はてなキーワード: 事務的とは
コロナが流行ってみんなが引きこもるようになり、友人と会話する機会が増えた。
もともと自分は在宅でたまの事務的なやり取り以外ほとんど他人と接触することのない仕事をやっている。
別に他人と話すのは嫌いではないというか、むしろ好きなのだけれど、口からことばを吐き出さないと死ぬといった性分でもないうえにそもそもが極度のめんどくさがりなので、対人関係にコストをあまり払わなくていい生活に落ち着いてから、気づいたら一週間誰とも喋っていないのがしょちゅう、そんな日常になっていた。
ところが、最近は友人とよく話す。
discord、 zoom、skype といったアプリを通じてオンライン飲みや読書会やゲーム会やただの雑談に誘われまくる。
コロナ以前の彼らとは主にSNSやLINEを通じた文字ベースのやりとりを交わしていたのだけれど、今はむしろ音声会話の比重が高い。
おそらくずっと引きこもり自粛生活を強いられるのは相当なストレスなのだろう。
家庭持ちならパートナーや子どもと話せるじゃんと独り身の自分などはおもうのだが、そういうひとたちもやはり「外」と接触できないのは不満らしい。
ゴールデンウィークも連日ずっと友人たちと駄弁っている。
ひょんなきっかけから友人の友人まで参加したことで、うかつにも交友関係が広がりさえした。
なんというか、コロナのおかげでちょうどいいかんじに楽しく過ごせるようになってしまった。
よく考えればコロナのおかげというより電子機器類と通信技術の発展のおかげというべきだろうし、たとえコロナのおかげだとしても自分が申し訳なく感じる必要はないのかもしれないが、それでもうっすら後ろめたさのようなものを抱えてしまう。そんな今日このごろである。
どんな人でも、理不尽な扱いや嫌がらせを受けたり、人間関係や金銭など諸々のトラブルに巻き込まれたりして「こいつ嫌い!死ねばいいのに!」という感情になることはあると思います。
私は高校の頃「嫌い、死んでほしいくらい嫌い」と思っていた同級生がいました。
その方が去年、自殺したということを知ったので自分用の記録として書きます。
亡くなった人をAさんとします。
違うポジションでクラスも違っていたので1年生の頃は特に関りもなく、休憩時間や移動時に隣になれば世間話をする程度の関係でした。
Aさんともう一人(Bさん)が率いるグループ(X)が部の雰囲気を悪くしているということで、部全体を巻き込むトラブルになりました。なぜXグループが部の雰囲気を悪くしていたのか、その原因はほぼ忘れてしまいましたが、「課題を提出出来ずに居残りになるのがなぜ悪いのか」と開き直って、真面目にやっている人が割を食うみたいなそんな感じだった気がします。
一応県ではトップの強豪校で目指せ全国!って感じの部だったので、居残りや遅刻にはものすごく厳しく連帯責任があるほどでした。とにかく顧問の権力が絶大で、口ごたえすればめちゃくちゃに怒鳴られますし、私含め皆洗脳されていたと思います。
その事件については部全体での話し合いで一応解決しました。その後、トラブルは度重なり、Xグループと他グループが対立したり、それきっかけでBさんが退部したりと色々ありました。2年になると私は部長候補、Aさんは副部長候補となり、表面上は事務的に普通に接しているけど、お互いあまり良く思っておらずなるべく関わり合いになりたくないという感じでした。
Bさんの抜けたXグループはその後もイケイケ路線を貫き、全体としてはまとまっているものの各々では不穏な雰囲気が漂っていました。3年生が引退して代替わりすると、私は部の雰囲気に嫌気がさして部長になることを辞退し、XグループにいたCさんが部長、私とAが副部長になりました。
