はてなキーワード: 通り魔とは
http://anond.hatelabo.jp/20150804051451
六0キロ制限の表示のある国道。一00キロ近い速度で他のクルマを抜き去っていくスポーツカーがいる。
ドライバーはカーレーサー気分だ。彼にとって道路は自由な遊び場であるが、もし、子供達が同じ道路で野球をして遊んでいたら、彼はクラクションを鳴らして子供達を追い払うことだろう。
日本全国のどこか。毎日二人の子供が、自動車事故で殺されている。
毎日どこかで通り魔が出没して子供を殺すようなことがあれば、大きな社会問題になるのだろうが・・・・。
http://news.azwad.com/post/31975473123/
http://greentoptube.hatenablog.com/
そして、自動車の危険運転害を野放しにしている地域ほど、子供が減っていく。
道に自動車が増えれば増えるほど排ガス騒音等で環境も壊れていき、重量、専有面積、速度からして自動車は存在自体が極めて危険な凶器。
オランダは自動車乱用を抑制し、自動車を減らすために、自転車を安心安全便利に使える環境整備を推進し、高いレベルの交通安全を実現している。
別に一緒に住むわけでもないしどうでもよかった。
んでこっちも就職・結婚・転職してそれなりにまっとうな人生を過ごした。
義母は娘が一人いたけど当初は結婚してなかったからうちの子に対して季節イベントで贈り物とかはなく下手すると忘れられてた。
でもそれはどうでもよい。
結婚した時は地域の風習が違うから相手方が思ってる結納金と準備した結納金の額が少なくて自分で補填した。
父に言えば気を悪くするだけだし以前、義母にお金に関しては行ったところで緩くとりなしてはくれないってわかったから。
書いては見たもののこれも別にどうでもよい元々自分で出すつもりだったし好意で半額準備してもらえたと思えばなんちゃない。
連絡も精々2~3か月に一回程度のすればいい方頻度。
ま、大学時代に事故で入院したりとか多少なり世話になった気はするから母の日と父の日、父誕生日程度には贈り物をしてた。
疎遠って程でもないけどまめに連絡を取り合うって程でもない。
元々、再婚してから家に戻ったこともないし関東から義母の生まれが近い関西圏に引っ越ししてしまったしでこっちは土地勘もないし実家って言う雰囲気もまったくない。
こっちとしては俺もなんとか独り立ちできたし再婚してから第二の人生適当に過ごして位しか思ってなかった。
それが義母の娘が結婚して孫が生まれた途端、自分ちにしたいが故なのかこっちにイベントごとになんか送り付けてくるようになった。
。。が寄る年波による体調不良は誰にでも出てくる。
やれ目眩が、やれ疲れやすいや。。。ま、この辺は適当に聞き流しとけばいいと思ってた。
なら行かねーよ。めんどくさい。
ってことでもう次は適当に流してればよいかと考えた。
そしたら今度は入院。
次は股関節にウィルス入ってちょっと矢場目で1か月ほど通院から急きょ入院。
こっちは元々、知らせがないのは元気な証拠をモットーに今まで過ごしてきたのにいきなり「1か月以上入院してるのになんで連絡してこない!」ときたもんだ。
いやいや、エスパーでもないし連絡なければ知りようがない。
正直、他でも入院してるようだけど聞いてみると「心配かけたくないから連絡しなかった」だった。
普通、父がどういおうと母的立場の人が子供に連絡なりするもんじゃないの?
そういうのあって「なんで、見舞いも連絡もない!」ってがられるならともかく「お前たちが俺を気遣って連絡してくるのが普通」ってどうなん?
