はてなキーワード: ボイコットとは
障碍を持って生まれた。
喋りが遅れたし身体も弱いからスポーツなんてする機会もなかった。
見た目に出る障碍だったからそっちにも期待できなかった。
親はしきりに勉強を薦めてきた。そこそこいい大学を出させて公務員にさせたいようだった。
選択肢の少ない自分にとってよりよい落としどころとして考えてくれていたのだろうが、両親共不安定な職業である事の反動のようにも思えた。
勉強はあまり好きではなかったが、それをしないと本当に何の取り柄もなかった。
夕方も土日も部活に明け暮れている人達とテストの点数が変わらなかったからだ。
小学校の頃から一緒に遊んでいた友達はみんな偏差値65以上の高校へ進学した。彼らとは社交辞令で何度か会ったきり自然と疎遠になった。
高校では手を抜く事を覚えた。
授業という形式が自分に向いていない事に気付いたので、あらゆる授業をボイコットした。
点数になるため出席こそしていたが、袖からイヤホンを通して音楽を聴いていたり、携帯ゲーム機で遊んでいたりしていた。
大して頭のよくない学校だったので暗記さえすれば八割取れるようなテストだった。
それまで要領のいい人間に嫉妬していた反動で少し浮かれていたと思う。
調子に乗って効率を詰め過ぎた挙句、カンニングペーパーに手を染める。
二年次までは上手くやれていたが、指定校推薦が決まろうかという時期に知り合いでもない奴の密告によりパーになる。
結局普通に勉強してニッコマに受かる。ニッコマはバカなので暗記だけで受かる。一学年上の知的障碍者すら受験していた。
思えばここで立ち止まった方が良かった。
本当の意味で血肉になる能力がなんなのか、自分の頭で考えるべきだった。
親に言われるがまま、周囲の意見や世間の風潮などを余す事なく聞き入れ、ただノルマ的にスコアを出す事以外に喜びを見出せていなかったように思う。
大学の四年間はただ遊んだ。私文だったのでコピペと感想文だけで点数になった。
私文のおめでたい思考回路に染まっていたのでこれは何の意味もないクソみたいな教科学習を乗り越えたご褒美くらいに考えていた。
半年程度とは言え詰め込みで勉強した反動でもう勉強なんてしたくなかったため、公務員の勉強はしなかった。
論文を書かなくていいというただそれだけの理由で文芸創作のゼミに入った。
周囲と意識のレベルが違い過ぎて時々眩暈に見舞われたが、後になって考えてみるとただのワナビの群れだった。
就職活動はしなかった。
ただ気持ち悪いという一時の感情で参加すらせずに新卒チケットを破り捨てていた。
今にしてみると正気の沙汰とは思えない。
紆余曲折あり数年後、赤ちゃんレベルの社会性で何のスキルもない中古品として出荷された先はSIerだった。
そろそろ30になるが、マジで一体何のために生きてるのか分からない。
目的なんかないので、こんな箇条書きみたいな文章を書いてしまう。
こんな事を頼むのは筋違いだと思う。
誰か俺が何をしたかったのか解き明かしてくれ。
どうあればよかったのか。
これからどうすればいいのか。
誰か正解を教えてほしい。
今、ベヨネッタの英語版を担当する声優のHellena Taylorさんが、次回作収録のオファーの賃金4000米ドルが不当に安いと主張し、オファーを断り、ファンに次回作のボイコットすら呼びかけている。
まず4000米ドルは本当に不当に安いのだろうか?
本人によると、初代ベヨネッタは1日4時間、計4日間で収録したそうだ。
それから見積もると、アメリカの声優としても4000米ドルは業界全体としても悪くないのではという意見がTwitterなどで見られた。
ここでの疑問は「(現在の業界標準として)不当に低いか否か」だ。
実はRedditなどではこの増田のタイトルのようなことがまことしやかにささやかれているのだ。
「日本企業だからな。あいつらは不当に安いオファーを出して、暗にHellena Taylorにお前はいらんと告げたんだ。ズルくて汚いやり方だ。これが日本企業のやり口だ。」
みたいな。
Redditで、"Bayonetta voice actor" などと調べて出てくる記事のコメント欄には大抵この「説」が出てくる。
アジア人だからなんだってんだ、適当なことを抜かすなこのレイシストのクソ野郎!!
