はてなキーワード: 毎日とは
今さっき郵便物が届いた。
「雨の中ありがとうございます」
って言ったら
「ご指定の時間より少しだけ早いんです、すみません。ちょっと雨止んできましたよ」
ってニコニコ笑顔を向けてくれた。うーん、とってもとっても嬉しいなー!
このネットの時代に毎日毎日配達してくれて、雨でも雪でも強風でも荷物重くても頑張って仕事をしてくれたら本当にありがたい!ありがとうー!いつも思ってる。
本当は全ての配達員さんにニコニコ笑顔で感謝を伝えて労いたのだけど、増田女なもんでトラブル怖いし怖い話ばっかり聞くので男性配達員さんにはマスクして極力話さないようにしてるんだよね。ドア開けちゃってるからこわいし。
今年で25歳になる、脳性麻痺の四肢体幹機能障害。身体障害者手帳持ち。
障害者雇用で官公庁の正規職員に滑り込んだら、1年目の冬に爆速でうつ病を発症した。薬を飲みつつ何とか仕事には行けているから、精神障害者手帳は持っていない。休職経験もない。
月に3万円を入れることと、飼っている犬の散歩をすることの2つを条件に実家に寄生している子供部屋おばさんだ。何故か犬が私としか散歩に行かないので、犬が死ぬまでは実家の世話になろうと思っている。
普通に歩くことはできるし日常生活にもほぼ支障はないけれど、体幹障害のおかげで階段を自力で降りることができない。手すりがあれば何とかなるが、なければ段に腰掛けてケツでずり下がりながら降りるという奇行を披露する羽目になる。
バスや電車なんかの床が揺れる乗り物で立っているのもダメだ。吊革や手すりを持っていても必ずバランスを崩して転び、人間ドミノ倒しを開催してしまう。ヘルプマークをつけて優先席に座っていると乗客の視線が痛いけれど、周囲の安全のために許してほしいと密かに思っている。
ついでに言うと、某バラエティ番組の運動神経悪い芸人が泣いて逃げ出すレベルで運動ができない。
さて、ここで本題に戻る。
私には5歳下の妹と9歳下の弟がいる。どちらも心身ともにハンディキャップのない健常者だ。
奴らは物心ついた頃から「姉ちゃんにひとりで階段降りさせちゃダメ」というのが常識になっていて、一緒に出かけた時に手すりのない階段に遭遇すると当然のように手や肩を貸してくれる。私がうつを発症してからは、自主的に精神疾患の勉強をしてこまごまと気遣ってくれるようになった。
2人ともとても優しい子に育ったなと思うし(弟なんかはほぼ10歳離れているので、気持ちの上ではもはや親目線だ)、こちらとしても大変ありがたいことだが、昔からどうにもそれが苦しくて仕方がない。
あらゆるハンディキャップやマイノリティに関して「理解を、助け合いを」と叫ばれる社会になった。私は妹と弟にに助けてもらったことは山ほどあれど、奴らを助けてやれたことなどひとつもない。これでは助け合いでも何でもなく、ただの一方的な寄生だ。
Twitterなどで、所謂きょうだい児の方々の投稿をよく目にする。
私は妹と弟を苦しめていないだろうか?知らず知らずのうちに、奴らの人生の可能性を狭めてはいないだろうか?
奴らは「姉ちゃんには手を貸すのが当たり前」と思っているようだが、その「当たり前」がなければ、もっと自由に生きられたのではないだろうか?
