はてなキーワード: 自己肯定感とは
メンヘラです。
メンヘラってなんだよって感じもするけど、とりあえずここではメンヘラの定義は重い女、ということでひとつ。
こんな時間に起きてて投稿してること自体、そもそもメンヘラのメンヘラたる原因なのかもしれない。
ああ〜〜
好きな人っていうか、元彼?セフレ?みたいな感じで、関係に名前がなかった。
友達ではなかったと思う。
たぶん感覚的にはセフレに近かったのかもしれないけど、何せセフレはおろか彼氏もいたことがなかった純情処女(当時)にはとんと検討もつかぬ。
話も面白いし、優しいし、そこそこイケメンだし、何より私のことを何度もかわいいといってくれた。
自己肯定感の極めて低い単純メンヘラ純情女(24歳)はそれだけで出会って間もない男に簡単に股を開くのだ。世の中の処女厨の人は参考にしてください。そして世の処女はそういう男に股を開いてはいけません。
それでまあ流されるままわりとノリノリでセックスしたわけだけど、その後のお作法なんて知らないし、だけど初めてだったからもう気持ちは舞い上がっちゃって「私たち、付き合うってことでいいんだよね?」なんて月並みなセリフでおそらくお付き合いが始まった。
かに思えた。
というのも、一応付き合うというテイはとったものの、会う前と会った後の温度差が激しく、連絡はよくて3日に1回、1週間全く連絡をしてこないこともザラだった。(こちらから連絡をしても反応なし)
まあそりゃそうですよね。
マッチングアプリで出会った身元がハッキリしない女で、しかもセックスどころか交際も未経験なんて重いしめんどくさい。
一応付き合うって体裁は取るけどフェードアウトしたいっていうのが本音だったのかもしれない。しらんけど。
それでもこっちはそんなこと知らなくて盛り上がってるわけなので、なんとかもう一度デートをこじつけて会ったわけです。
会えたー!やったー!嬉しいー!と思ったのもつかの間、セックスの流れになった時、ゴムなしでしたいって言われてドン引き。さらには生出したいからピル飲んでほしいな、とか。
マジかー…と思いつつそれだけは断固として断ってもやもや抱えたままその日はお別れ。
そもそも自分には交際経験が本当に全くといっていいほど微塵もなかったので、普通の世間一般の恋人たちがゴムをつけるとかつけないとかすらもよくわかってない。
いや、普通に考えたら妊娠する可能性が非常に高いししないんだろうけど、安全日とかなんかそういうのあるじゃん。耳年増で目年増だからそういう知識だけはおらいっぱい持ってんだ。
でも、常識的に考えて彼女に自分の快楽のために直接的あるいは精神的な負担をさせるのか?と思い至った時、あ、この人とは付き合えないな。好きだけど。と思った。
それで、そのデートのあと次の機会を待たずしてこちらからお付き合いの辞退を申し出た。
弁解されたけどなんかもう他のこともいろいろ降り積もって悲しくなって、ゴメンナサイ。って感じで。
それでしばらく平和に過ごしていたんだけど、ちょっとしたきっかけでまたわりと最近連絡を取るようになって、なんか色々あって一緒に旅行に行くことになった。
今思えばほんとにこの時点で「???」だったんだけど、まあ正直忘れられなかったんだよな。
再三になるけど自己肯定感が極めて低いこと、それから年明けから夏ぐらいまで私生活が非常に苦しくて仕方がなかったことから、特別甘い言葉をかけられたわけでもなかったのに、燻ってたらしい気持ちがまた燃えてきてしまった。
正直、メンヘラで重いことに定評があるので、はじめての人が忘れられなかったし、自己肯定感が低いのでかわいいとか会いたいとか言われると抑えが効かないんですわ。なんだこれ。救いようがないアホだな……。
それで、のこのこ2人っきりで旅行に行ったわけだけど、まあ現実は甘くない。
前と同じことの繰り返し、もしくはそれより悪かった。(心象的に)
明らかに1日目(使用前)と2日目(使用後)の態度が違うんだよね〜〜〜〜!
