はてなキーワード: リスクマネジメントとは
追記のほうがよかったのかわからないけど↓の続き?
http://anond.hatelabo.jp/20151101114446
http://anond.hatelabo.jp/20151102131635
優秀な君には理解できないのかもしれないけど、優秀でない人間は、「文字面で読んだり他人から聞いた通りにする」ということができないんだ。
これは割と考えてなかった。
優秀でないからこそいわれた通りにというかマニュアル作ってその通りにさせるべきと思ってたけどそれができないからの我流か…
「できる?」と訊かれて「出来ません」と答えたら、なぜできないかを説明しないといけないだろ?
確かに「じゃあどういう手伝いが欲しい?」と聞いてるけどこれ負担だったのかなぁ…
http://anond.hatelabo.jp/20151102191118
これ依頼するけど、念の為作業ステップをメールで返信してと送る。(プログラミング丸投げ)
メールのステップをチェック。抜けがあったら補足して返信。ゴー依頼。(デバッグとRUN)
すごくわかる。
いつも悩むのが異常時(間に合わない、できない)っぽいのは分かってて、いえば何とかなるタイミングで聞いてみてるんだけど
そこで「大丈夫です、できます」って返事がくるんだけどその時点でいや無理でしょというべきなのかどうなのか。
で、じゃあって任せると結果は…
出来ないって判断を出来るようにしてるんだけどただ意地が悪いとしか思われてないのかなぁ…
ヤバイと分かってるからヤバイレベルによっては事前に対策とってあって「出来ませんでした」の時にも大丈夫なんだけどそれもダメですっていわなくていい理由作ってんのかなぁ
http://anon.isc5.com/2015/11/pawahara-sigoto.html
もちろんそうだけどプライドや対面の整え方が違うと思うの。
くだらん虚勢をはってプライドを保つんじゃなくてできることでプライドを保って欲しい。
こっちは常にいいところ探して褒めたいんだから。
この発想はなかった。答えやすいようにできるだけYes/Noで答えられる質問にしてたんだけどちょっと試してみたい。
というか、分かってそうかどうかは、相手の反応見たらわかりそうなものなのになぁとは思う。
見ててなんとなく感じてるから聞いてるんだよね。
分かってないんだからもう一回最初からっていわれたら最初から説明するしいい方変えてみたりするし。
圧力?かけてるんだよ。正直になれよって。
この場合の、君の価値や評価が下がらないっていってるのは、これ以上下がりようがないので心配するなっていう意味に近いと思う。
事前に出来ないという人>後で出来ませんでしたという人だから価値や評価は下がらないという考え。
コメントもいろいろあったけど取りあえず、
分かってるかの確認はしてる。
できなかった時のリスクマネジメントはしてる。
なにもさせるなは寂しい意見じゃないだろうか。だってそんなのバレたらあの子クビになっちゃう。そのあと生活できる想像がつかない。
最終的にこれなんだろうなぁ
私だ。ごめんなさい。/できません、っていうと評価が下がらないとは思えなかった。どんどんつまらない仕事しか回されないんじゃないという恐怖があった。力不足なんだけどそれ以前に信頼関係が築けてなかったと思う
★「未成年が他の未成年を殺した」なんて、「3丁目の夕日が美しかった昭和30年代」には、
ありふれた話でニュースにすらならなかった
「なぜ未成年犯罪が、この30年でマスコミが過大に報道するか?」を分析してるが、
自分はシンプルに、「子供の数が少なくなったから」「子供が病気等で死ななくなったから」だと思う。
★江戸時代だと、
「子供を5人産んで、一人は流行り病で死に、一人は飢え死にし、一人は川に流されて死に、成人するのは2人だけ」
だったりした。
逆に言えば、予め「半分程度は成人前に死ぬ」ことを前提に、皆子供を4~5人作ってた。
一種のリスクマネジメント
★高度成長以降、乳幼児死亡率が激減。
「子供を沢山作って成人迄の夭逝にリスクマネジメントする」という行動が廃れた
★で、たまに不慮の事故や事件で子供が死ぬと、昔以上に大騒ぎする。
リスクマネジメントな多子戦略を捨て去った自分の戦略ミスを認めたくないから
★一人っ子家庭って、夭逝リスクをどこまで考えてるのか気になる。
