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はてなキーワード: カーストとは

2020-12-09

anond:20201209224445

真面目な話、それは昔から言われてるんだよ

やりたくないのは管理する側の立場であって、メンバーを入れ替えないと組織階層カーストが固定されるのは社会人でも同じなんだよな

結局、管理する側がコストを払いたくない、それに尽きると思う

しかし、ケーキが切れない非行少年少女のようなIQが低い生徒は遵法意識も低い、流石に社会的に最低限これはマズいという価値観根底からない

こういう生徒をブコメにあるように教師側が対応しろというのは無理があるだろう

実際のところ、こういった問題を諸外国でさえ上手く対応できているのか、すべては知らんが自分には疑問に思える

となるとスクールカウンセラーなどという甘い話ではなく、医療機関少年院のような施設一般的教育施設連携していく必要がある

でも、政治家教育者も、デジタル教育がどうのという話はしたがるが、本質的に人をどう管理するか、育成するかということはやりたがらない

単に面倒なんだろうけど

anond:20201208155032

うん、いじめなかったな

とんでもない金持ちクラスに1~2人程度で誇示することもなく

どんな地味な子でもオタクでも気の合う相手がかならずいて楽しく過ごしていて平和だった

いじめをやりそうなカースト上位系の人(ダンス部入ってて男子校合コンが盛んなギャルとか)ほど息苦しいといって高校あがるときに8割消えてったよ

バイトも表向きは禁止予備校にいくのも届け出必須部活があっても5時過ぎに追い出される(7時まで残ってたら異常事態

週番かなんかで学年主任クラスサンシャイン通りセンター街に立って見張りして、たまに捕まったなあ(今もやってるかは知らないけど)

一番遠くて群馬、柏や所沢からみんなが二時間くらいかけて通ってくるような渋谷中高一貫女子校です

2020-12-06

anond:20201206194833

皮肉じゃなくリベラルが「個人自由」を尊重するが「誰もが結婚できる権利」のような物は扱わない思想から

おひとり様自由に生きるための援助はするが、結婚自己責任で援助しません。

分相応の結婚奨励するのは儒教とかカースト制。

anond:20201204231720

武道スポーツやっててなんとなく上手いこといってて、それで進学やカースト内の立ち振る舞いがうまくこなせてしまった女子ありがちなタイプだけど、とにかくレスポンスの速さが取り柄なんだよあいつら。

深く物事を考える有意性すら理解してないしする気もない。なんでも0か1で割り切れると思っていて、明言するのを避けたり答えを出せないことをじっくり考えたりすることを馬鹿にしてる。

から今の振る舞いが間接的にどう影響を与えるかとか、どういった社会的意義を持つか、表面上には現れない人の気持ちなんかにかなり無頓着なんだよ。

間違ってることでも浅はかなことでも、とにかく相手に隙を与えずメッセージを発してコミュニケーションにおいて自分が主導権を持つ。これが彼らの処世術だ。

こういう人はマウントを取った時点で自分絶対的正義だと証明されたのだと信じてやまない。強い語気や態度で圧倒しているだけなのに相手論理破綻があるから黙らざる得なかったのだと歪んだ解釈をする。彼らはのちのちまで「あなたあの時論破されちゃってるんですけど?」みたいな詭弁論者めいた態度を真顔でかましてくるから始末におえない。

そもそも論理的に話を整理したり妥当性があるものが優先されることを彼らは心底嫌っている。嫌ってるというか暗くて気持ち悪くて無駄不要ものだと切り捨てたがる。とにかく速く相手に反応を示すために考慮することを放棄しているので、事象に対し主観的かつ情緒的な解釈が目立つ。「なんとなく嫌いだからこれは劣っている」「なんとなくかっこいいと思うからこれは優れている」「なんとなく退屈だからこれは要らないのだ」とどうしようもない基準物事判断していく。

