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はてなキーワード: 暖かいとは

2021-05-01

海外在住経験のおかげで季節感無視できるようになった思い出

海外在住経験のおかげで季節感無視できるようになった思い出について

母が洋服好きな人だった。私は料理に興味がないので洋服は母との数少ない共通趣味だった。

母は季節感には厳しい人(この世代の方は基本そうだよね)で、3月なんだからもうこの素材は着ない、11月だから長袖といったルールを守る人だった。

私にもそのルールはしみついており、長い間そのルールを破ることに抵抗があった

一発目、南半球生活したとき、季節逆。月と季節の感覚が掴めない。周りを見ながら洋服を選ぼうとするがそれぞれの服装がバッラバラ…。私困惑

気温に合わせて好きな服着る。一人だし、それでいいと吹っ切る。でも厚手のマフラー真冬しか巻けなかった。

二発目、大陸が違う南半球生活東海岸の湿気と気温で季節?それ何?おいしい?感覚に陥る。

緯度的には暖かいはずなのに、芯が冷える夏。庶民は初夏でも朝晩はダウンを着たりする。

服に関しての季節感ルール、完全突破。厚手のマフラーが夏の寒いときに効く生活実感。

三発目、アメリカでの生活自由。The 自由。いついかなる時も彼らは自分がどう感じるかをメインに服装を選ぶ。

着飾ることが好きな人は艶やかに美しく、快適さを求める人は心地よさを。自分がどう感じるかで服を選ぶ。

薄着で厚手のマフラーを巻くファッション、すごく可愛いから好き。

日本のきちっとしたルールも今でも好き。この季節が始まるのだ!とぴりっとする感じに価値がある。

からね、自分がいいなら真冬に裸足だっていいし、絶対にこの月にはこの服は着ない!と決めてもそれもいいのだと思いながら、この何を着ていいかわからん気温帯のこの季節を生き抜く。

2021-04-30

モルカーですら追えない人間になってしまった

人間は愚かなので、ここで懺悔する。とっくにモルカーロスを乗り越えただろう増田たちは生暖かい目で読んでほしい。

モルカーを知ったきっかけは、1話の放映後にツイッターでバズり散らかしていたことだった。かわいいモルモット乗り物が主役なのに舞台治安が悪め、そんなアニメYoutubeで見れるらしい。

初めて見たとき、「なにこれ?」。2回目は「教育アニメか」。3回目で「モルカーってかわいい」。

気が付いたら5回目に突入していたとき、久しぶりに「これはハマった」と本気で感じた。

それからは暇だったこともあり、公式Youtube更新される時間に張り付いては視聴した。一週間が待ち遠しくて、ツイッターコメントで人の考察を見て感動し、何度も繰り返し見る。それに加えて、たくさんの人がこぞってイラスト小説を書いていたので、溢れ返った二次創作を見るだけでも毎日が楽しかった。世界観キャラクターが好きで、ストーリー面白いし、何しろ短いアニメなんだから飽きようもないと確信していた。

しかし、突然見なくなった。3分すらモルカーに渡せなくなった。ふと、SNSで盛り上がる人たちを横目に「見たくないな」と思ってしまったときには終わっていたのだろう。

別にこちらの環境が変化したわけでもなく、新しい何かに熱中していたわけでもない。ただ理由もわからず急激に冷めていった。

2分半の12話、合計したらたったの30分。それすら作品に集中できない人間になってしまった。

はっきりいって、この文章を書くには30分以上掛かっている。その時間で本編を流すことだってできるはずなのに、どんどんモルカーへのハードルが上がっていく。

祭はもう終わったのに、今更参加するのは遅いような気がして。

……ここまで書いてようやくわかったけど、自分が好きだったのは「モルカー」の周りでどんちゃん騒ぎすることだったんだな。じゃなかったら、こんな感想出てこないだろうし。

モルカー、君達の生き様を盛り上がるためだけのガソリンとして消費してごめんね。

人間は愚かだ。

追記

アマプラで残りを観ました。思ってたよりわからなかったし、期待値が高すぎただけだった。

これでモルカーと適切な距離でいれそうだ。

2021-04-18

ちょっと暖かい夜だと思ってアイス食ったらやっぱり寒かった。

エッセルスーパーカップ食ったんだけど舌触りが爽みたいで軽く驚いた。

2021-04-16

布団が暖かいことを布団暖かといい、布団が暖かいことを意味します。

漢字では布団暖かと書きます

まるで布団が暖かいかのようです。

日大程度の学歴コンプがひどい

ある日大生、東大インカレサークルに参加してるのは良いんだけど、

自分より上位の私学をメチャクチャ敵視しててヤバい

学歴コンプなんだろうけど、日大生が尊敬してますとか言ってる人の出身大学をクソミソに言ってるあたり、馬鹿なんだなぁと生暖かい目で見てる。

そういうとこが、MARCHより下のDラン大学って笑えるよね。

2021-04-05

右足脛骨を完全骨折したときの話

右足の脛を完全骨折して3ヶ月松葉杖東京一人暮らししたことがある

特に骨折初期は折った足に全く体重をかけない歩き方(全免荷)が必要

普段運動不足なこともあったけど本当に移動がきつかった

(治療が進むと1/3荷重とか折った足に少し体重をかける

歩き方ができるようになってかなり楽になっていく)

