はてなキーワード: 貧困家庭とは
看護師志望です!って言うと、勉強苦手?貧困家庭?と偏見交じりに馬鹿にされることがある。
40代以上の方、特にご老人が目立つけど、20代でもそういうこと言ってくる人は普通にいる。
というか、コロナ禍でちょっと話題になったけど、看護師の社会的地位、まだまだ低くないか?とも思う。
昔は、看護師は食いっぱぐれないって、貧乏な子や勉強ができない子の定番の職だったことも知ってる。
でも今は大学進学が一般的だし、私大の学費はめちゃくちゃに高い。知らない人は調べてみて。ほんとに高い。
で、ふと思った。
これだけ必死に勉強して、高い学費もがんばって納めて、肉体労働こなして、それで馬鹿にされんの?って。
実際働いてる方はどうなんだろ。言われない?気にならない?
俺病気もしてないし、ものすごい貧困家庭の出ってこともなくそれなりの教育は受けられたし、障害もちょっとADHDぽさがあるくらいでまあ健常者の範疇なんだけど、すげー人生つらいんすわ
何があるってわけじゃないんだ
ただ毎朝起きて、8時間+働いて、ヘトヘトになって帰って、飯食ったら歯あ磨かないといけなくて、暮らしてたらゴミが出るのをなんとかしないといけなくて、毎日風呂入らないと体が不快になって、運動しないとみるみる太って、親が死にかけで……っていう、どうしようもないというか避けようがない部分がとにかくつらい
楽しいことだってないわけじゃないが、比率としてつらいことのほうが明らかに多い つらいつらいつらいつらいつらい楽しい楽しいつらいつらい、みたいな比率じゃやってられねえよ
いや、つらい部分はみんな同じなはずだし、楽しそうな人だって月曜の朝は多少イヤそうにしてたりするんだけど、全体として楽しさの方が勝ってそうな雰囲気なんだよな
人生楽しめる人と俺だと同じことをやったときに得られる快感の量がけっこう違ってたりするんじゃないか だから俺は何事にもやる気が出ないんじゃないか
いろいろ頑張れる人が日々のゴミ捨てで得てる達成感が、俺にとってはエベレスト登頂くらいしないと得られないものだったりするんじゃないか
そういう妄想にすがらないとやってらんねー
俺は何があっても子供は作れねえなと思う
それで信じがたいのが人類がいままで存続してきてるってことだ 大量にいる俺の先祖は全員次の世代につなぐぞい!と思えるくらい人生を楽しめてたのかよ!
つかそういう人がマジョリティだった時代が長く続いて、技術も倫理もどんどん発展して、行き着いた先がこのつらい人生かよ?と思うと泣けてくるね
人生のつらさにみんなどう向き合ってんだ?
なんで「生きることは素晴らしい」って無邪気に言って、安楽死法制化なんかを主張することはないんだろうか
やっぱり俺がおかしいのか?ショボいことをつらく受け止めすぎなのか、セロトニン受容体が壊れてるのか?
誰か助けてくれよ
去年転職したのだが任される仕事のレベルや量が自分のキャパを超えている。
前の仕事とは少し違う業務内容で、自分で判断できることも少ないし、いったん任された仕事(期日はない改善タスクのようなもの)が他の仕事が手一杯で手をつけられなくて、他の人に知らぬ間に回ってたことが何回かあった。そういうことがあると落ち込んでしまう。
つい先日もそういうことがあって、何だか申し訳なくて自分はチームの負債なのではないかと思えてきた。
周りの人は飄々と仕事をしているようだ。みんな優秀で、自分みたいな田舎の貧困家庭からの成り上がりではなく東京に実家があり、有名高校、有名大学、教授の苗字で通るような有名な研究室を出ているエリートばかりだ。そこに引け目もある。
いや、実際は自分は客観的に見ると労働者としてそこまでレベルは低くない。上記のようなタスクもちらほらあるが、自分の周りでは見ないだけで忙しい人間のタスクを巻き取るなんて普通だろう。自分は他の仕事については途中で投げ出すことはないし、そこそこにやれている方だ。
相対的にみても全く仕事をしていないおじさんとか、在宅の様子を見る限りずっとサボってる先輩とか沢山いるから、少なくともチームのお荷物と言ったレベルではないことは確かなのだ。飄々と仕事をしているように見えて振られてる仕事が自分より少ないパターンの人も沢山いる。
そもそも自分が振られたタスクに手をつけられないのだって、上司のマネジメントのせいにもできる。
