はてなキーワード: 小学校とは
21世紀の何の罪も犯してない奴隷でもない人間の生活とは思えない。
普通の家に生まれ普通に学校行って普通に就職した人間がこういう暮らしをしてても普通である(これに近い状況の知り合いが何人も思い浮かぶ)状況は異常。日本人はなんだかんだで大体みんな飯を食えて暮らせてはいるのでイマイチ気付いてないが失われた30年とか、日本だけ経済成長してないというのはこういうこと。みんな貧困というと小学校で見せられたアフリカのガリガリで腹だけ出てる子供達の写真とか思い浮かべると思うが、実際はそういう極端な絵でなくこのように周りで起きてても気にならないほど静かに進行する。そしてもう後戻りはできないし全国民が逆立ちしてもこの状況をひっくり返すことはできない。ここまで来たらいっそ気付かないまま死んでいく方がまだ幸せなんだろうか。
私は恋人どころか友達いない歴が小学校入学以来続いているコミュ障女。
保育園まではまあいたんだけどな。卒園と同時に引っ越し&引っ越し先がマンモス園からほぼ持ち上がり進学というハードな環境にやられちまったよ。
仕事もひぃこら残業してやっと人並みにできるくらいには手際が悪い。
なので愛するカレピッピと同じ姓になりたいの♥️みたいなもんはないし、
姓が変わると今までのキャリアが途切れて云々なことも起こらないし、
今までの「家」が破壊されて伝統がーみたいなもんは背負ってないし……。
個人的には姓が変わった程度で揺らぐほど安くてペラい人生を送ってきたつもりもない。
億が一結婚することがあったとして、姓は私が変えてもいいし向こうが変えてもいい。ただ手続きはお互い有休とって一緒にやろうぜ、そんな程度の愛着しかない。
初めは選べんならそれでいいんじゃね?とは思ってたのよ。
ただ「夫婦別姓=片方の親と強制別姓」と知った(気づいた)ときに待ったがかかって、そして「現段階では反対派」になった。
親や祖父母世代はどうしても「男が家を継ぐ」みたいな価値観は強いだろうし。
あと「お前はずっと腹の中で子供を育ててきて、痛い思いをして産んだから母親の自覚は存分にあるだろう。
だけど俺はお前の苦労は見てきてお前の夫だという自覚はあるけれど、この子の父親であるという本当の自覚があるかは怪しい。だから俺と同じ姓にしてしっかりと自覚とけじめを~」みたいな。
クソな言い分だな、とは思うけど言うやつは絶対出てくるし、家事の分担とかですこーし男が負担を増やせば「まぁ…」って女は出てくるんじゃないか。
それと国際結婚はあくまで「例外」で認めてるだけっぽいし……。
あと、これが一番気になってるのに話題にしているのを見たことない。
夫婦別姓だったら離婚したっていうのが分かりづらい。(子供のために結婚時のままの姓にしておく親子もいる、っていうのは承知済)
あそこは離婚したから父(or母)が迎えに来るはずない、とか子供を渡しちゃいけないとか、そういうのって離婚して姓が変わる(戻る)からこそ印象に残るイメージ。
元から夫婦で違ってて、そのまんま別れていって、だといつ離婚したか?どっちの子になるか?ってわかりづらいと思うし、ミスが生まれると思うんだよな。
死別とも重なるけれど、例えば佐藤父と鈴木母の子である佐藤娘で両親離婚、鈴木母が佐藤娘の親権を持ち一緒に暮らすとか、絶対面倒だと思う。
まだ自分も周りもよくわかってない二歳三歳だったり、自立している/自立が目前に迫る年齢であればいいけど、でも、それ以外の年齢だとなぁ……。
不倫もさ…これ今の段階でも「既婚者だと知らなかった」と証明されれば慰謝料は取れない。
この言い分はわりとシビアに判断されるそうだが、別姓になるとそのハードルは下がるように思う。
AとBは名字が同じ=家族や親戚である、という判断は一度はしたことがあると思う。
不倫を知って訴えを起こしたらCから独身だと思っていたと主張され、Cの言い分が認められ。Cから「独身と偽って交際され傷ついた」と訴訟を起こされ負けたら。
夫婦は家計を同じくしてるから、結果として負担がかかるのは妻と子供だよなぁ…。
あと単純に結婚詐欺できそう。「君を尊重したいから」なんて言って別姓婚したと思ったらしてなかった、みたいな……。
「自分のため」を優先しないと別姓でいるのが難しい気もしてる。
子供を作る気ないし、とかいう人たちもいるだろうけど、ヤるだけヤって自分だけ気持ち良くなって無責任な男に捨てられた、追い詰められてどうしようもなくて遺棄して子供を殺した母親の何割かは子供を作る気なかったと思うし。