最初100m移動するだけで汗だくになって休憩がいる

慣れても階段が相当怖かった

雨の日は滑る恐怖で大変だった

なんか流れで手術しないでギプスのみの治療になったが

骨がずれて骨折治癒が相当遅れたので

正直手術で固定した方がよかったと後悔した

プログラマー業務委託新規常駐案件入る直前で折ってしまって

リモートできないか頼んだが断られて(コロナ前)

案件に1ヶ月遅らせてくれないか頼んだけど

2週間しか遅らせられないと言われて予定の2週間後に案件に入ることに

今思うと本当に最悪のタイミングで折ってしまったと思う

委託先の会社山手線某駅の近くだったのは幸いしたが

その某駅までどうたどり着くか悩んでとりあえず構内図を検索して地下鉄ルート確認

バリアフリー化のおかげかエレベータ階段を使わずにいけるルートがあった

ただルートが複雑で構内も距離があり、今まで全く通ったことのないルート

いきなりたどり着けるかに不安があった

そもそも今の住居が3階かつ狭い階段のみで階段上り下りの時点でしんどい始末

から最寄り駅(徒歩5分)にたどりつくのも厳しかった

地下鉄は無理と判断して初めはタクシーで通うことにした

ただでさえ新規環境だったため

初日が相当不安で、ストレスのせいか帰りのタクシー内で過呼吸になった

過呼吸経験知識もなく、救急車呼んでしまって

担当医者の方に相当冷たくあしらわれたのが本当に心につらかった

今苦しいからその治し方を聞いているのになんか精神的なものから

直すんだったら薬を出すしかない、薬出しましょうかとか

あきれ顔で言われたのを覚えている

(余談だが過呼吸酸素の取りすぎが原因なので

呼吸困難に感じるのだが息をさらに吸おうとすると悪化する

救急車内では深呼吸をするように言われたけど個人的には

自分のできる範囲で息を止めることを繰り返した方が早く治ると思う

webによると紙袋かぶせる方法は加減を間違うと窒息することがあるらしくやめた方がよいらしい

ちなみに上の原因と対応方法担当医は全く教えてくれなかった)

初日から本当に気分が沈んで今後やっていけるか不安しかなかったが

案件先では優しい人が多く、部屋に入るときに扉を開けて

待ってくださる人が沢山いてくださって暖かい気持ちになった

おかげでどうにかなりました、本当にありがとうございました

一人暮らしだった上に洗濯機がなくコインランドリー

使っていたため衣食に支障をきたしていた

家の中ではほとんど動けない

トイレにたどりつくのも松葉杖というつらい状態

外に買い物に行けるわけもなく

食料はネットスーパー生命線だった

持ってきてくださる人に感謝の念しかなかった

常駐先では昼を買いに行くのは難しく

初めは社内自販機に水を買いに行くのもつらかったので

からカロリーメイトと500mlのお茶大量購入してリュックで持ち込み

昼まったく動かなくてすむようにしていた

(そのうち慣れて水も食料も社内自販機でどんどこ買うようになった)

洗濯は全免荷の時代洗濯なしでのりきるために

ネットスーパー下着大量購入して外は汚さないように2~3回着回しつつ

2週間くらいためこんで親に来てもらって洗濯をお願いした

(かなり遠くにいるのだが無理して来てくれた、感謝しかない)

その後は2週間くらいためこんで1/3荷重かけられるタイミング

洗濯物のかご(10kg?)を背負って自力洗濯を始めた

一度できれば大体何とかなったのだが

一回だけ階段を二、三段くらい上ったところでバランスを崩し下に落ちて

と思ったことがあった

背中のかご→尻もちの順に落ちる感じで事なきを得た

3階エレベータなし+コインランドリーという悪条件もあったが

松葉杖で完全一暮らしするのは困難だなと思った

タクシーは1日あたり往復10000円弱かかり金銭にしんどかったのと

しづつ新環境に慣れて精神的に落ち着いたこともあり、

案件に入って2週間(骨折4週目とちょっと)くらいか

地下鉄で通うようにした(定期で1ヶ月8000円弱)

それから東京地下鉄を2ヶ月くらい松葉杖で通ったが

その間に少なくとも10回以上は席をゆずられた

普段普通に歩いているときは皆誰にも関心がないように見えていたか

こんなに席をゆずられるとは思っておらず驚いた

譲られるたびにかなり暖かい気持ちになった

おかげさまで今も生きてますありがとうございました

サポートをもらったときは必ずお礼を言うように気を付けていた(と思いたい)

電車では譲ってくれた人を覚えておいて自分が先に降りる場合は改めてお礼を言うことを心掛けた

返せるもの感謝しかないし(お金を返してもドン引きだし)

