はてなキーワード: 標準偏差とは
いろいろと見解が違うんだよなー。なんか長くなってしまった。すまん
回数を増やすと当たる確率が上がるのではなく、結果が安定する(分散が小さくなる)んだけど、まあいったんそれは置いとこう
まず、「確率を価値判断に用いる」ではなく「確率をもとに戦略的に結果を狙いに行く」判断をすることを確率に基づいた判断と表現してる。
「確率はかなり低いからいいや」という判断のことではなく、「期待値が○で分散が○なのでだいたい○から○ぐらいの結果が見込めるからやろう」という判断のこと
子供の命というものを考えるとき、確率に身を任せるのであれば可能な限り戦略的に結果を狙いに行くべきと思っている。
そうでなければ近くにいて目を離さないようにするか、可能な限り不幸の確率を下げる運用を考えるべき。(突然走り出す子にはハーネスつけるとかね)
で、n=1は結果がコントロールできず、安定しない。本当のギャンブルになる。
nが大きくなれば中心極限定理により標準偏差がルートn分の1になり、結果が安定してコントロール可能になる
99%成功する試行は100回やれるならトータルで勝てるけど、一回だけやったら外れを引くかもしれない。一回でも外れたら死ぬとしたら99%という確率に身を任せることは適切だろうか?っていう話
保育園の散歩中に車が突っ込んでくるようなのは極小確率と思って無視してるから確率に基づく価値判断はしてるけど、風呂の事故とか子供を一人にして襲われるとかはいい加減な確率に基づいて判断すべきでない(確率に身を任せるべきでない)と思う
そもそも高校生は正規分布どころか母集団という概念すら知らないの
もちろん平均50の標準偏差10のテストを指してそう言っているのはわかるけど、仮に平均50点だと学校によっては60点未満で赤点だぞ
「標準的な試験」なんてものが存在しない以上、もともと偏差値が伝えたい「全体での立ち位置」をストレートに割合で示したほうがそれこそ理解に寄与するでしょうが
「他より1年早くちょっと凝った事を理解して語れるか」なんて天才かどうかの基準としてはほぼ意味ないでしょ。
「すごい研究結果を出す」ということはそんなちょっとした発達や能力の差なんかより遥かに巨大な知能や労力や蓄積の差によって生み出される。
いや役に立ちまくるし使いまくるけどな。たかが予備校講師がなに分かったようなこと言ってんだって感じだ。
「設計では微積や物理の考え方を使っているが、俺の友達で新宿のビルを設計した設計士は、ソフトに数値を打ち込んでその結果を見ているだけだった。『先生難しいこと理解できてすごいですね』って言ってたよ」
大学の統計の授業で平均、分散、標準偏差とかの細かい計算方法教えてもらったけど、リアルじゃexcelにデータ入れて関数使って結果解釈すればいいって話になるもんね。偏差出して二乗和が云々~なんて企業でやったところで、「で、結果は?」ってなるもんね。うん。
実際に数学や統計学を使う場面では、そんな基本中の基本の爪の先みたいな知識なんて知ってて当然にも程があるし、何一つ「細かく」なんかないし、そんな簡単なことで解決できるほど現実の問題は単純じゃないのでもっと複雑な(数学的)道具を使うんだよ。
というか、
とか言ってるのに、こんな学部1年の教養講義の最初のコマでやるようなレベルの話を「細かい計算方法」と認識してるの?
