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2020-11-18

anond:20201117195420

そら戦う奴もおれば、戦わなくなる奴もおるやろう

 

玉音放送聞いて絶望した奴、バレないようにホッとした奴、絶望してから不貞腐れて役に立たなくなった奴、戦争終わってからいろんな防備固めた奴もおるやろう

あと密林に居て現地民と戦い続けたり、バレないように過ごしたり、十何年後とかに恥ずかしながら帰ってきたり、そのまま向こうで家庭持っちゃった奴もおるやろう

 

勿論魔王から魔力使った線が伸びてて各師団に力を供給してて魔王負けちゃってその力が減少しちゃったぜ、力が無くなっちゃったから戦わないぜ、もしくは十字軍共に子々孫々まで根絶やしにされるぜ、各家庭も各地域も燃やし尽くされるぜ、もあるだろう

しかしたら魔王との戦いの前に「俺達のラストマッチ、各家庭や会場で座して見てくれよな!魔王城で僕と握手!」なパターンもあって、結果待ちで負けただの勝っただのも描写の内容によってはあるだろう

 

でもまぁ結局それでも

「俺は魔王様が居なくなろうとも貴様人間共、その協力者共を一人残らずぶっ倒してから死んでやら〜!」って奴も居るだろうし

「あの強力な勇者も余計な指示を出してプレッシャーかけてくる上司もいないから好き放題してやるぜヤッホォーイ!」の奴もいるだろう

あと普通に魔物として制御効かなくなって暴れ出す奴もいるだろう

 

前者が敗残兵だとしたら後者アパッチ族だけれども

そこら辺の詰めた描写が出来てもファンタジーだし

「いやいや、魔王が力失ったら魔物も消えるよ!雲が晴れて世界平和!やったねたえちゃん平和世界に戻るよ!」って言い出すのもファンタジーなのよね。

 

からまぁ、作者のやりたいようにとしか言いようがないです。

僕は魔王軍が一枚岩でも一枚岩じゃなくても、側近がもっとヤバい存在の手下でも、単なる金儲けで戦争をしてたでも好物であることには変わりないです。

2020-10-15

anond:20201011121357

昔の十字軍が使っていたモーニングスターなんかは盾で固くガードしている相手の後頭部に致命傷を与えるエグい武器として発明された側面がある。

大鎌も同じ用途で使えるし、足に引っ掛けて転がすという嫌な戦い方もできる。

欠点は刺さると抜けにくいこと。

2020-09-21

大阪市ただちにヘイト像を撤去するべき

大阪城公園には豊臣秀吉像があるが、これでは皆のための公園であると口では言っていても実際には特定の人を排除しているのと同じだ。

なぜならば豊臣秀吉は25歳の時に14歳少女恋愛結婚するという小児性愛者であり、普遍的人権に反する行為を堂々と行った上に

朝鮮出兵を行った人物であるからだ。

『この公園はいかなる国民人種民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、

公園ヒトラー銅像が飾られていたら「我々はナチズム肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、

イサンベッドフォードフォレストKKK創設者)の銅像が飾られていたら「我々は黒人差別肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、

ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら「我々は十字軍肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、

コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になる。

同様に、公園豊臣秀吉像があるのは「フェミニスト朝鮮人はここに来るな」と同じなのであり、ヘイトスピーチをしているのと同じだ。ただちに撤去しなければならない。

2020-09-02

anond:20200902171929

自分たち価値観が「正義」だと思ってるやつは自己を見つめ直せ

十字軍と同じだとなぜわからないのか

2020-07-20

anond:20200720000253

そうだな、もともと夢物語だな

そんな砂上の楼閣になぜえぐられるのかわからない

キリ○ト教徒十字架にのせられた教祖彫刻が崇高すぎてうおおんみたいなやつ

丹念に洗脳教育させられてできた性癖があることは自覚してリアルと切り離したほうがいいんじゃないかな

そのうちお金だしあって十字軍とか出すようになるからとてもめんどうくさいというかはた迷惑

vtuberだっけ?