そんな超能力あったら今頃、一稼ぎしてるがな。
ま、それはともかく知った次の日はさすがに仕事の都合もあるから翌日(平日)に新幹線で片道5時間かけて見舞いだけの為に日帰りしたさ。
義理立てはあるから義母の方も見舞ったしあっちは小さな手土産も出したよ。
んで父とこ行ったら父姉(よく知らない)もおってからこっちは特に話すこともなく老人特有の昔話を聞いたさ。
話くらい聞いとかないとね。
んで、義母はともかく父の病状は安定して回復してるって言質取ってから帰ることにその時は1週間に1度くらいは連絡くれって言うから生返事で帰ったよ。
毎週は俺も話題ないから妻にも協力してもらおうとお願いして「メール位ならOK」って感じだった翌週。
現役世代は慶弔事や日々のごたごたで1週間なんてあっという間。
俺も嫁もついでに俺姉兄も見事に忘れてた。
さてそろそろ連絡一つでもと思いだした2週間後、事件は起きた。
「2週間連絡一つない、お前ら何考えてる!義母も俺が可哀想だと泣いてるぞ!!」だっそうだ。
言う前にこっちに直接、連絡してこりゃ相手位できるのに。
ま、連絡しなかったのはこっちも悪いからそのお小言は甘んじて受けましょう。
だが、「忙しいとかの言い訳はつまらん。1週間に一度は俺には電話、義母にもメール送れ。思いやりとかお前足りないだろ!」
こっちの都合ガン無視の言い分に怒りが込み上げてきた。
。。。が実父なんでここは我慢。
俺は素直なんで言われた通り経過確認のメールも義母に送ったさ。
実際に見舞行って経過は良好で退院の見通しがあるって聞いて2週間しかたってないのに
「連絡しないのはお父さんが可哀想」?
「見舞い後、大変でした」??
はい?
通り魔的な喪に刺されたとかならともかく先にも書いたけど入院時に連絡一つせずに自身の体調不良に気付いてて特段理由もなく悪化させて入院騒動を起こし
悪いと思って1日潰して見舞行った後にそれですか?
第一、兄姉の近所か、うちの近所に入院するならともかく自分で遠方に住むことを選択したんだからこういう事態の時にこうなるのあたり前だろ?
子供と疎遠なのは今更だし育て方間違えてないって言い張るならそれはそれで育ち方間違ってごめんなさい。
きちんとした病院に金銭面の不安もなく入院し回復傾向にあるなら心配なんてしません。
あなたが俺と変わらない年齢の時は仕事って言う非常に都合のよい言い訳で家にいなかったしそのせいで(故)実母は宗教ハマって俺もある程度連れまわされたからか
その後の準丸走時代の事故歴でなのか姉兄とは少し人生観って言うか生命観持っててすごくその辺ドライなんだよ。
宗教的に言うなら「死は怖くない、すぐ隣にあるものです。」とかって感じか?
ま、いいや。
上にも書いたけどちょっと世話になった程度の義母の心配なんて特にしてないし正直どうでもいい。
実父に関しても回復傾向である以上、入院生活が暇で構ってちゃんなんだろうなーっとしか思わない。
心配かけたくないなら最後まで貫け。当事者がまともに連絡もしなかったくせに問題が大きくなってから逆切れすんな。
どっちにしても死んだら悲しいと思うけど心配なんてしないよ。
今のところ人はいつか絶対に死ぬんだから心配したってしょうがない。
ってか実父は実子に対して義母に配慮しろとか文句ばっかで全く配慮というか味方感ないな。むしろ敵だ。
子は親を映すのであれば今まで自分がしてきたことが今まさに帰ってきてるんだよ。
それから近くに住んでる妻側の義両親にはそれなりに「思いやり」をしてるからうちの子は大丈夫。あんたが口出しする話じゃない。
次は実父には連絡するけど我の女の機嫌も取り切らんでまた文句言うなら成人するまで育ててくれた礼を言ったうえでうちにはイベントごとのお祝いとか不要宣言して連絡しないかな。
文字にすると少しは整理できるかと思ったけどすっきりせんな。
さて、姓の変更の仕方でも調べるか。
精神がイカれてるか本気で未来が面倒くさくなって死にたいのかなって思ってんたんだけど
オートアサシノフィリアとか、タナトフィリアかもしれないという結論に落ち着いた。
『女子高生に殺されたい』の立ち読みをしたが、首絞めは確かに最高だろうなと思う。
次に求めるのは通り魔が斧で自分の首を落としていくことである。
まぁ自分の過失にならない範囲で命を落としたい、死後笑われたくないという思いもあるわけだが、
本気で死にたいというよりかは確かにその感覚に酔っているのかもしれない。