そうやって人のせいにしたり他と比較する事で精神を落ち着かせられることができたらどんなに楽だろうか。新卒で外資に入ってしまったせいか、成果が出せなかったことに対して執着してしまう。10のうち9できてもできなかった1に目を向けてしまう。1の成果が出せないと存在価値がないように思えてしまう。
とにかく今の職場は「一度振られた仕事が知らぬ間に他の人に巻き取られていた」ことによりなんとなく気まずくてとても居心地が悪い。(多分自分だけ)まだ一年も経っていないのに逃げ出したくなってきた。この状態で逃げられる場所なんてないのだろうけど。
生きる希望がありません。
ですが、そもそも児相で働いていると普通に結婚して子どもを作って幸せに生きていくのがどれだけ難しいかを実感してしまいます。
以前南青山に児相を建設するということで周辺住民が反対する騒動がありました。反対派の意見の中に「児相に入所している子どもが南青山住人の生活を見て格差を感じてしまうのでは」というものがありました。
なぜ虐待を受けている子どもは貧しい暮らしをしている、と決めつけているんでしょう。
貧困家庭でいわゆるネグレクトが発生することは当然あります。ですがわたしが働いている中で接したケースには立派な一戸建てに住んで、両親ともに働いて稼ぎもよく、親子ともに綺麗な服を着ている家庭もたくさんありました。それでも虐待は起きます。体にあざをつくり家から裸で締め出されて親に罵倒されている子どもたちに貧富の差などありません。
普通の家庭、いや幸せそうな家庭でも虐待がおきる。加えて、虐待家庭にはDVもある場合がかなりあります。そんなケースばかり見ていると未婚のわたしは結婚し、子どもを育てることが怖くなりました。
自分も子どもを虐待するのではないか?配偶者に暴力をふるわれる、もしくは暴力をふるってしまうのではないかと。
虐待の定義は広いです。今年4月から、児童福祉法改正によりしつけによる体罰も禁止となりました。
正直に言うと、全く虐待をしていない家庭などないと思っています。
例えばお子さんが悪いことをした時に頭をぱちんと叩く。このくらいはどこの家庭にもあるのではないでしょうか。でもこれも定義上虐待になります。
また、虐待のなかで特に多いのが心理的虐待ですが、この中には「夫婦喧嘩を子どもに見せること」も含まれます。子どもの前で夫婦喧嘩した時点で虐待になります。
あと性的虐待。勿論子どもに性的行為を行うことは虐待ですが、子どもに夫婦の性行為を見せたり、AVなどの性的なものを見せることも性的虐待に当たります。
子どもが少しでも嫌だと感じることは基本的に虐待になります。親御さんからしたらあまりに窮屈だと思います。子育ての難易度がたかすぎる。
児相も親御さんが「こんなことが虐待になるの?」と言いたくなる気持ちはわかるのです。でも虐待だと言わなきゃならない。当然親は反発する。これがしんどかった。
わたしはメンタルの弱い人間だったので、親御さんや関係機関の言い分を真に受けてしまい、言うべきことが言えませんでした。そしてうつになりました。
児相で働いている皆さんも同じような思いでしんどい中で働いています。でも児相は行政機関なので、できることに限界があります。みんな歯がゆい思いをしているのです。
昨今の痛ましい虐待事案で児相への風当たりはつよいです。児相に全く責任がないとは言いませんが、児相で働く人間も必死でやっています。
なんとか格差の緩和策を考えたい。
・東大側が出来ること
貧困家庭や社会的に恵まれないバックグラウンドを持った受験生には、その分の特別点を入試の点に加算する。
入学後も学力的についていけない場合は、成績評価の際に貧困度やバックグラウンドを考慮して加点して評価する。
入試も学力試験一辺倒ではなく、スポーツ、音楽、芸術の才能があるとか、ボランティア・地域貢献をした実績があるといった多面的な評価基準を作る。
・恵まれた家庭の親が出来ること
格差を少しでも緩和するため、子供を中卒か高卒で就職させるように努力する。
くらいだろうか。他にも幸福度ランキングやジェンダーギャップ指数で世界的にも高い地位を確立している、とか、移住先に良いとか、ラストリゾート的な扱いを受けていたり、後はタックスヘイブンみたいな扱いだったこともあった。
今回はニュージーランドが余り公に言わない部分をちらっと書く。
何で書こうと思ったかと言うと、朝日新聞でも書かれた「子供の幸福度」についてだ。日本は20位で「さすがは鬱苦しい国ですね」とか大盛り上がりしている人もいるようなんだけど、日本人がどこかピュアな国のように感じているニュージーランドは何位だったか知ってる?