少しでもサポートしたこと気持ちのよい体験となって

今後自分以外の松葉杖とか車いすの人に

席を譲ってくれる人が増えてくれそうな振る舞いをしたかった

今はもちろん完治して、普通に歩いて生きている

今後松葉杖の方を見かけたら、今度は自分が譲る側になりたいと思う

(今コロナ電車に乗る機会がないが)

最近車いす乗車拒否された話題が上がっていたので

昔を思い出してこの日記を書いた

北風と太陽ではないが、周りに不愉快や反発を生みそうな方法でなくて

もっと周りがサポートしたい、サポートしてよかったと思える方法

社会を変えていくことってできないのかな、とちょっと悲しく思った

でも自分に思いつく案は車いす骨折した女の子日常系マンガぐらいしかないんだな

どなたか描いて下さらんかなー

=============

余談

ギプスはかゆみとの闘いがやばい

厚紙を切ったものかいたり

かゆみ止めスプレーを使ってみたり

それでも不十分で地獄の時を過ごすことになる

だがその地獄の後、ギプスを外せた直後は

足は非常に敏感になっていて

かくと本当に気持ちがよい

本当に気持ちがよい

(本当に気持ちよかったので二回書きました)

これやばい、なにこれと思いながら1時間くらいかいてたか

この気持ちよさを皆一回味わってみてほしい

骨折は味わわないでほしい

だれかこれ共感する人いないか

と思ってぐぐったらアトピーの人でそうなっている人がいた

分かるー

でもアトピーは大変そうだな・・・

完治する方法見つかったらいいな

2021-03-30

anond:20210330125356

♡♡相性ピッタリ♡♡

暖かい目で見守ろう!

2021-03-29

猫が床で寝てる

今日暖かいのかもしれない

川べりと桜

昨年4月に我が社の労働組合経営側と締結した労働協定には組合員に対する残業時間の厳格な管理が盛り込まれていた。現在とある事情で我が社のメイン工場は停止しているが、生産再開に向けて直接部門も間接部門関係なく社員全員フルに生産開業務にコミットしている。よってかつては暇だった社員も今では残業毎日であるとはいえ月末になると冒頭の労働協定(36協定)が効いてきて月の残業時間協定内に収まるように皆早く帰ったり遅く来たりと調整し始める。私もその例に漏れず同じく残業時間調整のために今日は午後半休をとることになり、昼休み時間になるとイソイソと退社した。

しか大人というものは予定もなく急に自由になっても何をしたらよいか困るものだ。車通勤なのでプラプラ運転しながら帰っていると、橋の下流れる大きな川沿いに桜が見事に咲いているのが垣間見えた。私は気づくと川べりに続く細い道にハンドルを切っていた。

川べりの道路から見ると桜は橋の上から見たよりも小さく感じた。しかし小さいながらも満開の花を枝全体に咲かせていた。車から降りるとふわっとした暖かい空気が体を包んだ。頭上には満開の桜が広がり、さらにその上には白く曇った明るい空が広がっていた。私は突然極楽に入り込んでしまったような気分になった。周囲を見渡すと車が何台か止まっていたが、人が乗っているのかいないのか、車内はみな暗かった。

その時、遠くの川べりに緑のワンピースを着て地面にしゃがんでいる女が見えた。地面に咲く野花を写真に撮っているのか、その場は動かなかったが手元は小さく動いているように見えた。私はこの桜の風景と、陽気と、その女の存在に、なにやらまた白昼夢を見ているような気分になった。

しばらくすると女は立ち上がり、ゆっくりこちらに向かって歩き始めた。私は立ち尽くしたまま視線だけを川に向けた。川べりに生えるススキなどの枯草に阻まれ川面はよく見えなかった。ただ太陽日差しけがまぶしかった。何故だか私は緊張していた。近くの橋を通る車の音がゴウゴウとよく聞こえた。

ふと女の方を見るといつのまにか女はいなくなっていた。反対側を見ても女はいなかった。私はきょろきょろと女の姿を探したが、周囲には先ほどと同じ数台の車が相変わらずひっそりと佇んでいるだけだった。

私はその後もしばらく女の姿を探し続けたが、最後まで女の姿は見つからなかった。

2021-03-26

anond:20210324021704

睡眠暖かい食事、水分...が疲労回復には必要だよ。

どこかに出かけるようにいう人もいるけれど、それは若くて体力があるからできることで、体力がなくなってきたらそれじゃないんだな。

2021-03-25

anond:20210325125850

暖かい時に雨に濡れて

悲劇主人公ぶるの好き

びしょ濡れのまま居ない前提だったら、雨大好き

猫が潜り込んできた

2020/12/24

今朝、猫さんが布団に入ってきた。

快挙、初の布団入り。

昨日の朝のこと。12月に入った頃から少し肌寒くなってきたのか、布団を敷くと猫さんが乗ってくることが多くなった。よかれと思って掛け布団を掛けてあげようとするとササっと逃げる。いくら優しく掛けてあげても同じでやっぱり逃げてしまう。