中学生の頃に嫌なことがあったんだけど、その当時すぐわきを通る車に轢かれる妄想してゾクゾクしてたのは病みでもなくなんでもなく性癖だった訳か。
http://anond.hatelabo.jp/20141024223055
自動車害 自動車モラル崩壊まとめ 自動車運転手らは昨日も今日も交通犯罪行為で地域を危険にしている。
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
路上駐車の運転手が女児死亡事故を誘発したとして車庫法違反で約3400万円
http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601003709.html
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
全然割合の少ない自転車加害事故を大仰に取り上げ、抑圧につなげるマスコミ、行政
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111025/1319554054
http://www.tkz.or.jp/con13.html
自動車乱用が蔓延し、自動車流入制限、自動車抑制施策が不十分なために渋滞公害発生 渋滞で動けない救急車(警察車両、消防車両も) 失われる人命。
http://www.youtube.com/watch?v=uC9IPDyFgs8
年間4000人以上もの人命を毎年コンスタントに奪っている自動車
これを天秤にかければ、ある程度理性と知性がある人間ならば、どちらを選ぶかは明白だと思いますよ。
テロだ通り魔だと言い出すならば、自動車こそ全国でテロや通り魔をやっている実行犯です。
http://news.azwad.com/post/31975473123/1
老夫婦が横断歩道のところで立ち止まっている。クルマが次々と目の前を走りすぎていく(横断歩行者等妨害等違反。併せて速度超過も蔓延。歩行者などの弱者と接触すれば自動車運転手の過失が厳しく問われ交通刑務所行きも珍しくない。)。
自動車の流れが途絶える瞬間を見計らって二人はあわてて道路を横断していく。
横断歩道とは、歩行者がクルマの途切れるのを待つための場所なのである。
いわゆるRV車の鼻先、ちょうど子供の頭くらいの高さに、異様なバーが取り付けられている。
野生動物が飛び出してきたとき、これをはねのけてクルマの安全を守るショックアブソーバーだ。カンガルーバーと呼ぶ。
ちなみに日本にカンガルーが飛び出してくる道路は無い。何を跳ね飛ばそうというのだろう。
六0キロ制限の表示のある国道。一00キロ近い速度で他のクルマを抜き去っていくスポーツカー(速度超過の交通犯罪行為、多くは車間距離保持義務違反や幅寄せ=暴行罪も併犯)がいる。
ドライバーはカーレーサー気分だ。彼にとって道路は自由な遊び場であるが、もし、子供達が同じ道路で野球をして遊んでいたら、彼はクラクションを鳴らして(警音器使用制限違反)子供達を追い払うことだろう。
東京は人口が多い故に鉄道会社がいくつも成立して、私自身その恩恵を被っているけど、
万が一の話を言い出したら、人が多い分それだけ通り魔やスリに遭う可能性も高くなるわけだからね。
地下鉄サリン事件みたいなことも実際に起きてるし。
もともと自分は乗り気ではなかったんだけど(車だけに)、親がうるさかったので仕方なく取ることにした。
でもさ、正直乗りたくないんだよね、車。
だってさ、自分がいつ事故の加害者になるか分かったもんじゃないじゃん。
交差点で仰向けの恰好でスケボーに乗ってた6歳男児、車にひかれ死亡
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1812970.html
こんなのさ、はっきりいって無理ゲーじゃん。
自分はこんな事故起こさないって自信を持って言える人、いないでしょ。
そりゃ確かに、上の例では運転手の責任は法的には問われないだろうよ。
でも問題はそこじゃない。事情はともかくとしても、人を一人殺したことに変わりはないんだから。
寝る前に、轢いた時の音とか、ハンドルの感触とか、異変に気付いて車から飛び出た時に目に入った子供の無残な姿とか、蘇ってくるんだろうね。
「さっきから車のデメリットばっか強調しやがる。車は人殺しマシーンである以前に交通手段なんだぞ?
たった一件の事故について知っただけでこんなセンチメンタルになりやがって。主語のデカさだけは一丁前の増田だな。」だって?
