はてなキーワード: どうしてこうなったとは
作家志望の話が出たので書いてみる。
作家志望の友人Aがいる。Aは作家志望なだけあって原稿は書いていたようだが、まともな賞にかすったこともない。
唯一、自費出版で有名な会社から才能を褒められた経験があり、自分には実力があると勘違いしている。
(ネットで調べると自費出版の会社はどんな作家でも褒めて自費出版させようとするらしい)
そんなAは、俺に読書をしろ、文章を書いてみろと作家先生のように指導をしてくる。
別に作家になんてなりたくないし、ただ友達として付き合ってただけなのに、どうしてこうなったんだろうと思う。
見かねて作家志望が読めばためになりそうな本を3冊プレゼントしたんだが
高卒も普通科だけじゃなくて、工業科、農業科、商業科卒も混じってる。
学部卒院卒も聞いたことがない大学から、宮廷、ポスドク崩れもいる。
教師くらいならとにかく、気象予報士、薬剤師、MBA、獣医師、行政書士、司法書士、技術士補。
(弁護士と公認会計士、医師ばかりはいない。あの三つの資格はやっぱりチートだな。
いろんな事情でこうなった。
それなりに楽しいよ。
ブコメでいろいろ書かれてるが、本当にいろいろな事情としか言えない。
10年以上教師やってた人が転職してきたとかは、なにか事情があったんじゃないかと思う。
おそらく修行に出されてると思われる高学歴な創業者一族の息子とかもいるが、彼を部下に持つライン長は可哀想だ。
役所と仲良くやるために地元の高校から採用ということだったり、派遣も3年雇ったら正社員転換ということだったりで。
バックグラウンドが違う人たちが一つの仕事をするということは、悪いことではないと思う。
管理する側は少し大変だと思う。
これに驚いてる人たちって、設計だとか研究だとかはオフィスビルでやってると思ってるのだろうか
高卒だけで製造部が回ると思ってるんだろうか
仕事が忙しくなると心の余裕がなくなるのが最近分かるようになった。
ウツになる人は「責任感が強い人」とか「内向的な人」と言われてて、
自分がそれに該当するけどウツになる気がぜんぜんしねえwwwと思ったりしてずっと他人事だった。
過去に経験してきた忙しさに比べると今の忙しさはかわいいもんだ。
仕事は結構好きな方で、サービス残業という考えはなく、自分の行動による貢献が形になるのが楽しくて、
でも最近、あまりにも多くのタスクに追われた結果、土日に会社に行って仕事をしたり、家でパソコンを立ち上げることができなくなった。
どこかで空気を抜かないと破裂する。
これから自分がどうなるかは分からないけど、愚痴れてる間は大丈夫な気がしてる。
何かのblogで「不満に感じたことは日記に書け」とかあったので、今ここで書いてる行為が自分を助けることになる気がしてる。
健康なうちに、同じ轍を踏まないように、どうしてこうなったかを思い返してみる。
今回の状況を思い返すと、過去の事例に比べて次の2つがあると思う。
・回りから成果を期待をされていた
この結果、今回の状況に追い込まれたと思う。
当時の上司の作業分配のスキルが的確だったのだと、今になって実感する。
一日を終える時に、朝予定していたタスクを消化できているかどうかが、分かれ目な気がする。
2〜3日続けて消化不良を起こした場合、それは明らかに良くない結果になると、今なら分かる。
誰かにヘルプを求めたり、要件を減らしたり、納期を調整したりした方がいい。
ただ、まず実現ができないのが悲しいところだ。
かろうじてヘルプは可能な気がする。
チームプレイをしているなら尚のこと、誰かを巻き込むというのは、プロジェクトを成功させる為に必要なスキルだと思う。
誰かにパスしようとしても、相手を信用できなかったり、相手も忙しくて断られたりで、結局自分でやることになる。
生きていくと定番のフレーズの意味を言葉じゃなくて心で理解する瞬間が来るわけだけど、
最近自分は「夢も希望もない」の意味をいやというほど噛み締めてる。
