はてなキーワード: ミニマルとは
はてブは手斧を持ったモヒカンが背景全無視で「行為」を断罪する論理荒野のパラダイスだが、
手斧を投げつける手法が「個人攻撃」に見えることが多くのドラマを生み出しているとも言える。
平たく言えば「オマエの主義は知らんが、その論理展開の主張は気に入らん」という投擲だ。
「オレの生き方サイコー」なら良いが、それに「他の生き方はダメだ」と続けてクサスのが良くないってのを観て
なんかそれもまた違くね?と思ったのが、この批判を書くに至った理由だ。
自分の主張を補強するつもりで、他の論を持ってくるなんてことは、良くある。
論文は大抵「過去の研究ではこう言ってる」「が、俺は違うと証明した」「が、俺は新たに良い手法を見つけた」みたいなのばっかりだ。
つまり、比較することそのものは、別に批判の対象になるようなことじゃない。
比較が雑だったり、優位を主張する部分に誤りがあるから、批判の対象になるわけだ。
コレは結局のところ「スタートの立ち位置が変だから、組み立てが変」なんじゃなかろうか。
例えば、「菜食主義者」の「菜食主義」そのものは、「手段」だ。
宗教上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者と、健康上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者とは、
外側から見える行動そのものは変わらなくても、その思想的な背景である「目的」は、大きく異る。
例えばミニマル・アート(Minimal Art)は、視覚芸術におけるミニマリズムだが、これは縛りプレイと呼んで良い。
徹底的に削ぎ落としたその先にも表現はあるはずだという、抽象美術の一つの縛りプレイの形といえる。
これも目的は「アート」の追求であり、色数を減らすのは手段の一つにすぎない。
手塚治虫のブッダで覚えている人も居るだろうが、コーサラ国にスダッタという富豪が居た。
ブッダの説法を聞いて感動し、ハコモノを建ててブッダを誘致しようとした人だ。
ジェータ太子の土地を譲ってもらう条件の「土地を金貨で敷き詰めたら」を素で実行しようとした人だ。
必要最低限のモノだけを残して全ての財を金貨に変えて土地に敷き詰めまだ足りないと実行し続けた奉仕の人だ。
「目的」が明確で、「手段」としてミニマリズムを実践した人、とも言える。
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「目的」が見えない。
知り合いのヒンドゥー教徒は、結構ユルイヤツが多い。日本に来てる時なら酒は飲む、とか。
手段である「主義」は、厳格な人間でなければ、そう厳密に守ることでもない。
(もちろん厳格な人が、厳格でない人を批判する事は、ままある)
本人の主義に関してアレコレ言うことは(同じ主義を持つ集団でなければ)、無意味な干渉にしかならないだろう。
ただし、それは「相手もまたそうであろう」という暗黙の了解に基づくから、そう言える。
ヒンドゥー教徒の知人は、仏教徒に仏教の戒律に関して「バカげている」という話はしない。
当然、仏教徒の知人も、ヒンドゥー教徒に対して「その食の制限は意味が無い」という話はしない。
お互いに違う宗教を信じていても、相手のことを尊重しているからだ。
(敬意を持った上で、教義上の疑問点を話す、なんてことはある)
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「他者の主義に対する敬意」が見えない。
結局のところ、目的も無く、自覚的に自身の主義を捉えることもないので、想像力が無いのだろう。
そうした場合、「自分もそうだから、相手もそうだろう」と想像してしまっても、無理はない。
というよりも、想像することそのものが出来ないのだろう、と想像できる。
全く知らない宗教団体と事前知識無く出会うことになった時に、何がタブーかなんて想像も付かない。
自分以外に配慮出来ないのは、何も「最近はてブを騒がすミニマリスト達」に限った話では無いと思う。
あれは「症状」みたいなもので、クシャミと同じたぐいの「結果が目に見える形になっただけ」では無いか。
それは「自身の立ち位置に無自覚」で「他人の思想的背景を理解しようとしない」という、結構怖い人達なんではないか。
