はてなキーワード: 甲斐とは
鰻を絶滅させないための手法の1つとして買わない事を提唱する人がいるそうだ。
売れ残った鰻が生き返るわけでもないのに…
数年後「我々の努力の甲斐も虚しく絶滅しました!」ってなるオチは見えてるし、あんな美味い鰻がスーパーに並んでたら食べるほかない。鰻を絶滅に追いやっているのは鰻を供するスーパー、鰻屋であり、さらには鰻漁をする漁師である。
死んだ鰻しか拝めない消費者こと我々が買わない選択肢を取っても鰻の漁獲量は減らないし手を打つならもっと上流に働きかける必要があるのでは。
自分から口説いて専属にした嬢なんだから、お払い箱にするにしても恨まれないやりかたってもんがあるだろう
土下座して手切れ金をケチらず払う、新橋でも祇園でもまともな男は妾とも綺麗に切れる
京都の東山の下町には、若かりし妓だったころ旦那に落籍されてから妾として暮らし、最後は旦那ににまとまった金をもらってマンションやアパートの大家におさまっている老婆が数多くいる
若い女の美しい時期を独占するならそのくらいの覚悟と甲斐性持てよ
このヘタレ男はあろうことか途中で音信不通にしてあわよくばフェードアウトしようとした
で、彼女がキレて脅迫すると表向きはヘラヘラしてデート、裏では警察に足繁く通って相談実績作りとか
本当にダサすぎる
ちょうど最近ニコニコでの政党別支持率アンケートが出てたけど、自民が50%超えてた。
ある程度、自力で現在起きているニュースを探せる人間は、野党の不甲斐なさや無茶苦茶さを知って右に傾く。
そのうちの一定割合は先鋭化していわゆる「典型的なネトウヨ」になっていくんじゃないかね。
ある程度以上、自力で色々情報を集める人間は共産主義や自由民主主義への反感をこじらせて左に傾く。
こいつらは自分が努力の末にその思想を得たと言う優越感があるから、
自分達に与しない人間を馬鹿と断じて上から目線でご高説垂れる。
自分で物事を調べず、テレビや新聞から与えられる情報だけ生きている人間が最大層で
付き合いはじめてすこしたった彼女とセックスする機会があったのだけれど、
たくさんキスをして撫で回して指を挿れて、本当のところはわからないけれど彼女は気持ち良さそうにして、イっちゃったと言ってはいて、それを見ていて非常な充足感を得ることはできたけれど、いざというときに役立たずで傷つけてしまったと思う。自分も不甲斐ない。
1日前にデートしたときは手を握っただけでいきり勃ってしまったのだけれどなんでだろう。
2杯飲んだお酒のせい?緊張のせい?普段のオナニーの仕方のせい?ゴムのせい?
あと、想像では、裸をみただけで頭の奥がじんじんするような気がしていたけれど、思いのほか冷静だった。
肌すべすべだなー、思ったより脂肪ついてる、とか、おっぱい寄せていたんだなとか思ったよりも匂いが薄いとか。
とりあえず変な間があくまえに場を設けたいのだけれど、次は失敗したくない。
はてなーの諸先輩方にお知恵を借りたく思うのでよろしくおねがいいたします。
必要な情報などあればなるべく答えていくのでご指示いただければと思います。
幼い頃から、なぜかわからないが親が家事をしているのを見るのが大嫌いだった。
小学校から帰ってきて、玄関から掃除機の音が聞こえると本当に憂鬱になった。
当然家事を任されるのも嫌で、手を抜いたり忘れていたりしては、よく叱られた。
そんな私も大人になり一人暮らしをするようになり、メイドを雇う余裕もないので、家事をしなければならなくなった。
これがまた鬱。甘えんなって自分でも思うんだけどなぜか知らないが鬱々として、泣きたくなり、人生を悲観する。ああ俺にメイドを雇える甲斐性があれば、なぜないのか、仕事がしたい、家事のせいで仕事や余暇に使える時間を無駄にしてる!と謎の怒りの気持ちすら湧いてくる。
本当はこうやって増田で愚痴ってる時間が無駄で、生活の基礎である家事は無駄ではないはずなのだが、なぜか脳はそう認知してくれない。やはり鬱なのかもしれない。
とにかく家事が嫌すぎて徹底的に避けている。
洗濯の面倒な服は着ない
ルンバを使えるマンションの引越してとにかくものを置かないよう気をつける
これでかなり楽になった。
そんな私だがなぜか買い物と料理だけは好きだ。
■妹にまつわることを思い付くまま箇条書きしてみる。
■妹は15才年下。
■妹ができたことはうれしかったけど、40代で子供をつくった両親の「頑張り」が、当時は何とも気恥ずかしかった。
■私は大学進学と同時に一人暮らしを始めたので、妹と一緒に暮らしてたのは4年足らず。
■私が実家を出た時、妹はまだ3才。
■妹の赤ちゃん時代の可愛さは異常。なんだあれは。毎日、学校から帰ってくると、とてつもなく可愛い存在が家で待ってた。あの日々!奇跡!