41カ国中35位
ただ、現地にいる身としては、割りと「そんなもんだろうな」という感想だったりする。それはNZ社会にある動かしようのない格差というのがあるからだ。NZでは金持ちは金持ちのまま、貧乏人は貧乏人のままになるように社会が作られている。意図してそう作っているかは知らないが結果的にそういう国だ。
現地で聞いているところでは、子供の貧困や自殺率が深刻だ、という点。肌感覚で感じているのは、移民国家ならではの若者社会での将来に対する行き詰まりや貧富の格差だ。
長々書いたが、NZでは自殺が高くて結構問題になっている。日本人が大好きなジャシンダ・アーダーンが首相を努めていた2018−2019年が何気に最高記録に到達している。
https://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=12262081
自殺率は10万人あたり13.93人。自殺者の内訳では、若者、マオリ族、パシフィカと呼ばれる人たちが特に多い。パシフィカというのは、サモア、トンガ、フィジー、ツバル、クック島のマオリ、ニウエ、トケラウ、キリバチの人たちらしい、実はこれらの国々はNZが管理というか、サポートしており、パシフィカたちはNZに移住することができるんだそうだ。ただ、日本人からしたらまるで異世界に感じるようなのんびりした国々らしく、資本主義の競争社会であるNZで振り落とされてしまう人々も相当いる。
日本では2万人くらいが年間で自殺してるんだっけ?1億人で2万、10万人で20人くらいか。日本よりは少ないな。ただ、10~24歳の間では10万人あたり35人に急に膨れ上がる。要は若者が結構自殺しているということだ。他にもいろんな指標があって、この数字を大したことがないように見せることも可能かもしれないがNZでは若者は割りとバンバン自殺している。
若者が自殺してしまうという理由はいっぱいあるんだろうが、まずはこの国には覆し難い貧富の格差がある。金持ちはどんどん上に行ってしまうように社会ができていると書いた。
例えばなんだが、学校だ。
学校ではディサイルという寄付金制度がある。貧困層が多い地域では寄付金は少なめ、税金の投入を多めにする。金持ちが多い地域では寄付金が多め、税金の投入を少なめにするというバランスのとり方をしている。
この制度の良いところはノーブレスオブリージを地で行っているところだ思うかもしれないんだが、実質としては教育の格差がどんどん広がるという制度でもある。税金でまかなえる部分は結局最小限なので、貧困家庭の学校に通う子どもたちには、最低限の教材しか与えられない。一方金持ちが行く学校では、こっちの金持ちなんかは普通に自家用ジェットで飛んでいける家庭ばかりなので、なんでも買い与えてしまえる。
2015年の記事なんだが、教育における大きな格差についての記事がある。
https://www.nzherald.co.nz/nz/news/article.cfm?c_id=1&objectid=11539592
この記事を読む前にNZの大学について少し書くんだが、NZでは大学の質は結構高く、最高学府のオークランド大学に大学ランキングで上に立っている日本の大学は、東大、京大しか無い。で、この大学に入るためにはNCEAという試験を受ける。
NCEAでは取ったスコアに応じてクレジットが溜まっていく、試験は高校に入ったくらいからコツコツと受けていき、LEVELは3まである。3を受けるには2に合格、2を受けるには1に合格というふうにステップを踏んでいく。クレジットは、各レベルの得点が高いほどたくさん溜まり、好成績を維持すればボーナスクレジットもある。
大学の学部に応じて、NCEAの必要なレベルと科目が指定されているので、受験生たちはこれらの科目を一生懸命勉強してクレジットをためていく。そして志願者の中からクレジットが多い順に合格、というようになっている。
そして、裕福な家庭の子どもたちは貧困家庭の子どもたちに比べて25%レベル2に合格する率が高く、30%レベル3に合格する率が高い。これは金持ちの子どもたちがどんどんと大学に入ってしまい、貧困家庭の子どもたちは大学に入れるほど学力が上がらないか、自分たちより確実に試験に合格していく金持ちたちに物量で遥かに不利な戦いを挑んでひっくり返す必要がある。
日本からNZに移住する人たちの中にもNZの教育は日本に比べて質が高いという人が結構いるんだが、このディサイルという制度を知らないで適当に選んでしまうと、偉いことになってしまうので、よく調べて、寄付金を支払えるか、その地域に住めるかとかを考えてこっち来るようにしましょう。