2022-11-01

障碍を持って生まれた。

喋りが遅れたし身体も弱いかスポーツなんてする機会もなかった。

芸術関係からきしだった。

見た目に出る障碍だったからそっちにも期待できなかった。

親はしきりに勉強を薦めてきた。そこそこいい大学を出させて公務員にさせたいようだった。

選択肢の少ない自分にとってよりよい落としどころとして考えてくれていたのだろうが、両親共不安定職業である事の反動のようにも思えた。

勉強はあまり好きではなかったが、それをしないと本当に何の取り柄もなかった。

中学校の途中で自分頭が悪いのだという事に気付いた。

夕方も土日も部活に明け暮れている人達テストの点数が変わらなかったからだ。

高校偏差値50くらいのところへ進学した。

小学校の頃から一緒に遊んでいた友達はみんな偏差値65以上の高校へ進学した。彼らとは社交辞令で何度か会ったきり自然と疎遠になった。

高校では手を抜く事を覚えた。

授業という形式自分に向いていない事に気付いたので、あらゆる授業をボイコットした。

点数になるため出席こそしていたが、袖からイヤホンを通して音楽を聴いていたり、携帯ゲーム機で遊んでいたりしていた。

必要ノートは全て他人からコピーさせてもらっていた。

大して頭のよくない学校だったので暗記さえすれば八割取れるようなテストだった。

それまで要領のいい人間嫉妬していた反動で少し浮かれていたと思う。

調子に乗って効率を詰め過ぎた挙句カンニングペーパーに手を染める。

二年次までは上手くやれていたが、指定校推薦が決まろうかという時期に知り合いでもない奴の密告によりパーになる。

結局普通に勉強してニッコマに受かる。ニッコマバカなので暗記だけで受かる。一学年上の知的障碍者すら受験していた。

思えばここで立ち止まった方が良かった。

本当の意味で血肉になる能力がなんなのか、自分の頭で考えるべきだった。

親に言われるがまま、周囲の意見世間の風潮などを余す事なく聞き入れ、ただノルマ的にスコアを出す事以外に喜びを見出せていなかったように思う。

大学の四年間はただ遊んだ。私文だったのでコピペ感想文だけで点数になった。

私文のおめでたい思考回路に染まっていたのでこれは何の意味もないクソみたいな教科学習を乗り越えたご褒美くらいに考えていた。

半年程度とは言え詰め込みで勉強した反動でもう勉強なんてしたくなかったため、公務員勉強はしなかった。

論文を書かなくていいというただそれだけの理由文芸創作ゼミに入った。

周囲と意識レベルが違い過ぎて時々眩暈に見舞われたが、後になって考えてみるとただのワナビの群れだった。

就職活動はしなかった。

ただ気持ち悪いという一時の感情で参加すらせずに新卒チケットを破り捨てていた。

今にしてみると正気の沙汰とは思えない。

紆余曲折あり数年後、赤ちゃんレベル社会性で何のスキルもない中古品として出荷された先はSIerだった。

しかし何もかもが気持ち悪く研修リタイア

そろそろ30になるが、マジで一体何のために生きてるのか分からない。

目的なんかないので、こんな箇条書きみたいな文章を書いてしまう。

無為に過ごしてしまった。取り返しがつかない。

こんな事を頼むのは筋違いだと思う。

誰か俺が何をしたかったのか解き明かしてくれ。

どうあればよかったのか。

これからどうすればいいのか。

自分で考える方法なんて習わなかったんだ。学べなかったんだ。

誰か正解を教えてほしい。

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