そして目先の、体感コストパフォーマンスを彼らは優劣のバロメータにしており。長期的な物の見方をしない。根は真面目だからあいつらなりに「将来あれになりたいからこの学校専門教育受けます」とか「お金を貯めておきたいか財テクやってる」とか「子ども可能性を伸ばしたいからそれ習わせてます」とかいろいろやるけど、全てが一元的でそれって決めたらそこしか見えてないのよ。中学高校の憧れで看護師になるって決めて看護学校行って看護師として働くようなタイプ。腰を据えて一本筋を通す姿勢は立派だよ。でも彼らは憧れの次に、看護師実態を調べたり、職業人が持つ行動指針となるべき抽象的な流儀に思いを馳せたりなんかはしない。そんなのすっ飛ばして「何になるか決めたからとっとと受験対策しよう」だ。そして職に就いたら、理想とのギャップを全て自分以外の何かのせいだと愚痴り、場当たり的に行動する。気分で仕事の出来にムラがあるので一定クオリティを保たない。それでも持ち前の判断力の速さと明瞭な態度で体面は繕ってしまう。体面がいいため何も言われないでいることを、自分が有能な証だと履き違え自己研磨しようとしない。

体育会系でも武道は縦の関係が強いので、彼らは上の物に靡いて言うことをすぐに変える。流儀や信念みたいなものはないし今後に向け醸成させていく気もないので組織内の力学にすぐ染まる。その癖単刀直入ではきはきした態度故に「しっかり者」として扱われてきたためか本人にその自覚すらないのがタチが悪い。

増田があの時対抗できたとするならば、嫌な顔された時点で間髪入れず「あ、あなたの物ではありませんでした?」と言って、違う人に「これ落としませんでしたか?」と聞いていけばよかったかもしれない。

こういう輩のペースに巻き込まれはいけないのだ。善意で拾った市民という増田自身認識を歪め、あまつさえそれが如何にも妥当であるかのような態度。、そんな振る舞いを許すような謂れが増田には一切ない。

2020-12-03

俺イケイケな若者だけど、匿名ダイアリー老害ぜんいん死んでほしい

ほんと死んでくれねぇかな

スクールカースト底辺帰宅部が何者にもなれず年だけとって

「〇〇なんだよなぁ」「Evil」じゃねーんだよ

クラスにいた陰キャ長崎君思い出すわ

普段ぼそぼそしてるくせに、モンハンやる時だけ罵声はいたり

休み遊戯王してる時だけ声くそでけーの

美術時間作品発表のときになんかわけわからん哲学思想を語って、

たいそうなこと言う割にクソみたいな作品出すのよな

カースト頂点でふざけてるだけの俺の方がぜんぜんうまかった

おまえ長崎だろ

まだ遊戯王やってんの?

2020-11-23

先生「二人一組を作ってください」

カースト上位の美少女「えー増田君となの!?

増田「うん、そうみたいなんだ。よろしく

カースト上位の美少女増田君って、私にとって空気みたいな存在なの、わかる?」

増田「えっ…それって……」

増田「僕なしじゃ生きられないってこと!?

カースト上位の美少女「私、空気嫌いなの」

増田「えっ」

カースト上位の美少女死にたい気分ってことよ!」

カースト上位の美少女「あーあ、誰かと交換とかできないのかしら」

増田「……」

増田「まあいいや、一緒にがんばろうよ!」

カースト上位の美少女「って、私の話聞いてた!?空気読めよ…」

増田あいにく僕も空気は嫌いでね」

カースト上位の美少女増田……」

カースト上位の美少女「ったく、そういうところなのよ…だからあんたは……」

増田「えっ?なんか言った?」

カースト上位の美少女「なんでもないわよ!はぁ、仕方ないわね。他にどうせ組んでくれる人いないんでしょ?仕方ないわね、このまま私が――」

増田ちゃん美少女ちゃん、そんなに嫌なら私が増田くんと組むよ!」

カースト上位の美少女「えっ」

増田ちゃん増田くん、それでもいいかな?」

増田「僕は別に良いけど」

増田ちゃん「じゃあそういうことにするから増田くん、行こっ!」

増田「うん」

カースト上位の美少女「……」

2020-11-18

anond:20201118091204

そもそもあらゆる宗教において狂信的な態度は有害なんだよね。ただ、「それは別にイスラム教に限らないよね」という話で。

例えばキリスト教狂信者銃乱射事件を起こしたこともあるし、今でもキリスト教教義理由同性愛迫害する人は少なくない。仏教(の大元であるヒンドゥー教)にしてもインドあたりじゃ今でも狂信者支配的(カースト制とか)。日本神道だって、今や有害しかない教義を律儀に守っている側面もある。

