はてなキーワード: 自己嫌悪とは
引きこもっていた頃は焦りと、社会から取り残された孤独感、酷い鬱症状で毎日自殺しか考えてなかったけど
結局はまた違う別の苦しみが襲い掛かってくるだけ。
昔から仲の良い人達とはことごとく離れ離れになり、関係を続けられるほどの能力も無かった私は結局ひとりになってしまった。
もう誰も社会的に魅力的な立場にいるわけじゃない私と友達になってくれるはずがない。
親は軽い発達障害みたいで、引きこもっていた頃から発狂したり死にたい死にたいと泣き叫んでいた。
それを聞くとイライラして何度も何度も殺したいと思ってしまう。
それが親に対する殺意だけならいいのだけど
次第に周囲の人間、よもやテレビ画面の中の人間にさえ殺意を持ってしまうようになると
これは遠くない将来、殺人犯として名の残してしまうようになるんじゃないかとおびえた。
いじめられていたわけでもないし、勉強についていけなかったわけでもないし
友達も居たようだけど、とにかく毎日が辛くて自殺しか考えてなかった。
だけど、だけどたまに夢をみてしまう。
そんな未来最初からなかったはずなのに、うらやましくて虚しくて泣きそうになってしまう。
2年弱引きこもっていたけど、正直得られたものなど何もなかった。
わりと調子が良いときは朝起きて絶望感、昼に自己嫌悪と焦燥感で息が苦しくなり、夜は頭の中で自分を拷問して殺すような妄想をする毎日だった。
もう、あんな思いはしたくない。
だから引きこもるのをやめたのに
今度はなんだ?
社会と繋がりを持ったらもったで、今度は自分の能力の無さを実感し、周りと比べて酷く落ち込み苦しむだけ。
勉強は好きだから、朝勉強して昼予備校行って、夕方帰ってきて晩御飯食べて自習室に行って、22時まで勉強している。
でも周りの予備校生は、みんなちゃんと学校行って暖かい家庭に恵まれた人達だから
昼に親が作ってくれたであろうお弁当を食べ
週末に行ったライブのイベントや将来の遊びの約束などを嬉しそうに話している
今住んでいるこの県に知り合いや友人は誰もいない。
実家も帰れる距離じゃないので、
誰かが助けてくれるわけでもないから
せめて周囲の人間に迷惑をかけないようにと身だしなみに死ぬほど気を遣わなきゃいけない
その為だけに勉強している
でも毎日朝起きた瞬間から家事をやって、予習して予備校行って復習して24時過ぎに寝る。
そんな風に過ごしていたら今日とうとう熱が出て
不登校でろくに学校行けていないから勉強も死ぬほどやらなきゃいけないことがあるし
自分の時間を削いで削いで勉強ばっかりしてもまだ普通の人たちには追いつけない
絶対来るとは限らない明るい希望のためにここまで努力する意味は何なんだろうと
家でも予備校でもひとりだからせめて友人が欲しいと話しかけた予備校の子達は
なぜ?
