はてなキーワード: 殺人犯とは
ここのところずっとモヤモヤしていた原因がなんなのかわかったのは、不謹慎にも川崎で起こった事件が原因だった
今までだったら犯人に対して感じていた怒りのようなものが全くわかなかったのだ(事件を擁護してるわけではない)
それどころか、その犯人に対して向けられる言葉が、犯人に怒りが沸かない自分に刺さって、モヤモヤし始めた。
そして私は世の中に恨みを抱えながら生きています。というのを自覚した
生きてたってどうしようもない人間になって、私は初めて殺人犯の気持ちがわかりました。わかりたくないけど。
何年も人と話していない状態だと、想像もつかない行動に出る時がある。
SNSならともかくワイドショーとかでの一人で死ねっていうのは私はよくわからなかった。こいつらは世の中をどうしたいのかわからなかったから。
殺人を犯したのはあいつ一人でもその前の状態で生きてる人は決して少なくないと思ったから
言ってるつもりはないというか、凶悪な殺人犯に向けて言ってるつもりの言葉だとしても普通にこっちは傷つくしテレビってそういう人も見てる場所だしなんで傷つくこっちがおかしいみたいになってるのかよくわからない。自分の発言にすら責任を持たなくなったのかと絶望した。
「穢れ」という考え方がある
それは事故物件であったり、自殺した家系だったり、水子供養を怠ったり、時効になった殺人犯であったり、
つまり、今回のオリンピックの発端は石原チン太郎であるわけだが、そこから穢れていたのではないだろうか
その穢れが脈々と受け継がれ、コロナという悪運を引き寄せ、今の混乱にまで続いているのである
しかし、よくよく調べてみると、それは首を吊った死体の着物の帯が畳を擦る音であり、その穢れが脈々と受け継がれてきた、
アホーが今回のオリンピックは呪われていると語っていたが事実なのではないだろうか
今すぐ、私のような優れた霊能力者に相談することをオススメしたい
誰かがこのオリンピックの穢れを断ち切らなければ、今度は関係している日本全体が穢れ、日本全体が呪われてしまうのである
そして、これは帝都が霊的に護られていないということも関係しているのではないだろうか
東に青龍、北に玄武、西に白虎、南に朱雀の🐘を建造する必要があるのではないだろうか
帝都に巣食う鬼神を祓うために陰陽師の助けが必要な事態にすでになっているのではないだろうか
そんなことをトイレで考えながら踏ん張ってみたが、期待した💩は出なかった
便秘がつらい
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。
現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品)
しかも殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件に関係がない。
この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。
劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督との子供を妊娠中だった。
この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。
とても誠実な描写だと思う。
実行犯に殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字のタトゥーを入れているが、タランティーノは過去のイングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優がポランスキー監督の映画おとなのけんかで主演してる)
そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画の小道具を使って」焼き殺す。
1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。
しかし監督のタランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画=ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドやアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国や香港や日本などアジアの映画に多大な影響を受けた人間である。
キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズ・オデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの)
(タラがオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンもイタリア産のマカロニウェスタンでアメリカ映画ではない。ちなみに監督のセルジオ・レオーネが撮ったワンスアポンアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストのデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)
ブルース・リーの話が出てきたが、タラはキル・ビルでは死亡遊戯の衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットでブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーのワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。
キルビルで描かれる復讐や暴力の虚しさは、燃えよドラゴンでブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。
そして敵役のビルには、ブルース・リーのドラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。
タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。
ちなみに、キルビルが前後編になった元ネタのチャイニーズ・オデッセイの主演はチャウ・シンチー(少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳のパロディや、少林サッカーやカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)
少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別な作品で、その点がワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドと共通している。
(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーもハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テートが自分の映画を見るシーンがあるが、ブルース・リーは燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)
ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)
あとワンス~作中のブルース・リーが調子こいてるのは、実際の彼がああいうキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手を文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいうチンピラのようなダサいファッション)
何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。
あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画からの知識だけで)玄人好みの渋い「中年の恋愛映画」すら物にしてしまう監督である。
落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。
(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)
(というよりもともと映画そのものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)
そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽なフィクションで熱く揺さぶった。
ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人の和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。
日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。
(タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼の変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)
タランティーノはフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。
(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルはキルビルでユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯→キルビル→ワンス~と考えてみても面白い)
(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミーに無視されてきたのはタランティーノも同じ)
もちろんワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。