はてなキーワード: 精神障害とは
こんな公的支援がある
医院と薬局を一カ所だけ指定して申請すると、精神科の医療費と薬代が一割負担になる。転院したり引っ越ししたりしてもまた申請すれば大丈夫。収入によっては一カ月の中で支払う上限が変わる。
http://seseragi-mentalclinic.com/jiritu-shien/
・障害年金
18歳未満に病気が発生したか、それ以上かによって支給要件変わる。発達障害単体だと無理の可能性高いけど二次障害起こしてるともらえるかも。受給するための支援してくれる障害者支援施設もあるので使ってみてもいい。
一番のメリットは障害者雇用に応募できる。配慮をもらえるのはすごく楽。あと公的施設の入場料が無料になったり映画が1000円で見られたりバスなど移動手段が割引になったり。電車は割引不可のところがまだまだ多い。持っていると色々役立つ時がある。ただし障害者雇用は賃金がだいぶ安くなるから気をつける。
上記は主治医の診断書が必要になるので治療方針が食い違うと書いてもらえなくなるかも。要相談。ちなみに障害年金受けてるとその受給者証を見せれば楽に手帳の申請ができる。
学生生活では、いちかばちかテストやレポートのすみっこに、これこれこういう理由で授業を受けるのが困難だった、と書いてみる。時々同情してもらえて単位もらえる。最終手段として。
退学するかどうかは家族と良く話し合おう。うつ症状は判断を狂わせるので、あまり重要な決断をしないのが一番いい。どれだけ時間をかけても卒業するか、休学しながら体調を回復させるか、はっきり辞めてしまうか。道はたくさんあると思う。
やりたい勉強があったなら、退学は最終手段にしてほしいな。やめるのは簡単だけど、入るのはすごく難しいから。お金の問題もあるから一概には言えないけど。コメにもあるけれど通信教育や放送大学という手もある。
ざわつきが気になるならデジタル耳栓とかイヤーマフなんかを試してみてもいいかもしれない。授業になったら外す、とか。周りの目は気にしなくていい。好きなように言わせとこう。
何よりも、無理せず。やりたいようにやろう。
私も卒論の指導教授には、たぶん見えないところでたくさん下駄を履かせてもらえたと思う。うつの治療しながらではあったが、なんとか卒業させてもらえた。ありがたかった。味方は必ずいるから。
都道府県には必ず「発達障害支援センター」や「障害者職業センター」が存在する。場所によっては「障害者生活・就労支援センター」などもある。「若者サポートステーション」などもいいかも。公的機関とは別にNPOなんかも。相談先はいくつかあると楽。たまに信用できない支援施設や相談員もいるから気をつけて。
もうそもそも発達持ちなら自営業とかの方が合うかもしれないとつくづく思っている。ブログで副業とかどうなのだろう。そこはお好みで。
ADHDと自閉症スペクトラム併発すると結構職業が限られると思う。これは私も今模索中。広々した場所で全員の挙動が全部見えるデスクワークは最悪だった。経験談として。
また何か思い出したら書くかも。
お互い頑張ろう。
あ、あと自分から「ガイジ」という言葉を使うのはおすすめしない。あまりにひどい言葉だしはてなにもたくさんいる発達持ちに失礼。
※色々追記
ADHDは治らないよ。薬で症状を押さえてるだけ。でもこのコンサータやストラテラを飲むと、発達持ちの特性である、創造性が失われるという話もある。それが嫌なので私は飲まなかった。元増田はいい方向に行ってるようなので何より。
一割負担の話は政府に文句言ってくれ。だけど精神障害持ちはロクに働けなかったり薬がべらぼうに高くなる傾向なので大目に見てくれると助かる。
精神障害二級はだいたい労働や生活にかなりの支援を必要とする、くらいだったと思う。
ガイジって言葉は誰であれ使うなと強く言っておく。アスペもあまり好きでない。
発達持ちは謎の体調不良を起こしたり疲れやすかったりするので授業にたどり着くだけでもけっこう大変。そして休んでも友達にノートを借りたりできずに落とした単位がいくつかあった。人によるから簡単にちょろいと言ってやらないでくれ。
※またまた追記
>>偶に自立支援の申請に必要な診断書の交付を拒む医師がいるらしいが、医師法19条2項違反だからな。
申請を受理するか却下するかは役所が判断することで、医師がその申請が通るかどうかを必要以上に気にすることは無い。<<