その後は割と平和でしたが、CさんとAさんが裏で結託している様子、私がXグループで叩かれている様子は分かりましたし、常に2対1になってしまいます。私だけならまだしも、その他の真面目に勉強や練習している人を馬鹿にしたりするのは本当に呆れましたし悔しかったです。その他も最終下校時刻を守らない、放課後マックで騒ぐなど小さいトラブルもありました。しかし「決定的なトラブルやいじめ」というものはなく、常に冷戦が続いていたと思います。
結局3年生になった私たちの代は成績も残せずさっさと引退しました。さらに言うと、Cがトラブルを起こし、途中で私が部長をやる羽目になりました。これがものすごく屈辱的でした。今更部内改革を起こす気にもなれず、そもそも3年生になってからは部や競技そのものに情熱を持てなくなっていてさっさと負けて引退したいという気持ちでいっぱいでした。
また3年生ではAとBと私が同じクラスだったのでその二人がウェイウェイしてるのを常に目にする状況でした。これが一番きつかったです。
Bさんに対してはいい印象が全くなく、しかし今思えば「嫌いになるような痛烈な事件」というものもありませんでした。ちいさなイライラが少しずつ積み重なって心から「嫌い、本当死んでほしい」と思うようになりました。
卒業するころになると、Xグループはほぼ全員受験失敗(Aは志望を下げて合格)、私は皮肉なことに部活の成績(あとは普通に評定も良かった)で推薦で大学に受かりました。
やっぱり最後は努力したものが勝つのだなぁとちょっと見返した気持ちになって大学進学をしました。
そのあとはOBとしてたまに手伝いの要請が来るくらいで、私は進学先が遠方だったこともあり会うことはほとんどありませんでした。
大学進学後に困ったことがありました。AとXグループに陰口をたたかれたり嫌がらせを受ける夢を何度も見るのです。3年の時は部活を辞めたくて辞めたくて仕方なかったため、自分は春に退部したという設定で「途中で投げ出した弱虫」みたいに陰口を言われてました。
これは社会人になっても続いていて、自分の中で相当トラウマになっていたのだと思います。
そして25歳のある日、SNSの「知り合いかも?」にBが出てきました。なんとなしに眺めていると、「Aが死んだなんていまだに信じられない」という投稿がありました。投稿を遡ると去年亡くなったようでした。親切なことに死因が自殺であることと、精神を病んでいたらしいことが書かれていました。実家に電話してOB会の名簿を確認すると、Aの名前がなくなっているようなので本当らしかったです。
Aが死んだ。その事実に対して割と何とも思わなかったのが正直な感想でした。
名前しか知らない同級生が引っ越したくらいのどうでもいいような内容に感じられました。
そのあと「あぁ私はきっと過去のAの記憶から解放されるのだな」と安堵しました。
悲しい、という気分にはほとんどならなかったです。
BがAの死について苦しんでいる様子がSNSを通じて伝わってきたので、正直そこは「ざまぁ」と仄暗い喜びを感じました。
しかし、Aは私の苦しみを知らずさっさと人生リタイヤしてしまったのだな、と思うと「ずるい」と正直思います。でもAはAなりに色々あったようなので、そこは少し気の毒だなとは思います。
高校卒業してAは自分の中で完全に過去の人になっていて、大学の研究なり仕事なり「今の世界には必要ない人」になっていたからこんな軽い感情の動きで済んだんだと思います。
それが大学卒業直後やトラブルの渦中だとしたら、また違うと思います。
しかし、今現在進行形で「死ねばいいと思っている人」がいる人に「時間がたてば、どうでもよくなるよ」なんてことは言えません。これはあくまで私の例で、その人の感情には全く当てはまらないからです。
しかしその「死ねばいい」という気持ちは否定しないでほしいです。それは自分が嫌なことを嫌ではないと否定することになると思うので。あんまり周りの人に吹聴するのはその人自身の立場が悪くなるのでおすすめはできませんが。
元増田は「お前は悪くない!」て言って欲しいんだろうけど、お兄様に対して何かは悪かったんだと思われる。
