
おいそこの黒ヒョウ!お前…ストレス社会で大丈夫か…。胃薬飲むか?一回休んだほうが良いぞ…
あとシアカーン、あんたはディズニー1のカリスマヴィランだ。助演男優賞をやる
そんな考え方も種別も何もかも違うクレージーなやつらを、納得させるが我らがモーグリ!インド人だ!超可愛いぞ!ブルーバックで一人演技してると思ったら末恐ろしぜまったく。
スピード感凄くて疾走感あって猿にふっとばされてる間に映画全部終わってるからな!
元増田の言い様にどうも納得がいかないので一席ぶたせてもらう。
なお、個々人が作品から何を見出すかは千差万別であることは認識しているので、この記事を読んで意見を変えろなんて言うつもりはない。
ズートピア世界は、理性によって被食-捕食関係が終わり、共存できるようになったからこそ成立している。
理性の存在は、動物が喋る/二足歩行する/服を着る/文明化してる/etc.と同レベルの、物語における大前提である。
理性/野生の対立軸は本編前にもう終わっているのだ。
もちろん、これは「過去」として本編中でも言及はされるし、“偏見”の大本にもなっているが、この過去そのものが本編中に蘇ったりはしない。
では、元増田が見出した“野生”というのは何か?― それは“偏見”である。
「肉食動物は凶暴で草食動物を襲って食べたがっている」という偏見だ。
そしてこれはズートピアにおいて一貫して存在している、理性/偏見という対立軸の一部なのだ。
「肉食動物は凶暴」なんて、「ウサギは臆病」「キツネはずる賢い」と同種の偏見と言えば分りやすいんじゃないかな。
― 当然さ!でもそれは“野生(という名の「肉食動物への」偏見)”とは別物なんだ。
草食動物だって「野性的」で「野蛮」で「非社会的」な行動を取るだろうって?
― 当然さ!まさに黒幕がそうだったろう?
― あれは薬物による凶暴化さ。野生とは関係ないよ (薬物中毒の人間が暴れてるの見て「野生だ」って言う?)。
「理性は必ずしも野生より優れてはいない」、「理性が善、野生が悪とは限らない」、「理性ばかり肯定的に扱うな。野生にも光を!」。
しかしズートピア世界においては、過去に克服された野生にしろ、偏見としての“野生”にしろ、内容的には「共に暮らす隣人(隣獣?)を襲う」というものだ。
なに? 野生は自然だから善?それは自然主義の誤謬と言うのだ。
元増田は言う。
「ズートピアはユートピアを意識しているはずなのに、ユートピア文学等を踏まえた批判/論評が盛り込まれていない!つまらん!」
さて思い出してほしい。ズートピアはユートピア/ディストピア的な世界だっただろうか?
初期案(肉食動物に電気ショック首輪等々)であれば、これはなるほどユートピア/ディストピア的世界だと言えよう。
映画があって道路があって、スマホもあるし、屋台、車、電車、etc。職業だって警官からお役人、詐欺師もいれば泥棒だっている。
では、我々の世界はユートピア/ディストピア的だろうか?―もちろん答えは「いいえ」だ。
単に、ズートピアは作品の名前であり、都市の名前であり、ZooとUtopiaの合成語である。
ユートピアの俗語的な意味、すなわち“理想郷”的な意味合いは持たせているだろうが、それだけだ。
ぱっと見、理想郷にも思えるような、動物たちの共存する大都市ズートピア。
そこにも現実の、我々人間の世界と同じように偏見があり、差別がある。そういう世界。
タイトルがユートピアのもじりだからって、ユートピア的世界観なわけでなし、なんでわざわざ関係ない批評を盛り込む必要があるのか。(もちろん盛り込んでも良いが)
ズートピアはZooという単語も含んでいるわけだが、動物学(Zoology)の観点からの批評とか盛り込むべきだと思う?私は思わない。それと同じさ。
以下のブログ記事では「野生」の原語(Biology, Biological)について示してある。(全部ではない?)