もう私、困っちゃうゾ★
途中から明らかに私に興味をなくしているのがわかって、何度も何度も泣きそうになるのをこらえながら、たまらず、バスで泣いたけど、なんとか最後まで自分をある程度限界までは保ったままお別れした。
別れ方も最悪だった。
流石に私の不審な態度は気づいていたのか、その日は連絡がきたけど、それ以降はまたそれまでと同様梨の礫。
かと思えばSNSで遊びに行っている様子をなんの臆面もなくアプロード。
あーそっかー。
言いたいこと直接一言も言えなくて、だけど会いに行く勇気すらもなくて、悶々、悶々とやることないときはずっと彼のこと、彼とのこと、自分が何をやらかしたのか、そうでないか、自問自答。
で、悩みに悩み抜いて友だちに泣きついては叱咤激励されて、もうほんとに最後!て思って自分でもドン引きする文章量のメッセージを送りつけてブロック→削除かました。
て、思うじゃん。
自分でそういうことやったとはいえ、結局そのメッセージを彼が読んだのか読んでないのかで悶々悶々。
メッセージを読んだあと返信をくれたのかもしれないで悶々悶々。
そもそも全てが私の早とちり、早合点、独り相撲で、彼にとっては恋人との通常営業だったのかもしれないで悶々悶々悶々悶々。
ああ〜〜メンヘラ。
しばらく忙しくってちょっと忘れてたけど、忙しさがちょっとひと段落したのと生理前のいらいらとで今日もまた思い出してしこしこ文章を書いてるわけ。
こういうところもメンヘラという所以なのかもしれぬ。知らんけど。
とりあえず、自分から見切りをつけたんだからさっさと次行けよ!次!と自分でも大いに思うしそうしたいのも山々なんだけど、このなんとも言い難い後悔というか執着というか懺悔というか……なんかね。遣る瀬無いです、ボカァ。
諸々こじらせるとめんどくさいですね!!というのが最近の所感。
ああ〜〜メンヘラ。
私も増田と同じようなことを考えてしまう。私から見ると、向上心というか改善する心みたいなものが死んでいる人がいる。
できるだけ目立たぬように、エネルギーを使わないように、生きている人たちを見る。
そういう知人の一人曰く、すべてが面倒くさいのだそうな。
自信をつけたい心はないことはないのだが、自己肯定感の低さからくる「どうせやってもあんま変わらんだろう」という思考と、「ダルい」という思考が勝って、現状維持にとどまるっぽい。
生まれつきアドレナリンの分泌量が少ないため、闘争本能や欲望が薄くなってしまい努力する心も軽薄化。
親が過保護で全てお膳立てしてくれるが故に、与えられることをこなすだけになってしまい自分から主体的に動いた経験が乏しい。
頑張ったら何かが良くなったというような成功体験をたまたま得られなかった。
みたいな要素が絡み合ってそうなっているのかな、と私は考えている。
自分の観測範囲内だけですが、自分に自信が無いと言っている人ほどファッションや化粧をしない人が多いです。
自信が無いのであればまずは見た目だけでも手入れをして努力して、見た目が良くなれば少しでも自信が持てるんじゃないのかなと思っています。
でも聞いたところによるとおしゃれな服やメイクを購入するために必要な服がないと言う人もいます。だけど今ドキ通販もあるわけだし努力の仕方だって色々あるのにと思ってしまっている自分がいて、差別的だと反省しないといけないと感じています。
「化粧映えしそうなくらい目がぱっちりしていて綺麗ですね」と相手の良い部分を伝えても「自分はそんなことはない」と否定する人がいます。こんなことを聞いて申し訳ないのですが自分に自信が無いというツラい状況をなんとか打破したいと思わないのですか?
ぶっちゃけた話、私も一重でニキビ顔で自分に自信が無く卑屈だったので中学時代はいじめられることがありました。そんな現状にある自分が嫌で見た目を変えてみたらだんだんと自分に自信が持てるようになり人との交流も増えました。
自分自身にそういったコンプレックスがあるので余計に「見た目の手入れをしない自尊心、自己肯定感の低い人」を見るともどかしく感じてしまいます。自信がないのになぜノーメイクで外出できるのですか?
