はてなキーワード: セルフイメージとは
(追記しました)
横だけど私は若い頃、自分に無駄に自信がありすぎてダメ男に気づくのが遅れるきらいがあったw
普通の人なら即切り必至の酷い暴言を吐きかけられても、なんか気のせいだったかな?みたいに思って思考停止してたというか。
自分は蝶よ花よと愛されまくっているという認知の歪みが強固に出来上がってた。
昔痩せてた人がいつのまにかブクブクに太っていた事に気付かなくて、ズボンがピチピチになっても私痩せてるから~とか言って気付いていない、現実見れてない、というのに近いかもしれない。
散々虐められて酷い目に遭わされてるのに何時までも愛されてる自分・愛されてしかるべき自分、というセルフイメージを手離せないでいた。
現実は、そんなに大切にして特する価値なんか一切持たない女だったから、家族からも知り合いからも彼氏からもゴミ扱いされてたんだけど、それが不思議と自分の目には見えていなかった。今思えばあからさまに袖にされてたし、兄弟や友人()達などとは一目見てわかるほどに差をつけられて冷遇されてたのに。
本当は兄弟間でも友人間でも恋愛関係でもいつも三番手四番手以下の保険的存在だったのに。
でもどんなに蹴っても幸せそうにしてたから、私はとても利用しやすい奴だったろうなと思う。
当時の私は自分愛され神話の他にもう一つの傲慢さを持っていて、それは、私が好きになった相手は皆私と同じかそれ以上には心の優しい親切で誠実な人達に違いないと思ってたという事。
だから例えば自分の彼氏がいつも女をゴミ扱いして取っ替え引っ替えしてばかりいる人だって、そういう兆候があったり人づてに聴かされたりしても、右から左に受け流してそんなことは知らなかった事にしてた。
とにかく幸せな妄想ワールドを生きていたという感じでありつつ、だけれどもいつも訳のわからない不快感ばかり募って苛々していたが、原因が自分ではさっぱりわからずにいた。
【追記】
どうしてそんな状態から立ち直れたのか?というブコメをされましたが、単に自分のATフィールドの強度を超えるトラブルに見舞われて痛さのあまりに我にかえったただけの事だと思います。
あ、「どうして」じゃなくて「何処で」立ち直ったのか?でしたね。
転機は何度かあったのですが、一番効いたのは二十歳位の頃に親友との関係でトラブルを起こした事です。親友本人はいいよいいよ気にしてないよ~♪と言っていましたが、第三者から「お前のせいで優秀な親友さんの可能性が潰されてしまう。お前の様な邪悪な寄生虫は死になさい」と面と向かって言われてしまった事です。
何故そんなにも強烈な言葉をぶつけられる事になったのかというと、当時私は親友と二個イチで行動していたのですが、自信満々に振る舞うが無能で容姿も悪い私と、色々な才能を持ち見た目も可愛いけれど極度に自信無さそうに振る舞う親友、という絵面が、他人の目には私が一方的に親友を虐め支配しているようにしか見えなかったからでした。
それに実際のところ私は自分の思い上がりから私達に近付いて来た人は私に用があるのかと思い込んで、その様に対応していましたし、才能溢れる親友を常に羨んでいたのも事実です。
第三者から罵倒をされて初めて、私は親友を虐めていたのか?という疑問を持ち、自分の中の「自分優しくて気のいい人間である」神話が崩壊し、私達に近付いて来る人の皆が私に用はなく、私はただひたすら邪魔なだけだったという事に気付いたのです。
(しかしそんな強烈なトラブルを起こして後も、妄想上の自分と現実の自分が解離してるせいで何度もトラブルを起こしたのですが。)
あとは漫画や小説など創作物などの影響とか。それとブログやTwitterで自分の事を書いた(そして馬鹿だの幼稚だのとリプライされまくった)のが運の尽きもとい考えを改める切っ掛けになったんじゃないかと思います。
やめたい
普通にご飯食べたい
拒食も過食もなったし周期でそれが入れ替わる
胃への負担大変だとおもう
トイレ掃除も楽じゃない
過食衝動を抑えて寝ると過食してる夢見たりする
拒食期は人付き合いもちぐはぐになるし栄養足りなくて色々できない
ふつうにご飯食べたい
尻が擦り切れて痛いんだよねオロナイン塗らないと無理
オロナインは神
吐きだこ指摘される度にバイトでぶつけちゃってっていうの無理出てきた
歯も薄くなってきた気がする
三年くらいたっても胃液の味には慣れない
友達と遊んで彼氏とデートしてご飯食べて楽しかった!で終わらせたいのに家に着いたらトイレに駆け込むの、本当にいやだ
でも、吸収するのはもっと怖いし嫌だ
セルフイメージが壊れてるのはわかる
でもこれ以上太ったら死ぬ
普通に楽しくご飯が食べたい
https://anond.hatelabo.jp/20170626132146
エントリとブクマを読んで、全体的に下記のような印象を抱いた。(それにしてもヘイトコメントだらけだな!)