そうなのか。一番最初に自立支援の申請をした医者がどうも渋り気味だったから印象で書いてしまった。補足助かる。
それも十年近く前だから、きっと少しは良くなっていると信じたい。申請にマイナンバーが必要になったのはアホかと思ったが。
まだ成人の発達障害は誤解も多く、私の主治医はとても良い信頼できる主治医だが、私が発達障害であると認めてくれない。(主治医に内緒で発達障害専門医にセカンドオピニオンに行って発覚した)
発達障害に詳しい医師にかかるのが一番だろうが、地方ではそれも難しい現状だ。
ただ、障害者職業センターはだいぶ発達障害に力を入れ始めていると聞いた。何かの助けになるかもしれないから、元増田以外の発達障害持ちも相談してみるといいかもしれない。
私は統合失調症を患う精神3級の手帳持ち障害者だ。就労移行支援施設という障害者向けの就職を支援してくれるところに2年ほど通って無事就職が決まり、今はなんの因果か障害者を指導する立場に立っている。
私が障害者の就職を支援してくれる施設に通って見聞きした話や、障害者を指導する立場に立って思ったことを、精神障害者の就労継続にピントを合わせて書こうと思う。
2018年には法定雇用率に精神障害者が算定されるようになることもあり、精神障害者の就労についての社会の関心は高いと思われる。
実際、精神障害者の就職数はここ数年右肩上がりだ。一方で、精神障害者の職場定着率は他の障害者よりも低いと言われている。最近の詳しい統計が公開されているのをみたことはないが、2008年度という古いデータだと一年以上の定着率は約40%。6割近くが一年以内に辞めている。 http://www.nivr.jeed.or.jp/download/houkoku/houkoku117_summary.pdf
この精神障害者がなかなか職場に定着できない理由であるが、障害者本人も雇用側も共に精神障害のことをわかっていないのが一番大きな理由だと考えている。そのためにミスマッチが起こりやすいのだ。
企業側としては、障害は制御できるものだと考えている。もう少し正直にいうと、制御できない障害の人間は雇わない。
身体障害者は彼らの障害が物理的なものであるために物理的に制御できる。知的障害者についても、彼らの特性はある程度型にはまっているし、彼らは幼い頃から支援機関につながりその特性が長い目で観察されているので具体的な配慮点が見えやすい。
そしてそれと同じように、精神障害者に対しても「合理的な配慮」をするのが企業に義務として課せられる法律が決まった。
だが、これは政策の失敗になるだろうと予想している。何故ならば、精神障害はその特性に型がないからだ。同じ病名であってもひとりひとり症状や対処法が違う。
もちろん病名をつけている医者から見れば、型が見えるのだろう。だが、それは大量の精神病患者と向き合う精神科医だからこそできることだ。
私や多くの人のように、機会があって巡り合うことになった限られた精神病患者と、社会的、個人的に付き合う人間にとっては、彼ら(というか私も含めて)はひとりひとり全く違った病態を持っているように見える。
私自身も統合失調症だと診断されているが、この病気も陽性期と陰性期では全く違った症状を見せる。陽性期だけをとってみても、妄想が出る人、幻聴が出る人、その両方が出る人といったように症状が違う(私は幻聴タイプだ)。
だから、精神科医以外の素人にとって、精神障害者に対して「この病名はこういう症状だからこう接するべき」みたいなものは見えないのが実情だと思う。患者個人を深く知れば知るほど、彼らが病名の型にはまった存在ではないということが分かってくる。
だから、企業が身体障害者や知的障害者と同じように、精神障害者にもこの病名の人はこういう障害だからこうした配慮をすればいい、という合理的かも知れないが画一的な配慮をしようとしても、失敗すると予想する。
では、どうやれば精神障害者を受け入れられるのか?そのためにはまず、障害者本人と、雇用する側と、そして精神障害者の支援者の三者が絶対に必要だと考える。
何故支援者が必要なのか?それは、精神障害者の自己認識についての難しい問題があるからだ。
身体障害者は自分の特性を問題なく理解している。知的障害者には支援者が必ずいて、その人が本人の特性を理解している。では、精神障害者は?精神障害者はその障害が精神にある以上、自分の障害特性を客観的に判断することが非常に難しい。私もこれができなかった。なので、支援者に客観的に自分の障害特性を把握してもらう必要がある。それが職場へのマッチングや就職後の雇用する側の対応策などに非常に効いてくるのだ。