そういう人達は特に仕事において自信が無いから行動できず、そのような消極的な姿勢を上司から注意されるそうです。なのでなぜその辛い状態でとどまってしまうのか、理屈や気持ちをまずは理解できたらいいなと思いました。
自論→持論でした。ごめんなさい。
今回はファッションやメイクについて取り上げましたけど、自分の現状がマイナスもしくはゼロだと感じながらもなかなか動きだせない人もいますよね。でもそういう人に限って仕事や人間関係に対して受動的だったり何か言われると猛烈に反発するのって矛盾していませんか?状況によって自己責任かどうか判断していくものだと思うので一概に是非は問えませんが。
私は確かに生存者バイアス的な思考が強いしコンプレックスも多分にあるので、職場の上司にもその傲慢さを指摘されることがあります。指摘してもらえる分、他者から心のエネルギーを注いでもらっているんだと感謝して過ごしたいなと考えています。でもそう思う一方で常にそう考えるのは日々謙虚さを保つための心の整理が必要で難しいところです。
アトピーとかで仕方なく何もできない人もいるとは思います。でもそうではなくてファッションや化粧ができてプラスになるものがあるので、できないからやらないはもったいないのではないかと。
再追記
ファッションや化粧はやらないよ。知らんがな、ほっといてもいう気持ちはなんとなくわかりました。それで自信獲得の作業の要不要を自分で決めたとします。そして仕事という場面になったときに
「自分に自信がない→動きだせず受動的で消極的→成果がでない→評価のプラスフィードバックが減りさらに自信がでない」という状況をみているともやもやするんです。だって自分の自信の無さを理由に業務に取り組まないって、労働をなんだと思っているのかと。それで自信が無いことを切々に伝えられても、具体的にこうしてみたらというアドバイスはできるけど、最終的に動くのは貴方なんですからねと思います。
ファッションやメイクなら目に見えて成果がわかるし自分に自信を持つきっかけとして導入しやすいのではと思ったんです。
自信が無いと嘆くことは必要だと思います。でもその嘆きが次の動きだしのキッカケになればいいなって。仕事とはそういうものではないのですか。
ここ数年。精神科医の方と電話面談をすることがあった。これは勤めている会社でストレス度チェックというものがあり、数値異常ということで案内された。
その当時は仕事で完全に心が折れており、藁にもすがる思いで電話していた。こうなったのも会社だけど、助けてくれたのも会社。結局は本当に良い会社だと思う。
最近は仕事の波も落ち着き、入社して初めてかなりのんびりした生活となった。
そのため、精神的辛さもなくなり、面談をなくしても良いと思っていた。それでも一応、定期的な面談なので今回も電話面談をした。
その中で、仕事の話となり。やる気や成長が無いなということを愚痴として嘆いていた。
先生は優しく。「どんなことに過去でも今でも情熱を燃やしたのか?」という質問した。
まったく、思い出せないのだ。心の底から熱くなった思い出が思い出せない。きっとあったと思うけど。思いだせない。
先生はさらに尋ねる。「どうやって大学を選んだんですか?どうして今の会社に勤めたのですか?」
それは直ぐに答えられる。なぜなら消去法で選んだのだ。
このスポーツを選んだ理由は外で運動したくなく、球技じゃないからこれ。
そこで大まかに選んで、そして最後は一緒に過ごしたい人で選んできた。
そして、その人たちと過ごすためにがんばろうと思っていた。
自分の中にやりたいことなんてひとつも無くて、何か目標も無い。
だから達成感も感じたことも無ければ、承認欲求も高く、自己肯定感も低い。
ずっと満たされない。すべてに納得した。
それじゃあ、この後どうしたらいいんだろう。すごい困っている自分がいる。
今理系学部4年、院進予定です。
自分も将来に悩んでいて、正直自己肯定感はかなり低いし、社会で生きていける気がしない。
学科の特性もあるのか周りも就職が多いし、院まで行ってやりたいことあるのかと言われると言葉に詰まる。
ずっと送られてくる就活メールにも、なぜだか焦りを感じるところまでわかる。
今研究の端をかじる生活をしているけれど、教授とかを見ていると自分もアカデミアにはそんなに向いていないなと思う。
将来悩んでいると言ったら博士も視野に入れたら?と教授に言われたけれど、今のところ行く気はない。
修士でそれなりのところに就職できたらいいかな、という感じだろうか。
文系の研究に明るくないので詳しいことは言えないけれど、修士で就職するのも全然ありだと思う。
学びというのは時間やお金にある程度の制約はあれど、いつでもやろうと思えばできる。
それなら一度就職して、働くなかでもっと学びたい、研究したいと思ったときに大学院に入りなおすというのも手ではないだろうか。
就職も、(修士卒だと難しいかもしれないのかもしれないけれど)似たような分野の民間の研究所とか、そういう選択肢もあったりしないだろうか。
はてな匿名ダイアリーにポツポツと現れる院生の記事を読むたび、自分と同じ不安を抱えている人たちを見つけた気分で、安心する反面、