つまり、インド人のベジタリアンに向かって「夏バテなら肉を食べれば元気が付くじゃない」と無邪気に言える怖さだ。
きっとその個々の無自覚さは、ソコココで小さな軋轢を生み、全体としてその母集団の信頼が失われていく。
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「自分の主義に対する思い入れ」が見えない。
自分の正しさを証明するために、他人の主義を引き合いに出すのは、それそのものは別に悪く無い。
他者に敬意を持っていれば、引き合いに出す際にぞんざいに嘲ったりすることは、出来ないだろう。
ミニマリストというものは、少ない持ち物で生活するというスタイルでも、お金を節約するというスタイルでもなく、
意識的に物やわずらわしいものを遠ざけることで、シンプルに自分のやりたいことに集中することを目指したスタイルだ。
メリットとして自分のコミットしたいことにかけられる時間が増えるが、
ミニマリスト達が信奉している先駆者達は、趣味で無い限り炊事選択掃除は壊滅的だ。
壊滅的でもそもそもする必要が無いレベルで何も無いので問題がないのだ。
ましてや、ファッションでミニマリストを名乗っているような人達は、
ミニマルに生きることは別に悪いことじゃないし、いらないものを整理して捨てていくスタイルは悪くないと思うけど、
何で頑張ってる人をこけにできるの。
別に自分はミニマリストのアンチでもなんでもないけど、あの記事を読んでああいう物言いは面白くないといわない取り巻きにえーと思ったし、なかよしこよししたいなら別にいいけど、
そういう考え方はよくないよって教えてあげる人はいないのかな。
忙しい母からアダルトチルドレン生まれるとか育児してる母からしたら「は?」だよね?
自分のことはミニマルにしても子供に不自由なく生活してもらいたいって頑張ってるわけでしょ。
暇な母親って子供のこともみてなさそうで逆に子供に悪そうだけどね
まあその人たちの主張だからはいそーですかって流せばいいのかもしれないけど、人を見下した部分を公で出すということは見下される可能性が増えることであり、
それが誹謗中傷だやめろっていうなら先にけんか売らなきゃいいんじゃないとしか言えないとおもいます。
誹謗中傷めいた言い方の意見もあったとは思いますが、ほとんどが批判であり、建設的だと思いましたけどね。
ま、小さいコミュニティで慰めあって楽しんでください。
俺はモノが大好きだ。モノを作り出す企業で仕事をしているし、服も本もPCもスマホも買いまくっているから家の中はモノで溢れている。
俺が稼ぎ、俺が金を使うことで経済を多少なりとも回しているという自負がある。
でも、当たり前だがモノを買うたびに税金がどんどんかかる。消費税8%の影響は相当大きかった。でも、負けずに消費活動を続けている。
俺からすれば、経済を回さないくせに豊かな社会にフリーライドしてる連中に見える。
もちろん、本当にお金がなくて活発な消費活動ができないという人はしょうがないが、
お金があるくせにミニマリストを名乗ってモノを買わない、低消費な生活をしてる奴らには、
フリーライドは悪だ。
経済が回っているからこそミニマリスト気取りの生活が出来ることを奴らは忘れている。
もし本当に心からミニマルな生活がしたいというのなら、進んで非消費税を払えばいい。
自称「ミニマリスト」の皆さんはすべからくMacとiPhoneとブログは捨てられず、同じような記事を同じ様な視点でしか書けない。
ブロガーとして独り立ちしたいという夢だけは一人前だが、日々の仕事や生き方に独自の視点は持っていない。
本業で贅沢できるような資産や収入があるわけでもないから、レビューブロガーになることも出来ない。
或いは、イケダハヤト師のように地方ブロガーと称することで、不便を売りにすることも考えてはみるが、
地方に行って仕事を出来るほどの能力も無く、気概も覚悟も無いから、東京(大都会)からは離れられない。
出来れば安定した場所でリスクを取ったような雰囲気を醸し出し、ブロガーを名乗りたいのだ。
・貧乏でも名乗れる
・東京在住でも名乗れる
東京で消耗するけど地方に行ったら死ぬと思う木っ端ブロガーにとって、
送られたランドセルはどこへ行くって?