傑作。感動しないけど傑作。
ディズニーとかピクサーの作品についてはどう思ってるんだろう?
ディズニーやピクサーってあんまり(ってか5作品しか)見たことないんだけど、
今回見たズートピアは、現実をちゃんと描いた上で、理想を語るという、
自分が考える、アニメーション映画がこの世に存在する意義を見せつけてくれた。
もちろんこういう現実と理想を描いた作品ばかりではつまらないし、飽きるので、
人生の個人的な1ページを淡々と個別的に写実的に描くという実写作品も好きだけど。
人間社会における差別を肉食動物と草食動物という道具を使って表現している。
そこに遠慮はない。
胃がキリキリしたり、見終わった後、友達とギクシャクしてしまいそうなものを
かなり直接的に表現している。
これはアニメーションが得意なことだ。
わりと実写は実際の人物を使った隠喩というか比喩を得意にしていて、
よっぽどの天才監督と全人種民族を集める資金力がないと難しいんじゃないかと思ってる。
そうじゃなきゃ、現実に存在する違う国の違う人間のことを自分と照らし合わせて見てくれる客ね。
実写舐め過ぎかな。でもこれをクリアした実写作品は傑作だと思う。
シュガーラッシュもそういえば、ラストで姫がいきなり民主主義訴えたけど。
アニメはテレビアニメ見ない、アニメーション映画しか見ない超マイノリティな自分ですが。
あと実写も絶望しないで頑張れ。
あの世界では肉食動物であろうとも、何の理由も無く理性を失い凶暴化することはないはず。
「なんとなく元・肉食動物は凶暴化しそうなイメージ」を持ってしまっている元・草食動物たちや、むしろ映画を見ている鑑賞者に対して、それは偏見でしかないのだということを提示したのではないかと自分は受け取った。
「草食動物が黒幕だったじゃん」「草食動物だって毒のせいで理性を失うじゃん」という指摘がブコメでなされているが、
あの「バランスをとってる」感じが、むしろ俺は嫌だったんだよな。
「社会問題だと思ったら黒幕がいた」「肉食動物だけだと思ったら草食動物もそうだった」
だから社会のバランスは失われていなかったんだ、めでたしめでたし、みたいなさ。
http://anond.hatelabo.jp/20160605113308
まずこの作品の伝えたいテーマのひとつが「野性」って概念は幻想であるってことなんだよ。
これは元増田もわかっていて、そこが表現されていないと不満に感じたんだと思うんだけど、実は描写されている。
この事は後に触れるとして、まずは
>肉食動物の野生状態の描写が「凶暴」一辺倒であるかのように描かれ。
についてのフォロー。
そもそも「野性」ってなに?
「本能」ってなに?
社会から切り離されてジャングルでたった一人で育った人間の人格が「本来の人間」なのか?