本当に勉強してた?勉強してるつもりになってただけで意識失ってたとかじゃない?(それでもテストで点取るくらいはできてもおかしくない)
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb93d1a82d7bf4b2e2dfdfe97e4df2147f736f10
飛び級で大学生になった物理のスーパー天才学生が、今は物理も何も関係ないトレーラー運転手になっているというお話。
大学時代はバイトは授業の補助でコンビニや居酒屋で一切働いたことはなく、サークルもゆるーいお遊びだけ。
よっぽど電車が大遅延しない限りは授業に毎回出て、ほぼほぼ90点オーバーを叩き出し、大学から表彰もされるぐらいには勉強に打ち込んだ。(肝心の卒論は個人的には中度半端なものだったが…)
そういう生活を送っていた自分にとっては「大学の勉強なんて役に立たないよねぇwww」と言われているようでしんどい。
JTCのおエラい社会人様からの「大学の勉強を頑張るより、社会経験ッ(^^)レッツ飲みにケーション!タバコミュニケーション!」と言われているようにも感じた。
でも、そもそも、「研究に投資できる程なぁ!日本は裕福じゃねぇんだよ!!」というようなメッセージも感じてしまった。
確かに、大多数の人間にとって、大学の勉強を使って、って人はほとんどいない。自分はSEだったので使っているといえば使っているが。
接点Tで有名な予備校講師・荻野先生も「数学は役に立たない。俺が言うんだから間違いない。」ときっぱり言い切っている。
「設計では微積や物理の考え方を使っているが、俺の友達で新宿のビルを設計した設計士は、ソフトに数値を打ち込んでその結果を見ているだけだった。『先生難しいこと理解できてすごいですね』って言ってたよ」
これすごい衝撃だったなぁ…いやそらそういう人もいるよと言われればそうだけどさ。
「あなたが数学をあきらめることによって就職できなくなるこれだけの業種!!」みたいな表がバズったけど、それもぶった切ってるもんなぁ。内容理解してないでソフトにぶち込んでるだけだってよ。
大学の統計の授業で平均、分散、標準偏差とかの細かい計算方法教えてもらったけど、リアルじゃexcelにデータ入れて関数使って結果解釈すればいいって話になるもんね。偏差出して二乗和が云々~なんて企業でやったところで、「で、結果は?」ってなるもんね。うん。
荻野先生、「これからは国語の成績が書いてある通知表の左ではなく、あなたの人間性について書かれた通知表の右が重要になる。勉強ではなく仕事という種目で勝負することになる」とも言ってたな。
https://jinjibu.jp/keyword/detl/713/
このG型大学、L型大学の話もきつかったなぁ。実学主義すぎて嫌だった。教授もツイッターで苦言言ってた。
でもさぁ、記事に書いてあるマイケルポーターやら、文学史の研究やらでみんなのおなかすぐ膨れるかというと…膨れないでしょ。
現実として、やっぱ無理でしょ。
やっぱいま日本は目先のお金を稼がないといけない状況なんだろうな。極端に言えば、明日食べる食料がない状況なのかもしれない。そんな中、いつ花咲くかわからないことしてもってなるよな。
「そんな状況だとぉ!?家の家具全部金箔で金ピカにしてるようなバカ金持ちから金ぶんどれよぉ!!国会議員の給料減らして研究費にあてりゃいいだろぉ!!」つまり所得再分配的な考え方になるんだけど、はたして、自分はお金をもらう立場なのか…?待遇が悪いとされている研究者、お金をもらう立場なのか…?実は払う側なんじゃないのか…?というか、もらってもせいぜい数万円…?ってなるのが怖いんよね。
インデックス投資派にこれ言ってる人がいるけど、完全な誤解。いや、投資先としてインデックスを選ぶのはいいんだよ。でも、脳死でひたすら積み立ては駄目。せっかくインデックスを買ってるのに、なんでインデックスを買っているかをちゃんと理解出来ていない。
リターンの相関係数が完全に1とはならない複数の資産を組み合わせると、それぞれ個別で買うよりも「(超過)リターン÷リスク(標準偏差)」が高くできる。だから、ある特定のリターンを求める、あるいは特定のリスクまで取るつもりであれば、個別の資産を買うよりは複数の資産の組み合わせだけを選択して、後はその求めるリターンやリスクに合うようにポジション量を調節した方がリスクリターンが良くなる。これが投資先としてインデックス投信が良い理由の一つ(もう一つの理由は、複数の資産を組み合わせるウェイトとして最適なものが市場加重平均になること。これはマーケットクリア条件から求まる)。ここで重要なことは、インデックス投資は決して最良のリターンを生むわけでもなければリスクが最小なわけでもない点。あくまで標準偏差で測った場合でのリターン÷リスクを最大できるだけ。だから、目標リターンや許容リスクに応じてポジションの大きさをコントロールすることが一番重要になってくるわけ。たとえば、どうしても10年で倍にしなければならないって時にも、倍が有り得そうな個別株を買うのではなく、借入れなどしてレバレッジを掛けてインデックス投信を大量に買った方がまだマシ(リスクが小さい)だ、というのがインデックス投資の正しいやり方なわけだ。もちろん逆に、必要なリターンが小さかったり許容リスクが小さければ、インデックス投信を買う量は僅かに抑えるといったことをしないとならない。
つまりインデックス投資は、銘柄選択の煩わしさからは開放してくれるものの、自己の目標リターンや許容リスクに応じてどの程度のポジションを取るべきか熟慮しなければならないという煩わしさからは開放してくれない。余裕資金を全額ぶち込むだとか、あるいはNISAの枠まで機械的にだとか、とにかく一定ペース積立てだとか、そんなやり方に合った投資方法じゃないわけだ。そして、年齢や健康状態、仕事での稼ぎの大きさやその安定性などによって取るべきポジション量は変わってくるので、一般向けの概略を示すことさえ本当は難しい。ただ、少なくとも、脳死でひたすら積立てなんかは間違いなく愚策なんよ。