それは一般的な話であって、○○教に特有の話ではないんだよね。

尊重する」ことと「全肯定する」ことは違っていて、「尊重する以上は全肯定しなければならない」わけでもないし、「全肯定してはいけないのだから尊重する必要はない」わけでもない。それは両立しなければいけない。もちろんそれは非常に難しいことなんだけどね。世界は難解だから仕方ない。

2020-11-15

anond:20201115064720

東京生活東京だけで完結はしてないんやで。

東京の中でもゴミ回収とか清掃とか、コンビニレジ打ちとか、「普通」の生活はその普通の下のランクカーストによって成り立っとるんや。

あんたの「普通」も会社の偉い人とか金持ちの「普通」を支えるための歯車しかあらへん。

ただワシらは現状が変わるのを望まん理由はそこや。

せっかくカースト内で今の地位を保ってるのに、下から上がってきおるやつがおったら明日自分が負けになりかねん。

今のルールでそこそこなんとか勝ってきた結果、今のポジションにおるんやからな。

せやから、昔から言うやろ。水呑み百姓は生かさず殺さずや。

今のワシらは下から吸い上げすぎやねん。でもワシらも余裕がない。それはさらに上が吸い取っとるねん。せやからどうしようもなくて、下の愚痴を聞いたるくらいしかあらへんねん。

せやからもっとみんなに優しいなろうや。

2020-11-14

中学卒業して高校に上がったら

陰湿人間関係全然なくて驚いた覚えある

そこそこ偏差値良い高校だったからかも

カースト上位のキラキラギャル

底辺オタクブス(増田含む)にも優しいのマジで異世界だった

カースト上位グループの中のいじめっこ気質の奴が

大声でオタク悪口言ってたら

周りの奴が「お前やめろよ…」って冷めた目で言うんだもんな

人間が出来すぎている

2020-11-13

anond:20201113095622

キモイキモくないはその時のカースト上位が決めることであって、作品内容によるわけじゃないってことだな。

最近若い人はカースト上位まで漫画アニメが浸透してるからアニメ作品に対する拒否感は低い。

逆に宮崎事件アップデートが止まってる人はそれだけアニメ作品への抵抗が高い。

まぁそういうことだよね。

anond:20201113203210

フェミニストって、同じ様にカースト底辺からなんか親近感が湧くんだよ。

インスタでキラキラしている女性は、カースト上位でカースト下位とは別世界に見える。

anond:20201113154119

増田の言う花子立場――つまり中学時代カーストトップから転落した女、参上しました。

花子立場からすると、自分は何も変わってないのに扱いが一瞬で変わったわけ。けっこう訳がわからんのよね。その原因を作った光子に怒りの矛先が向くのも理解できますーと思って読んだ。

増田たちは後半、花子に対して悪意も興味もなかったらしいけど、花子カーストトップ時代に悪意を持ってハブってただけに、悪意がなかったなんて信じられないんだと思う!架空の悪意に怯えていたって言えば良いのかな!