私は孤独でいるべきということか
身体が全身だるくて重い。
こんなこと書いてどうにか整理していかないと本当に来月生きているかどうかもわからない
ひとりがつらい
結婚して3年目、28歳。妻は3つ年下。子供は来年くらいに作ろうという話になってる。
妻に対する愛情は付き合っていた頃から変わっていない。むしろ深まってきている。自分で言うのは恥ずかしいが、もう妻と一緒じゃない人生は考えられない。
それほどまでに愛しているし、妻も同じくらい自分を愛してくれていると思う。普段とても仲がいいし、多少喧嘩もするけど、うまくやってる夫婦だと思う。
ぶっちゃけて言うと、妻で勃たない。正確には勃つけど、持続力が極端に落ちてきた。途中で中折れすることがしばしば。
だから、妻には本当に申し訳ないが、こっそり見て頭に記憶させたAVの映像を脳内再生して、なんとか最後までやってる。
だって、途中で私が諦めたら、妻は自分がよくしてあげられなかったという自己嫌悪モードに入ってしまい、夫婦仲がものすごく気まずくなる。
そのためには自分が頑張るしかない。でも、正直にやると最後までもたない。だから、この脳内再生は墓場まで持っていくつもり。
妻のことは本当に愛しているのに、勃ちが悪い。セックスしている時は本当に幸せなのに、最後まで続かない。
妻は(おそらく女性は)、「好きな相手とするセックスは気持ちいい」と考えていると思う。そして、それがイコールだとも思ってるから、私が上手くいかない時(気持ちよくなれなかった時)は自分のことを好きじゃないのか、という疑心暗鬼にかられてしまうようだ。
これは多分男と女の違いで、男はどちらかというと体でセックスして、女は頭でセックスするのだろう。
だから、妻のそんなけなげな思いに答えられない自分が辛いし、私自身も自己嫌悪に陥ってしまう。
よって、脳内再生で最後までやるのが、一番穏便な方法なのだ。とっても後ろめたいけど、これしかない。ごめん、妻。
玩具とか、コスプレとか、色んなプレイとか、色々、一通りは試した。もう何周かした感覚。
妻とは付き合い始めてからは7年たつので、認めたくはないが、心では愛しているけど、俺の体が妻の体に飽きているのかもしれない。
でも、夜の不一致は招きたくない。
だから今日も隠れてAVを見て、頭に刻み込む。ムラムラしても一人ではしない。溜めてた方が妻とちゃんとできるだろうから。
こんな生活が、もう1年にもなる。
好きな人が夢に出てきた。
彼女には恋人がいる。僕は西に引っ越してしまったから、もう会えないし、彼女がいま何をしているのか分からない。連絡は取れるのだけれど、そうしてしまうと、ただの友達として処理されそうで、怖くてできないでいる。どこにでもある陳腐な話だと思う。
夢は短かった。夢の中で彼女は懐かしい黒いシャツを着ていた。僕は床に寝そべって、上体を起こして彼女を見ている。彼女は「私がいないと死ぬ?」と聞いた。僕は、割とそうだと思う、と答えた。するといきなり彼女が僕にキスをした。嬉しさよりも驚きがあった。そして唇が離れる前に目が覚めた。早朝の仄暗い寝室。目覚めた時、自己嫌悪が酷かった。自分はなんて気持ちが悪いんだろう。こんな独りよがりな夢を見て、本当に汚い人間だと思った。次に情けなさがきた。この何ヶ月か、様々な形で何度も何度も彼女の夢を見ていたこともあり、自分の弱さにはうんざりだった。
死ぬかと聞かれて、割とそうだと思うと答えたのは、あながち間違いじゃない。僕は彼女のことで精神的にかなり参っていて、とにかく寂しくてつらいときにお酒の力を借りていた。そして、そのお酒のせいで救急車に運ばれた。あの時、周りに人がいなかったら、死んでいたかもしれない。他人にまで迷惑をかけて、救えないと思う。でも、死んでしまったら彼女に心配してもらえるかもしれないと思っていた節もある。死ぬ勇気なんてないけど、勢いでお酒を飲めばもしかしたら、と。そして、こんなことを考えている人間に彼女は振り向いてくれないだろうなと思う。さらに続けて、振り向くもなにも僕は特別でもなんでもない友人の一人じゃないか、彼女には恋人がいるし振り向くもクソもないよ、と思う。