1.若い女が好きな中高年男性に差別的な発言をすることは問題だと感じるブクマカは少なくない
2.しかしそれを真正面から認めたくないため、幾つかの「解決方法」を試みている
私はほどほどの高齢男性(30半ば)で、交際してきた/している相手は20歳以下がほとんどである。
10代後半から20歳ぐらいまでの女性の心理面での新鮮さや、肌や髪の若々しさは私にとって特別な価値がある。
上で述べた印象のうち、まず1については当然だろう。
ある人間がある性的なシコウ(指向・志向・思考・嗜好…)を持っているということによって差別的な言動をしてはならない、と彼ら/彼女らは考えているからだ。
いや、どの程度真剣に考えているかは知らないよ。少なくともそのようなポーズを取っている。そうすると気持ち良いからだ。「そのように考えている差別意識の無い進歩的な……つまりそのへんのバカとは違う自分」というセルフイメージを彼らは気に入っている。
そしてそのセルフイメージを肯定し合える人間同士で馴れ合っているため、それはより強化される流れの中にある。
「高齢男性が若い女が好きだと表明すればキモいと言われるのは仕方ない」と、彼/彼女や、それに星を付けている100人前後の人たちは言っている。
正直驚いた。
若い女が好きと言っただけで、キモいと言われることを甘受しなければならないと彼ら/彼女らは公言している!
言われた側への配慮はあるだろうか。
そんなものはどこにもありはしない。
彼ら/彼女らは同じ口で、「LGBTの人が同棲を好きだと表明すればキモいと言われるのは仕方ない」という意見に同意するだろうか? するのなら分かるよ。だが決してしないだろう。
高齢男性へのヘイトを口にした、あるいは賛同した人たちは認めてはどうだろうか。
しかし自分のそんな欲求を認めてしまうと、看過しがたい認知的不協和が発生する。そんな不快感は御免こうむる…。
そこで彼ら/彼女らの脳はその欲望を正当化するための言説を半ば自動的に生成する…。
という具合だ。
id:guinshaly はいみじくも次のように追記している。
自分の言動が正しくないということに当初は気付いていなかったのだね。
気付けて良かったと言うべきなのかもしれないが…。
なお特にid:guinshaly をサンドバッグにしたいという意図は無い。他にも同工異曲のヘイトコメントは多い。
彼ら/彼女らが仮に100人いるとして、そのうち何人が自分の言動を反省するだろうか? 2〜3人いれば良い方だろう。
思考が欲求を制御するのではなく欲求が思考を駆動するタイプの人間が多数派であろう。
少し整理して見出しを付けました
https://anond.hatelabo.jp/20170626132146
エントリとブクマを読んで、全体的に下記のような印象を抱いた。(それにしてもヘイトコメントだらけだな!)
最初に言っておくと、私はほどほどの高齢男性(30半ば)で、交際してきた/している相手は20歳以下がほとんどである。
1.若い女が好きな中高年男性に差別的な発言をすることは問題だと感じるブクマカは少なくない
2.しかしそれを真正面から認めたくないため、幾つかの「解決方法」を試みている
まず1については当然だ。
ある人間がある性的なシコウ(指向・志向・思考・嗜好…)を持っているということによって差別的な言動をしてはならない、と彼ら/彼女らは考えているからだ。
いや、どの程度真剣に考えているかは知らないよ。少なくともそのようなポーズを取っている。そうすると気持ち良いからだ。「そのように考えている差別意識の無い進歩的な……つまりそのへんのバカとは違う自分」というセルフイメージを彼らは気に入っている。
そしてそのセルフイメージを肯定し合える人間同士で馴れ合っているため、それはより強化される流れの中にある。
「高齢男性が若い女が好きだと表明すればキモいと言われるのは仕方ない」と、彼/彼女や、それに星を付けている100人前後の人たちは言っている。
正直驚いたよ。
若い女が好きと言っただけで、キモいと言われることを甘受しなければならないと彼ら/彼女らは公言している!