主にDXとかノーコード(ローコード)周りについてコンサル目線で書いておく
表でこんなことを書こうものなら会社クビになる可能性あるのでここに書いておく
(なんでこんな世の中になっちまったんだよw)
DXって別にIT化するだけの意味じゃないんだけど、それすらできてないからIT化って意味で以下注意点かいておく
というより、DXやりたいって言ってる人のほとんどがDXができる状態じゃない
床が見えないほど散らかってる部屋でルンバが使えないように、前提となる条件をクリアできてない
それがもう絶望的にできてない
体感としては8割以上できてない
多分自分たちのやってる仕事が良くわからないし、行き詰ってるからDXという魔法の言葉に救いを求めてるんじゃないかな
まず自分たちがやってる仕事に対して、「どんな仕事をしていますか?」「その仕事をやる理由は何ですか?」という質問に答えられるようにする
人が増えて、長くやってる会社は目的がわからないルール、意味のない仕事が増えていく
これを整理できないと何も前に進められないです
収入印紙を貼る理由なんて良くわからない人がばかりなのにルールだからと貼っている
程度問題ではあるけれども、なんでこの仕事やる必要あるんだ?この会議に出る意味はなんだ?
先にそっちなんとかしてください
次に問題になるのは誰がやるかってこと
「IT部門の若手にやってもらう!」とか気軽に言う人が多いんだけど
これできる人って
ウルトラスーパー超絶優秀な人です
いやマジで
1000人にひとり見つかれば良い方
この業界に20年以上いるけどこれちゃんと出来る人、今まで一人しか会ったことない(その人はさっさと起業してしまいました)
ある程度大きな会社だと一人じゃできないから、仕様策定、運用、試験だったりを分割して誰かに任せる必要があるんだけど
責任感を持ってやってくれて、業務をよく理解している人を選定して説得する必要があります
これすごい難しいです
対人スキルが全方位カンストしてるような人じゃないと務まらないです
IT界隈だとプログラミング能力に秀でた人が優秀な人とイメージされやすいですが、この手の仕事ができる人も同じくらい評価されても良いと思うんすけどね
間接部門だからと出世コースに乗れない閑職扱いになってませんか?
もしそういう認識ならはっきり言って無理です
現場で活躍できなくてもITで活躍出来る可能性もゼロではないかと思いますが、
現場でNG出された方は要領だったり対人スキルに難がある場合が多く、その人がITツールを導入しても混乱を生んで余計な費用がかかるだけです
業務整理が出来て、IT化に着手する場合(まあ実際は役員のメンツとかそういう理由で、業務把握もままならないまま突き進むんでしょうけど)
「やらなくても良い作業を止める」、「SaaSで出来ないか検討する」、「ノーコード開発で頑張る」の順で検討してください
当たり前ですが、やらなくても良い仕事を止めるのが開発もなく、運用費もかからない即効性があって一番良いです
無駄な会議や書類、これらを探して削るところから始めてください
どこもやってる勤怠管理や会計処理等は既存のサービスで充足するはずです
SaaSで実現できなくて、ノーコードで開発する必要がある場合(ほとんどないと思いますが)
ノーコード開発をやってみるとわかるんですが、結構細かいところは出来ない場合が多く100%カバーするようなシステムを作る場合は
すげー大変になることがあります
結局の所ノーコードとは言っても形を変えたプログラミングなので複雑にすればバグも多く発生します
テストしにくい分コードを書くよりも悪くなるケースもあると思います
なので70~80%くらいカバーできれば良い
エッジケースだったり発生頻度の低いオペレーションはバッサリ切る
そんな感じでシンプルになるように努めてください
ノーコードの想定するユースケースを無理やり捻じ曲げてプラグインだらけの独自システムは地獄です
(そうは言っても、こだわりが強いのか、冷蔵庫をエアコンとしても使えるようにしたいみたいな人が多いんだよなぁ・・・・)
ここまで言うと、ノーコードって微妙なの?流行らない?って思うかもしれないですけどノーコードは流行ります
プログラミング言語もセキュリティも覚えることが多すぎて、みんなノリでやってます
セキュリティ対策なんて意味わからんチェックシートを大して理解してない人がYES/NOつけてるだけで実装はボロボロ
たくさんのライブラリは毎日のようにアップデートされ、膨大な工数をかけてアップデートしてます
誰も触れなくなります
というわけでフルスクラッチ開発で内製化とか現実的じゃなさすぎます(金が有り余ってるならやってもいいですが)
ノーコードでも属人化して、ブラックボックス化するのは一緒ですが
セキュリティアップデートとか、セキュリティ対策は幾分楽になるので、まだマシです
ちなみに今SIerにシステム開発頼むのは悪手なので止めときましょう
プログラマーの腕に激しく依存していて、プロダクトの品質が同じ会社でも全然違うみたいな状況はいずれ改善されていくと思います
カンナとノコギリを使って家建てる大工が少なくなって、プレカットの建材を運んで組み立てる家ばかりになったように
(つーか実際もう、ID管理とかメール送信は外部サービス使うのが主流になってきていて、どんどんコード書かない方向にシフトしてる気はしてる)
前述の内容と少し被りますけど、半分くらい作ったらさっさとユーザーに使ってもらったほうが良いです
