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2022-06-23

anond:20220623194803

三代:茶屋四郎次郎 清次(ちゃやしろじろう きよつぐ、天正12年(1584年) - 元和8年7月16日1622年8月22日))

二代の弟で、長谷川藤広の養子となっていたが、兄の急逝のため江戸幕府の命で急遽跡を継いだ。呉服師の一方で藤広の長崎奉行就任後は長崎代官補佐役などを務める。1612年、朱印船貿易特権を得ることに成功し、主にベトナム北部に船を派遣し、莫大な富を得た。その財産によって茶道具を蒐集し、本阿弥光悦らの芸術支援にも熱心であったが、1622年に38歳で死去した。

しばしば俗説では、徳川家康の死因はタイ天ぷらをたべたこであるとされ、その天ぷら家康に勧めたのは清次とされる。『徳川実紀東照宮御実記附録巻十六には、以下のような話が記載されている。元和2年(1616年1月21日駿河国田中鷹狩を行った際、家康は清次に上方での流行を尋ねた。清次は「タイをカヤの油で揚げ、その上にニラをすりおろした物をかけた料理」が流行っており、自分も食べたがとてもいい香りがしたと答えた。家康調理を命じてその料理を食べたが、その夜に腹痛を訴えたという[5]。

 
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