はてなキーワード: 朝勉とは
一度習慣化するとそれが継続しやすいようだ。散歩のためにマクドまで歩いて行く、という習慣が身についてきた。
こうでもしないと外出しないのだ。引きこもる時間が長すぎる。
ところで古から伝わるように「運動」や「冷水浴び」は自制心を訓練できるらしい。
昨日見た動画でしきりに「自制心のプラス面」が語られていたので、それを高めたいと思ったのである。
多くの人は「リモートワークだと怠けてしまい仕事にならない」というが、俺はリモートで働き続けてこちらのほうが生産性が上がっている。
しかしそれは仕事上での自制心の話だ。例えば「朝早く起きる」というたったこれだけのことが難しくなってきている。
7時にアラームが設定されているが、実際に起きるのは2回めのアラームの8時20分だ。
スケジュールを時間単位で設定したほうが良いとも思う。あと活動を完全に朝型に切り替えたほうが良い。
午後は仕事が終わったあとはもうリラックスタイムにしたいのだ。朝勉強する気力はあるが、仕事を終えてから勉強する気力はない。
確かに、転職する気はないのでこんな努力をしても給料は上がらないだろう。
なぜこんなことをするのか。幸福感を感じて生きるには、一定の活力が必要だと考えたからだ。
部屋にひきこもってばかりだとどんどんと悪い方向に思考が行く。それを止めたいのである。
時間 | やること |
---|---|
6 | 起床 |
6-8 | 食事/歯磨き/着替え/冷水シャワー/ランニング/読書(or勉強) |
8-8.5 | タスク・メール等のチェック |
8.5-15.5 | 仕事 |
15.5- | 自由(食事, 家事, 風呂, リラックス) |
21 | 睡眠 |
朝勉してる奴も多いよ。
うちは子どもが3人。今年一番下が受験で、それが終わると我が家の中学受験が終わる。
上の子の時から数えると10年くらい断続的に中学受験に関わってきたが、子どもと一緒に受験に取り組んで本当によかったと思ってる。
今日が一緒に勉強できるのも最後かと感慨深くなりながら、ここに駄文を書き殴ろうと思う。
大学は国立大学に行けたのでありがたくも「私立」とはまったく無縁だった。受験はしたけれど。
社会人になり地方都市で働いていてそこで出会った今の奥さんと結婚。
子どもが生まれて一番上が3歳くらいの時に東京に転勤。それから転職などもしながらずっと東京に住んでいる。
子どもが小学生になると、まわりからは中学受験の話が聞こえるようになってきた。
自分も妻も地方出身で公立あがりだったから、私立受験ってまったくピンとこず、しばらくは「公立で十分だろう」と考えて流していた。
でも3年生後半になってきて、妻が色々調べだすとどうも住んでいるエリアでは公立があまりガラがよくなく、いけるなら私立がいいのではというように夫婦間でも変わってきた。
ただ、この頃の自分は、仕事に謀殺されていたのと、週末も自分の時間を優先させていて、あまり家族に関心を向けていなかった。
だから当時受験のこととかは妻が色々考えて悩んでいて、相談されたときに「まぁ、それでいいんじゃない」みたいな感じだったと思う。
まあ平たく言えば、なんとなく家庭は維持していて、子どもに対してそこまで関心がなかったという感じか。そういう男親けっこういるんじゃないかな?