■おかげで私は反抗期というものを経てない。妹をかわいがっているうちにその時期をみすみす逃してしまった。くやしい。父親に悪態をついたりしてみたかった。
■上京してからは、妹と会うのはお盆と年末年始だけになった。会う度に彼女の成長ぶりに驚かされた。
■「あの子、あんたのせいで大変よ。変なものにかぶれちゃって。大丈夫かしら、今からあんなにマニアックになって....」
■実家では妹が私の部屋を受け継いでた。部屋には私の本やCDやDVDが大量にあった。妹はそれらにひたすら耽溺していたようだ。
■実際は少しもマニアックではないんだけど、母にはそう見えたんだろう。まあ、なんと言っても私と妹は年齢差が15もあるのだ。母の心配もわからなくはない。
■中1になると、すでに妹はかなり仕上がってた。好きなバンドはジザメリ、グレイプバイン。好きな作家は倉橋由美子、多和田葉子。好きな映画監督はクロード・シャブロル、ウディ・アレン。
■大丈夫か、妹よ。クラスのみんなと話は合うのか? 友達はいるのか?
■当時、実家に帰ると、妹はとりつかれたように本や映画や音楽の話をしてきた。もはや私より詳しくなってた。子供の吸収力、おそるべし。
■中3に進級してすぐ、妹に危機が訪れた。不登校になってしまったのだ。またしても電話で母から伝えられた。理由は母にもわからなかった。
■結局、妹は1学期、最初の数日しか登校しなかった。そのまま夏休みに突入。
■ついでにいうと、当時は私もピンチだった。ろくに先のことも考えず、勢いで会社を辞めてしまったのだ。
■私は30才になろうとしてた。ちょうど妹の倍だ。倍なのに、やってることはそう変わらない。反省。
■無職&不登校。最低な姉妹の誕生。とりあえず何か記念が欲しいと思った。
■不登校真っ盛りの妹をサマソニに誘ってみた。出演者のラインナップがかなり私好みだった。そして私好みということは、妹にとってもストライクなはず。
■案の定、妹は私の誘いに飛びつき、前日に上京。私のアパートに宿泊。
■夜、私は妹と布団を並べて寝た。ついこないだまで赤ちゃんだったのに、もうあまり背丈が変わらない!
■お互いに心細い身の上だった。姉は無職で、半年先の家賃も危うい。妹は中3という大事な時期に不登校。泣ける....。
■にもかかわらず、2人でサマソニ!そのボンクラ加減がなんか笑えた。 何とかなるんじゃね?という謎の開き直り。
■妹はフェスどころかライブ自体が初めてだった。しかも、いちばん好きなジザメリが出るのだ!
■当日、お昼前に会場入り。妹は、はしゃぐのを通り越して、なんだかずっと茫然としてた。「大丈夫、疲れた?」と聞くと、「全然平気、なんか楽しすぎて....」と夢遊病者のようにつぶやく妹。最高!連れてきた甲斐ありまくり!
■妹はジザメリが出てきた瞬間に泣き出し、ライブ中もずっと泣いて、帰りは放心状態だった。「人生でいちばん楽しかった」というので「大げさ!」とつっこんだ。
■とりあえず、15才の妹に何か特別な経験が刻まれたのを、姉はしっかりと見届けた!
■妹はそれから2日間、私の家に滞在した。一緒にとしまえんプールに行ったりした。
■妹は大いに楽しんで帰郷。そういえば、不登校の話とか、姉としてのアドバイスとか、一切しなかった。そもそも学校の話をしなかった。でも楽しんでたし、まあいいかとむりやり納得。
■2学期、妹が学校に通い出した!母が電話で泣きながら喜んでた。
■私もどうにか転職に成功。そこで今の夫と出会う。ちなみに妹は私の夫をふざけてカスガさんと呼ぶ。オードリーの春日に似てるからとのこと。夫は本気で嫌がってる。
■娘かわいい!