ただ、親の遺産だとか入院方針だとかに、遠隔地の、普段介護とかにかかわってない親戚が口を出してきて揉めるのはあるあるネタ。
普段から接してるとむしろ老いや死をいつもどこかで意識するので、感情とは別に事務的にやることはやるモードになるんだよな。
終活程度でその調子だと、親御さんが入院した時の延命方針や亡くなった時の遺産の処理に超揉めることが予想されるため、録音か書面で親御さんの意思(まあ、遺書と言ってもしれんが)を用意しておくのと、今回はそん時への練習だと思ってお兄様への対応を色々試してみるんだね。
お金があって、スケジュールがあって、メンタルの調子がいいときはなかなか来ない。
それで、いいタイミングがやってきたときに限ってどんな女の子がいいか選択できない。
そうなんだよ、日ごろのからサーベイとストックが大事なんだよ。
風俗探求と採用人事は似てる。今回のテーマ(低身長貧乳とか)を決めデータを突き合わせて苦渋の決断をして候補に順位をつる。
二次選考は写メ日記だ。まず書いていない人は情報不足だからダメ、事務的でも定期的に書いているひとは比較的ハズレが少ない。
電話をするとたいてい第一候補は予約で一杯だったり、スケジュールが合わなかったりする。
[B! 高輪ゲートウェイ] 高輪ゲートウェイのAIが男女で絵柄が違いすぎて炎上。女キャラはアニメ絵柄で髪の毛をさわる仕草をし彼氏の有無を語る、男キャラはリアル調で名前もなく事務的対応 - Togetter
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1482285
molmolmine あーーこればダメだ燃える。男性も2次元にして、変な質問に答える機能無くせばいいと思う。普通仕事中に彼氏の有無聞かれたら警戒ゲージMAX振り切れるぞ。
2020/03/17
samu_i 女性の顔出しはリスクが高く、お金で解決できるのが絵だったとか(顔出しの男性のほうが絵より安い説。その他の機能面については考えてないです
2020/03/17
srjspirits 男AIもイケメン二次元キャラにしして「いつもお疲れ様」とか「今日も頑張ったね」とか言わせるようにすればバランス取れてたはずなのになぜ中途半端にやるのか。やるなら本気でやりきれよ
2020/03/17
aminisi 確かにバランスが悪くは見えるけれど新規性追求しつつアニメに不慣れな高齢者などの存在も考えると時点ではある程度は仕方がない気もする。実写かアニメか、男性か女性かで4パターンあれば理想的だけど予算的問題か
2020/03/17
いやいや、よく見ましょう。
男性駅員はフォトリアルな、女性駅員はアニメ寄りな志向なだけで共に3Dです。
https://pbs.twimg.com/media/ETBbrXVU4AAYrL-.jpg
https://pbs.twimg.com/media/ETBbrZTU4AAIMb1.jpg
はてブは孫がプレイしてるNFL2K(1999年、ドリームキャスト、発売:セガ、開発:Visual Concepts)や劇空間プロ野球(2000年、PlayStation 2、発売・開発:スクウェア)を見て実写映像と勘違いするようなお爺ちゃんお婆ちゃんユーザーしかいないのかな?
最近、慣れ親しんだ人と会話するのが苦痛になってきた。昔から人と会話するのが苦手だが、それがここ数年で酷くなった。
自分は空気の読めない子で、いつも話すたび相手が怪訝そうな顔をしていたり、会話が止まってしまうこともあった。
だけど会話はキャッチボール。相手の話す言葉を受け止めるだけじゃ、会話は成立しない。
いじめられた経験から、必死に集団に馴染もうと努力した。そうしたら、何とか返球出来るようになって、浮くことも少なくなった。
でもそれはハリボテで、変則的な言葉を投げかけられるとすぐ壊れてしまう。