この件に関しては花子が悪い!いじめってほどでもないと思う!でも花子の中でいじめられてたって思うくらいは許したってくれやと思います!!

anond:20201113161112

なるほどなぁ

女子カースト、結局コミュ力で決まるよね。ブスとか美人は実際そんなに関係ない。光子コミュ強で花子に勝てると思ったわけで、女子中学生にしてその知略と勇気は逸材感ある。政治家になるべき。

2020-11-12

anond:20201112064226

ズバリ、その通りだと思う。特に最後の一文がポイントを言い表していると思う。

カーストでがちがちに決められているよりこの世界のほうが絶対的に良いって言える根拠ってどこにあるの?ってことでしょこれ

anond:20201111124055

トラバブコメも「なんだ偉そうに」的な反応が目立つけど、増田はこういう職種従事者を劣った人間だとは言っていない。

世間から軽んじられている人々を憐れみ、それに気疲れしてるということが増田からは読み取れる。

もし今後増田自身がそういった生活余儀なくされても同じトーンで「模範的な”一般市民からうっすら侮蔑を向けられているのがつらい」と愚痴るんだろう。

おそらく地位や名声、収入格差QOL、交友関係といった格差にまつわる事柄が、

生い立ちや個人資質、今までかけてきた労力の差といったパーソナリティに集約されるのが、増田にとって不快なのだと思う。

僕は小売店でずるずるバイトを続けている身分だけど、誰と話しても「こんなとこでフリーターに甘んじてるような奴は思慮も複雑な感情もないただのでくの坊だろう」という前提で会話は進む。

大学院に通うバイト仲間もパートのおばちゃん毎日午後8時に同じものを買って帰るリーマン子連れ主婦徘徊する老人も毎日へとへとな店長も近所に住むが疎遠になってしまった幼馴染も、

みんな自分生活はだれにでも代替えできるものではないと思っている。

みんな「まああなたにはわからないでしょうけど」というものアイデンティティに組み込まれている。

でも実質的には障碍者でもないなら人間社会なんていくらでも配置転換可能だろう。

教育さえ施して周囲がそれ相応の扱いをするならば、

パートのおばちゃん大学院研究漬けになって若妻が企業戦士になりしなびたおっさん子どもを連れた主夫になり俺がへとへとな店長で幼馴染が孤独に惨めにずっとフリーターってこともあり得るはずなんだ。

各々人間の間に蔑みが生まれるほどの能力差なんてあるのだろうか。

でも今の生活が崩れるはずがないという安心を得るため、自尊心を埋めるために、人はそれを人間としての程度の違いとして扱っているんじゃないのか。

公権として格差規定して人を縛れば、それを個人パーソナリティと紐付ける余地はなくなる。

魚屋の息子だから魚屋になるしかないような社会なら、あんたは馬鹿から東大に進学できないのだというような発想はどこからも生まれない。

人として程度が低いかコンビニバイトしてるしかないのかと打ちひしがれるか、コンビニバイトするような身分じゃなければあれができたと空しく妄想してるか、

どっちがマシなんだってことが増田の言いたかたことなんじゃないの?

カーストでがちがちに決められているよりこの世界のほうが絶対的に良いって言える根拠ってどこにあるの?ってことでしょこれ。

2020-11-11

anond:20201111232227

カースト上位の好きな男の子と手を繋ぐときの、隠しきれない喜び、光栄な表情、服従する雌の顔

2020-11-09

anond:20201109100723

カーストどころか外国人結婚してできた子供の時点でカースト上位のわけないでしょ。

anond:20201108231135

元増田もその収入では日本じゃ上級だけどな。

自分バイデン自身マジで考えてそうだが、もう副大統領汚物フィルタリング的な感じだから無理だなって分かった。

正直あの女性上級にはウケいいだろうけど、黒人移民のウケは最悪だろうな。特にインド系からは毛嫌いされそう。カースト上位がお涙頂戴とかギャグだし。

2020-11-07

同人女と、今朝の読売記事を見て思ったこ

ツイッター話題になってた同人女感情最終話と、同じくツイッターでバズってた今朝の読売記事を見て思ったこと。

自分より上手いとは言えない」人が自分より評価されて辛いという気持ちはよくわかる。

それに対する回答は、「他人から評価ではなく、自分自身を基準にして段階的に進んでいき自己肯定感を高める」という、腐るほど聞いた内容。

そうしていくうちに他人が求めていることが分かり、それを提供できる実力が身につき、真の評価につながるというものだ。

その究極が、同人女感情に出てくる綾城さんみたいな存在だろう。

ただ、そう言われてしまうと、じゃああの「自分より上手いとは言えないのに評価されてる人」は、上記プロセスを、少なくとも自分自身よりは先へ進んでいる人格者であり、だから評価されている、ということになる。

そして、自分はそんなアイツよりもガキであるという事実に、より惨めな気分になり絶望する。

本当にそうだろうか?

