はてなキーワード: 綺麗事とは
テロを許さないことと、それと同時に背景にある社会問題に対して解決する意思があること。これを政府から強くアピールする必要があったはずだ。
二つのミッションを両立させることが今回の事件が日本に対して突きつけた問題だ。これをはっきりさせられる立場に最も近かったのは日本政府だが、会見を見る限りその意思を感じることはできなかった。
とてつもない難問ではあるが、それでもこれらは同時に成し遂げられなければならない。
------
すでに日本は、銃がないから甘く見られているだけで実際はテロ天国みたいなものなのかもしれない。サリン、ガソリン、ダブリン、シベリア、密造銃と工夫ばかりしやがって。だがそれでも、テロリズムで問題を解決させる、テロに成功体験をもたらすというのは社会的にはマイナスの要素が大きい。リベラル界隈(自分の観測範囲は主にはてな内だけど)はすでに取り込まれていて、犯人を持ち上げるようなコメントが珍しくない。面白半分なのかもしれないがそれは面白半分で済む問題ではないのだ。
一方の保守界隈は見たくないものを見ない権利を最大限に行使していて、試しに虎ノ門なんとかを見てみても統一教会の欠片も出てこなかった。彼らの日本にはカルトによる被害など無いのだろう。やったね。
現実にそこにあるカルトを否認するのもまたカルトに与することだ。もちろんもっと様々な反応はあるが、全体像に正しく対処できてるとは思えない。
一番苦しんでいるのはこれまでカルト問題に地道に取り組んできた(主に弁護士やジャーナリストの)先達たちだろう。
何十年も地道に一歩一歩活動してきたものが、いきなり吹き飛ばされそうな猛烈な追い風が吹き、かつ、追い風に乗って下手にオーバーランすればテロリズムの成功例としてカルマを積むことになる。
本来、周りの環境が激変したところで彼らの歩みは何一つ文句を言われる筋合いはないはずなので、ペースを崩さずに歩み続けてくれることを祈るしかない。
------
テロに成功体験を与えないことと、カルト問題を解決することが、今回の事件でまるで対立事項のように見えてしまっている人が多いと思う。
いや実際対立しちゃってるので全く余計なことしやがってという気分であるのだが、現実問題としてどちらかを選んで他方を捨てるというのは受け入れるわけにはいかない。
色々考えたが、結局必要なのはアナウンスなのだろう。暴力には屈しないが問題は解決する。浮かび上がった問題は解決するが、それでも暴力は許さない。そういったことを地道に叫び続けるしかない。
そのようなときに重要なのは政府からのメッセージだ。政府には危機事態に対してメッセージを発する義務がある。
なんとなく自分が思い描く理想の反応というのは、以下のようなものだ。よく覚えてないけどインデペンデンスデイのようなイメージで書いてる。
「民主主義の営みに対する直接的な攻撃によって人命が失われた。背景にどのような社会問題があったとしても、これを日本政府は絶対に許容しない。
社会問題、あるいは個人的な苦境であれ、それは暴力ではなく社会福祉によって救済されなくてはならないし、日本政府にはその意思がある。
(オプション)国では適切な窓口を用意している。連絡してくれれば、あなたの問題を国がサポートすることを約束する。ぜひ利用してほしい。
(理想的なオプション)完全に匿名で相談できる窓口も用意されています。個人で抱えきれない問題に対して、法的に安全に相談できる環境なので、一度でいいから連絡してほしい。
とにかく苦しいときは連絡してほしい。政府は皆さんをサポートすることで暴力や自殺やテロリズムを防ぐ強い意思を持っています。
あなたがどのような問題を抱えていたとしても、それを暴力で解決しようと決断しないでほしい。お願いします。」
自分で書いててもピンとこないけど、多分そういうメッセージをひたすら政府が発信することがいま求められていることだと思う。テロの再生産をしないという目的と社会問題を解決するという目的を同時に達成するために。
------
(心の声)
政府がメッセージを発するという機能も、この10年なんとなく失われ、総理大臣が会見をする風景がとても珍しくなった。
完全匿名の相談窓口を政府が開いたとアナウンスしたとして、その匿名性を、政府のフェアネスを信じる下地もなんとなく失われたように思える。
正直言って詰んでる気がしないでもない。
それでも、綺麗事を政府が叫び続けることは民主主義国家にとって必要なことだと、今はまだ思っている。
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テロを許さないことと、それと同時に背景にある社会問題に対して解決する意思があること。これを政府から強くアピールする必要があったはずだ。
二つのミッションを両立させることが今回の事件が日本に対して突きつけた問題だ。これをはっきりさせる立場に最も近かったのは日本政府だが、会見を見る限りその意思を感じることはできなかった。
とてつもない難問ではあるが、それでもこれらは同時に成し遂げられなければならない。