こちらの資料 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/iken_koukankai/dai7/siryou2.pdf の16ページにあるように、支援者がいる場合の精神障害者の一年定着率は65.1%にまで跳ね上がる。
そしてこの支援者と雇用する側には、精神障害者には病名による決まった型はなく、ひとりひとり特性が違い、それぞれに別個の配慮をする必要がある、という認識がなければならない。
自分も精神障害を抱えているにもかかわらず、私自身この現実に気がつくまで時間がかかった。
なので、精神障害者の雇用をする側には、例えば統合失調症の方を受け入れよう、というような姿勢ではなく、〇〇さんを受け入れよう、という姿勢を取っていただきたい。
それは非常にコストのかかる話だとは思う。けれども、精神障害者に働いてもらうつもりで雇用するのなら、そちらの方が長い目で見ると良いだろうとかなり確信を持って言える。
次に精神障害を持っている本人やその家族には、客観的に障害特性を把握してくれる第三者の支援者を持って欲しい。
プロの支援者は本人が気づかない障害特性にも気づいてくれる。そうした第三者がいるかどうかで、雇う側も本人への対応のしやすさが非常に大きく変わる。雇う側も第三者に相談することができるからだ。精神障害者本人と雇用側だけの二者しかいない関係はいろいろミスマッチが起こりやすい。本当に。
そして行政の方にも、精神障害者への配慮を画一的にする方向の動きではなく、ひとりひとりに焦点を当てた雇用ができるようにする仕組みを作ってもらいたい。
人事畑の人間として心配で心配で伝えたい事がある。病気や障害を一般枠応募でカミングアウトするな。
なぜこんなことを書こうと思ったかというと最近多すぎる。エンカウント率が高いとある障害があるからだ。
新卒の学生で「私は吃音があり、上手く話せないことがあります」、「私は吃音があるので、話せないことがあるので合理的配慮をしてほしい」だとか。
最近、発達障害者支援法に含まれた新しい障害らしい。発達障害だから精神障害手帳をとれるとか。
でも法律に入るまえから話し方おかしい人は不採用傾向だけどね。
ごめんなさい。
人事の業界では障害とか病気とか変な人とかは出来る限りは採用したくないんだよ。
吃音のある人たちって精神障害とか発達障害の人の就職活動ルール(カミングアウトするなら障害者枠、隠すなら一般枠、一般枠でカミングアウトはNG)みたいなの共有されていないのかなと心配になっています。
人事系の研修やらで知り合った他社の人事からも同じ声が出ている。
吃音ですとカミングアウトして応募してくる学生が多くて困っている。
吃音のある人はカミングアウトしなければいけないみたいなルールがあるんだろうか。
吃音のある人のコミュニティってカミングアウトしないといけない教みたいなのあるのかと?ここ2年くらいでよく見かけるってさ。もしもカミングアウトしなければいけないとか変なルールがあるんならそれ間違いだから気をつけて。新卒という貴重なチャンスなんだから馬鹿正直にならなくていいからね。
吃音をカミングアウトするなら、仕事の際に配慮してほしいんなら障害者手帳を持って、障害者枠で応募してください。これホントにお願いします。
一般枠でカミングアウトって自殺行為だから。不採用一択なんです。もしも働きたいならちゃんと隠してください。運良ければ採用されるから。
http://anond.hatelabo.jp/20170606174324
『服役囚の4人に1人が知的障害者』という現実からして「精神障害、知的障害者を束縛させず普通の暮らしを!地域で支えよう!」なんて機運の強い地域も危ない。
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秘書給与の詐取で実刑判決を受けた元衆議院議員の山本譲司氏は、知的障害を持つ服役囚の介護が服役中の仕事だった。国会議員から一気に受刑者へと転落した時点で、ある程度の覚悟はできていたとは言え、そこには「服役囚の4人に1人が知的障害者」という驚くべき現実が山本氏を待っていた。