・・・と言いたいんだが、実際これはマジで日本企業あるあるなの?🥺
この件は後任のJennifer Haleさんにも飛び火している。
「低賃金声優乙」とか「みんなでボイコットしないと意味ないだろ!」とか叩かれまくってる。
かわいそう。🥺
音楽のサンプリング問題と同じ話だって言われればそうなのだろうが・・・。
研究だけで使うってのなら、まぁわかる。
けどそれで稼ぐって話がな。
学習に他人の絵を使っているが、元の絵を描いた人にはお金は流れないわけでしょ?
すげーって騒がれているが、学習させている画像が、すげーと言われていたり、壮大な感じに見えるものをディレクションして集めてきたってことにしか思えない。
まだ、ある領域の近接領域には、統計的にこういった模様や色の物があるだけだって性能しかなく、
その性能に見合った画像を集めて来てるのでは。
あと絵は正解がぱっと見で判断出来ないこと、多くの人が判断を言語化し難い所を狙ったなっていう気がしている。
自分の絵に似ているって異議申し立てしても、類似してるかしてないか、人によって判断が分かれる。
でだ。
個人や企業による人種差別や性差別主義的な言動に人々が強く反発して、起用取消しや不買運動などが起きること。近年の#MeToo運動や#BLM運動の広がりの中で隆盛し、社会変革のための重要な手段となっている。コールアウトカルチャー(call-out culture)、差別や偏見などの社会問題に目覚めた(woke)若者たちによるウォークカルチャー(woke culture)とも同義で使用されることもある。元来は、マジョリティの「公共圏」から排除された人種、民族、あるいはジェンダー的なマイノリティたちが生み出した「対抗的公共圏」の中で抵抗の手段として発展していった。他方で、マジョリティの白人文化に広まる中で、従来控えめなボイコットや無視を促すものだったキャンセルカルチャーが、発言が問題視された人を市場やメディアから締め出すようなコールアウトカルチャーへと変容した。これに対してオバマ元大統領が警鐘を鳴らし、行き過ぎたキャンセルとコールアウトカルチャーに対して、人の過ちに対する寛容や、発言の問題点を指摘しつつ敬意をもって対話を試みるコールイン(call-in)などが模索されている。日本では東京五輪開会式におけるミュージシャン小山田圭吾の過去のいじめ発言や元お笑い芸人小林賢太郎によるホロコーストをネタにしたコントがキャンセルの対象となった。
小山田圭吾と小林賢太郎はキャンセルカルチャーの範疇に入らないと思う。小山田圭吾の拒絶は人間性に対する嫌悪感、小林賢太郎は欧米に対する忖度の結果で多くの日本人にとってはどうでも良い話。
anond:20220702054142の追記。基本引用元は元記事ブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220702054142)。
frothmouth 公権力でないから規制でない、ってのも今の時代の実態にそぐわない気がするなあ。キャンセルカルチャー批判とか考えるとね/真面目に書いた増田に「精液で全身ドロドロ〜」みたいなブコメ付けられて気の毒
ここで問題にしているのは一般人の抗議運動やボイコットのことで、その手のものは「規制」と考えることは不適切だということである。公権力でないから規制ではないとは言っていない(私人間効力の論点はもう半世紀以上前からある)。せっかくだから書いておこう。
2022年現在、公権力以外の「規制」を論じる意味があるとすれば、デジタルプラットフォーマーの問題だろう。我々の言論はあまりにも出版・放送・通信のインフラに依存している。たとえばツイッターやフェイスブック、「マンガ・アニメ」の類を配信しているプラットフォーム、pixivなんかの同人投稿サイト。こうしたプラットフォームに言論は依存しているので、もはや作者の書く自由を擁護するだけでは何の意味もない。その手のプラットフォーマーが恣意的な管理をすれば言論は生き残れない。一方で、こうしたプラットフォーマーもまた出版の自由を有するから、「持ち込まれた言論は絶対に出版しなければならない」義務を政府が課すことは許されない。そして実例として、SNS各社はプラットフォーム内でのヘイトスピーチを禁止しているし、pixivも同様である。みんなプラットフォーマーというとGAFAしかイメージしないが、もっと小規模なレベルのプラットフォーマーに目を向けるのが大事だ。
言論の流通過程全体を保護するためには―わかりやすく言えば2chの削ジェンヌみたいな滅茶苦茶な「管理」をされないようにしないとけない―プラットフォーマーが私人とはいっても、その行動を公権力によって規制する必要が出てくる。そしてプラットフォーマーのもつ出版の自由との慎重な調整が必要となる。その繊細な調整が表現の自由論の課題にますますなっていくだろう。