そうじゃないだろう。
今自分達が生きている文化や環境を含めて、人間の人格というものは成り立っている。
そもそも野性(本能)と理性(社会性)は切り離せられないものなんだ。
たとえば精神障害で錯乱してしまったら、大通りで裸になったりウンコしたりしちゃうわけ。
でもそれはその人の「本来の」人格ではない。病気が治った後、その人に「あれが君の本性なんだね」って言える?無理でしょ。
ズートピアの野生化しちゃった人達は、薬物によって一時的に錯乱を引き起こした状態なわけ。
高次的な思考を司る脳みそが一時的に阻害されちゃったとかそういう症状であろうと推測できる。
そんな状態なので「肉食動物の野生状態の描写が「凶暴」一辺倒」は「野性」の描写ではないし、
むしろ「「野性」とは凶暴なものだ」と思い込んでいる観客へのカウンターになっている。
ニュースメディアはそれを(ニュース映えするので)「肉食動物の本能」として騒ぎ立てるが、それはあくまで異常な状態であって、その人の「本質」ではない。
偽りの「本性」だ。
そう、「「野性」とは凶暴なもの」に代表される思い込みを否定するのがズートピアのテーマであると言っても過言じゃない。
ズートピアでは人種差別やらフェミニズムやらのあるあるジョークが、山のように引用されている。
例えばエンディングで交わされるニックとジュディの会話。
日本でも男脳・女脳の本がベストセラーになったことがあったけど、その題名って「地図の読めない女性」みたいな感じだったよね。
統計だかでも、女性は三次元構造を脳内再生するのが苦手みたいな結果が出たとかどこかで読んだけど、そういう傾向があるにしても女性全員がそうだってわけじゃないし、現に女性もバンバン車を運転している。
((女性はコミュニケーション能力が高いので、男性の運転技術は自分よりも上だと持ち上げている/または男性よりも自分が楽をするために男性に運転をさせている結果である、という説もある))
でもこれ、劇中では否定されてたけど本当のことだよね?と思うなら、それは偏見に侵されている(かもしれない)。
上記と同様に変換してみよう。
アウト!!!アウトです。
「男性が痴漢するのは本能だから女性は我慢すべき」理論のあれこれははてなでも頻出しているけど、他の場所でもそうらしい。
男性は性欲を司る視床下部が女性より大きいから仕方ないよね……な、わけはない。
上に書いたように、人は理性と野性との混合体だ。社会に住んでいる以上、一般常識として女性を襲っちゃいけないということは知っているしやらない。
ダメだと言われてやるのは犯罪者と、そういう文化圏に住んでいる人たちだけだ。
そういう文化圏に住んでいても、相手の女性が嫌がることはしないという男性だっている。人は相手を慮る能力を「本能的に」備えているからだ。
性欲も他人への共感能力もどちらも同じく「本能的」な脳の機能だ。
人によって強かったり弱かったりする。犯罪者は我欲が強くてセーフできず罪を犯すし、倫理観の強さも遺伝的な部分が大きい。
でもそういった「本能」は本人の努力や周囲の理解によって乗り越えられる。
そんな世界がいいよね。というのがズートピアの掲げる「知恵」の力だ。
野性の「ありのまま」の自分なんて受け入れてもらえない。弾き出されてしまう。
だから生きやすい形に整えた街を動物たちは作り出した。つまり社会だ。
社会は人の集合だから、自分の願望と他人の願望が衝突することもある。
そこを折衝して生きていこうというのが理性であり知恵だ。
夢見がちな理想主義ではなく、地に足をつけて一緒に生きていこうという意思だ。
それすら理想にすぎないのかもしれないけど、ディズニーが子供に手渡す「知恵の武器」なら少しくらい甘味も混ぜないと吐き出されちゃうから、いい案配だと思うよ。
ニックとジュディが和解するシーンで、感極まったジュディがボロボロ落涙してしまった時のニックの一言。
これはストレートな事実なんでご存じの方も多いんじゃないだろうか。
よく職場でちょっと叱った程度で泣き出したとか、喧嘩では女性のほうが先に泣き出して何も言えなくなるからズルい、
精神的に軟弱で覚悟がないから泣くのだ、というように思う人も多いらしいですが、ホルモンの影響で女性は男性よりも泣きやすいという「本能的」な理由がある。
彼女たちにしても本当は敵の前で弱みを見せたくないし、泣いたら許してもらえると思って涙を流すわけではない。
ただ、身体的な反射なので仕方がないのだ。
ましてやジュディは様々なハードルを乗り越えてきたガチのリブで、精神的にもタフであろうとし続けてきた。
そんな彼女が決壊してしまい((ニックに対して心理的障壁を張る必要がなくなったという暗示))弱さを見せている状況で、差別的なジョークを放っても許し合える間柄になったという描写なわけ。
ジュディは「肉食本能」を偏見から非難したが、ニックは「涙腺」を分かったうえでジョークにした。
「本能」なんてそんな程度のもんさ、とお互いに許し合う。
偏見や差別を打ち砕くのには「相互理解」と「共感」が架け橋になるという強いメッセージが放たれている。
差別ジョークの引用はフェミニズム以外にも色々あるんだけど、二項対立でわかりやすかったので取り上げてみた。
> 社会差別、偏見モノのストーリーとして見ればよかったのかもしれない。
その通りですね。
それでも「野性」を解き放ちたいという人のために…………そう、秘密クラブがある。
「ズートピア」を見た。
結果、少々がっかりしてしまった。「理性」と「野性」というキーワードが引っかかってしまった。(地元には吹替版しかないのでオリジナルの表現は確認できていないけども)
社会差別、偏見モノのストーリーとして見ればよかったのかもしれない。
トランスジェンダーのガゼルが、作中でカリスマ的シンボルとなっているところを見るに、制作陣の意図として設定されたテーマは「一見ユートピアに見える中に残る差別偏見とのたたかい」みたいなやつだと思うよ。
私は理性/野性で読んだので批判的ですが。
○理性と野性
(理性/野性とも、理性/本能ともいえる。英語だと「savage」が使われているらしい。「野蛮」だ。)
・・・・・・・「理性による野性の淘汰」をこの時代にわざわざやります?