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約1年半の刑期を終え出所してきた山本氏は、福祉の仕事に携わりながら、知的障害者の犯罪の実態を調べ始めた。そしてそれを一冊の本にまとめたものが、近著「累犯障害者」だった。その中で山本氏は、実社会では生きるすべを持たない知的障害者たちが、繰り返し犯罪を犯しては刑務所に戻ってくる様を克明に描いている。
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犯罪といってもほとんどが「しょんべん刑」と呼ばれる万引き、無銭飲食、自転車の盗難などだ。そしてそうした犯罪を犯して繰り返し刑務所に戻ってくる障害者たちの多くが、刑務所を事実上「終の棲家」としてしまっているのが実態だという。
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おおよそどこの国にも人口の2~3%程度は知的障害者が存在するとされる。日本の場合その数は300万人程度と推察されるが、その中で障害者に認定された際に渡される療育手帳を取得し、公的福祉サービスを受けている人の数は46万人に過ぎない。残る障害者の多くが、福祉の網から漏れたまま、刑務所と社会の間を行き来する生活を送っているということになる。
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現実的には、知的障害者の多くにとって公的福祉サービスは存在しないに等しいという。厚生養護施設は3ヶ月程度しか障害者を受け入れてくれない。身寄りのない障害者は3ヶ月後には道に放り出される。そして、その多くが、ホームレスのような生活をする中で「しょんべん」犯罪を犯し服役してくる。その後は、同じことの繰り返しとなる。
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特に近年の高齢化によって、身寄りの無い障害者の数が増えていることも、この問題を更に深刻化させている。山本氏はこうした問題の背後には福祉と法務行政の両方の問題があると指摘する。現在の日本では、一見健常者と見分けがつかない知的障害者に対する福祉が明らかに不十分であると同時に、知的障害者が犯罪を犯すと、自らを弁護する能力を持たないため、警察や検察に言われるがままに供述調書に署名するケースがほとんどだという。結果的に他愛も無い小さな犯罪でも立件され、刑務所送りになる。そして、それが累犯の温床となる。そんな悪循環だ。
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しかし、それにしても本来福祉が担うべき知的障害者の保護を、法務行政が、しかも刑務所という場で担っていて本当によいのだろうか。そもそも、知的障害者が刑務所に入る以外に生きるすべがないような社会が正しい社会と言えるのだろうか。このような障害者が生き難い社会というのは、実は健常者も生き難い社会ということなのではないのか。出所以来福祉活動に奔走している山本氏とともに、「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するものを考えた。
以上は http://www.videonews.com/marugeki-talk/296/
◆医療機関のスタッフが累犯障害者10人に聞き取りをしたところ、よく出てきた言葉は、「刑務所に戻りたかった」。では彼らから見て、刑務所はどんなところか。6つの機能・役割にまとめられるとのことでした。
→3食付き、屋根がある、路頭に迷わない
→塀の外での生活がうまくいかないと、捕まって刑務所からやり直せる
③ 懲役者どうしの安堵感
→思いを共有できる仲間がいる、という安心感。
別に間違いや都市伝説が広まり続けるのは「精神障害」とか「面白いから」とかいうわけではない。
デマとされる間違い情報は、疑問に対する回答として出てきたものであり、間違いを指摘する場合には「それはデマだ」で終わらずに正答を示す必要がある。「~でない」ではなく「~である」が必要である。
しかしデマ指摘は往々にして正答を示すことは少ない。なぜなら正答を示すには相当な熱量で取材や調査をする必要があるからだ。専業ライターや専業記者でない限り、一介のデマにそこまでやる人は少ない。そもそもいくら調べても正答が出て来ることも少ない。せいぜい「~の可能性が高い」までしか示せない。
更新する頃はエイプリルフールかな。別に信じてもらえなくても構わないですが。