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すでに日本は、銃がないから甘く見られているだけで実際はテロ天国みたいなものなのかもしれない。サリン、ガソリン、密造銃と工夫ばかりしやがって。だがそれでも、テロリズムで問題を解決させる、テロに成功体験をもたらすというのは社会的にはマイナスの要素が大きい。リベラル界隈(自分の観測範囲は主にはてな内だけど)はすでに取り込まれていて、犯人を持ち上げるようなコメントが珍しくない。面白半分なのかもしれないがそれは面白半分で済む問題ではないのだ。
一方の保守界隈は見たくないものを見ない権利を最大限に行使していて、試しに虎ノ門なんとかを見てみても統一教会の欠片も出てこなかった。彼らの日本にはカルトによる被害など無いのだろう。やったね。
現実にそこにあるカルトを否認するのもまたカルトに与することだ。もちろんもっと様々な反応はあるが、全体像に正しく対処できてるとは思えない。
一番苦しんでいるのはこれまでカルト問題に取り組んできた(主に弁護士やジャーナリストの)先達たちだろう。
何十年も地道に一歩一歩活動してきたものが、いきなり吹き飛ばされそうな猛烈な追い風が吹き、かつ、追い風に乗って下手にオーバーランすればテロリズムの成功例としてカルマを積むことになる。
本来、周りの環境が激変したところで彼らの歩みは何一つ文句を言われる筋合いはないはずなので、ペースを崩さずに歩み続けてくれることを祈るしかない。
<h3>o- *****</h3>
テロに成功体験を与えないことと、カルト問題を解決することが、今回の事件でまるで対立事項のように見えてしまっている人が多いと思う。
いや実際対立しちゃってるので全く余計なことしやがってという気分であるのだが、現実問題としてどちらかを選んで他方を捨てるというのは受け入れるわけにはいかない。
そのようなときに重要なのはメッセージであるはずだ。政府にはメッセージを発する義務がある。
なんとなく自分が思い描く理想の反応というのは、以下のようなものだ。よく覚えてないけどインデペンデンスデイのようなイメージで書いてる。
「民主主義の営みに対する直接的な攻撃によって人命が失われた。背景にどのような社会問題があったとしても、これを日本政府は絶対に許容しない。
社会問題、あるいは個人的な苦境であれ、それは暴力ではなく社会福祉によって救済されなくてはならないし、日本政府にはその意思がある。
(オプション)国では適切な窓口を用意している。連絡してくれれば、あなたの問題を国がサポートすることを約束する。ぜひ利用してほしい。
(理想的なオプション)完全に匿名で相談できる窓口も用意されています。個人で抱えきれない問題に対して、法的に安全に相談できる環境なので、一度でいいから連絡してほしい。
とにかく苦しいときは連絡してほしい。政府は皆さんをサポートすることで暴力や自殺やテロリズムを防ぐ強い意思を持っています。」
自分で書いててもピンとこないけど、多分そういうメッセージをひたすら政府が発信することがいま求められていることだと思う。テロの再生産をしないという目的と社会問題を解決するという目的を同時に達成するために。
<h3>o- *****</h3>
(心の声)
政府がメッセージを発するという機能も、この10年なんとなく失われ、総理大臣が会見をする風景がとても珍しくなった。
完全匿名の相談窓口を政府が開いたとアナウンスしたとして、その匿名性を、政府のフェアネスを信じる下地もなんとなく失われたように思える。
正直言って詰んでる気がしないでもない。
それでも、綺麗事を政府が叫び続けることは民主主義国家にとって必要なことだと、今はまだ思っている。
<h3>o- *****</h3>
1.自分だけが息苦しいような気がしていたけれど、色んな人と会話してみると、どの人もそれぞれ違う悩みを抱えて、他の人に嫉妬したり、羨んだりしていることが何となく分かった。人生ってそういうものなんだと、きっとそれで大丈夫なんだと今は思う。
2.表面上、周りから見て上手くいっているように見える僕の人生も、実はあべこべでぐちゃぐちゃで、普通に社会に溶け込んでうまく生きてる人や逆にめちゃくちゃでも自分のやりたいことに全力投球で生きてる人を見ながら、どちらにもなり切れていない自分に対して少し落ち込んだり、不安になったりすることもある。でも、今はそれでいいんだとそう思う。
3.アニメ・ゲーム・小説などの物語やライブや歌などの音楽は自分に色々なことを教えてくれた。僕の人生を豊かにしてくれた。そういうものを僕はこれからも大事にしていきたい。
4.人は欲深いもので、人生の中でやりたいこと・成し遂げたいこと、やっとけばよかったなんてことはたくさんあって、そういうものは自分の中にはないと思っていても、その時々で際限なく湧き出てくるものだと思う。でも、僕はそれでいいと思う。今の自分にできること・やりたいこと・経験したい新しいことを一つでもやって、その時は「自分の人生が少し豊かになったな、よくやったな」と素直に自分を褒めてあげたい。
5.僕は少し他の人たちとは違っていて、他の人が当たり前のように気づいていることに、何年も気づかなかない。反対に、僕の中では当たり前だと思っていたことが実は他の人にとっては当たり前じゃなかったりすることも度々ある。そして、僕にとっては全く興味が無かったり、重要じゃないと思っていたことも実は他の人にとっては案外重要だったりする。そういうことがようやく分かり始めた。