むしろ逆に子供の頃って本当にある程度年齢重ねた人間から見ると「夢も希望もある」なんだなって感じてる。
どうせアノニマスダイアリーだし少しダラダラと話させてもらうね。
「夢も希望もない」の主成分は3つ
②希望ー将来への期待。「俺はそれなりのことができる」って根拠のいらない自信
③ないー虚無。「どうしてこうなったんだろう」って言葉だけが響く
まず①夢、これが気づいたら無くなってる。
というか可能性が失われて行ってることに漠然と眺めていたのにふと我に返ってそのヤバさに気づく。
失われた可能性は一見すると量は少ない、どもそれを取り戻す手間を考えると余りにも大きい
次に②希望、これも気づくと底を尽きてる。
こっちは無くなってるってはっきり感じ取れるし身を切られるような痛みと共に失っていく。
でも減っていってる間は大抵現実と頑張って戦ってるからあまりその量には気にも留めない。
だけどある日ふと「あれ?ダメだ……俺にはできる気がしない。どうしても……」ってなる。
漠然とした「自分には無理だ」って気持ちに纏わりつかれて色々な物から逃げるようになる。
川の石がゆっくり丸くなるみたいに、社会の荒波の中で少しずつ自分の自信が削られていくって感じかな。
そして③夢も希望もないに辿り着く。
気づいたら将来も怖ければ明日も怖くなってる。
幼い頃は「とりあえず寝て起きるを繰り返せばそのうち幸せになれる」とでも考えてるんじゃないかって程に楽天的だったのに、
今は「何をしてももう素晴らしい人生には辿りつけない」って悲壮感だけが次々溢れてくる。
子供の頃は「夢も希望もない」って言葉を聞いても「まだきっと何とかなるさ」みたいな事を思ったものだけど、
SEだなんてつまらない。なぜか? つくるものを自分で決められない。お客様の望むとおりにいたします。ふざけろくそが。プログラムを作って売って生きて行きたかった。自分で作るものを決めてその通りに作り、それを売って稼ぎを得たい。使ってくれた人の満足が、お金に変わるような仕組みが必要だ。雇われるのではなく、雇ってみたい。企業して社長と呼ばれてみたかったのだ。
コードコードコード。それが全てだろう。それ以外の作業の全てはコードを気持よくかけるためにやるのだ。当たり前だ。それ以外なんてゴミより価値がない。
ゲームプログラマになりたいと一瞬くらいは妄想した。だがやっていけないだろう。いや本当にそれしかなかったのなら、できたはず。でも俺はそれ以外で進んでしまった。好んで崖から飛び降りる真似なぞどうしてできる。だが、このまま進んでいっても足から腐っていくのだ。わかっているわかっているのに。どうすればいい。俺は創りたいんだ。
創る。ただそれだけだ。俺の価値観はそれだ。創り出せる者は、人を名乗る資格がある。それ以外はゴミだ。人ですらない価値のないもの。どうしてこうなった。自分が無能であることは知っている。たかだか受験勉強程度すらできなかったのだ。俺は俺の思うとおりにやると間違うのだ。何も正しくなかった。俺の中に正しさなんてなかった。だから予備校が言うとおりにやっただけだ。凄いのは俺ではなくて予備校のカリキュラムだろうが。何も考えずに言われた通りにすることなら、人でなくてもできるじゃないか。高学歴?寝言は寝て言え。毎年毎年何万人も生まれるような高学歴に、いったいなんの価値があるんだ。
その気になれば今でもできるのだ。そうだろう? ちょっとクリックするだけですぐに環境は手に入る。俺はJAVAを雑魚並には知ってる。学習コストは低い。なぜやらないのか。
仕事の苦痛をやわらげるために、何拍が置かなければいけないのではないか?
マイナスに振れた針をゼロに戻してからスタートしなければいけないのではないか。そのために。ただそのために。時間が奪われる。ゼロに戻ってからやっとスタートできるんだ。いややはりこれは甘えか。言語化した時点で陳腐化は免れない。俺はもう届かないのかもしれない。もう届かないとわかったなら。生きる価値なんてないだろう?