★「昔に比べて激減した」とは言え、夭逝リスクは今でも2~3%は残っている。
ここ10年近くでいろいろな情報を共有できるようになって個人ブログでも
まるで偉人のような振る舞いをしてる人をよく見かけるようになった
まるで自分発のような書き方で発信してる人を増やした
そういう人を見ると小さい会社のうだつの上がらない社長だったり
何も大きなことをなしえていないのに他人の言葉を借りて自分を大きく見せようとする人が多い
何が成功か、なしえたとは何かってのは人それぞれだけど
少なくとも社名だけで驚かれるような会社の経営者レベルでないかぎり
いかにも自己啓発本に載っているような言葉を借りてドヤ顔しないでほしい
見ててこっちが恥ずかしくなる
あんたの代わりなんて誰でもできる
目の届く範囲しか見てないから「俺(私)の代わりはいない」なんて勘違いしてるだけで
少し足を伸ばせば、あんたみたいな能力の奴はたくさんいる
あんたがドヤ顔で自己啓発の日記を書いても読んでるのは同じ能力の奴らだけだし
時間管理なんて覚えたところで人生に何も大きなものは与えないよ
マネタイズ(笑)とか意識しなくていいから、もっと肩の力抜きなって
それにあんたが書いてる自己啓発は既にどこかで誰かが書いてるし
それを読んだあんたが自分発だと思い込んでるだけだよー気づいてくれー
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659
http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/27/234905
上の三つが目に留まりました。
この記事を書く理由はこれらの議論を見てイライラしたからです。
学生時代は塾講師で中学生に理科国語数学を教えてました。(6年)
ということですべての意見に対して反論することはできるのが
肩書しか見ないで意見を信用するかしないか決める人にもわかると思います
結論から書くと、私はちきりんさんとコウモリさんに反対でバッタさんに賛成です。
以下の四つに関して適当に書きなぐってみました。
結論から言えば私はそこそこ良いものだと思います。よく考えられて作られたのが分かる。個人的に言いたいことは山ほどありますが。
きちんと基本について抑えられているし、応用が利くような項目について教えられているはず。
これを全員がきちんと学べばこんな議論もなくなるのではないでしょうか。
基本的な知識を学んだうえでの応用のほうが適応範囲も広がるし、柔軟な思考もできます。その柔軟な思考が空想、妄想にならないためには論理的思考能力が必要です。
ただ問題なのは、応用について十分な紙面を割いていないこと。そこに関しては確かに問題であると思います。
だから、現実世界に学んだことを応用できない人が多いのです。学んだことを生かそうとする意識を養わないといけません。
では、どう生かせばいいのか。具体的に書くと割と時間がかかるので、ある程度適当に。
・大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ
数ⅡBを学んでいればわかるはず。特に指数計算と数列を学んでいれば。
保健体育でやったでしょ?セカンドオピニオンとか。そしてその治療方法の妥当性を学ぶためには生物が必要である。
同上
・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?
これはリスクマネジメントの話であるが、実際に病気にかかるリスクと副作用のリスクを勘案すればよし。
中学校の理科で、血液は全身を循環していると学んだはず。施術中に、脂肪細胞が血液中に入れば血管詰まるリスクがあるのはわかるよね?
高校の化学でやる酸塩基反応、酸化還元反応をしっかり理解していればわかるはず。
・ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか
空気はあったかくなることを膨張することを知っていればいい。中学の理科で空気の力はたいていどの教科書にも写真つきで載っている。
空気は膨張すると上昇すること、冷えてくると空気より重い気体(エアロゾル?)は下がってくることが分かればいい。
・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?
