はてなキーワード: 十字軍とは
わたしは啓蒙がキライだ。他人から啓蒙されるほどアホではないし、他人さまを啓蒙するほど傲慢でもない。
フェミニズムの運動は、自己解放から出発したはずなのに、いつのまにか「すすんだワタシ」が「おくれたアナタ」を
フェミニズム啓蒙主義には、リブ度に応じて女たちを「ススンデルーオクレテル」に序列づける権威主義がある。
ススンダ方はオクレタ方に正義を押し付け、あまつさえフェミニズム十字軍よろしく女の正義を「輸出」しさえする。
フェミニズム先進国ー後進国の関係は、たとえば「アメリカの正義」を押し付けようとする抑圧的な植民地主義と
変わらない。大きなお世話だ。何が解放かはテメェが決める。他人様のお世話になんかならない。それがフェミニズムの
出発点だったはずだ。
おんなの運動は抑圧的な男権社会に対する対抗文化として、成立したとたん「対抗的価値」の尺度ができあがる。
法律婚をしているかしてないか。化粧するかしないか。夫を「主人」と呼ぶか呼ばないか。さまざまな尺度が「踏み絵」になる。
やっぱ只者じゃないわ上野千鶴子は
『女子高生風の制服』という男の欲望の詰まった服装の『萌えキャラ』という、女性の身体を性的客体化したコンテンツは女性差別を促進する可能性があると牟田和恵氏や小宮友根氏によって指摘されている一方で、差別を促進しないという証明はなされていないにも関わらず、地方公共団体がそのようなコンテンツの宣伝をすることは不適切だから。
萌えキャラを見るとそれに発情してハァハァしている醜いオタクを想像して不快になる女性が多数いるにも関わらず、
地方公共団体という公共性の高く「嫌だから見ない」という選択が取りづらい機関がコラボすることは不適切だから。
『松戸市はいかなる国民・人種・民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になります。
同様に、市の警察がVtuberとコラボするのは「フェミニストはここに来るな」と言っているのと同じなのであり、ヘイトスピーチをしているのと同じであるから。
萌えキャラを見るだけで一部のフェミニスト、社会学者、弁護士や彼ら・彼女らを支持する人は理性を失い、自分とキャラクターの区別がつかなくなり、わけのわからない主張を始めるようになるという害が明らかに存在するにも関わらず、地方公共団体が宣伝するのは不適切だから。
5.人命尊重のため
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わたるが死んじゃう!
全くですよね。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になりますよね。
たとえフェミニストや性嫌悪者が少数であっても公共の場所では配慮されるべきだろう。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になる。
それを我慢させていたら却って多様性の実現からは遠ざかるのであり、そうならないためにも性的なポスターはむしろ積極的に排除していくべき。
表現の自由戦士は「自由権とは不快を我慢させる権利である」と言うけれど、
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。
だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にダンテ像が飾られていたら「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
国会議事堂前にオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になり、
市が萌え絵で町起こしをしていたら
「我々は萌え絵を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミはここに来るな」という無言の主張になる。
Paradox Interactive社製コンピューターゲームの略称。
とはいえ、最近はTPSや戦術級RTS、アクションRPGなどの販売も行っている。
主な過去作
Europa Universalisシリーズ - 14・15世紀から18・19世紀までの宗教改革や大航海時代の世界を扱ったストラテジーゲーム。
Hearts of Ironシリーズ - 第二次世界大戦をテーマとしたストラテジーゲーム。
Victoriaシリーズ - 19世紀から20世紀までの産業革命や第一次世界大戦の世界を扱ったストラテジーゲーム。
Crusader Kingsシリーズ - 11世紀から15世紀までの欧州・地中海世界を舞台に十字軍をテーマとしたストラテジーゲーム。
March of the Eagles(英語版) - ナポレオン戦争をテーマとしたストラテジーゲーム。
Stellaris - 西暦2200年からの宇宙を舞台にしたストラテジーゲーム。
Cities: Skylines - 都市建設シミュレーションゲーム。
『女子高生』という男の欲望の詰まった年齢層の『萌えアニメ』という、女性の身体を性的客体化した
コンテンツは女性差別を促進する可能性があると牟田和恵氏や小宮友根氏によって指摘されている一方で、
差別を促進しないという証明はなされていないにも関わらず、地方公共団体がそのようなコンテンツの宣伝をすることは不適切だから。
萌えアニメのキャラを見るとそれに発情してハァハァしている醜いオタクを想像して不快になる女性が多数いるにも関わらず、
地方公共団体という公共性の高く「嫌だから見ない」という選択が取りづらい機関がコラボすることは不適切だから。
『小金井市はいかなる国民・人種・民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。
だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になります。
同様に、市が萌えアニメとコラボするのは「フェミニストはここに来るな」
と言っているのと同じなのであり、ヘイトスピーチをしているのと同じであるから。
萌えキャラを見るだけで一部のフェミニスト、社会学者、弁護士や
彼ら・彼女らを支持する人は理性を失い、自分とキャラクターの区別がつかなくなり、
わけのわからない主張を始めるようになるという害が明らかに存在するにも関わらず、地方公共団体が宣伝するのは不適切だから。
5.人命尊重のため
女性の性的な部分だけを客体化した萌えアニメのキャラを地方公共団体がが使う
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わたるが死んじゃう!