■でも、今度は自分が母親。可愛いだけじゃ済まなかった。めちゃくちゃ大変な日々だった。
■妹が赤ちゃんだった時、もっと色々と家の事を手伝うべきだったと本気で反省。
■娘が4才になる頃まで、妹がまめにうちに来て育児の手伝いをしてくれてた。本当に助かった。感謝してもしきれない。
■そんな妹が、来月、結婚するんです!
自分より遥かに若い男性と結婚したいという女性って、昔からレア過ぎて
敢えて叩くような対象ではない(そういうのがいると想定されていない)と思うけど…
ルミ子とケンヤみたいなのも、うらやまけしからん!なんて女性は皆無で
珍種扱いしかされてなかったし
先ずことの経緯を説明する。
去年の夏頃に住民税を滞納していたことから給料を差し押さえられた。
そして、会社との折り合いも悪くなり7年ほど勤めていた会社を年末にやめた。(派遣だけど)
まあ自業自得なのでしようがない。
そこから半年どうにかこうにか食い繋ぎやっとこさ長く勤められそうな会社に入社した。(派遣だけど)
ことの経緯をすべて話し給料差し押さえ額に相当する分は返済するので会社には連絡しないで欲しい旨を伝えた。理由はまた離職する羽目になるとたまったものではないからだ。
いくら困窮しても生活保護は受けずに頑張ろうと考えていた。新しい仕事にやる気も湧いてきていた。
これなら返済まで頑張れると思い相談したのに、流石にそれはないだろ、とキレそうだ。
あなた方は滞納している税金を納めて貰うことが仕事ではないのか。アホなの? と今回の一件で切に思う。
最初の一件は、まあしようがない。
ただそれをきっかけに返済が不可能な状態が半年も続いたのだから悪手であることは明らかだろう。
腹がたつしなんかやる気なくなった。これで仕事またやめることになったりしたらもう探せる気もしない。気力的に。
ただあなた方が市民のやる気を無駄に削いでどうするのか…、そんな方法で滞納している分を取り立てられると考えているのか。
こんな方法では返済するよりも死ぬか生活保護を受給することになる方がはやい。
こんなケースで死んだり生活保護に陥ったりしている人をみたことがないが、実際は多いのではないかと、今回の自身の経験より感じた。
つまりは、もう少し慎重になった方が良いのではないだろうか。
それだけ。
「お酒飲みながらしゃぶるのがうみゃあで」 サントリー「コックゥ~ん!」CMに「下品」「下ネタ」と批判相次ぎ公開中止へ
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1707/07/news096.html
この記事のブコメを見ていると、なぜこのCMが炎上したのか理解できていない人がいるようなので、ここに解説を書いておく。
まず、誤解している人がいるが、このCMは単にエロいからとか、下ネタだから炎上したわけじゃない。
このCMが燃えたのはそんな表層的な部分じゃなくて、シチュエーションの構造そのものだ。
このCMは地方でたまたま知り合った女性と居酒屋で飲む、というものだ。
女性は積極的に近づいてきて、甲斐甲斐しく料理を奨めたりする。これだけなら何ともないだろう。
だが、そこに「二人っきり」「彼氏と別れた」というフレーズを入れてきて、性的な匂いを出してくる。そこへ性的な語句と被せたフレーズを入れてくるのだから、これは「出張できた地方でワンチャンあるかも」というおっさんに都合のいい妄想を描いた映像でしかなくなるのだ。
資生堂のCMが以前燃えた。最近だと下心丸出しで女性にLINEしてくるSNSおじさんが燃えている。
今はこういう「おっさんの妄想」「おっさんの下心」は可燃性しかない。
「下心丸出しの妄想を外に出すな、気持ち悪い」ってわけだ。要は気持ち悪いのだ。それ以外にはない。
サントリーのCMではさらに女性が「え、一流企業」と言ったあと、しなを作ってカメラ目線になる。これは致命傷だ。
以前白人ナンパ師が「日本人なんてピカチュウと言っておけばヤレるぜw」と言って燃えたが、これと同じ構造だ。
「地方の女性なんてエリートサラリーマンが東京からきたらイチコロだぜw」と言っているの一緒だ。
「地方の女性なんて有名な会社名出せば色目使ってくるだろw」っていう蔑視が含まれているのだ。
こうなったら「女をバカにするな」という反発がきて当然だ。
「そんなところまで読み込めない」という人は、それが鈍感なふりをしたマウンティングじゃなければ、それはあなたが映像を読み取る力が弱いだけだ。