油の温度と水の三態、そんで水と油どっちが上に行くかということを知っていればいい。ここから水分が多いほど危ないと分かり、できればマヨがいいとわかるはず。
まずイオンを知ろう。その後に、科学的に実証されているものかどうかを調べてみよう。ここで論理的思考能力が必要になる。
・放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?
最近の高校の教科書には放射能とかも載っているので問題ない。ただ、ラジウム温泉でダイエットはできるのだろうか?
ということでちきりんさんの教えられたい項目は高校までにだいたい教えられていたのです。それをしっかり学んでいたかどうかが問題なんです。
大学へ行くと知識が力になる体験というものをする。主に研究生活でだが。
そういった実感を持つ人にとって、”「生活するために必要な科学知識」を習得する上での一番の近道は普通に理科を勉強することだと思います。”という考えを持つことは当然である。
ただ、わからない人も多くいるので最初に言ったように応用面の記載を増やしてもいいと思うが。
他の基本的な大意についても一番上に書いたことと同様なので基本的には賛成です。
さて、この人が一番問題です。ぶっちゃけて言えばこんなあほな議論を見たためこの記事を書いたといってもいいでしょう。
対象者によって教育内容を変えるという点は同意できます。ただ、それはより経済的、社会的なトレードオフの問題になりますが。
世の中にはできない子がいるという点にも同意できます。それをできるように変えていくのがすべての教育者の仕事であると思いますが。
教育論では素人がなぜか力を持つというのは教育者の間では割と昔から言われてることで、これも特に異論はありませんが、どのように破綻しているのかということを示す義務が、わかっている人にはあると思います。
さて、以下はすべて反論である。
彼らが話しているのはちきりん氏の記事には論理的破綻(つまり科学的基礎は重要である)があるということを指摘しているのである。
レベルという言葉をプログラミング言語における低級高級のような意味で使っているというのならともかく、そうとはどうしても文脈的に読み取れません。
それと、相手に対しては敬意をもった言い回しをしましょう。とてもじゃないがバイアスがかかり過ぎてて読みづらいです。
“バッタさん、やまもとさん「理数の学問的基礎は大事だよ、みんないつか使うかもしんないじゃん <`ヘ´>」”
こんなこと読み取れません。国語能力がよっぽど低いか、バイアスがかかっているのでは?
みんないつか使うから基礎を重視しているのではなく、基礎がなければ応用が成り立たないからと書いてありませんでした?
この言葉の裏にあるのは基礎を教えてそれを応用したほうが短時間でより多くの事が学べ、使えるようになるため、記事で書かれているような時間のトレードオフ的に有利だからです。
“現代では、「情報を網羅して知っていること」以上に、「知らなかった情報を使いこなすこと」こそが重要だからです。その技能を習得してもらうためにこそ、経験学習(問題解決学習)は有効だと言えそうです。”
何を言っているかわからない。系統学習の有用性は上記しました。情報の取捨選択の面からみても基礎的な情報を知っていることが大切です。
また、多くの知識を知っていればいるほど、知らなかった情報をうまく使いこなせると思いませんか?
問題解決だけしていても断片的な情報だたまるだけで、系統的な知識として身につかないので応用が利きません。
応用が利かないということはより余分に学ぶ必要があるということです。これは時間のトレードオフ的に無駄ですよね?
”台形の面積の計算方法から、数学的思考法なんか学ばねーよ。”
そうではありません。単純にあなたの考えが至ってないだけでは?
さらに、台形の面積の計算方法はは図形の面積の計算方法の一部であり、図形の面積の計算方法を見れば十分に数学的な、論理的な思考法のひな型なのではないでしょうか?
たとえば、同じ三角形を二つつなげれば平行四辺形の問題に帰着でき、それを半分にすれば三角形の面積だよね、ということ自体が数学的な思考法であり、それを証明するためには論理的な思考法が不可欠になりますよね?