そりゃそうだね。何事もメリット/デメリットを比較して考えるべきだ。
ところで、俺は東京に住んでるんだよね。だいたい行きたいところには電車かバスで行けるんだよ。
ごめん、話をそらすつもりはなかったんだ。
でも、東京で暮らしてて「車欲しいなぁ」って思うこと、ほとんどないんだよ。
オリンピックが来たらさ、公共交通機関ももっと充実するじゃん?
そしたらもっと車も要らなくなる。
車を使いたくなるのってどういう時なのか、よく分からないんだよ。
それでも一応、エントリに起こすためにちょっとは真面目に考えてみた。
車があると便利なタイミング。
俺、車を使うような仕事に就くつもりないんだよね。
仕事で車使うのって、トラックやタクシーの運ちゃん以外だと、会社の営業とか広報とかくらいなんじゃないの?
よく知らないけど。
俺、結婚できるのかなぁ。
しかもだよ。上で「メリット/デメリットを比較してみよう」とか言ったけどさ。
「人を轢く」っていうリスクを定量的に評価するの、意味があると思う?
車を運転してて実際に人を轢く可能性は、確かにそこまで高くはない。
じゃあ人を実際に轢いた時の損害を算出してみようという段になって、君はその損害を数値化できる?
「車が壊れたから買い替えウン千万。あと慰謝料ウン百万」とかそういうことじゃなくて、精神的な苦痛の話だよ。
例えば彼女にフラれたときの苦痛を100として、人を轢き殺した時の苦痛はいくつだって即答できる?
俺にはできない。強いて言えば「∞に発散する」って答えると思うよ。
「自動車を運転するの、どうよ?」っていう命題は、最悪の事態が発生したときの損害が大きすぎて、メリット/デメリットを比較検討する意味がないと思わない?
どこかの原発でも、「確かにでかい津波来たらやべぇけどさ、そんなのありえなくね?マジこれほとんどノーチャンっしょ」っていう意思決定があったらしいね。あれと一緒。
おまけに、この「最悪の事態」は日本のどこかで日々起きてるんだよ。
車の運転に対する君の感情が、今のところポジティブなものだったとしても、それは単に「運が良かった」だけでしょ?
こんなんだったら俺、免許とらなくても良くない?
宅配とか送迎とかのために、車は使われ続けるだろうさ。
でも、狭い住宅街のただ中を車がビュンビュン走るっていうのは、ちょっと前時代的過ぎると思わない?
今や駅にもホームドアが付いてるんだよ。自殺しようとでも思わない限りはそう簡単には電車に轢かれないよ。
じゃあ、君の家の前の道路はどう?歩道はある?ガードレールは?
でも、歩行者と自動車の間を隔てるのが白線一本だなんて道路は、なくなった方が世のためだと思う。
実際に車を今バリバリ運転してる人は、ここに書いたようなこと、どうやって折り合いを付けたの?
「明日、もし俺/私が人を轢き殺したら」って、考えたことない?
勢いでバーっと書いたエントリだから、少しミスリーディングになってしまった。
「都会暮らしの人には車は基本必要ないし、それ故に免許を取る必要性も俺はほとんど感じないけど、みんなはどう思う?」
って聞いてみたかっただけです。
家族や友人と話をする中で、「車の免許」というものに対する温度差を感じたので。
色々とグダグダ言いましたが、免許は取ります。もう金も払ったし通い始めちゃってるからそこは仕方ないね。
車に対する自分の見方が偏ったものなのか、はてな村民をバロメータに確認してみたかったので、レスポンスがもらえればまあそれでいいやと。
しかし、企業・労働力・雇用・交通機関・資金が、一極集中し過ぎている東京都のような
都会だけではなく、
もちろん、私の議論が交通手段の発達した都会でしか成立しないのは重々承知の上です。
「都会においては、」歩行者を守れるものが白線一本しかないような危険な道路はなくしてくれ、とでもすべきでしたね。
ごもっともです。
結論が免許取得の有無になってしまったのは、単に私が「教習所めんどくせえ」と念じながらエントリを書き上げたからであって、
「免許とかいう制度、この世からなくなれ」などと言うつもりはありません。
リスクなんてそこらじゅうにある、というのはその通りなのですが、