読売投稿者のいう「自分より上手いとは言えない人」がどんな人物なのかは知らないが、私が思うに、単に界隈に上手く溶け込めているコミュ強なだけな気がする。

その人は、自分自身と同じ惨めな状態から、上に書いたプロセスを乗り越え、ついに今の地位についた……とは思えない。9割がたは、普通にしてたらそうなっただけだろう。

スクールカーストみたいなもんではないか

カースト上位の者は、あらゆる煩悩を克服した人格者集団というわけではなかろう。自然とそうなっただけのコミュ強。

上位集団の中でウケる話題ある意味内輪ネタ)を、下位の者が提供するのは難しい。

クオリティに優れていても、どうしてもズレが生じ、「へー、すごいね。で?」で終わる。

綾城さんレベルになればようやく、カースト上位の者を含め広く全体に評価されるようになる。(一部の捻くれ者を除いて。)

その綾城さんですら、本当に凄まじい努力の結果ああなったのかは、分からないけど。

似たような葛藤経験してはいるんだろうけど、才能と人格が元々圧倒的に優れているのに違いはないだろうし。

まとまらなくなってしまったが、

界隈で幅を聞かせている、ギャーギャーうるさくて絵が割と描けて評価されてるムカつく奴は、単にある程度の絵の才能とコミュ力の才能があっただけで大した人格者ではない

界隈で重鎮ぶっている、絵が結構上手くて発言も支持され、たまに公式に苦言も呈しちゃうしオレも苦労してきたんだよみたいなこと言っちゃうムカつく奴は、単に結構な絵の才能と中庸意見力の才能があっただけで壮絶な過去を克服して現在地位を築き上げたわけではない

界隈で聖人ぶっている、絵が上手くてなるべく不快発言をしないよう気を遣い、たまに自戒いたことを言って実質的に周囲へのロジハラになってるムカつく奴は、単に絵の才能と元々穏やかな性格の才能があっただけで修行僧みたいな生活しているわけではない

そして、こいつらは大したことはない!と思えても、自分はこいつらより絵の才能もコミュ力も劣るし、自己肯定感形成プロセスでも周回遅れという事実は変わらないということが分かり、絶望するのだ。

諦めて絵の練習をしても、数年後、いいね数が少し増えた自分しかならないだろう。記事でいうところの「真の評価」など得られるはずもなく、現在の惨めな状況を認め、ネガティブ感情を感じないようにするしかない。

で結局、そうなるにはどうすればいいのか?それを他人意見に頼っている時点で永遠に自己肯定感は身に付かない。

歳を重ねれば少しずつ落ち着いていく……が、それだけでは完全に解決しない。

しろ遅ければ遅いほど自己肯定感を身につけるハードルは高まっていく。

と、こんなことを言っている惨めな自分も含め、ほぼ全ての人には「相対的に下の者」が存在し、妬まれいるかもしれない。

界隈の実力者ももっと上を見て妬んでいる。だからこの手のあるある話を見て「わかる〜」とか言う。クソが。

なので1位以外の全ての人が上を見て妬み、自己肯定感を損なっている。(トップ層は自己肯定感身につけ済が多いだろうけど)

全ての人が自己肯定感を身につけないと永遠に解決しない。義務教育に加えたら?