先日、高校から進路希望調査を貰ってきた弟に「家出ないの」と聞いてみると、「えー嫌だよ、だって姉ちゃんと一緒に野球見に行けなくなるもん」と返された。
私自身はいつ自分の状態が悪化するか分からないから、結婚もしないし子供を作るつもりもない。自分の子が滑り台に登るとき、後ろについて守ってやれない人間に親になる資格はないと思っているからだ。
だが、そのぶんの負担が妹と弟に降りかかり、無意識に「家を出て一人暮らしをする」という選択肢を最初から抹消しているのだとすれば、奴らがヤングケアラーになっていて、自分が本当に生きたい人生を歩めないでいるのだとすれば、それをどう償えばいいんだろうか。今の私には分からない。
奴らは今のところ、仕事から帰って寝込んでいる私のベッドの傍に毎日必ずやってきて、その時喋りたいことを喋りたいだけ喋って、1時間くらいすると満足して自室へ帰っていく。だから、たぶん嫌われてはいないんだろうなあと思う。
でも、私のせいで彼らが広い世界を知るチャンスを逃しているなら、それはとてつもなく恐ろしくて、取り返しのつかないことだとも思っている。
私が生まれて来なければ良かったのかな。
他に吐ける場所がないのでここで自分語りを書き散らした。長い上に推敲も何もしてないから読みづらいと思う。
子供が小さいときは特に、家事育児仕事までしてると毎日疲れてて性欲0になってしまう女性は多い。子供が2人以上だったりやんちゃな子だと更に。
日本経済新聞にあるけれど共働きで6歳未満の子供がいる家事関連時間は、一日あたり夫1時間57分、妻6時間32分なので(2021年総務省の社会生活基本調査より)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2092H0Q3A720C2000000/
たとえば夫が夜遅くまで仕事という理由がないのに偏りがある場合は、その不満感と疲れからセックスレスになっている妻はいるだろうし
不満が少なくても体力がなければ疲れて無理となっている女性もいそう。(セックスより精神の回復や体力回復がしたくなる)
これが原因のセックスレスでは家事育児を旦那がガッツリ手伝うと女性の性欲にまわす体力も多少復活するはずなので、もし試してなかったら試してみた方がいいかも。
私が欲しくないのにね!!!
結婚して約半年、旦那に「子どもが欲しい」と言われた。正確には、私に対して「子どもが欲しい?」という問いかけだったけど。
これを聞かれたとき、わたしはめちゃくちゃ驚いた。というのも、旦那は子どもが欲しくない派だったからだ。
結婚をする前、付き合っていたときにも、「子どもが欲しい?」と聞かれたことがある。私は「相手が欲しいなら欲しいけど、欲しくないなら別にいらないしそこまでではない」と答えた。これは私の本心だった。私の答えに対して、旦那は「自分は欲しくないかな〜」と言った。なので、私たちは子どもを作らず、二人で暮らしていくものだと思っていた。
旦那に「子どもが欲しい」と聞かれたとき、私はびっくりして「〇〇(旦那)は欲しい?」と聞き返してしまった。質問に質問で返すな。
旦那の答えは「いてもいいかな、楽しいと思う」的なものだった。それに対して、私は「〇〇が子育てをできる気がしない」と最悪な返事をしてしまった。でもこれも私の本心だった。
旦那は絶対に子育てができないと思う。旦那は私からすると良い男だし良い夫だ。でも、良い父親にはなれない。
私の中の親のイメージは、子どもが最優先だ。実際私はそうやって育ってきて、両親は私たち子どものためにあらゆることを犠牲にしてきたと思う。お金や時間、趣味、仕事、そういったものを全て子どもに合わせられるかどうか。旦那がどうかはともかく、私にはその覚悟や気概はない。
旦那に子どもが欲しい話をされて一番驚いた理由は、私に選択肢があると思っていたからだ。本当に最悪、最悪な女。
旦那は子どもがいらないと思っていたから、ずっと一人で悩んでいた。私が欲しいと思えば産むだろうし、私がいらないと判断したら二人で暮らしていく。勝手にそう思っていたし、結局「いらない」という結論に至って、子どもがいない人生を歩もうとしていた。
当たり前だけど、子どもの有無は一人で決めるものではない。それが分かっていなかった。あまりにも愚か。そして、旦那に子どもが欲しいという話をされてから1ヶ月以上経った今も、結論を出せずにいる。
子どもが欲しくない理由は大量にある。一方、欲しい理由は片手で数えられるほどしかない。この時点で、私は子育てができないと思う。
私の人生において、父親の存在はかなり大きい。父親は、常に私たち家族のために過ごしていた。
だから、昔から漠然と、もし私が子どもを産むとしたら子どものために人生を捧げられる人が父親であってほしいと思っていた。時間やお金、生活、趣味の全てを捨ててでも子どもを優先できる人。子どもが大好きで、子どものために生きられる人。