車の運転に関して言えば「都会住みならリスクへの対策が容易(運転を控えれば良いだけ)」かつ「『万が一』の事態が起きる可能性が比較的高い」ため、
通り魔に遭いたくなければ外出を控えなければならないし、スリに遭いたくなければ金品を持ち歩いてはいけない。
どちらもたいへん非現実的です。だから、実際に金品を持って外出する人は通り魔•スリに遭う可能性についてはいわば妥協しているわけです。
ただ、都心の発達した交通網のおかげで「車を運転しない」という選択肢は比較的現実的であると私は思います。
おまけに、種種の犯罪に巻き込まれる確率に比べて自動車による死亡事故を起こす確率はかなり高い。
例えば警察庁のデータ(https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h24hanzaizyousei.pdf)を紐解いてみると、毎年事件に巻き込まれて亡くなる方の人数はおおむね500人前後。
通り魔とかいった「突然、偶発的に巻き込まれる恐れのある事件」のみならず、
怨恨殺人とか、金品狙いの強盗殺人とか、そういうものも含めてこの人数です。
それに比べて自動車事故による死亡者の人数は、2013年で4373人。(http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikokoutsu)
ニュースで殺人事件の報道がなされ、死亡者の名前が一人読み上げられる裏で、
八名の方が自動車事故で亡くなっているわけです。
「そもそも、4373という数字自体が小さいではないか」と思われるかもしれませんが、
それでは、あなたの知り合いの中で、過去に刑事事件もしくは自動車事故に巻き込まれて亡くなられた方はいませんか?
私にはいます。親戚が刑事事件に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。
おまけに、車に乗らなければこのリスクは避けられる。
だったら、乗らない方が身のためだと思いません?
http://anond.hatelabo.jp/20140913030928
間違っている。
我々は常に間違う生き物だという前提は正しい。しかしだからといって、間違うことを正当化してはいけない。
間違い続けることで人は成長するかもしれない。だが、そんなものは本人の利益であり、間違われることで傷つけられる他人にとってはなんの関係もないことだ。
やりなおすな。リスクをヘッジしろ。ハリネズミのごとく慎重になれ。
そもそも、俺達はニュースを判断するのに値するだけの情報を、知識を、知性を、想像力をもっているのだろうか?
ウクライナとロシア、どちらに味方すべきなのか。イスラエルとパレスチナではどちらにつくべきなのか。ISへの爆撃は妥当か。スコットランド独立にはいったいどういう歴史的文脈があるのか。南京で死んだのは何人か。右なのか左なのか、どちらかであったとして、どういうふうに振る舞うべきなのか。正義とは何か。相対主義は思考停止なのか、それともそう考えること自体が思考停止なのか。知的障害者 vs. 全盲少女。
もしかしたら。すべての叡智を兼ね備え常に正しい判断が可能なオズマンディアスかドクターマンハッタンだかは何人か存在するのかもしれない。はてブにも、いるのかもしれない。だが「そういう人たち」が俺たち自身である保証はない。
認めなければならない。俺たちは地元のチンピラにすらボコられるロールシャッハですらない。衆愚なんである、と。
俺達は阿呆であるからして、日常生活を普通に送っているだけのつもりでも何人かを傷つけてしまう。
なぜわざわざ必要もない事柄に首をつっこんで、通り魔的にさらなる暴力をふるってしまうのか。安いスターのためか。馴れ合いのためか。認めてほしいからか。
承認欲求は人間を成長させるかもしれない。だがその人間的成長とやらは他人を殺してまで手に入れるべきものなのか。そもそも本当におまえは成長しているのか。正気か? はてブで誰がいつどうやって成長した? はてブで進行するのは医者の診断が必要な類の狂気だけだ。
人間性を取り戻せ。
おまえは優しいこどもであったはずだ。できるなら誰も傷つけたくないはずだ。今度こそ間違えるな。いまならまだ間に合うかもしれない。