言われた側への配慮はあるだろうか。
そんなものはどこにもありはしない。
彼ら/彼女らは同じ口で、「LGBTの人が同棲を好きだと表明すればキモいと言われるのは仕方ない」という意見に同意するだろうか? するのなら分かるよ。だが決してしないだろう。
高齢男性へのヘイトを口にした、あるいは賛同した人たちは認めてはどうだろうか。
しかし自分のそんな欲求を認めてしまうと、看過しがたい認知的不協和が発生する。そんな不快感は御免こうむる…。
そこで彼ら/彼女らの脳はその欲望を正当化するための言説を半ば自動的に生成する…。
という具合だ。
id:guinshaly はいみじくも次のように追記している。
自分の言動が正しくないということに当初は気付いていなかったのだね。
気付けて良かったと言うべきなのかもしれないが…。
まあ、ここの反応見ても痛感してるだろうけどさ、別に隠し通さないと他人に受け入れられない恥でもなんでもないんだよ。
面倒くせーやつだなあーー(笑)ってくらいのこと。
親から洗脳された人の序列だのスクールカーストだとくだらん世間体気にするのは自分を苦しめるだけで、結果ろくなアウトプットも出なかった、って実験の結果が出てるんだから、もう踏ん切りつけてさっさとやりたいこと全力でやれよ、って思われるだけで。
このままだとまずい!人生希望もない!って「匿名であれカミングアウトして自分の正直なところをぶちまけて一歩前に進めた」というのは大きな成果だよ。
はっきりいって親が悪い。一回親にも「恵まれた容姿で産んでもらえて、これまで貧乏もせず、好きな美大にも行かせてもらえて本当に感謝してます。でも正直子供の頃から周りの眼を気にして生きろ、という育て方でこれまで苦しんできました。申し訳ないけど、もう成人したし、これからは親の躾にそむいて自分の本心に正直にやりたいように生きていくことを決めました。貴方がたの思うような生き方のとおり生きられなくてごめんなさい。でも私の人生で真剣に悩み抜いた結論です」ってちゃんと言いな?
対面していうのが理想的だけど、その場でまた押し込められそうになるのが怖くて自信ないなら、メールでもLINEでも電話でもなんでもいいよ。
今の君の苦しみを支配しているのは親の育て方だし、親とちゃんと対峙して、負の部分をしっかり精算したほうが楽に前にすすめるはず。
アイドル好きなら欅坂46の『サイレントマジョリティ』や『エキセントリック』を100回ずつ聞いて自己催眠かけて、実際に行動してみることで、セルフイメージ変わるよ。
先行く人が振り返り 列を乱すなと
ルールを説くけど その目は死んでいる
君は君らしく 生きていく自由があるんだ
僕らは何のために生まれたのか
夢を見ることは時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
YESでいいのか
中学生のころ、やたらと話のデカイ友人がいた。でも、田舎町だったし、その男の家はいたって平凡だったから、単に厨二病で背伸びがしたいだけなのだと思っていた。
仲も良かったし、彼のことを本当に良い友人だと思っていた。
高校進学で、その男は別の高校に行ったからだんだん疎遠になったのだけど、たまに合うと挨拶くらいはしていた。
大学進学のち、ほとんど音信不通になって社会人になったころ、クラス会があって再開した。
公認会計士の免許を取って、アマチュアのバンドを組んでいてときどきライブもやっていて、今はなぜか○○○(車メーカー)のディーラーに勤めているということだが、それは実際の企業会計を学ぶための仮初めであって、いずれ開業するし近い将来に結婚も予定しているとのことだった。
○その後、医大に入り直すという話だったが、それはやめてシェフの修行を始めたとのことだ。どうもパリに修行に行くとのことだった。
本人の言または本人から聞いたという仄聞の経歴または目標だけが立派で、本人が何をしているのか実態は不明だった。
セルフイメージを、もっぱら「職業」にもとめてばかりいた彼は、いったいなにをやっているのか不明だ。
彼の勉強成績はかなり低いほうだったし、目標だけが暴走していたのだろう。最近流行っている「自分らしさ」もこんな風にならないことを願いたい。
http://anond.hatelabo.jp/20170420024153