だから、会話する度に相手を不快にさせてないか、変なことを口走ってないか不安で不安で仕方ない。しかも人と会話する回数が少ないから、余計に気になる。
へまをしてしまった時には死にたくなる。気にしないようにすればいいのだが、生憎私の心は一人立ち出来るほど強くない。
だから人間不信の今でも他者にすがろうとし、追い求めるのだろう。
例えば英語の授業の始めにあるようなHow are you?の問答みたいなものだ。
でも、それ以降の言葉は何も分からない。話題も経験も何もないから。受け答えが決まっていれば良いのに。話すことがとても怖い。
経験を積んでこなかったため、ちゃんと答えることが出来ず、つまらない受け答えしか出来ない。そんな苦痛から逃げ出して、また差が開いてく。懲りずに人恋しくて戻ってくるけど、実力差が違いすぎて苦しくなる。言い訳の繰り返し。
そんな悪循環。
*負担感
しかし、この先は授業をするはずであった時間がすっぽりと空くため、仕事量が減って暇になる。
仕方ないから、3月にやるような事務的な作業をこの空いた時間を使って進める。
教員は忙しそうにするのが好きな生き物だし、ウェブ上でも学校は火の車状態というような記事を見かけるが、実際にはこれから暇になる。
*子ども
卒業を控えた6年生は精神的に打撃を受けたことと思う。かわいそうでしかたない。中学3年生も同様だろう。
他学年も年度末の特別な活動の準備をしている最中だったのだが、突然休校が決定したのはなんとも気持ち悪い。
これが、秋など特に何もない期間であれば大したことはなかった。
学習用具を持ち帰り切れなかったりなどの問題もあるが、そのあたりは些細な問題だ。
未修の学習内容の扱いをどうするかを我々が考える筋合いは無い。
*しわ寄せ
もっとも気の毒なのは給食業者だ。損失額はすさまじいことになるだろう。
その日の事をつらつらと書いたら長くなってしまった。
良くある義両親への愚痴だ。
頭が痛いと数日言っていたのだが、念の為と行った総合病院でまさかの大動脈瘤診断。
とりあえず義両親に連絡してすぐ来てもらう事にした。
幸いにも土曜日、義両親はすぐ向かうと連絡がきた。
仕方ないので指示された入院セットを鞄に詰めて、1歳児をおんぶ、3歳児に迷子ひもを付けた上で手を繋ぎ、5歳児にはミルクの入った袋を持ってもらって駆けつけた。
某保険会社のCMで渡辺直美さんが「あなた!」と病室に駆け込む姿そのままだ。
否、化粧もしてないし子供もパジャマに上着引っ掛けただけなのでそれより酷い。
とりあえず入院セットを置いて、書類諸々にサインをして、2人の風邪が悪化する前にお暇した。
15時頃義両親が来た。
「ねぇマスダさんは病院に行かなくていいの?」
30分事に聞いてくる。
こっちはまだグズグズの1歳児をおんぶして、突如来た義両親に出せるよう夕飯の支度をしているのに。
「誰も居ないと退屈よね」
「面会は8時までだっけ?行かなくて大丈夫?」
なら貴方が行ってくれ……
子供や私の体調を慮る内容は一切無く。
私じゃないと泣き叫ぶ1歳児と、
また熱が出てきたみたいで不機嫌な3歳児と、
目を離すと要らんことしかしない5歳児の方が、
正直リタイア年齢もとうに超えた義両親(特に義父)に子供を預けるのが危なかっしい。
今も3歳児を抱っこしようとして拒否され思いっきり蹴られてる。
育児にも参加してない団塊の世代に孫の世話など怖くて預けられん。
夕飯は簡単で良いのよ。
という言葉に甘えて、昨日買ってた惣菜とチルドレトルトの諸々を温めて出した。
配膳も手伝わない義父の前に並べるだけ並べて、1歳児と3歳児を連れて寝室にこもった。
5歳児には悪いが、好きな物並べたから喜んで食べてくれるだろう。
1時間かけて2人を寝かしつけて戻ると私の分だけ残って後は食器まで洗われていた。
良かれとやってくれたのは良くわかる……が、そこは箸立てでなくスポンジ立てだ。
というかどのスポンジ使った??