台形にも同じことが言えて、上辺と底辺が並行であるならば二つつなげれば平行四辺形になる、ということに数学的で論理的な思考法が必要になることはわかっていただけると思います。
それと、塾講師をしていたという割には大枠で教科全体をとらえるという思考がないような気がします。教材の作成や、指導法について悩んでこなかったのでしょうか?
”台形公式を「知識」と捉えてしまう「さんすう苦手」層に向けては、もっと実用的な計算を教えた方が良いし、それを「理解」して使いこなせる「さんすう得意」層に向けては、もっと本質的な理数教育を施した方が良い。”
本当に塾講師をしていたのでしょうか?教えられていた生徒たちが哀れに思えて来ます。
算数苦手な生徒たちをいかに理解させるか、ということが教師としての仕事なのではないでしょうか?
彼が言っていることはバカはバカのままでいい。ということに他ならないと思うのですが。
最終的にこの記事の結論としては“経験学習vs系統学習への新しい答えの1つとして、「対象者によって分けてみたらどうだろう?」というちきりんさんの提案がある”ということを確認するために書かれたのではないかと考えています。
私は流石にそこまでは、この議論からは読み取れないのではないかと思いますが。
むしろ重要なのは現在の科学教育の妥当性という何度も提案されてきたいわば古い話であってちきりん氏を擁護するためにそこまでしなくてもいいと思います。
また、生活的知識と科学的知識は背反するようなものではないということは上に書いたのでわかっていただけると思います。
私が言いたいのはこの問題は系統学習VS経験学習という対立軸を持ち出す必要もなく、
基本的な知識をしっかりと身につけ、無理解を少なくすれば、ちきりん氏の言っているような実用的な概念を身につけることは現在の教育で十分にできている。ということです。
これはバッタさんも指摘していることですが…
一応誤解がないよう書いておくと、私は系統学習を主にしてそれを応用できるような経験学習をさせるのが最も定着力よく、応用力も利き、かける時間も少なく済むと思っています。
それは私がいろいろと教育について思考錯誤した結果であって論理的な裏付けがあるわけではありません。だからこそ、私は今回、そのことで批判していないと思います。それは教育者一人一人であっていいと思うので。
それ以前の問題、論理の破綻や無理解な部分について的を絞って話していました。それでもこんなに多くなってしまいましたが。
嘘や適当なことを言って自分の意見を補強してはいけません。それはただの害悪な文章であり、知らない人をただ煽るだけなのですから。
私は公共セクターで広報に関わる仕事をしています。数年前から、いわゆる萌えキャラクターを活用した広報をやっています。
萌えキャラクターを活用した広報は、うちの仕事では今までにないぐらいの話題性が出ていて継続的にやりたいというところです。
また、今までの心積もりとしては、男性向けと女性向けを交互に展開する方向ですすめてきました。
確かに、スプツニ子さんの指摘のとおり、人工知能学会の紀要の表紙は差別的であると非難されてしまう要素はありました。また海外で活躍されているスプツニ子さんやメイロマさんのご指摘のとおり、海外からの指摘として、ああいった日本的なサブカルチャーに依拠したものは理解され難く、非難の対象になることも、おっしゃる通りです。
特にメイロマさんの指摘の通り、リスクマネジメントの観点から言えば、公共性のある舞台では避けるべきというのはもっともな見解であると思います。
さて、どうしてもオタクカルチャーの文脈は異性を性的に見る視線が脱臭できません。それは、その出自からも明らかなことです。宮崎駿ですら、その少女を描く視線にオタクあるいはロリコン、あるいはマザコンとしてのリビドーが見受けられるでしょう。
しかし、いや、だからこそというべきでしょうか。そのようなリビドーとファインアートの反対としての技巧主義的な姿勢に裏打ちされ、同時に作家性(=ファインアート性)を抱き込みながら、大衆向けポップカルチャーとしての地位を築く原動力となりました。
もう第4四半期です。予算の執行も迫っています。私はイラストレーターやデザイナーを選定しなければなりません。