昔の洗脳済み先輩のやらかしのせいで虐げられたイスラム教徒が未だにジハードすんぞとかいきってくるのが世界宗教紛争の原因だろ

おまえらリアル少女女性にキレられるようなことをしてる自覚もって

間内以外で夢や妄想にえぐられただのみっともないこといわないですむように行動してほしい

2020-06-18

この世界には歴史修正主義しかいないのか?

十字軍ナチスも一度起きてしまたことの存在のもの否定なんて出来ないというのに

2020-06-13

慶應大学福澤諭吉像を撤去するべき

『我が大学はいかなる国民人種民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、

キャンパス内にヒトラー銅像が飾られていたら「我々はナチズム肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、

イサンベッドフォードフォレストKKK創設者)の銅像が飾られていたら「我々は黒人差別肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、

ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら「我々は十字軍肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、

コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になります

同様に、福澤諭吉像は「我々は脱亜論肯定します。だから中国人韓国人と友人になるつもりはありません」という無言の主張になります

から福澤諭吉像はただちに撤去されるべきです。

2020-06-06

[]マクラ

macramé。何本かの細紐や糸などを手で結び、幾何学的な模様をつくる手芸一種アラビアラクダの背につける麻袋の房結びから発達したとされ、アラビア語のミクラマ(組紐)あるいはムクラム(格子編)、トルコ語マクラマ(タオル)に由来する。その技術ムーア人により中東からスペインへ、そして十字軍によりイタリアへと伝わり、寺院の装飾品や僧服の房飾などに用いられた。 伝わった時代を考えると、トルコ語説はちょっと怪しいかも。オスマン帝国の全盛期からちょっとずれるし。

今でも、細い糸による場合衣服の装飾ショールなどに、太い糸はテーブル掛けやカーテンなどの縁飾りとして用いられる。丈夫な糸を使えば用いてバッグ類も作れるし、ベルトにも用いられる。名称こそ異なるが、日本でも古くから馬の鞍敷や縄のれんなどにその手法が用いられていた。

2020-05-10

anond:20200510180054

deepL翻訳

コロナでは「白人」は正しく差別されるべきではない?

白人」はなぜ差別されないのか?

-

コロナウイルスに関連した差別迫害は今や世界的に広がっています

その状況を具体的かつ広範にまとめたものがある。

―――

"COVID-19パンデミックに関連する外国人の恐怖と人種差別事件リスト"

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_incidents_of_xenophobia_and_racism_related_to_the_COVID-19_pandemic

―――

以上、Wikipedia記事英語版でした。

Google Chromeで、右クリック日本語翻訳してくださいと出てきますが、ちょっと訳が荒いですが、誰でも日本語で読めるようになっています

内容はこんな感じです。

>> フランスでは、2020年1月24日新型コロナウイルス確認されてからアジア人に対する嫌がらせ差別が多発した[41]。中国人韓国人日本人ベトナム人フィリピン人[42]などのアジア人を狙ったもので、中国人韓国人日本人の乗車を拒否するタクシー電車が登場している[41][43]。

>> フランス新聞Le Courrier Picard』は、2020年1月26日に「イエローアラート」という見出しで、マスクをしたアジア人女性トップページ掲載した。

>> 2020年3月8日ピエモンテ州トリノ市リヴォリにある日本食レストランが、店主をからかって伝染病キャリアと呼んだ10代の若者放火の標的にされた。[191]