2020-11-05

貰ったら返す、持ちつ持たれつという考え方

これらはあくま平等下にいる一般市民の発想だ

貴族とかカースト上位、あるいは下位にいる存在はこの発想が欠けている

ずっと与えてもらったり、ずっと与え続けたり

から一般市民とそれら外れた者は相容れない

長く一緒には居られない

2020-11-02

手塚治虫ブッダ」とおっぱい20世紀おっぱい

ラーマヤーナ」ではインドラの火とも伝えているがね

特に理由はないのだが、最近通勤時間で「ラーマーヤナ」を読んでいる。特にインド旅行する予定はないのだが、しいて言えば大学時代の友人二人がインド哲学科出身だったからかもしれない。そういえば、冒頭のムスカ台詞では長母音場所が間違っている、みたいな話にもなった。

それはさておき、「ラーマーヤナ」である英雄ラーマが囚われの妻シーターを仲間の助けで救いに行く話で、要するに古代インドスーパーマリオなわけだが、そこで出てくる美人形容が興味深い。たとえば「美しく黒ずんだ肌」という表現が出てくる。美白という美意識はやはり時代地域によっては必ずしも自明ではないのだ。

また、ほっそりした腰つきや豊かな乳房の美しさを表現する箇所もある。

「二つの乳房はそれぞれの先端がむっちりと盛り上がって魅力的で、つやのあるヤシの実のように美しく、最上宝石の装飾品をつけて輝いている」

この個所を読んで僕は首を傾げた。ここまで乳房の美しさを形容するってことは、シーターは上半身裸だったのか? 実際、インド東南アジアの神々の像では女性たちは上半身裸だ。以下はエローラの石窟の姿である

女神ガンガー

女神パールヴァティ

しかし、近現代インド叙事詩を描いた絵画では、上半身普通に覆っている。

追放されたシーター姫

シーター姫を攫ったラーヴァナが助けに来たジャータユを返り討ちにする図

それを見て思い出すのは手塚治虫の「ブッダ」だ。正直なところ、みんなおっぱい丸出しで小学生の頃はエッチすぎて読めなった記憶しかないのだけれど、それはさておいて、あれは歴史的に見て正しいのだろうか? それとも、単なる手塚治虫性的空想だったのだろうか?

頼むぞグーグル先生

そういうわけで僕は「ancient india topless」と検索した。すると、肯定的証言をするサイトが数多く引っかかった]。特に英語版ウィキペディアのtoplessの説明がわかりやすかった。

In many parts of northern India before the Muslim conquest of India, women were topless. ……(中略)……Toplessness was the norm for women among several indigenous peoples of South India until the 19th or early 20th century……(以下略

ムスリム征服以前のインドの多くの地域では、女性上半身裸であった。……(中略)……上半身裸は19世紀20世紀初頭の南インド先住民女性の間では普通のことであった……(以下略)。

そういうわけで、古代インド女性おっぱい丸出しだった。手塚治虫変態だったかもしれないが、古代インドの服飾史については、嘘をついていなかった。

また、「古代インド おっぱい」と日本語検索すると、次のようなツイートが見つかった。

https://twitter.com/tenjikukitan/status/1093099586778853378

古代インドに詳しい方が日本語情報発信をしてくださると、大変助かる。

よく、東洋舞台とした作品ブラトップ同然の格好をした女性が出てくることがあり、しばしば批判されるのだが、これは実際には上半身裸だったのを攻めておっぱいだけは隠しておこう、という配慮だったのかもしれない。

実際、いわゆる熱帯地域だけではなく、古代クレタ島でも乳房は見せていたし、それこそ以前記述したように、日本海女さんもかつては上半身裸が普通であった。

おっぱい税、巨乳税、その非人道性

ところで、英語版ウィキペディアを読んでいたら、気になる記述を見つけた。

The Breast Tax (Mulakkaram or mula-karam in Malayalam) was a tax imposed on the lower caste (Shudra) and untouchable (Dalit) Hindu women by the Kingdom of Tranvancore (in present-day Kerala state of India) if they wanted to cover their breasts in public, until 1924. ……The tax was evaluated by the tax collectors depending on the size of their breasts.