捨てるんだよ
ただ捨てるだけじゃない
裁断して捨てるんだよ
施設の子どもたちが泣きながら「えぐぅ」「えぐぅぅ」って言いながら小さな手に無骨な洋裁ばさみをもって「本革製品硬くて切れないよう……」とかいいながらも新品で一回も使用したことのないランドセルをズタズタに切り裂いて捨てるんだよ
そうじゃないとこの消費社会で景気上昇なんて達成できないよ購入してすぐさま廃棄しなきゃ
ミニマリストはその思想上身の回りのアイテムを最小化してシンプルなライフを送りたいわけだしこれくらいしないと経済や文明の利得にありつくのはフェアじゃないんだ
つまり大量消費とミニマルライフを両立するために施設にランドセルを送りいたいけな少年少女にランドセルを切り刻ませる必要があるんだよ
・星河万山霊草紙(1) 鈴木有布子
タダだったから。2話ぐらいだけなのね。
お兄ちゃんの、ひどい仕打ちを愛によって受け止めているそのメンタリティがキモカワイイっていうのかな。ひどい仕打ちに快感を感じるMとは違う。
おれはBL読まないので、BLの文脈はよくわからない。なので、ラブコメとして読んだんだけど、恋愛限界事例って感じ。
不憫系ってジャンルがあるみたいだけど(おれは良く知らない)、この作品はひどい状況を悲しく表現してはいないし、笑いをとる方向にももって行っていない。それによって、(人の心理を中心にしているにもかかわらず、)誰かへの移入に頼らず、ニュートラルな納得感を読者に与えているように見える。
暗くも明るくもしない作者のバランスがガッツリはまった良作ではないかと。
恋愛プロセスにおける、"おかしみ"がうまく出ている感じ。独特のクドさのある人の画も良い具合にはまってるのでは。
画も内容も昔より暑苦しさが増してる気が。
閉鎖された仲良し空間の暑苦しさを楽しみたい人には最高。個人的にはちょっとおなか一杯。
・恋は雨上がりのように(2) 眉月じゅん
1巻を買って、迷ったけど2も購入。
純愛ものをひねりの無い展開でシリアスにやってて、でも古臭くならないように注意している感じかな。
百合を面白いと思ったことがないにもかかわらず、たまに、なんとなく、買ってしまう。
これもそのうちの一つだったけど、おもいがけず面白かった。初めて百合を面白いと思ったかも。
この手の逆転系はよくあるけど、無理のない展開って結構難しいと思う。にもかかわらず本作は納得感ありつつ進行していて良い。
そういった意味では、百合じゃなくても面白かったんだろうなとは思う(百合環境の上で成立しているので、実際は必須なんだけど、比喩として)。
画はうまくはないけれど、人のたたずまいや、内面が表出する部分を丁寧に表現していて魅力がある。
結局、内容が良ければ、百合もBLも面白いってことなんだなー。などという当たり前のことを、「彼女の世界」と「起きて最初にすることは」に教わった。
タダだったから。
・ヨコハマ買い出し紀行(1-12)芦奈野ひとし
過去に紙で読んだ作品。その時もドはまりした記憶があるが、改めてハマった。
kindle で1巻が無料だったので、「なつかしーなー」と思って1巻を読んだら面白くて結局2-14巻も買ってしまった。
人類の来し方と、残る世界の行く方が交差する大きな転換点をユルい日常の連続と個人の視点で(いまなら許されないだろうと思うほど)暗示的に表現しており、今読んでもユニーク(のんびりした終末感は"渚にて"が思いつくけど)。
テーマは基本的に作品の背後にあるが、ポツポツと表出されるところの表現が秀逸。アルファさんの「知ってるよー」は何度読んでも泣く。
日常のユルい表現も、言語化されない人(じゃなくてロボットか)の心理が多分に含まれていて、その密度感が作品の足元を支えている印象。
芦奈野ひとしが画が上手いのは今更としても、この作品が一番ハマってるなあと改めて思った。光/影/空気/地表/大気/水面/空/雲/晴れ/雨/土/砂/コンクリ/鉄/木材/植物/朝/昼/夕方/夜.....作品の環境に関するあらゆる表現が驚くほど高度でビビる。
・ストレッチ(3) アキリ