この手の人は子供のころに「あなたはやればできる子だから」的な文言を刷り込まれているれてることが多い。
これを言われた子は「やればできる子」のセルフイメージを守るために「本気でやって失敗すること」を極度に恐れるようになる。
そういう子は大人になっても深層意識に枷がはまったままになり、「自分の最善を尽くす」ことにストレスを感じる性質になってしまう。
理性でこうするべきだとわかっていても、いやわかっているからこそ全力で取り組むことができない。もし万全で挑戦して失敗したら「やればできる子」ではなくなってしまうからだ。
しかし仕事はこなさなくてはならないという板挟みの結果、ギリギリまで取り掛からないなどの小細工によって呪いの言葉を守り続ける本人含めて誰も得しない悲しい人間性が出来上がってしまうのである。
親に育ててもらったことへの借りを返す必要はない
自己効力感を奪う親の存在は、人生のかじとりをしていく上で大きな障害である
もしほんとうにヤバいときはこちらから連絡するし、逆の場合も親を受け入れる
もう親とはこれくらいの距離感でやっていこうと決めた
人によっては、このような親離れ・子離れのステップはあたりまえで、無意識的に達成されることかもしれない
しかし、親が自分のことを無力化して自己存在価値を高めようとする以上、こちらから決別するしかない
一度開けてしまったくさいものに再びフタを閉じてしまうことは、もうできない
父親は母を拒絶して家庭に居場所を失い、ワーカホリックとなってうつ病で死んだ
母は勉強しかできない無愛想な自分に、そんな様子じゃ社会でやっていけるはずがないというレッテルを張り続けた
そんな自分は社会参加や人との交流を恐れ、もれなくうつ・ひきこもりを経た。うつはまだ寛解への途中である
ところが、いざ働きはじめてみたら意外となんとかなっていて、業務以外の雑談すらできるようになっていた
それと同時に、母に植え付けられたセルフイメージのせいでずっと苦しみ続けてきたことへの憎しみが抑えられなくなった
正直なところ、自分は軽度のASDかもしれない。いわゆる「愛着障害」というものにも該当すると思う
勉強ができることで親が喜んでいると思っていたら、じつはそんなにデキのいい子どもはいらなかったらしい
世間から見ればうらやまれるような大学に入ってしまったが、そもそも母は「学び」や「教育」に価値を見出していなかった
母は死に体の自分に、生産工場で検査をするような仕事ならいくらでもあるから早くうちに戻っておいで、と言い続けた
そんな自分も、なにかの間違いでいい大学に入ってしまったが、本当は大卒になることすらおこがましい存在であると思っていた
ところが就活・社会参加への恐怖とあいまって、母の望まない学問・研究の道に逃げ場を見出し、博士号までとってしまった
ただし心の奥では、また身の丈に合わない経歴をつくりあげてしまった、典型的な高学歴ワーキングプアの完成である、と自虐していた
重度のうつと復帰のサイクルを繰り返していたころ、幸か不幸か地元にある大学の教員ポストの紹介がきた
そのときはうつ症状がマシだったので、ここで逃げ出してはいけないと思い、紹介を受けた
しかし次第に、また自分の能力とは見合うはずのないところへ踏み出そうとしていることを自問し、うつに舞いもどった
それでも、やっとこれで親を安心させられると思い、安堵している部分があった。面接でも、なんとか健常人のフリをして押し通した
しかし母にとって、社会参加ができない無力な自分は実験の「お手伝いさん」しかできない存在であり、大学教員になるなどとは想像だにしていなかった
不安に耐えきれなくなって母にほんとうの気持ちを打ち明けたとき、なんでもっと身の程を知って行動しなかったのか、と責められた
今度も「お手伝いさん」の仕事をするのだと思っていた、こんなことになるなら、もっとちゃんと話を聞いてわたしが食い止めるべきだった、と言われた
自分も同じように反省した。自らの無力さにもかかわらず、できるようなフリをしてしまったことへの欺瞞からくる罪悪感で、心がツブレた
ところが今どうなっているかというと、上司のボスとは円滑にやっているし、決してデキのいいとはいえない学生たちをいかにモチベートさせるか試行錯誤している
ある日、自分は主体的に考えたり行動する能力がなく、いわれたことすら満足にできない無力な存在であったはずなのに、何かがおかしいと気づいた