5歳児も寝る時間という事で義両親も寝ると言い出した。
風呂はと問うが要らないと言われる。
シャワーだけでもと言っても断られたので仕方ない。
2階の客間に案内しようとすると、自分でするからと客間兼物置に入ってく。
(使ってない部屋が3部屋ある。)
まて そっちじゃない
だが、義母は聞かずに隙間に布団を引いて寝るという。
シーツを出して渡してる間に1歳児が泣いてるのが聞こえたのでそのまま退散した。
翌日、シーツを片付けようと行くと使われて無かった。
最後車代を包んで渡した。
義母は不機嫌になって帰って行った。
また来週末来るらしい。
妻には山ほど不満があるんだけど1番の不満は付き合っていた頃にはいつもしてくれたフェラを結婚して子供ができてからは全くしてくれなくなったこと。
他にも、モラハラしまくりとか、twitterで全世界に夫を一方的に悪者にした断片的な情報を公開しすぎとか、マルチに入るなとか、働いたお金は家に入れろとか色々と文句はあるんだけど、このエントリの本筋からは外れるから置いとく。
とりあえず、性欲の話。
妊娠及び授乳中には1年、2年という単位でSexをさせてくれなかった。辛いから構ってほしいとお願いしても「私はあなたの慰安婦じゃない」的な事を言われた。
いや、まぁ言ってることはわかるけどさ。1〜2年×3人だから大変に辛かった。でも、浮気もせず風俗にも行かず頑張った。
でもまぁ色々あって、夜の営みは皆無ではないにせよ、事前申告の上、事務的にこなされるだけになった。子供が独立したら離婚しようという話にもなった。勝手に外で性欲は解消してくればいいじゃんとまで言われた。
私は昔から人生でたった1人だけと体の関係になるのが理想だった。残念ながら大学の時のはじめての相手とは、婚約までしたけど婚約破棄されてしまったので妻が2人目の女性。でも、経験人数は少なければ少ないほど良いと考えていた。風俗を毛嫌いしていた。
でも、もう40にもなって、何か原因は忘れたけどはじめて風俗に行った。夫婦喧嘩した時かな?ほんの数千円とか1万円とか出すだけで、手でしてくれたり、口でしてくれたりした。いや、知識としてはずっとしってたんだけどさ。いろんな性の悩みに「ソープ行け」っていうアドバイスが存在してることも知ってたけどさ。実際体験してみたら、容姿のイマイチなおばさんが相手だったり、仕事で事務的に対応されたり、嫌な気持ちになるんじゃないかと思ってた。少なくとも後で自己嫌悪にはなると思ってたんだ。
でも、実際は全然違ってて、自己嫌悪どころか凄く幸せな気持ちになったんだよね。本当に。妻にはいくらお願いしても結婚してから一度もしてもらえなかったフェラを可愛い女性にしてもらって、本当に幸せな気持ちになったんだ。本当に。
それから、仕事関係の飲み会で遅くなって酔っ払っている時に度々風俗に行くようになった。
妻とSexすると嫌な気持ちになるんだけど、風俗に行くと本当に幸せな気持ちになるんだよね。
もうちょっとたつと嫌な気持ちになったり虚しくなったりするのかもしれないけど、とりあえず今は、本当に辛かった10年前の自分に「そんなに無理しないで、風俗に行ったらいいよ」と言ってあげたい。
小学校のことだ。担任が急に学級会でプリントを配って「何か学校で嫌なことがあったら書きなさい」と言った。
当時下の学年の子たちが集団でガーっと乱暴してきてて嫌だった(流石に集団でこられたら負けるよね)し、いじめなのかと思いそれを書いた。
とみんなのプリントを集めてペラペラとめくりながら声をかけてきた。
「お前はxxxx(完全なる音読)って書いてるけど、下級生だろこれ、いじめだっていうのか?」
クラスのみんなは俺を見た。「おいおだらしねーな」と茶化す悪ガキ。
俺は答えた「本当にやなんです」恥ずかしい、心拍数が上がる、逃げ出したい。
「これ本当にいじめだと思うのか?」
俺は「、、、違うと思います」そう言わざるを得なかった。
担任は「そうだよな」とだけ言って全てのプリントに目を通した。
これが自分の悩みを担任に届けた上に晒されて同調圧力の故に自ら言ったことをねじ曲げさせられた記憶だ。だけど、嫌なもんは嫌だった、本当にやめてほしくてなにか助けてほしかった。だけど、「嫌なことを嫌じゃないことにすることの強制」を経験しただけで終わった。
