はてなキーワード: ランニングとは
リーボック好き。アディダス社から切り捨てられそうなので悲しい。
フューリーポンプは靴紐ではなくエアーで足にフィットさせる。デザインが奇抜だったりコラボが多かったりしていてリーボックじゃ一番有名だと思う。靴をメインに据えて服上下はきれいめにするファッションに使われがち。
フューリーライトはフューリーポンプの廉価版。ポンプ構造じゃなくてゴム紐なのでまぁスリッポンだな。軽くて歩きやすい上に脱着が楽。フューリーポンプよりはデザイン大人しめ。雨の日は使えない。スニーカー1足だけ残すとしたら自分はこれ、と思うくらい好き。
GLシリーズは昔のレトロランニングシューズをベースにしてる。GL3000と6000があって、前者はよりレトロ感ある(ちょっと安っぽい)。後者は現代っぽいデザインと素材で、個人的にはニューバランス並みに歩きやすい。ニューバランスの主要モデルよりカラバリあってかつ人気がないので人と被りにくい。人に薦めるならGL6000だな。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 83 | 11628 | 140.1 | 42 |
01 | 42 | 8178 | 194.7 | 53 |
02 | 28 | 10472 | 374.0 | 105.5 |
03 | 29 | 5881 | 202.8 | 52 |
04 | 11 | 1558 | 141.6 | 32 |
05 | 32 | 3165 | 98.9 | 52 |
06 | 31 | 3522 | 113.6 | 50 |
07 | 66 | 4328 | 65.6 | 40 |
08 | 132 | 21037 | 159.4 | 37 |
09 | 215 | 14154 | 65.8 | 35 |
10 | 201 | 16308 | 81.1 | 37 |
11 | 247 | 21206 | 85.9 | 36 |
12 | 250 | 15334 | 61.3 | 28 |
13 | 152 | 12857 | 84.6 | 33 |
14 | 184 | 17459 | 94.9 | 30 |
15 | 140 | 14300 | 102.1 | 49 |
16 | 124 | 16281 | 131.3 | 47 |
17 | 75 | 12428 | 165.7 | 57 |
18 | 99 | 9196 | 92.9 | 43 |
19 | 109 | 12742 | 116.9 | 54 |
20 | 182 | 16840 | 92.5 | 41.5 |
21 | 186 | 27012 | 145.2 | 40.5 |
22 | 157 | 15230 | 97.0 | 42 |
23 | 172 | 18727 | 108.9 | 41.5 |
1日 | 2947 | 309843 | 105.1 | 39 |
川淵(9), 6000人(4), ウイグルガー(3), 与田(4), IOC(3), かぼちゃワイン(3), アニキャラ(3), 東京一工(3), マッカーサー(3), カンナ(3), 政財界(3), ウイグル(19), 会長(22), 森(42), 五輪(22), 沈黙(10), 女性蔑視(10), 社会学者(11), ガイ(12), アスリート(7), クンニ(17), オリンピック(34), 舐め(32), 終息(10), 社会学(8), ✋(9), 通信(10), 開催(16), 中止(19), 偏見(15), 老人(27), 殺す(16), 殺人(11), 描く(16), てか(11)
■舐められ癖を直したい /20210211201449(22), ■あの森喜朗よりも明石家さんまが終わっていることを君たちはまだ知らない。 /20210211170348(20), ■自分は植物恐怖症です。というより、お前らなんで植物怖くないの?? /20210211214034(18), ■はてな民もツイッター民も政財界の見方が完全に間違ってる /20210212141037(18), ■3匹の子豚の三男が褒められる意味がわからない /20210211203344(17), ■「めちゃくちゃ舐められやすい」系統の女性はクソな男に毅然とした対応して問題なし /20210212104200(16), ■お前らって本という物体に対してだけ異常に過保護じゃない? /20210212190921(16), ■奥さんがキューピー以外のマヨネーズを買ってくる /20210211132546(12), ■大人になってから絵やイラストを描き始めた奴がむかつく /20210212140825(11), ■新疆ウイグル自治区に関する問題に触れられない。