表面的には家族は維持していても、深く関わっていないというか・・・そもそも日中仕事でいないし週末もどこかに出かけてしまえば関係性は薄くなるわな。
そして上の子が5年生の夏の頃、一番下がまだ幼い我が家では、妻が上の子の受験でピリピリ、幼い一番下の面倒をみながらも、私はあまり家族に関わっていなかったから、妻がついに切れた。
離婚をつきつけられ、家を追い出される。
まあ、今思ってもそりゃそうだ。仕方ない。本当自分勝手すぎたなと思う。
それでも一度切れた妻はなかなか落ち着いて話を聞いてもらえなかった。
で、成績がなかなかあがらないし、やる気も見せない上の子について、「俺が絶対受からせる。俺がついて勉強見る」といって私の中学受験がスタートした。
「なんでこんなのがわからないんだ?」「やるきあんのか?」など勉強を見ながらイライラすることばかりだった。
でも、受からせるって啖呵きった手前、泣かしながらも維持になって勉強を見ていた。
これまでは自分の時間として使っていた時間が子どもとの勉強の時間になった。
周囲の友人は週末有意義に過ごしてる。でも自分は・・・とかね。今となっては既婚子持ちが何言ってるんだと思うけれど、当時はそう思っていた。
それくらいそれ以前が無自覚の父親、無自覚の旦那だったんだな。
本命校は本人の偏差値からはとてもチャレンジングな学校だったけれど、なんとか少しずつ成績があがっていき、あとひと伸びで届くかもしれない・・
くらいまで成績があがってきたから最後の数ヶ月は自分も必死だった。絶対受からせるって啖呵きったのが残っていたし。
もしかして自分が受験していたんじゃないかって思うくらい悔しくて落ち込んだ。
その様子を見ていた妻から
「受験してあなたがよかったんじゃない?あの子のためにそんなに落ち込むなんて、それだけ真剣に向き合ったってことなんじゃないの」
と言われてハッとした。
受験を通じて確かに子どもとずっと向き合ってきた。真剣に向き合ってきた。
ああ、そういうことか。それ以前の自分は家族をみている大事にしていると言いながらも、こうして本気で向き合うってしてきてなかったなって気づいた。
真ん中はそれなりに真面目にコツコツ取り組むタイプだったし、他にスポーツとかもやっていなかったから、4年生から都内で有名な受験塾SAPIXに入れた。
SAPIXは知っているひとはしっている通り、宿題が多いし競争もはげしい。
ちなみに上の子も最初SAPIXに入れたけれどついていけなくて途中でやめた。
真ん中はどうかと様子をみていたけれど、クラスは決して上のほうではなかったけれど、最後までくらいついていった。
特に最後の11月から1月はこれまた本気モード。テキストの中からやる問題を選んで一緒にとき直しをして取り組んだ。
塾からは絶対無理だから志望校を下げろと言われていた本命の学校に合格し、今元気に通っている。
このときも、本命に受かったときは本当に嬉しかったし、一緒に喜んだ。あの感覚もまた、真剣に向きあったからこそなんだろう。
SAPIXなんてとても入れずついていけるはずもないくらい。地元の補習塾に通わせながら受験をすることにした。
上2人に比べると、受ける学校の偏差値は低めだし、勉強時間も少ないかもしれない。
でもその分違う才能が上二人よりあってその道を伸ばして欲しいと思ってる。
そういう子には受験ってあまり向かないんだよね。でも中高6年間にそれに没頭できることも考えると、受験もありだと今は思う。
勉強が苦手な下の子だけど、今では真剣に取り組み、明日の本命校に向けて努力を積み重ねてきている。
ここでも朝の勉強は続けていて、叱ったり、泣かせたり、模試のたびに喜んだり、そうしたことをこの1年続けてきた。
そんな日々ももう終わる。
結果は明日以降の試験次第だけれど、3人の受験一緒にやってきて思うことはいくつかある。
まずは、子どもはみんなそれぞれだということ。
同じ親から生まれ、同じ環境で、同じように育ててきたつもりでいても、みんなバラバラ。
受験勉強を通じて三人三様の人格に深く触れられたことはとてもよかった。
子どもにあった学校ってなにも偏差値の高いところばかりじゃない。
そこしか目指せないのはもしかしたら子どもと向きあいきれていないのかもしれない。
偏差値が高くても環境がいまいちなところ、偏差値が低くても、その子の未来につながりそうなところ、
そうした色々な学校をたくさんみて、子どもたちと一緒に話をして、子どもの人生を一緒に考えることができたことがよかった。
そして最後に、これは数年前に出会った佐藤尚之さんの大好きな言葉。
受かったら、そっちのほうがいい人生
落ちたら、そっちのほうがいい人生
どっちに行っても絶妙ないい「縁」が待っている。
人生はそういう風にできている
これは本当にそう思う。毎回最後は子ども達にこの言葉を送って送り出している。
そこに一緒に真剣に向き合うことを通じて、子どものことをより深く知り、愛する機会になった。
特に仕事やなりやらで奥さんに任せっきりにしているような男親には、真剣に向き合うことで新たな子どもたちとの関係性が生まれるよとぜひおすすめしたい。
っていうかやるべきだとすら思うよ。
ということで、今年で我が家の中学受験が終わり、私もひとつの役目が終わるかな。
明日、頑張れよ!!