先日クラスにいじめについての紙をクラスに張り出した担任がいたが、何十年も経ってるのにいまだに変わってないことに驚いた。
それ以上に驚いたのはこの時の記憶が驚くほど鮮明に蘇ったことだ。
いじめをクラスに晒す奴に言いたいが、お前がやったこと、やられた子供は何十年でも鮮明に覚えてるし、苦しむからな。
ちなみに、書いたことを全クラスメイトの前で音読されたのは俺だけだった。正直行ってあれが何だったのかよくわからない。他のクラスメートは一様に口を揃えて「問題ありません」とか書いたんだろうか。ないわけ無いだろ。ひどい苛めにあっていた女子がいたの知ってるぞ。
一つ下の後輩のことが好きになってしまったらしい。
後輩とは入社直後の歓迎会で少し話して以来、しばらくは顔と名前だけ知っているという状況が続いていたが、最近になって近い席に移動したことに伴って事務的なやりとりを行うことが多くなった。
最初のうちは「雰囲気良いし仕事できるしいい子だなあ」と思うくらいだったが、しばらく関わっていくうちになんだか気になり始めてきて、最近になって自分はあの子のことが好きなんだなと自覚してしまった。
自覚してしまってからは大変で、日中仕事中も家に帰ってからも後輩のことばかり考えている。
しかし、今まで高校大学とほぼ男子校のような環境で育ってきた自分にとって、まず女の子とお友達になることがすでに難関である。学生時代も好きになった女の子がいたことはいたが、好きになる→告白するといういくつもの段階をすっ飛ばした行動しかできず全て玉砕した。
社会人になり、周りから「まずは友達から始めるもの」と言われてやっと恋愛には段階があるというのはわかったが、そのやり方がわからない。最初は一緒に遊びにいくことから始めるらしいが、
「今度の休み、一緒に〇〇行かない?」とかどういう文脈で発する話題なの!?!?!?
こんなパッとしない男から誘われても「うわっ…」ってなるだけだよね!?!?
もう何もわからない。
現在、大学生時代に青春をアニメやゲームやその他様々な趣味に捧げたことを激しく後悔している。
今日まで出張でとある有名な観光地に行ってて、「この素晴らしい景色を見たことで湧き起こる感動を後輩と共有できたらどんなに素晴らしいことか」とか考えていたけど、帰宅後急に我にかえって虚しい気持ちになったので、気を落ち着かせるためにこの文章を書いている。
できれば何か行動を起こして業務のみの関係からお友達同士になりたいが、一体どうすればいいんだ。
小さい頃は父が好きだった。多分母よりも好きだった。
何かと父に懐いていて、趣味も漫画やアニメ好きだった父から多大な影響を受けた。今でもガンダムとか好きだ。
でも、大きくなるにつれ次第に父のことを素直に好きと言えなくなった。
そうなった経緯を何となく身バレ防止のフェイク込みで書いていく。
中学生くらいまではなんの躊躇いもなく父が好きだった。
仕事で帰りが遅い日が多かったけど、家にいる時は積極的に遊んでくれた。
本も読んでくれたし、外にも連れてってくれた。色んなことを教えてくれたし、母に内緒でお小遣いをくれたりおかしを買ってくれたりもした。
私が中学に上がるくらいの頃から父は自宅で仕事をするようになり、日中も家にいるので、学校から帰れば父がいるのが当たり前の生活になった。
裕福ではないけれど、それなりの暮らしができる程度の一般家庭だった。と思っていた。
高校の時くらいだったかな。ふと、父が仕事で使っているパソコンを見てしまった時があった。
父の仕事場に、父になんか用があって呼びに行った時だった。その時父はなんかちょっとした買い物かなんかに出ていて、ちょうど離籍していた。
仕事場に入ると、父の姿はなく、パソコンの画面だけが煌々と点いていた。
そのパソコンの画面にちらりと目をやった時、メールの画面が開かれていた。
人のメールボックスを勝手に見るのはいけないことだ。そんなことはわかっていたけれど、あの父が普段仕事でどんなやり取りをしているのかが気になり、送信済みメールボックスを開いてしまった。
そしたら真面目そうな事務的なメールに混じって、「〇〇ちゃんへ」みたいな、確実に女の人に向けて書かれたっぽい親しげな件名があることに気付いた。