コード書くのが楽しすぎて何日も徹夜してしまうような体験を俺はしたいんだ。自分の指先が描くコードがこの世界を変えられると信じたいのだ。俺はロマンチストなのだ。そう考える。考えるくせに。なんで何もしないんだ? 馬鹿なのか? ゴミなのか? どうしてそんな面して生きていられるんだ?
今このファイルをとじた瞬間から、コードを書き始めればいい。つくりかけのゲームだってある。Webサービスの設計だって用意をはじめている。やればいいだけだ。足りないのは、時間時間時間。それもいいわけか? 時間なんて作れば良い。 いやできないんだ。マイナスからプラスに振り戻すには反動がいる。時間もかかる。逆に考えろ。その程度なのだ。俺にとってはその程度。だからいつまで経ってもできない。
考えてみろ。今から10年後に俺は何をしている? システムエンジニアとやらか? お客様に最適なソリューションをインテグレーションいたしますと、澄ました顔で言っているのか。
怖い。
それは何を創るんだ? 誰のために? なんのために? 何を創れるんだ?
わけのわからん会社の、どうでもいいような業務のために、コードを書くのか?
しかも自分の手は動かさない。こんな仕組みを実現するためのコード書けとほおりなげるだけだ。
それで生きていくなんて、自分を許せるか?
当初の想定と違う方に盛り上がってて、げんなりしている。
採掘中の炭鉱夫さんやこれから鉄道のトンネルをつくる人たちが、
簡単に工事できるような爆薬つくろうってみんなで燃えてたんだけど、
発売したらおかしなことになった。
俺が死んだと勘違いされて死亡記事が出たんだけど、
「死の商人、死す」って書かれた。
一応工事用で売っているのに...
発明者も販売元もすごい疎外されてる気がする。
もう俺たちじゃどうにもできない。
かといって結構需要集まってるから工場を閉鎖することもできない。
当初の想定と違う方に盛り上がってて、げんなりしている。
情報交換できるようなサイトつくろうってみんなで燃えてたんだけど、
うちの奥さんにも登録してもらったんだけど、
もう使うの怖いって言われた。
一応実名でやっているのに...
開発者も運営者もすごい疎外されてる気がする。
もう俺たちじゃどうにもできない。
やはりもう限界だ。
釣りでした。
みなさんごめんなさい。
id:topisyu さんのブクマ狙いで釣りしてたんですが、
ただ、このままだとトピシュさんのこと考えすぎて、
好きになりそうなのでこのへんで終わりにします。
ちなみに辛口コメントが多いのはサイトつくったのは本当なんですが、 (主婦向けではありません)
すでにトピシュさんはご存知のようなので、新たにご紹介することはできません。
高校時代からの友人で、東大に行った奴がいるのだが落ちぶれすぎていて痛い。
思えば入学すぐのゴールデンウィークあたりからもうおかしかった。
大学は自分で勉強する所とか言って講義にもろくに出てないとか、教授や先輩がいかにバカかを熱弁していた。
2年目の夏ぐらいから2ちゃんねるまとめを自動生成するシステムを作るとか言い出していろいろやっていた。
β版発表会とか言って、仲間内を集めてお披露目会をしていたが、ただのPHPを使った動的ウェブページで、
ソースを見たらオブジェクト指向はおろかサブルーチン呼び出しすらろくに理解していないようなウンコードだった。
これじゃスパゲッティになって開発続かないだろと思ったからそう指摘したら、
そんなもの俺には必要ない、お前らとは頭の出来が違うの一点張り。
文系に行った奴らはだまされてたみたいだが、プログラミングが分かる仲間はみんな(^^;)って顔になってた。
結局完成しなかったらしい。
この間久しぶりに会って、就活や勉強の話になったらもうひどいのなんの。
そいつもIT系なのに、流行りの技術はおろか、基本的な知識もない。
関数型言語を勉強していると言ったら時代はアセンブラだと言い返したり、
じゃあアセンブラでどんな開発したのと聞けば、なぜか古文の助動詞や複素平面の話になっていた。
古文は分からないけど、複素関数なら習ったからコーシー・リーマンの関係式の話でもしようとしたら、
遮って東大の過去問の、数学的には低級な話にもっていって、最終的には俺の知識の無さについての話になった。
