はてなキーワード: タクシードライバーとは
書籍を100冊よんだって実際コードかいてみないと本当に分かったことにはならない
プログラムを書いていくうちに、だんだんわかってくるもので、本や誰かにきいて一発でわかるようなものではないんじゃないかな
ということで、とりあえず分からないまま適当にやっとけ。っていうこと。
オブジェクト指向なんてなんのこっちゃわからないけど、こう書いとけばこう動くっていうのがあって、
タクシードライバーが車のエンジンの勉強するようなもんだ。アクセルふんで前に進めばおk
エラーでて失敗したところでちゃんと理解してわかればいい。最悪パソコンがぶっこわれるぐらいなもんで、誰かが死んだりはしない(とおもう)
まあ人にはそれぞれ琴線ってのがあるってことだろうよ
元増田にとっては「学が低くて」「訛りを恥ずかしいと思わない」「肉体労働者階級の」タクシードライバー、
つまりは地元の星、地元一の才媛、そんな自分より圧倒的に下層階級に属する輩と偏見を持って差別していた
田舎者から発せられた、典型的な、進歩的な都会ではあまり公には耳にすることのない「女なんだから」という
性差別な言説にまず驚き(差別してる側が差別されるってのは、いきなりだとかなりビビるからね)
さらにそれに呼応して、「自分の事を買ってくれていて」「自分と同じ進歩的な考えを持っていると思っていた」
つまりはファザコン対象だった父が、そのドライバーの言に乗るような言葉を吐いた事で二重に驚いた、て事だろう。
そこで「おい雲助野郎、性差別的な事言いやがってテメエ、協会に苦情入れっから覚えとけよゴラ!」とか、いらぬ
事を荒立てないのが大人の作法で、で元増田父はそれやっただけだっと思うけどね。
やっぱりそんな阿呆な元増田の言説が琴線に触れちゃったんだろうよ。
どういう琴線かは分からないけどな
ここで何書いたところで元増田を啓蒙するなんてできっこないし、
頭が回る方だそうなので多分、その程度の事が分かってない人ではないだろうから、
これは単純に「暇潰し」なんだろう
喧嘩ってのは日々の鍛錬が必要なんだよ
つまりは仕事に備えたシャドーボクシングみたいなもんじゃないかとか
なんかそういう物を感じるよ
少なくとも俺は楽しんだよ! 読んで嫌な思いした奴もいるだろうがそんなの慮ってらんないでしょ
タクシードライバーをやっている関係で、いろんな人と会話をする。
おねいちゃんや、ビジネスマン、小学生から高齢者、政治家や芸能人。だいたい天気のような他愛のない会話が多い。
少し前、少しイケていない感じの会社員が新宿に近い明治通りで乗せた。
客 乗っていきなり「話をきいてもらえますか?」
こんな話の切り出し方は初めてだ。「なんかあったんですか」
客『4月からいままで3ヶ月、会社で仕事を干されてしまったんです。雑用程度のことしかさせてくれなくなったのです。」
俺 理由もなくですか?
客 4月に風邪で辛くて休ませて欲しいと電話したら、認めてくれなかったのですが、私は出勤しなかったんです。
そしたら部長が怒って、私に仕事を与えるなという指示が出て、現在に至ります。
今の会社ひどい会社だと思いませんか。 実は転職するつもりでこれから面接なのです。
俺
僕が雪村に出会ったのは、大学の研究室の新入生歓迎会のときのことで、そのとき歓迎する側にいたのが僕で、歓迎される側にいたのがいっこ下の雪村だった。
彼女は、長くきれいな黒髪の落ち着いた女の子で、お嬢様という感じではないが、どこか品のある立ち居をしていた。
僕は彼女とは別のテーブルにつくことになり、でも彼女のことが気になったのでたまにそちらの方へ目をやったりしていたのだけれど、ちゃんと正面に座って話す機会は、ひとつ上の先輩がくれた。
「真田くん、ちょっとこっち来てよ」と先輩が僕を手招いて呼んだ。「この子エーティーフィールド張ってて、俺ひとりじゃキビシイよ」
それで僕は、彼女の向かいに座って話をした。雪村は聡明で、控えめで、微笑みながら人の話にうなずき続けることができるタイプの女性だった。
でも僕は自分のことが話したいわけではなくて、彼女のことが聞きたかった。僕はゆっくりと、何か自分と合うような話題がないかと探した。彼女の趣味は読書で、好きな作家は恩田陸(←「ああ、あのガチホモミステリの……」)。よく読むのは講談社ノベルス(←今にして思えば恩田陸は講談社ノベルスとあんまり関係ない気がする)。映画も好きで、好きな監督はスタンリー・キューブリック(←『バリー・リンドン』)とピーター・ジャクソン(←『乙女の祈り』)。ピクサーとジブリも好き。好きな漫画は『夢幻紳士』『百鬼夜行抄』『うしおととら』『タブロウ・ゲート』……。まともにやったゲームは『ファイナルファンタジーX』くらいで、時間のカウンタが止まるまでやって(←大学受験が終わってから暇だったようだ)、「全てを越えし者」を倒すところまではいったとか。あと何かのレースゲームは前に進めなくて諦めたという。