上記に限らず、中国武漢アフリカ人日本中国人感染者。

アメリカでもエジプトでもアフリカでも世界のどこでも差別は全く存在する。

ある意味ではほぼ平等である。極端な状況下では、敵を作らずに自分たちを維持できる「弱者」も珍しくない。

-

しかし、私が言いたいのは "フィランソロピーで優しく生きよう "などという使い古されたフレーズではありません。

異論はありません。世の中から差別偏見をなくすことができるのであれば、当然それを望む。

しかし、それ以前に私が感じたことは、大きな疑問でした。それは学問的な関心といってもいい。

-

中国人武漢原住民差別し、日本人中国人差別し、ヨーロッパ人アジア人差別する。

なるほど、コロナウイルスの感染拡大を考えると、それなりの理由があるのですね。"見たところ、危険なのはその地域 "ということですね。

大雑把に言えば、「弱者」を意識した結果なのかもしれません。

-

しかし、ここで不思議なことがありますアジア人アフリカ人黄色人種黒人、彼らは世界中の多くの場所差別されているのです。

率直に言って、黒人コロナウイルスとはほとんど関係ないと言ってもいいでしょう。元々の差別意識が表面化しただけです。

これらの民族地域平等差別されている。恐怖心に基づく差別意識だが、間違っているが筋は通っている。

-

しかし。ではなぜ「白人」は差別されないのでしょうか?

-

4月から5月にかけて、欧米で爆発的な広がりを見せたコロナウイルス。

世界感染者数ランキングでは、米国けが134万人で、5月10現在感染者数4億200万人の4分の1以上を占めている。

2位以降はスペインイタリアイギリスロシアドイツブラジルフランスが続き、それぞれ国内感染者数は10万人を超えている。

ブラジルを除くと、2位から7位まではすべてヨーロッパです。西ヨーロッパ」という言葉があるように、明らかに世界で最も危険コロナウイルス汚染地域感染地域であることがわかります

-

しかし。不思議なことに、"世界では白人欧米人、アメリカ人が差別されている "という話はほとんどありません。

もちろんゼロではありませんが、一つの "白人差別 "を探しているうちに、"アジア人差別"、"黒人差別"、"黄色人種差別 "などが出てきます

現在世界で拡大しているのは、中国から第一波ではなく、ヨーロッパからの第二波であり、パンデミックだと言われています

-

これで、「白人」が清く正しく正しいことを続け、コロナ対策成功してきたことは、まだ理解できる。

しかし、白人は普及当初からアジア人差別し続けてきた。

1月2月にはすでにアジア人が "コロナコロナ "と称して歩き回っているという話も珍しくなかった。

どう考えても、白人悪の化身である。それは良いことではありません。

-

初期の流行に関わらず、「コロナ感染の温床」がそこに移ってしまった今、白人に嫌われてもおかしくないはずです。

そうでなければ「平等差別」とは言えない。結果として、それは間違っている。

-

-

ここで理由を考えてみると、結局のところ「対象種族/元々敵対心を持っていた対象」ということになります

"移動に制約があり、白人アジア社会はあるが、白人以外の社会ほとんどない "というのが仮説かもしれません。

このあたりを学術的に研究してみるのも面白いのではないでしょうか。

-

しかし、歴史的に見ても、「白人」が十字軍と一緒にいろんなところで十字軍をして、それに逆らって全力でやっているのを見てきました。

イギリストリリンガル外交が、現在テロが頻発している中東で、黒人インディアン黄色人種への差別を繰り返して悪事を働いている状況を作ってしまったのではないかと思います

から、ここでは白人を正しく差別しようとするのが正しいのではないでしょうか?

-

白人社会は「白人」にはちょっと優しすぎる。

そんなことを考えていた今日この頃でした。

白人』はコロナで正しく差別をされるべきではないか

白人はきちんと正当に、差別をされるべきではないだろうか。

-

現在世界中コロナウイルスに関連した差別迫害が拡大している。

その状況を具体的、かつ広範にまとめたものがある。

―――

『COVID-19パンデミックに関連した外国人恐怖症と人種差別インシデントリスト

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_incidents_of_xenophobia_and_racism_related_to_the_COVID-19_pandemic

―――

という、英語版Wikipedia記事である

GoogleChromeであれば、右クリック日本語翻訳、で、少し翻訳は荒いが誰でも日本語で読むことができる。

内容はこのようなものだ。

―――

>>フランスでは新型コロナウイルス確認された2020年1月24日以降、アジア人に対する嫌がらせ差別が多数発生した[41]。中国人韓国人日本人ベトナム人フィリピン人などのアジア人に対するもので[42]、中国人韓国人日本人などの乗車を拒否するタクシー電車も登場した[41][43]。