○朝食:なし
○昼食:カップ焼きそば
○調子
むきゅー。
頑張る。
○就活
こんなんじゃあ、駄目だよなあ。
うーむ、自己嫌悪。
T社:内定。
○ポケノブ
なんとなく久々に再開。
○ポケモンOR
メンツは、ダーテング、ヘルガー、ズルズキン、ヤミラミ、ゲッコウガ、バルジーナ。
トリックルームを発動させたら負けなので、全力でムシャーナを潰して勝ち。
晴れサンパワーソーラービーム強い。
晴れサンパワー熱風無双。
メガヘルガーの弱点をつかれると本当弱い。
メガリザードンYの日照りを利用しての、メガヘルガーの晴れサンパワー熱風楽しすぎ。
四戦して、三勝一敗と今日はなかなか良い感じ〜。
メンツは、サメハダー、イベルタル、ダークライ、ヤミラミ、ゲッコウガ、ズルズキン。
ダークホール無双、になるかと思いきやラムのみドクロックの挑発で止まってしまった。
クレッフィに電磁波まかれまくられた後、つるぎのまいギルガルドに無双される。
鋼統一強いなあ。
ブイズパ。
マジックミラーでダークホール跳ね返されるという、大ボケをかます。
いやあ、ポケモンって奥が深いですね(真顔)
五戦して、二勝三敗。
母と話しているとイライラする。
いろんなことを思い出していたけれど、母は甘えれば応じてくれたけれど、ぴしゃりと叱ることをしなかった気がして、それが原因かなと思う。
普段は八方美人で優しくたしなめた父は、私が片付けをしないことに腹を立てて、酔った状態で二階のベランダから物を投げた。
卑屈で普段は我関せずという小姑は、私が小学生の時分にアニメを見て宿題をしないことに腹を立て、髪の毛を引っ張って引きずろうとした。
全く正しいとは思えないけれど、それでも私は母に叱ってほしかった。「親に向かってその口の利き方はなんですか!」って、ドラマとかで言うけど、まさにあれを言ってほしかった。
20代になった今となっては、そんなこと言って母に、家族に優しくできない自分に言い訳するのはよくない。折り合いの付け方を見つけたい。
男と、女の関係で、
目にあおたん作っている女子を見ることもあるだろうし、
女側がヒステリックに当たって、
ここにはきっと色々な理由があるのだと思う。
そしてそういう人は非常に多い。
周りを見渡して見て欲しい。
明らかに不可解な感情の発散をする人って多くないか。
人に嫌われるとか思わないのかな?
辻褄合ってないって気づかないのかな?
相手がかわいそうだとか思わないのかな?
感情の発散が、その他の外的要因との成り立ちから明らかに矛盾してしまっている事が多い。
おかしな発散の原因の起点は、それぞれあるんだろう。
表現方法の偏りという視点で幼少期のトラウマが原因だという人もいるだろうし、
想像力の欠如という意味で単に他人に対する思いやりがなさすぎるという人もいるだろうし、
感情のコントロールができないという意味で精神面での未熟さを指す人もいる。
その事実とどのように向き合って生きているかって非常に興味がある。
■1 一つの例として
例えば、これらのような正当化だ。
相手が話を聞かなかったから(殴った)、
相手が自分を寂しくさせたから(ヒステリックにわめいて別れた)、
友達がみんなそうやってたから(私も彼氏がいるのに売春した)。
■2 もう一つの例として
他者に問題点を見出して正当化することができない場合あるいは、
問題を擦り付ける他者が見つからない時は、過去の事実を抹殺する。
少々蛇足だが、自分の行った悪行を忘れることをポジティブだとはき違えている人が割と多くてびっくりする。
1にせよ2にせよ、
本質的には何も解決しない。
心の平穏は一時保たれるかもしれないが、
忘れるという方法を取ったとしても、
ふとした瞬間にそれは思い出されて自己嫌悪に陥るか、
あるいは、忘れるという行為が自身の精神状態をゆがめてしまう。
いずれにせよ、コンプレックス的な臭いものに蓋をして人生を過ごしていると、
また意図しない発散によって、
蓋をする解決方法ってのは、
コンプレックスの強い人が、
もっと世の中に示した方が良いと思う。
両方どっちもなんて無理。
同じ研究室のD1の先輩は「いまのうちにそれ終わらせておかないと詰むぞ」と焦らせる。