精神科通い中。精神障害ではないという診断。(グレーゾーンかもとは言われた)
ほぼ引きこもり。医師の指示で毎日外出はするがコンビニとか図書館くらい。
自己コントロールが下手。何かをしだすとやめられなかったり、逆にやらなきゃならない事が出来なかったり。
タイトルの通り。
生きるためにはお金が必要な事は重々承知している。上記で挙げたような僕の欠点のせいで、お金を出してもらう代わりに期待される労働力に自分がなれないことへの自己嫌悪、他人の期待を裏切ることへの抵抗から、働くことは僕にとって多大なる恐怖なのだ。
欠点は自覚しているが治せないのだ。治そうとした結果が今のメンタル病み状態なわけで…
しかし、周りの人間は死んでもいいとは言わない。当然ではあるが。死んでもいいとか言えば、自殺幇助等に当たるかもしれないし、また、家族などからすれば死んでほしくないのも理解できる。また自殺は悪というように教育されてきたし、僕が死ぬ事で不幸になる人数(最低でも両親と家族)と、救われる(かもしれない)僕1人では明らかに自殺という行為は合理的でない。
メンタルを病んで、自分を大切に、とか言われる事があるが、その自分という存在がよくわからない。僕自身生きていたいのかどうかとかは正直謎である。
「お金があれば美味しいもの食べられるよ」→「我慢すればいいじゃん」
「お金があれば生きていけるよ」→「我慢すればいいじゃん、生きてる必要ある?」
こんな感じの精神状況なのです。これが病気によるものかもしれませんが、僕個人としては極めて理性的に考えているつもりなのです。
生きてるだけで価値があるとか、そんな言葉は大嘘で、僕みたいな人間は働いても迷惑かけるだけだしそもそも雇わないですよね。
本当に価値があるなら国が保証して最低限でいいからお金配ってくれればいいのに。ベーシックインカムってやつですか?それがあれば僕は田舎の小さな図書館のそばにでも住んで細々と暮らしますよ。
この状態で鬱なんだったら自分なんかもう15年以上ずっと鬱だわ。
つかこういう状態がデフォだから自分ではてっきりいま寛解状態だと思ってたわ。
ちなみに最初の8年くらいが鬱病診断であとの7年が双極性障害という診断。
双極性障害の場合、元増田くらい動けなくても抗うつ薬などはなかなか出してもらえない。
まあ動けなくても仕方がないじゃない、今はそういう時期だからゆっくり休もうよって言われて放置プレイですよ。
風呂に1ヶ月近く入れず歯も磨けず、外出もできず、月1の通院も親の付き添いなしにできないのに放置プレイですよ。
最近になってやっと抗うつ薬を少量処方してもらえて通院は一人でできるようになった。
そういうわけで元増田が鬱病なのか適応障害なのか双極性障害なのか発達障害の二次障害なのか統合失調症の前駆期なのか健康な人の一時的な抑うつ状態なのかは知りませんが、もしかしたら会社は辞めることになる可能性が高いかもしれません。
アニメとか安い自己発信型コンテンツ(キュレーション含む)とか精神障害コンテンツ(今のタームは発達障害)とか20年前に比べて娯楽マジ金がなくなった。漫画雑誌も無理に買わなくて良くなったし(違法という意味ではない)。興味のない人が犯罪心理や哲学を援用した談義でナハナハ言ってた頃はまだ金あった。その前のドリフやプロレス全盛の時代はもっともっと金があった。金の分だけ情熱があったのかもしれない。アニメや自己発信コンテンツは根本的な変革がなければジリ貧でより貧乏ったらしいものに変容していくんだろうけど、発達障害の人々は自分自身をコンテンツに変え、理解を得られようとし、実際理解を得ていくんだろうが、大多数の人々は燃え尽きてしまうと思う。「ゲームオーバー後の人生」とよく言われるように、終わったという感覚を引きずって別のタームを見つけていくのだと思う。でも終わらないので辛いですね。
音楽は楽器が(ハードもソフトウェアも)べらぼうに価格が下がったので参加障壁がものすごく下がった。痛い思いしなくてもパッドさえ叩いていれば音楽っぽいものが出来るから、テクニック的にも敷居が低い。その代わり、異常なほど狭いスモールサークルな場がいくつも出来上がり、その中で各世代や同系統のスモールサークル同士が上手く連帯したり、いがみ合ったりしていて、まだちょっと健全だと思う。ただ、金にならないだけ。成功願望も金というところに着地しない人が増えてきたし、慰みの文化としてはちょうどいいのかも。承認欲求丸出しな殺し合いも見られるからネットプロレスとしてもちょうどいい。