残念だったのは、「理性」「野性」の判断基準が恣意的であることに対して、さしたる言及もない点。
作中に言及されている「野性」の部分って、肉食動物の側だけなんだよ。
「(多数派である)草食動物への害になりうる野性」のみが、「野性」として取り上げられている。
草食動物だって、「野性的」で「野蛮」で「非社会的」な行動を取るだろう。
群れを維持するために弱い個体を追い出したりするというような。
そうしたことに、少しは言及されていてもよかったのに。
「草食動物が90%の社会だから、肉食動物の怖さにだけ、敏感だ」みたいな位置づけが欲しかった。
非対称的で、ひどく残念だった。
そして、ああ救われねーな、と思ったのが。
肉食動物の野生状態の描写が「凶暴」一辺倒であるかのように描かれ。
そして、肉食動物である彼ら自身が、野性の克服を「是」としているところだ。
野生に「戻った」カワウソが、彼の奥さんを認識できなかったりとか。
そして、「理性ある」状態の奥さんに、「あんなの夫じゃない」と言われてしまったりとか。
彼らにとっても、野性・野蛮は憎むべき敵なのだなという位置づけが、ひどく残念だった。
理性/野性の構図が一貫して変わらない。自明視されていて言及されない。
理性は善で、野性は悪。
あまりにも。
あまりにも不足が大きすぎるのではなかろうか。
○タイトルについて
タイトルは明らかにユートピアないしはディストピアを意識してのものだろう。
いわゆる「ユートピア(ディストピア)」にまつわる言説を、なんらかの形で昇華するのかな、という期待もあった。
「ユートピア」といえば。
元をたどればトマス・モアの「ユートピア」に連なる一連の「ユートピア文学」だ。
「人工的で、規則正しく、滞ることがなく、徹頭徹尾『合理的』な場所」だ(wikipediaより)。
だから、高度に機械化され、監視機能が発達し、そのなかで主人公が公職に付いた時点で、
過去の「ユートピア文学」らの批評を加味した、なんらかの言及がなされるのではないか・・・・・・という期待をした。
作中内に、理性/野性が取り上げられ。
理性が善で、野性が悪。
「ユートピア(=ディストピアに転じうるもの)」への、なんらかの批判がなされるのではないかと、期待した。
・・・・・・・・・・・・・・・・そ ん な こ と は な か っ た 。
理性によって作られた社会。
理性の肯定。野性の克服。
「それだけ」だった。マジで。
理性的で合理的な「ユートピア」が、「ディストピア」に転じうるってもう言及されているのに。
「理性」ゴリ押し。
それってどうなん。
つまらん。
愚痴終わり。
これ、字幕版見たら変わるかな。
でも県内にないんだよな。
県外までいく気力は、今のところ、起こっていない。
差別や偏見と戦いマイノリティだって自由に自分を表現していいんだ
こんなにそれらに配慮した内容が盛り込まれている!いった旨のRTを連日沢山見るようになりました
小さくてかわいいウサギは警察官になれないのか?いやそんな事はない!