後述するけど、私は子ども自体がそこまで好きではなくて、多分普通の母親にはなれるだろうけど、並以上の愛情を注ぐことはできない。せいぜい一人分が限界だ。だから、私以上、せめて私と同じぐらいには愛情と手間を注げる相手でないと子どもは作れない。愛情が足りなくて子どもを不幸にしてしまうという強迫観念を持っている。
それでも、私は幸せに生きてきた。家族からの無尽蔵の愛情と、友人に恵まれたのと、勉強が得意だったことが主な理由だ。
子どもに遺伝した場合、子どもは幸せに生きていけるのかという不安がある。家族からの愛情は私たちで頑張るとしても、友人をはじめとした人間関係や学習能力はほとんど運だ。もし子どもが「産まれてこなければよかった」と言ったら、私にはかける言葉がない。私が原因だからだ。
私はとても自己中で、自分がしたいときにしたいことをできない状況が許せない。眠いときに寝たいし、お腹が空いたときに食べたいし、出かけたいときに外出をしたい。仕事は気分が乗ったときに取り組みたいし、お金は自分のためだけに使いたい。
幸いなことに、今は上記の願いが全て叶っている。自分の努力で望む仕事に就いたのと旦那の理解の賜物だ。
子どもができるとこれら全てが失われる、と思っている。子ども中心になって、子どものための生活サイクル、外出、出費。きっと私は耐えられない。私はまだまだ自分の人生を楽しみたいと強く思う。子どもの人生を優先させる未来が想像できない。よく「子育ては自分の人生の追体験」と聞くけど、私は自己中だしまだまだ自分が主役で生きていきたい。この座は譲れない。
そもそも子どもが嫌いという大きな理由がある。特に中学生以下が嫌い。
私はかなり器が小さくて、子どもだからという理由で許せることが少ない。子どもに手をあげそうな気すらしている。イヤイヤ期や反抗期を耐えられるわけがないと思っている。
「子どもが嫌い」というと「自分も子どもだった時期があるのに?」と言われることがある。そう言われてもと感じる。おじさんは、自分がおじさんだからという理由でこの世のおじさん全員を好きになれるのか?
あと「自分の子どもは可愛いから大丈夫」とも言われる。そう感じる人もいるだろうけど、じゃあ仮にそう感じなかったときはどうすればいいんだろう。やっぱいらない、ができるわけもないのに。
これが一番大きな理由かもしれない。とにかく産みたくない。自分のお腹の中に別の命がいるのが気持ち悪くて本当に無理だ。しかも1−2ヶ月ならまだしも10ヶ月も…?
私は痛みにかなり弱い。少しでも頭痛がするとすぐに痛み止めを飲むし、病院での治療や検査は全て麻酔ありを選択する。でも、出産は痛みありきの行為だ。無痛分娩も痛みはあるし、妊娠中も不調や痛みがつきまとう。
妊娠の何もかもが嫌で、自分が子どもを産む可能性を想像すると、まず妊娠への嫌悪感でつまずく。
本当に最悪な話なんだけど、正直自分が男で相手が産んでくれるなら、子どもは欲しい。最低!このわがまま女!
私は自分の精神を安定させたいという気持ちが人一倍強い。自分の努力と行動の結果、今の生活は最高に幸せ。嫌なことを排除して排除してやっとこの状況に辿り着いたのに、子どもができると全てが崩れ去る。そうなったときに、自分の精神が安定しているわけがない。不安定でぐちゃぐちゃで、死にたいと思うだろう。
子どもを産むと、もう後戻りはできない。絶対に今の生活には戻れない。まだまだ今を満喫していたい。
あと、仕事を休みたくない。仕事が好きというより稼いでいる自分が好き。私の精神の安定には十分なお金が必要で、旦那の給料に頼って暮らす生活をするときっと自分を嫌いになる。100歩譲って、産んだあとに相手が育休を取って私が変わらず働くなら、もしかしたら子どもが欲しいと思えるのかもしれない。
子どもが欲しい気持ちも少しだけある。理由は、親に孫を見せたいという気持ちと楽しいと思える可能性があるという気持ち、これだけだ。
親は、孫を楽しみにしている。私に直接言うことはないけど、薄々伝わってくる。
兄弟が結婚して子どもができれば、私が子どもを欲しいと思うことはなくなる気がする。もちろん、兄弟には絶対に言わないけど。結婚するもしないも、子どもを作るも作らないも本人の自由で、周りが触れることではない。
子どもができると、なんやかんや「子どもがいて楽しい」と思うんだろう。
でもそれは、子どもがいる自分を無理やり肯定したいだけではないか。今が不幸1・幸せ10の人生とすると、自分は子どもができると不幸100・幸せ60になる気がする。幸せも増えるけど、それ以上に不幸が増える。
絶対量ではなく相対量で判断する価値観を持っているから、増えた幸せよりも増えた不幸に執着してしまいそう。
ただの予想だけど、本当は旦那も子どもが欲しくないのではないか、と思う。