だいたい web で読んでだけど、また読んでも面白い。5回ぐらい読んだけどまだ面白い。
2人のトゲとボケを含む愛のあるイジリあいはいつまででも見ていたい。画もうまい。
どうでも良いけど、ワンレンのOLって。作者は幾つぐらいの人なんだろ。
完結してた。
このくらい恋愛要素が奥まってるほうがイイと思う。
建築については、その魅力がなかなか伝わってこなかった。人的なドラマ要素を持ち込んでいるので退屈はしないけど。
作画はマユリの頭がコーンヘッド気味に見える絵が多くてちょっと気になった。後頭部が上にトンがってるように見えると言うか。(追記:観察してみたら、こういう風に見える人いるね。特に女性。なのでこの評価は不当だと思う。よく見てから言えって話だ。)
女性がかわいいとされてる作家だけど、個人的には男性のほうがバランスよくて上手いような気がする。
・となりのロボット 西UKO
ロボットというと産業ロボットなんかも含むので、どちらかというとヒューマノイドとかアンドロイドって言う方がしっくりくるんだけど、あえてロボットって言い方をチョイスしてるんかな。ロボットの存在の仕方について、突っ込んで考慮されてて面白かった。作画はあんまり。
完結してた。ダラダラ続けるのに良いフォーマットだったと思うけど。
もうちっとぶっ飛んだ感があったほうがこの作家に向いてるかな。とは思った。
作画はいつもの通り、デフォルメして特定のパタンに落とし込む方向。顔はうまいだけじゃなく、場面ごとに表情が丁寧に考慮されていて、見ていて楽しい。
街の作画もかなり丁寧(重要な要素だしね)で、都心近くのちょっと古い商店街/住宅地の感じが良く出てると思う。
スズナが公園で遊んでる回の作画は全身で動きがある画が多くて良かった。
この作品では初めて見る構図やポーズも自然で良い感じにこなしており、上手いと思った。
普段ほとんど室内で顔ばっかだしね。男女ともにみんなカワイイので良いけど。
黒目が大きいのが個人的にはあんまりなので、スズナとウリサワが好き。
・うきわ(3) 野村宗弘
終わってた。着地点は、まあ妥当というか、これ以外の着地は難しいだろうなあというところ。
エンドロールもそうだったけど、ミニマルで内向的な作品が続いていて、その辺のニーズが強いんですかね。
鉄工所みたいに、にぎやかな作品もそろそろ読んでみたい気も。
・ちろり(7) 小山愛子
概ねいつも通り。ちろりは話の流れ的に表情が増えてきた気が。
ややエグみのあるエピソードを笑いやノスタルジーに落とし込んでいて、好き嫌いの分かれる作品だと思う。
個人的には、つまんなくはないけど、好きではない。って感じかな。。
・ふだつきのキョーコちゃん(4) 山本崇一朗
何を楽しめば良いのかがよくわからないというのが正直なところ。つまんなくはないけど。
キョーコの体質を基にしたドタバタなのか、兄妹のイチャイチャなのか、ラブコメなのか。そのほかの何かなのか。
雑多なネタを扱う作品は結構あるけど、その路線で成功してる作品はメタなレイヤーでの一貫性があるように思う。
いつも通り。前巻で娘が出てきて波風あったので、今回やや退屈な気もするが、そもそもそういう作品なので文句はないです。
大河系というか、こういう系は完結してからまとめて一気に読んだほうが面白いね。
1-10を続けて読んでるときは面白かったのに、間があいて 11 を読んだら、ちょっと没入できなかった。
・コンプレックス・エイジ(4)佐久間結衣
新キャラ投入でやや波風ありつつも、面々が相変わらずまじめに楽しくやってる感じ。
とある漫画家の昔語りとしてそれなりに面白かったので、死をあんなに盛り上げなくても、もちっとサラっといっといても良かったんじゃないの?って気が。
まあ、この作者なら盛り上げていくんだろうなあとは思ってたけど。あまりにまんまで笑った。
中学生くらいによく聞いてた歌手で、女性なのに風をまとった少年みたいな歌を歌うんだ。
なんだか初恋の酸っぱさみたいのがすごく詰まってて、5月のアンバランスな自律神経にビシッと来たので近況を調べてみたら最近になってリミックスベストを出したらしい!
