はてなキーワード: 儒教とは
この増田を書く人は現在大学生という身分であり、自分がワクチン接種を一刻も早く受けたいという気持ちを完全に殺して書いているわけではないという点をまず初めに断っておく。もしかしたら自分のリサーチ不足や誤った認識に基づいて文章を書いてしまっているかも知れないので、もしそういった事があればコメントで指摘していただけるとありがたい。
高齢者にワクチン接種を優先するのはコロナの重症化・死亡リスクが高いから。一般的にはそう言われている。国民の大半はそれにたいして疑問を持っていないかも知れないが、1周も2周も捻くれている自覚のある私はそうは思えない。
厚生労働省が2021/1/6に出した、[新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)](https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000716059.pdf) を見ると、男性の方が女性より死亡率が高いことが読み取れる。私は統計学に明るい人間ではないので、交絡・バイアスが紛れ込んでいる可能性を完全に否定することは出来ないし、これが有意差であるかどうかも分からない。ただ、高齢者にワクチン接種を優先するのも具体的に何%重症化・死亡リスクが高いからで、高齢者にワクチン接種をn日早めるとどれだけの人命が守られるからだ、といった数字ベースの話はしていない。(と、少なくとも報道を見る限りそう捉えられる。)つまり、男性に優先接種等の措置を行わないのに、高齢者に優先接種を行うことは、なにか違う意図(例えば、高齢者の票を確保したい政治家の魂胆)があるのではないかと私は疑ってしまう。もちろんこのご時世に性別で差異を設ければ世間の批判を浴びることは疑いようがないし、そういったことを避ける意図として性別による優先接種を行わないのだという反論も一理ある。では何故年齢による優先接種は差別に当たらないのだろうか。そもそも差別とはなにかという話からしなくてはならない気がするが、「自分では変えようがない要素によって理不尽な扱いを受ける」というのが(あくまでも私の中での)差別の定義である。その定義に従えば、生年月日(年齢)は自分では変えようのない属性であることは明らかであるし、その要素によって不遇な扱い(ワクチンを早く接種出来ない)を受けていることは間違いない。これが差別だとなされないのは、若者がそれを差別だと認識させないような社会を、そういった社会を望む者たちに構築されてきたからではないのかと思うのだが、社会を捉える目が穿ちすぎだろうか。差別する側はそれを差別だと気づかないのは当たり前の話として存在するとは思うが、差別されている側もそういった年上優遇の社会を「儒教の教えだから」、「年功序列だから」といったような浅い理由で受け入れてしまっているのではないか。
コロナ禍の日本において、世代間の分断はさらに広まったと思う。もともと医療費や年金といった負担が現役世代に重くのしかかっている上に、高齢者の運転者が事故を起こしたりしていた。それでも政治家は投票率が高く母数の多い高齢者の優遇政策を辞めない(と、少なくとも私にはそう見えてしまう)。コロナ禍では、「若者は外出を控えて」だの「卒業旅行はナシ」だの言われ続けた。ただでさえ卒業式、入学式、成人式など「一生に一度」の機会が失われ続けた人が多い。それにも関わらず、議員が会食したり公務員が飲み会を開いたりしていた。確かに入学式とか形式だけの挨拶が行われるだけだし、行っても行かなくても人生に大きく影響を与えるものではない。しかしながら、逃がした魚は大きいとあるように、我々にはその失われた入学式が重要なものであったと思えてしまうのだ。
若者の貴重な日々が奪われ続けていると言ったのは、このような非日常なイベントのみを差しているわけではない。ただの日常だって、中学・高校は3年間しかないし、大学も4年間しかない。そのうちほぼ2年が失われようとしているわけで、うん十年と社会人生活を続けるうちのたった2年を失われるのとは訳が違う。ジャネーの法則と呼ばれる法則をご存知だろうか。生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例するというものだ。(Wiki調べ) それによれば、15歳にとっての1ヶ月は45歳にとっての3ヶ月と(少なくとも心理的時間間隔においては)等価値なのである。だからこそ若者に対しては一刻も早くワクチン接種を受けさせるべきだと私は思っているし、中学生から集団接種をバンバン始めるべきだと思っている。
だからこそ[京都 伊根町 中学生の集団接種 抗議殺到で変更へ 被害届も検討](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210609/k10013075961000.html) みたいな記事は胸クソ悪いし、萩生田光一の「基本的に、小中学生は集団接種を前提には考えていない。12歳以上の接種が可能だという通知が出ているが65歳まで終わったら、その次の年代や、基礎疾患のある方を優先的にやるべきで、ある自治体が『すべて終わったから、子どもたちにも打つ』というのは、やや順番が違うのではないか」という発言に対してはクソ反感を覚える。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210607/k10013072451000.html) 彼、若者の敵になるような発言しかしない印象がある。本当に文部科学大臣か?