旦那からすると、人と暮らすようになり自分の人生に他人が入ってきた。その結果、年収が増えたり生活が整ったり部屋が綺麗になったり食事が出てきたり風邪を引かなくなったりなどのメリットが手に入った。お互い完全別家計、趣味は不干渉で暮らしているから、ある程度の自由もある。
子どもができたら、もっと良い生活、楽しい生活になる、そう思っている気がする。
でも実際は、お金が減るし部屋は汚くなるし子どもの風邪が移るし自由も無くなるし、デメリットがたくさんある。あくまでも私から見てだけど、それを理解していないように感じる。
デメリットをちゃんと知ると、結局子どもが欲しくないと思うのではないだろうか、と勝手に予測している。本当にどこまでも勝手な女。
私の努力もあり、今の人生には辛いことがない。例えるなら、毎日海を見てのどかに暮らすような生活。定年後のような暮らしをしている。
子どもを持つことは山を登るようなものだと思う。厳しい道でしんどいこともあるけど、時折見える絶景や頂上という目標への道のりに楽しさややりがいを感じるのだろう。大変だけど喜びも多い、そんな日々。
普通の人の生活は、私からするとマラソンのように見える。コツコツと走って、辛いときもあれば楽しい瞬間もある。会社の人に怒られたり失敗したり、目標を達成したり褒められたり。
どうせ走るなら山を登りたい、と山登りに惹かれるのかもしれない。
私は海辺をのんびりと歩いているような日常だ。気分でなければ歩く必要もなくて、座って綺麗な景色を見ている。周りには誰もいなくてこの過ごし方に対して嫌なことを言われることもない。
そんな状態で山に登ろうと言われても、なんで?と感じる。もちろん山にもいいところだろうけど、わざわざ登ろうとは思えない。
それに、一度登ると今の生活には戻れない。息を切らして山を登りながら、「海に戻りたい」と二度と戻れない生活に想いを馳せ続ける人生は、私からするととてつもない地獄に思えてしまう。
まとめると、私には何も覚悟がないのだと気づいた。これを書きながら子どもが欲しくない理由ばかり思い浮かぶし、頭の中にはマイナスの考えばかり漂っている。
子どもが欲しくない理由も、全てが幼い。自分自身が成熟しきれていなくて、本質的には子どもだから、大人側になりたくないのだと思う。自分の人生を子どもに捧げる覚悟がない。子どもを幸せにする力も、自分が子育てで幸せになる未来も見えない。
私は考えがコロコロ変わるから、今はここまで欲しくないと思っても、いつかは欲しいと思うのかもしれない。今の考えを忘れないためにこれを書いたけど、後から見て嫌になってすぐ消す可能性もある。
てか、こんなところで勝手につらつらと書かれている旦那が一番可哀想だよ。ごめんね旦那。あなたは何も悪くなくてただただ私の幼稚性が悪い。
昔の人は環境的に善悪を認識することが難しかったのだからその点を酌量しろという趣旨ならまあわかるが、そうではなく、普通に「現在道徳的に許されないことも過去には許された」という意味で言う人が多くてびびる。
こういうのって、じゃあ例えば米国の奴隷制は廃止前は正しくて廃止されたことにより誤りになったんすかねみたいに、簡単に反駁される破綻した主張なのだが。
最近話題になったコロンブスの件もそうで、コロンブスのやった虐殺等の行為は悪かったということ自体を根本的に理解できない人が多く、当時は未開の地に乗り込んで原住民を虐殺しても構わなかったと思ってる人が少なからずいるようだ。
その当時・その場所で・みんなが正しいと思っていたならば正しいという、極端な価値相対主義というか価値主観主義に多数派が染まっているのが本邦の社会。
三浦先生もこういうつまらない「正論」が多くなった。「現在の価値観で過去を裁くな」は、もちろん質の悪いものもあるのだろうけど、基本的には正しい主張だと思う。
自分がその時代の生きた人間であっても「間違っている」と言い切れたのかを、歴史を学んで潜って想像して悩むという知的プロセスは、差別意識を乗り越える当たって絶対に必要なもので、それを「差別を相対化している」みたいに、雑に批判してはいけない。
三浦先生の言い方には、自分も今だって何かを差別したり排除したりしているかもしれない、という反省や恐れが全くない。というか、そういう恐れを表明した時点で、「差別を相対化している」みたいに切って捨てている。それは一見差別と戦っているようで、実際には差別から目を背けている行為に他ならない。
30代、女性、恰幅いい体型。
ワキガは日本人でもたまにいるけど匂いの強さが桁外れだった。パンチ力がある。車両全体が匂いに包まれた。
席を移ろうかと迷ったがさすがに失礼にあたるよなと思って我慢したが、これが毎日続くとなるとちょっと厳しい。
慣れるとは思えないくらいの強烈さ。
黒人も白人も日本人と比較して優位にワキガの割合が多いはずなので。
「ダイバーシティ」というのはこういう生理現象の違いも含めて許容するものだと思うんだが、タバコや酒の匂いを気嫌うはてな民はワキガは許容するのか?
