はてなキーワード: 不可能とは
政府や世論がコンセプトレベルで矛盾しててゴールイメージがブレブレだからだよ。ブレまくったゴールに向かってその場その場で雰囲気で施策を決めてるからどこにも向かわないんだよ。
90年代以前を覚えている中年以降の世代なら分かると思うけど、少子化してなかった時代の日本は現代の感覚からすればそれはもう滅茶苦茶な社会だった。道端で立ちションするわ電車のホームはタバコの吸い殻でグチャグチャだわ、学校は荒れまくって金属バットをガラガラ言わせながら廊下を闊歩するヤンキーが沢山いたし、会社ではパワハラセクハラ当たり前、今のホームレスの方がマシなんじゃねーかってレベルの汚いオッサンが若い女の子のケツ撫でながら偉そうにしてたわけだ。そんな滅茶苦茶な社会で、今の感覚では有り得んレベルの汚くて社会性もないオッサンが何故か全員結婚して子供が2,3人はいた時代だったんだよな。
現代ではそんな連中は全く許容されないわけだが、人間のレベルはそんなに急に上がったりしないわけで、当時のオッサンと同じレベルの人間は今でも沢山いる。昔との違いは、そういう連中は大半が底辺労働の世界に追いやられて見えなくなったというところだ。少子化を解決するというのは、そういう追いやられた連中にも再び家族を持ってもらうということだ。
現代社会はそんなことは絶対に許容したくない。汚ねーオッサンのカスみたいな遺伝子と文化資本(笑)を受け継いだどうしようもないガキなんて見たくないわけだ。子供はみんな可愛くキラキラしていて欲しくて、意味不明に襟足が伸びたりしてない切り揃えられた髪型で、ちょっといい子供服ブランドに身を包んで将来の夢とかを嬉しそうに喋る子供であって欲しいというのが市民の願いだ。
政府も市民も、そういう不可能な願望を漠然とイメージして存在しないゴールに向かって施策を考えたり要望したりしている。それで上手くいくわけがないのだ。「なんかエーアイでいい感じにして欲しいんだよね!」というカスみたいな要求をする顧客に向かってフワフワしたエーアイベンチャーが「分かりました!俺らマジ最先端のエーアイ技術(github)持ってるんで、任せて下さい!」と言って虚無が納品される状況とあまり変わらない。
そんなものは無いんだよ。存在しないゴールに向かうのはやめろ。少子化を解決したいなら、汚くて頭の悪いオッサンをパパに持つ子供を増やすしかない。それかキラキラした子供だけの社会で安心してゆっくり衰退していくかだ。
そもそもあらゆる前提や含意する内容を全て明記することなんて実質不可能なんだから、みんなある程度は隠れた前提や行間を読み取って意思疎通しているはず。
その過程で含意していない内容まで読み取る人が出てくるのは仕方ないので、「それは含意していない」とその後の対話の中で認識を訂正していけば良いだけ。
本質的には男女は平等なので、社会の中で男女間に性別に基づく抑圧や重圧が存在しているのならそれを是正していこうねってのが本来の話なんだけどね…
あまりにもこの国の女性側の自覚が乏しくて、自発的な是正はもう到底不可能になっちゃってる。だから法律や社会制度を強引に変えてでも「女性が女性として生まれてきただけで死ぬ思いを味わう」という経験をさせるしかもう方法がない。もちろんそれは間違ってる状態だから、女性に「性差に基づく抑圧や重圧はおかしいことだ」という自覚させ持たせれば終了。それからようやく本当の男女平等の社会が達成されると思う。
選挙権とかは本来平等なんだけど、財産家や親が政治家の人間はあまりにも足場が高すぎて制度が破綻してるから「金持ちや親が政治家の人にはある程度割りを食ってもらった方が良いんじゃない?」という意見には結構賛同が集まるんだけど、それが男女問題になると理解できない女性が多い。
メガバンは既に預金業務とかは自動化されてるし、将来の領域ある程度見込んで能力ありそうな人間に採用絞ってるから増田が教授推薦で相当良いところ食い込まないと逆転不可能だと思うの
アクシアが活動休止ということでインターネット上でニュースになっており、さまざまな人間が反応している
アクシアがどういう状況に置かれていたのか、俺は普段から追っているリスナーではないので正直全ては分からないが、理由は何であれメンタル的に辛いのであれば活動休止というのは健全な選択だと思う
ただ、この件に便乗して俺もキモいと思ってた!とウキウキで表明する連中が沸いているのに虫唾が走る
id:nicoyou 偏見で申し訳ないんだがそもそもファン対象の本人に気軽にリプしまくるやつ全員理解できないんだよな。男女問わず
id:Hate6752na774 今回の騒動で、よく知りもしない他人から言われる「可愛い」は男女問わずキモいってことが表面化して本当に良かったと思う。同性から見ても推しへのママムーブとかキモいもん。
「この調子で俺がキモいと思う行動は全て辞めろ」と思っているのかもしれないが、お前がキモいと思うことは今回の件に全く関係ないぞ
重要なのはその言動の対象がキモいと思っているかどうかで、こんなものを一般化するのは不可能だ
俺も推してる女性VTuberがいるが、本人が「応援のリプライやファンレターをもらうと嬉しい、リツイートやいいねみたいな反応も嬉しい、かわいいと言われると嬉しい」と言っているので、俺は大体のツイートをリツイートし、応援の意を表せているかを考えつつリプライやファンレターを送っているし、かわいいとも伝える
もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である。昭和のアイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前でデビューしたと記憶している。
ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。
https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/
この年は音楽番組「ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスタジオ」といった番組がゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズが解散し、レコード大賞をピンクレディーが獲得し、山口百恵が活躍していた。
いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかりの全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの。
そんなわけで「もしも昭和のトップアイドル・田村ゆかりが全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表とにらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。
今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。
なお毎日運転ではない季節列車・臨時列車は極力排した。仕方ないね。
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当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和のトップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。
https://www.livefans.jp/venues/1204
この頃は上野東京ラインも湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線の103系か東北本線・高崎線の115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。
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北陸新幹線のないこの時代、東京から金沢に向かうメインルートは信越本線だった。