何がオリンピックだよ、なんで小中学生をオリパラ観戦させるんだよ、希望者接種完了11月?ふざけるなよ。15歳の中学生がこれから更に半年待たないと打てないということは、75歳の高齢者が2年半ワクチン待たされているのと同義なんだよ。そもそも短い学生生活をワクチンを打てない不安の中過ごさせる日々を少しでも短くしてほしいのはもちろんだし、ワクチン接種が打ち終わらないのにオリンピックをやることにも納得出来るわけがない。オリンピックで感動を届ける、別にそれ自体を悪く言うつもりはないけれど、なんでそんなものに命賭けなくちゃいけないんですか。大半の政治家は高齢者でオリンピックの時期にはワクチン接種が完了しているから高みの見物なんだろうけれど、希望者にすらワクチンが行き渡っていない状態でオリンピックを開催することに賛成できるわけないでしょう。そもそも水際対策すらまともに出来ていなかったせいでアルファ株もベータ株も日本に来ちまってるじゃねーか。ほとんどの学生が不安を抱えながら夏休みを迎えることになる。流行期には悪者扱いして、ワクチン接種では後回しにするんじゃ若者の苛立ちは募る一方なんだよ。せめて最後くらいはいい思いをさせてやってくれや。ワクチン接種が夏休みまでに受けられなかったら安心して海やプールに行けねえんだよ私たちは。学生の夏休みなんて数えられるくらいしかないのに、政府の対応のせいで1回ならず2回も奪う気なのかよ。
地方自治体によっては若い世代に早めに接種するらしいけど、うちはそうじゃねぇ。成人式も適当だったこんな市長には次投票するつもりはないけれど、どうせまた再選するのだろうという絶望感がある。どうせなら国に早く学生にワクチンを打たせるような指針を打ち出して欲しかった。
東京・大阪の大規模接種会場が全国対応?ふざけるなよ。そんなの各地から首都圏にウイルスを集結させるようなもんじゃねぇか。次の世代に接種させろや。
何も私だって今更65歳以上の優遇を止めろとまでは言うつもりはない。そんなことをしたらまず混乱が生じるし、政治家だって選挙で勝てないようなことをわざわざ進んでするようなことはしないだろう。私のささやかな願いとしては、余りでいいから、キャンセル分でいいから、いち早く年齢を問わず希望者に接種出来るような体制にしてほしい。
弱者男性周りって、正しく価値観のアップデートが必要になる案件なんだよね。
基本的に弱者とされてきたのって女子供なわけで、これはもう覆しようのない事実なわけじゃん。
だってタイトルみたいな台詞を言ったら大多数の人間は共感するじゃん?