家じゃTVがついていて、外でもYouTubeやInstagramを見る現代人は、写真や映像から読み取る力に長けている、というただそれだけの話だ。
そして、女性は「ワンチャンあるかもオジさん」からのアプローチをリアルに受けているので、そんなものを助長するような映像を広く流さないでくれと言っているのだ。
そうなると「嫌なら見なきゃいい」という話には収まらない。「そういう価値観を広めるのはやめてくれ」という話なので、中止してくれ、という要求も出てくるのだ。
「自分はぜんぜんエロいと思いませんでしたよ。あなたは欲求不満なんですね」なんて嫌味を言うやつもいるだろう(現にブコメにいる)。一生言ってろ。今の時代はそういう価値観は可燃性があり、批判が集まるというだけだ。その現実は動かしようがない。
せいぜい自分が無意識にその価値観を丸出しにして、炎上しないことだな。炎上したら会社に損害は出るし、最悪クビになることだってある。
「そんなのは間違っている」と思うかもしれない。でも、どんなにおかしくても、事故が多発するカーブにきたら、減速しないと危険だ。おかしいからといって減速せずに突っ込むのは対策でもなんでもない。死を招くだけだ。然るべき対策はしっかり減速して曲がったあとにやるしかない。
おっと、この場合の「死」は社会的な死って意味だよ。メタファーがわからない人には、ちゃんと文字にしとかないと通じないからな。
標榜する程確固たるそれではないけれど、原則的に明るい展望のある世界ではないって認識は持っているから、生まれてくる人には悪いなあと思っている。
子育てがしたかったんだよ。お母さんをやりたかったし、お父さんするお父さんを見たかったし。そのために引っ張り出されてまあ君はいい迷惑だよな。ごめんなさい。これはもう人生最大級のわがままだと思うので、できるだけ君が辛い目を見ないよう善処したり祈ったりすることを約束します。それでもカバーできないこともあるかもしれないけど…。なんとか君に出てきた甲斐はあったなと思ってもらえるように力を尽くしたい。
大局的に明るくはない世界だし、生きてくのは割と難しいけど、それでもここはまあまあいいとこだよ。ゆっくり育って出ておいで。会うのを楽しみにしてる。
私に似てしまうと多分そこそこ生きづらいとは思うので、選べるようならお父さんに似たほうがいいな。私に似ちゃったら…助言してあげられることはあると思う、がんばろう。
私は平成2年生まれで、日常的にまとめサイトを見るようになったのは高校生の頃。
そのころハム速はまだVIPのクソスレや釣りスレを纏めてた牧歌的なサイトだったけど、痛いニュースとか、保守速報的なネトウヨまとめが台頭してきたころでもあった。
たぶんこのころ、2008年くらいが「2chまとめが市民権を得つつあって」、「同時に韓国や中国へのヘイトが高まり始めたころ」だと思う。「売国」の民主党への政権交代がこの翌年。
私は日韓W杯の八百長とか韓国起源説(笑)とか在日特権を「糾弾」するまとめサイトを見て韓国ヘイターなネトウヨになり、思春期をネットDE真実に捧げて暗い青春を送った。
大学生になって、自制的内省的な年齢になったとたん、ネトウヨとしての暗い情熱(というか洗脳)は掻き消えたんだけど、もう少し若い時分にネトウヨにかぶれてしまっていたら、今でも私は変わってない気がする。
何歳の時にネトウヨ文化に触れるかってその後ネトウヨを卒業する年齢に大きく関係していると思っていて、Facebookでいまだに年甲斐もなく韓国ヘイトしているおっさんは、自分の価値観が変容しない、凝り固まった歳でネットDE真実を見つけてしまったから今でもそれを続けているんだと思うし、あのころ何歳だったかでネトウヨとの距離がある程度決まる気がする。
アスペルガー症候群、つまり発達障害(診断済み)だけど手帳は取ってない。
大学卒業後は一般枠で3年ほど働いてとくにトラブルはなく順調だったが、
今年の冬から仕事内容と人間関係が変わってからミスが続発して、だいぶ参っている。
環境が変わる前の上司も後の上司もアスペの事に理解が無く、それとなく自分がアスペである事を話たのだけど、
「そんなん俺にも当てはまるわ」「君が考えすぎているだけやで」とあしらわれ、流されてしまった。
社員も年齢層高く、発達障害のようなメンタルの事をよく知らない世代が多いのもあると分析している。