6.数か月後、数年後の将来への不安があることは、決して悪いことではないように思える。それは自分の中で無意識に今日、明日はとりあえず何とかなるだろうという心の余裕を持っていることでもあるから。僕も少しずつそうなれたらなぁと今は思う。
7.僕は周りから見ても恵まれた環境にいて、人生も上手くやってきた方だと思うけど、その裏では色んなことに苦労して、悩んで「僕って生きるセンスないなぁ」とか「僕って弱いなぁ」と常々思っている。そんな自分が正直嫌いになりそうにもなるけど、でも最近はようやくそんな自分を肯定できるようになってきたそんな気がする。
8.自分で少し意識して工夫すれば、変えられる部分もあれば、自分ではどうしても変えられない部分もある。そういう時に少し「なんで自分はこうなんだろう」と落ち込んでしまうこともあるけれど、そういう所も自分の個性として受け入れていきたいと思う。
9.何か壁にぶち当たった時、人はそれを乗り越えたり、逃げたり、愚痴を吐いたりしながら、その壁に対処すると。別に乗り越えることが成長だとか逃げることが絶対に正しいというわけではない。その時の自分が考えて、選んだものによって、自分が良くも悪くも少し変わったんだなと思う日がいずれ訪れる。今はそれでいいのだとそう思うし、そういうものを大事にしていきたい。
10.自分の身近で起きている出来事に対して、僕は基本無頓着だけれど、実際に自分が同じことを経験すると、僕の想像以上にそれが大変だったり、楽しかったりすることがわかる。そういうものも大事にしていきたい。
11.自分が人生で絶対に正しいと思っている信念なんてのは案外脆くて、それに耐えきれなくなった時に僕は混乱してしまうだろう。それでも、そうやって踠き、もがいている中で気づくこともきっとあるんだと今はそう思う。
12.世の中は目まぐるしく、変化していて、自分だって世界だってどうなっていくのか分からないけれど、今は1日1日を大切に今日を平穏無事に過ごせていることに感謝したいとそう思う。
13.辛い時、悩んでいる時、自分がどうすれば良いか分からなくなってしまう時もあるけれど、その時は一旦深呼吸をして、今までの人生の中で大切だなというものを振り返って見たり、少し勇気を出して新しいことに挑戦したり、今まで話したこともないような人と連絡を取ってみたりしたいなと思う。そういうちょっとした経験を人生の糧にして大事にしたいと思う。
14.人生が辛い時、しんどい時、「どうして僕はこうなんだろう」と思ってしまう時もある。でも、そういう自分の心が疲れている時にしか見えない景色、得られないこともあるだろうと今は素直にそう思う。
15.人生には自分がどうすればいいのか、どうしたいのか分からなくなってしまう時が時々訪れる。そういう時に、自分が悩んでもがきながら、改めて思ったこと、感じたこと、やりたいと思ったこと、やった方いいなと思ったことが自分にとっての答えなんだと思う。そういったやってつまづいて、悩んできたことを僕が自分が懸命に生きた証として様々な形で残したいと思う。インターネットの掃き溜めに垂れ流しているこの他愛のない文章も自分にとってはとても大きなものなんだと思う。
こちらを読んでうなづけるものがあった。たしかに免疫がないので手練に勧誘された時に、はたして自分がしっかり対応できるのかと不安になる。
https://togetter.com/li/1914405
今までずっと親が変な宗教にハマったりしたら怖いなくらいにしか思ってなかったけど、考えてみたらそもそも勧誘なんて全然されたこともないし(宗教絡みだと子供の頃エホバの人が家に来たことくらい)
20~30代の頃は色んなことに夢中になって充実していたのであまり隙はなかったように思う。
でもここ最近はというと人とのつながりも希薄になったし、以前より夢中になることはだいぶ減ったし、なにか趣味でも持たないとなあとぼんやり思ったりして
仕事も惰性でまあなんとかやれてるうちはいいかとか、わりと心の中は退屈だったり、一番大きいのは人に対して優しくなってきてしまったというか、
昔は他人の気持ちを推し量るとか全然できなかったのに、そして今もできてるとは言えないんだがやたら相手の気持ちになってみようとしてしまったりして、
相手を許容しようとか、なんか綺麗事のような感じで良い人でありたいという気持ちがどんどん強くなってしまっている。
恐らくだが、怪しい商売や宗教みたいなのはこういう気持ちもうまく利用して勧誘してくるとこがあるんじゃないかと思っている。
例えば興味本位で関心を持ったとしても、自分はお金はないしケチなので、最終的にお金の話が出たところで一気に冷めるはずと思ってはいるんだけど、
そこも時間をかけて人間関係とか作られていったりしたら、自分の居場所ができたような帰属意識みたいなのできてしまったら、残りの人生はそれで充実するならそれもいいかとか、思ってしまう可能性はないとは言い切れない。
自分本位に生きてきたから基本的に根っこのとこでは自分しか信じてこなかった。だから騙されてる人とかなんでわからないんだろうと思ってたけど、そういう人間こそいざ自分が弱った時にコロっと騙されてしまうのではないか。