たまたま自分に合った仕事につけて運がよかっただけかもしれない。しかしこれまでのセルフイメージとは全くことなる自己の振る舞いに、自分自身がおどろいていた
もちろんクスリで底上げされている要素はかなり大きい。ただそれ以上に、自己像が根本から書き換えられていくようなフローがあり、かつてない大きな地殻変動を感じていた
これまでに双極性の症状を示したことはないが、このある種の成功体験がまた新たなうつの引き金となる可能性は当然あり、注意しないといけないと思う
地元に戻り、母から物理的な縛りつけを受けることによって、これまでの精神的な抑圧やダブルバインド的な母のやり口に気づくようになった
それからカウンセラーやメンターの意見も聞き、たどり着いた自分なりの結論が冒頭のものである
ブルゾンちえみが好きだ。
ようつべで何度も何度も繰り返し見ては大笑いしている。
と言っている。
自分の記憶の中では柳原可奈子がまず思い浮かぶけど、女性だからこそわかる「いるいる!こんな女」という笑いは結構いろんな女性芸人がやっているけど(男性のバカリズムがやっていたネタも大好きです)、ブルゾンちえみも大枠ではその中に入るのかなと勝手に思っている。ただの印象で語っているだけなので詳しい人間違ってたらごめんね。
彼女が受けているのは「キャリアウーマン」という言葉から大衆が想起する漠然としたイメージに、彼女のネタがよく合致しているからだと解釈している。自分は少なくともそういう動機で笑っている。もちろん現実にあそこまで振り切れた人はそんなにいないけれど、一人の女として、自分自身の中にもあの「キャリアウーマン」さんと重なる部分がないとは言えない。「男は手玉に取ってなんぼ」「自分らしく生きる」「周囲に流されない強いアタシ」みたいな、なんかそんなセルフイメージを大切にしたがっている部分。そしてそれを体現した彼女を見てなぜこんなにも笑えてしまうのか、ちょっと考えた。ほんとはわたし、そういうのあんまり好きじゃないんじゃないだろうか。
あの「キャリアウーマン」さんは、女性誌をはじめとする昨今のメディアがガンガン押し出している「あるべき女性像」の権化だ。
正直ね、もうそういうの疲れてるのよね。突っ張って、気合い入れて、周囲の人との関係性を巧みにコントロールしながら生きていくのって、大変なのよ。もっとのんべんだらりと、ときには流されたり、理不尽と戦わずして負けたりしながら、それでもえっちらおっちら、なんとかかんとか生きていくぐらいでもね、もういいんじゃないかと思うのよ。要するにメディアがあの「キャリアウーマン」さんのような女性像をゴリ押しするのは高い服やら化粧品やらをたくさん買ってほしいからだし、それに踊らされることに疲れた女性が彼女の姿に癒しを見いだしているのではなかろうか、と、自分がそうだからみんなそうだとは限らないけれど、そんなふうに思う。
一方で、突っ張って、気合い入れて、まだまだ強い逆風と戦いながら働いている本物のキャリアウーマンに、彼女はどのように映るのだろう、とも思う。
一時期そのような生き方に憧れて頑張ってみた時期もあるけれど、わたしには無理だった。心も体もついてこなかった。
今は家事の傍ら、週2日もしくは3日ぐらいのペースで細々と自営業をしている。
だから、男性と肩を並べて大きな仕事に取り組む女性はすごいと思うし、そういう女性がもっと働きやすい世の中になってほしいと常々思っている。
しかし、あの「キャリアウーマン」さんがネタとして成立するということは、正直まだまだ、真の男女平等には遠い世の中なのかなあ、と思ったりもした。
考えすぎなのだろうか。
ブルゾンちえみが好きだ。
ようつべで何度も何度も繰り返し見ては大笑いしている。
と言っている。
自分の記憶の中では柳原可奈子がまず思い浮かぶけど、女性だからこそわかる「いるいる!こんな女」という笑いは結構いろんな女性芸人がやっているけど(男性のバカリズムがやっていたネタも大好きです)、ブルゾンちえみも大枠ではその中に入るのかなと勝手に思っている。ただの印象で語っているだけなので詳しい人間違ってたらごめんね。