決めつけてはいけない!差別はよくない!だって努力すれば夢は叶うのだから!
といった主旨をどうこう言うつもりはまったくない
だがなぜそんな中で、なぜ『肉を食べること』は悪としこれを排除したのだろうか
そこがずっとひっかかっていて、素直に良い映画だった!と言えなくなっている
(世界観の設定上やストーリーの進行上そうせざるを得ないのは理解できるのだけれど)
誰だって望んだものになれる!と謳っておいて肉食獣のそれは奪うのか…と思ってしまって
肉食獣だってただ趣味で殺すのが目的ではなく生きるために肉が必要でそれを食らうのであって
それ自体は悪ではないはずだ
野生に戻ったら凶暴になったと本編で言われていたが
何かを襲う時はそれを食べる必要がある時か自分の身を守る必要がある時だ
むやみやたらと目の前のものを殺すものがイコール肉食獣ではないわけで
差別なんかダメッて言ってるんだ!!ともてはやされている映画が
素晴らしい!と言われていれば言われているほど複雑な心境になる
こんなところを気にしてしまう私の感覚がズレているのかもしれないけど
そりゃあいつ食われるかわからない恐怖と戦っていた草食動物から見たら
捕食者である肉食獣は天敵になるわけだけれども
『狩りをする必要が無くなる』のを仮に利点とするとして
かわりに与えられるものが肉でなく虫などで代用されたものでそれで本当にWin-Winなのか
肉を食べる事はこの先(この理想郷に居を構える限り)永遠に諦めないといけないのか
(昔は食べていたという肉を食べてみたくなった、という理由で
狩りをするために牙が鋭くなったもの
動物の特徴になる部分はおおよそ『狩るため/狩られるのを防ぐため』、
それらの器官ももしかしたらどんどん退化してしまうのではないだろうか
服を着て脳が発達し、特徴のある器官が退化していったらどうなるんだろう
みんな人間になるのかもしれないですね
つくづく、ズートピアのジュディは自分の人生を生きていない、あの物語の主人公じゃない、っていう印象で、それがあの映画の制作課程のgdgdによるものだと考えたら納得がいく。
最初に提示されたテーマである、ウサギの新米警官が不利な環境で頑張る、ってのは実質あんまり生きてないよね。
物語の大部分が肉食動物=マイノリティ、草食動物=マジョリティ、だから。最初のジュディの部分がどうも浮いてる。
いっそ警察も最初から(武器を使うから体の大きさは関係ないとして、)草食動物オンリーにして、エンディングをキツネ初の警察官の誕生で締める方が話として綺麗なような…
後付けなのはジュディだけじゃなく羊のベルウェザーもなのかな。
牛・馬・羊・山羊がそのへんにいて、適当に生えてる草をむしってエサやりしてもいいよっていう環境
たくさんの草をむしってきた子供がポニーにエサやりしてたら後ろから牛も参戦しようと近づいてきた
そしたらポニーはこの草は私のものだ!と言わんばかりに軽く下半身をジャンプさせ蹴りを繰り出すように牛を威嚇してた
その後も何度か近づこうと試みたけどブルルンとポニーに威嚇された牛は諦めて引き下がっていった
私もポニーにエサやりをしようと柔らかい草をむしってスタンバイしていたが
それに目をつけた牛はこちらへやってくる
これ、オメーのじゃねーからとやるのも忍びなくて半分くらいなら牛にあげてもいいかな?と
手に持っていた草を牛に近づけたらたくさん持っていた方の手に舌を伸ばし
一舐りでせっせとむしった草を根こそぎ持って行ってしまった
ザラザラの舌で舐められた手はよだれで光り、ヤスリをかけられたように少し赤くなっていた
そして伸ばした方の手にはむなしく草が握られたままであった
これって結局、最終的に優秀で頭が良くて優位に立ってるのは詐欺師の狐の方なんだよな