添削なし。書捨て。
私は実家が金ない金ない言ってたし、この金食い虫って笑われながら言ってくるような親だった。夫婦仲も悪くて自分が生まれたせいなのかなとか思ってた。そんなこんなで子供が生まれることに夫婦関係が悪くなるリスクは感じながらも子供がいる幸せというのが想像してもしても浮かばない。お金があるわけでもない。養子ではいけないらしい。
私はというと酷い話だが精神障害になり働けないし、子供を産める自信が心底ない。共働きはおろか子育てすら危うい。しかし旦那は子供が欲しいという。
薬をやめ漢方薬にはしたが、フラッシュバックと不安感からか胸がざわざわして死にたいとよく思うし、思い出すくらいなら重い薬を飲んで頭に負担を掛けたいのが私の願望である。眠れなくて睡眠薬を飲みたくなる時もある。
子供に支払うお金で二人で遊びたい。旦那に中古ではない派手じゃない服を着せたい。こびりつかないフライパンも買いたい。私も半額の服を探すのをやめたい。食器を置く場所くらい確保したい。だけど節約。不安定だからこそゆとりを持てる生活にするよう心掛けたいけど節約。今はまだいない子供という存在へ回る金である。いや子供がいたら安全な空間が必要なので家具は必要ではあるのだが。
俺一人でも育てるというが旦那が仕事にいる間はもちろん私が子供を見ることになる。子供は嫌いではないが、パニックに弱い私が子供を?とよく思う。発達障害の親の話を医師によく聞くが、不安性やパニックの起きやすやを思うと冷静に育てられる気がしない。
旦那は愛しているし、自分に出来ることはしたいのだが、一つの命を愛情表現に利用していいと思えない私は旦那からしたら間違っているのだ。俺を信用しろという。メンヘラなので子供が出来たら私のこといらないか聞けばそんなことないと言われる。信用しろという。
半年経って妊娠してない21歳の私は、葉酸サプリを飲みつつ生まれるなら健康的に(遺伝を思うと不安である)と栄養こそ摂っているが、精神的にどうしても落ち着かない。夫も説得出来ない。
少子化が進み子供を産まない選択肢もある中、大して経済力もなく貧しい日々を耐える精神力もない私の元に子供は出来ていいんだろうか。
旦那もいい家庭ではなかったらしいが、子供は自分の未来なんだと目を輝かせる彼に対し、生まれ落ちたら赤の他人に思えてしまう私は、子供が出来る喜びがわかるんだろうか。
障害者は病院行っとけというが病院までが過酷。病院でも過酷なことがある。
精神障害やら発達障害になると心療内科に行く。この心療内科へ行くという行為は賭けの要素があり、そこで医者に恐怖を植え付けられると先がなくなるし、ここで医者も人間だとかお前が失礼したんじゃないのと周囲に言われればセカンドレイプのようになる。
診断を間違えると全く合わない薬ばかり候補になるのである。重い薬で動けなくなったり、副作用の出やすい発達障害はここで悪化する可能性さえあるのだ。
カウンセリングは保険外なのか何か知らないが1時間で七千円とか普通に飛ぶ。何かしらの療法も同じく、検査には数万円掛かるのだ。
おまけに発達障害はある程度幼いうちから行かなくてはならない。幼稚園からである。友人は小2から通ったがそれでも遅いのだ。つい最近まで不登校にでもならないと連れて行かれなかったのだ。違和感があっても親が連れて行ってくれないことも多い。大半が手遅れなのである。
この手遅れがなぜ手遅れかと言えば、発達障害はPTSDのようになりやすい。小学一年生の頃に先生に怒鳴られた記憶が二十歳を過ぎても忘れられないのだ。三十路だろうと記憶が残るのだ。ストレスにも過敏に反応するので治療という行為が難しいのだ。
親へ医師が認識させるのも重要なことで、ここで親が人並みに人様にご迷惑おかけしないようと的外れに厳しくしていけば、自己肯定感がなく常々死にたいと思っている発達障害者が増えるのである。そこからますます二次障害が増えていくのだ。
アダルトチルドレンはきっかけになった親から距離を置くのが早い話なのだが、発達障害で二次障害を引き起こし、働けない人間も事実いる。年金の一月数万円は2回か3回で消えるのだ。治療にあてられる人は実家ぐらしでもそれほど多くないだろう。テレビに出れるのはテレビ出れる程の気力がある人間のみなのだ。私の親はそこにも気づいていない。そもそも発達障害に遺伝の可能性があるなら気づかない可能性は高いのだ。おまけに親もアダルトチルドレンであった。