大学院の同じ学年の友人らは何人かベンチャーで就職決めているのが俺を焦らせる。
俺は焦ったらテンパッて手が止まる。
危機感はある。あるけど、気になることが多くて手が止まる。
ESも手が止まる。実験メモも億劫になって作業記録残せてない。
春休みなんてなかったし、土日もずっと研究室にいて手を動かしてる。
でも実際は稼働時間が半分ぐらい。ホッテントリ消化に半分ぐらい使ってる。
でも、Twitterも見ちゃうし、LINEきたら返しちゃう。Facebookも見る。
そこで無駄な時間を使ったことに自己嫌悪。やる気が減退する。そのループ。
昔はこういう場面でも集中してやれたはずなんだけど。
生きていくことは病気なんだ。理想を他人に押し付ける人が羨ましい。どうしてそんな夢みたいなこと言っていられるの。僕は理想を思い描いてもいつも中途半端に現実的なんだ。お前は理想が手に入らないのに絶望し尚且つ理想ばかり思い描く事への自己嫌悪を拗らせた哀れな社会不適合型偽善者ダァ〜ごみぃ〜と言われたらそれまでだよ。それでもあんな自分のことを棚に上げて人のことぶつくさ言ってる奴になりたくなかったんだよ。そのうち誰かの特別になることへの執着は無くなった。まず誰かを好きって感情が先に来てない時点で不純なんだ。自分自身の保守、見栄。長い間一人でい過ぎた。くだらないことに耳を貸し過ぎた。もっと。仲良しごっこしておけばよかった。あれが欲しいこれが欲しいってなったのにね。アルコールの過剰摂取で始めは気持ちが良かったけどやはり気持ち悪くなった。もう少し飲めば意識が飛ぶかなと思ったけどヨダレとゲロ垂らしながら寝転がっているのがやっと。ずっと力なく笑っていたが意識はしっかりしていた。僕は死ぬこともできないのかと情けなかった。胃の不快感から解放されるために腹を切ろうとしたけど持ってる刃物は全部クソみたいにきれない。こんなことになるなら病院清掃のバイトん時にゴミの中からメスでもパクってくればよかったよ。死ぬまでの痛みが辛すぎる。ウンコがしたくなったけどケツを出した状態で死ぬのはみっともない。これからの季節ならにおいで隣の住民が気付いてくれそうだけど迷惑だな。でもこれ以上生きることのほうがよっぽど迷惑なんだよ。なんか美味しいもの買いに行きたいけどこんな時間か。何ジロジロ見ちゃいや〜よ。iPhoneが指以外のものを感知してウザイの〜。みんな死ね全員死ね。共感できないから殺す‼︎共感したふりして殺す‼︎俺は違う私は違うって言い訳して自分自身の正当化攻撃の回避‼︎ケツからエノキ茸‼︎
うつ経験者として語らせてもらうと、確かにうつは甘えかもしれない
少なくとも初期の段階はけっこう甘えも入っていたように思う
そして心療内科に通い始めた
当時、何かの本で「うつは病気だから、周りの人に対して自分はうつだと宣言した方がよい。周囲の協力が必要」みたいなこと書かれていたので実践した
結果、怠け者のバカだと思われた
何を甘えているんだ、と
協力どころか理解すらしてもらえない
甘えじゃないんだ、病気なんだって自分に言い聞かせたけど、それ自体がすでに甘えだと、今になって思う
例えば、熱が出た、仕事休む、それは仕方ない。でも、治って復帰したら、休んでた間にたまった仕事は頑張ってやらなければならない
病気だからって仕事が消えるわけでも、誰かが助けてくれるわけでもない
ある程度は助けてもらえることもあるかもしれないが、それは当然の権利ではなく、あくまで相手の善意
うつも同じで、やるべきことはやらないといけないし、なったところで誰も助けてくれない
自分はうつだということを理由にして、何もしない、助けだけを求めるというのは甘えだろう
よく言われている、「頑張ってはいけない」というやつ
これは正しいと思う、本当に頑張らない方がいい
いわば風邪でぶっ倒れている人間に無理やり仕事させるようなものだ
頑張ってやったら悪化するし、それに上手くできるわけもない
これはデフレスパイラルみたいなもので、何かしたら余計悪化してしまう
抜け出す術は、薬飲んで、ゆっくりして、少し元気になってきたら、ちょっと行動に移してみる