そもそも日本は騎馬民族による征服者のトップであった天皇に従う者が被征服者の
被差別部落民、サンカ、隼人、蝦夷、アイヌ、琉球民族などを近代以前から搾取し、
近代以降は朝鮮人や中国人などのアジア人も搾取してその上に成り立ってきた
世界で一番罪深い民族であるから、民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志(世界革命浪人)
以外の日本人は滅びるべきだという主張をする人もいるのに、
https://www.bs.jrc.or.jp/ktks/yamanashi/2021/01/post-255.html
『女子高生』という男の欲望の詰まった年齢層の『萌えアニメ』という、女性の身体を性的客体化したコンテンツは女性差別を促進する可能性があると牟田和恵氏や小宮友根氏によって指摘されている一方で、差別を促進しないという証明はなされていないにも関わらず、赤十字という公共性が高い機関がそのようなコンテンツの宣伝をすることは不適切だから。
萌えアニメのキャラを見るとそれに発情してハァハァしている醜いオタクを想像して不快になるにも関わらず、赤十字という公共性の高い場所で「嫌だから見ない」という選択が取りづらい場所でコラボすることは不適切だから。
『赤十字の献血ルームはいかなる国民・人種・民族に対しても開かれています』と口では言っていたとしても、
入り口にヒトラーの銅像が飾られていたら「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
ウルバヌス2世の銅像が飾られていたら「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
コロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になる。
同様に、献血ルームに萌えアニメのポスターがあるのは「フェミニストはここに来るな」と言っているのと同じなのであり、ヘイトスピーチをしているのと同じであるから。
萌えキャラを見るだけで一部のフェミニスト、社会学者、弁護士や彼ら・彼女らを支持する人は理性を失い、自分とキャラクターの区別がつかなくなり、わけのわからない主張を始めるようになるという害が明らかに存在するにも関わらず、赤十字が宣伝するのは不適切だから。
5.人命尊重のため
女性の性的な部分だけを客体化した萌えアニメのキャラを赤十字という公共性の高い機関が使う
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わたるが死んじゃう!
そもそも日本は騎馬民族による征服者のトップであった天皇に従う者が被征服者の被差別部落民、サンカ、隼人、蝦夷、アイヌ、琉球民族などを近代以前から搾取し、近代以降は朝鮮人や中国人などのアジア人も搾取してその上に成り立ってきた世界で一番罪深い民族であるから、民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志(世界革命浪人)以外の日本人は滅びるべきだという主張をする人もいるのに、そのような意見を考慮せず、日本人の人命を救うことは尊いと無条件に考えることは政治的に中立ではないから。
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
そら戦う奴もおれば、戦わなくなる奴もおるやろう
玉音放送聞いて絶望した奴、バレないようにホッとした奴、絶望してから不貞腐れて役に立たなくなった奴、戦争終わってからいろんな防備固めた奴もおるやろう
あと密林に居て現地民と戦い続けたり、バレないように過ごしたり、十何年後とかに恥ずかしながら帰ってきたり、そのまま向こうで家庭持っちゃった奴もおるやろう
勿論魔王から魔力使った線が伸びてて各師団に力を供給してて魔王負けちゃってその力が減少しちゃったぜ、力が無くなっちゃったから戦わないぜ、もしくは十字軍共に子々孫々まで根絶やしにされるぜ、各家庭も各地域も燃やし尽くされるぜ、もあるだろう
もしかしたら魔王との戦いの前に「俺達のラストマッチ、各家庭や会場で座して見てくれよな!魔王城で僕と握手!」なパターンもあって、結果待ちで負けただの勝っただのも描写の内容によってはあるだろう
でもまぁ結局それでも
「俺は魔王様が居なくなろうとも貴様ら人間共、その協力者共を一人残らずぶっ倒してから死んでやら〜!」って奴も居るだろうし
「あの強力な勇者も余計な指示を出してプレッシャーかけてくる上司もいないから好き放題してやるぜヤッホォーイ!」の奴もいるだろう
あと普通に魔物として制御効かなくなって暴れ出す奴もいるだろう
「いやいや、魔王が力失ったら魔物も消えるよ!雲が晴れて世界平和!やったねたえちゃん!平和な世界に戻るよ!」って言い出すのもファンタジーなのよね。
僕は魔王軍が一枚岩でも一枚岩じゃなくても、側近がもっとヤバい存在の手下でも、単なる金儲けで戦争をしてたでも好物であることには変わりないです。