それを聞いて、あぁ、こいつはダメになってしまったんだな、と思った。
所詮、高校までの勉強が俺よりマシな程度にできるだけだったというのに。
信頼とか友人らしい感情はもはや無い。
30歳 174cm 痩せ型 高卒 地方在住 月給手取り23万。
クラブやバーなど大人の遊び場に行ったことがない。スタバも焼き肉も回らない寿司もファミレスもいったことない。回る寿司は一人でいってお持ち帰りだけならした。飲み会に行ったことがない。風俗も行ったことはない。童貞ではないが恋愛経験はなし。
飛行機に乗ったことがない。船は修学旅行以外で乗ったことがない。というより住んでいる土地から修学旅行以外ででたことがない。四国九州沖縄に行ったことがない。当然海外なんて行ったことがない。
英語はできない。
友達は一人も居ない。ネットでの長い付き合いのある人を友達と言うならネットでは3人位いることになる。
親にもハブられぎみで10年位会ってないし電話もこない。ちなみに親は中卒。
アニメは見ない。ネトゲは少しするけど所詮ネトゲもリアルと同じでぼっちなのでFF14みたいのは面倒でできない。ギャルゲーはやったことない。家庭用ゲーム機は子供の頃から一度も所持したことがない。カラオケ行ったことがない。ろくに歌ったことがないので多分音痴。お年玉を貰ったことがない。将棋、囲碁、麻雀、トランプの各種ゲーム、UNOのルール知らない。ポケモンやったことない。スマフォもったことないから当然LINEなどしらない。スカイプやったことない。
もう一度言う、友達は一人も居ない。
なのにTwitterでは何故か有名なアプリの開発者や最新のネトゲ渡り歩いてるヘビーゲーマーや音楽作ってる人や絵のうまい人にフォローされてツイートに感心されることがある。自分とは対極の今風のきらびやかな世界にいる人達に何者なのか気になると言われたり。なぜかみんな騙されてるか騙されてるフリをしてる。進んで嘘をついてるわけではなく、言わなくていいことは言わないようにしてるだけ。不思議だ。空の上の人たちが自分の何に興味をしめすっていうんだ。
自分が何言っても、現代の文化を知らない人が適当にそれっぽいこと言ってるだけなはずなのに、興味深々な反応をもらう。わけがわからない。俺に媚を売ってもなにも得るものは無いはずなのに。
ただ、不思議でならない。
もしかしてネットなんてみんなそんな架空のイメージをやりとりしてるだけなんだろうか。
でも何か作ったり行動している人のそれは、間違いなく本物なのに。そんな本物を持ってる人が中身のない自分に興味を持つというのが不思議でならない。
Twitterの検索で適当に何人かクリックしてみると、"この人をフォローしている自分のフォロワー" がぼこぼこでてくる。そっちのほうが、はてブが増えたことより驚きだった。知り合い7人たどると全世界がなんとか理論だったか。
こういうベクトルの話題に反応する人たちが自分のフォロワーと近いところにいるのは自然だろうし。Twitterでは必要以上を書いてないだけで、俺という一個人からでてしまう匂いはここでも同じものになってしまうのだと思う。
Twitterでは必要以上を語らないことに徹しているので、逆のことをやってみたくなった結果がこれだった。けど、それが及ぼした影響は俺から見える範囲では結局Twitterと変わらないんだな、俺から見える範囲そのものもさして変わらないのだな、ということを俯瞰して残念なような。
本当に伝えたかったことは、ネットは上辺だけだということじゃなくて、流行りの音楽聴いたりガジェット所持したりかっこいい遊びをしておしゃれをしてということは必須ではないのではないかということかもしれない。俺はずっとそういうことを必須だと思って現実では他の人との壁を厚く感じてた。それがネットではそっちがわの人間の興味あつめる結果になっている。みんな騙されてるフリをしている、という可能性を忘れればだが。