喜び勇んで買いに行って今聞いてるんだが、当時のミニマルでアンビエントな曲調が妙にゴージャスになっててまさに初恋の相手に久々にあった時のこれじゃない感。
聞いてるうちにそっちのほうが好きになるかもしれないけど、むしろ病状が悪化したので今週末は昔のCDだけ聞いて家に引きこもります。
山行きバスでも迎えにきてくれないかな。
1980〜1988: アニソン(3歳くらいに聴いたゴダイゴの999が意識的に音楽を聴くようになった起点)
→ 1988〜1990: 邦楽
→ 1990〜1991: ハードロック
→ 1993〜1995: 洋楽ヒットチャート系(90年代のTokio hot 100) 、J-Wave経由で渋谷系、HipHop
→ 1995〜1996: アシッドジャズ 、洋楽ヒットチャート系(90年代のTokio hot 100)
→ 1997〜2000: テクノ、ブレイクビーツ、ビッグビーツ、ミニマル、ディスコ、ソウル、ドラムンベース
→ 2000〜2005: ディープハウス、ドラムンベース、ジャズ、ディスコ、トリップホップ、アニソン
→ 2005〜2009: chillout、ambient、deep-house、アニソン、ボカロ
→ 2009〜2014: EDM( dubstep、brostep、drumstep、drum & base、trap、glitch-hop、deep-house、Juke/Footwork、trip-hop、chillout、chiptune、electro、disco)、アニソン、ボカロ
→ 2015〜 : アニソンremix(ナードコア類,Jトランス類を除く)、EDM (ワブルベースonlyのdubstepを除く)、邦楽remix
ワブルベースは聴き過ぎると飽きるけど、ワブルベース+なんか だとまだ聴ける
アニソン+EDMのremix的な相性は凄く良い。ただしナードコアやJトランスやユーロビート(!)の系譜のremixが多いのは辟易とする。なんていうかインドネシア方面におけるFunkotを彷彿とさせる。だけどEDMシーンを下敷きにしてるremixは凄く良い。
soundcloudの多様性は凄いし、みんなsoundcloud聴こう
今この増田を読んでるあなたは、「ジャズ」、と聞いたとき、何を思い浮かべますか。
十中八九、そこらへんのファーストフード店や喫茶店で流れている、”おしゃれ”な音楽を思い浮かべるでしょう。あるいは、スウィングガールズ効果で、吹奏楽界隈でも一時期流行ったSing Sing Singのような曲も、頭の中で流れるかもしれません。
これは、まさにそうした人々のための増田です。広いジャズ世界の中でも極々一部の曲を聴いてジャズを知った気になる、あるいはジャズはどこか古いものだと思ってしまう、これほどもったいないことはありません。
前置きが長くなりますが、以下から本題です。動画サイトへのリンクも張っておいたので、気に入った方は今後のジャズ界の振興のためにもAmazonなりiTunesなりなんなりで高音質のものを買ってください。
最高。何も考えずに聴きに行くべし。
これだけだとあまりにも不親切だからもう少し何か書くと、Anthony Jacksonのベースラインを聴くだけでも絶頂できます。
二発目は稀代のコンポーザー/アレンジャーVince Mendozaを擁するメトロポールによるバルセロナ。聴けば分かるように、オーケストラとビッグバンドのコラボレーションが、一昔前の映画音楽でよく見られたような、ストリングスはストリングスで独立していて、前でなんかジャズの奴らがごちゃごちゃ遊んでいるというものではなく、不可分のものとして一つの芸術作品を作り上げています。はい、意味が分からないという人は、ぜひ一度だまされたと思って聴きに行っていましょう。