自分としてはとにかくあの手この手でお金を取ろうとしてくるとこは全部おかしいと思っているし、お金を取らないなら別に宗教とか好きにすればいいと思っているんだけど、それも極端だろうか。
1.自分だけが息苦しいような気がしていたけれど、色んな人と会話してみると、どの人もそれぞれ違う悩みを抱えて、他の人に嫉妬したり、羨んだりしていることが何となく分かった。人生ってそういうものなんだと、きっとそれで大丈夫なんだと今は思う。
2.表面上、周りから見て上手くいっているように見える僕の人生も、実はあべこべでぐちゃぐちゃで、普通に社会に溶け込んでうまく生きてる人や逆にめちゃくちゃでも自分のやりたいことに全力投球で生きてる人を見ながら、どちらにもなり切れていない自分に対して少し落ち込んだり、不安になったりすることもある。でも、今はそれでいいんだとそう思う。
3.アニメ・ゲーム・小説などの物語やライブや歌などの音楽は自分に色々なことを教えてくれた。僕の人生を豊かにしてくれた。そういうものを僕はこれからも大事にしていきたい。
4.人は欲深いもので、人生の中でやりたいこと・成し遂げたいこと、やっとけばよかったなんてことはたくさんあって、そういうものは自分の中にはないと思っていても、その時々で際限なく湧き出てくるものだと思う。でも、僕はそれでいいと思う。今の自分にできること・やりたいこと・経験したい新しいことを一つでもやって、その時は「自分の人生が少し豊かになったな、よくやったな」と素直に自分を褒めてあげたい。
5.僕は少し他の人たちとは違っていて、他の人が当たり前のように気づいていることに、何年も気づかなかない。反対に、僕の中では当たり前だと思っていたことが実は他の人にとっては当たり前じゃなかったりすることも度々ある。そして、僕にとっては全く興味が無かったり、重要じゃないと思っていたことも実は他の人にとっては案外重要だったりする。そういうことがようやく分かり始めた。
6.数か月後、数年後の将来への不安があることは、決して悪いことではないように思える。それは自分の中で無意識に今日、明日はとりあえず何とかなるだろうという心の余裕を持っていることでもあるから。僕も少しずつそうなれたらなぁと今は思う。
7.僕は周りから見ても恵まれた環境にいて、人生も上手くやってきた方だと思うけど、その裏では色んなことに苦労して、悩んで「僕って生きるセンスないなぁ」とか「僕って弱いなぁ」と常々思っている。そんな自分が正直嫌いになりそうにもなるけど、でも最近はようやくそんな自分を肯定できるようになってきたそんな気がする。
8.自分で少し意識して工夫すれば、変えられる部分もあれば、自分ではどうしても変えられない部分もある。そういう時に少し「なんで自分はこうなんだろう」と落ち込んでしまうこともあるけれど、そういう所も自分の個性として受け入れていきたいと思う。
9.何か壁にぶち当たった時、人はそれを乗り越えたり、逃げたり、愚痴を吐いたりしながら、その壁に対処すると。別に乗り越えることが成長だとか逃げることが絶対に正しいというわけではない。その時の自分が考えて、選んだものによって、自分が良くも悪くも少し変わったんだなと思う日がいずれ訪れる。今はそれでいいのだとそう思うし、そういうものを大事にしていきたい。
10.自分の身近で起きている出来事に対して、僕は基本無頓着だけれど、実際に自分が同じことを経験すると、僕の想像以上にそれが大変だったり、楽しかったりすることがわかる。そういうものも大事にしていきたい。
11.自分が人生で絶対に正しいと思っている信念なんてのは案外脆くて、それに耐えきれなくなった時に僕は混乱してしまうだろう。それでも、そうやって踠き、もがいている中で気づくこともきっとあるんだと今はそう思う。
12.世の中は目まぐるしく、変化していて、自分だって世界だってどうなっていくのか分からないけれど、今は1日1日を大切に今日を平穏無事に過ごせていることに感謝したいとそう思う。
13.辛い時、悩んでいる時、自分がどうすれば良いか分からなくなってしまう時もあるけれど、その時は一旦深呼吸をして、今までの人生の中で大切だなというものを振り返って見たり、少し勇気を出して新しいことに挑戦したり、今まで話したこともないような人と連絡を取ってみたりしたいなと思う。そういうちょっとした経験を人生の糧にして大事にしたいと思う。
14.人生が辛い時、しんどい時、「どうして僕はこうなんだろう」と思ってしまう時もある。でも、そういう自分の心が疲れている時にしか見えない景色、得られないこともあるだろうと今は素直にそう思う。
15.人生には自分がどうすればいいのか、どうしたいのか分からなくなってしまう時が時々訪れる。そういう時に、自分が悩んでもがきながら、改めて思ったこと、感じたこと、やりたいと思ったこと、やった方いいなと思ったことが自分にとっての答えなんだと思う。そういったやってつまづいて、悩んできたことを僕が自分が懸命に生きた証として様々な形で残したいと思う。インターネットの掃き溜めに垂れ流しているこの他愛のない文章も自分にとってはとても大きなものなんだと思う。