基本的には、ネットだけに特殊な人間関係効果があると自分は考えていない。ネットにも壁はある。事実、他のSNSというものを一度登録だけはしてみたが、全く使い物にならないままに放置された。現実や密なコミュニケーションを要求するSNSやネトゲでは、有限の時間と労力と気力を使ってコミュニケーションを取る以上、より中身のある面白い人物とつきあった方がメリットが大きいのだろう。同じ害にならない人物なら、一緒に過ごして何も得られない人よりも、得られる相手のほうがいいと多くの人が考えているように感じる。
Twitterという場所は少し違う。害にならない人物ならとりあえずかき集めておいて損はないという方向性をTwitterの設計は恐らく意識的に加速させてる。むしろその軽さがTwitterの他のSNSとの違いに思える。フォロー、アンフォローはいつでも気楽にできる。とりあえず見てみることにリスクがない。
そのような場では、何か一つ琴線にふれる部分が対象にあれば、(現実や密なコミュニケーションを要求するSNSやネトゲのように)他の色々が足りなくても対象が有限の時間と労力と気力を無駄に食いつくすということはないので、損にならないように相手を吟味する人が少ないのだと思う。これは現実でいうならお祭りとかボランティアの場とか、ネトゲでいうなら先に出したようにわーわーと大人数で協力する場に近い。いるだけでまあ害にはならないしちょっと得だよね、という。
タイトルの部分について監督が映画をつくっているわけではないというのは大阪城を立てたのは大工さんというクイズみたいな理屈です。
本文は「つくっているものは映画またはそういうジャンルのものではない」というものだと理解しています。
監督というものが何をしているかというと、見て楽しんだりダメだししたりする仕事です。ポケットマネーで作っているわけでなければ「作った」のが誰かという所在には諸説でてくるものです。
美術、撮影、演技、その他各監督が監督が何をしたいか伝え聞いてそれを纏めて現場に指示して成果を監督に献上してご意見を伺いOKであれば作品として追加されるという流れです。
つまり監督のお気に入りをつくるために多額の資金と大勢のスタッフが動いて一品つくります。
他の商品も「芸人○○完全プロデュース弁当」とかコンビににあったり化粧品やその他アイコンになる芸能人を掲げたものがあるでしょう。
つくったのは製作スタッフです。資金提供したのは大企業です。商品を「作った」ということに関しては掲げた看板芸能人のものになります。
まったく同じ内容の商品で他の人間やタイトルであれば売れないかもしれないという点を補って一つの製品化をしています。
企業の形も同じです。社長がなにをしているかといえば自分のしたいことを人に指示して結果に満足したりダメだししたりするだけです。
その社長のお気に入りを作るためにお付きの人がその下に指示を出しています。
松本氏が動画を取って映画界で評価を受けたという構図について「この著名人が笑った」というタイトルを冠する動画を「撮りたい」と願ったスタッフが集まりその案に資金提供し企業アピールもできるのではないかという会社が後押しし「完全プロデュース」みたいなタイトルのかわりに「監督作品」となっているだけです。
動画が長編でスポンサー形態や発表場所を「映画と同じ陳列にしよう」という結果映画とジャンル分けされているまでで、そこに流入してきた対象に映画界が評価を下し始めるのは自然な流れでしょう。
「映画としては異例のユーチューブ配信」とかになれば単なる長編動画俗称「映画」になっていたかもしれませんしそれでも映画界は評価をしてくるかもしれません。
各種媒体もその完成した製品を取り扱って部数や売上を伸ばしたいと考え陳列するでしょう。
松本氏の感性はすぐれているしかしそれは映画むきではない、という話だと思いますが「なんで松本おまえ映画なんてとるんだよ」という質問では「そりゃみんなが撮りたいって言ってきてくれるから」という回答に帰することになるんじゃないかと思います。
映画という結果についてであれば「なんであの人の脳のなかを映像化しようとかおもったの。それ撮り方とか発表や媒体の選び方が別にあるでしょう?」と製作スタッフ一同もしくはスタッフ内の有力者について苦言を呈すべきものじゃないでしょうか。
酢豚にパイナップルいれてパイナップル本人に「なぜ入ってきたの」と問い詰める図はおもしろいですが、酢豚について考えるならそれをつくった料理人に問うのが筋でしょう。