僕はといえば、好きな作家は星新一で、好きな映画は『ショーシャンクの空に』で、好きな漫画はジャンプとチャンピオンとヤングジャンプとヤングマガジンとスピリッツとモーニングだった。僕はその程度の文化パワーの人間だった。
雪村は本当に本が好きで、暇なときには一日一冊くらいのペースで読んでいた。「『雑食なのでなんでも読みます』とか言うやつは信用できねえよ。そういうやつは絶対に大して本を読んでない」と吐き捨てる友人が僕にはいたが、雪村は本当に雑食で、ノンフィクションを除けばなんでも読む女の子だった。小説も漫画も。
その新入生歓迎会の日は、友達が帰るというので、彼女もそれについて早めに帰っていってしまった。僕はもっと残っていってよと頼んだけれど、穏やかに断られてしまった。
次に僕が彼女と話をしたのは、それからしばらく後の教養の授業のときのことで、雪村は教室の最前列に座って、社会学だったか文化人類学だったかの講義を無視してペーパーバックを読んでいた。
勇気を出して隣りに座って(←勇気を出したのだ)、何読んでるの、と彼女に訊ねた。雪村は手に持った本の表紙を見せてくれた。G.R.R.マーティンの『玉座をめぐるゲーム』だった。もちろん僕にはまったくわからなかった。
それからも僕は、折にふれては勇気を出して彼女に話しかけていった。レポートがあるので……と断られてひどく落ち込んだりもしたけれど、ついに僕は彼女を連れて名古屋城にデートにいくことに成功した。名古屋城はつまらなかったけれど、彼女といるのは楽しかった。
これはおもしろかった。本当に。
それからも授業で隣りに座ったり、食事に誘ったりして、僕らは付き合うことになった。僕は実家に住んでいて、彼女は下宿をしていたので、よく彼女の家に泊まって二人で本を読んだり、映画を見たりした。本山にゲオがあったので、近所でレンタルができて助かった。
でも不思議なことに、幸せなことはそんなに長く続かないもので、僕と雪村が二人で東尋坊を見に旅行に行ったとき、泊まった旅館でカニを食べて一緒の布団で寝たあと、彼女は僕の知らない何かに引っ張られて、僕が寝ているうちに布団を出て服を着替えて旅館から脱げ出して、東尋坊の先から海に飛び降りてしまう。
東尋坊では死ねないという話があるけれど、やっぱりそれは嘘で、飛び降りればちゃんと死ぬ。雪村がそれで死んだのだから間違いない。
彼女を失った僕は悲しくなって、雪村が死んだというそのこと自体よりもむしろ雪村が僕に一言も告げずに死んでいったことに鬱々と悩んで、こりゃだめだ、このままじゃ何も解決しない、と思ってそのまま十五の夜ばりにバイクで走り出す。でもそのバイクは別に盗んだものじゃないし行き先もきちんとわかっていて、僕は一直線に福井まで行って、雪村と同じように海にダイブする。そして生きて浮かんでくる。本当に死にたいのなら、そのための飛び降り方をしなければならない。
病院のベッドでしばらく暮らすことになった僕は、とりあえずアマゾンで小説と漫画と学芸書とDVDを注文しまくって、それを片っ端から消費する。雪村が生きていたときにはこの女はまたなんか読んでんなあとしか思っていなかった僕が、いまさらになって雪村の触れていたものたちに目を向け始める。村上春樹を、伊坂幸太郎を、恩田陸を道尾秀介を舞城王太郎を僕は読む読む。雪村のようにペーパーバックをぺらぺらとはいかないが、翻訳者に感謝しながら、ヴォネガットをカポーティをフィッツジェラルドを読む読む。福満しげゆきを藤田和日郎を増田こうすけを読む読む。カントを、デリダを、ヴィトゲンシュタインをホフスタッターをドーキンスを読む読む。そんでDVDはよく考えたら病室じゃ見られねえなと思ってそのままジャケットだけを眺める。いいじゃんアマデウス。時計じかけのオレンジ。タクシードライバー。
そして読みたい本をあらかた読み終えてしまったので、そろそろ家に帰ってDVDでも見るかと思って僕は退院する。退院するために荷物を片付けてきれいな服に着替えて、もう忘れ物はないよな、と思って振り返った病室に雪村がいるのを見て僕はびっくりする。
「いまさら化けて出てんじゃねーよ」と僕は言う。
でも雪村は生きていた頃と同じ顔で、僕がさっきまで寝そべっていた病室のベッドに腰掛けている。いつもと同じように黒い服ばっかりを着ていて、別に幽霊だからって白いベッドが透けて見えたりはしない。
「いやーいいじゃん。嬉しいでしょ」と雪村は言う。
そんな口調じゃねーよ。
数学教育の必要がないという主張は、中学以降で数学を教えるのなんかやめてしまえという意味になるけど、それってつまり大多数の子供に、将来タクシードライバーや工場労働者として一生を過ごすことを、小学校卒業くらいの時点で運命づけてあげるのがいいってことですかね。
http://anond.hatelabo.jp/20081127001705
店長も尊敬できないとなると回りに尊敬できる人間がいないんだ。それはしんどいな。
えっと、マネキンとか入る店?