誰か知らない人からどんな風に見えるのか知りたくなって、自分も悩みを書こうと思う。
自分は大学院進学を決めた文系学部4年生で、すでに来年度分の学費も支払っていて、修士生活2年間が待ち受けている。
こんなことを書いたら、人格が分裂しているんじゃないかと思われそうだが、
相変わらず届く就活サイトのメールや、インターン応募のサイトを巡回してしまうし、修士後に就活するための資格や勉強を始めようか逡巡している。
学部3年のときからずっと迷っているが、自分がどうしたいのかわからない。
大学に入学する前から自分の専攻分野が勉強したかった。専攻分野の授業や教授の充実度・カリキュラム編成を調べて、いくつかあった受験合格校から迷いに迷って決断した。
大学に入ってから、専攻分野の授業を受けるのは基本的に楽しかった。基礎ばかりを繰り返す授業ばかりだった学期は本当につまらなかったけど。
1年生の頃から、できるのなら、研究の道に進みたいと思っていた。
留学をして、院進学を志望する学生や院生とも出会った。その人たちは口を揃えて、「今やっていること(勉強や研究)が好きだから進学を決めた」と言っていた。
留学先で勉強をしたり、そういう人たちと出会うたびに、自分もそうだなと思っていた。
帰国してみたら、周りは就活で、会えば苦労話とか憧れの社会人像とかを話すようになっていた。
同期の就職先の話を聞くたびに、笑顔が引きつってしまう。「卒業後は?」と聞かれるのがその時期からだんだんと苦痛だった。
自分だけ別の道に外れているような気がしたのと、やっていけるのかどうか不安な気持ちを友人とは共有できないと感じたからだ。
自分の不安を話したとしても、学校での成績がある程度良い方だったせいか、「XXならなんとかなるよ」と励ましてくれる人が多かった。
優しい声をかけてくれる友達を大事にするべきだと思う。でも、正直その励ましが一番辛い。自縄自縛のような気分に駆られる。
研究は学部生の成績評価とはまるっきり違う。課題や出席なんか研究の本質とは関係ない。与えられたものをこなすだけでは実績はつかない、と自分は思っている。
高校の同級生には「研究をして、どんなことができるの?」と尋ねられ、言葉に詰まった。
「まだ決まってない」「よくわからない」と笑ってごまかす度に、少しずつ体の中に水が溜まっていって、そのうち溺死するんじゃないかと思う。
研究室の先生にも自分の悩みは相談していた。でも、先生のアドバイスはもうすでに研究の道でしっかりとキャリアを積んだ後なので、その言葉ばかり信じていられない。
知り合いの博士課程の人に「引き返すなら早めがいい」という言葉ももらった。
親は修士後に就職するものと考えているようで、ときどき就職の話をされる。
もう、自分が本当にしたいことがよくわからない。自分はどうしたら幸せになれるのだろう、と漠然と考える。
さらに、将来の不安で頭がいっぱいになるうちに、どんどん自己肯定感が無くなってきた。
研究室にはよくできる先輩がいて、その人と自分を比べてしまう。もちろん、数年の違いはあれど、自分が同じように研究を引っ張っていけるような院生に数年後なれるとは思えない。比べて、凹んで、ことさら自分が選んだ道は違ったんじゃないかと不安になる。
頭の弱く薄志弱行な奴が、研究者を志望することなんて、恥ずべきことじゃないのかと思う。
上には上がいるのだから、覚悟のない自分はアカデミアには必要ないんじゃないかと思う。
しばらくして死にたくなるほどメンタルがやられて、悩みを抱えながら普通を装うのが辛くなって、研究室にいけなくなった。
でも、これでは親の学費も無駄になるから、と自分で分岐するタイムリミットを決めた。
これから数年の修士のうちに、自分はやっぱり研究に向いてないと思ったら、見切りをつけてもうすっぱり何もかも忘れるつもりだ。
こんな風になると数年前は思っていなかった。昔の自分に謝りたい。期待して応援してくれた友人や両親に謝りたい。
申し訳なく思うのは、院進する前からこんな真っ暗闇にいる人間は研究者なんてやっていけないんだろうと正直諦めているからかもしれない。
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このクソ長いエントリーを読んでくれた人の時間を奪ってしまって申し訳ないです。
何かかける言葉があったらコメントください。同じような状況の方あるいはそれを乗り越えた方はどう考えている/いたか、お教えいただけると助かります。
駅ですれ違う時、同じ車両に居る時。
遺伝子レベルで美しい人が羨ましくて妬ましくてそんな自分の醜さが本当に嫌になる。
10代の後半からダイエットをして、化粧やファッションを一生懸命覚えて、会話を学ぶためにキャバクラや高級クラブでも働いた。
審美歯科に美容外科も行ったし仕事も頑張って大手企業で働けるようにもなった。
でもそれだけ努力したって、骨格や遺伝子レベルで美しい人になんて勝てるわけがない。生まれつきの美人は卑屈じゃない。
私は最底辺から這いつくばってきたからもう泥だらけで卑屈の塊みたいな性格してる。