ここまで来たら、もう止められなかった。見ない方が幸せだってわかってたのに、好奇心とかなんかそういう気持ちに抗えなかった。
そこには、もう細かい文面は忘れたけど、今でいういわゆる「勘違いおじさん」的な内容の分が書かれていた。あまりの衝撃に全文は読まずにすぐ閉じたから、詳しくは覚えてないけど。
もう、なんて言ったらいいのかな。ショックだし恥ずかしいし、いや勝手に見た私も悪いけど、もうとにかく鳥肌立つほど嫌悪感を覚えた。
だって、おそらく20代くらいの女の子に向けて、妻子持ちのオッサンがデレデレしたメールを打ってる。「また会おうね♡」とか書かれている。もうそれだけでキモいのに、それが自分の父親だなんて。生理的に無理。
でもまさか母親や兄妹には相談できないし、友達にも言えないし。その日を境に、私は父との接し方がぎこちなくなっていった。もう素直に父のことを好きとは言えなくなっていった。
そしてちょうどその頃くらいだったかな。子どもながらに薄々と、ウチの家計ヤバそうだな?と思うようになっていった。
父と母が、たびたび家計のことで言い合うようになっていた。どうも、電気代水道代通信費等、様々な支払いが滞りがちらしい。実際、私が大学に入るころには、通信費の支払いがちょいちょい滞って、月の初めにケータイが使えなくなるということがたびたび起こっていた(ケータイ代は家族分まとめて父が支払っていた)。
母もパート仕事に出ていたけど、それでも足りないくらいに父の事業が上手くいかなくなっていたっぽかった。詳しいことは何も知らない。父も仕事や稼ぎに関しては多くを語らなかったし、そも私がまだ子どものカテゴリーに入っていたから、そんな相談もされるわけがなかった。
競馬にハマっていたというか、諸々足りない分のお金を手っ取り早く競馬で得ようとしていたようだった。それで余計に多くの金を失って、どんどん負のスパイラルに落ちていったようだった。今思えばの話だが。
それで決定的に「この人ダメだ」と思ったのが、ある日父にお小遣いを貰いに行った時だった。
友達の遊びに行く予定を立てていたのだが、その時に自分の財布の中身が若干心もとなく、ちょっとだけ融資してもらおうと思って父のところに行ったのだ。
「三千円くらい貸してもらえるとありがたいんだけど。バイト代入ったら返すから。」
そう言った私に、父は振り返りもせずに言った。
もうその瞬間から、私はその人を、親と思えなくなってしまった。
家計の状態をろくに知らずに、無邪気にお小遣いをせびった私も悪かった。もっとバイトに精を出したり、無駄遣いしないようにしてればよかった。
でもそれ以前に、娘に金を強請られて、競馬で稼ごうとするその姿勢がもう私には耐えられなかった。
「そんなお金なら要らない」と言い放ち、その日はそのまま出かけた。
友達にもこんなことは言えないし、親兄弟にも言いたくないし、メールの件の不信感も相俟ってもう父に対する信頼はすっかり無くなってしまっていた。
その後、父は結局借金が嵩み自己破産となり、母とは離婚し、今は離れて暮らしている。
私も数年前から仕事を始めると同時に家を出て、今は一人暮らしをしている。
そうなるまでにも色々あった。多額の借金が明るみになる直前には、私に万単位のお金を貸してくれと頼んできたこともあった。私がコツコツ貯めていた500円玉貯金が私の留守中に半分くらい持っていかれたこともあった。これらは未だに返してもらっていない。
なんだろうな。こんな形で嫌いになりたくなかったな。私も、職場の人たちが父親談義している中に、笑顔で入っていって、自分の父親はいい人なんだと胸を張って言いたかったな。
私が小さかった頃の父は大好きだった。それは本当だ。色んな事実を、知らなきゃよかった。
「隠し事はナシね」なんて綺麗ごとを言うつもりはない。でも、それなら隠し通してほしかった。私(たち)に失望させないでほしかった。大好きなお父さんのままでいて欲しかった。
お父さんと今でも何の蟠りもなく仲良くできてたら、今でも「もうすぐGレコ劇場版やるやん!見に行く?」みたいなLINEを送り合う仲だったりしたのかな、と寂しく思う時もある。