しかし、ここで下手を打てば。つまりスプツニ子さんやメイロマさんなどに批判的に取り上げられ、ネットで賛否両論が話題になれば、この方向性は二度と日の目を見ないでしょう。
最近は、コンテンツツーリズムや萌えおこしといった文脈で同業他社さんからの問い合わせもあります。
ここで、私がコケれば、公共セクターがサブカルチャーを活用した広報や事業を行うことに、大きな影響ではないでしょうが問題が生じるでしょう。少なくとも、私の所属する組織では日の目を見ることは無くなります。育てたキャラクターは倉庫の奥に仕舞われ、死に至るでしょう。そして、これは今まで、後ろ暗い趣味であったオタクを世に認めさせてきた諸先輩の顔に泥を塗ることにもなります。
しかし、冒険を嫌い、安全な道を選び続けてきた公共セクターは、とてもつまらないものしか生み出せず、時代や社会にそぐわない「誰も文句を言わないが、誰も得をしない」事業ばかりやるようになっています。いや、現実はもっと悪くて、過去の経緯からの利益誘導に堕しているものが多くあります。
しかし、それが組織はもとより、個人のリスクマネジメントの観点からも妥当なのでしょう。私はそれが嫌で嫌でたまりませんが、しかし、ここで私が怒られ、出世の目がなくなるぐらいで済むならいざしらず、新しいことをやろうとする多くの仲間に水を差すことになるのは避けなければならないと考えてしまいます。
正直言えば、私はスプツニ子さんに恐怖を抱いています。この私の泣き言だって、要するに彼女の顔色を窺っている、あるいは畏れ多くも内心を忖度しているにすぎません。
私はどうすればいいんでしょう。今まであったような、ありがちで文句を言われない、でも誰の記憶にも残らないような広報をすべきなのでしょうか? それとも、リスクを甘受して、新しいものを目指せばいいんでしょうか?
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家に帰ってみたら、すごい勢いで言及されていてびっくり。とりあえず、はじめてtwitterアカウント作ってみました。
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1 釣りじゃないの?
釣りではありません。
2 萌え絵が否定されているのではなくて、差別的なモチーフが批判されているのでは?
確かに一義的には、ステロタイプな女性像が描かれたことによって、差別的であると判断された、ということが問題であるというのは認識しています。
しかしながら、フェミニズムの観点から検討すれば、それだけではない問題が明らかになると思います。
そもそも、ある性別が特定のジェンダーロールに縛られるという過程においては「まなざし(視線)」と「客体化」ということが問題になります。女性がジェンダーロールに縛られてきた過程においては、女性が客体、選ばれる性として扱われてきたということがあります。女性が主体化せずに配偶者に付き従う、といったようなステロタイプな見方は客体化という作業なしには存在しえません。また、その客体化はまなざし(視線)によって形成されるものです。
翻って「萌え」というカルチャーを見れば、ササキバラゴウを引用するまでもなく、少女を消費することによって成立してきました。
仮にジェンダーロールに反旗を翻すキャラクターを想起しましょう。古典的にリボンの騎士でも考えてみてください。さて、今、あなたがpixivで「女騎士」というタグで検索すればどういう絵を見ることができるでしょうか?
つまり「まなざし」や「客体化」というプリミティブな作業を経由すれば、ジェンダーロールに従っているかどうかに関係なく、私たちは少女性を食らい尽くすことができます。そして、萌え絵というのは、まさにそのようなカルチャーに根差しているということを指摘しなければならないでしょう。
やりようはいくらでもあります。ネタの絡ませ方や、出し方一つでおもしろい方法はいくらでも考えられます。
少なくない作家が今の時代にオリジナルはないというような事を言っていますが、逆に言えばエピゴーネンの組み合わせというのはまだまだ余地のある分野です。
4 コンサル入れたら? めいろまさんやスプツニ子!さんに頼んだら?