1.自分だけが息苦しいような気がしていたけれど、色んな人と会話してみると、どの人もそれぞれ違う悩みを抱えて、他の人に嫉妬したり、羨んだりしていることが何となく分かった。人生ってそういうものなんだと、きっとそれで大丈夫なんだと今は思う。
2.表面上、周りから見て上手くいっているように見える僕の人生も、実はあべこべでぐちゃぐちゃで、普通に社会に溶け込んでうまく生きてる人や逆にめちゃくちゃでも自分のやりたいことに全力投球で生きてる人を見ながら、どちらにもなり切れていない自分に対して少し落ち込んだり、不安になったりすることもある。でも、今はそれでいいんだとそう思う。
3.アニメ・ゲーム・小説などの物語やライブや歌などの音楽は自分に色々なことを教えてくれた。僕の人生を豊かにしてくれた。そういうものを僕はこれからも大事にしていきたい。
4.人は欲深いもので、人生の中でやりたいこと・成し遂げたいこと、やっとけばよかったなんてことはたくさんあって、そういうものは自分の中にはないと思っていても、その時々で際限なく湧き出てくるものだと思う。でも、僕はそれでいいと思う。今の自分にできること・やりたいこと・経験したい新しいことを一つでもやって、その時は「自分の人生が少し豊かになったな、よくやったな」と素直に自分を褒めてあげたい。
5.僕は少し他の人たちとは違っていて、他の人が当たり前のように気づいていることに、何年も気づかなかない。反対に、僕の中では当たり前だと思っていたことが実は他の人にとっては当たり前じゃなかったりすることも度々ある。そして、僕にとっては全く興味が無かったり、重要じゃないと思っていたことも実は他の人にとっては案外重要だったりする。そういうことがようやく分かり始めた。
6.数か月後、数年後の将来への不安があることは、決して悪いことではないように思える。それは自分の中で無意識に今日、明日はとりあえず何とかなるだろうという心の余裕を持っていることでもあるから。僕も少しずつそうなれたらなぁと今は思う。
7.僕は周りから見ても恵まれた環境にいて、人生も上手くやってきた方だと思うけど、その裏では色んなことに苦労して、悩んで「僕って生きるセンスないなぁ」とか「僕って弱いなぁ」と常々思っている。そんな自分が正直嫌いになりそうにもなるけど、でも最近はようやくそんな自分を肯定できるようになってきたそんな気がする。
8.自分で少し意識して工夫すれば、変えられる部分もあれば、自分ではどうしても変えられない部分もある。そういう時に少し「なんで自分はこうなんだろう」と落ち込んでしまうこともあるけれど、そういう所も自分の個性として受け入れていきたいと思う。
9.何か壁にぶち当たった時、人はそれを乗り越えたり、逃げたり、愚痴を吐いたりしながら、その壁に対処すると。別に乗り越えることが成長だとか逃げることが絶対に正しいというわけではない。その時の自分が考えて、選んだものによって、自分が良くも悪くも少し変わったんだなと思う日がいずれ訪れる。今はそれでいいのだとそう思うし、そういうものを大事にしていきたい。
10.自分の身近で起きている出来事に対して、僕は基本無頓着だけれど、実際に自分が同じことを経験すると、僕の想像以上にそれが大変だったり、楽しかったりすることがわかる。そういうものも大事にしていきたい。
11.自分が人生で絶対に正しいと思っている信念なんてのは案外脆くて、それに耐えきれなくなった時に僕は混乱してしまうだろう。それでも、そうやって踠き、もがいている中で気づくこともきっとあるんだと今はそう思う。
12.世の中は目まぐるしく、変化していて、自分だって世界だってどうなっていくのか分からないけれど、今は1日1日を大切に今日を平穏無事に過ごせていることに感謝したいとそう思う。
13.辛い時、悩んでいる時、自分がどうすれば良いか分からなくなってしまう時もあるけれど、その時は一旦深呼吸をして、今までの人生の中で大切だなというものを振り返って見たり、少し勇気を出して新しいことに挑戦したり、今まで話したこともないような人と連絡を取ってみたりしたいなと思う。そういうちょっとした経験を人生の糧にして大事にしたいと思う。
14.人生が辛い時、しんどい時、「どうして僕はこうなんだろう」と思ってしまう時もある。でも、そういう自分の心が疲れている時にしか見えない景色、得られないこともあるだろうと今は素直にそう思う。
15.人生には自分がどうすればいいのか、どうしたいのか分からなくなってしまう時が時々訪れる。そういう時に、自分が悩んでもがきながら、改めて思ったこと、感じたこと、やりたいと思ったこと、やった方いいなと思ったことが自分にとっての答えなんだと思う。そういったやってつまづいて、悩んできたことを僕が自分が懸命に生きた証として様々な形で残したいと思う。インターネットの掃き溜めに垂れ流しているこの他愛のない文章も自分にとってはとても大きなものなんだと思う。
あ、ちなみにおれはプーチン、習近平、金正恩に死んでほしいと思ったことなど一度もないし、今回の安倍さんの悲劇も悲しいし、政治に暴力は許されないと思っているよ。
そう思うんだったら、お前の言う「綺麗事」って何なんだよって思う
プーチンや習近平、金正恩の死を望んでいながら安倍の暗殺を非難するのはおかしくないか?