例えば、ゴミをちゃんとゴミ箱に捨てるとか、その程度の誰でもできるようなこと
ここで無理をしてしまうとまた元に戻ってしまうので、無理のない範囲でバカじゃないかと思えるほど小さいことから始めてみる
こうやって少しずつ、できることのハードルを上げていくしかない
ただし、そこで甘えだなんだって、横槍入れられたら治るものも治らなくなる
甘えから始まったものであるかもしれないが、ある時点からは甘えとか言ってられないくらいの精神状態になる
そこまでの状態になってしまった人に対して、「甘えだ」とか言うのは、「死ね」というのと同義だと思う
人の気も知らず、思いつきで言うような言葉じゃない
現に国際問題では、これまで譲歩してきた韓国や中国はもっとよこせと要求してるし、
実生活では、自爆購入をする営業マンが多いものの、インセンティブに反映されるどころか実質マイナスだ。
更にダイエットのために食事を抜いた結果がリバウンドを齎してしまっている。
何も生み出さない上に、却って害を被るかもしれないというのにだ。
アホらしくて考えたくもないが、一つは自己満足(オナニー)でないかと思う。
自己欲求を満たしたいということだ。
自己嫌悪に陥った後は美味しい物を欲するようになる。
その究極的着地点の一つが、「自分が自分にご褒美を与える」、いわゆるスイーツ脳ではないかと思われる。
旦那からは「自分は子供が欲しいとは思わないが、君が望むなら作ってもいい」と言われているが
自分でも子供が欲しいかどうかがわからず、迷っているうちにこの歳になってしまった。
昔から子供が欲しいという願望はあまりなかったのだけれど、仲のいい友人たちが次々と母になっていき、
結婚当初から「子供はまだか」と急かしてきた実家の両親や祖父母も寂しい顔をしたまま何も言わなくなり、
高齢出産のボーダーラインと言われる35才を目前にして、このままでいいのかという焦りが出てきた。
しかし、もしも旦那が育児に非協力的だった場合にひとりで子育てできる自信がないこと、
「子供はいい」「案ずるより産むが易し」「子供嫌いでも自分の子は可愛い」
(産んでみないと気持ちの変化はわからないが、そうではなかった場合に取り返しがつかない)
何より自分の一方的な都合で旦那に生活面や金銭面で枷をかけてしまうこと……などを考えると、
とても胸を張って「子供が欲しい」とは言えない。
周りがみんな子供を作っているから、両親に孫の顔を見せたいから、
夫婦どちらかが先に死んでしまったときに残された方が寂しいから、
すべて自分の中にある気持ちだが、どれも決定打にはならない。
もっと若い時に、将来像を具体的によく考えておくべきだったと後悔している。
もしかしたらあれこれ迷う以前に子供ができない体という可能性もあるが
いっそそうであったなら気持ちの整理がつくのに、とさえ考えてしまい自己嫌悪に陥る。
34才になるまであと数ヶ月。
1正社員になろう
正社員にならずとも、社会保障がズタボロで将来どうなるかわからないです。
社畜になることもいいですが体調を壊すと辛いのでほどほどにしましょう。
最低限は覚えましょう。
4上司に媚びよう
今の仕事やこれから就く仕事を長く続けたいのであれば上司に媚びましょう。
5転職をしよう
転職しましょう。案外ハードルは低いです。勇気を出しましょう。
6ノルマと一度は戦おう
証券業界や保険業界や銀行などの方々、営業の方々はこの気持ちわかりますよね。
無理すればなんとかなることを体に覚えさせましょう。
7人文書を読もう
人文書を読みましょう。昔のものよりは新しめのほうがいいと思います。
とりあえず新書でいろいろ出ているので読みましょう。おすすめはちくま新書です。
社会というもやもやしている場所で今自分はどの位置空間にいるのかを意識しましょう。
自己肯定や自己嫌悪により少しでもなにかのきっかけを作ることができます。
9ハッタリを身につけよう
切り札を作ってください。
そしてそのジョーカーは自信になり実際に使う時が来るでしょう。
以上、あとは運や成り行きでどうにでもなるような気がします。
こういうのがキャリアポルノっていうの?