彼女が受けているのは「キャリアウーマン」という言葉から大衆が想起する漠然としたイメージに、彼女のネタがよく合致しているからだと解釈している。自分は少なくともそういう動機で笑っている。もちろん現実にあそこまで振り切れた人はそんなにいないけれど、一人の女として、自分自身の中にもあの「キャリアウーマン」さんと重なる部分がないとは言えない。「男は手玉に取ってなんぼ」「自分らしく生きる」「周囲に流されない強いアタシ」みたいな、なんかそんなセルフイメージを大切にしたがっている部分。そしてそれを体現した彼女を見てなぜこんなにも笑えてしまうのか、ちょっと考えた。ほんとはわたし、そういうのあんまり好きじゃないんじゃないだろうか。あの「キャリアウーマン」さんは、女性誌をはじめとする昨今のメディアがガンガン押し出している「あるべき女性像」の権化だ。
正直ね、もうそういうの疲れてるのよね。突っ張って、気合い入れて、周囲の人との関係性を巧みにコントロールしながら生きていくのって、大変なのよ。もっとのんべんだらりと、ときには流されたり、理不尽と戦わずして負けたりしながら、それでもえっちらおっちら、なんとかかんとか生きていくぐらいでもね、もういいんじゃないかと思うのよ。要するにメディアがあの「キャリアウーマン」さんのような女性像をゴリ押しするのは高い服やら化粧品やらをたくさん買ってほしいからだし、それに踊らされることに疲れた女性が彼女の姿に癒しを見いだしているのではなかろうか、と、自分がそうだからみんなそうだとは限らないけれど、そんなふうに思う。
一方で、突っ張って、気合い入れて、まだまだ強い逆風と戦いながら働いている本物のキャリアウーマンに、彼女はどのように映るのだろう、とも思う。
一時期そのような生き方に憧れて頑張ってみた時期もあるけれど、わたしには無理だった。心も体もついてこなかった。
今は家事の傍ら、週2日もしくは3日ぐらいのペースで細々と自営業をしている。
だから、男性と肩を並べて大きな仕事に取り組む女性はすごいと思うし、そういう女性がもっと働きやすい世の中になってほしいと常々思っている。
しかし、あの「キャリアウーマン」さんがネタとして成立するということは、正直まだまだ、真の男女平等には遠い世の中なのかなあ、と思ったりもした。
考えすぎなのだろうか。
自分も遅刻魔で、他人を苦しめて自分も苦しめてきたから分かる。
私の場合だけど…考え得る原因はいくつかみつけたので紹介する。
まず私の症状は、昔からギリギリだったけどとくに大学時代は遅刻欠席常習犯だった。しかし遊びなどは間に合うことが多かった。
社会人の今は、ふたたびギリギリながらセーフを保っているタイプだ。
それから、遅刻癖が顕著なのは家から出るのだけで、出先から別の場所へ移動するときはとくに問題なかった。
●慢性的な罪悪感
他のトラバにも挙がっていたが、自己肯定感が低く、無意識下で罪悪感を感じていたい欲求を抱えている。
●愛情の試し行動
それから、低い自己肯定感ゆえに、「こんな自分でもほんとに付き合ってくれるかな?」と試し行動をしてしまう。これは何度も許してくれる友達に対してやりがち。
●怒りの試し行動
幼い頃のことをよーく思い出してみた結果、数年の長期間にわたり自分の時間を意図的に奪われ続けた経験があった。
それに対して無意識の怒りをずっと抱えて生きていて、持て余した結果、自ら遅刻をすることで他者の反応を見たがってしまっている。無意識に。
この気がある人は、最短時間で計算してしまうらしい。たしかに…
私は効率を考えてるつもりで、最短でいけば家に何時までいられるという計算で考えてるし、支度が早くできないので結局おそくなる。
既に間に合わない時間を越えるとき、それから今まさに待たせているとき、強烈な絶望感におそわれる。
こんなクズで私どうなっちゃうの?!しね!!みたいな考えを至って真面目に行ってしまう。負の感情におぼれ、自分の魂に自分で傷をつける感覚がある。
それはそれで、スリリングで、たしかに自分は生きてるんだという感覚を伴う。
たまに普通に早く行くと周囲に驚かれるのも、普段の自分の行いを攻められる気がしてしまいまたギリor遅刻に戻ってしまった。
遅刻をすれば、周囲の冷ややかな視線を浴びることになるが、そうして「やっぱり私はクズなのだ…」と再確認する作業は自分に必要なものであるきがして、もはや日課になってしまった。
とにかく、このセルフイメージを無理矢理にでもかえるしかない。