「誰かこいつを暗殺してくれないかな」と思ったことのある人間、いるだろう。
おれはお前に言っている。
「政治信条や好き嫌いとこれは別。どうか助かってほしい」だとか、
急にいい人ぶろうとするのはやめろ。
安倍さんの業績と蛮行を先に挙げた各国の要人のそれと比較すれば彼は暗殺されるに値すると結論付けられるはずだ。
そこから目をそらしながら感傷的で建前的な言葉を垂れ流すのは、あまりに偽善的過ぎる。
あ、ちなみにおれはプーチン、習近平、金正恩に死んでほしいと思ったことなど一度もないし、今回の安倍さんの悲劇も悲しいし、政治に暴力は許されないと思っているよ。
おれが許せないのは急にきれいごとを言い出す、おまえ、だ。
当落ライン上と言われている赤松健の選挙活動が素人目にもヘタクソに見えて辛い。
氏はマンガ家であるから選挙活動についてのノウハウは乏しいだろうが、それにしてもひどいと感じてしまう。
既に関係のある同業者と連携して、なんとか偉い人を言いくるめれば良い訳だ。
しかし、選挙活動とは「対・誰とも分からない大勢の一般人」相手の活動だ。
たぶん、この差は決定的である。
筆者は大学でも政治系の講義は取っていなかったレベルのド素人であるが、政治とは綺麗事では済まない世界だろう、という想像くらいはできる。
清濁併せ呑む、とにかく損得勘定で考える、道理よりも利害関係の調整、胃の痛くなるような根回し、そういう世界なのだろう。
例えば、与党で大きな権力を握っている人間が、法に触れなきゃ何やってもオッケー、関係各所との利権で私腹を肥やす『大悪人』と世間から称されるような人物だったとする。
プライベートでは絶対に関わりたくないような相手、自分の中の道理と照らし合わせても唾したくなるような相手でも、ロビイングをするとなれば話は別だ。
なんとかこの偉い『大悪人』のご機嫌を取り、言いくるめ、時に何らかの利害関係を調節し、自身の主張に賛同してくれるように関係を築かねばならない。
無論、『大悪人』以外に働きかける方法もあるだろうが、活動可能な人手や政権への影響力を総合的に判断した時に「一番偉く、一番ヤベー人格の輩」に取り入るのが最善手という事もあろう。
さてロビー活動として『大悪人』と関係を結ぶことを、世間の人々はよく思わない事だろう。
政治は綺麗ごとではないと言っても出来ればクリーンな若手に力を伸ばして欲しい、そう思うのが人情だ。人間、わりと感情の獣である。
しかしロビー活動の内容は世間の人々にはあまり届かないし、届いた少数の人がその活動を非難しても、ロビー活動そのものには大した影響はないだろう。
何故ならロビー活動で一番大切なのは「偉い人との関係」だ。世間からの非難など、活動そのものに支障が出ない範囲でなければ、あまり問題にはならない。
同業者やオトモダチではなく、自分を知らない人、自分の意見と対立するかもしれない人に、いかに話を聞いてもらうか。
いかにして「ハジメマシテ」の人に良い印象を持ってもらうか、そしてなるべく敵を作らないようにするか――
ド素人なりに、そういう事が大事になってくるのではないか、と想像する。
マンガで例えるならば、既にいる自分のファン向けに描くのではダメなのだろう。
自分は世間の流行には媚びない、ウケ狙いなんてしない、自分の描きたいものを描いて、それに共感してくれる人がきっと居る筈だ! ではダメだ。
新規の読者を獲得し、或いはアンチを取り込み、世間の流行に乗っかり、商業的な成功を収める事に全振りしたマンガを描かねばならない。
まして赤松氏は今回が初出馬、政治の場に彼のファンは少なく(支持母体が無い)、ちょい売れ同人作家が商業に売り込もうとしている状態に等しい…と思う。
「行き過ぎたジェンダー論」その他、是非はともかく燃えそうな気配のある言動。
実績アピールとして、世間一般からの評判があまりよろしくなさそうな人物との関係を強調。
様々な言動に対する様々なツッコミを(勿論、中には揚げ足取りやただの茶化しもあるが)総スルー。
売り込みは既存のファン、或いは「自分と同じタイプのオタク」向けで、「タイプの違うオタク」の一部を敵に回すような言動も見られる。
選挙活動が本格化したから可視化されているだけかもしれないが、ツイッター上のアンチ赤松の増殖速度はマジでヤバい気がする。
ロビー活動時代は応援していた人が「ちょっと今回はダメだわ」みたいな感じで離れていく例も割と見た。
ツイートを見る度に「なんでまたそんな新たな敵を作りそうなことを…」と辛い気持ちになるばかりで、筆者自身そっとフォローを外した。
政治は綺麗ごとではないと思う。当選したとして、表現の自由を守る為には評判の悪い議員と付き合う必要も出てくるだろう。
そのワンイシューをどんな手を使っても貫くため、大衆ウケの悪い言動を取って党内のポジション取りをすることを強いられるかもしれない。
ポジション取りだの根回しだのの前に、世間一般の人々の人気取りをしなければいけない状態の筈だ。
だというのに、赤松氏は今日も既存ファン以外の好感度を下げアンチに悪評の口実を与えそうな「身内向けアピール」を繰り返している。
それでも筆者は赤松氏に投票する、たぶんする、たぶんきっとおそらくする。
その一票が無駄にならない事を、切実に願ってならない。