白くてきめ細かい肌、サラサラの髪、大きな瞳に、通った鼻筋、形のいい上品な唇、ほどよく大きなバストに、女性らしい華奢な体つき。
わたしが何一つ持っていなかったもの。お金をかけて弄らなきゃ手に入れられなかった。
美人が憎い。彼女たちは生きてるだけで私のような卑屈の塊には眩しすぎる存在。
通りすがるだけで胸がぎゅっと苦しくなる。
その中でも結構有名というか、研究内容を言ったら特定される分野なので詳細は省く。
GPAバトルを制し新進気鋭の研究室に入った俺を待ち受けていたのは、今考えても普通に訴訟もんだろというレベルのブラックな「現場」であった。
同業者の方はご存知と思うが、マテリアルというのは日本がかなり強い分野であり企業の注目度も高く、
なおかつ実用度が非常に高いため「金の成る木」としてバイオと並んで世界との競争が激しい分野でもある(らしい)
比較する先が世界なので、当然世界レベルの努力と実績を要求されることは入って知った。
20時間ぶっ続けでサンプル作った実験結果を当日のゼミで発表すると「もうちょっと綺麗に資料作れないの?」とか平気で言ってくる准教授。
真面目で頑張り屋なのにインパクトファクターを稼げずドクターを6年続けて鬱になった先輩。
めっちゃ上から目線で日本国の公的手続きの手助けを求めてくる外人ポスドク。
当たり前だがすべての研究は無償のボランティアであり、どころか金払って受ける教育なのだが、
求められるのは仕事としてのクオリティ。遊びでやってんじゃないんだよ!
頑張って書いた論文のファーストオーサーはもちろん…教授「俺だよ」
いろいろなことに嫌気がさした俺はアカデミックの道を早々に諦め就活を頑張ることにした。
教授からは「好きでやってる研究だろう。好きなことにすら不真面目な君が社会に出てやっていける訳がない(意訳:研究室で奴隷続けろ)」と全力で人格否定を受けつつ、
少子化の影響もあってか、まあまあ有名といえる程度の大手企業にどうにか滑り込むことができた。
今時小学生でもわかるだろというようなレベルの情報処理の授業、
中学生の国語でやるだろというようなレベルのビジネス作文の授業、
あらゆる授業を仕事として受けることになる。もちろんおちんぎんが発生する。
すべての課題を秒速でクリアし、定時より手前で帰る日々がしばらく続く。
あまりに簡単なので研修よりは同期とのレクリエーションが目的なのだろうと勝手に忖度していた。
ある程度の教育を終えると晴れて部署配属となる。部署はSE部隊。
情報系出身ではない俺だったが、趣味でプログラミングはかじっていたし興味もあった。
入ってすぐの仕事はあるシステム(社員が使っている自作ツール)の改修だった。
新卒に簡単な仕事を与えつつ、プログラミングスキルを伸ばしつつ、自分たちの仕事も効率化できる、という上手い采配である。
プログラミングはかじっていたとはいうものの、ゲームを作ろうとして挫折したり、あとはHelloWorldレベルくらいで、
まともに運用したのは精々MATLABのような特殊なものだけ。所謂プログラミング言語で利用者がいるソフトを触るのは初体験だった。
詰まっては調べを繰り返しながらも趣味の延長のような感じで楽しく取り組むことができ、上司の引いた工程の3分の1で完了した。
俺は平静を装いつつも内心歓喜した。
なにせ不真面目学生である俺は教授から駄目出しをくらったことしかなかったのだ。久々に得られた自己肯定感である。
これはいけると判断したのか、同じく社内ツール改修の仕事をいくつか振られる。
片付けていくうち、俺のPCスキルが先輩社員と比べても高い部類にいることに気付く。
自作ツールを社内LANで動かすとファイヤーウォールに引っかかったりなどするが、先輩社員がそれを対処できないのだ。
どうやらそういう感じで動かなくなり、放置されていた部分を俺が解決しているらしい。
だがWindowsのFWの設定なんてNasneでアニメを撮りためたりFPSの海外鯖に接続するようなヒキニートにとっては半ば常識である。
陽キャパリピっぽい先輩が知らなくても無理はないが、SE部隊で長年社会人やっておいてわからないことには軽く失望する。
プログラミングが派遣の仕事とは言っても使役する側に知識がないのではやはり困ると思う。
ちょうどその時、働き方改革とかいう名目で各職場が独自でやっていたシステムを統合し、
各営業所で独自に動いていた勤休登録システムが全社的に統一されることになった。
新しいシステムはUIもモダンで、前のよりぶっちゃけ使いやすくすぐに慣れた。
だが先輩は勝手がわからないらしく、俺が先輩に質問する回数が減るのと同時に、先輩が俺に質問する回数が増えた。
働き方改革の魔手は勤休にとどまらず、いろいろな社内システムが統合されてゆく。
頼られる頻度は増し、頼ってくる相手も先輩だけではなくなってきた。どこから噂を聞いたのか他部署の人からも質問の内線が来るのである。
上司に聞けや。知っとると思うがワイ新卒やぞ?と思いながら(つーか言いながら)回答する。
まあ新しいものには若い方が強いみたいな感覚は理解できるが同期に聞けよ←残念同期からも同じ内容の質問が飛んでくる‥現実です‥これが現実‥!