100文字で世界は救えない。世界を少しづつ削り取るだけだ。ネガティブなベクトルであれ、何かに影響を与えることはいいことだなんてお題目は犬にでも食わせろ。それを信じたやつらがどういう悲劇を生み出してきたか、はてブ民であるなら、その目で見てきたはずだ。
11時に寝て、5時に起きろ。朝食前に軽いランニングをするんだ。会社終わりにはジムに通え。身体を鍛えろ。筋肉はおまえに知性を与えてくれはしないが、情操にはプラスに働くはずだ。
しっかり生きろ。
ちゃんと生きろ。
※ある程度ネタバレあり。
昨日の深夜遅くにアニメ映画『魔女っこ姉妹のヨヨとネネ』の地上波放送をやっていたので見ました。
アニメーションや背景、音楽は非常に良く出来ていて楽しめましたし原作への興味もわきましたが、映画の話が面白かったかというと、うーん。子供に見せたいか、というとさらにうーんという出来だったので何が気になったか整理するために引っかかった点書きます。
1.死について重く考えているのか軽く考えているのかわからない
この映画では魔法世界の『魔の国』と我々の世界そっくりの『現代社会』の2つの世界が舞台となります。一番の違いは当然魔法が使えるか使えないかなのですが、その次に重要な違いが命の重みです。魔の国では寿命以外の死はないようです。魔法で再び蘇ることが出来るからです。そのため現代社会に迷い込んだ魔女のヨヨは、死や怪我を恐れる現代人とのすれ違いを生んでしまいます。このシーンはちょっと泣けますし、物語的にもいい描写だと思います。
一方で、この映画が進むにつれて事件が広がり様々な被害が起きていきます。人々が怪物化してしまうというのを発端として、ビルや街が次々と魔の国の上空に転移されていったり、奇怪な植物が街を飲み込んだりして、最終的にその破壊は地球規模にまで広がります。で、最終的に怪物化は治りビルも元の場所に戻っていくのですが、その描写がどう見てもめでたしめでたしで終われるレベルじゃないのです。例えば怪物化に関しては物語中で交通事故を引き起こしているようにさまざまな事故を起こしているだろうことは想像に難くありません。ビルと街の転移が拡大してからは東日本大震災以上の災害が地球規模で起きているようにしか見えず、まさにカタストロフィとしか言いようがありません。実際に、この災害がまだそれほど大きくなってない段階で既にヨヨのペットの猫ビハクは巻き込まれて死にかけてる訳ですし、最低でも数百万数千万単位で人が死傷していることは明らかです。
しかし、この大災害を引き起こした主因となる現代社会の人物の責任はそれが意図しなかったものとはいえ問われないのです。責任が問われないばかりか、罪悪感に感じている様子すらありません。みんなこれ納得出来てるんでしょうか?一つ可能性があるのはみんなが願いかけるシーンにおいて、その願いの魔力でケガ人や死人が復活していた可能性ですが、それって結局魔法頼みでテーマに沿うのか疑問ですし、責任という点が解消されたとは思えません。一匹の猫が死にそうになる事件や、一人の人間が死んで娘が遺されたという事への情感あふれる描写に対して、多数のその他大勢の死に対する描写や感情が皆無なのはあまりにもアンバランスに過ぎると思います。
事件のそもそもの原因を考えると、12年前に魔法世界で起きた戦争の影響で魔法世界の人間が現代社会に転移したことが原因です。要は現代社会は魔法世界のゴタゴタの余波で壊滅的な被害を受ける被害者に見えるのです。しかし、主人公姉妹の祖母であり大魔法使いのおヨネなど魔の国の上層部はビルの転移による魔の国の被害を異世界からの攻撃と侵略と捉え、その転移を止めるために既にボロボロの現代社会への攻撃し全てを破壊しようと準備します。ヨヨというチャンネルがあり現代社会の情報も得てるわけですし、描写を見てるとおヨネは異世界に戦艦を転移される事も可能なようです。事件解決の使節団を送るなど他の対応は取れそうなのにいきなり攻撃を計画というのは非常に無責任にしか見えませんし、そもそも被害のほとんどは森で起きており、上述の通り魔の国では死んでも大抵は復活出来るため、果たして魔の国の被害がどれほどなのかも全然実感が湧きません。