私による私のための分析に寄れば、アダルトチルドレン的な要素を持つ私は「不成功防衛」に囚われていて、遅刻癖もその一つなのだと思う。
なぜ遅刻をするのか。
遅刻をすることで、直接的間接的に何かしらのメリットが、ほんの少しでも生じているからだ。
遅刻癖は、「クズで欠陥のある私」のセルフイメージを保つのに役立つ。
たとえば親と共依存関係にあるばあい、自立しないことは大いなる貢献につながる。
そして周囲から過度な期待をかけられることもなくなり、後からがっかりさせて傷つくより先にわざと裏切っておけば、自分は傷つかないはずである。
こんな感じな考えに、実は囚われていたことにきがついた。
対処法はよくわからないが、とにかくおもいつく限りの無意識をひっぱりだして、一つ一つのエピソードに泣いたり怒ったりして向き合って、自分は世界でただ一人の生きた人間であることを自覚するということがいま一番効果があった。
何言ってるんだといわれそうだが、いままでどこか他人事で、自分はどこにもいなかったから傷つこうが傷つけようがかまわなかったのかもしれない。
やっぱポリコレドリブンで思考してると本物のバカになっちゃうんだねw
したり顔でアウティングガー(笑)だの弱者にやさしいワタシに酔いまくった偽善ツイート垂れ流してたおリベラル様(笑)
あれですか? イケメンホモなら未成年への性的虐待も許されちゃう感じですか?(笑)
コカイン吸って未成年物色するホモとか控えめにいっても鬼畜の部類に入ると思うけど(笑)
あー、今時はヤク中も病気だから犯罪人扱いしないでくだちゃいねーかわいそかわいそでちゅねーとかいうのがトレンドなんだっけ(笑)
つうか普通に考えてコカインの件がクロだからセクシュアリティガーとか弱者ぶって逃げたんだって普通に考えたらわかるよね?
ポリコレ脳で普段から弱者(笑)にやさしいワタシというセルフイメージにしがみついてるから常識的な推論もできなくなっちゃうんだよ?
だからこれからもお前らの居場所はこれからもどんどんなくなっていくんだよ?わかる?
今年はお前らおリベラル様にとって最低の一年だっただろうけど(笑) 来年からはもっともっとお前らの生きづらい社会になるんだよ?
料理が好きなメンヘラ女は、その行動の対価に優しくして欲しいだけ
こんなに尽くしたんだからもっと自分を見て、スキルを持ってる自分を褒め称えて、
知識のある自分を認めて
欲を言えば、背が高くてかっこよくて金持ってて社会的地位のある自慢できる人。
多少暴言吐かれたり殴られたって構わない。
別れた後そのネタで他の人の同情を買えるしね。
同情されるともっと優しくてかっこいい人に大事にされるべき人間なんだって思えて気持ちがいいから。
これって私好み、こんなの好きなの私だけ。
自分の捉え方がオタクっぽい。自分の設定があるし、他人のものを自分のものみたいに語りたがる。
言うのは、そういう自分だって思いたいだけだから相手はもちろんだれでもいい。
メンヘラは見た目を気にする
自分よりブスは蔑んでいいし、
自分より学歴が低い奴が想像力を持ってるなんていう発想もない。
ゴミカス共の笑顔より自分の笑顔のほうがこの世にとって尊いと思ってる。
なのにすごく自信がない。
元増田です。
今まで、コミュ障だったイメージの自分のセルフイメージを改善するためにも、増田を利用させてもらっています。
ツッコミが入るってことは、ある程度、主張を読んで貰っているということですよね。
まだ、コミュニケーションに自信を持てない、心理的な壁を持っている、というあたりが、正確な表現でしょうか。
(追記:反応があるということは、私の考えていることに対して理解があるということですよね。「何を言ってるの?」ということでしょう。
矛盾しているじゃないかということでしょう。こういう言葉をリアルで聞かされることで、悲しい気持ちになってきました。人には個性があるんです。私は、あなたと同じ感じ方をする人間では、ないのです。)
あいつら(ミニマリスト)は基本的に弱者だって観点を踏まえたブクマが
「頑張って働けば、稼ぎを増やして好きなものに囲まれた生活を送れる」
そういう人たちが、自分の生活設計のセルフコントロール感を取り戻す事を通じ、
「みじめな貧困生活を送るわたし」とは異なる自己肯定感のあるセルフイメージを
持てるようにする、みたいな感じで。
例のビッグカメラの件とかは好きなだけ叩けばいいし、