猫さんに布団の暖かさをもっと知ってもらいたい。

昨日の夜のこと。猫さんに布団の暖かさを分かってもらうために、布団の上に座る猫さんさらに布団で周りに壁を作り、徐々に距離を詰めていき、最終的にはくるんでやった。ほかほかあったか。しばらく動かなかったので、暖かさを実感してたんだと思う。

そこで今日、早速その効果が現れた。枕元に来た猫さんに、布団の入口を開けてやると、暖かい洞窟に吸い込まれていった。

完全勝利

そのまましばらく猫さんと布団タイムを楽しんだ。

そんな2020年クリスマスイブ

………

投稿せずに残っていたので、もう暖かくなってきたけど投稿する。そんな猫さんは、今では布団で一緒に寝ています

猫が潜り込んできた

2020/12/24

今朝、猫さんが布団に入ってきた。

快挙、初の布団入り。

昨日の朝のこと。12月に入った頃から少し肌寒くなってきたのか、布団を敷くと猫さんが乗ってくることが多くなった。よかれと思って掛け布団を掛けてあげようとするとササっと逃げる。いくら優しく掛けてあげても同じでやっぱり逃げてしまう。

猫さんに布団の暖かさをもっと知ってもらいたい。

昨日の夜のこと。猫さんに布団の暖かさを分かってもらうために、布団の上に座る猫さんさらに布団で周りに壁を作り、徐々に距離を詰めていき、最終的にはくるんでやった。ほかほかあったか。しばらく動かなかったので、暖かさを実感してたんだと思う。

そこで今日、早速その効果が現れた。枕元に来た猫さんに、布団の入口を開けてやると、暖かい洞窟に吸い込まれていった。

完全勝利

そのまましばらく猫さんと布団タイムを楽しんだ。

そんな2020年クリスマスイブ

………

投稿せずに残っていたので、もう暖かくなってきたけど投稿する。そんな猫さんは、今では布団で一緒に寝ています

2021-03-22

孤独

当時私は二十五歳の青年で、丸まるの内うちのあるビルディングオフィスを持つ貿易商合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。実際は、僅わずかばかりの月給なぞ殆ほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ゆたかではなかったのだ。

 二十一から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。受持ちの仕事会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤そろばんだまをはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一いっぱし芸術が分る積つもりでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外ほかの店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。同僚達は、夜よな夜なカフェ廻りをやったり、ダンス場へ通かよったり、そうでないのは暇ひまさえあればスポーツの話ばかりしていると云った派手はでで勇敢で現実的な人々が大部分であったから、空想好きで内気者うちきものの私には、四年もいたのだけれど、本当の友達は一人もないと云ってよかった。それが一際ひときわ私のオフィス勤めを味気あじきないものにしたのだった。

 ところが、その半年ばかり前からというものは、私は朝々の出勤を、今迄いままで程はいやに思わぬ様になっていた。と云うのは、その頃十八歳の木崎初代が初めて、見習みならいタイピストとしてS・K商会の人となったかである木崎初代は、私が生れるときから胸に描いていた様な女であった。色は憂鬱ゆううつな白さで、と云って不健康な感じではなく、身体からだは鯨骨くじらぼねの様にしなやかで弾力に富み、と云ってアラビヤ馬みたいに勇壮うそうなのではなく、女にしては高く白い額に左右不揃いな眉まゆが不可思議な魅力をたたえ、切れの長い一ひとかわ目に微妙な謎を宿し、高からぬ鼻と薄過ぎぬ唇が、小さい顎あごを持った、しまった頬ほおの上に浮彫うきぼりされ、鼻と上唇の間が人並ひとなみよりは狭くて、その上唇が上方にややめくれ上った形をしていると、細かに書いてしまうと、一向初代らしい感じがしないのだが、彼女は大体その様に、一般美人の標準にはずれた、その代りには私丈けには此上このうえもない魅力を感じさせる種類の女性であった。

 内気者の私は、ふと機会を失って、半年もの間、彼女言葉も交わさず、朝顔を見合わせても目礼さえしない間柄であった。(社員の多いこのオフィスでは、仕事共通ものや、特別に親しい者の外は、朝の挨拶などもしない様な習わしであった)それが、どういう魔(?)がさしたものか、ある日、私はふと彼女に声をかけたのである。後になって考えて見ると、この事が、いや私の勤めているオフィス彼女入社して来たことすらが、誠に不思議めぐり合せであった。彼女と私との間に醸かもされた恋のことを云うのではない。それよりも、その時彼女に声をかけたばっかりに、後に私を、この物語に記しるす様な、世にも恐ろしい出来事に導いた運命について云うのである

 その時木崎初代は、自分で結ゆったらしい、オールバックまがいの、恰好かっこうのいい頭を、タイプライターの上にうつむけて、藤色セル仕事着の背中を、やや猫背にして、何か熱心にキイを叩たたいていた。

HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI ……

 見ると、レタペーパの上には、樋口ひぐちと読むのであろう、誰かの姓らしいものが、模様みたいにベッタリと並んでいた。

 私は「木崎さん、御熱心ですね」とか何とか云うつもりであったのだ。それが、内気者の常として、私はうろたえてしまって、愚かにも可成かなり頓狂とんきょうな声で、

樋口さん」

 と呼んでしまった。すると、響ひびきに応じる様に、木崎初代は私の方をふり向いて、

「なあに?」

 と至極しごく落ちついて、だが、まるで小学生みたいなあどけない調子で答えたのである彼女樋口と呼ばれて少しも疑う所がないのだ。私は再びうろたえてしまった。木崎というのは私の飛とんでもない思違おもいちがいだったのかしら。彼女彼女自身の姓を叩いていたに過ぎないのかしら。この疑問は少しの間私に羞恥しゅうちを忘れさせ私は思わず長い言葉を喋しゃべった。

あなた樋口さんて云うの? 僕は木崎さんだとばかり思っていた」

 すると、彼女も亦またハッとした様に、目のふちを薄赤くして、云うのである

「マア、あたしうっかりして。……木崎ですのよ」

「じゃあ、樋口っていうのは?」

 あなたのラヴ? と云いかけて、びっくりして口をつぐんだ。

「何なんでもないのよ。……」

 そして木崎初代は慌あわてて、レタペーパを器械からとりはずし、片手で、もみくちゃにするのであった。

 私はなぜこんなつまらない会話を記したかというに、それには理由があるのだ。この会話が私達の間にもっと深い関係を作るきっかけを為なしたという意味ばかりではない。彼女が叩いていた「樋口」という姓には、又彼女樋口と呼ばれて何の躊躇ちゅうちょもなく返事をした事実には、実はこの物語根本こんぽんに関する大きな意味が含まれていたかである

 この書物かきものは、恋物語を書くのが主眼でもなく、そんなことで暇どるには、余りに書くべき事柄が多いので、それからの、私と木崎初代との恋愛の進行については、ごくかいつまんで記すに止とどめるが、この偶然の会話を取交とりかわして以来、どちらが待ち合わせるともなく、私達はちょくちょく帰りが一緒になる様になった。そして、エレベーターの中と、ビルディングから電車停留所までと、電車にのってから彼女巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、僅わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。間もなく、私達は段々大胆になって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷ひびや公園に立寄り片隅かたすみのベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町おがわまちの乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入はいり、一杯ずつお茶を命じる様なこともあった。だが、うぶな私達は、非常な勇気を出して、ある場末ばすえのホテルへ這入って行くまでには、殆ど半年もかかった程であった。

 私が淋さびしがっていた様に、木崎初代も淋しがっていたのだ。お互たがいに勇敢なる現代人ではなかったのだ。そして、彼女容姿が私の生れた時から胸に描いていたものであった様に、嬉しいことには、私の容姿も亦また彼女が生れた時から恋する所のものであったのだ。変なことを云う様だけれど、容貌については、私は以前からややたのむ所があった。諸戸道雄もろとみちおというのは矢張やはりこの物語重要な役目を演ずる一人物であって、彼は医科大学卒業して、そこの研究室である奇妙な実験従事している男であったが、その諸戸道雄が、彼は医学生であり、私は実業学校の生徒であった頃から、この私に対して、可成かなり真剣な同性の恋愛を感じているらしいのである

 彼は私の知る限りに於おいて、肉体的にも精神的にも、最も高貴ノーブルな感じの美青年であり、私の方では決して彼に妙な愛着を感じている訳ではないけれど、彼の気難しい撰択に適かなったかと思うと、少くとも私は私の外形について聊いささかの自信を持ち得うる様に感じることもあったのである。だが、私と諸戸との関係については、後に屡々しばしば述べる機会があるであろう。

 それは兎とも角かく、木崎初代との、あの場末ホテルに於おいての最初の夜は、今も猶なお私の忘れ兼かねる所のものであった。それはどこかのカフェで、その時私達はかけおち者の様な、いやに涙っぽく、やけな気持ちになっていたのだが、私は口馴れぬウィスキイをグラスに三つも重ねるし、初代も甘いカクテルを二杯ばかりもやって、二人共真赤まっかになって、やや正気を失った形で、それ故ゆえ、大した羞恥を感じることもなく、そのホテルカウンタアの前に立つことが出来たのであった。私達は巾はばの広いベッドを置いた、壁紙にしみのある様な、いやに陰気な部屋に通された。ボーイが一隅の卓テーブルの上に、ドアの鍵と渋茶しぶちゃとを置いて、黙って出て行った時、私達は突然非常な驚きの目を見交わした。初代は見かけの弱々しい割には、心しんにしっかりした所のある娘であったが、それでも、酔よいのさめた様な青ざめた顔をして、ワナワナと唇の色をなくしていた。

「君、怖いの?」

 私は私自身の恐怖をまぎらす為に、そんなことを囁ささやいた。彼女は黙って、目をつぶる様にして、見えぬ程に首を左右に動かした。だが云うまでもなく、彼女も怖がっているのだった。