真の勇気を持っていなかった。 /20210212204335(10), ■次流行るのは音声版増田だ! /20210212115713(10), ■傲慢な高学歴として生きていく /20210212145802(10), ■ラーメン屋のチャーハン /20210212160558(10), ■(追記有)某プラモデルメーカーの転職面接を受け /20190110003736(9), ■5時から男って実在してたの? /20210207144811(9), ■「結婚した人間」の称号が欲しかった /20210211225624(9), ■サラッと交際するな〜ッ!!!!!!! /20210212172732(8), ■私の夫の年収は、父の年収の3倍です /20210212190536(8), ■ランニングしてたらいきなり男に「ご一緒していいですか」と並走された。の件 /20210212123248(7), ■マナーの悪い存在や口を挟む存在を「○○おじさん」と表現する風致 /20210212071556(7), ■モテと非モテで「告白」の定義が違う /20210211223216(7), ■65歳以上は潔く退職してほしい /20210212202601(7)
「ランニングしてたら、いきなりマスクしてない男に「ご一緒していいですか」と並走された。気持ち悪かった」みたいなツイートがバズってた。
https://twitter.com/kyaba_career/status/1359416069367107588?s=20
自分は非モテ男で(彼も恐らく非モテなんだろうけど)、「非モテは行動力が足りない」「とにかく、気になる相手には自分から話しかけろ」って意見が昨今多くて、「もし自分がこの男性と同じ立場でも、気になる相手ならこういう事やりかねないな」と思ってしまった。
女性も可哀想だけど、同じ非モテとして男の方にも同情してしまう自分がいる。恋すると盲目になってしまう事も重なって、努力のベクトルを間違えてしまうんだよな。更に配慮も足りないという、ダブルパンチ。
あと他にもこういうのがあるよ
https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2018/feature/20180223-OYT8T50014.html
高速アームカールおじさんとは、スポーツクラブのウェイトトレーニングエリアで2~4kgくらいの軽いダンベルを持って、高速でアームカールを2~3セットして適当に腹筋して、ランニングマシンやストレッチエリアに行くおじさんのことである。えてして、パワーラックとかスクワットラックとかの他の高重量トレーニングをするエリアや、意味もなくベンチを陣取ってシャカシャカ高速でアームカールをしている。さらにランニングマシンも高速でバタバタ音を立てて5分くらい騒音を立てて、他の高速仲間と無限に喋ってたり、他の女性会員にちょっかい出してたりする。
なぜ高速なのかも不明、どこを鍛えてるのかも不明、何故不要なパワーラック内やベンチ上でやるのかも不明、本当に謎のおじさんである。
たまに耳にするマッチングアプリでの
「国際ロマンス詐欺」っぽいものにまんまと引っかかりかけたので記念に残します。
自粛期間で某動画配信サービスで海外ドラマを見るようになり、海外ドラマ沼へ落ち、
最近はマッチングアプリで海外の方とも出会える、との噂を耳にして試しに登録しまして、
アプリ内では「〇〇ラブ」的なわかりやすくその国が好きだよー的なコミュニティにも登録していました。
だけど「語学の勉強になるかもなぁ」なんてチラッと思って(というのは言い訳で本当にかっこよかったから、が本音です)、ちゃっかり連絡取ってみたところ、あれよあれよとメッセージのやりとりが始まったのでした。
短い期間ですがいろいろやりとりをした中で
疑いを薄めるんだなあと気付かされました。
メッセージで送られてくる、自分の人生で耳にしたことがないような甘い言葉も
「日本以外の国はこんな感じなのかなぁ」って
気づいたら思っていたし(最初はベタ甘すぎだろwwwって半笑いだったはずなのに!)、
なんなら段々とめちゃくちゃときめきました。
愛されている、肯定されてる高揚感?
なんだったんだろうかあのときめきは。
一週間程度のあっという間のやりとりでしたが
そこであっけなく試合終了と相成りました。
たぶんそういうことだったんでしょう。
ただ、これで何より自分でも驚いたのが
この素敵な人に自分が本当に会うことになる…?