演奏は慶應義塾大学Light Music Society、通称慶応ライト。恐らくこれを聞いた人は、これがジャズなの!?と驚くでしょう。ジャズです。心が洗われるような、美しいその音楽性には涙を流すほかありません――大自然の息吹を感じるのです。Maria Schneiderはこの他にも多くの曲を出していますが、初期のアルバムはもっとジャズ色が強めな一方、最近のアルバムはクラシックにかなり傾倒しているので、この曲が収録されているSky Blue前後の作風が好きです。
ちなみに、この演奏は生で聴いていました。
これもまたきれいな曲です。前曲よりもフュージョン寄りですが、ドンキーコング2のとげとげタル迷路と、どことなく似た雰囲気を持っていると思いませんか?独特なソプラノサックスの音色と共に歌い上げられるメロディ、ミニマルな雰囲気を生み出しているバック。気分は海の中に漂っているようです。少なくとも私は広大な海原に一人放り出されて息を止めたまま海流に流されるままの自分を夢想しながら聴いています。
http://www.nicozon.net/watch/sm9452541
北欧系ビッグバンドでは有名どころの一つです。ディスコ音楽とジャズの融合という、見た目だけだとゲテモノ間違いなしですが、いざ聴いてみると違和感はありません。まあ、もともとジャズもみんなで楽しく歌って演奏して踊るものだったのですから、親和性は元々高かったのでしょう。映像からも分かるように、踊っています。というか、思いっきりディスコです。ちなみに、このバージョンはショート版で、アルバムにはロング版が収録されており、ロング版のテナーサックスソロは必聴です。
Yellow Jacketsのナンバーはどれもかっこいいのですが、今回はこの「ウサギとカメ」をチョイスしました。ピアノの美しいイントロ、ドラムによって加速するドライブ感、そしてサックスのどこかゆったりとしたフレーズと絡み合うせわしないピアノ――ここに、ウサギとカメの名称の由来が来ているのだと私は勝手に思い込んでいます。これはかっこいい曲だ。
みなさんもグラミー賞を取ったということでご存知の上原ひろみ。ですが、この人の曲を実際に聴いたことがある人ってどれくらいいますか?ということで、数ある曲の中から、変わり種に入りそうな、シンセサイザーがかわいらしくピコピコ鳴っていて、どことなく8ビットの香りも漂ってくる、ただでさえ聴いていると体力が奪われるのに、ライブだから余計に疲れる、カロリーの高い曲をチョイスしました。目まぐるしく変化していく曲調にあなたは目を回すこと間違いなし。
ジョジョのエンディングテーマを演奏していることでネット界でにわかに脚光を浴びているPat Methenyによるナンバー。この人も良い曲をたくさん持っているのですが、今回はメセニーらしさがぞんぶんに出ている曲を選びました。よくわからない拍子、男声ヴォーカル、爽やかな雰囲気。はい、メセニーですね。ただ、こだわりのエレキギターの音を聴けないのが残念です。
本当はメセニーの世界を余すところなく堪能できるOrchestrionを紹介しようと思ったのですが、長すぎるのでやめました。
名前からして古臭さを一切感じさせないですね。フォボスとか、宇宙にまで行っちゃいましたよ。そしてこのバンド名も厨二病溢れる名称。曲も退廃的な雰囲気を漂わせちゃって、なんか厨二病っぽいです。テナーサックスソロも厨二病っぽいです。
曲調がしょっちゅう変わる曲その2。とにかくにぎやかで豪華で壮大で荘厳でいかめしくていかつくて以下省略。とにかく聴いていて飽きません。疲れません。おなか一杯になりにくいです。上原ひろみのものと比べたら、耳にやさしいです。あえて無駄にでかい虚栄心を張ったスケールの曲なので、ラストにふさわしいでしょう。