 それは誠に変てこな、気拙きまずい場合であった。二人とも、まさかこんな風になろうとは予期していなかった。もっとさりげなく、世の大人達の様に、最初の夜を楽しむことが出来るものと信じていた。それが、その時の私達には、ベッドの上に横になる勇気さえなかったのだ。着物を脱いで、肌を露あらわすことなど思いも及ばなかった。一口に言えば、私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、已すでに度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に、ぎこちなく両足をブラブラさせながら、殆ど時間もの間、黙っていたのである

「ね、話しましょうよ。私何だか小さかった時分のことが話して見たくなったのよ」

 彼女が低い透き通った声でこんなことを云った時、私は已すでに肉体的な激しい焦慮を通り越して、却かえって、妙にすがすがしい気持になっていた。

「アア、それがいい」私はよい所へ気がついたと云う意味で答えた。

「話して下さい。君の身の上話を」

 彼女身体を楽な姿勢しせいにして、すみ切った細い声で、彼女の幼少の頃からの、不思議な思出おもいでを物語るのであった。私はじっと耳をすまして、長い間、殆ど身動きもせずそれに聞き入っていた。彼女の声は半なかば子守歌の様に、私の耳を楽しませたのである

 私は、それまでにも又それから以後にも、彼女の身の上話は、切れ切れに、度々たびたび耳にしたのであったが、この時程感銘かんめい深くそれを聞いたことはない。今でも、その折の彼女の一語一語を、まざまざと思い浮うかべることが出来る程である。だが、ここには、この物語の為には、彼女の身の上話を悉ことごとくは記す必要がない。私はその内から、後にこの話に関係を生じるであろう部分丈けを極ごく簡単に書きとめて置けばよい訳である

「いつかもお話した様に、私はどこで生れた誰の子なのかも分らないのよ。今のお母さん――あなたはまだ逢わないけれど、私はそのお母さんと二人暮ぐらしで、お母さんの為にこうして働いている訳なの――その私のお母さんが云うのです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪川口かわぐちという船着場ふなつきばで、拾って来て、たんせいをして育て上げた子なのだよ。お前は汽船待合所の、薄暗い片隅に、手に小さな風呂敷包ふろしきづつみを持って、めそめそと泣いていたっけ。あとで、風呂敷包みを開けて見ると、中から多分お前の先祖のであろう、一冊の系図書けいずがきと、一枚の書かきつけとが出て来て、その書きつけで初代というお前の名も、その時丁度ちょうどお前が三つであったことも分ったのだよ。でもね、私達には子供がなかったので、神様から授さずかった本当の娘だと思って、警察手続てつづきもすませ、立派にお前を貰もらって来て、私達はたんせいをこらしたのさ。だからね、お前も水臭い考えを起したりなんぞしないで、私を――お父さんも死んでしまって、一人ぼっちなんだから――本当のお母さんだと思っていておくれよ。とね。でも、私それを聞いても、何だかお伽噺とぎばなしでも聞かせて貰っている様で、夢の様で、本当は悲しくもなんともなかったのですけれど、それが、妙なのよ。涙が止めどもなく流れて仕様がなかったの」

 彼女の育ての父親が在世ざいせいの頃、その系図書きを色々調べて、随分本当の親達を尋たずね出そうと骨折ったのだ。けれど系図書きに破けた所があって、ただ先祖名前や号やおくり名が羅列られつしてあるばかりで、そんなものが残っている所を見れば相当の武士さむらいの家柄には相違ないのだが、その人達の属した藩はんなり、住居なりの記載が一つもないので、どうすることも出来なかったのである

「三つにもなっていて、私馬鹿ですわねえ。両親の顔をまるで覚えていないのよ。そして、人混みの中で置き去りにされてしまうなんて。でもね。二つ丈け、私、今でもこう目をつむると、闇の中へ綺麗きれいに浮き出して見える程、ハッキリ覚えていることがありますわ。その一つは、私がどこかの浜辺の芝生の様な所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤あかさんと遊んでいる景色なの。それは可愛い赤さんで、私は姉ねえさまぶって、その子のお守もりをしていたのかもしれませんわ。下の方には海の色が真青に見えていて、そのずっと向うに、紫色に煙けむって、丁度牛の臥ねた形で、どこかの陸おかが見えるのです。私、時々思うことがありますわ。この赤さんは、私の実の弟か妹で、その子は私みたいに置去りにされないで、今でもどこかに両親と一緒に仕合せに暮しているのではないかと。そんなことを考えると、私何だか胸をしめつけられる様に、懐しい悲しい気持になって来ますのよ」