松本氏が映画を撮るという松本氏としての人生の一部でおきるイベントについて問うなら本人にでしょうけれども、作品ひとつについてどうしてこうなったと問うのは「松本氏がこれなら満足するんじゃないか」と思案して提示してきた内容を「実際につくった担当」でしょう。
料理人、つまりスタッフが「酢豚にパイナップルを入れるのは料理界では定説だ」としていたとしても監督、役割としては店主的な人間が「それはなしだ」または今回だけは、その客には等と指示をだして「酢豚にパイナップルをいれないという作品」を作ることも、料理人が店主と交渉して「かならず入れる」という結果、最終的に映画や料理といった結果が世に出ることになるでしょう。
「これ、おもしろいんじゃない?」といってくる松本氏に「それいいっすね、絵にしましょう」というスタッフと「松本さんこれどうっすか」と提示してくるスタッフのじゃれあいの結果が収録された長編ビデオが、映画界でいまいちだったということでしょう。
パイナップルの入った経緯がいろいろあって、それを商店街で出したとき酷評だったとかそういう話です。銀座の一等地ならヒットしたかもしれないとかそういうことはあるでしょう。
社長や監督は赤子でも中学生でもできます。それを中心に「その人を満足させるため」と動く実働員に実績があり交渉において信頼があり決定について実際に動かせる経験、蓄えられた実力や資金がある人が動くことで計画が前に進みます。
ただ大人もバカじゃないので商品として「その社長が売り出したもの」という冠を使って商品化したときに価値がでるものに就いていきます。話題の中学生社長が雑貨を扱っていたとして、その雑貨の購入者が「これ中学生社長の」ということで商品価値を上げることができるものであれば、その案にのる大人もいるでしょうし、それならおっさんが売っても一緒だろというのであれば資金力を目安に支持する人間を選ぶでしょう。
映画について内容がとか評価がというのは、いじり方を間違えたプロデューサーが「監督役をミスキャストした」という話です。
まとめて、松本氏は自然にしていると面白いのに仲間内で面白くいじろうとすればそれを収録した絵はいまいちだったり、いまいちと大勢から評されることがあるという話じゃないでしょうか。
独裁者1人を倒したとしても、それを支えて構成していた人間の行動力を挫かないと第二代三の指導者がでてくるのと同じでアイコンは挿げ替えできるし、アイコンを挫くことでそれに連なる行動力を低下させることができるようなものでしょう。
同じ絵はおそらく他の誰かでも撮れたかもしれません。ただ今回据えたトップに批判が集中するのは「評価は下されたが撮影技術など他の実力を否定されずに延ばし続けることが出来るよう」監督が一身に受けることで現場を保護し「作成したけど評価されない」という立場の人の、作ったというメリットと批評というデメリットの集約点でもあるし、何百人というスタッフが作ったのに「ボクの作品」と言う特権と責任でしょう。
かわいい女子は、撮影するだけで絵になりますが、あたまのなかがかわいいおっさんはいまのところどう撮影してもバラエティ番組であいかたのおっさんに突っ込まれなければその絵がとれないという現状なんじゃないでしょうか。
続き。
開始して数分でいきなり何通もメールが来る。おまえら登録後1日もたってない人間に何を期待してるんだ。というか半分くらいスパムくさい。
スパムじゃなさそうなのもやたら外部サイトに誘導したがる。アレか。業者か。しかも得体のしれない短縮アドレスを張っている。フィッシングにしか見えない。
万が一業者や詐欺師じゃなかったとしても、おっさんネチズンの俺にとってはメールの直接やり取りは相当仲良くなってからというのが常識なのでマジレスしていいのかどうか困る。
これがアフィの餌になる程度なら別に困らんのでいいが、無邪気なのか悪意なのか判断できないので、悪意であることを前提にしか行動できない。
俺はネプテューヌコレクションをちょっと試してみたかっただけなんだ(そしてあまりのレスポンスの悪さにこれはクソだと判断せざるを得なかった。DMM.R18のエロゲの方が反応いいとか終わってる)。