このあたりで自己肯定感よりぶっちゃけ不信感を感じることが多くなってくる。
確かに中学生以降は家族でも学校でもパソコンに強いニキではあったが、
まさか面接で選抜されたひとだけで構成されている筈の会社でパソコンに強いニキをやるとは思わなかったのだ。
まあそんな人が一人もいないはずがないので、多分、本当に詳しい人はうちではなく客先に居て、かつ忙しいということだろうと思うが。
さすがに面倒に感じていたある時、PukiWikiを社員が編集して公開できる神システムを見つける。
当然というべきか、数年前に何某が色々編集していた痕跡だけを残し、現在は廃墟と化していた。が、サービスは生きていた。
ゲームの攻略を頑張って書き込んでいた時代を思い出しつつ、新しい社内システムの利用法を懇切丁寧に解説するWikiを作る。
上司からは「その辺の社員100人より貴重」「絶対やめないでくれ」的な評価を賜る。
社内ツールの使い方記述しただけで褒められる異常事態に少しずつ価値観が麻痺してくる。
仕様書がないのはもちろん、そもそも社内環境でビルドできない、なんと.NETではないVBである。
当たり前のように1ファイル50kstepを超えるソースがずらずら並ぶ様は威圧感すら感じさせた。
上司を含めて誰もソケット通信が分からない中、元々チャットツールを作ろうとして失敗した経験のある俺は、
先輩が3人×3時間=9工数かけて解決しなかったあるバグをちょいとググっただけで10分で解決。
というようになんかやたらと活躍し、どうにかプロジェクトが終わるころには上司の評価は天元突破した。
地味に詳しい人は他にもいる(外にいて忙しい)ということもわかり推測は当たっている様だった。
会社に入って以降「君は社会ではやっていけない」と言った教授の言葉の信憑性は下がる一方である。
なにせ主観的にはヒキオタがヒキオタっぽいことをやっているだけで褒められるのだ。
募る違和感の中、経団連の会長室にメールが導入されたニュースと、そのコメントを見て気付いた。
俺は異世界転生したのだと。
そう、俺の就職先は、パソコン強いニキが崇め奉られる異世界だったのだ。
自席で堂々とYouTubeを見てたときには流石に上司に苦言を呈されたのだが
「ゼネラリストには情報収集も必要」と言い訳すると「おお…」「さすが村上君だ…」となって許された。(マジ)
ちなみにマーケット調査の名目で業務中YouTuberを見ることを冗談のつもりで提案したら、真面目に検討された。(マジ)
他の人にはありえないが俺だけ許されるところに落ち着くのではないだろうか。
うける。
正直言って危機感はある。
世界と戦うを標榜していただけあって確かに研究室のレベルは高かったと思う。非情報系でもプログラミングはできて当たり前だったし。
この会社は(最近、一定以上大きければどこもそうじゃないかと思うが)半官半民みたいなもんなので、皆どことなくのんびりと仕事をしているように見える。
その結果、当然ながら競争力が落ちる。落ちはするが、会社組織は存続し続ける。
そして存続し続ける会社の中には「異世界」が広がっているのである。
他の会社もそうだと思うが、各地で頑張ってる派遣プログラマーの方がよほど技術力が高い状態。
まあでも転生した側としては居心地いいのでこの異世界に骨を埋めるのも悪くないと思っている。