・鏡をよく見るようになる
・化粧を丁寧にするようになる
・サボってたランニングを再開した
と、自分の行動に変化がありました。
・恥をかく、ということが本当に苦手
・とにかく誰かから落胆されたくない
と、今まではあまり口に出した事がなかった自分の思考にも気づくことができました。
逃した魚はどうしても大きく思えますが、
書いたらすっきりしました。
真相はわからないし、もしかしたら私が本当に失礼なことを言ってしまったのかもしれないし、
それはもうわかりませんが
なんなら人生の伴侶も見つけられるよう
8000円くらいするゲームも、100時間遊べば1時間80円で遊べたことになる
それに対して映画館で見る映画なんかは、1800円を2時間で割って1時間900円とかで、かなりコスパは悪い
飯なんかもコスパ悪い
本は微妙で、通読は相当長い本じゃなきゃ5時間はかからないと思うが、値段はだいたい600〜1000円くらいはする
登山とかはどうなんだろうな……評価のしかたもかかる金の相場もわからん
旅行なんかは数日で数万吹っ飛ばすからコスパ良いとは言えなさそう
バードウォッチングなんかは初期投資さえすめば結構タダに近くていいのか?でも交通費はあるな
歩いてるのにマスクつけてるやつを眺めながら、マスクなしでランニングするの超気持ちいい
睨んでくるやつとか結構いるけど、ランニングは個人の自由だからね
でも横並びに歩いて俺の走り邪魔してくるやつとかにはソーシャルディスタンスを学んでほしい
ここに来る前は近所にトレーニングジムがあってそこに通っていたんだけど、田舎と言っていい場所なので周りにそういうものが無いので困った。
自重トレーニングの本を買ってやってみたけどどうもやる気が出ない。
シューズを買ってランニングを始めたらハマった。場所がちょっと山のほうなので都会のランと違ってとても気持ちいい。
通勤方法も自動車から、自転車→電車に変えてみたらなかなか快適。
健康維持はこれで良いなと思ったら、世話になってる親戚から「あまりそういうのは良くないよ」と注意をされた。
どういうこと?と思ったけどあまり話したがらないので色んな情報を総合して勝手に想像したんだけど。
どうもここではランニングとかしてると周りから「なんだあの野郎ひとりで勝手に健康になりやがって」と反感を買うのだと思う。多分。
以前ここでの大きな集まりに参加したときに、男は酒飲んでタバコ吸って仕事して太く短く生きるんだ みたいな価値観を感じたからそれが元ではないかと。
あと、良い年して自転車を使ってる奴はアタマがちょっとアレ、という扱いになるらしい。
◎前置き
X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。
いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。
・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている
この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。
何か災害や天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。
この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間を純粋に自分が満足するためだけに使うと想定する。
◎1日後に死ぬ僕
平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事な仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情を説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的に部長に有休申請を行うまでだ。
明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。
僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感の相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。
最後の1日を刹那的な快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的な快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後の食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事に時間と労力を割くのはもったいない。食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的な快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?
そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生を肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人に迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって、給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?
一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。
一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合は自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしまう事態は避けたい。
◎1か月後に死ぬ僕
1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金が必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。
別に誰かに命令されるわけでもなく、僕は自分の意志で一挙一動を選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ、身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場に就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。
1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記を処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。
口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金は社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金を寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。
僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。
そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。
◎1年後に死ぬ僕
1年残っているなら、少しはきれいに仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事の関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。
きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。
貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。
1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ、無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達と遊んだり、ランニングしたり、漫画やアニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画やアニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。
もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係の相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。
愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。
10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に、生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事に転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間を無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義な時間を過ごせるようにしたい。
例えばかなり無理をして、3-5年間ハードな場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか。
10年あれば、適当な理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?