>>フランス新聞Le Courrier Picardは、2020年1月26日トップページに「イエローアラート」という見出しマスクをしたアジア人女性特集しました。

>>2020年3月8日ピエモンテ州トリノのリヴォリにある日本食レストランは、飼い主をからかい流行病の保因者と呼んだ10代の若者による放火の標的にされました。[191]

―――

上記に限らず、中国では武漢出身者やアフリカ人が、日本では中国人感染者が。

アメリカエジプトアフリカ世界中のどこであれ、大なり小なり差別存在する。

ある意味でこれは平等と言っていいほどだ。極限状況下であり、「弱い」人々が敵を作らなければ自分を保てないのは珍しい話ではない。

-

しかし私が言いたいのは、「だから博愛をもって優しく生きよう」などという使い古された文句ではない。

それに異議があるわけではない。この世から差別偏見を消し去れるのならば、私も当然それを望む。

だが私が感じたのは、それ以前の大きな疑問だった。学術的な関心と言ってもいい。

-

中国人武漢出身者を、日本人中国人を、ヨーロッパ人アジア人差別するという。

なるほど、コロナウイルス感染拡大の流れなどからも、それには一理ある。「こちから見たら危ないのは大体その辺り」ということだ。

大ざっぱだが、「弱い」人々なりに考えた結果ではあるのだろう。

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しかしここで、奇妙な点がある。アジア人アフリカ人黄色人種黒人、それらは世界中の多くの場所差別されている。

率直に言えば、黒人コロナウイルスとはほとんど関係ないのでとばっちりと言ってもいい。単に元からある差別意識が表面化しただけだ。

これらの民族地域平等差別されている。恐怖感に基づく、間違ってはいるが理屈の通る差別意識だ。

-

けれども。ならばなぜ、『白人』は差別されないのだろうか?

-

4月から5月にかけて、コロナウイルス欧米において爆発的な感染拡大を見せた。

今や世界感染者数ランキングでは、アメリカが134万人と5月10日現在の総感染者数、402万人のうち4分の1以上を占めてトップを独走している。

2位以降はスペインイタリアイギリスロシアドイツブラジルフランスと続き、どれも10万人以上の国内感染者がある。

ブラジルを除けば2位から7位まではすべて欧州だ。『欧米』というくくりは、明らかに世界で最も危険コロナウイルス汚染領域感染地帯である

-

けれども。不思議なことに、「そのため、世界白人ヨーロッパ人アメリカ人は差別されている」という話はほとんどない。

もちろんゼロではないのだろうが、『白人差別』を一つ探している間に『アジア人差別』『黒人差別』『黄色人種差別』が十も二十も見つかる有り様だ。

現在世界で拡大しているのは、中国由来の第一波ではなく、ヨーロッパ由来の第二波のパンデミックだとも言われているにも関わらず、だ。

-

これで『白人』が世にも清廉潔白で正しい行いを続け、コロナ対策にも成功しているというのならまだわかる。

しかし、白人感染拡大の初期からアジア人差別を続けてきた。

欧米メディア日本感染対策の不備をあげつらっては批判し、1月2月には、既に現地でアジア人が歩いていると「Corona Corona」と囃し立てられる、という話が珍しくなかった。

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けれど実際に感染爆発が起きたのは欧米である

手洗いをあまりせず、マスクをせず、外出規制無視して罰金をくらい、アメリカでは外出制限に対し2万人が集合して3密完全達成のデモが起きた。まぁこれらが欧米パンデミックの原因とは限らないし、いくつかは欧米だけの話ではないだろう。

だが、少なくとも欧米上から目線で物を言える立場にはないはずだ。

もう少し、自重謙虚さというものを知っていてもいい。

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というわけでどう考えても、白人は悪の権化である。ロクなものではない。――と、言い出す人がいても、その方が自然だ。

流行初期はともかく、「コロナ感染の温床」がそちらに移った以上、今度は白人が忌み嫌われてよいはずだ。

でなければ「平等差別」とは言えない。起きる結果として、間違っている。

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-

ここでその理由を考えてみれば、やはり「元々敵対意識があった人種対象ターゲットになる」、

「移動制限もあり、アジア人が多い白人社会はあっても、白人が多くいる非白人社会は少ないから」、という辺りが仮説になるのだろう。

その辺りを学術的に研究してみても面白いに違いない。

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けれど私は、歴史的に見ても『白人』は十字軍で各地を荒らし回って悪逆非道の限りを尽くし、

イギリスの三枚舌外交現在テロが多発する中東情勢を生み出し、黒人インディアン黄色人種差別を繰り返し、と悪事を重ね続けてきたと思う。

なので、ここらで一度、白人を正しく差別してみてもいいのではないだろうか?