観葉植物と多肉植物にハマってたまにTwitter(現X)に写真つけてツイートしていたんだけど、もともとぜんぜん違う趣味で繋がったフォロワーが多くてなんとなく気が引けたので、インスタアカウントを作ってそこにひたすら写真をアップしてひとり楽しんでいる。
ただただ毎日写真を撮ってアップしているだけなんだけど楽しい。
…楽しいんだけど。
別に見なくてもいいものがバーーーーっと押し寄せてくる感じでインスタは肌に合わねぇやという気持ちもあり。
これでいいのか?という。
いや自分が写真をポロポロ投下する場所としては最高なんだけど。
使い方が難しいなインスタ。
女に縁のない人生だったのはもうそれでいいけど、お金にも縁がない人生なのはほんと厳しかった
もうすぐ60だしあとは生活保護とか何かで植物のように生きてやがてどこかで死んでいくんだろうけど
ちょっと弱音を吐くが、
気力体力が枯渇してしまって、なにも思い通りにできない。
割とヤバいペースで太っているのは自覚しているが、毎日ストレッチや簡単な運動をする気力もちょこzap行く気力もない。
やるべき事のタスク自体を抑えているつもりだが、それでもポロポロとやりきれないタスクがこぼれていく。
できてない、という感覚がよけいに他に手がつけられなくなる。
うーん、困ったなぁ。と呑気に増田に書く程度の余力はあるものの、この少ない気力を効果的に活用できてないところにも我ながら疲れる。
うーん、困ったなぁ。
特に、毎日必死こいて書いてて割と内容もしっかりしてるように見えるのに全然ポイントも感想もらえてないヤツ
更新内容を読み込んで、この表現が良いと思うとかここが面白いとかちょっと丁寧に書いてやるとめちゃくちゃ喜んでくれてチョロい
それで落ちかけてた更新頻度が毎日更新になったりするから笑える
そこで毎日更新してるエピソードにいちいち感想書いてたらどんどん力が入ってくのチョロ過ぎる
酸っぱい葡萄はカッコ悪いような気がするので、正しく諦めるようにしてる。
例えばタワーマンションに憧れてるとインターネットでは滅茶苦茶バカにされるけど、おれは普通にいいなって思ってる。
地盤の安定性がさァ!災害時のインフラがさァ!毎日の移動がさァ!エレベーターの奪い合いがさァ!あんなとこに住むのは情弱な成金でさァ!