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事などをしていました。
彼女の部屋にはゲームやおもちゃも多く、私から見て彼女の家は裕福でした。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
そのほかにも、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、私はそれらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、ちょっと世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶交宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べていました。
体育の時間、ペアを組むとき、彼女はお願い、私を選んで!と泣きそうな目で私に訴えていました。
しかし他の子に誘われた私はその子とペアを組みました。彼女はそう言う時、たいてい私の前では何でもないという顔をしました。
彼女から一緒にやろうよと誘われる事はありませんでした。私はそれらの事がひそかに嫌でした。
私たちはこのとき、多くの時間をともにし、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、ほんとうに理解し、さらけ出し心から共感し合う事はなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「今は風景が綺麗なんだから、黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、Kを支配しているのは私、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
同時に、色んな人と話す事で病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
しかしKと話すと、いつもどこかでこの人は綺麗な言葉だけを並べているのだと思っていました。
ほんとうは、がんばっていない自分には価値がないと感じているのだと。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
仕事で自分が強いられている事の嫌悪感にすっかり参ってしまって、精神的なリソースが枯渇しているのを感じる。
でも、ちょうどリリースされたKyau & Albert のニューアルバム、「Distant Lights」が最高に良くて、
ずっと聴いている。
Distant Lights 、最高にいいぞ。
浮遊感があって、朝の光や夜の街灯りを閉じ込めた様なラルフ・カイアゥの美しいトラックと、
陶酔感のあるハスキーなスティーヴン・アルバートのボーカルが、
Distant Lights、文字通りの遠くてボンヤリした灯りの映像をイメージさせる。
美しい歌モノトランスだ。
ポチって良かった。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
彼女は今思えば寂しかったのでしょうか。彼女は自分がこんなにもがんばった、こんなにもうれしかった、
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
それであの子の中で私がトラウマになってちゃんとした恋愛できなくなって一生恨むような忘れられない女になりたい。
嫌われるより忘れられる方が辛いからずっと嫌いなまま覚えていてもらいたい。
籠絡して永遠に身も心も引き裂きたい。
あのクソアマとか罵って私を想いながらでしか果てられないカラダにしてやりたい。
あざとい態度を思い出して憎々しく感じながらも夜な夜な煩悩で苦しんでほしい。
得意な勉強が捗らないのを全部私のせいにして自己嫌悪に陥ってほしい。
もう二度と自分の事を大事にはできなくて自分にも他人にも誰にも心を開けなくなって
女とか全員クソとか言いながら一生独身を貫いてほしい。
ってこれ全部私の事だわ
※ 何か読み返したら論点ずれてたので、書き直しました。すみません。
彼氏に対してじゃないけど、とある親しかった人に対し増田の彼女と同じような状態になって、結局疎遠になっちゃった女です。
何かねー、そんなことで一々怒るなんて自分の方が心が狭い=悪なんじゃないかって気持ちがあって、それなら不満を表明したってどうせ誰にも聞いてもらえないどころか自分が責められるから言うだけ無駄だなと思う。
それに怒ってる間、自分でも「何て心狭いんだろう私」と思って自己嫌悪に陥るんだよね。自分が悪いことしてる(くだらないことに腹立てる)のをわざわざ人に喧伝するものでもないと思うし。
仮に不満を聞き入れてもらったとしても、自分が悪い癖に我侭を押し通したってことになるから、それも自己嫌悪の元だし。
増田は、その都度言ってくれれば怒りの原因をどうにかできると思ってるのかもしれないけど、
>「○○と言われたの傷ついた」とか(単語に反応したみたい。前後みてね)
>「あのとき不機嫌だったでしょ」とか(眠くて無言だっただけ)
>「ごめんて言わなかったよね」とか(気に障ったらしい)
少なくとも私は、カッコの中の事を言われても怒りが治まりはしないな。もっと腹立つと思う。でもって腹立てている自分というものが自己嫌悪で嫌いだから、それは悪循環。
私の場合、相手に不満を言ったらそんな感じになるのが分かってたから、黙ってた。
黙ってても事態は改善しないけど、言っても改善しないので、唯一の解決法は疎遠になる事。だからそうした。
私が増田の彼女みたいに爆発する時は、怒るのが悪いことだと思ってても、もう自分じゃコントロール不能になってるか、「もう我慢するの嫌だ!心狭い罪で投獄でも打ち首でも好きにしろ!」と自棄になっている。
怒ってる時って自分も不愉快だし、周りの人もいい気しないじゃん。そんな状態になりたくないのは普通の事だと思うんだけどな。
増田は腹が立つの嫌じゃないの? この人と居るといつも腹立ててるな自分、と思ったら、口に出す出さないに関わらず離れたくなるじゃない?
別に相手が悪い訳じゃなければ、相手を変えようと考えるのもおこがましいんだから、自分が変わるか離れるかしかないよ。そして自分を変えるのは、努力しても上手くいかない事も多い。