因数分解していけば、儒教だの仏教だのっていう宗教から社会やら歴史の話になるんだろうけど、
とにかく、今この時点で「女子供に手を出すやつは許せねえ…!」って台詞があったら、常識人は「その通りだ!」って思うわけですよ。
その常識を変えなきゃいけない。これは大変なことですよ。
もうすこし拡大すると、「女子供、お年寄り、犬や猫に手を出すやつが俺は嫌いなんだ!」って台詞なら共感できるよね。
だってそれは、女子供、お年寄り、犬や猫はか弱い、守るべき対象だってみんな認識しているから。
それが常識ってやつだ。
「女子供、それに弱者男性に手を出すやつは許せねえ…!」って違和感バリバリの台詞に、みんなが共感するようにならないといけない。
というか、「女子供に手を出すやつは~」って台詞そのものが、意図的に成人男性を除外しているような発言だから、所謂ポリコレ的に正しくない発言になってしまう。
これは大変なことだよ。「なにそれめんどくさい」ってなる話なんだよ。そういう根本的な、我々に遍在する意識を変えていこうって話なんだよな。
ロビー活動の一環として、創作物にケチつけたりする必要すらあるかもしれない。
フェミニズムってのは、そういうめんどくさくて厄介な行動をし続けたからこそ、現在問題になってるわけだ。
だからこそ、この話は所謂フェミ含む弱者ビジネスへのカウンターとしても機能してしまう。ややこしいね。
まあ何が言いたいのかっていうと、話が大きくなったらどんどんめんどくさい方向にしか転ばないと思うけど、みんな頑張ってねってこと。
どこが先進国のトレンドだよ。まず先進国は各々の自由を可能な限り尊重することが生産性に結びつくと、支援策多めだが。先進国の中でも一段と少子化がひどいぞ。
日本は政府が何もしないのが望ましく、弱いやつは同調圧力で偉いやつの言うことを聞けとばかりの新自由主義と腐った儒教が混ざった庶民にとっては最悪の社会。
それでいて庶民の大半は貧しくなってしまったが、大学も生かせられないと子供が確実に不幸になるからと子供を産まなくなった社会。
新自由主義を捨てて、必要な支援策を一つ一つ増やして、何よりも金融緩和と財政出動と税誘導で経済を上げて労働需要を上げて労働賃金を上げることだわ。
要は目上の者に逆らわないってことでしょ? ただの儒教じゃん。
これは、もうはっきり言って日本だけの現象と断言していいのだが、
なぜか日本のフェミニストの主流派は母親による虐待や嬰児殺害を擁護するのだ。
先日も信田さよ子が虐待する母親は実は被害者で、責められるべきではないと徹底的に擁護している。
しかし、海外(私の知る限りフェミニスト団体が広く活動している地域。例えばアメリカ合衆国や北欧諸国)では、
児童虐待をする母親は厳しく批判されている。儒教が浸透している韓国でさえ児童虐待には厳しい。
日本でも『父親による』虐待にはとにかく厳しいため実父による心中以外の虐待死は2003年に28%だったものが
2016年には8.2%まで減少している(ちなみに実母交際相手による虐待死は4%から2%まで減少)が、
数字を見てもらえればわかるが、日本はそもそも実母による虐待が異常に多い国なのだ。
私はここに答えが隠されている気がしてならないが、今後の研究が俟たれる。
「35歳を過ぎると徹夜できなくなるぞとか、40歳になると体力がガタっと落ちるぞ…」とよく聞くけど歳を重ねることで逆にどんなポジティブなことがあるのか、という話
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1660312
satovivi 年々、感情のコントロールがうまくなってきている気がする。10代20代のときは、もっとすぐにカッとなっていた。
それ、歳を重ねないと出来ないことじゃなくない?若くても落ち着いている人なんてゴマンといるし、あなたがおかしいだけでは。
若くても経験豊富な人もいるし、ガキみたいなおっさんもいるでしょ。50歳独身無職男性なんて存在自体が失敗だし他人に対して寛容もないよね。
nakakzs 若い時には恥ずかしくて死にたいレベルの失敗でも、ある程度の許容できるようになる。まあ人によって逆もあるかもしれんけど。
いやなんで歳とったら許容できるの?儒教なの?
mogu_mogu3 来月で40歳だけれど、毎日楽しいよ。 楽しいことが特になくても、「平穏が一番」としみじみ感じられるようになった。
若かったら「平穏が一番」としみじみ感じられないの?それ単に自分に嘘ついてるだけでは?