とか、まとめサイトばっか見てた中高生の頃は確かそやって受け売りで「見下して」た気がする。
でもそういう僻みはやめて、素直に憧れるようにしてる。
まあ確かにデメリットはあるのだろうけど、そもそも定性的な要素を比べてるんだから判断も各々の基準次第な訳で。窓からの眺望だったり、エントランスを出れば都市部をお散歩出来るような環境だったり、あるいは社会的ステータスだったり。そういう所に不便さを越える魅力を見出すなら、それは疑いようもなく本人の中で合理的な選択肢なんだし。
住むために金を増やすために何らかのアクションを取る事は出来るだろうけど、それは面倒臭い。
面倒臭いのは確実だろうし、各ステップが成功する保証もないだろうから。住んでみたくはあるけど、そこまでして住みたくはない。それならまあ金をかけず安アパートにでも住んで、ギター弾いて映画観て、散歩なんかして過ごしてればいいかなって思う。
そうやって正しく諦めるようにしてる。
なんか小馬鹿にするようなスタンスでこういう言葉使ってたけど、おれ成金ですらないし。なれるならなりたいよね、成金。
じゃあどんだけ持ってればって話だけど、自分基準で欲しいもん好きなだけ買えてそれなりに余裕もあればまあ金持ちでしょって思う。
そこでもっと金持ってる人を引き合いに出して相対化した所でなんの意味もない。まあ他人に対してそれをやれば嫉妬の念は薄まるか。
「見栄っ張り」とか消費社会に踊らされてるだけ、とかもね。
まあ本当に本人も引き際を見失いつつ強迫感に突き動かされた競い合いで消耗してるならアレかもしれんけど。
ちょろっとブランドもん買っていい気分になれるなら別にいいんじゃんねって思う。どうせ身につけるならかっこいい方がいいに決まってる。人生にはやりたい事やる以外に楽しみなんかないんだし。面倒臭さと欲望を適度に競わせながら、まあぼちぼちやっていく。意味ないとか言い出せば何もかも意味はない。
ただこうやって怠惰に抗う事なく「正しく」諦めるのをやりすぎてると、生きる事への意欲やハングリーさが少しずつ失われているような気がしなくもない。ちょっとくらいは僻みもあった方がスパイスになるのかもしれない。
今日も昼間は暑かったですね。もう9月も半ばなのに最高気温35度の猛暑日ですって。
私は夕方までごろごろしていました。だって今日は9月15日、祝日じゃないですか。「敬老の日」じゃなかったっけ?←
とまぁ、毎日が日曜日の私ですが。夕食にうなぎを頂きました。働かざるもの云々とはいうけどな←。
と、そんな平和な日常もとりあえず19時前で終わり。夕食後自室に戻ったあとの18時52分、スマホが突然ビービーなる。何事だ?
まあ色々状況は違っていて、おれの場合は子供が生まれてからまだお互い20代のうちにレスになった
その時も辛かったが、まあ実際育児でイチャイチャする時間も取りづらかったし、家にいる時も実際色々忙しいし、子供が起きちゃうからと断られてもまあまあ我慢できた。実際子供が深夜に起き上がってママがいないと気づいて泣き叫ぶことがなん度もあったのだ
本当につらかったのは、子供が幼稚園に上がり、おれがリモートワークになってからのことだ
午前休さえ取れば彼女と二人で毎日とは言わないまでもいちゃつけるやんけ!もう一人で実家に預けたりもできそうだしそしたら一晩中節句寿司放題!?と俺の心は踊った。本当に本当に楽しみにしていた。楽しみにしていたんだよ。本当にさぁ
何回断られたかわからない。家に二人っきりだ!と期待して妻の横に座って話しかけても、妻さん、ずーっとスマホを見ているんだよ。なんとかいちゃつこうとキスとかハグとかしようと思っても「ちょっと待って」って言って家事とかしに行っちゃうんだよ。ちょっとってなんだよって思ったよ。
あの頃は本当に辛かった。毎日毎日毎日死ぬことばかり考えていたなあ。
たまに出社した後の帰りとかにキャバクラとか風俗とかに何度か行ってみるんだけど、何にも面白くないんだよな。いや抜くには抜くんだけど、もう早く終わりてえと思いながらやってたからね。何萬も払ってんのに!!
はてブのクソかしこ共はこういう話になると「妻とよく話し合いなさい」の一点張りだよな。本当にクソだよ。
おれだって話し合おうとしたと思う。おれが今の状況がこんなふうになっており、辛い思いをしているのだが、どう思っておるのか、妻は今後どうしたいと思っているのか、みたいなことをなるべく丁寧丁寧丁寧に話すんですよ。すると妻は「うーん……」以下無言。3分ぐらい待って我慢できないおれがまた喋り出す。妻無言。これ。
いや、元々喋らない人とかそういうわけでもないんだよ?割とオタクだし、一緒にお料理するときなんかはニコニコしてたくさんおしゃべりして、そりゃあもうカワイイ人なんですよ。おれはカワイイ妻と劇的カワイイ子と一緒に暮らす幸せ者だと思うよ。
だけどさあ、したいよ。セックスは。別に挿入なくてもいいんだよ。とにかくイチャイチャイチャイチャこきたいのだよ。
そんなこんなで毎日死にてえとかムカつくとか言いながらやってたんですけど、
ある日ある時にセックスしない?させてくださいともう何回したかわからんお願いをした時に、なんかそんなに悪くない感触があったんだよな。いいよとは決して言われてないんだけど、まあ明示的に断られることもないという感じのさ。
これはワンチャンあるやも!?と思ったおれはまあとにかくキスしたね。すごい長い時間キスした。チュッチュチュッチュやった。
そしたらまあ、最初はキスしてる間もスマホ見てるような感じだったのが、だんだんこっちに集中してくれるようになったんですよ!!!!!!やったか!?!?!?!?