引きこもっていた頃は焦りと、社会から取り残された孤独感、酷い鬱症状で毎日自殺しか考えてなかったけど
結局はまた違う別の苦しみが襲い掛かってくるだけ。
昔から仲の良い人達とはことごとく離れ離れになり、関係を続けられるほどの能力も無かった私は結局ひとりになってしまった。
もう誰も社会的に魅力的な立場にいるわけじゃない私と友達になってくれるはずがない。
親は軽い発達障害みたいで、引きこもっていた頃から発狂したり死にたい死にたいと泣き叫んでいた。
それを聞くとイライラして何度も何度も殺したいと思ってしまう。
それが親に対する殺意だけならいいのだけど
次第に周囲の人間、よもやテレビ画面の中の人間にさえ殺意を持ってしまうようになると
これは遠くない将来、殺人犯として名の残してしまうようになるんじゃないかとおびえた。
いじめられていたわけでもないし、勉強についていけなかったわけでもないし
友達も居たようだけど、とにかく毎日が辛くて自殺しか考えてなかった。
だけど、だけどたまに夢をみてしまう。
そんな未来最初からなかったはずなのに、うらやましくて虚しくて泣きそうになってしまう。
2年弱引きこもっていたけど、正直得られたものなど何もなかった。
わりと調子が良いときは朝起きて絶望感、昼に自己嫌悪と焦燥感で息が苦しくなり、夜は頭の中で自分を拷問して殺すような妄想をする毎日だった。
もう、あんな思いはしたくない。
だから引きこもるのをやめたのに
今度はなんだ?
社会と繋がりを持ったらもったで、今度は自分の能力の無さを実感し、周りと比べて酷く落ち込み苦しむだけ。
勉強は好きだから、朝勉強して昼予備校行って、夕方帰ってきて晩御飯食べて自習室に行って、22時まで勉強している。
でも周りの予備校生は、みんなちゃんと学校行って暖かい家庭に恵まれた人達だから
昼に親が作ってくれたであろうお弁当を食べ
週末に行ったライブのイベントや将来の遊びの約束などを嬉しそうに話している
今住んでいるこの県に知り合いや友人は誰もいない。
実家も帰れる距離じゃないので、
誰かが助けてくれるわけでもないから
せめて周囲の人間に迷惑をかけないようにと身だしなみに死ぬほど気を遣わなきゃいけない
その為だけに勉強している
でも毎日朝起きた瞬間から家事をやって、予習して予備校行って復習して24時過ぎに寝る。
そんな風に過ごしていたら今日とうとう熱が出て
不登校でろくに学校行けていないから勉強も死ぬほどやらなきゃいけないことがあるし
自分の時間を削いで削いで勉強ばっかりしてもまだ普通の人たちには追いつけない
絶対来るとは限らない明るい希望のためにここまで努力する意味は何なんだろうと
家でも予備校でもひとりだからせめて友人が欲しいと話しかけた予備校の子達は
なぜ?
私は孤独でいるべきということか
身体が全身だるくて重い。
こんなこと書いてどうにか整理していかないと本当に来月生きているかどうかもわからない
ひとりがつらい