そう思うね。一生懸命取り組むことの大切さを伝えている、と綺麗事で説明することもできるかもしれないけど、違う方法でも伝えることができるんじゃないかと思ってしまう。
入れなかったんだよ。
大手にしがみつきたかったが、JRもメガバンも地銀も大手メーカーも門前払いだったよ。
未経験OKなSES中小企業に入ったよ。これからは手に職だと思ったよ。そしたらなんとかデータや、なんとか通やらなんとか製作所の2次請、3次請に入れられて捨て駒のように扱われてるよ。
表面上は「パートナー企業」とかいってるけど、利益と折半してくれるのか?いつまでも契約してくれるのか?無理ならそんな綺麗事な呼び名で呼んでくれるなよ。ぞうきんにデコレーションしてるようなもんだよ。惨めだよ。
※一番下に追記あり
どの候補を推すかで迷ってる人に向けて、
候補者の絞り込みに役立てそうな Tips を紹介したいと思う。
今時の議員候補者は、自身の名前を売るために Twitter アカウントを運用しているのが多数だと思うんだが、
そう言う候補者に対し、Twitter で 「参議院候補者名 + ブロック」で検索すると割と面白いことが分かる。
と言うのも Twitter のブロックは、ブロックした相手に拒絶を突き付ける行為だと俺は思ってるんだが、
そのブロックの運用方法如何によって、その候補者がどう言う人間性、器量を持ってるかマジでハッキリと分かるんだよ。
例えばある参議院候補は、界隈(A)で自分達の意見を国会に届けられるのはこの人達だ!みたいなリストに入っているヤツで、
別の界隈(B)ではそいつ自身の言動が原因で界隈(B)の一部から蛇蝎の如く嫌われてるみたいなヤツなんだけど、
そいつはメディアとかで「自分は誤解されているだけで、現実には対話が大切だ」と主張してるんだよな。
で、現実に Twitter でその「候補者名 + ブロック」で検索したらどうだったか。
なんと驚くべきことに(俺は当然だろうなと思ったが)、
自分にとって都合の悪いことを言うヤツを片っ端からブロックしていて、
しかも単なる事実誤認の指摘をしただけの人間もブロックしている、と言う、
「私は実に器量の小さい、しょうもない無いチンケな奴です」と言う事実を白昼に晒してたんだよ。
まぁソイツの名誉とかもあるからその候補者が誰かはここでは書かないが、
実際 Twitter で「候補者名 + ブロック」で検索すると、そう言う綺麗事だけ言っていて、
現実には自分の口から出した言葉すら守ってないヤツがあぶり出せるし、
しかも議員候補者が有権者を片っ端からブロックした、と言う事実は、
それが多数であれば多数であるほど「俺は○○(議員候補)からブロックされた」と言う、
火の消しようが無い事実を照らす松明みたいなつぶやきが増えると言う性質がある。
つまりそう言う火消しが出来ない自身の議員としての適性の無さ、自身の器量の小ささが露呈する訳で、
そう言った意味でも「コイツに投票しようか迷ってるけど、コイツの器量ってどんなもんだろ?」と思う候補者名に対し、
Twitter でガンガン「候補者名 + ブロック」で検索するのはマジでオススメする。
本当ビックリするぐらいに「コイツに投票するのは無いな」って言うのが判明して言って、
「ああ、ならこの候補者は止めて、こっちの候補者に投票するか」って言う絞り込みにスゲー便利だから。
折角の選挙なんだし、チンケな候補者は避けて、真っ当な候補者を選んで行こうな!
本当にすまん。この手法、汎用的に通用するやつじゃなかったわ。
言及とかブコメで突っ込まれた様に、確かに河野太郎みたいなブロック活用マンにはこの方法は通用しないし、
一定の基準を持ってブロックを活用している候補者にもこの方法は有効活用できない。
あと本当に良いこと言ってんのに誹謗中傷されっぱなしの候補者とかにも当然使えない。
その辺り完全に見落してたわ。正直すまんかった。
と言う辺りから、「何も(直接)言及してないのにブロックされてた」と主張する面々がいて、
その上でその面々の Twitter の TL を見てもそうそうヘンじゃないやつ、
例えば明らかに吹き上がってるとかそう言う連中を除いた、まぁマシっぽいツイッタラーが多数ブロックされた、
と言っている限りでは有効、と言う感じだった。
つまり「実際コイツの度量・器量ってどんなもんのか」と疑ってる場合にブロックを乱発しているのが分かる時は十分通用するんだが、
それ以外のケース、例えば本当にまともな事を言っているのに罵倒されっぱなしな人とか、
たぶんミュートしまくってるんだろうな、みたいな候補には通用しない、っつーのが俺の見落としてた部分だった。
なんでこの手法は「コイツ良いこと言ってる風だけど、実際にはどんなもんなんだ?」と言う候補者に対し、
実際にブロックがどう活用されているか見て、そいつがチンケなやつかどうか見極める補助線にはなると思うが、
それ「だけ」では実際にチンケかどうかは判別できない、と言うのが総合的な評価になると自分でも思った。
とは言え自分がどの候補者を推すかどうか迷ってて、どっちも微妙かな……と言う時に、
どっちがマシかを調べるのに使えるんじゃないかと思う。
なんでこの方法が実用できるかはこの増田を読んでくれた皆の判断に任せるわ。
少なくとも俺の時は役に立ったが、全員がそうじゃない、と言うことは念頭に置いて、
んじゃな!