上野発916の特急「白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急「はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である。
翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線に長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行「白馬」、中ほど4両は秋田止まりで前寄り5両は青森までロングランする急行「しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川で青森・秋田行き「しらゆき」から切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するから、えび釜めしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。
ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。
さらに松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本発2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロスの115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行「アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。
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新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェット・トライスターか東亜国内航空のDC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京発1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である。
ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車は喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。
しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路やデッキに新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。
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東北・上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しかし上越線には「とき」、東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。
新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行「佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行「天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行「鳥海」で642上野着でもいい。
仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森発常磐線経由の急行「十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行「十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急「ゆうづる」2号・4号も利用できる。
そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価な手段は鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バスは運行されていたが、都内と新潟が高速道路でつながったのは1985年、仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。
なおこの当時、上野→仙台が特急「ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便も全日空により1日4往復運航されていた。
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ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野駅から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。
それでは札幌公演に陸路・海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである。
2140上野[特急ゆうづる5号]705青森or2221上野[特急はくつる]711青森
1140函館[特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館[特急おおとり網走行き]1558札幌
急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。
やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港と国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通の手段であった。
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そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、
2350 急行「あづま4号」437
043 急行「新星」536(寝台あり)
056 急行「いわて4号」542
このほかにも夏休みシーズンだけに季節列車・臨時列車も運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。
座席車の特急はいわゆる「直角椅子」であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代の夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バスは鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。
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国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪のバスは国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。
鉄道ならば京都2237の特急「出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急「瀬戸」や同005の特急「あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるから、エクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である。
なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるから、フェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢が四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。
筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験とノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこの文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性、特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味を差し引いてもためらいが多めに残る。
とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベルを提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。
本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月に横浜で公演があるのでよければバスや飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。
それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます。
VTuber本人が概要欄などでよく注意しているのはリスナー同士で話し合うなとかで
何かの切り抜きで発言を見かけた気はするが、それこそ特別な例なのではないか
リスナー同士の会話にしても配信内容によっては歓迎する配信者も中にはいるらしい
意味のあるチャットをするなと配信者がいうのなら従うのは吝かではないが
すべての配信に関して言ってもいないのに勝手に忖度して意志を放棄する必要は感じられない
意志を持つなという人間はチャット欄の一体感を崩されることが嫌なのではないか
配信者の要求のフリをして自分の好みを押し付けている太宰メソッドに思えてならない
配信者をさしおいて勝手に自治を行うという意志をもったリスナーになってしまう
矛盾している
謝る必要はない、こっちもなんで「共通の範囲が広いほうがいいよね」増田が何をもって趣味が同じであれば合うと思っているのかわかってないから
あと個人的な体験として「一方的に喋りまくるオタク男」を例に挙げたけど、
これ単に個人的な体験と言うよりオタク全般にこういう傾向があると思っているから書いたのもある
なんか一方的に早口でマシンガントークするオタクと出会ったこと
「人との付き合い方がわかっていない奴」なので合う他人はほとんど存在しないという問題が
https://president.jp/articles/-/52798?page=2
「自殺者の97%は精神医学的診断がつく病気」→「病気の治療をすれば自殺は防げる」という論法には著しい論理の飛躍があります。相関関係を因果関係と決めつける飛躍に加え、治療が成果を出すとは限らないという現実を完全に無視した飛躍があるのです。
もしも、張医師の言葉が正しいのであれば、早期に治療につながった人の自殺は食い止められ、治療を受けていなかった人が自殺をしているはずです。ところが、自殺した人の多くは、むしろ既に精神科で治療を受けていたことがさまざまな調査で判明しています。さらには、張医師が意図的に「病気」と表現することにも問題があります。なぜならば、それらは正確には「病気」ではないからです。
精神医学は他の身体医学と決定的に異なり、生物学的指標をもとに客観的に診断する手法は存在せず(一見すると科学的、客観的に見える光トポグラフィーなどの診断補助はあるが、定義された診断名と合致できる判定をすることなど不可能)、「病気(disease)」とは異なる“disorder”という概念を持ち出して診断名をつけることになっています。disorderは「障害」と翻訳されていますが、その訳語は不適切です。本来は正常な状態から外れているくらいの意味合いであって、「症」と訳すのが適切ではないかという議論があります。
つまり、精神医学的診断は通常の「病気」の概念とは別物なのです。無論、張医師は一般的な意味であえて「病気」という分かりやすい言葉を用いた可能性はありますが、その言葉から一般の人は、脳などに異常があって病院にかかって薬などを用いて治療すべき状態を思い浮かべるでしょう。それは誤解を与える表現です
「-性」を付けると、「どの程度か」という幅を持たせることになる。
「可能」と「可能性」、「必要」と「必要性」、「危険」と「危険性」などなど
「可能」「不可能」、「必要」「不必要」のような離散的に取り扱われる概念を、
(可能性は「高い」「低い」とは言えないって話もあるけれど)
問題は韓国(特に世論)が日本の対抗措置に逆上・発狂して事態が想定以上に悪化する可能性が高く、一度そうなったらおそらく修復はほぼ不可能になる点、かな?
これ
「NO JAPAN」なんぞ比にならないレベルの暴走が起きると思う
この問題、韓国側がエンコ詰めて頭下げる以外に解決の道はないんだけど、それって要するに未来永劫解決しないとほぼ同じだからね
あと、国内にある韓国政府の資産の一部(現金化された額と同規模)を差し押さえる可能性もある
問題は韓国(特に世論)が日本の対抗措置に逆上・発狂して事態が想定以上に悪化する可能性が高く、一度そうなったらおそらく修復はほぼ不可能になる点、かな?
科学は病気や苦役による悲惨さを軽減し、娯楽や利便のためのたくさんの道具を与えてくれたかも知れない。しかし、科学は感嘆すべきもののない世界にわたくしたちを置き去りにしました。夕日はただの波長と周波数になり果てました。宇宙の複雑さは切り刻まれ、方程式の集合と化しています。人間としての自尊心さえもが、いまや重んじられていません。科学は、我らが地球も、そこに暮らす生きとし生けるものも、遠大な仕組みのなかの無意味なしみにすぎないと公言しています。単なる宇宙の偶然だというのです。
科学と宗教との古来の戦いは終わりを告げました。あなたがたの勝利です。ただし、あなたがたは正々堂々と勝ったのではない。答を示して勝ったわけではないのです。科学は人間を救う、とあなたがたは言う。しかしわたくしに言わせれば、科学は人間を破滅させてきたのですよ。
まわりをご覧なさい。科学が約束したことはまったく守られていない。効率化と簡素化は、汚染と混沌を生み出したに過ぎません。
科学とは、どんな神なのでしょうか。民に力だけを与え、その使い方に関する倫理の枠組みを示さないというのは、どんな神でしょうか。子供に火を与えるだけで、それが危険だと注意してやらない神とは、いったい何者ですか。科学の言語には善悪を判断する指針がありません。科学の教科書には核反応を起こす方法は書かれていますが、その善悪を問う章はないのです。
科学に対して言いたい。教会は疲れました。あなたがたの指針であろうとすることに疲れ果てました。
あなたがたは大量破壊兵器を量産しますが、世界じゅうを飛びまわって指導者たちに抑制を求めるのは教皇です。あなたがたはクローン生物を創り出しますが、人々におのれの行動の倫理的な意味を考えるよう釘を刺すのは教会です。
あなたがたは一貫して、教会が無知だと言い張ってきた。しかし、ほんとうに無知なのはだれですか。稲妻の性質を説明できない者と、稲妻の恐ろしい威力に敬意を払わない者のどちらでしょうか。
重力の強さや原子の重さがわずかにちがっていただけで、宇宙がこういう壮大な天体の海ではなく生命のない霧になっていたはずだと断言しながら、それでもなお、神の力を見出せずにいるのですか?億兆のトランプの山から偶然にも正しい一枚を選んだだけと信じるほうがたやすいなどと、本気で思っているのですか?数学的に不可能なことを信じるほうが、自分たちにまさる偉大な力の存在を認めるよりましだと考えるほど、人間の精神は破綻をきたしているのですか?