5 追記
仕事上はこんな突っ込んだ話なんかできないし、差別問題への深い理解を求めるというのも難しいのが現実です。そのために、公式見解的なものは、木で鼻を括ったようなものになりがちです。
だから、この問題が公共セクター業界で真剣に扱われ、前向きな解決策が出るなんて思わない方が良いでしょう。
奇しくもめいろまさんがこの件についてマニュアルとコンサルティングによるリスクアセスメントの価値を論じましたが、まさにそういった形で外部有識者という免罪符を買うか、あるいはマニュアル化された手法で乗り切るしか、組織においてはできません。
非常に残念ですが、現実はそのようなところです。
「"全ては程度の問題だ"という論は当たり前過ぎる話で、結局何も言ってないに等しい」という言説を見たが、そうだろうか?
実際、世の中、それを当たり前とは思ってくれず(程度問題とは考えず)0か1かを求める人々がいっぱいいて、問題を解決困難にしてるケースばかりじゃないかと思う。
人々が気にする「悪い点」をマスコミがセンセーショナルに煽る陰に、それと表裏一体なメリットの存在は掻き消され、真っ当なリスクマネジメントすらできなくなってしまっている例は実際、多数あるではないか。
昨今の「過剰な炎上」「ヘイトスピーチ」も、0か1かの極端思考に基づく不寛容さがその根にあると思う。
世の中はそんなに単純じゃない。世の中のあらゆる物事には良い点と悪い点の両方があり、全ては程度の問題なんだ、ということを、もっともっと「当たり前」にせねばならないと思うのだ。
確かに冷蔵庫に入ったりするのはアレだけど、何千万もの損害賠償をアルバイトに押し付けるのは経営者有利過ぎない?
アルバイトが流動的な人材である以上、素行等においてどれだけのものかはピンキリでしょ。
どんな企業だって分かってるから、セキュリティだとか衛生管理のために莫大なコストをかけてリスクマネジメントするわけで。
厨房にどうやって撮影機器を持ち込んだの?とか、監督者はどこ言っているの?とか疑問に尽きない。
明らかに対策してないよね。
普通、店に入る際に私物は持ち込ませないようにチェックするでしょ。
目先の人件費ケチるために、厨房をほとんどアルバイトで回して、ろくにチェックするシステムを構築してないで、
監督者さえ付けないっていうなら、こういう不祥事に結びつく可能性が上がるのは仕方ないだろ。
こういう事件を、アルバイト側のモラルや素行が悪い、店側の人材運用には一切落ち度がないっていう風潮が続いたら、
今後ずっと経営側は成長しないな。
女性枠はいらないけど、女性でも男性と均等に扱ってもらえる社会になればいいなと思う。
小学校、中学校と「男と女は平等!」の精神で育てられてきたのに、社会に出ようとするといきなり「女性」であることが壁になって、すごくとまどった。
具体的に言うと、就職活動中に女性だからすぐ辞めるんだろう、辞めるような人はいらない、と執拗に言われた。
もちろん、女性は結婚出産などで退職する機会が多く、企業がリスクマネジメントとして女性を採用しないほうがメリットがあることは客観的に理解できる。
ただ、これまで平等だなんだの言っといて、社会に出ても男性と対等に渡り合うことができない世の中は、やっぱり歯がゆい。
女性差別だ是正しろと主張するわけではない。しかし、度々「男に生まれたほうが良かった」と思うことがある。なぜそう思うのか、ということを考えると、そこにはやはり性による違いがある。
ただ、男性と同じように社会で働きたい活躍したいと思う女性にとっては、やはりまだ難しい。これでも、今退職するかどうかの先輩女性方が、野山を分け入るように道をつくってくれたお陰でまだやりやすい世界にはなっているのだけど。
逆説的ではあるが、子どもよりも仕事をとりたい、稼ぎたい活躍したいという女性が住みよい世界にならないと、出生率は上がらないと思う。今では女性も馬鹿じゃないから、自分で生計を立てて初めて子どもを産みたいと思える。もちろんそこに仕事を辞めても余りあるくらいの男性の収入があれば別だけど、そんな人は社会に出ない女性はまだごまんといるのでそこらへんから娶ってくれたら良いんじゃないかな。