俺はまだ20代なんだけどさ、知り合いと選挙の話題になると「年金政策ちゃんとする政党に投票したいよな。だって俺らの代でも影響するじゃん」っていうわけ。
いやーどうなんだろうなーと。
なんつうかさ、今すぐ年金を優遇しようとするやつらってどこかで「自分が政治家と死ぬまでに財源使い切っててもいい」と考えてる気がするんだよな。
今20代の人間が50年後に年金もらって80年後に死ぬときのことまでのことを考えている政治家は目先の老人票を掻き集めようとはしないんじゃないかなと。
つまり、「若者が老人を優遇する制作に投票する」ってのは「未来の自分たちのため」にはならないと思ったほうが良い気がするんだよ。
特定世代の優遇を目指す政治家を応援してメリットがあるのは本当にその特定世代の有権者だけなんじゃないかな。
50年後に年金を優遇してもらいたいなら、今投票すべきは「20代を優遇する」と言ってる政治家だと思う。
それでソイツをずっと応援しておいて、2世3世に引き継ぐときに「2000年ぐらいに産まれた奴らが俺の一族の票田なんだ」と伝えてもらうことを目指したほうが良さそう。
こういう考えってすげーシミったれてるってのはわかるんだが、トンチンカンな狙いで投票するぐらいならちゃんと狙った的あとに当てるつもりで投票した方がいい。
(何周年なのか知らないけど)
追いかけるのをやめて何年も経った
本当に好きで好きで
アルバム何枚も買ったし
イベントにも行ったしカバーユニットも応援してライブ行ってたし
ラジオも聴いてたし
凄く好きだったんだけど
今の彼の代表作はそこまでハマらず、思い入れもそこまでなかったけど
彼のことをずっと応援してた
その曲知らないし
周りのオタクもみんな泣いて喜んでるし
凄く、ギャップがあって、ああ………私、対象じゃないんだと気づいて
彼はそんな私は全く関係なくて
思い入れのある人気のキャラクターのことを知ってる、同じように思い入れのあるオタクとキャラクターは大切にしてその人たちがこの周年ライブの対象のファンで
気づいた瞬間スって冷めて、それ以来CDも買ってないし曲も聴いてないしライブももちろん行ってない
ずっと知らずに応援してたけども。。。
憤りとかもなく
こないだの周年ライブで
昔応援してて今降りたオタクにも感謝してるみたいなこと言ってるって聞いて思わず書きました。
ずっと静かにしてたけど。
内輪で仲良くやっててください
今あなたが音楽活動出来てるのは今応援してるオタクのおかげだから、今いるオタクを大切にしてくださいね
いなくなった人に気を遣って、今いるオタクを蔑ろにしないようにね
全部掴むなんて無理なんだから
いじめられてるヤツと毎年ペアになるように組まされた方も一生忘れないし
そいつのことが今でも大嫌いだ
そいつが転校したとき、やっとコイツの処理係から開放されたとすごく気持ちが晴れた
小学生だったがそのいじめられてた奴が消えた最後の一年は楽しかった
今でも恨んでるわ
自分はいじめに加担してないが、そいつを嫌うことは別にいじめじゃないだろ
なのに腫れ物のそいつを毎年毎年、おとなしくて何も言わない自分のペアになるように仕組んでいたゴミ教師どもも大嫌い
大人になってから気づいたよ、何も言わないから処理係させられてたんだって
黙ってて面倒になりにくそうな、自分になすりつけたらいいんだって
私だって一生忘れないし一生恨む
あんなやつ消えればいいんだ
今なら噛み付いて理不尽な状況を引きちぎってやれるのに
いじめられっ子という嫌われ者を特定の人間に押し付けるのもいじめだろ
クソ教師ども
ずっとそうだったから、いじめられてるの見ても知ったこっちゃないわって思ってたし
最初は嫌い、だけで済んでたのに本気で消えればいいのにって思うようになっていったよ
そもそも学校教育で、「皆仲良く」みたいなクソみたいな綺麗事言うからこうなるんだろ
反発しあってるのに無理やり引き合わす必要ないだろ
自社は小さい雑居ビルであり作業スペースなどなく、ほとんど客先常駐である。
・常駐先は常に数ランク下の場所をあてがわれる。元請けの作業室にはちょっと豪華な自販機やソファが置いてあるが、下請けの部屋は椅子と長机だけという事もある。
・パソコンを貸し出す常駐先もあるが、このパソコンの性能はもちろん最低レベルだ。メモリ8Gがデフォ、4Gの所もある。今どき4GのPC用意する方が難しいだろ。
・下請けにはインターネット利用を制限してる常駐先もある。調べ物をしたい場合は、元請けのパソコンを借りたり、一旦作業場から退室して自分のスマホを開いてノートにメモをする。
・元請はリモートワークでの作業を許されてるが、下請はパソコンを席にチェーンで繋がれる。リモートなんて夢のまた夢だ。
・下請けの人材は商流が深くなるごとにとんでもないのがいる。コミュ障なんてかわいい方で、就業時間中ほとんど寝てる奴、技術力が無さすぎて、マイルールで開発を進めて元請に注意されたらすねて仕事を放棄する奴、永遠に電話取りとキッティングとエビデンスをキングファイルにとじてる奴。一応頭脳労働なんだけどな。
・下請は元請けから常に見下されるし、差別される。彼らは頭が良く外面は完璧なため、直接的な振る舞いはしないが、こっちも馬鹿じゃないので彼らの悪意を読み取ってしまうことはある。孫請、ひ孫請もっと悲惨だ。1年間一緒に仕事をしても名前は間違えられるし、会社名なんて一生覚えてもらえない。
これでも、昔に比べるとだいぶマシになったらしい。灰皿とか固定電話が宙を飛び交ってたらしいし、元請けが下請けの社員を潰しても、プロジェクト遂行の美名のもと握りつぶされてたからだ。今はそんなことしたら元請け側が一発アウトなので、そういう意味では改善は進んでるのだろう。
しかし客先常駐はその仄暗さを完全に払拭することは出来ないと断言する。どんなに綺麗事をならべても、これは現代の奴隷制度だからだ。
そんな状況に飼い慣らされてる自分を嘲笑しながら、俺は今日も貸し出された低スペックのパソコンでエクセルにスクショを貼っていく。