負荷テストとか、UIとか拘るのは良いんですけど、方針レベルで間違ってた場合は全部やりなおしになるので、
早い段階で使ってもらうようにしてください
多少バグがあっても良いので早めにイメージを擦り合わせたほうが結果的に早く終わります
バグってるものをユーザーに使わせたら怒られるとかいう人いるんですけど、
使う人と作る人が気兼ねなく話せるような関係じゃないと開発はうまく行かないので撤退しましょう
席を隣にして談笑できるくらいには仲良くしてください
いきなりbubble, outsystemsみたいなガチなやつから入らないほうが良いです
kintoneとかairtableみたいなやつから使ってみるのをオススメします
あと選ぶ際に、営業にいろいろ聞く前にまず自分で使ってみること
最初から営業に聞いちゃうと、「頑張ればできます」みたいな回答しか返ってこない
実際に使ってからセミナー行くとか、営業と話して聞いてみるの方が良いと思います
システム作ったあとに、効果があったのかきちんと検証してください
大学受験して合格発表を確認しないようなことあるのか?と思われるかもしれないですが、
ということなのか単にめんどくさいのか分からないですが、ちゃんとやりましょう
いい加減な検証もやめてください
コンコルド効果で捨てられなくなって負の存在として生き続けます
そうならないように作る前から、効果検証の方法と撤退ラインを決めておくと良いと思います
保守なんて誰もできないです
10年もすれば、担当者も業務も変わってドキュメントは不整合だらけ
20年に一度作り直す式年遷宮は技術継承の意味合いが強いと聞いたことがありますが、それと同じでシステムを10年以内に作り直す気持ちでいた方が良いです
最低限のドキュメント更新とかアップデートは必要ですが、維持に多大な工数がかかるとか、修正に時間がかかるようになったら作り直してください
色々書きましたけど、業務把握が一番大変でそれができれば割となんとかなります
自分たちの仕事を管理できないから、システムを作って解決しようとするからおかしいんです
それって業務整理とシステム開発という2つの大仕事を並行してやることになるので、そりゃ混乱もします
あと業務整理を自分たちで出来ないからコンサルにお願いしてやってもらうっていう事言う人いますけど止めたほうが良いです
コンサルからしてみれば他人事ですし、あなたの会社について世界で一番詳しいのはその会社に属している人です
その人たちがお手上げだと、外部の人間だって十中八九うまくできないです
仕様さえ明確に作ることが出来るなら、ツールの違いやら、プラットフォームの違いなんかは些細なことなんですよ
まあそれはそれで、大変ですけど仕様さえ決まってるなら何とかなります
というわけで各位頑張っていただければ
年4%程度だと、
という保守的なポートフォリオで十分実現出来るよ。過去20年の実績で言うと、年平均リターンが5.4%、リスクが8.8%程度。
米国株は調子が良いけど中長期でどうなるかは分からないので、広く分散して置くのが賢明。(全世界株式の投資信託を選べなければ、先進国株式でも構わないが、若干リターンが落ちてリスクが上がる。)
(補足)
ここで言うリスクは価格変動のブレを表す値 (標準偏差σ) で、
となる。
国立大受験、共通テストにプログラミング…25年から「情報」追加で6教科8科目に
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/
https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html
国立大協会、共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に
https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c
2022年4月に高校に入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報の試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省と入試センターが布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。
これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方の高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。
ぶっちゃけ首都圏などは、高校の情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員の採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。
そんな情報教員の採用に消極的な地方での、高校のKPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定の進学校に助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方の高校や教員区委員会への圧力になるのである。
「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係ないからという言い訳で、教育委員会が教員も採用してこなかったり、未履修問題のように高校が勝手に情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生を大量生産してきたのではないだろうか?