証拠の品を運ぶために電車ごと動かすジュディのアイディアは失敗でスーツケースだけ持ち去る狐のアイディアが正解、陸運局のナマケモノと知り合いなのも狐、和解のシーンも狐の方が大人で手玉に取ってる、
一見猪突猛進のヒロインがリードするようでいて、キーとなる活躍はやれやれ系の男の方
それとジュディは明るくて良い子なのに全然女友達が出て来ないのはなんでだろうな
ガゼルはアイドルとして好きなだけで個人的に知り合いになったりはしないし
カワウソの奥さんや鼠のマフィアの娘とは関わるけれどあくまで守るべき一市民扱いだし
解決のヒントを出すのも父親の兎と、幼なじみの狐という「男」だし
せっかく草食動物の女性同士として関わりのあった羊の市長の事も、真相解明後には旧来の魔女の如き単なる悪役として切り捨ててる
1.うさぎが警察官になってライオン市長からバッジを貰うところ
このシーンを見て、ライオン市長はウサギの故郷の市長かと勘違いしたから途中ちょっと混乱した。
ズートピアの近くだとは思うけど。
最後のほうでも同じような場所でキツネが警察学校を卒業したっぽい描写があった気がする。
2.キツネがウサギをヌーディストクラブみたいなとこにつれていくとこ
キツネがウサギの機転に負けてカワウソ探しを手伝わされる時に、「○○は知らない。□□だけだ。」みたいなセリフがあった気がするんだけどどんなセリフだったか思い出せない。
カワウソが失踪したのは1週間くらい前だった気がするので(うろ覚え)、知り合いでもなけりゃ覚えてるのは難しいんじゃないかと。
あの店もキャンディーを売る稼ぎ場所のひとつでカワウソは常連客だったのではないかと想像することはできるけど、具体的な描写はなかったと思う。
映画はすごいテンポで進んでいくから見てる最中はそこまで気が回らなかったけど、よくよく思い返すとカワウソの旦那はすごい設定だ。
ヌーディストであり、マフィアのボスからリムジンで送り迎えされるような間柄。
こんな設定あり?
たしかに。
夫の仕事を知らない妻、みたいな題材はフィクションではわりと良いテーマなのかも。
黒ヒョウがあのタイミングで撃たれたのは、ウサギ達を影から監視してた黒幕が指示して黒ヒョウに襲わせる為に撃ったってことでいいのかな?
ご都合展開でなくて。
わからん。
肉食動物が14匹も狂暴化した今なら肉食動物の立場を慮ったという理由は一見正当性があるように感じるが、最初の1匹目の時からこうなることを予想してたのかと思うとちょっと無理がありすぎない?
原因がわからない時点で公表しても不安を煽るだけという意味では肉食動物だろうが草食動物だろうが同じように対処したのでは。
6.「夜の遠吠え」ミスリード
じゃウサギも知っとけよ。
ウサギも知っとけというのはたしかにそうだけど、実家の仕事に興味なかったんだろうなあ。
1.にも書いたけど、冒頭のウサギと同じように警察学校の卒業式っぽい描写があった気がする。
見たい。
少子化をどうにかしないと社会を存続させることができないって、子供は社会の歯車でしかないって事だよね。そのために40年あまりの労働をさせられるわけだ。
こういうのって食物連鎖と同じだよね。肉食動物は草食動物が居ないと食っていけないわけだけど、今まさに草食動物達が餌と育児に困り始めてるっていう。
うーん、残酷だなぁ・・・ボクはそんな世界に子供を産み落としたくないなぁ。。
保育園不足のこと自体に関して言えば、地方は待機児童とかそんなに困ってないけど働き口がないんだよな。企業も人もみんな出て行っちゃうから。そんで高齢化する。まぁ、下らない村社会みたいな自治会やってたりバカみたいに不便なのを放置してる地方の自業自得でもあるんだけどね。