夫婦別姓問題は女が弱者、という論調で進んでいくのが見えるけれど、本当の弱者は(まだ生まれていないが、それなりの確率で生まれる)子供だと思うんだよ。
その子供を尊重し、納得して託せる法律案みたいなのが見えてこない限り、賛成にはなれない。
こんなぼんくらですら浮かぶ疑問の解決法がないってことは、それ以上に厄介な問題が出てきたとき対処に後手に回るってことだろうし。
賛成派の人でこの辺論じてるひとおらんのか
小学校なんかでそうなんだけど、算数の計算方法がおかしいし、まして道徳なんかは教師自体が道徳を学べてないので分かっていない。
臨機応変に対応するという考えがないので、マニュアル通りにしかできない。マニュアル通りって言っても、ホント言われたことしか出来ないレベルでしか教えられない。
例えばだけど、算数で次の計算の答えを記入しなさいって問題だとして、
『計算の答え』を聞いているわけで、そこに至るまでの計算式がちがったものであっても答えが正しいのであれば答えは○なわけなんだよね。
生徒の中には塾なんかで色々と学んでいたりするから、学校の計算方法よりも効率的な計算で答えを出す子もいるわけで、
そういう子が他の生徒と違った計算方法でも『答え』を問にしている以上は答えが重要だってことが分かっていない。
仮に計算方法を記載してあったとしても、教師はそれを学校と違うから不正解にしてはいけないし指摘するのであれば、学校で学んだ方法で次は書いてみてね程度で言いわけ。
なのに、マニュアルでしか物事を考えられないから、子供のことなんか考えてないんだよね。気遣いが出来ないわけ。
だから、不正解としか言わないし、なぜ?と生徒から質問されたとしても『学校で教えたか?』みたいな感じで対応する。
そこを深く考えられない、広く考えられないという教師が多く、大半は教科書・参考書しか読んでいないような子供が教員免許を取得しているので
結果的に、子供は他の生徒と同じく伸びる事を抑えつけてしまう。
本来だったら、才能を見出してアドバイスする立場の人間が子供を無理やり抑えつけて能力を平均にさせてしまう。
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
むしろ今すげーヒマ。
コロナへの対応も一通り終わって、材料不足の連呼で今年の仕事適当に切り上げつつも「その分はデータベースの管理といった業務改善を行い長年の課題だったマニュアル化などにもこの機会に着手しペラペラペラウッスッペッラッペッラ」で何とか誤魔化したからマジで暇。
んでまあ有休とかも今のうちに使えモード入ったのですげー時間あるのよね。
そうなると今まで遊べなかったヘビーなゲームにも手が出せるじゃん?
そんなもんだから久しぶりにソーシャルじゃないガチのゲームやろーかなーって据え置きゲーム機かったらすげー面白いの。
マジ?
まあウマ娘も最初の一ヶ月はつまらなくはなかったけど、ゆーてソシャゲの中ではって話だったんだね。
バシっと5万ぐらい電気屋に叩きつけて新作ゲーム買っちゃえば本当信じられないぐらい楽しいわけよ。
まあ1本50時間ぐらいでクリアしちゃうとしても、1時間100円だと思えば安い娯楽だわな。
思えばここ3年ぐらいスマホでしかゲームやってなかったら衝撃的だったよ。
コントローラーのボタン10個ぐらい使ってピコピコ遊ぶ本格的なゲームがこんなにも熱中できるものだとは。
小学校のときに親に初めて買って貰った時ぐらい熱中しちゃったわ。
デイリーレースとか出れば数クリックでゲームない通過貰えるけど、そんなのより俺は今すぐ楽しいゲームをやりたいんだってね。
いやーなんで今まであんなに一つのゲームの中でしか使えないアイテムに執着していたんだろう。
ゲームを楽しみながらついでに貰えるならいいけど、アイテム貰うためにやるゲームが苦痛になってきたらもう無意味じゃん?
気づくのに時間かかりすぎたわ。
大学以上の人間が、特に教授など、小学生の感じた疑問ってのを殊更すごい事のように話すときがある
「1+1=2」系の奴が顕著
普通の人には「自明」で、数学、哲学的に考えると「自明とは言えない」となる奴で
授業の枕で聞いた人、多いのではなかろか?
聞き手が高校上がりの子供だと、「おっ、深い」とか思ってしまい、それが理由で授業を受けてない人でも知ってることがある
そんな話
でもこれ、くだらないよね
のカッコ部分が省略されてるのが、小学校の問題で、赤と緑のリンゴがあるとか、重さの違うリンゴがあるとか、そういうことを抽象化して1という数にしちゃうのが、まさに小学校の授業でしょう?