 彼女は遠い所を見つめて、独言ひとりごとの様に云うのである。そして、もう一つの彼女の幼い時の記憶と云うのは、

「岩ばかりで出来た様な、小山があって、その中腹から眺めた景色なのよ。少し隔へだたった所に、誰かの大きなお邸やしきがあって、万里ばんりの長城ちょうじょうみたいにいかめしい土塀どべいや、母屋おもやの大鳥おおとりの羽根を拡ひろげた様に見える立派な屋根や、その横手にある白い大きな土蔵なんかが、日に照てらされて、クッキリと見えているの。そして、それっ切りで、外ほかに家らしいものは一軒もなく、そのお邸の向うの方には、やっぱり青々とした海が見えているし、その又向うには、やっぱり牛の臥た様な陸地がもやにかすんで、横よこたわっているのよ。きっと何ですわ。私が赤さんと遊んでいた所と、同じ土地景色なのね。私、幾度その同じ場所を夢に見たでしょう。夢の中で、アア又あすこへ行くんだなと思って、歩いていると、きっとその岩山の所へ出るに極きまっていますわ。私、日本中を隅々まで残らず歩き廻って見たら、きっとこの夢の中の景色と寸分違わぬ土地があるに違いないと思いますわ。そしてその土地こそ私の懐しい生れ故郷なのよ」

ちょっとちょっと」私はその時、初代の話をとめて云った。「僕、まずいけれど、そこの君の夢に出て来る景色は、何だか絵になり相そうだな。書いて見ようか」

「そう、じゃあもっと詳しく話しましょうか」

 そこで、私は机の上の籠かごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、備そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸景色を描いた。その絵が丁度手元に残っていたので、版にしてここに掲かかげて置くが、この即席そくせきのいたずら書きが、後に私にとって甚だ重要な役目をつとめてくれ様などとは、無論その時には想像もしていなかったのである

「マア、不思議ねえ。その通りですのよ。その通りですのよ」

 初代は出来上った私の絵を見て、喜ばしげに叫んだ。

「これ、僕貰もらって置いてもいいでしょう」

 私は、恋人の夢を抱いだく気持で、その紙を小さく畳たたみ、上衣うわぎの内ポケットしまいながら云った。

 初代は、それから又、彼女物心ついてからの、様々の悲しみ喜びについて、尽きぬ思出を語ったのである。が、それはここに記す要はない。兎とも角かくも、私達はそうして、私達の最初の夜を、美しい夢の様に過すごしてしまったのである。無論私達はホテルに泊りはしないで、夜更よふけに、銘々めいめいの家に帰った。

2021-03-18

キチガイフェミって普段は誰にも相手されないのがオタク攻撃してりゃ相手してもらえるってのに味しめたよな

オタク側もキチガイがそれなりにいるか

妖怪大戦争になってるし

社会だと生暖かい視線

腫れ物扱いされてるようなのが

被害を広域に撒き散らすのがネットの悪い面だと思うしどうにかならんもんかと思う。

2021-03-15

夜食べたラーメンに涙が溢れてきた

仕事家族もいろいろと限界に近かった。

 

今日家族が所用でいない。自分、一人だ。仕事から帰ってきて、適当に夕食作って、チューハイの蓋を開けようと思った時に、そうだ飯食ったらどっか行こうと思いついた。ストゼロをそのまま冷蔵庫に戻した。

飯食べたら、着替えだけもって自転車スーパー銭湯へ向かった。家族が車使っているので、クロスバイクしかない。

数年前にできたスーパー銭湯入り口前で案内を見ると、岩盤浴プランだとリクライニングコーナーでゆっくりできるらしい。クーポンだと1,500円ぐらいなので、ちょっと贅沢してみることにした。岩盤浴は初めてだ。

 

風呂に軽く入って、館内着に着替えて岩盤浴コーナーへ。おっさん一人で浮かないだろうかと心配したが、老若男女、そして家族から一人からカップルから友達までと色々な人がいて、おっさん一人でも問題なさそうだ。

とりあえず眠いので、リクライニングで一時間ほど仮眠する。さて初めての岩盤浴へ。見様見真似でスタートする。徐々に温まってくる。15分ぐらいすると汗びっしょりである。そしたら涼しい部屋へ直行する。

あーなんか気持ちいい。またリクライニングで仮眠して、今度はロウリュウなるものすごい温かい風が当たるのを体験。お兄さんが暖かい風を当ててくれる。皆で拍手して、なんか一体感あっていいな。

岩盤浴しかった。なんか疲れがだいぶ取れた気がする。

 

さて帰ろうかと思ったが、腹が若干減ってきた。帰って、インスタント食品でも食べようかと思ったが、緊急事態宣言も終わったし夜のラーメン屋も悪くないなと思って、Googlemapで検索すると幹線道路沿いに行けば夜遅い時間でもあいている。

さっそく直行する。こんな時間だが、会社帰りのスーツ姿のリーマン若いカップル、よく分からんおっさんと繁盛している。

ラーメン。美味しい。学生時代部活夜遅くまで残った時に、よく食べに行ったラーメンと似ていて、なんか懐かしい気分になった。もう戻れない日々だけど、本当に楽しかった。

毎日あーだこーだ集まってたのに、もう集まることは人生で一回もないんだもんあ。懐かしいな。完全にウルウルきてしまった。

780円のラーメン。すんげー美味しいっていうわけでもないけど、なんか幸せな気分にさせてくれるラーメンだった。有難う。

 