-

白人社会は、『白人』に対して少々優しすぎる。

そんなことを思う今日この頃であった。

2020-03-14

歴史肥大化

俺は2000年くらいまでのところを歴史としてしっかり習ってそれ以降は「最近はこんなこともあります」って感じで流されたけど、たとえば2500年に生まれ子供(それまで人類耐えてるかな)は2500年くらいまでの歴史をやるわけじゃん

歴史学とか考古学進歩するし情報の保存方法も増えるから今後の歴史資料は増えこそすれ減りはしない(核戦争とか起きたら別だけど) 今1600年代映像資料はないけど、2500年に2100年代映像資料はたぶんある

人類社会を維持し続ける限り歴史ってどんどん増えていくと思うんだけど、将来どうやって勉強するんだろ やっぱ細かいとこを切り捨てていくのかな そうすると4000年に歴史の教科があったら(なさそう)すごいデカ事件だけを掻い摘んでいく感じになってるんだろうか 第20世界大戦であるんならまあ十字軍的な覚え方になるよなあ

あとどうでもいいけど、現代っていつまで現代なんだろう 2150年くらいには2020年も近代扱いされてんのかな

2020-03-06

慶應大学は『隠れた差別』を止めるべき

加計学園獣医学部韓国人受験者に大幅な減点をしていたというのは事実であるならば明確な差別であり、許される事ではない。

ただ一方で、差別というのはこのように分かりやすい形で行われるとは限らない。

たとえば、『我が大学はいかなる国民人種民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、

キャンパス内にヒトラー銅像が掲げてあったら「我々はナチズム肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、

イサンベッドフォードフォレストKKK創設者)の銅像が掲げてあったら「我々は黒人差別肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、

ウルバヌス2世の銅像が掲げてあったら「我々は十字軍肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になるでしょう。

そのような『隠れた差別』も許されるべきではありません。

そう考えた時、福沢諭吉像は「我々は脱亜論肯定します。だから中国人韓国人と友人になるつもりはありません」という無言の主張になります

そのような差別ただちに止めるべきです。

2020-02-13

anond:20200207185501

 今更だけれど思ったこと書くね。

 エンタメに飽きたら、世界史勉強をするのがいいんじゃないかな。

 この元増田の言っていることの全部が正しいとは思わないんだけれど(たとえば「海外ドラマはお子様向けを卒業した十二歳向け」みたいな表現ね)、娯楽をある程度摂取するとパターンが見えてきちゃうのは本当だと思うし、たくさんの作品を鑑賞していると、脚本術について詳しくなくても、「この場面で伏線を張っているな」とか、「今このキャラクター物語をたたみに向かってるな」とか、何とはなしに見えてきちゃうよね。

 それに、月9ドラマなんかだと作業しながらでもそれなりに理解できるようにストーリーを作っているので、まどろっこしく感じちゃうのもよくわかる。自分全然見ない。映画なんかも、友達と付き合いで行く以外は、こじらせ芸術映画をたまに見る程度。なんでかっていうと、アート映画脚本術に従っていない、従っていたとしてもあからさまじゃなくて、どういうストーリーになるかほとんど予測がつかない。そこが楽しいから

 で、この増田勉強することにしたみたいだけれど、なんだかんだ言って、教養を得ることに向かうってのは、いい考えなんじゃないかな。

 自分なんかは、世界史をざっくりと勉強してみると楽しかった。ちょっと古い本だけれど、中央公論社から出ている「世界歴史シリーズ全三十巻を、数年前に読んでみた。正確には、学生時代に流し読みをしたものの再読だ。