環境が変わってから、自分なりに努力して改善はしているけどマニュアルの内容がよくわからないことが多く、
そのことを質問しては上司を「そんなこともわからないのか」という態度にさせて申し訳なくなって謝り、
連絡の内容の理解ができなくて何度も確認をすれば怒られて謝り、その過程でもミスをしていて謝り続けて疲れた。
規模がそこまで大きい勤め先ではないので、未だに後輩が入ってこないのでいつまでたっても立場は下。
「すみません」「申し訳ありません」「申し訳ございません」と書いていて
朝起きれば、また今日も謝って既読がつくのかと思うとうんざりする。
でも、ここでミスが多いのはアスペのせい、発達障害のせいだと伝えても無意味どころか、
そしてなにより、私自信が自分のミスや失態をアスペや発達障害のせいにする事に
すごく後ろめたさ、卑怯さを感じているのがつらい。
親の教育が厳しく、迷惑をかけてはいけない、当たり前のことができるべきだとよく言われたのに、
迷惑をかけやすく当たり前のことが出来ないアスペだということが判明してから、尚更辛い。
こう書いている間もまたLINEで公開長文説教が来るのを見ていると憂鬱だ。
長文の説教を書かせて上司の貴重な時間を奪っているのがこの私自身というのがとても不甲斐ない。
…乱文すみません。
正直就活はうまくいっていない。
なにぶん話すことが苦手なものでね。
そして面接ではことごとくうまく話せず、お祈りされる日々。
1対1の面接が多く、大体20分位は質問されるんだが、早いところで10分とかで終了してくるところもある。
そんなにあからさまに落としてくるくせに、最後に質問はありませんか?って言ってくる。
だめだったらだめって言ってくれよ。ダメなところの一つくらい指摘してくれても良いんじゃないか?
落とす就活生こそ丁寧に送り出すってのはわかるけどさ、それよりも正直に思ってること言ってくれたほうがまだ印象いいよ。
社内で稟議にかけるまでもなく落とすレベルだった面接でも、笑顔で送り出してくる。ムカつく。それにもまして自分が不甲斐なくもあるが。
1社だけ、正直に自分の悪い箇所を指摘してくれた面接官がいたが、その企業の方がよっぽど印象はいい。
私には憧れの女性がいる。彼女は仕事が出来て、学があり、身なりもきちんとしている、ものすごく立派なキャリアウーマンだ。
一方の私は、仕事は普通で、学もなく、身なりは気をつけているけれどもブランド物の服は持っていない。
時々思う。なぜ、私は彼女ではないのだろう?と。
私は貧しい家に生まれた。うちは貧乏なんだから我慢しなさい、と物心ついた頃からいつも口すっぱく言われていた。
ご飯は少なく、着るものも誰かのお古で、本を買ってもらうのは絵空事でしかなかった。
それは、都会の大きなビルでバリバリ働く女性になって、一生仕事を続けるんだ、という夢だ。
田舎に生まれた私にとって、大きなビルは摩天楼、そこで働く人は天上人のようだったのだ。
けれども、そんな夢を叶えるには何が必要なのか、私にはわかっていなかった。
私の学校の成績は悪かった。両親からも勉強しろと言われたことはなかった。そのまま勉強せず、中学の同級生のほとんどが進学する地元の不良高校に進学した。
高校では中学からの持ち上がりの友人たちとバカやって楽しく過ごした。
そして就職用の進路指導が始まり、先生にどんな仕事がしたいのか訊かれた。
そこで私は、子供の頃からの夢を語った。都会に出て、大きなビルでバリバリ働ける仕事がいい、と。
私はその夢を非現実的なものだとは思っていなかった。高校を卒業したら働くというのは私にとっての現実だったし、ならば都会のビルでキャリアウーマンになるのがいいと思っていた。
お前の成績で大学に行くのは無理だ、と言われて混乱した。
私は大学に行きたいんじゃなくて働きたいのに、なぜ大学のことを言われるのかわからなかった。
そう言ったら先生は、なんだか可哀想なものを見るような目でこちらを見て来た。
そしてこう言ったのだ。
「都会の大きなビルでキャリアウーマンになりたいんだったら、勉強をしていい大学に行かないと無理なんだよ」
と。
私はその言葉にものすごくショックを受けた。そんなこと、誰も教えてくれなかった。
私の夢は働くことで、そりゃお医者さんや先生になるには勉強をしなくちゃいけないけど、そういう特別な仕事以外は普通にしていれば成れるものだと思っていた。就職をする段階で、普通に都会の大きなビルの会社を選べばいいだけだと思っていたのだ。