kiyo_hiko 金に余裕ができた、親ガチャの酷さを少なくとも収入面では取り返した。無理をしなくなった。用心深くなった。
あなたのスタートラインが人並み以下だっただけで普通の人は歳を重ねなくてもできてるよそれ。
lady_joker 私の場合は希死念慮の寛解。20代のころは鬱がひどくて何度も死にかけてたけど、加齢とともに和らいでいった。いまは毎日が楽しい
加齢のメリットがないからって無理に関連性をこじつけなくてもいいよ。加齢で希死念慮や鬱が和らぐなら医者はいらないね。
seabose ”時のたつのが早い”の副作用としてゲームの「NOW LOADING」が苦じゃなくなった。お茶飲んで待てるようになった。緊張時間が続きすぎると疲れてしまう。SSDどころかDVDROMのゲームでも行けるくらいだ。
若いときはゲームのロードをお茶飲んで待てなかったの?あなたが異常なだけでは?無理に嘘つかなくていいよ。
m50747 若い頃は寝付きが悪く、毎夜1時間くらい布団で格闘していた。 今は5分以内に意識が無くなる。目覚めもいいし、きっと基礎代謝の衰えのせいだと思う。
これも認知の歪みだよね。加齢や基礎代謝の衰えと寝付きになんの関連性があるわけ?そういう論文あるの?追跡調査でもしたの?
加齢との因果関係が不明なのに「歳を重ねて良いことあった!」と歪んだ認識(あるいは自分に嘘をついてる)をしているブクマカ達、大丈夫なのかな……
皆さん騙されてはいけません。
私も西軍が勝った世界線に住んでいますが、元記事は歴史修正主義者が書いた悪質なプロバガンダ増田です。
順を追って訂正していきます。
後述しますが、冒頭から近世日本の歴史観の中で最も悪質なミスリードです。
大名は「定着せず」ではなく「定着させなかった」が正確ですし、「関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎」は極めて恣意的な表現になります。
戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。
この部分はある意味で正しいですが、重要な事実が省かれています。確かに日本列島内での大名間の大きな争いは起きませんでしたが、関ヶ原後の豊臣氏はかつて秀吉が行った朝鮮出兵を再開したのです。
石田三成が中心になって行われたこの出兵、いわゆる「元和の唐入り」は簡単に言ってしまえば外敵を作ることによる諸大名の結束を図るものでしたが、結果として成功を収めてしまいます。
朝鮮半島を支配下に置いた豊臣政権は、万暦の三大征で国力を失っていた明との間に戦わずして講和条約を結びます。その後朝鮮半島は現在に至るまで日本の領地となっており、そのため元和の唐入りは対外戦争ではないという風潮(沖縄や北海道みたいな扱い)が強いのは事実ですが、現代人に都合のいい歴史観ではないかという議論は存在します。
こうしてアジア大陸に進出した日本が当時の国際貿易において強い存在感を発揮し商業により発展していくのも事実ですが、ここでも重要な部分の言及が省かれています。キリシタン大名と南蛮豪商の存在です。
当初は秀吉のバテレン追放令を引き継ぐ動きを見せていた豊臣政権ですが、交易の重要性が増すにつれてキリスト教宣教師の活動を制限することに無理が生じていきます。またこの頃、日本での貿易事業で一旗揚げようとポルトガルやスペインから移住してきた事業家、いわゆる南蛮豪商が急増したこともキリスト教信仰の活発化につながっていきます。
政権はなし崩し的にキリスト教を認めていくことになりますが、そうした流れで力を付けていくのがキリシタン大名です。彼らは表立って政権や4大大名と権力争いをすることはありませんでしたが、着実に海外とのコネクションを強めていき、国内キリスト教勢力の強固な後ろ盾となります。
武士がいなくなっていくにつれて神道や儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない
冒頭の部分にも関係して、ここも悪質なミスリードです。たしかに武士の消滅と神道や儒教の衰退は同時期に発生しましたが、そもそもこの2つ事柄に直接の因果関係はありません。
しかしこれらが同時に発生したのには明確な同一の原因があります。それが前述したキリシタン勢力の台頭なのです。
政権の貿易政策とキリスト教の容認に対して、元よりキリスト教と対立していた朝廷はもちろん、元東軍を中心とする従来の武家社会に重きを置く大名勢力は当然反感を高めていました。これは感情的な部分だけではなく、元西軍派が中心となった貿易事業の利益を享受できなかったという側面もあります。
そんな中、細川家、井伊家を中心として天皇を旗印に政権を打倒しようとする動きが見られるようになり、寛文になる頃には挙兵寸前まで緊張感が高まっていたと言われます。しかし、そのタイミングで寛文近江・若狭地震が発生し、天皇の住む京都も大きく被害を受け、挙兵どころではなくなってしまいます。
それに対してすかさず政権が取った対応は、表向き地震被害からの避難を理由にした江戸への遷都(寛文の遷都)でした。遷都といっても移ったのは天皇の住まいと形式上の朝廷の機能だけで、政権の機能は大阪を中心とした関西圏に残ったまま…つまり政権は目の上の単瘤だった朝廷を体よく遠ざけた形になります。元東軍はこれに乗じて江戸に集結・再度の挙兵を試みますが、キリシタン大名による牽制や南蛮豪商による経済的な妨害もあり叶うことはありませんでした。この頃から旧来の武家勢力や神道信仰は急激に衰退していくことになります。
ではこれで豊臣政権やキリシタン勢力の共同支配は盤石のものになったかといえばそういうわけでもありません。形式上の都である江戸やその近辺の関東では都野伏(みやこのぶせり)、隠れ神道といった形で反南蛮の勢力が生き残りつづけます。そして18世紀入ってしばらくした頃、天皇を不可侵の元首とする「大和帝国」として独立を果たします。その後も色々ありましたが、現代において大和帝国はの国際社会にも認められた独立国家となっています。そういう背景がありますので、現代日本の領土として残っている関東地方には「ほとんど人が住んでいないド田舎」という表現が当てはまりますが、関ヶ原当時の関東地方の大部分は現代においては大和帝国の領土となりますので、そこを隠すのは悪質で不誠実な表現であると言わざるを得ません。