 世界史を知っておくメリットはいくつかある。ニュースを流し読みしても大体のことが頭に入ることだ。でも、それとは別にそもそもすごく楽しいってのがある。いろんなファンタジーとかゲームとかの元ネタを見つけるとわくわくするし、遠い国の人たちの暮らしを知って空想するだけでも、毎朝の通勤時間が豊かになる。

 それと、このシリーズは、歴史地域ごとに分かれて書かれているので、ある出来事複数の巻で重複して触れられることがある。たとえば、モンゴルによるバグダッド破壊なんかはイスラームの勃興期と遊牧民を扱った巻にそれぞれ出てくるし、トルキスタンで起こったムスリムの反乱は、近代イスラームの巻と清朝末期を扱った巻の両方に出てくる。

 それの何が面白いかっていうと、同じ出来事見方によって評価全然違うってこと。当たり前なんだけれど、ある国では救国の英雄だけれど、別の国では冷酷な侵略者になっていることなんてざらだし、時代が変化することで評価が逆転したり、忘れられていた人に急に光が当たったりする。チンギス・カンモンゴルではヒーローだけれどほかの国では災厄以外の何物でもないし、バッハフェルメールといった人物も、忘れられていた時代があった。この世界史シリーズも著者によってバイアスがかかっていて、そこがかえって読みごたえがあるんだけれど、モンゴル担当した人が個性が強くて、「遊牧民文化は定住民のせいで低く評価されすぎ!」みたいな本を出していて、おかげでモンゴル残酷行為が若干省かれちゃっているのが難点。

 これってまさに芥川龍之介の「藪の中」みたいな感じで、互いの証言矛盾しているから頭を使わないといけなくて、下手な娯楽よりもずっと面白い。いや、自分現在起こっている日本中国韓国との証言の食い違いは、あまりいい気持がしないんだけれど、それがたとえば何百年も昔のことだと、それがとてもロマンチックに感じられる。聖地奪還の情熱燃えていた十字軍も、アラブから見れば「なんか辺鄙なところから蛮族が来たぞ」みたいな印象しかない、みたいな話だ。

 話がそれてしまったけれど、自分が言いたかったのは、頭の中に複数物語を併存させておくことで、自然物事に対して客観的になれるメリットがある、ってこと。しょっちゅう増田表現の自由だとかセクハラだとかいろいろと炎上したりしているけれど、ある人の意見絶対視しなくて済むようになる。Aという視点ではこうだけれど、Bという観点からだとこういう意見が当然出てくるだろうな、ってのが読めてくる。読めてくると、「この人ならこういう反応をするだろうな、この専門家ならこういう発言をするに違いない」ってのがわかってきて、こっちも必要以上に感情的にならなくて済む。元増田は「悪化する大衆メンタリティ」という表現で、そういう荒れがちな場をちょっと下に見ている感じもないではないけれど、議論にすらなっていない議論から距離を取ることができるようになると、余計なストレスを感じなくて済むのは確かだ。

 それに、複数見方ができるようになると、例えばムスリムから世界史を見たらどう見えるだろう? 女性史の観点からならどうだろう? って、多くの人に受けいれられている歴史見方を疑ってかかれるようになるので、やっぱり楽しい

 他にもいろいろメリットがあって、基礎的な知識があると、ほかのことを勉強していてもすごく楽しい古典文学を読んでいてもすごく面白いし、百年前のあの憧れの人と同じ本を手に取っているって興奮できる。文豪たちと同じ詩を読んで感動するのはいものだ。科学医学歴史についてざっくりとでもいいので学ぶと、自分生活は先人のものすごい技術的蓄積の上に成り立ってるんだなって思うし、自然科学の基礎的な素養があると、ぽっと出のインチキ治療法には引っかからなくなる。哲学史について軽く触れるだけでも、学生時代にしたような哲学的思索は、ギリシアインドが二千年前にとっくに通過した場所だってわかってはっとする。女性地位がどう変化したかをたどってみると、「女性は『常に』被害者だった」みたいな極端な意見には大きな疑問符をつけることができる。