明日からもがんばります。何ヶ月分かのエネルギーは充電できた気がする。

帰りにハーゲンダッツ買って食べています。2500円ぐらいで、久々に幸せを感じれました。

 最近年度末進行で帰宅がこんな時間だ。家にあるインスタント食品休みの日にイヤイヤ作った作り置きを貪り、シャワーおざなりに浴びて、布団にくるまっていると涙が出てくる。

 こんな時に、可愛いお嫁さんがいたら、と夢想する。家に帰ると明かりがついてて、部屋は暖かいキッチンにはお嫁さんがいて、ビールを飲んで待ってると体に優しい野菜たっぷり使われた和食なんかが出てくる。テーブルに2人でついて、気持ちの優しいお嫁さんが「今日はどうだった?大変だった?」なんて聞いてくれるから仕事が終わらないだとか上司が無茶しか言わないとか愚痴を言う。そのあとはわかしてもらったお風呂にゆっくり入って、ほかほかのままベッドに入って、となりには柔らかくていい匂いがするお嫁さんがいる。そして、おやすみなさい、明日も頑張ろうね、なんて言ったくれたらどんなにいいか

 驚くべきことに、こんなことを夢想しているのはヘテロセクシャルの女だ。女の私でさえ激務にやられるとこんな旧時代的なジェンダー感のお嫁さんを求めてしまうのだから男性はいわんやだろう。このまま満たされない日々が続くと、内面KKOになりそうで怖い。

春は自殺者増えるんじゃない?

私躁鬱傾向の病識があるのだけど(未診断)、

最近暖かくなって気分が良くて、うっかり自殺してしまいそうになる。

冬の寒いときは「何もしたくない…私には生きている価値がない…死にたい…何もしたくない」という感じで、それはそれはしんどい気分だった。

今は「暖かい…!何でもできちゃう…!私には価値がないしそうだ死ねばいいのでは…!(いやさすがにそんなことない)」みたいな気分。

冬はそれはそれはしんどかったが、今もなんか違うベクトルしんどい

春は環境が変わる時期だからかな。

5月くらいになって環境が落ち着いたら私の気分も落ち着くかな。

お仕事頑張る。

anond:20210315115115

福祉は助けることが目的制度だけど、KKOの嫁にはKKOを救う義務はないからな

「金を入れてくれて暖かい飯をつくってくれて承認欲求も満たしてくれるダッチワイフ」が嫁だと思ってんだろうな

2021-03-14

ネットって女の性欲に優しいよね

女→男の構図でもそうだけど、女→女でも見る目が暖かいのってすげー違和感

なんかガチレズの人が惚れた女の子に強引に迫った時のレポをツイッターで報告してたけど、それっておっさんの性欲となんか違うの?リプ欄では「尊い…」とか「上質な百合ごちそうさまです」みたいな気持ち悪い人がいっぱいいたけど

なんでよ?

2021-03-09

シンエヴァ人間讃歌だ

シンエヴァを見た後の感想です

設定の考察とかはありません

テレビから劇場版コミックも見てます

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第3村あたりでは鬱状態シンジとトウジや委員長ケンスケとの対比から、いい加減子供のままじゃなく大人になれっていう喝入れのメッセージかと思ったね

もういい年だろ、そろそろエヴァから離れて自分人生を歩めみたいな

カーク船長(役の)「自分人生を持て。あれはただのテレビ番組だ」

のような

違った

これはそのままでも受入れてくれる

誰かが見てくれている

守ってくれていることを伝えたいのだ

世話焼きおばちゃん達がしきりにアヤナミを気にかけていて分かりやすいが、人と繫がり助け、助けられる、関わり合っている

旧劇では感じられなかった暖かいメッセージ性がある

決して押し付けがましくないよう、でも分かりやすく人と関わっていくことが人生だと発露したかったんじゃないか

「まだエヴァ見に来てるの?早く大人になりなよ。」 

みたいなメッセージを受け取ってしまった人がいたことは他人事ながら悲しいというか悔しいというか無念である

「あー、君は分からなかったんだ。」

というネガマウントではなく、本当に惜しいというかこの人間っていいよね感を。

分かれとは言わない、でもいいと思ってる人も、実際にいい人も君の周りにいる、出てくるんだと伝わってほしい。

きっと庵野はそういう人にこそ人はいいよと伝えたくて

描かれたままを素直に受け止めてほしかった

シンジは切り捨てられたように見えて、皆から気をかけられ、陰日向なく意識を向けられている。

でも意識を向けられているのはスクリーンを見ている自分も同じで

1人ずつ大小、山谷、深浅あれど1人でやれてきた奴はいなくて必ず人と関わってきた

そんなやつ誰もいなかった!

という声を、25年前の自分はあげていた

そこで死んでればそのとおりだったかもしれないが

死ぬでもなく生きてしまヘば誰かに支えられてきたことにバカでも気づく

庵野も大変な思いをして、のりこえてテレなく作品にすることができたんじゃないか勝手に思う

シンエヴァ物語としての決着をつけつつ

ずっとエヴァを追ってきた人へも

自分のためにも作りきったのが新劇場版

さらば、全てのエヴァンゲリオン

ありがとう庵野

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