なぜ繊細慎重な調整と必要となるか。DPへの介入は、プライバシーや名誉毀損にあたる言論を裁判所が差止めるのと同じ構図だし、言論の分野ではないが、旅館業法が、ホテル・旅館(これも私人だ)に宿泊者を原則として拒否できないとする義務を課すのと同じ構図がある。似たような調整はこれまでも行われてきたわけである。ただ、後者の営業の自由は、もともと社会権を保障したり公平な自由を確保するために制限することが幅広く認められると観念されているのと違って、前者は、差止めの要件がかなり厳しく設定されている(『宴のあと』事件などを見れば明らか)。それは表現の自由がそれだけ「重い」権利だという観念があることによる。プライバシーや名誉毀損と営業に対する介入を比較すれば分かるように、表現の自由(就中送り手の自由)を重視すればするほど、プラットフォーマーのもつ「表現の自由」へ介入するのは困難となる。ブコメした多くの人が「表現の自由」はとにかく大事なんだという観念を持っているようだが、果たして一般論として表現の自由を称揚すればするほど、プラットフォーマーの地位が向上していき、利用者の立場は低下していく関係にある。DPに限らず、出版社も独自のポリシーを持っていて、刑法175条の要求とは別に、原稿に対していろいろな要求をして、修正しないなら出版を拒否する。表現の自由を称揚し、表現の自由の地位を向上させればさせるほど、出版の拒否に対して裁判所が介入するのは困難となっていく。皮肉な話である。「表現の自由」を称揚すればするほど、公権力以外の「規制」はつよくなりうる。私人間同士の対立場面で「表現の自由」を登場させないことには、それなりの理由がある。
なお、私は一般人の抗議運動を「規制」と言っているような人に調整作業をやらせたいと直感的に思えないところがある。その人こそが削ジェンヌになるのではないか。
minominofx66 まずは宇崎ちゃんにしろたわわにしろ、萌え絵やアニメが規制されるべき「エロ」なのか、健全な表現の範囲内なのか、この際だから徹底的に議論して白黒はっきりさせるべきだと思う。
第一に、さしあたって規制されるのは「わいせつ」(刑法175条)である。「エロ」ではない。そして「エロ」とか「健全」かそうでないかという問題は、表現の自由を擁護する上でどうでもいいことである。重要なのは「不健全」でも公権力によって規制されないということではないか。「不健全」なら規制しても良いという観念が前提にあるように見えるのは驚くほかない。アニメ・マンガの類の少なくない作品が不健全とか不道徳とか退廃的とか言わざるを得ないのは確かだろう(少なくともハード・コア・ポルノ的なものなら、だいたいどれかには当てはまるだろう)が、だからといって公権力が刑罰をもって発売頒布を禁止することは許されない。それが表現の自由論ではないの。
第二に、「規制」がどんな規制かも考えなければならない。仮に刑法175条が廃止されたとする。そうすると性器修正処理などは全廃されるだろうが、成人向けの書籍・ビデオ等は依然として年齢制限が課せられる(公権力が法律・条例をもって年齢制限を課すこともあれば、出版業界の内部協定として行うこともある)。販売頒布は禁止されなくても、流通過程が制限されることがある。それは言論の内容に着目したものではなく、付随的害悪(たとえば見たくない人の目に偶然触れるのを防ぐため)の阻止するための規制(内容中立規制というやつだ)である。一般論としてそのような規制は認められなければならないだろう※。付随的害悪を阻止するための規制もいっさい認められず、街路に成人向け書籍の広告を出したり、街頭モニターでビデオを上演したりすることも制限なく認められなければならないというのなら、もはや見解の相違としか言えないが。
第三に、宇崎ちゃんの欠缺ポスターやたわわのポスターに対する抗議や批判は、いかなる意味でも規制ではない(国連からという声もあるが、それは「日本の」公権力ではないし、日本国に対して強制力を持ったなにものでもない)。批判や抗議は、表現の自由がもともと予定するものであろう。「不健全な表現は規制せよ」と主張することすら(私はそうは思わないが)、表現の自由である。それに反論するのも自由だが、そういう主張自体が「規制」と言うのは馬鹿げている。
※
とはいってもこれがかなり厄介で、そのような規制によって出版社に過剰な経済的負担を課し、実質的に内容規制をしていこうという方法がないではない。しかし、付随的害悪の阻止のために合理的な規制を行うことは、一般論としては認めなければならないだろう。あとは個別事例による。
(1)
daydollarbotch 用語はそれっぽいが内容が所々おかしい。嫌がらせがあるなら不法行為たり得るし、間接適用説の下で表現の自由は考慮され得る。判決の引用部分では特にわいせつ表現が表現の自由の保護範囲外とは読み取れない(2階へ
①「わいせつ」に該当してもただちに保護範囲外にならないと最高裁が認定しているという趣旨か。だったら以下は何なのだろうか。なお、これはわたしやあなたが考えているところのあるべき「わいせつ」概念ではなく、最高裁の判例法理では「わいせつ」がどういう扱いを受けているかという問題である。
ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物的存在の面を明瞭に意識させるから、羞恥の感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心を麻痺させ、理性による制限を度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務は教育や宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである。刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳に違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。そして刑法一七五条が猥褻文書の頒布販売を犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである。
②間接適用説のもとで「誰の」表現の自由を考慮するかが問題である。抗議者の言動を裁判所が差止めれば、それこそが表現の自由の制限となるから、裁判所が差止の権限を行使するにあたっては、表現の自由の趣旨を取り込んで適用しなければならない、というのが間接適用説だろう(ドイツのリュート判決はこれとそっくりな構図だった)。表現の自由の私人間効力は、抗議者に対して、一般論として相手の表現を一切抑制しないように注意する義務を課すものではない。もしそうだとすれば、あらゆる抗議の類が不法行為になるはずである。
③嫌がらせがあるなら不法行為なのは違いない。それは個別事例による。
関連して。
type-100 175条にしても猥褻物の作成・所持を禁じているわけではない。猥褻性を持つものも表現言論の自由の保護を受け、他の権利との綱引きで規制されている。
確かに、刑法175条はわいせつな文書・図画等の作成・所持を禁じていない。その限りであなたのいうとおり、「保護を受け」ると考えてみよう。しかし、販売・頒布は禁止される。警察が刑法175条の取締りの方針を変更して、性器が露出したり、性行為を描写するあらゆる作品を取り締まったとする。そこで作成・所持だけが保護されたとして、何の意味があるのか。「保護されない」という言い回しが気に入らないなら、「保護のレベルが著しく低い」という風に言い換えた上で読んでいただきたい。加えて、最高裁は作成・所持の禁止まですれば違憲となる、とも言っていない(アメリカなら、Stanley v. Georgia, 394 U.S. 557 (1969) 判決がそう言っているが)。
(2)
CocoA "一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである"<-えっ、廃止に賛成している表現の自由の戦士たちを知らない・・・?
「戦士」なら刑法175条を廃止する署名運動なり政治運動なりをやるべきであろう。あるいは「戦士」とはただのネット弁慶か。廃止が提案されたら賛成するが、そうでなければ特に何かしないのか。
(3)
hom_functor これだけ長文書いても表現を規制する合理的な理由は絶対に説明しないんだよな。「抗議をやめる~ように請求する法的資格を有する」なんて見かけない主張を創作したり反論しやすいブコメをチェリーピッキングするだけ
「規制」なのかという問題か否かを読み取っていただけてないらしい。上記で書いたように、抗議運動なりボイコットなりは「規制」ではない。政治道徳的な観点からそれに理由があれば正当だし、理由がなければ不当だというだけのことである。むろん嫌がらせの類は、不法行為である。抗議運動なりボイコットに理由があるかという部分はともかく、「規制」というおかしな問題設定をしていることが馬鹿げているということだけはくみ取っていただきたいのだが。
(4)
sirobu 表現の不自由展に対する街宣カーも自由を制限する不当な圧力だと思ってるんだけど、増田はそう思わないってことかな?
あなたが街宣カーで街宣される時点で表現の抑圧だと考えていることはよく分かった。そういうレベルから見解が異なるのなら、議論がかみ合うことはないだろう。以下は参考まで。街宣カーで道路を走りながら何か言うだけなら、それは自由である(馬鹿なことを言っているなとは思うが)。問題は街宣カーそれ自体ではなく、殺害予告だったり大量電話のような嫌がらせだろう。また、名古屋市長の支出拒否しかり、大阪府知事の会場施設利用不許可しかり、公権力が規制に乗り出していることを考えれば、表現の不自由展では「不当な圧力」どころか、ズバリ「規制」が問題だった。公権力が嫌がらせを煽っていることも見逃せない(特に名古屋市長の愛知県知事リコール運動)。
(5)
thesecret3 憲法は法律ではないので専門家や判決がどうでも各自が独自の解釈で主張してもいいと思う。自由を保障すると言ったら基本は保障されなければならないのであって政府が邪魔しなければいいってもんではないと私は思う。
なんか進次郎構文っぽいトートロジーが・・・。