 それと、こうやって三十巻ざっと読んで思ったのは、自分歴史観はバイアスがかかっていたんだなってこと。たとえば、ギリシアローマ歴史は一巻にまとまっていて短すぎるって思ったし、中国歴史ももう少し細かいところに触れてほしいって思ったけれど、たとえばムハンマド時代からアッバース朝滅亡までが一巻ってのはちょうどいいって感じられて、これってつまり自分イスラームのことをまだまだ知らないってことだよね、って思えたりして、バランスが悪いなあって。自分の考えは、ちょっと偏っているかもしれないって、疑えるようになるってのもまた、勉強する楽しさの一つだ。

 あと、いろんな知識が増えると、いろんな人が自分よりも前に書かれた本について言及しているのをたくさん見つけることになるんだけれど、この世界がまるで巨大なシェアードワールドみたいな感じがして面白い自分古典を読むのが好きな一番の理由がそれかもしれない。さっき述べた、互いに矛盾するような証言でさえ、この世界がどれほど「作りこまれいるか」、いいかえると複雑なのかを教えてくれているみたいで、興奮する。

 自分通勤時間と昼休みしか読書をしないエンジョイ勢だけれど、こういう勉強ってのは一生やっても飽きない気がしている。娯楽を馬鹿にするわけじゃない。でも、「娯楽の場がぎすぎすして嫌だな」ってときには、ほかに楽しいと思える遊び場を持っておくのは、いいことなんじゃないかな。

東京国科学博物館東洋館と「出雲大和展」に行ってきた。

二月一日

 間もなく、特別展「人、神、自然ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。

 特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのもの常設展最初の部分、すなわち中国西域仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもの構成されているというか、あまりにも時代地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ普段はなかなか見られないマヤ文明仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである

 で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分東アジア文化好きな人間だからそう感じるのだろうか。

 とはいえ自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。

 あとは、天然の石を削ってザクロ見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。

 もう一つ興味をひかれたのは、漢代画像石だ。学生時代古典教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形表現され、遠近法無視されている。エジプト絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代チェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。

 そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうであるしかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。

 自分にはそれこそ古代中国官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日気分転換成功たかなのだろうな、という気がした。

 近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ


二月八日

 特別展出雲大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。

 おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝重要文化財ごろごろとある三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。

 他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。

 下世話な話だが、自分動物彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。

 脱線が続くが、本当に不思議なのは世界中の文化男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシアローマに由来する彫刻絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである

 閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。

 ほかにも、神社奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。

 帰りは東京駅田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そば天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。

2020-01-14

歴史源平合戦とか十字軍遠征って、誰も見てないのになんであったことになってるの?史料捏造じゃないって前提なわけ?

2019-12-26

anond:20191226165930

×「「多様性を受け入れる」という画一的な考え」 〇「ある特定思想価値観」であって十字軍ISナチス等のラベル違いに過ぎない

2019-12-04

70年以上前の事をなんで今でもグチグチ言ってるんだ

と、日本戦争責任になると言い出す人いるけど、カトリック2000年近く前のユダヤ人について反省を表明したし、十字軍教会分裂にも言及している。

この前もメキシコスペインコンキスタドーレスに対する遺恨がニュースになってる。

アルメニア人は100年前の虐殺を忘れない。

少なくとも加害者の側が70年程度のまだ被害者が存命してるのに、言うことじゃないよね

2019-09-24

anond:20190922224346

>人が死んだら喜ぶ悪魔

ぶっちゃけこれが出来ない奴ほど危険

犯罪に走る奴は家庭環境が悪かったり挫折したりして自分排斥した社会悪魔だと断じて暴力的行為に向かう。

現代社会というか十字軍の昔から暴力は自らではなく他者を悪に置き、正義感の元に自らを正当化した人間によって為される。

一方で自分の本性の悪質さを知っている人間はむしろそれが表に出ないように注意し、抑え込むことが出来る。

2019-04-13

anond:20190408211652

ヨーロッパエリート大学出身者だけで成立する連隊とかあるんだろ

十字軍に参加して夕刊に死んだら天国だとキリスト教聖書に書いてあるのか

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