乳房税(ムラカラム)とは、現在の(南インド)ケーララ州で低カーストシュードラ)と不可触選民ダリット)に属するヒンドゥー教徒女性が、公共の場乳房を覆いたければ支払わなければならなかった税である。……税金を集める役人女性乳房の大きさによって額を決めていた。

なんとも非人道的で、正直なところ読んでいてかなりのショックを受けた。身体の大きさを申告・検査しなければならない恥ずかしさ、支払えなかった女性苦痛いかほどのものであっただろうか。個人的には野外露出系のポルノは大好きだが、これが強制されたものだとなると不快だ。裸とは恥ずかしいものではなく、人間が生まれながらにして持つ、何物にも束縛されない自由意味する気持ちのいいものであってほしい。それにこれはフィクションではない。歴史的事実だ。

これについて日本語資料が見つからいかどうか探したが、幸いにしてナショナルジオグラフィック誌の記事があった。

古代ローマにトイレ税、世界5つのヘンな税 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

乳房税が廃止された経緯もまたショッキングである。ある女性が収税に来た役人に抗議するため、乳房を切り落として見せたことがそのきっかけだ。言葉もない。ローマ公衆便所から税を取り立てたケチで名高いウェスパシアヌス帝が単に合理的でまともに思える。

ナショナルジオグラフィック誌の姿勢、僕の姿勢

そのナショナルジオグラフィック誌だが、2018年に同誌は人種差別的であったことを公式謝罪した。国内有色人種無視していたし、外国文化過去の姿をやや好奇の念をもって眺めていた。そして、異民族過去の姿である上半身裸をピックアップしすぎた、と。

とても誠実な姿勢だと思う。確かに異文化への関心は、はじめのうちは興味本位小ネタから始まるかもしれないが、それだけで終わってしまってはもったいないし、現在の姿を誤解したままでは失礼だ。それに、欧米日本オリエント人間を過度にセクシャル表現してきた歴史があり、それを是正することはまったく正しい。

それは欺瞞だ。伝統的に上半身を見せる文化を改変するのは子どもたちに嘘を教えることになる。乳房を恥としない相手価値観や服飾文化破壊ではないか、という意見もあり、それももっともだと思う。とはいえ、今のところ乳房は隠すものデファクトグローバルスタンダードになってしまっている。歴史的正確さと表現のふさわしさと、これもまた正解のない問いである。

シーター姫のおっぱいが気になった僕もこの罪とは無縁ではない。今を生きる人々の人格と彼らの先祖文化伝統、どうすれば両方に敬意を払えるかを考える日々である。できる限り正確性に努め、通説が誤っていれば訂正をするように心がけているが、それでも異文化への関心が性的好奇心とは無縁ではないことを意識しないではいられない。

今後の研究課題

今回は古代インドではトップレス普通であったことを示した。また、乳房隠蔽キリスト教だけではなく、イスラームの影響もあることも明らかになった。

今後は、世界の中で乳房がどのような文脈を持っていたかを調べたい。例えばシチリアの聖アガタ乳房を切断され、かつては形の似ているパンや鐘の職人守護聖人であったが、いまでは乳がん守護聖人ともなっている。また、戦時中日本を含め、多くのプロパガンダでは、乳房母性記号として国土の豊かさを意味してきたし、しばしば女性を母としての役割に閉じ込める役割も担ってきた。逆に、女性自身が抗議の意味露出することもある。私の身体は私のもので、勝手意味を担わせないで欲しいという奪還の意図もあるのだろう。

加えて、世界各地ではどのような形の乳房理想とされてきたのか、その変遷もいつかはたどりたい。

実際、「ラーマーヤナ」ではほっそりした体を(乳房の重みで)曲げて、と形容されるターラーという猿の夫人がいる。今も残るインド彫刻から判断すると、古代インドには細い腰とそれに対する豊かな乳房への明確な好みがあったのではないかと推測される。また、この彫刻の特徴は東南アジアにも受け継がれている。その辺が知りたいのである

このあたりは西洋絵画からたどるのがいいかもしれないが、芸術個人自己表現となった時代以降は、画家自身の好みも反映されて難しい。

また、逆にトップレス世界の標準であった可能性についても検討したい。すなわち、ユダヤ教キリスト教イスラームの広がっていない地域の服飾史について検討し、トップレスでいることの自由がどのように失われていったかについても調査したい。

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