いかがでしたでしょうか。
卜部は何がかわいいって、全身がかわいい。時期によって作画が全然違うが個人的には4巻以降が好きだ。
顔がかわいいヒロインならいくらでもいるが、全身ががかわいいヒロインは多くないと思う。
顔の作画に関しては 3巻あたりが好きだが、スタイルで言えばアイドル編あたりが好きだ。
でも全体としてみれば後になるほどかわいい。
卜部のスタイルは若い女性らしい胴回りの細さ/無駄のなさがまずありつつ、脚にはアクティブに動き回れそうなボリュームを感じさせる(脚のボリュームは時期によって結構違うが)。顎を引き胸を張り、背中側が大きくくびれた立ち姿はシュっとして美しく、同時にややかたくなな彼女の性格を反映しているようにも見える。座っていても、走っていても、踊っていても、彼女はいちいち全身でかわいい。
固めで無駄のない線で描かれる卜部は、人体の厚みを感じさせる立体感があり、動きに合わせて適切に広がるスカートやシャツのすそなどのディティールは彼女の魅力を引き立てている。
もちろん、背景の素晴らしさも卜部の魅力を支える強力な舞台装置であることは言うまでもない。
終わってしまったマンガについてあれこれ言うつもりじゃなかったんだけど、あまりに残念で訳の分からないことを書き連ねてしまいました。
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本題。
似たようなプロットのマンガで刺さるヒロインを教えてください。
自分でも探してみたところではとりあえず下の三つ。
絵も内容ももうちょい頑張ってほしい。特に絵については、人体や背景がイマイチなのはまあガマンするとして、顔が不自然なコマが多いってどういうことよ(だんだん改善されてはいるが)。仮にもラブコメなら顔ぐらいはもちっと自然に見えるように描いてほしい。
・つるつるとザラザラの間
脇役の役割が大きくなってきて上の条件にあてはまらなくなりつつあるが、当初は付き合い始めの男女2人が放課後に学校から家に帰るのが中心で、謎彼を踏襲していたように見えた。
内容は良いかと。ニヤニヤしながら楽しめる。さやちゃんは顔はかわいい。が、人体の厚みのなさが惜しいのと、背景があんまりだ。
内容も良いし、絵も良い。ニヤニヤしながら読める。高木さんは顔もかわいいし、人体に厚みも感じられてよい。背景もガツガツ書きこんでいるわけではないが、必要十分で不自然さを感じることもなく安心して読める。
以上3作品以外で良いものがあればご教示いただければと思います。
最近は「絵のうまさはマンガの面白さに直接関係ない」的な意見も見かけるが、個人的にはラブコメのヒロインはかわいく(少なくとも不自然さを感じないように)描いてほしい。絵のうまさにはいろいろな文脈があると思うので、上手い下手というという話ではなく。
作家は大変だと思うけど背景もできればちゃんと描いてほしい。ストーリーやヒロインを魅力的に見せる重要な要素だし。
追記。
八神君の家庭の事情はむかーし読んだ。トラバくれた人ありがとう。
改めてkindleで読んでみた。顔や髪型はさすがに古いし、ストーリのドタバタ感も時代を感じさせる。セリフも古くて恥ずかしいものが多い。バブル前後のそれだ。
でも確かに絵がイイっすわ。人体に厚みが感じられるし、動きも自然。海水浴のシーンでは、水に足を取られつつこっちに向かってくるヒロインは足がついてこないために肩が上がり気味で、足を引き抜こうとして体がくねっているのがわかる。状況を反映させた自然な動きになってる。背景も手が込んでるし、人はどのコマでも自然さが感じられる。1巻は昭和62年(1987年)てことはって27年前。今の感覚で読むと上に上げたとおりマイナス要素ばっかりできつい、にもかかわらずヒロインは全身でかわいい。