同意を得た上で収集してるなら、あとは、その資料を何に使ってるか、という問題になるね。
たとえば、会社の業務的にリスクを抱える可能性のあるもの(たとえば銀行であれば取引先経営者に近い人とか、金融関係として関わること事態リスキーな職種の方々とか)をチェックして、リスクマネジメントしておくため、とかならまだセーフかもしれんが、人事評価や昇進の際の資料に使われてるとすると、限りなく黒。まあ、表には出てこないだろうけど、問題が起こったとき説明できなくなるね。
まあ、大手なら、それが問われても大丈夫なような説明マニュアルくらい用意してるだろう。用意せずにやってる中小とかは、危険だね。
決して東電を擁護するつもりはないけれど、あまりに叩かれ過ぎている気がするのと、単純に最近のニュースなどでよく見る日本語に疑問を持ったので書いてみる。
今回の大震災、マスコミは散々「想像を絶する津波が来ました」とか言っている。
想像を絶するってことは、想定できないっていうことじゃないのかな?
「想像を絶する」状況だとマスコミも言っているのに、なぜ東電が「想定外」というとここまで批判されるんだろうか。
そして思うのが、「想定」って、どこまで想定できるんだろう。
ちょっと前、大手ゼネコンのCMで「人間が想像できるものは、人間は実現できる」なんていうコピーがあったと思うけれど、そのレベルで想定っていうと、無茶苦茶な論理が通ることになる。
例えば小学生みたいに「500mの津波が来る!!!www」なんてものでも、口にして言う人がいれば想定できたことになるんだろうか。
想定できないことはすべからく悪、というのも安全理論として分かる。
だとしたら、交通事故や殺人が容易に想定できる自動車や包丁はどうして同じ理論で禁止にされないんだろう。
その物体がもたらす利益とリスクを鑑みて、何が悪で何が許容か、というのは、リスクマネジメントであって、「想定外があってはならない」説とは矛盾する。
結局、「想定外」と言う東電を叩く人たちは、どこまで東電が想定していて、その結果どうなっていればよかったんだろうか。
その人たちは、今回の災害を、想像を絶することなく想定できていたんだろうか。
そして、東電は事故前からずっと今回のような災害を想定していなかったわけだから、その時にもっと強いメッセージを発することなく、どうして事故が起きた今になって「想定外は許されない」と叩くんだろうか。
なんとなく、「想定外」と言う東電を叩く人はイコール反原発派で、なにがどうであれ原発停止、という結果でないと満足しないような気がしなくもない。
マジレスすると、理解できるできない以前に、意思決定のプロセスが革新と真逆のものしか受け入れられないようになってるんだよ。日本企業は。
大きな会社で少しでも働いたことがあれば分かると思うけど、日本企業の意思決定の根拠は、なにはさておきとにかくリスクがゼロであること。
厳密にはリスクゼロなんてあり得ないわけだが、そこは大人の事情で、ありとあらゆる調査だのロジックだのを駆使してとにかくリスクがゼロであるというストーリーを組み上げないとゴーサインが出ない。
結果として出来上がるのは誰の目から見ても「無難」なプロジェクトで、革新性とは真逆のものになる。
そもそも革新的な商品、新しい商品というのは、これまでに無いものであるわけで、必然的にリスクのあるもの。
日本企業は伝統的に「リスクを取る」という概念自体が無く、その文化は組織の隅々まで行きわたっているから、そんなものを許容できる余地はないんだよね。
なんでこうなったのかはわからないけど、ともかく現代の日本企業の体質はそういうことになってる。
リスクマネジメントと聞けば「金融の世界のことはよく分かりません」とか「リスクを無くすことが重要です」とか、そういう石器時代みたいなこと言っちゃうのが日本の大手メーカーの現状。