多くのミニマリスト系ブログから漂う自己啓発的なキモさには何の異論もない。
あいつら(の大半)には、確かに色々足りてない。
でもさ、おまえら「月に一度の回転寿司が唯一の楽しみの生活保護家庭」叩きみたいな、
「愚かな振る舞いをする弱者をあざ笑う記事」とかには、それを諌めるような、
文化的資本とか環境要因に触れた、愚かな弱者によりそった視点からのブクマとかつけてるわけじゃん。
今回のきっかけのビッグカメラの件とかはは確かに調子のりすぎだと思う。
思うんだけどさ、
優しさとか冷静さとかが、ちょっと、かなり、相当に足りないんじゃないの?と気になったよ。
とここまで書いて、ほぼ同じこと書いてるブログあった。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2015/07/26/035930
のでそっちだけ読んでくれりゃいいや。
自分はこれに該当するのではないかと思った。
素人の勝手な自己判断なのでそうと決まったわけではないのだけれど
ネットでの記事をあれこれ読んでいると自分にも当てはまる箇所がある。
人との関わりを持たないという点に関しては
両親の教育方針も大きく影響しているのかもしれない。
今思い返してみるとただの毒親なのかもしれないと思う。
勉強にしろ、スポーツにしろ、遊びにしろ、その邪魔をするなと。
要はそれが自分にとっては人と関わるなというメッセージになっていた。
誰かが何かに熱中している時は「何それ楽しそう、混ぜて」という子供ではなかった。
そういう時は邪魔をしないように一歩引いて見るだけだった。
病気になった時などは「お前のせいで行かなくてもいい病院にいく羽目になった」というようなことは言われていた。
不可抗力なことに対しても両親は容赦なかった。
その時のことはトラウマになっていて、今でも電話の音やインターホンが鳴ると心拍数があがる。
それに対する両親の対応も「お前が電話なんか取るからだ」というものだった。
それでも両親は常に「お前が余計なことをするから問題が起こる」という態度で何も話が進展しなかった。
無視される経験は子供ながらに自分の言動が相手に何の変化も起こさないことを思い知らされた。
次第に自分の主張をすることはなくなっていった。
流石に両親も何も欲しがらなくなった自分を見てやばいと思ったのか
「お前の好きなもの何でも買ってやるから言ってみろ」と言われたことがあった。
しかし、自分の意見は全否定されるのだから、こういう場合何を言うべきか分からなかった。
「いや、ないよw」と笑うしかなかった。
当時は両親が何故困った顔をしているのか分からなかった。
両親の希望通りに何もしていないのに何がいけないのか。
普通の人には世の中は可塑性に満ちているのかもしれないが
自分の行動で他人の生活に変化が起こってはいけないし実際に何も変化しないという脅迫観念のようなものがある。
人に興味もないことはないが世の中のことに変化を起こしてはいけないのだから
学生時代は好きな異性が他の人と付き合って別れてというのを眺めているだけしか出来なくて胸が引き裂かれる思いがした。
そういった感情もネジが切れるように、余りに過ぎると正常に機能しなくなるような気がする。
相手が変化しない程度の接触しかないので話すことは至って平凡だと思う。
気になる異性と二人っきりで話す機会があっても「今日は良い天気ですね」くらいしか話さない。
学生時代は何かと「冷たい」とか「無関心」「いい加減」「見下してるんでしょ」などと言われていた。
こちらからは何も出来ないので言われるがままだった。
自分はこう思っている、こういう考え方というセルフイメージがあるが他人から見ると全然そう見えないらしい。
話さないから分からないものだろうなと思うし、それを訂正するつもりもない。
大人になり、仕事も覚え、いい歳のオッサンになってしまったので干渉される機会もなくなった。
やっと自由になった反面、もう自分の人生の可能性は何もかも無くなってしまった。
知識も多少は増えたので、振り返ってみると人生もっと楽しめたはずだったのになぁと思う。
あんな事したかったなぁ、こんな事したかったなぁとか、あの人と話してみたかったなぁとか。
残念だなぁと思う反面、何事も起きなくてホッとしている自分もいる。
後悔くらいなら許されるだろう。