戦争への後悔や反省などは原作で回収してるネタかもしれませんが、その辺りはもうちょっと描き様がなかったのではないでしょうか?原作キャラらしいのはほぼ全員好感持てましたがおヨネだけは納得いきませんでした。
願いと呪いについては例えばまどかマギカでも大きなテーマの一つであり、まどかマギカでは願いと呪いはそれこそ表裏一体のものでしたが、ヨヨとネネでは願いが他者のためであれば純粋な善きことであり自分のためであれば純粋に悪しきことであると完全に分別されて描かれているように見えます。他人の幸せを願うことが一般的に善きことであり、他人の不幸を願うことが悪しきことなのは納得がいくのですが、自分の幸せを願うことが単に我がままだと断じられるのはストンと納得出来ません。例えば孝洋の両親の願いは果たして家族を無視した自分の幸せだけを望んだ願いだったのでしょうか?子供にも理解しやすくするために分かりやすくという目的もあるのでしょうが、そういった配慮は子供を下に見ている様で余計に見せることを躊躇われます。
しばらく、数ヶ月くらい観察してたんだけどさ。
反応がワンパターンなんだよねー。
他人のエントリに噛み付いてくる、その行動理由は大体くだらない感情から(冷静に“反応しない”という対応が取れずガキみたいに暴発する)
↓
つまらない、下らないところに噛み付いて大騒ぎする(騒ぎたいだけのバカ丸出し)
↓
指摘されたそれは100%些細な問題なので、エントリ主が反論すると、必ず“顔真っ赤だな”と言う(顔が真っ赤なのは、誰よりも感情的になっている自分自身の方なのに)
↓
事実とは異なるので否定すると、“さらに顔真っ赤”と言う。(バカの一つ覚え)
↓
冒頭の些細な問題からどんどん話をずらしていこうとするので、話題を引き戻して改めて論拠を揃えて反論すると、“そんなことない”みたいに根拠もなく感情的に反駁する。(低脳の露見)
↓
それでは反論にすらならない事を指摘すると、再び話題をずらして全く関係ない侮蔑的な質問を投げかけてくる。(低脳ゆえの逃げ)
↓
その非礼を咎めつつ返答すると、“そんな事は訊いてねえよ”と答える(会話が成立しない)
↓
訊かれたから答えた、答えを求めていないなら質問するなと返すと、“何を言うのも自由でしょ?”と権利を訴える(もはやただのコミュ障)
↓
上記のいずれかの項目に戻る、以下エンドレス
匿名の影に隠れて人を殴り逃げできるとでも思ってんのかねえ?
やり返す主義の奴には必ずやり返されるのにね。
まあ、増田っていうのは、ネットでもなければこういう通り魔犯罪者みたいな真似もできないようなチキン野郎の集まりみたいだから、しょうがないのかね。
もう少しまともな、比較対象で言えば糞ねらー共よりは少しはマシな連中だと思って見ていたんだけどなあ。
失望したわ。
「良い子の皆! ネット界隈ではからかわれても殴られてもスルーする人を“空気読める”などと賞賛するが、賞賛を送っているのは殴る側だ!」
みたいな、さ。
まっ、こういう事書くと「噛みつかれるようなエントリ書く奴が悪いんだ!」とか言って顔真っ赤にして低脳の頭から湯気立てて反論してくる奴が出てきそうだけど、そういう人は、一番上に書いてある、「アノニマスダイアリー」の意味を思い出してねえ。
んじゃま、引き続き快適な増田ライフをどうぞお気の済むまでお続け下さい、っと。
楽しく見物させてもらうわ。
自殺者に後ろ指をさして、「私も自殺願望あるけど、あんなふうに人に迷惑をかけるような死に方はしない」とか言ってる「自殺志願者」がいて笑える。
くっだらねえ。どうせお前の遺体の処理だって誰かがするんだよ。
「誰かトラックで轢いてくれないかな」とぼやく人もいる。それむしろメーワクでしょ。だって、運転手を犯罪者に仕立て上げることになるんだから。
飲酒運転や通り魔殺人のニュースを観て、「私が代わりに殺されてあげたかった」なんて言う人もいる。そんな簡単に「誰かの代わり」になんて、なれるわけがない。
その、犠牲者を安易に「かけがえの『ある』存在」にしようとする思考、もう目も当てられない。
自分もそうやって事故や事件で死んで、「自殺を選ばなかった強い人、罪もないのに事故や事件で命を落としてしまった可哀想な人」になりたいってだけなのだろう。
それってとても傲慢じゃないか。