このまま死蔵することになるやもと思われていた新品のサガミオリジナルの封を開けましたよ。
本当にあの時の幸福といったら、なかったな。
まあ、ぼくの話はこれで終わりです。増田君には自慢と思われちゃったかな。
アドバイスできることとかは別にないんですけど、レス以降、キスとクンニはしっかり時間を取るように心がけています!
今の妻との関係はどんなかといえば、まあ広義ではレスと言えるだろうな。9割断られてるからな。2ヶ月に一回できるかどうかって感じです。
まじでおれ、こんなに妻とのsexだけを生きるよすがとする人間になるとは思ってなかったよ。
あの辛かった日々に比べたら辛くないはずなんだけど、やっぱりそれはそれで辛い!でも何とか生きてる!下の子もかわいいし!
なんとかがんばります。増田もなんとか生きてもらえたら嬉しいです。
(追記)
(はてぶから引用)はてブクソは「話し合え」なんて言ってなくない? 「離婚しろ」が支配的では?
これなんだけど、離婚は基本「ない」んだよね。増田もそうなんじゃないかと思うんだけど。
自暴自棄になるぐらいにはセックスしたいんだけど、それはそれとして妻と子のことは愛しているんだよね。彼女らのいない人生なんて考えられないし、彼女らとの日々を愛しているわけ。子供の成長は楽しみだし、夫婦でカフェだの買い物だの行ったりするのは心底好きなのよ。
ただただ、セックスしたいけど相手が乗り気じゃないという、その一点なんですよ。離婚は単なる別離であって、おれの愛の問題が解決せんのですわ。
もちろん向こうがセックスするぐらいなら離婚の方を望むってならまあそれも考えるけども、とりあえずはそういうこともないみたいだしね?
数年前から何かある度に体の塩分バランス的なものが崩れるようになった。
最初は大体喉が渇く。喉が渇いたから水を飲む。飲んでも渇きが癒えないなと思っているうちに頭が痛くなる。放っておくと気分が悪くなって立ち上がれなくなる。
水を飲んだりポカリを飲んだりしても全然だめ。経口補水液すら効き目を感じない。塩。とにかく塩を舐めるしかない。
冬でもカフェイン入りの飲み物を飲んだりしてちょっとトイレが近くなるともうダメ。塩をなめなきゃいけない。
夏なんて毎日のように気分が悪くなる。毎日梅干を食べカップラーメンは汁まで飲んでもまだ足りないので塩を舐める。
医者には相談してみたが「気のせい。塩舐めるのやめな」としか言われなかった。
気のせいってなんだよ。気の持ちようで気持ち悪さが治るのか?
試しに何度か塩を舐めず過ごしてみたが普通に吐きそうになるくらい気持ち悪くなって手がガタガタ震え出したのでやめた。
しょっぱいものが好きなわけじゃない。むしろあんまり好きじゃないし、毎日塩を舐めてるのでしょっぱさに心底うんざりしてる。
塩を舐めない生活がしたい。でも塩を舐めないと立っていられなくなる。辛い。
所与の普遍的な価値なんてものはない。あらゆる道徳も常識も「みんなでそう決めたから」でしかない。
増田の義憤、その燃え上がる正義感と怒りは、どこから来てるんだ?
刑罰が厳しくなってるし、世間の目も厳しいんだから、すぐ止めろ、絶対にするなって口うるさく言ってたのに、
「俺は地元民しか知らない警察が取り締まらない道を使ってるから大丈夫」って豪語して、
毎日会社帰りにいっぱい引っ掛けての飲酒運転を絶対に止めなかったバカ親父が、
警察に検問でノーシートベルトで止められて強行突破しようとして自滅事故。
一発免停で会社からは即日懲戒解雇食らって40年ためた退職金も夏のボーナスもぱぁ。
母ちゃんはそんな親父に見切りをつけて家を出ていくって言い出して、財産分与を受ける為に弁護士に相談し始めたらしい。
バカとして産まれた奴は死ぬまでバカとしてしか生きられないんだな。
それでも母ちゃんは離婚したら他人戻れるとして、そのバカの血を引いた俺はどうすればいいんだよ。
責任取ってくれよ。