それが「数を数える」ってことだし、そう教えるよね
だから「1+1=2」が成立しない場合、問題定義が間違っているか、解釈が間違っているのであって、なにも深い所なんてない
「リンゴが一つの状態を1と呼ぶ」と決める(抽象化する)所から初めて、「二つの状態は2と呼ぶ」と決めて、十になったら桁上がりすると決めていくのが、10進法の考え方で
だから、1個、2個と数えることができて、その抽象化(数の数え方)を式にしたのが「1+1=2」であって
そういう定義を全部忘れて、「1+1=2」にならない事があるかもしれないとか言い出すの、因果が逆転してるよね
特定事象A(液体水の体積と重さの関係)のための立式に、別事象B(気体水素の体積と重さの関係)を当てはめたら成立しない、だから特定事象Aの抽象化は間違っているとかさ
誰も、この式でいかなる物質のいかなる状態も計算できます、とか言ってねぇだろと
水を測りたいんだよ
1(個)+1(個)=2(個)とわざわざ教える算数を、なんだと思ってんのかね
こういう親に教わる子供がかわいそうだよ
すもももももも最高じゃない??
小学校か中学校?くらいから家に漫画があって、今数年ぶりくらいに読み返したんだけど、すごいボロボロ泣けるしめちゃくちゃ笑える。
登場人物みんな好きだしさぁ、、
ほんと泣いて笑った!!すもももももも大好き〜!!
死刑囚、色鉛筆が使えず「償いができない」 ルールの取り消し求めて国を提訴 - 弁護士ドットコム
原告代理人黒原智宏弁護士「福岡拘置所の隣に小学校があり、(奥本死刑囚は)登下校の声をきくにつれ、生後5ヶ月で亡くなった子どもの成長を思いうかべるそうです」
↓↓
奥本章寛死刑囚
2010年3月1日午前5時ごろ、奥本は宮崎市花ケ島町の自宅で、生後5カ月の長男・雄登ちゃんの首を両手で絞め、浴槽に沈めるなどして殺害。遺体を勤務していた会社の資材置き場に埋めた。 また、妻のくみ子さん(当時24歳)と義母の池上貴子さん(同50歳)の頭部をハンマーで殴るなどして殺害した。
男の強弱というのは「その場のヒエラルキー」で決まるものだから。
女の場合は残念なことにいつでもどこでもだいたい容姿が基準にされてしまうが、ある意味わかりやすい。
一方、男のヒエラルキーというのはある程度共通する基準はあっても、時期や場所によって結構バラバラだ。
あるスポーツがうまい奴も別のスポーツは全然ダメということもあるし、よく言われる芸人やホストやバンドマンなんかも、自分のテリトリーを離れれば別の場ではただの雑魚だったりする。
そして女はその場その場でヒエラルキーが高い男に群がる。
小学校では足の速い児童に、高校大学では体育会系やイケメンに、サークルでは3年の幹部に、就活となればギョーカイの偉そうなおっさんに、婚活では医者や弁護士に、そして新興宗教なら教祖のジジイに。
極端な話「非モテで軟弱なインセル気質のオタクくん」でも、例えばYoutubeみたいに特定の界隈で王様扱いされていれば、やっぱりグルーピーみたいな女がついちゃうわけだ。
男が女を主に容姿で選び容姿でランク付けしてしまうように、女もまた男のヒエラルキーに乗っかり男のヒエラルキーを食っているわけだが、残念ながら女にはその自覚がない。
「弱者って何が弱者なの?」って言ったら、そりゃその場で雑魚扱いされている奴のことで、だから周りの値付けに便乗してお前も一緒になってバカにしてるとそういうわけなんだけど、
ここでの痛々しい発言の数々を見ると、
みんなこんなにもひどく脅され追い立てられ引きずり回されてきているのかと気が遠くなり、
それなのに殊勝に耐え続けているし、
よくこんなに耐え続けることができるな、すごすぎるわ、ずっと頑張ってんだなこの人、もういいのにらくになってほしいよ、もうこのくらいにしといてほしいとか思っちゃって
悲しくて涙が出てくる。
考えてもみてほしい。
親の躾をうけて
近所の人たちと接して
幼稚園に行き
また世の中と接していく中で
本や新聞、雑誌、テレビやインターネットで世の中がどういうものかを知り、
やりたいことを”自分の頭で考えて見つけている”気にさせられながら色々やってきているかもしれないが、、、
で、その中で、本当に自分が心の底から願ったものではなくて、自分を利用するために誰かが差し向けてやりたい気にさせられて乗せられてやっていたものの割合が一体どのぐらいあるんだろうと。
多分95%ぐらいはそういうやつだよ。
毎日テレビやインターネット見てればそうなると考えて普通だよ。
俺なんかいいカモだよ。めっちゃ従順で言いなりになりやすい性格だから。
だけど、あんまり素直に応じてい続けていたら、つまり、これが本当に心の底から自分のしたいことだと信じたふうな気でいてある程度人生過ごしてきてたら、ついに何かぶっこわれちまったよ。
てんでおかしいし、矛盾だらけだしぐちゃぐちゃに破綻してきたよ。
別に本当にしたいことでもないのに本当に心の底からそうしたいってことにしろって自分で自分を縛り付けてきたんだから。誰かに勝てとか、もっと金を稼げとか、使えとか、こういう人たちを軽蔑しろだとか、こういうやつにはなるなとか、そんなんばっか。
疲れたわ