私は対人恐怖の気があって、一か所にいると必ずトラブルから、あちこち店を渡り歩くマネキンが向いてるんだ。第一印象では悪く思われることないから、出来るだけ違う店違う店に入るようにしてる。パッと見、威勢がいいから「うちで働かない?」って、誘ってくれるお茶屋さんとかダンゴ屋さんとかあって、そんな不安定な仕事、いつまでもしてることじゃないでしょ、みたいに言われるんだけど。自分の性格と稼がなくてはならない金額と折り合えるのがマネキンなんで、私自身は満足してる。
何か親が納得する理由がないと、都会に出ることも出来ないってのは可哀相だと思う。
自分のやりたいように自分の人生を決められないんなら、生きてくのが面倒になって当たり前だよ。親の奴隷になるために生きてるんじゃないってーの。ねえ?
なんで、俺は俺のことが嫌いなんだ? って、そこからやり直してみたらどうだろう。
ちなみに、タクシードライバーも対人恐怖気味の人に向いてるって聞いたことがある。お客ったって、同じ人に当たることはまずないから、お客が乗り込んで、目的地まで運んで、降ろして、って、そのくらいの時間の対人なら、恐怖気味でも出来るらしい。こっちは実践しているわけじゃないから実態はわからないけど。
まあ、何はともあれ。自己分析ってやつ? やる気あったら、やってみたら、今より楽になる……と、いいな。がんば。
1年ぐらい時間を稼げたら経営者としては十分ペイできるし2年以上持てばむしろラッキーなのよね。
これ、意外とそうでもない。社員を消耗品のように1~3年ごとに取り替えるっていうのはもう10年ぐらい前から多くの零細企業がやってきた。だから今では北海道や沖縄で求人広告を打っても大して世間知らずを釣ることはできなくなってきた。ネットの普及のおかげで地方も賢くなってきてるんだと思う。いくらフリーターは安くコキ使える資源だと言っても限度があるよ。京都のタクシー会社だってそう。京都のタクシードライバーって京都市内からじゃなくて地方から引っ張ってきた人間が多い。どんなによさげな広告を打っても京都市内では応募してくる奴がいないんだよ。一定の時期で騙し尽くしたから。だから四国あたりに求人広告を打ってさらなる世間知らずを騙して引っ張ってきた。だけどここ数年はそれでも大して釣れなくなって来ている。ITも同じことが起こってきている。
『タクシードライバー』でもデ・ニーロにそういうアドヴァイスをした奴がいたな。
デ・ニーロは「そんなアドヴァイス聞いたことがない」と言ってとりあわない。
秋葉原の事件で、犯人が掲示板に友達や彼女がいないことをつらつらと恨みを込めて書いているという報道を目にして、映画「タクシードライバー」を思い出した。
あの主人公トラヴィスもまずチンピラがうろつく街中でよっぱらいをのせて夜の街を孤独に走るタクシードライバーの仕事をしていた。
そして他人とまともにコミュニケーションを取ることができず、振られると逆恨みをした。
同僚に悩みを相談してもかえってくる答えは全く参考にならない。
さらにギャングに売春をさせられている女の子にこんな生活をやめるように説得しても相手にされず。
こうやって主人公はどんどん世の中とのつながりを失っていき、重大な事件を引き起こす。
他人とのコミュニケーションをとれずに、それが重大な劣等感につながることはある。
犯人も「彼女がいない」ことが大きなコンプレックスになっていたみたいだ。
自分を愛してくれる相手がいるということは、自分が承認されることでもあるから、心の余裕は全然違う。
周りとのつながりを失っていくことがどれだけ人間にとって辛いことか。
25歳にもなってまともな仕事に就けずに、彼女もいないために孤独に追い込まれていった犯人の心情に理解をできる部分がある。
但し、今回の事件は絶対に許せない。日本の法律上極刑を言い渡されて当然である。
この事件で命を落とした人や、愛すべき人を失った周囲の人々、事件に遭遇して心に傷を負った人、数多くの被害者がいる。
多くの人を不幸に追いつめた犯人を個人的な気持ちとして許すことはできない。
孤独への心情への理解はするが、彼の犯行動機を理解する気持ちも同情する余地もない。
ただ、一つ思うのは犯人は「タクシードライバー」という映画をおそらくは知らないだろう。
もしこの映画を見ていたらこんな惨事を引き起こさずに済んだのではないか、と私は考えている。
もし見ていたら犯人の心情と主人公の境遇にシンクロしていたはずであるし、それが孤独を慰めることにつながったかもしれない。