◎30年後に死ぬ僕
10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやすい人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識と経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰な人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ。
残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣に検討する必要がある。
僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間は結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってわからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛や結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。
30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギーが必要なのかもしれない。そこそこのストレスや孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。
◎53年後に死ぬ僕
今29歳の僕は、52年後に日本人の平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生の計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老いた自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。
とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本の人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって、社会保険料と所得税と消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金が没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在の高齢者が受け取っているのと同等の価値の年金をもらうことは全く期待できない。
僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメや漫画を生み出す日本が大好きなので、できることなら日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外に移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。
◎あとがき
現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまりに空虚な自分の生活に一種の絶望を感じている。
そんな中いつものようにTwitterを目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分の生活を振り返ってみると、3か月後に自分が死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分が死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズムや断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。
とはいえ、それと同時に、自分の空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分の寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事や資格の勉強に時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。
平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプの人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。
僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。
新型コロナウィルス感染症は肺炎だから風邪より苦しいんだろうなと思うのでかかりたくない。
ただ、毎年インフルエンザにかかりたくないので冬はマスクや手洗いうがいしてたので、今もさほど変わらない生活をしている。
変わったのは周りがすごく過敏になってきたことくらいかな。外出自粛もその一つだと思って、目立つことはしないようにしている。
ただ一つムカつくのは、マスクせずランニングしてる人間を目の敵にする人達がいること。黙って走ってるランナーと一瞬すれ違っただけでエアロゾル感染するようなら、ウレタンマスクして対面で会話するのなんて恐ろしくてできないはずなのに、みんな気にしないじゃん。
こっちもゴタゴタ避けたいので人が少ない道を選ぶし、人とすれ違う時はかなり大袈裟に避けるか息を止めてるけどさ。
まぁ私は地方に住んでるのでそんなに過敏な人はあまりいないけど、都内だとマスクなしで走ってたら絡まれるんだろうなぁ…
今だけこんなふうになってるのが本当に気に食わない。
コロナは風邪とまで言わないけど、他にも重症化するかもしれない感染症(風邪含めて)はあるんだから、コロナがある程度収まってきても今と同じくらい個人での感染症対策しろよと思う。
でなきゃ腹の虫がおさまらない。
当方アラフォーおっさんでして、趣味はダイエット。太っては痩せを繰り返し、今や霜降りボディ。
今回もダイエットしてて18kg位落とした。主に糖質カットとランニングで。
ここで「サイクリングいいよ」とアドバイス貰ったので、中古で自転車(速そうなやつ)買って
走ってるんだけど、思ったより汗かかないし、痩せてる実感ない。
ランニングは9km/h位で週1-2、汗だくになるので「スッキリするし痩せたはず」と感じたんだ。
チャリは必死こいてペダル回して1h位走ってる。大体ランニングの2倍くらいの距離なので20kmくらい。
ランニングもチャリも、同じ1h運動したら費消カロリーは同じくらいなんだけど、チャリって本当に
どうなんだろか。
普段通り、外出時にマスクをつけ、帰宅時には顔と手を洗い、3密を避け、GoToせず、避けられない会食でも一口ごとにマスクを口にあて、トングに触らず、手すり・つり革を利用せず、カラオケではマスクを付けたまま小声で歌い、焼肉屋には一人で行き、入店時には手指消毒をかかさず、リモートワークをして、リモート飲み会をして、リモートUターンで実家に帰り、毎朝体温を測り、マスクを付けたまま朝のランニングをして、精神面・栄養面に気を払い、健康的な生活を心がけ、Twitterでは炎上や誹謗中傷に加担せず、はてブでは人気エントリーのコメント欄を開かず、増田では書くことしかせず、YouTubeではチル系の音楽か料理ASMRしか聴かず、自分でもレシピを試し、クックパッドでは投稿しかせず、切れ味の鈍くなった包丁はこまめに研ぎ、食材は宅配を利用して新鮮なうちに使い切り、それでも使い切れなかったものは鍋や甘酢の漬け物にして、取り箸は共有せず、ごはんですよには自分の箸でなく取る用のスプーンを用い、猫のごはんを用意するときにも手をよく洗い、猫とよく遊び、猫によく話しかけ、猫とともに寝起きして、また手を洗ってから猫のごはんを用意する生活を裸で送ったとしてそれで風邪をひくようなら、あなたのウイルス対策は不完全。感染力の高いコロナにさらされればほぼ感染するでしょう。