高校の情報という授業は実は2003年に高校に入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。
商業高校や工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。
それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである。
それが全国何千校の普通科の高校で急に始まるのである。まあ、時代で必要だったのでそれはしょうがないと思うが。
大学の教員養成課程で、一気に何千人も情報科教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。
まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。
しかも希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校で肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学や理科、家庭科の教員が多数いるというわけである。
これを時限的な教員免許とすれば、大学で情報の教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。
あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許の有効期限が延びる仕組みである。
情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである。
そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省の意図もあったような気がする。
恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本が沈没するのが加速するだけである。
学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。
最初の情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまうものであった。
とはいえ、TCP/IPやWWW、DNSの概略や、アルゴリズム、知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。
その次の世代の学習指導要領で、「社会と情報」「情報の科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。
今度の4月からの入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通の範囲を勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである。
それまではどれかだけ勉強したら卒業はOKという扱いで複数科目あったので。
今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大学協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省&入試センターは強気に「社会と情報か情報の科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。
情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーション、データサイエンスの基礎などが入っている。
ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。
データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。
実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算で計算して、分散・標準偏差・偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容である。センター試験や共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストはやらかした。
次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話。
劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方の高校生が報われるようになるといいと思っている。
あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクールも情報の講師を確保しているようである。
なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進の高校向け教材でもやらせてお金で解決してください。
国立大受験、共通テストにプログラミング…25年から「情報」追加で6教科8科目に
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/
https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html
国立大協会、共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に
https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c
2022年4月に高校に入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報の試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省と入試センターが布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。
これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方の高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。
ぶっちゃけ首都圏などは、高校の情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員の採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。
そんな情報教員の採用に消極的な地方での、高校のKPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定の進学校に助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方の高校や教員区委員会への圧力になるのである。
「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係ないからという言い訳で、教育委員会が教員も採用してこなかったり、未履修問題のように高校が勝手に情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生を大量生産してきたのではないだろうか?
高校の情報という授業は実は2003年に高校に入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。
商業高校や工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。
それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである。
それが全国何千校の普通科の高校で急に始まるのである。まあ、時代で必要だったのでそれはしょうがないと思うが。
大学の教員養成課程で、一気に何千人も情報科教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。
まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。
しかも希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校で肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学や理科、家庭科の教員が多数いるというわけである。
これを時限的な教員免許とすれば、大学で情報の教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。
あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許の有効期限が延びる仕組みである。
情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである。
そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省の意図もあったような気がする。
恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本が沈没するのが加速するだけである。
学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。
最初の情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまうものであった。
とはいえ、TCP/IPやWWW、DNSの概略や、アルゴリズム、知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。
その次の世代の学習指導要領で、「社会と情報」「情報の科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。
今度の4月からの入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通の範囲を勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである。
それまではどれかだけ勉強したら卒業はOKという扱いで複数科目あったので。
今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大学協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省&入試センターは強気に「社会と情報か情報の科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。
情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーション、データサイエンスの基礎などが入っている。
ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。
データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。
実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算で計算して、分散・標準偏差・偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容である。センター試験や共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストはやらかした。
次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話。
劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方の高校生が報われるようになるといいと思っている。
あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクールも情報の講師を確保しているようである。
なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進の高校向け教材でもやらせてお金で解決してください。