徳川家康は関ケ原で討ち死に。徳川秀忠は切腹。両者の首は一条戻橋に晒される。徳川家は結城秀康が引き継ぐも実質滅亡。
その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。
関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
関ケ原の戦い後、小早川秀秋が関白になるも5年で病死。その後は豊臣秀頼が関白になる。日本は上杉、宇喜多、毛利、島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将の名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士は鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はの混乱を引き起こした元凶で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。交易で経済が発展しているので、日本のせまーい土地で米なんてものを作らせて税金を徴収するなんてバカなことは関ケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域の農民や労働者が蜂起して自治権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。キリスト教も新旧両派が認められ、仏教と二大勢力になっている。その後、ユダヤ教やイスラム教を信じる人も増えていく。武士がいなくなっていくにつれて神道や儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない。
19世紀になると大名が支配していた地域で労働者や農民の代表者からなる議会と豊臣を首班とする貴族からなる議会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府とかいうものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約は議会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカやヨーロッパの思想が日本語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューやロックの思想は自分たちのやっていることと大して変わらないということで学校で議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由に議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由に議論して学ぶのがメイン。この教育をきっかけに貴族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国と連合国家を形成する構想が何度も浮かぶ。アジア大陸では日本と同様、仏教とキリスト教がメイン。儒教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の社会主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟から連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きな戦争が起きる。武士のような強権的で野蛮な人間が早い時期にいなくなり、無駄な戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。
20世紀に入ると漸次的にアジア太平洋連合国家(APS)が形成されていく。APSはそれぞれの構成国で温度差はあるものの民主的な憲法を国民が制定した国家からなる。日本列島地域は力を失った貴族が政治的な実権を失い、国民代表からなる議会と各地域の代表者からなる元老院、APS議会に派遣される議員が存在している。ヨーロッパで発生したファシズムと戦う第二次世界大戦はこちらの世界でも勃発する。しかし、日本地域に強権的で野蛮な武士が存在しないこちらの世界では他国に侵略を行うようなことはない。APS含む連合国がイタリアのファシストとナチスドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、APSと共産圏、欧米諸国との間でイタリアとドイツを再建。アジア大陸では中国共産党とAPSの戦いが続くが、1964年に休戦。中華人民共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。APSは中東諸国に対する共産圏やアメリカの侵略からの防衛にあたり、友好関係を現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でも共産主義を譲らないソ連と意地でも資本主義を手放さないアメリカは1980年代になると衰退していく。インドや中東諸国が加入したことでAPSはアジア太平洋連邦共和国(FRAP)へと改組される。FRAPと欧州連合がアメリカとソ連の再建の中心となる。
21世紀に入ると世界はFRAP、欧州連合、北米連合、南米連合、アフリカ連合の連邦国家で構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東日本の野蛮な武士が支配権を握らなくてよかったと思ってる。