家に帰ってから、そのショックを素直に両親に話した。そうしたら両親はこう言った。大学に行かせるようなお金はない、働くなら都会の大きなビルじゃなくてもいいじゃないか、と。
一旦はその言葉に納得して布団に入った。けれども、どんどん納得しきれない思いが生まれて来た。小さな頃からの夢がこんなことで叶わなくなってしまうのは許せない、そう思った。
誰も教えてくれなかった、誰も学歴が必要だなんて教えてくれなかった、学歴なんて意味がないという言葉は嘘だった。
幸い高校に入ってからバイトして貯めたお金がそこそこあったから、入学代にはなりそうだった。後の学費はバイトと奨学金でなんとかすればいい。
そして猛勉強を始めた。進路指導の先生は親切で、今まで勉強をしてこなかったバカな自分に、たくさん勉強を教えてくれた。どのくらいの大学に入れたら大きな会社に入れるかの相談にも乗ってもらった。その大学に入るには、何を勉強するのが効率がいいのかも教えてもらって、私は言われたことをひたすら勉強した。
その猛勉強の甲斐があってか、奇跡的に現役で大学に受かった。うちの高校では、このくらいの大学に入るのは数十年ぶりのことらしかった。
とにかく嬉しかった。あとは無事に大学を卒業すればいいだけのはずだった。
両親が言っていた、大学に行かせるようなお金はない、というのは本当のことだった。だから、奨学金に申し込み、バイトをいくつか掛け持ちして、なんとか大学に通っていた。
でも、大学に入ってとてもびっくりしたのは、周りの人がとてもお金持ちばかりに見えることだった。
身なりがきちんとしていて、親から仕送りをもらって、学費も払ってもらってる。
子供の頃、親に「うちは貧乏だ」と言い含められてもどこか信じていなかったが、大学の同級生達を見ると、その言葉が本当だったのだと思い知らされた。
特に、学祭のミスコンに出ていた同級生はとてもキラキラして見えた。
私はこんなに苦労しているのに、この差は一体なんなんだろう?そう思うと勉強もあまり手につかず、私はどんどんひがんでいった。
そんなある日、事件が起こった。バイトで結構大きな怪我をしてしまったのだ。大学は休学せざるを得なくなった。
それだけで詰んだ。
大学は休学するのであっても学費の納入が必要だ。でも、怪我のせいでバイトにはいけない。奨学金も休学中には出ない。
だから、退学せざるを得なかった。
後には、奨学金という名の借金と、叶わなくなった夢のカケラだけが残った。
怪我が治っても、私は無気力だった。今まで一体なんのために、そんな思いが心を支配していた。
だから、とりあえず誰にでもできそうな仕事に適当に見つけた。そして毎日の仕事と、毎月の返済日には虚しくなるのを繰り返していた。
大きなビルのメール室を回って、荷物の授受をするのが仕事になった。
子供の頃に憧れた都会の大きなビルに足を踏み入れる機会をついに持った、と思いはしたが、それを無邪気には喜べないくらい私は消耗していた。
それに実際仕事を始めて見ると、配送屋というのは大きなビルの裏口から出入りさせられるのだ。
でもある日、私は再会してしまった。
大きな封筒を持って慌ててメール室に飛び込んできた女性は、大学時代にミスコンに出ていた同級生だったのだ。
彼女は、もう帰ろうとしていた私に、これもお願いします、と大きな封筒を差し出してきた。
私の顔は覚えていなかったらしく、それだけで去って行った。
私は思わず、私はその会社のメール室の人に、今の〇〇さんですよね?と訊いていた。
メール室の人は、よく知ってるね、優秀なので有名な人だよ、と答えてくれた。
どこで知ったの?と訊き返されたけれど、昔遊びに行った学祭でミスコンに出てて綺麗だったから覚えてた、とだけ答えた。
同じ大学にいたんだ、とは、なぜか言えなかった。
ビルから出るとき、普段はしないけれども正面口にちょっと回って、ガラス張りの高いビルを見上げた。
これは子供の頃に夢見ていていた大きなビルそのものだ。そこで彼女はどんなふうに働いているのだろう?私が夢見た通りに働いているのだろうか?
そして考える。なぜ私は彼女ではないのだろう?と。
最初から何もかも違っていたとは思う。それでもいっとき肩を並べたはずなのに、またこうして何もかも違ってしまった。
でも、最初から何もかも違っていたのはただの運の問題ではないのか?
けれどもそうはならなかった。そうはならなかったんだよ。